◆サイト開設10周年記念企画。『佐倉葉ウェブ文化研究室』10+3年の歩み

 私のウェブサイト『佐倉葉ウェブ文化研究室』は、元々、『WebsiteMAP βVersion』と言うサイトで2006年7月31日に開設しました。 つまり私のサイトは2016年7月31日でついに10周年。せっかくなのでサイトの10年間を振り返ってみました。 と、10周年といいつつ、遡るのは13年前から。『佐倉葉ウェブ文化研究室』というのは、12年前に作ったラグナロクオンライン系のサイト『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』が前身であり、原点だからです。

2003年

2003.05.05

 私が一番最初に作ったサイトはイラストサイト。一日のアクセス数が一桁しかない超零細サイトを運営。 この頃はまだ「テキストサイトブーム」の息吹を感じる時代。個人サイトが華やかな時代だった。

2004年

2004.03.13

 ふと2年前~1年半前に「ラグナロクオンライン」をプレイしていた時の事を思い出した。 「Let's RAGNAROKの閉鎖」「キャラクターチェンジ」「スキルロスト」「Chaosショック」、その他色々・・・。 ガンホーの運営はBOTや不正ユーザーに対して有効な対策を打てず、たまに珍しく不正ユーザーの取り締まりをやってもうまくいかず、「ガンホーは何をやってもダメ」と言われる状況。 その時の事を書いてみたいと思いHTMLに書いてみた。しかし、この時はウェブに公開しなかった。

 「ラグナロクオンライン」はコンテンツとしては魅力的でありながら、BOTや不正ユーザーによる混乱。混乱に起因したユーザー同士の罵り合いが激しい世界であった。 この状況を打開する為にユーザーがすべき事は「ガンホーに対する効果的な批判」であり、そのためにはまず「時間と共に消えていく過去の情報を集積し、残すサイトが必要」というのが私の考えだった。

2004.08.28

★『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』開設

 一日のアクセス数が一桁しかない超零細イラストサイトを運営して1年。超零細のまま、これからも続けていって何の意味があるのか。このままではいけないと思った。 とは言ってもどうすればいいのか。イラストは描ける人が沢山いて競争が激しい。 自分にしか出来ない事は・・・。以前「ラグナロクオンライン」で起きた出来事について書いてみた事を思い出した。

 「時間と共に消えていく過去の情報を集積し、残すサイトが必要」

 ラグナロクオンラインの黒歴史を書く。

 これだと思った。「ラグナロクオンライン」で起きた出来事について記録するサイト、『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』を作成した。 このサイトが『佐倉葉ウェブ文化研究室』の原型になる(今の「RagnarokOnline(JP)の歴史」にあたる)。

ラグナロクオンラフフフフフフフフは "ラグナロクオンラインのβテストと正式サービスが一体どういったものであったのか" について調べたことを綴り、消え行く記憶を保存することを目的としたROファンサイトです。

『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』のトップページ

 サイト名の元ネタは重力語

 正直、このサイト名は失敗だったなあと思う。だってサイト名から内容が思い浮かばないですからね。発音しづらいサイト名だし。 ただ、変なサイト名だったおかげで数多くあるラグナロクオンライン系サイトの中でも目立ったというのもあるのかなとも思う。

2004.09.04

・デザイン変更

 サイトはラグナロクオンライン系サイトの登録型リンク集である『RAGNAROK Search』と『RO.Engine』に登録した。 すると開設から10日ですでに一日百アクセスを越える。早くも一部のラグナロクオンライン系サイトで話題になっていた。 これだけアクセスがあるのにデザインが水色一色背景に文字だけのやっつけ仕事ではダメだろと思い、それなりの見栄えになるようにデザインを変更した。

 また、この頃にサイトの方向性を決めた。それは「ラグナロクオンラインの黒歴史について書いたサイトは幾つもあるが、更新停止だったりクセが強かったりする。だから自分が決定版を作る」事だった。当時の代表的なラグナロクオンライン歴史年表として、 『うさだ年表A』 『RagnarokOnlineその変遷と顛末』 『ROのゴミ捨て場』 『ラグナロクの歴史』 が挙げられる。

2004.10.30

・波状アクセス

 「発掘!! お宝映像 ハプニングアイドル集」という、まあ名前からして胡散臭すぎる雑誌に、 「某人気オンラインゲームのキャンギャルが告発!怠慢経営姿勢と私利私欲に走った社員たちの衝撃実態」 という記事があった。 そこにはとあるMMORPGについて「社員が客を「クズ」呼ばわりしている」「社員がBOTとRMTをしている」という内部告発が書かれていた。 事の真偽はともかく、どうみてもラグナロクオンラインを題材にして書かれた物である。 しかし所詮ゴシップ誌の記事、騒ぎ立てるまでもない・・・ないはずなのだが、そうはならなかった。 これまでのガンホーの行い・プレイヤーとの信頼関係の無さが、この記事に説得力と価値を持たせてしまった。 この記事が広まるとともに、ユーザーの今までの怒りが2年ぶりに爆発。大きな騒ぎになった。 ガンホーは「この記事は事実無根です」と告知を出すも、それだけでは騒ぎが収まらず、ついにはユーザーとのオフラインミーティングを行う事になったくらいである。

 この騒動は昔の出来事・黒歴史を振り返るきっかけになり、『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』は多くのリンクをもらう事になった。 大手サイトからも固定リンクをもらうようになり、毎日そこから多くのアクセスがあった。固定リンクを貼ってくれた大手サイトの代表的な所としては、 『RAG.D Project』 『RAGNAROK Square』 『ラグナロク☆ねっとわーく』『D-liste』 等が挙げられる。

 これ以降、『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』の歴史ページを更新する度にラグナロクオンライン系ニュースサイト『ラグナロク☆ねっとわーく』からリンクをもらえるという恵まれた状況だった。

 なお、「社員がRMTをしている」という疑惑については2年後、 現実になってしまった

2004.11.11

・デザイン変更

 ラグナロクオンライン上で起きたユーザー間の揉め事、運営の不祥事、不正だらけの世界について書いた『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』であったが、 サイトを見た人からの反応は「懐かしいですね。昔を思い出しました。」というものが多かった。懐かしい・・・か。

 私のサイト以外にもラグナロクオンライン上の出来事を書いたサイトはいくつも存在していたのだが、 どれも書いている事は結局「こういう出来事をが起きました。だからガンホーはダメ」「こういう出来事が起きました。だからユーザーはアホ」という事であった。 過去を振り返って懐かしむようなサイトではなかった。

 でも、ラグナロクオンライン上の出来事ってそういう事だけではないはず。 例えば、「当時こういうファンサイトがあって、みんな見てたよね」とか、ラグナロクオンラインの歴史にはそういう事も書いていいのでは。この時期からサイトの方針が変わっていった。

 「黒歴史を書いたサイト」から「黒歴史を含めたラグナロクオンラインの歴史サイト」へ。

 私がサイトを更新するときに意識したのは「懐かしさ」と「感情の記録」であった。目標は”何年経っても残すべきサイトにする”。

2004.11.20

・『Ragnarok Online の現実。』というライバル?が現れた

 あちら側は2002年12月に一度公開しているので、復活という形になる。すなわち私の方が後発。
 ラグナロクオンライン系サイトで過去の参考資料として取り上げられるのは、 『Ragnarok Online の現実。』か『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』のどちらか、あるいは両方という状況になった。 この2つのサイト、路線は多少異なる。『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』のほうが浅く広い感じ。

2005年

2005.02.21

■「RagnarokOnline(JP)の歴史年表」を追加

 βテスト時代から幾つかあったラグナロクオンライン年表の中で、 2004年になっても更新を続けていた「ラグナロクの歴史」が2004年8月29日で更新終了。 それならば私が続きを書こうと思い、「RagnarokOnline(JP)の歴史年表」を作った。あくまで続きとして当初は2004年9月以降のもののみ書くつもりだったが、 最終的には第3次αテスト時代まで遡って書いた。

2005.07.24

・『RAGNAROK Square』のお絵かき掲示板でトップページ掲載用画像を描く

 昔、『Leaf SIDE-B』のお絵かき掲示板で描いていた経験を生かして、『RAGNAROK Square』のお絵かき掲示板にトップページ掲載用画像を描く。2005年8月15日~9月5日に掲載。 『RAGNAROK Square』からは固定リンクをもらっていたのだけど、2013年に『WebsiteMAP βVersion』が消えて『佐倉葉ウェブ文化研究室』になったときに、ひらいずみさんはすぐにURLを変えてくれた。ありがとうございますm(_ _)m。

2006年

2006.01.06

・歴史ページのデザイン変更

2006.02.26

・リンクページをリニューアル

 これまでのリンクページはどこのサイトにもあるような普通のリンクページだったのだが、画像を使ってサイト相関図を兼ねた新リンクページへ変更。 バナーをクリックすればリンク先へ飛ぶのは当たり前だが、カーソルをバナーの上に置くと、そのサイトの説明が出るようにした。 この辺は『RAGNAROK online 狩場情報』や『RagnarokOnlineMAP』の仕組みを見て思いついたもの。 (狩場情報のマップの画像にカーソルを合わせると地名と出現モンスター名がポップされる。まさにこの仕組みでリンクページを作った)

 『Internet Archive』に残された『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』のリンクページで動きを試せますよ、というつもりだったが、『Internet Archive』に残されたものではうまく動かなかった・・・

2006.04.xx?

・Web歴史年表(β版)を試作

 ラグナロクオンラインの歴史について調べていくにつれ、 「ROVNI騒動」がVNI衰退の引き金になった事、 「Allmissチートを広めた一人がかつて『あやしいわーるど』を荒らしたハッカー」などを知った。 つまり、ラグナロクオンラインの歴史や何故ラグナロクオンラインが人気になったのかについて考えてみると、ウェブ全体の流れがラグナロクオンラインに影響を与えている事が判ってきた。 よって、ラグナロクオンラインの歴史について調べていると自然にウェブ全体の歴史についても調べることになった。 そもそもサイト開設前から、ばうわう氏関連の揉め事やテキストサイト界の揉め事についてある程度知っていた。
 そこで、今の知識でラグナロクオンラインだけでは無いウェブ全体の歴史年表が作れるのではないかと考え、日本のウェブの歴史年表を試作してみた。 そして手ごたえを感じた為、新しいサイト『WebsiteMAP βVersion』の製作を開始する。

近況
今は新たなサイト製作に時間を費やしており、
このサイトに時間をかけることが出来ません。
今製作している新サイトはROどころかネットゲームとも全く関係ない物ですが
ROにも幾らか触れることになるので、
新サイト製作のために行っている調査の結果の一部はこのサイトにも還元できます。
更新は暫しお待ちを・・・

当時の雑記より

2006.07.17

・歴史ページの標準フォーマット「c70フォーマット」を考えた

 c70とは「コミックマーケット70」の事。なんで「コミックマーケット70」が私のサイトと関係しているかというと、 同人誌を描いている笹山ちかげ氏から 「ラグナロクオンラインの昔を振り返る同人誌をつくるけど、あんたのところのサイトのRagnarokOnline(JP)の歴史をそのまま載せてもいいよね」 と言われたからである。 私は最初反対だった。「楽しい過去を振り返ろう」的な本にネガティブな事・黒歴史が沢山書いてある私の文を載せるのは・・・。 ただ、笹山氏から「そういう事が書かれているからこそいいんじゃないですか」と言われて、まあ、そう考えているならと、OKを出した。 しかし、そうはいってもそのまま載せるわけにはいかない。 『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』は、大きな出来事について説明付きで書いた「歴史ページ」と、小さな出来事も載せているが説明は簡単にしか書いていない「歴史年表ページ」の2本立てだった。 同人誌に歴史ページだけを載せると、小さな出来事は載らない。歴史年表ページだけ載せると説明が足りない。 そこで歴史ページに年表を付けてしまえばいいという事を思いつき、同人誌用の歴史ページhtmlを作った。 このとき考えたデザインはc70フォーマットと名づけ、私のサイトの基本デザインとなる。

2006.07.31

★『WebsiteMAP βVersion』開設

 新サイト『WebsiteMAP βVersion』を開設。内容的にはラグナロクオンライン界隈限定で書いていた『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』に対し、記載対象範囲をウェブ全体にを広げたもの。

2006.10.27

・波状アクセス

 新サイト『WebsiteMAP βVersion』は宣伝を全くせずにひっそりと存在していた為、開設からしばらくはアクセス数一桁だったのだが、 三ヶ月経ってついに波状アクセスが来た。「インターネット歴史年表」が個人ニュースサイトからリンクされたのである。 ありとあらゆる大手個人ニュースサイトからリンクされたこの時の波状アクセスは凄かった。
 インターネット歴史年表がリンクされた理由は簡単だった。この手の年表がウェブ上に無かったのである。いや、正確に言うと「昔はあった」。
 この手の年表と言えば、ばるぼら氏が2002年に書き、ウェブに公開した「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」が有名だった。 唯一不二の存在だったと言っていいだろう。しかし、氏は「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」を削除した。 その後、書籍化はされたのだが、ようはウェブ上に個人サイト中心のインターネットの歴史について書いた文章が無くなったのである。
 その後、何人かがばるぼら氏の後釜を狙って、同じような年表を作ろうとしたが皆挫折した。 その理由の一つとして、自分が作った年表とばるぼら氏の年表を比較して出来の違いに絶望して消してしまうというのがあった。 ばるぼら氏の壁はそれくらい高かった。で、ばるぼら氏以外では私だけが個人サイトを中心としたインターネット歴史年表を(出来のいい悪いはべつにして)形にしたのである。
 私が年表を形に出来た理由は、『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』ですでに経験と実績を積んでいた事。 そして、ばるぼら氏の影響を全く受けていない為、氏の影に怯えなくてすんだからだと思う。実は私は「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」をあまり読んでいない。 書籍版は本棚にあるものの、たまに参考に開いた程度。私はあくまで「ラグナロクオンライン系サイト」から出てきた人間であって、 私にとって「インターネット歴史年表」の作成は技術的に「RagnarokOnline(JP)の歴史年表」の応用。これが良かったのだと思う。

 これ以降、『WebsiteMAP βVersion』に新しいページを作る度に幾つかの大手個人ニュースサイトからリンクされ、大きなアクセス数をもらえるという恵まれた状況だった。

2006.10.29

・『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』最終更新

 この頃のラグナロクオンラインは「アサシンギルド事件」をきっかけに 「運営改善要求デモ」が起き、非常に混乱した時代。そして、BOTが我が物顔で存在していた最後の時代。 運営改善要求運動自体は過去もあって、 2002年10月の「Chaosショックを起因にした改善要求運動」、 2004年11月の「内部告発騒動を起因にした改善要求運動」 が挙げられるのだが、2006年5月の運営改善要求運動は以前のものとは違った。 この時は『Ragnarok Online ユーザー連盟』のsakucchi氏と稀代の煽りサイト『BOTNEWS』がいた。 当時のラグナロクオンライン系サイトで一番影響力が強い『BOTNEWS』に煽られ、sakucchi氏が統率したデモが運営に与えたインパクト。これはこれまでのものとは段違いだったと思う。 それは『BOTNEWS』の記事にある運営改善要求デモのスクリーンショットを見れば明らか。 この様子を見て運営が衝撃をうけないはずが無い。
 その後、ガンホーがBOT根絶に大きく舵をとり、やがてBOTを殆ど見かけなくなった。

 2006年10月、『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』の歴史ページに「アサシンギルド事件」「裏RJC2006」「Chaos運営改善要求デモ」「Iris運営改善要求デモ」「第四回ガンホーオフラインミーティング」「ガンホー夏の陣」「ゲームマスターの戸枝雅亮がZenyの不正生成で逮捕」を追加。 これが『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』の最終更新になるわけだが、この時の事はブログに書いた⇒『RagnarokOnline(JP)の歴史を書くときに気をつけてた事を思い出した』。

2007年

2007.03.03

■「ウェブサイト系統図」を追加

 『東西落語系図』というものがあって、 結構面白いなあと思ったのだけど、これってウェブサイトでも同じものが作れるよなあと思ったのが制作のきっかけ。 つまり落語では「師匠-弟子」の関係で系図を作れるわけだけど、ウェブサイトでは「影響元サイト-影響先サイト」の関係で系図を作れるよねという話。 まあ、作ってみて出来上がったものは『東西落語系図』よりは、競馬のサイアーラインに近いものになった。

2007年

2007.03.07

・サイトデザイン変更

2007.08.06

■「THE iDOLM@STER MAD 登場から07年7月までのまとめ」を追加

 後の「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」、今のページ名は「アイマスMADの黎明期」。 私が最初に見たアイマスMADは「アイドルマスター CDTV風メドレー」。
  ・アイドルマスター CDTV風メドレー5/22ver 100~31位
  ・アイドルマスター CDTV風メドレー5/22ver 30~1位
 これを見たとき『ニコニコ動画』で面白い現象が起きているなあと思った。 と同時に、アイマスMAD動画はいわゆる「(著作権的に)黒動画」だから「いつ消えてしまうかわからない」と思った。記録に残さなければならないと思った。 それが、「THE iDOLM@STER MAD 登場から07年7月までのまとめ」を書いた理由。

思うところがあってアイマスMADまとめを作っているわけだが、これはだいぶ先を見て作ってる。ようは今は必要が無いのだが、後で必要になるかもしれないので。

当時の雑記より

 詳細は以前に「「アイマスMADの黎明期」というページの制作について」で書いた為、ここでは割愛。

2008年

2008.01.04

■「インターネット歴史」を追加

 『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』は、大きな出来事について説明付きで書いた「歴史ページ」と、小さな出来事も載せているが説明は簡単にしか書いていない「歴史年表ページ」の2本立てだった。 『WebsiteMAP βVersion』は「歴史年表ページ」のみだったわけだが、こちらも「歴史ページ」との2本立てにしようと思って制作。 1984年~2003年まで制作したところで中断。2004年以降も作る予定はある(と言ってからすでに8年経過・・・)。

2008.04.11

・『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』の横幅800ピクセル版を試作

 『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』を開設した2004年のPCは1024×768が解像度の主流だったのだが、この頃は1280×1024が主流。 PCの解像度向上にあわせ、サイトの横幅を642ピクセルから800ピクセルに伸ばしたβ1のページを試作。 が、結局800ピクセル版はお蔵入り。 この時期は『WebsiteMAP』にアイマスMAD関連の新しいページを作っている最中だったため、 800ピクセル対応は後回しにしたのだが、後回しにしたらそのうちやる気が無くなったという、よくあるパターン。

2008.06.07

■「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」を追加

 これの制作経緯については記載予定がある為、ここでは書かない。少しだけ言うと、 『The iDOL M@STER ニコニコ動画まとめWiki』を見たことが制作のきっかけの一つ。 ようは、動画を作る人に光が当たるのは当然の事なのだけど、このwikiの編集者ような裏方役や動画の感想を書いているブログもコミュニティには必要だし、そういう人にも光を当てる必要があるのではと思った。 そういうものを書こうとしたのだが出来には全く満足していない。かなりの不完全燃焼。 ただし私がアイマスMAD界隈で活動していた時の経験が後に「テキストサイトの歴史」の作成に生かされていく。

2008.07.14

■「GoogleTrendsで見る、Webの話題と騒動」を追加

 Webの話題と騒動がGoogleTrendsのグラフではどういう形で現れるのかを調べたもの。制作期間は数日。急な思いつきだけで作ってみた小企画。

2008.11.21

■「テキストサイトブーム関連まとめページ」の作成を開始

 「インターネット歴史年表」は2006年のサイト開設以来、随時項目を追加していった。 しかし勢いで追加していったため、あまり重要では無い出来事についても載せており、 出来た年表を改めて見るとジャンルの偏りが強くてバランスが悪いと感じるようになった。 その為、重要ではない項目は消す事にしたのだが、 その時に真っ先に消す対象として上がってきたのがテキストサイト間の揉め事。例えば、「1・17事件」「魚類の乱」「植物の乱」「ヒールというかフール」「仁騒動」等。 で、これらを消そうと思ったのだが、ただ消すだけでは芸が無い。これらは全てテキストサイト界の出来事である。 ならば、ただ年表から消すのではなく「テキストサイトブームについてまとめたページを作って、そこに移動させたという形にしよう」という事を思いついた。 これが「テキストサイトブーム関連まとめページ」制作のきっかけ。
 ページを作るにあたってまずは調査をするのだが、調査をするとその結果をメモ書きをしておきたくなるわけで。メモはブログに書くことにした。これが 『テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書』。
 テキストサイトの場合は、サイト論が数多く書かれた事から、まずはそれを読むことから始めた

2009年

 この年は「テキストサイトブーム関連まとめページ」作成の為の調査・作業中。初めはテキストサイトブームの頃だけを書くつもりだったのだが、 テキストサイトブームについて書くには、どうしてもその前の時代についても知らないといけないため調査範囲が広がっていった。

 同時にこの時期は自分が「ウェブから一旦距離を置く」事を決めた時でもある。ウェブという世界に長く浸かったせいか、ウェブの暗黒面というか、ブラックホールというか、ネガティブな空気というか、そういうものに飲み込まれ始めていると感じた。 そこで一旦ウェブから距離を置くことにした。これによりサイトの更新頻度が一気に落ちてゆく。とはいっても「テキストサイトブーム関連まとめページ」はもう制作に着手していたため、 それだけは完成させる事にした。

 ウェブをあまり見なくなった代わりに幾つかの事を新たに始めたのだが、その中の一つが山歩きであった。

2010年

2010.02.19

■「テキストサイトの歴史」を追加

 調査を始めてから1年3ヶ月かかって完成。もっとも昔のように作業に沢山の時間が使える状態なら半年で書けたとは思うが。 「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」を書いたのとき反省がベース。
 新しい試みとしては、調査用ブログを作った事。ブログには調査結果・考察・メモを書いていく。 ある程度調査が進んだところで、ブログに書いた調査記録・考察をhtmlにまとめると新ページの骨格が出来上がる。あとはそれに肉付けをしていくというアイデア。 このアイデアは、私がブログ『ニコニコの杜』をやっているときに思いついたもの。すなわち、「テキストサイトの歴史」というページはアイマスMAD界隈の「とりあえずやってみよう」精神が生み出したものの一つと言えるのかもしれない。

2010.04.04

★サイト統合

 ラグナロクオンラインの歴史は『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』。それ以外は『WebsiteMAP βVersion』に分かれていたが、 ラグナロクオンラインの歴史を『WebsiteMAP βVersion』に移転。『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』は閉鎖。

2010.11.01

・『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』消滅

 「インフォシーク iswebライト」のサービス終了により消滅。

 「RagnarokOnline(JP)の歴史」は元々http://ragraghuhuhu.hp.infoseek.co.jp/にあった。 このinfoseek鯖のサイトは、今のサイトの前身であることから旧サイトと私の中で呼んでいたのだが、 この旧サイトが「インフォシーク iswebライト」のサービス停止に伴い、11月1日に消えた。 私は最近、ネットをあまり見ていないため、「インフォシーク iswebライト」のサービスが停止になるなんてさっきまで知らなかった。

 いやー、コンテンツをWebsiteMAPに移転させたのは正解だったなあ。

 とはいっても旧サイトには移転先へのリンクを置いてあり、いまだ一日数十人はそこから来ていたので 旧サイトが完全に消えたのはもったいない。

 ただ、http://ragraghuhuhu.hp.infoseek.co.jp/は私が「βテスト初期の頃は、この世界に明るい未来を感じていたね。今はBOTだらけだね。不正行為沢山あるね。ガンホーは無力だね。これでいいんだっけ?」 という思いでとったサイトスペース。今はもう殆どBOTがいないわけだけから、抗議運動が起こっていた頃のROとは違うわけだから、旧サイトの役割は終わったといえる。役割を終えたものはただ消え去るのみ。

 

 だから、http://ragraghuhuhu.hp.infoseek.co.jp/が消えてよかった、消えるべきものが消えた、とも思うわけです。

当時の雑記より

2011年

2011.03.21

■「ニコニコ動画で見るFLASH黄金時代」を追加

 2008年にやっていたブログ『ニコニコの杜』で唯一、個人ニュースサイトからリンクをもらえる(つまりアクセス数の取れるコンテンツ)であった「ニコニコ動画で見るFLASH黄金時代」。 当時は週一回公開の全12回予定で、そのうち7回まで書いたところでブログを潰したため、未完に終わった。これを完成させたもの。 内容はFLASH黄金時代に制作されたFlash動画の紹介企画。

2011.03.28

■「「東日本大震災発生に伴うインターネット上の出来事と話題」日表」を追加

 震災に関わるウェブ上の動きを記載した表。対象期間は2011年3月9日から4月12日まで。
 これ、個人ニュースサイトからのリンクはあまりもらえなかったが、私はいいコンテンツを作ったと思っている。 後からこれを作るのは大変(というより不可能)で、リアルタイムで作ったからこそ出来たもの。 これは私が今までに作った年表とは違って、記載する出来事を 【『自動ニュース作成G』のコメント30以上】または【『はてなブックマーク』のブックマーク数600以上】という基準を設けて 機械的に抽出という新しい試みもしている

2012年

・サイトの事を忘れていく日々

 自分がROのβテストを始めた日から丸10年が経った。そして来年5月でサイト始めて10周年になる。 最初は弱小イラストサイトをやっていたが、自分の才能に限界を感じたことから一年くらいで辞めた。

 「自分が出来るサイトは何だろうか」

 と改めて考えたときにROβテストをやっていたときのことを思い出した。そして「RagnarokOnline(JP)の歴史」を書くSakurabaが生まれた。

 今、自分は自分がSakurabaであることを忘れ始めている。

当時の雑記より

2012.07.26

■「ドラゴンクエストXベータテスト年表」を追加

 ドラゴンクエストXベータテストに応募してみたら当たった為、プレイしたのでβテスト終了に合わせて年表を作ってみた。作ってみただけで、工夫は特に何も無い。

2013年

2013.02.22

★サイト消滅

 『WebsiteMAP βVersion』は『忍者ツールズ』のホームページレンタルサービスを使っていたのだが、『忍者ツールズ』からの一方的なメール連絡とともにサイト消滅。メールには規約違反と書いてあったが、そのページは画像も無く、引用も無く、ただただ作業のメモ書きが書かれただけのページ。 理由に思い当たるところがない。

この度は、現在ご利用中の下記のホームページに関しまして、
利用規約へ違反する行為が見られた為、該当ホームページの凍結処理を行わせていただきました。
▼ホームページURL
http://websitemap.michikusa.jp
/webhistorysokuhou.html
利用規約違反の内容は以下のとおりです。
「第5条 禁止事項」
 ・極端にサーバに負荷を与えたり、セキュリティの低下を招く行為、
 またそれらの恐れのある行為
なお、凍結の解除は承りかねますので、予めご了承いただきますようお願い致します。

忍者ツールズから送られてきたメール

 「サイト消滅」。まさか消滅してしまうとは。あれだけの力と時間をかけて作りあげたサイトが消滅。 ただ、不思議とショックは少なかった。 ウェブから一旦距離を置くようにしてから4年半経ち、自分の心の中でサイト管理人としての自分の存在が小さくなっていたからかもしれない。
 この頃の週末は山に行くことが多く、サイト関係の作業は殆どしていなかった。

2013.05.19

★『佐倉葉ウェブ文化研究室』開設

 放置状態だったとはいえ、力を入れて作り上げたサイト。消滅させたままではあまりにもったいない。 そこで別な場所に復活。ついでにサイト名を変更。以前は内容が想像つかなかいようなサイト名だった為、今回はストレートなサイト名にした。 復活したところで良質な非リンクは殆ど失ったし、高かったGoogle検索のランクも失ったことには変わりない。当たり前だが、アクセス数は相当落ちた。 それでも何人かが復活に反応してくれた事がありがたかった。

2014年

 何もしていない・・・

2015年

2015.03.22

■「回想録:「アイマスMADの黎明期」というページの制作について」を追加

 「アイマスMADの黎明期」を書いた2007年の回顧録。実は2011年にはほぼ完成していたのだがそのまま約4年放置。 『佐倉葉ウェブ文化研究室』を開設したものの、中身は旧サイトのまま全く更新されないのはさすがにどうなんだと思って、 制作途中で中断したものの中から、完成に一番近かったこれを引っ張りだしてきた。この回想録には続きがある。 続きとは「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」を書いた2008年。それもいつか書く予定。

2016年

2016.01.31

■「自己顕示欲充足システムに飲み込まれる登山者と事故の危険性 ~インターネットの普及による山行への影響について『ヤマレコ』を事例にして~」を追加

 私は山歩きを始めてから『ヤマレコ』という登山SNSに山行記録を書いていた。
 2012年、ヤマレコユーザーのyucon氏が御池岳で遭難した。救助が間に合い、氏は助かったのであるが、数日後に彼が『ヤマレコ』で書いた遭難記が注目を集めた。 遭難記は多くの人に読まれ、多くの拍手を獲得した。彼は遭難した事で『ヤマレコ』内の有名人となり、脚光を浴びる存在になった。 そして、雑誌の取材を受けたり公演に呼ばれたり、挙句の果てには「遭難した場所にもう一回行ってみる」というものまであった。 これを当時、私が見たとき「危ないことをしている」と思った。周りから煽てられ調子に乗り、やがて炎上するブログとイメージが重なった。このままでは再び遭難すると思っていた。
 しかし、自分には何もできなかった。たまに苦言を呈することもしていたラグナロクオンラインやアイマスMADの時とは違う。 山岳界では自分に発言力が無い。あるはずが無い。
 その後、yucon氏は再び遭難し、死んだ。
 2015年、今度はuedayasuji氏が死んだ。この人も危ないと思っていた。
 これをきっかけに書いたのが「自己顕示欲充足システムに飲み込まれる登山者と事故の危険性 ~インターネットの普及による山行への影響について『ヤマレコ』を事例にして~」。 かつて「テキストサイトの歴史」を書いた時と同じ方式で書いた。即ち、ブログに調査結果・考察・メモを書いていく。 ある程度調査が進んだところで、ブログに書いた調査記録・考察をhtmlにまとめる方式。
 これを書いても、あまり意味がないのではとは思っていた。私の力では山岳界に影響を与えることはできない。また、書いたら一部から恨みを買うと思っていた。 書いても自分に得がない。 それでも、書かないというのは自分の気持ちに納得がいかなかった。だから書いた。

今回は信念をもって貧乏くじを引きに行こうと思います。

今日のチラ裏 : 佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書

 しかし、不思議なもので。サイトは放置状態にして山に行ってたのに、山が結果的に自分をサイトに引き戻すとは・・・

2016.03.13

・デザイン変更

 トップページだけデザイン変更。といってもサイト上部のタイトル絵を変えただけ。 ドット絵のアニメーションGIFを急に思いついて下書き無しにいきなり制作。

2016.07.31

★この日で『WebsiteMAP βVersion』の開設日から数えて10周年!

 というわけで、いつのまにか開設から10年。前身サイトから数えれば13年経過してしまった・・・
 ラグナロクオンライン系のサイトから始まって、よくここまで作ってきたなあという感じ。 新ページを作る度に色んなサイトから紹介リンクをもらえる恵まれた状況の中で、いつのまにかその分野ではボチボチ有名なサイトになっていた。でもいまや過去の話。

 今のサイトの立場としては零細サイトに戻ってしまっている。それだけサイト消滅の影響は大きかった。 被リンク数もアクセス数も少ない。まあ、アクセス数は少ないというのは、それはそれで気楽でいいという思いもあります。 2009年以降はマイペースなサイトに変わったので、あまりアクセス数が多いのもね。

 零細サイトに戻って、このサイトをこれからどうしようかというのを最近考えるのだけど、ようは続けるか止めるかという事。 このサイトを続けても生活にプラスになる事は無く、いまや完全に趣味でやってる状況。これをそのまま続けていいのだろうか。 ただ、新ページのアイデアは沢山持っているし、ここまでやってきたものを捨てるのもね。 だから細々とではあるが続けていく事になるのかな。

 まあ、サイトを運営する上での心構えとか信念とかは13年前から何ら変わらないですね。すなわち本当に価値のあるものを作り、何年経っても残すべきサイトにするという事。

 

 時代は『Twitter』『Facebook』などSNS。あるいはブログであってもみんな同じような外観に同じような内容のものが多い。 昔ながらの個性とオリジナリティ溢れる個人サイトを作る人は少なくなった。

 でも自分はその流れには乗らずに「もの」を作り続けるよ。