阪神・淡路大震災とインターネット
2024年4月20日公開、2024年4月21日更新
▼目次
■1.序文
■2.阪神・淡路大震災とインターネット
◆被害情報の共有、◆情報ボランティアの勃興、◆インターVネットの稼働
■3.評価
■4.評論
■参考文献
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1.序文
この文は、阪神・淡路大震災とインターネットの関係、具体的には阪神・淡路大震災によって発生したウェブぺージ、インターネットを使ったボランティア活動について記した物である。 阪神・淡路大震災はインターネットが注目されるきっかけの一つといわれる。では実際にインターネットはどの程度役に立ったのか、それ考える為の資料でもある。
1995年、インターネット元年といわれた年。インターネット普及率はまだ0.4%だった。
2.阪神・淡路大震災とインターネット
1994年8月、神戸市はマルチメディア文化都市構想を打ち出した。その構想の一環で自治体として日本で最初にインターネットと接続した。
1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部地震が発生した。大都市の直下を震源とする大地震で震度7を記録した。この地震による震災は阪神・淡路大震災と名付けられた。
◆1995年1月17日~ 被害情報の共有
地震発生直後にインターネットが果たした役割は被害情報の発信であった。
先ずは『奈良先端科学技術大学院大学』が地震発生当日という速さで地震情報に関するぺージを立ち上げた。
被災地にあった『神戸市外国語大学』はSINET(文部省学術情報センターのネットワーク)を介してインターネット接続を行っていた。
当時、『神戸市』のサイトは神戸市外国語大学のサーバーにあり、『神戸市外国語大学』のサイト配下に置かれていた。
神戸市外国語大学は地震により通信を切断されたが当日から復旧作業を進め、翌18日には復旧。
その日から神戸市外国語大学と神戸市広報課はサイトを通して被災地からの積極的な情報発信を行った。
中でも特筆すべきは神戸市内の被害状況を写真で公開した事にあった。
その活動は大いに注目され、地震発生後20日の間に50カ国から約36万件のアクセスがあった。なお、日本語ページの他に英語のページも用意され、
アクセスの多くが海外からのものだった。
また、当該ページは他サイトにミラーが置かれた。ミラーを置いたサイトに『NEC』『理化学研究所』『滋賀職業能力開発短期大学校』が挙げられる。
当時、日本のウェブで中心的な役割を果たしていた一つである『NTT』は電話等の被害についてサイトで告知。サイト内にある『日本の新着情報』のページにも地震情報を掲載した。
また、日本文字放送から提供された情報を元に死亡者名簿の公開も行った。
他にも『東海インターネット協議会』が中日新聞記載の死亡者情報を元にデータベースを作成し、
氏名/年齢/住所等をキーに死亡者の情報を検索出来るウェブページを公開した。
利用者がウェブページから単語を入力すると、それをキーにデータベースを検索し、ヒットした情報が表示される。
『理化学研究所』『筑波大』『奈良先端科学技術大学院大学』『Asahi Net』『がんセンター』『松下電器』等も死亡者名簿や死亡者検索システムを公開をした。
また、『郵政省』『九州大学』は生存者情報を公開した。
『IIJ』は地震によるインターネット接続への影響を公開し、『阪急電鉄』は阪急電車の運行状況を公開。『野村総合研究所』は銀行・生命保険・損害保険からの情報一覧を公開した。
海外のサイトではアメリカの『Yahoo!』、カルフォルニア州政府、ハーバード大学地震学グループ等が特設ページを公開した。
次々と震災に関する情報が現れると、次に必要とされたのは震災情報に関するリンク集であった。
特に『ソニー・ コンピュータサイエンス研究所』(Sony CSL)が作成したリンク集は「安否情報」「電話・郵便・ネットワーク情報」「画像」「纏め情報」とカテゴリ分けしたリンク集であり、
「まず最初にアクセスすべきページ」と評され(*2A)、
多くのミラーが作られた。ミラーを置いたサイトに『京都大学』『IIJ』『理化学研究所』『信州大学』『動物衛生研究所』が挙げられる。
また、『ソニー・ コンピュータサイエンス研究所』自体も『NTT』の地震情報ページのミラーを置いた。
他には『信州大学』作成のリンク集が挙げられる。
ネットニュースでは地震について大きな話題となっており、fj.misc(投稿すべきグループが他にないとき使うグループ)、
fj.news.group(ニュースグループの構成・作成・廃止などについての議論)、fj.announce(fjの読者の全員に関係するような記事)の3つに地震関連の話題・情報が投稿された。
特にfj.miscが使われており、これは地震発生当日に「(地震関連は)fj.miscを集中的に使ってください」との書き込みがあった為である。
翌日には地震の情報を流すニュースグループを新たに設置していいのではという意見が出て、その日中にfj.misc.earthquake(地震に関する情報)とfj.misc.earthquake.people(被災地の人に関する情報)の2つが新たに作られた(*2B)。
先に挙げたニュースグループ以外に地震関連で使われたものとしてtnn.disasters.earthquake、fj.sci.geo、kansai.misc、alt.current-events.kobe-quake、alt.disasters.earthquake、sci.geo.earthquakes、soc.culture.japanが挙げられる。
東京大学の酒井清隆氏は、9種の情報を纏めてfj.misc.earthquakeに投稿した。9種とは
「1. 一般的な内容,」「2. ネットワークから得られる情報について」「3. 電話やラジオから得られる情報について」「4. 義援金に関する情報」
「5. ボランティアに関する情報」「6. ペットに対する義援金やボランティアなど」「7. 献血に関する情報」「8. 地図に関する情報」「9. 被災者向けの情報」である。
なお、ネットニュースに被災者からの投稿は少なかった。
被災者や被災地のボランティア組織にインターネットを使う為の知識・技術・理解・体制が無かった為である。
抑々現場にパソコンが無い、パソコンがあっても活用が出来ないという問題もあった。
これは情報ボランティア活動に繋がっていく。
当時のコンピューターネットワークといえばインターネットの他にパソコン通信があり、
阪神・淡路大震災ではパソコン通信のほうでより活発な動きがあった為、これにも触れる。
ニフティサーブでは地震発生当日に特設コーナーを設置したところ、13時から翌日18時までの29時間でアクセス数が約101万件に達した。
また、義援金の募集が行われ、義援金は1億円以上集まった。
特設コーナーの設置或いは義援金の募集が行われた他のパソコン通信サービスとしてPC-VAN、朝日ネット、アスキーネット、People、SuperLinksが挙げられる。
*2A:「始めてアクセスする方は、まず最初にここのサーバーにアクセスして下さい」⇒「https://www.kanadas.com/shinsai/sakai.html」
*2B:依田聖 氏が書いた文に詳しい経緯が書かれてる⇒「震災時の fj」
◆1995年1月末~ 情報ボランティアの勃興
阪神・淡路大震災では多くのボランティアが駆け付け、ボランティアが行政を補完する役割を果たしたことから、1995年は『ボランティア元年』と呼ばれた。
そして、ボランティア活動の一つとして”情報ボランティア”があった。
被災地では従来の情報伝達方式が機能を停止した。
そこでコンピューターネットワークを使って必要な情報を伝達させる事を主目的としたボランティア活動が行われた。これを情報ボランティアという。
スターネットの清水和佳氏は情報ボランティアの活動について5つに分類した(*2C)。
- 現地情報の実地収集→ネットへの投稿
- マスメディア/ネット等で情報を収集→必要と思われる個人/団体への連絡、リンケージ作業(ダイレクトメール的、特定少数対象)
- マスメディア/ネット等で情報を収集→情報種別毎に分類編集再加工してネットへの再投稿、現地へ配布(マスコミ的、不特定多数対象)
- 被災者・ボランティア団体の情報化の手助け(指導、代理UP等)
- 公開の物資/人手/情報の「市場」(交換の場)の提供・運営
最初に、概念的な話をします。これは、「情報ボランティア」という言葉の使われ方が、語る人によって千差万別であることに基づく誤解を避けるためです。
兵庫県南部地震の発生以来、多数のボランティアが多用な活動を行ってきました。その中には、これまでの日本国内のボランティア活動ではほとんど見られなかった、「情報ボランティア活動」という新しいジャンルの活動があります。
すなわち、従来の情報ルートが機能を停止した被災地内で、必要とされる(であろうと思われる)情報の収集/流通/配布を主目的としたボランティア活動が行われました。 そして、被災者/被災地からの直接的な情報発信手段として「パソコン通信」「Internet」の利用が注目されるようになりました。その延長線として、被災者やボランティア団体が、「情報ボランティア」に依存することなく、 自ら直接に外部に向けて情報を発信することによりタイムラグをなくす事が提案され、避難所の数十カ所にパソコンが設置されました。 この動きに対応する「支援グループ」=「ワープロ、データベース、パソコン通信等を、避難所のリーダーに使ってもらうように手助けするボランティアグループ」も登場しました。更には、Internet に IP接続された Mac を被災地内に設置・運用するグループも、現れました。
上記の活動全てが「情報ボランティア活動」、これらの活動を主たる目的として行ってきた団体が「情報(系)ボランティア団体」、であると筆者は考えています。
「情報ボランティア団体」と『VAG』について:https://www.kanadas.com/shinsai/vag-shimizu.html
阪神・淡路大震災によって発生した情報ボランティア組織の内、インターネットを使った活動を行ったものとして「ワールドNGOネットワーク」(略称:WNN)が挙げられる。 大阪大学の水野義之氏と下條真司氏が中心となったグループであり、 具体的な活動としては、大阪YMCA、西宮YMCA、NGO救援連絡会議 にスタッフが赴き、パソコンの貸与や通信ツールを使っての実運用をサポートした。
Internetの中で,WEBをあげるだけではなく,もう少し積極的に関ってやろうという人もあらわれた.大阪大学核物理研究センターの水野先生もその一人である. 彼がInternetで呼び掛けて「情報ボランティアグループ」というのが集められた.情報技術をボランティアの仕事に役立てられないだろうか という趣旨である. ボランティアグループとの接点は大阪YMCAに見つけることができた.ここは一早く「応援する市民の会」という形でボランティアグループを作っており,「関西NGO協議会」という関西のNGO/NPOを取りまとめる役割をしていたのである. それらのボランティアグループのためのボランティアの募集から,幾つかの避難所を担当しているボランティアグループの横の連絡を果たしていた. ここの笹江氏と一緒に考えた結果,これらの組織を情報システム技術,とくにInernetを通じて結ぼうというアイデアが出て来た.しかし,現実にそれを行うには幾つかの障害があった.
1)これらの組織は,Internetを使うための技術を何も持っていない.
2)日々の活動が忙しく,Internetを使うための人材,時間的な余裕が無い.
3)情報技術に関する理解がなく,また,どのように使うべきかもわからない.
4)組織が情報技術を使うような体制になっていない.
まあ,当然といえば当然のことである.これはかつて我々が,電子メールなどのInternet技術を最初に導入するときに経験したことそのものである. 実際に,避難所にパソコンを配ったもののほとんど使われていないという話も聞いている.
やはり,実際にこれらの技術を持っている人が,乗り込んでいき,手取足取教えてあげる.あるいはボランティアグループと一緒に行動して,その中で 解を見つけて行くといった地道な活動が必要であろう. そこで,「情報ボランティアグループ」自身がボランティアグループの活動の拠点である大阪YMCAと西宮YMCAに乗り込んで行くことになった.
アップル社の協力により,Machintoshを何台か貸して頂けることになり,モデムを使って大阪大学にアクセスすることから始めた.幾つかのネットワークプロバイダーからもアクセス権を一時的にお借りすることができ,とりあえずこのプロジェクトが活動中である.
阪神大震災と情報技術(ワールドNGOネットワーク):http://www.center.osaka-u.ac.jp/people/wnn/report/shimojo.html
情報ボランティア活動はパソコン通信でより活発な動きがあった為、これにも触れる。
ニフティサーブは無料で利用可能な震災ボランティア・フォーラムを用意した。
その中でボランティアの相互連絡を目的として作られた会議室「活動相互連絡室」が作られた。
ここで発生したボランティア団体の連絡網が「インターボランティア・ネットワーク」(略称:IVN)である。
IVNは様々なボランティア団体やボランティアをしている個人間の情報共有を目的とした連絡網であり、70を超える団体や個人がIVNへ登録した。
当該連絡網による活動はニフティサーブ上だけではなく、実態としての連絡所が神戸電子専門学校におかれた。
具体的な活動としては、パソコンが設置されている各避難所(小学校、中学校)を巡回し、学校職員が主である運営ボランティアに対してパソコン操作指導等を行った。
また、ボランティア拠点に人を派遣し情報を収集。それをパソコン通信やインターネットに配信する事を試みた。
然し、IVNの設立に関わった山本裕計氏はIVNの活動について「連絡網としてのIVNの成果は皆無であった」と評した(*2D)。
IVNの連絡網としての停滞状況を憂いた山本氏と増澤徹氏は、
「ボランティア支援グループ」(略称:VAG)を立ち上げた。VAGでは情報を各ボランティアが使用しやすい形態に編集し、パソコン通信とインターネットへ再投稿した。
堀澤氏、岡本氏、久保氏が引っ張っていた「情報ボランティアグループ」(略称:情報VG)は情報ボランティアの中でもっとも規模が大きかったグループである。
具体的な活動としては毎週1~2回、物資の供給されていない避難所を訪問し調査結果に纏めた。
これと、ニフティサーブの震災ボランティア・フォーラム等で散らばった状態になっている物資情報をリンクさせ、ネットワークに情報を流していった。
地震発生から3~4週間経つと「『生きていく最低限』と言う単純な目標があった時と違う」という岡本氏の問題提起から、
より主体的な活動へと進んでいった。具体的には、情報VGの担当者が避難所を訪問し要望を聞いたら、担当者が直接物資系ボランティア団体と交渉し、更には進捗のトレースまで行った。
また、仕事や生活情報を集積する場「情報提供パティオ」(通称:DATUM! パティオ)をニフティサーブに作成した。
情報VGは最も成果を挙げた情報ボランティア組織と評された(*2E)。
なお、VAGも情報VGもパソコン通信のみを活動の場にしていたわけではなく、インターネットでも活動している。
2月下旬、兵庫県企画部は「兵庫県震災ネット」を構築した。これは、政府・自治体等からの公表文書や仮設住宅・公営住宅情報、生活情報等を被災者へ提供する為のものであり、パソコン通信が用いられた。
この兵庫県震災ネットを各避難所が使えるよう運用支援したのが「IVN パソコン通信サポートチーム」(通称:IVN川村班)と「CSK震災復旧支援プロジェクト」(CSK内で立ち上がった企業ボランティア)。
2月末、郵政省が各避難所にパソコンを配布したのだが、利用方法について支援したのもIVN川村班である。
その他の情報ボランティア組織として、自転車フォーラムの有志による情報収拾と物資配布の活動隊「ポンポコ救援隊」、
電子新聞を作成しパソコン通信とインターネットに配信した「「ニュース!」編集部」が挙げられる。また神戸大学でも情報ボランティアの活動があった。
*2C:この分類に従えば、先に書いた「被害情報の共有」も情報ボランティア活動の一つになる。
実際、酒井清隆氏が纏めてfj.misc.earthquakeに投稿した行為も情報ボランティア活動の例として挙げている。
*2D:「「連絡網」としてのIVNの成果は皆無であった」⇒情報ボランティアFAQ
*2E:「数ある「情報ボランティア」の中でもっとも規模が大きく、成果を挙げたグループである」⇒情報ボランティアFAQ
◆1995年3月~ インターVネットの稼働
情報ボランティア活動では主たる活動場所がパソコン通信かインターネット上になるわけだが、 問題としてパソコン通信とインターネット間で情報共有がなされない、更にはパソコン通信の中でも各社サービス間での情報共有はなされないという点があった。 もし情報共有をするならば、各所にコピー&ペーストしていくという人力作業になるし、実際していた。 この問題を解決する為に、慶應義塾大学の金子郁容氏を中心としたメンバーはインターVネットを構築した。 これはインターネットを基盤としてパソコン通信各社をつなぐ情報共有ネットワークであった。 IIJが提供しているニュースグループの下にインターVネットのニュースグループを作成。 各パソコン通信サービス側ではインターVネットと連携する会議室を用意。インターVネットと会議室でデータ転送を自動化させた。 これにより連携会議室に書き込まれた情報はインターVネットのニュースグループにも自動で投稿され、更には他のパソコン通信の会議室にも自動で投稿されるようになった。 インターVネットは3月1日にニフティサーブへ接続。翌日にPC-VANとPeopleへ接続。4月5日にはアスキーネットへ接続され、情報の共有化が実現した。
・ InterVnet は、インターネットのネットニュースを利用して、阪神・淡路大地震における現地被災者支援拠点、ボランティア、NGO/NPO、企業、行政、マスコミ/ミニコミなどが互いに情報交換できるように、パソコン通信ネットワークをつなぐ情報共有環境を提供します。
・ InterVnet の特徴は、ひとつには、NGO/NPOの情報、企業支援の情報、個人情報など、カテゴリごとに独立したニュースグループがあるので、情報が分類された形で提供されるということです。 もうひとつの特徴は、大手商用から小規模草の根にいたるまで、さまざまな規模と種類のパソコン通信ネットワーク間の情報共有が可能になり、また、効率的な情報発信が可能になるということです。 具体的にいえば、協力いただいているどのパソコン通信ネットワークからも、そのネットワークが選択した限りにおいて、同じ情報を見ることができます。 一方、どのパソコン通信ネットワークからも、そこに入力した情報は、協力いただいている全てのネットワークに、さらに、インターネットを通じて世界中に発信されます。
・ InterVnet は、オープンで透明な情報環境を作ることを目指します。InterVnet は、情報の支配や統合は目指しません。
・ InterVnet が提案する情報環境の技術的側面にについては資料「インターネットとInterVnet」を参照してください。
・ InterVnet は、民間非営利組織として活動するプロジェクトで、一年間をめどに活動を続け、その後は必要に応じて、形を変えて主要な活動を継続する予定です。
「InterVnetは、インターネットを使うというけど、何をどう使うの?」
という質問を多数受けました。そのような疑問にお答えするために次のような説明を用意しました。インターネットの主要な機能の一つであるWWWサーバーが各方面で注目を浴びています。 災害状況や地図などの画像情報をリアルタイムで、検索することのできるこの機能は、見る人に大きなインパクトを与えました。
InterVnetのこれまでの説明資料が画像情報の扱いに触れていないので「本当にインターネットを使うの?」という疑問があるのでしょう。もちろんInterVnetもWWWサーバーを設置します。 しかし、私達は、インターネットの持つもう一つの大きな利点を最大限に利用しているのです。それは『相互接続の容易性』です。
NIFTY-Serveなど商用BBSにアクセスした場合、NIFTY-Serveの情報のみが見られます。NIFTY-ServeからPC-VANの情報は原則として見ることはできません。 この場合、NI FTY-ServeからPC-VANへなんらかのネットワークを使って情報を転送することが必要ですが、これを簡単に実現するのがインターネットなのです。
すでにNIFTY-Serve、PC-VAN、Peopleの3社がInterVnetが用意するニュースグループと完全に連携する会議室を用意することが決まっており、他の商用BBSや草の根BBSとの接続も準備しています。 3月1日に予定されている運用開始時点では、InterVnetはこれら三つの商用ネットワークにアクセスできる人が同じ情報を共有し、また、どのネットワークから入力しても他のネットワークに情報が伝わるという、広い範囲をカバーする情報共有環境を提供できることになるのです。 そして、さらに多くのネットワ-クがつながればつながるほど、共通の震災情報を共有できる人が増えていくのです。これは画期的なことと自負しており、NIFTY-Serve、PC-VAN、People三社のご協力に深く感謝いたします。
<InterVnet;インターVネット> 震災被災者を支援する情報共有ネットワーク:https://www.kanadas.com/shinsai/InterV-announce2.html
1995年5月、 新情報処理開発機構の金田泰 氏(日立製作所からの出向。VAGのメンバーでもある)は、 地震が発生した1月から4月までに作られたウェブページや、パソコン通信とインターネットを活用した情報ボランティア活動について纏め、 解説付きリンク集ページ『阪神大震災 -- 情報ボランティアとコンピュータ・ネットワーク --』を『金田 泰のハブページ』で公開した。 阪神・淡路大震災においてパソコン通信とインターネットがどのように活用されたかを示す資料である。
なぜ震災ページをつくったか?
まえがきとして,著者がなぜ震災ページをつくったか,その理由をかんたんに書いておくことにします.(より詳細な情報は,部分的には このページのプランのなかに書かれています.)
● なぜネットワーク上の震災情報をあつめたか?
著者は震災時につくばにいたので,震災を直接感じることはありませんでした.しかし,ほかのおおくの日本人にとってと同様に,著者にとってもこれは衝撃的なできごとでした.被災地からはなれた場所にすんでいるので,ボランティアとして現地にいくだけの余裕はないと感じましたが,そのかわりに,なにかできることはないかとおもいました. そのとき,インターネットがアクセスできるたちばにあれば,現地にいかなくても,きっと被災者にやくにたつある種のボランティアができるはずだとかんがえました. 著者はコンピュータ関係の研究にたずさわっていますので,インターネットは必須の道具としてつかっていましたし,最近はとくに World-Wide Web を道具としても,またこれからの研究の対象としても興味をもって,つかっていました.そこで,なにが自分にできるかを知るため,またネットワーク上での情報収集・ 利用の例として,震災情報を watch しはじめました.
● なぜ震災ページにまとめたか?
あつめた情報は,とりあえず http://www.rwcp.or.jp/people/yk/kobe-quake/ という WWW のページにおきました (現在このページは http://www.kanadas.com/kobe-quake/ に移転しています).このページは世界中からアクセス可能でしたが,私以外のひとにとってみやすいように編集したものではありませんでしたし,これをつくった 2 月にはおおくの最新の情報をあつめた震災関係の WWW ページが多数存在したので, とくにこのページの存在をアピールすることはしませんでした. しかし,この文が書いてある震災ページをつくることにした 4 月末の時点では,それらの震災ページの大半はもはやメンテナンスされていませんし,よく整理されているものはわずかです.そこで,せっかくあつめた情報をまとめて,ひとにみてもらえるものを つくろうとかんがえたわけです. つくるからには,この震災の記録として,またできればつぎにおこりうる災害へにそなえるために,やくだつものにしたいとおもいました.しかし,それが実現されているかどうかは自信がありません.
阪神大震災 (動機)(金田 泰のハブページ):https://www.kanadas.com/shinsai/shinsai-motivation.html
1995年7月、内閣府は防災基本計画を全面改訂した。阪神・淡路大震災での経験を反映させたのであるが、そこにコンピューターネットワークの利用が盛り込まれた。
1996年1月17~18日、WIDEプロジェクトは第1回インターネット災害訓練を実施した。
事前に生存者情報データベースを中心としたシステムを構築。
ユーザーの使い方としては被災者が登録ウェブページから生存情報を入力、或いは指定の電子メールアドレスに既定の形で生存情報を送信し、生存者情報データベースへの人名登録を行う。
被災地外部の人は検索ウェブページから名前等をキーにして生存者情報データベースを検索、或いは指定の電子メールアドレスに既定の形で検索キーを送信すると生存者情報データベース検索結果が返信されるという形である。
・登録ウェブページ:http://www.iaa.wide.ad.jp/touroku.html 登録電子メール:touroku@iaa.wide.ac.jp
・検索ウェブページ:http://www.iaa.wide.ad.jp/kensaku.html 検索電子メール:kensaku@iaa.wide.ac.jp
このシステムの実証実験がインターネット災害訓練である。2001年の第6回まで毎年1月17日に実施された。
3.評価
阪神・淡路大震災の救援・復旧にインターネットが役に立ったのか。当時どう評価されたのか。 これを考える材料として、1990年代に書かれた文を探してきたので引用する。 具体的には本ページの作成にあたり、作成したURL集「阪神・淡路大震災とインターネットに関する資料URL集」の中から 当てはまる文を抜き出したものである。
水野義之(大阪大学)
1 はじめに
先の阪神淡路大震災では, 情報技術者を含む130万人もの人々が様々な形で, 救援ボランティア活動を行った。 その体験の予想外の成果の一つが, 大災害時の通信手段の一つとしてパソコン通信やインターネットが意外に役立つことの発見であったと言える。 実際には役に立った人 (ネットワークが使えた人) の数は少なかったのであるが, それでもこの結果は, 例えば1995年7月に改訂された国の 「防災基本計画」 (中央防災会議) の中にも盛り込まれ, これによって正式に, 各自治体によるパソコン通信 (インターネットを含む) の利用が防災計画の中に位置付けられ, その利用が要請されることになった。
3.1 インターネットが役に立った人々
大災害における被災地からの情報発信の難しさは, マスコミに乗って全国に伝わり, 同時に被災地への情報伝達の難しさにも多くの人々が直面した。 この時, インターネットやパソコン通信を普段から使っていた人々は, 何の不思議もなくそれをそのまま救援活動に転用し, 活用できた。 これに積極的な人々は, おそらく数千人の規模で現れた。 通信手段としてアマチュア無線を活用したチームもあった[13]。
震災救援活動の展開に伴うインターネットやパソコン通信の活用事例や反省等については, すでに多くの報告[1,14-30]が行われているのでここでは詳しく触れない。
パソコン通信等の通信手段が, このような震災救援活動において, これほど役に立ちうることは, 当時としては予想外であり, その話題性のためにマスコミの好意的報道も多数あった。 このような経験を社会的なものとするためには, これらの活動を積極的に評価することは重要であろう。 神戸新聞社の情報センター長, 光森氏の言葉を借りれば, パソコン通信やインターネットは大災害において 「役に立つことが分かった」 と評価すべきである。 例えば神戸市内の状況を写しだしたWWW (神戸市立外国語大学のサーバー) へは, 地震発生後20日の間に50カ国からアクセス数が約36万件あった。 これは WWWへのアクセス数としては非常に多い。
インターネットと情報ボランティア ―これまでとこれから ―:http://www.heri.or.jp/hyokei/9601MZNO.HTM
芝勝徳 (神戸市外国語大学図書館)
市内へ電話が掛からないような状態で、海外を含めて一旦繋がってしまえば、 非常に安定した通信経路を確保出来た事、これは非常に有効に機能した点だと思います。 それから、機能しなかった点という意味においては、まだ整備が市の中で進んでいなかった事が原因なのですが、 外に向かって情報発信出来たけれども、外の情報を有効に取り込んで、 例えば避難されてる方に直接届けるだとか、 そういった中の情報網がまだ整備出来ていなかった。この点については機能しなかった。
テレビ朝日「ニュースステーション」:もう一つの生命線 インターネットは生きていた
まとめると、インターネットによる情報のやりとりは、主に被災地と外部にいるこの災害に関心のある人々の間においてなされたものであり、 直接被災地内の被害にあった人にはなんの関係もなかったといってよい。神戸市役所についても、海外からの救援物資提供の情報が届いても、それに回答し対応する余裕も権限ももっていなかったし、 被災した地域の画像を首相官邸をはじめとした国の省庁におくる条件は整っていたといえるが、使用されることはなかった。
阪神・淡路大震災とインターネット:https://www.jla.or.jp/portals/0/html/earthquake/articles/199512p1006.pdf
金田泰(新情報処理開発機構)
まだ一般にはインターネットが普及していない,HTML (HyperText Markup Language) という形式で書かなければならないので機敏に情報発信しにくいなどの理由から,World-Wide Web は被災者救援には役にたたなかったとおもいますが,被災地から外部とくに海外に情報をつたえるうえでは,それなりのやくわりをはたしたとかんがえられます.
阪神大震災 (WWW)(金田 泰のハブページ):https://www.kanadas.com/shinsai/shinsai-www.html
> Q4. 前問のインターネットの利用においてどのような結果と効果、役立った点がありましたか。またテレビ、ラジオ等のマスメディアと比較しての意見、感想もお書き下さい。
マスコミにはとりあげられない被災地からの情報をつたえることができた. ただし,あまり反響がなかったので,どれだけやくだったかは疑問である. マスコミでは,どこの避難所でなにがたりない,あるいはどこでどういう行方不明のひとがいる,というようなこまかい情報はあまりつたえられないので, それをつたえることはインターネットをはじめとするコンピュータ通信のやくわりだとおもう.
それから,インターネットだけでなく,Nifty などのパソコン通信についてもあわせて調査するようにしないと,実際にどのようにつかわれていたか, また,今後どのようにすべきかということも,明確にならないとおもう. ひとことでいえば,阪神大震災では,パソコン通信にくらべてインターネットは (被災者にとっては) あまりやくにたたなかったという評価が定着しているとおもう.
阪神大震災におけるインターネット・メイル利用調査と金田の回答(金田 泰のハブページ):https://www.kanadas.com/shinsai/mail-enquate-kanada.html
力武健次 (情報技術開発)
コンピュータの設置などに関して、インターネットは機動力に著しく欠けている。通信手段そのものを簡便にしないといけない。 また、基本的に通信に必要な物理的手段そのものを電話網(含むISDN(あるいはINSネット64)網)に依存しているので、同じ網を共同利用している安否確認などの音声通信を妨害するわけにはいかない。 携帯電話ではデジタル通信は可能ではあるが情報量を確保するのが困難である。災害時に、何の通信のためにどれだけの通信容量が確保されるのかということに対して、一定のルール作りが行われなければならないだろう。
また、インターネット全体としては、バックアップルートを複数確保するなどの対策が必要であろう。 多くのインターネット接続組織は、単一のプロバイダに頼っており、ネットワーク全体としては脆弱である。 日本のインターネットは、他のインフラ同様、災害などへのリスク対策および準備がまだ充分ではないように感じられる。
今回、現地からの第一報を伝えた神戸市外国語大学は学術情報センター網(学情網)としか接続されておらず、 他のプロバイダと学情網との間の回線が(諸般の政治的理由により)非常に細かったため、 東京にて学情網と他のプロバイダとの間のバックアップルートが提供されることが合意されるまでの間の約2日間、 現地からの情報提供に支障が生じたものと思われる。 各プロバイダは、たとえ学術研究目的など一般通信事業とは異なる目的のために運営されているものでも、非常時など公共性の高い通信に活用される可能性を考えて運用されるべきである。 今回の震災のような非常時にはもちろんのこと、平時より緊密に協調し、相互接続のための充分な通信容量を見込んでネットワークを設計すべきである。
同様に、インターネットに参加している組織は、可能な限り複数のプロバイダと契約すべきである。 物理回線を増やせば、インターネットの信頼性を上げることは可能であるのだから、各組織はリスクを回避するためには適切な投資をすべきであろう。 私のところは職場および自宅とも、2つのプロバイダによるリンクを確保しており、障害は幸いなかった。
災害時においてインターネットが備えるべきこと(セント・クラウド州立大学 外国語学科ホームページ):http://condor.stcloud.msus.edu:20020/quake/rikitake.html
今瀬政司 (ワールドNGOネットワーク)
(4)情報ボランティアと電子ネットワークの評価
- 震災対応で浮かび上がった電子ネットワークの利点
・マスメディアに載らない細かい情報を利用者の立場から編集し、リアルタイムに掲載できる。大量の情報を生のまま伝えられる。(例:大学入試の詳細な変更情報等)- 個人が手持ちの情報を多くの人に簡単に発信できる。
- 被災地に連絡する場合、最寄りのアクセスポイントに電話すればホストコンピューターに伝言が入り、相手に伝わる。
- 広範囲の人と情報をやり取りできる。
- 交通機関の時刻表、診療可能な病院・入浴場所などの地域性のある情報を保存しておき、必要なときに検索できて、更新も簡単にできる。
- 遠隔地にいたり、仕事で被災地に行けない人でも、後方で情報を編集するという支援活動ができる。
- 被災地の人々の直接的メリット
電子ネットワークが直接どれほど役に立ったかの定量的評価は難しいが、ネットワークを通して多くの人が応援してくれているということへの評価はあったようだ。 直接通信環境になくても、紙にして作った情報を見ることによって、ネットワークを通しての人間のつながりの広さを知った人は少なくなかった。- 被災地の人々の間接的メリット
電子ネットワーク上に安否情報があったために、安否確認のための問い合わせ電話を減らすことに貢献した。 インターネットは、パソコン通信に比べて接続されている端末が少ないため、現状では被災地内部での情報流通よりも、被災地以外(特に海外)への広域的情報提供という面での貢献度が高かった。 海外のメディアも、震災の中でインターネットの果たした役割を大きくクローズアップした(例:ワシントンポスト紙「Earthquake On the Internet/A Shock E-mailed Round the World(January 20,1995)」)。 神戸市外国語大学のサーバーへは、震災から約20日間の運用でアクセス数が約36万件(8割が海外から、国数で約50カ国)もあったという。- 電子ネットワークの利用対象拡大と社会的有用性の認知
電子ネットワークは、これまで研究情報の交換、ビジネス、ごく一部の同好の集まりのものであったが、非常時の「通信手段」と「情報提供手段」として、またボランティア活動の手段として機能し得ることが分かった。 そのための現状と課題も浮かび上がった。電子ネットワークで自然発生的にできた人間のネットワークが、予想以上に有機的に機能することも示した。インターネットについて、今後の可能性と方向性を示した。(5)情報ボランティア活動の問題点・課題
- 情報の整理システムと伝達(配送)システム
オンライン上で未整理情報が蓄積される一方で、その整理・更新に手間取り、オフライン上の人々に必ずしも的確・大量に情報を提供できたとは言えない。 情報の収集・電子化・プリント配送は、個別の情報ボランティアがばらばらに行っていた。 情報の整理・伝達が被災地で緊急に必要とされている時に、その情報「整理システム」と組織的な「伝達(配送)システム」ができていなかったのである。
整理システムと伝達システムを構築し、この問題を解決しかけたときには、現地のニーズは変化し減っていた。 生活情報などよりも、職探し・住宅・法律等の専門的な復興情報が必要とされるようになってきており、情報ボランティアの対応方法も変化を求められた。
- 各種連携のサポート
避難所間や市民団体間の連携の不足、組織を支える情報システムの欠如が今回問題として残ったが、情報ボランティアとしてそれに対するサポートが必ずしも十分にできたとは言えず、電子ネットワーク技術を有効に生かしきれなかった。(6)情報ボランティア活動の展望
情報ボランティアの人達の多くは、ボランティアは今回が初めてだと言っている。震災直後、無我夢中でとにかく自分にできるボランティア活動を自力で始めた。 やることは探さなくとも目の前に山ほどあった。だが、2カ月3カ月と時間が経つにつれ、今何が求められどう対応していいのか、今後の展開の仕方や方向性が見えない、という行き詰まり感を抱く人達やグループも出て来た。 情報ボランティアの数自体も4月に入って減少した。
だが、情報ボランティア活動の社会的な存在意義と長期的展開の必要性を感じて、今後も続けたいという人は少なくない。 情報ボランティア団体の間では、緊急時・平常時を問わず長期的に対応できるボランティア活動の情報サポートセンター的な組織や社会システムが必要ではないか、といった声も上がってきている。 活動を通しての暗中模索の中から生まれてきた震災情報ボランティアたちの一つの答えである。現在、その答えの具体化に向け少しずつレールを引き始めている。
電子ネットワークを活用した情報ボランティア活動 -インターネットとパソコン通信-(市民活動情報センター):http://sicnpo.jp/npo-info/imase/info-vol.htm
鏑木孝昭 (VCOM)
1.大震災と情報交換ツール
1995年は「情報ボランティア」という言葉が生まれた年であった。あの悲惨な阪神・淡路大震災がきっかけである。
過大な評価は禁物であるが、震災被災者および被災地への支援のために、パソコン通信やインターネットなどのコンピュータ・ネットワークが ”意外に”役に立ったのである。そして、それは「情報ボランティア」なしにはありえないことであったといっていいだろう。
阪神・淡路大震災では、130万人ものボランティアが活躍したといわれている。 これは大変な数字である。さらに注目すべきは、これまでは見られなかったボランティア活動があったことである。 被災地では従来、情報のやりとりに使っていたメディアが停止し、情報を交換する主体もその機能を停止した。 その状況で、必要とされる情報を収集し、配布する活動が活発に行われた。 また、被災地の状況や被災地の「声」を被災地の外側に発信するという活動も行われたのである。
しかし、注意しなければならないのは「情報ボランティア=コンピュータ・ネットワーク利用ボランティア」では決してないということである。 たとえば、被災地での「情報の収集や配布」をとってみても、被災直後においては、コンピュータ・ネットワークが役に立ったとはいいにくい。 電話も通じないのである。情報ボランティアにとって最も有用なツールはコンピュータではなく、バイクだったようである。 もちろん、被災直後にコンピュータ・ネットワークがまったく役に立たなかったわけではない。 地域のBBSの中には、地震の翌日から安否情報を交換し始めたところもあるし、ネットワークが使える環境にあったボランティアは、 情報交換のツールとして利用したのである。
情報ボランティアの登場1、2(インターネット白書ARCHIVES) :https://iwparchives.jp/files/pdf/iwp1996/iwp1996-ch01-01-p014.pdf、https://iwparchives.jp/files/pdf/iwp1996/iwp1996-ch01-01-p018.pdf
中村肇(犬山市消防署)
7、なぜ阪神・淡路大震災では市民のためにインタ-ネットが満足に機能しなかったのか?
ここで少し現実的なことを考えてみる。
新聞報道では今回の地震によりインタ-ネット、イコール災害に強いメディアの図式が立てられているが本当にそうだったのだろうか?
インターネットのWWWは災害直後から被災地の映像を新聞報道よりも早く全国、全世界に被害の大きさをセンセーショナルに伝えたが、その情報で人の命が助かったのか、また、そのことが住民の生活に役立ったか疑問である。
震災時の神戸市のインタ-ネットについて問題点を考察してみる。
(1) 今回の震災で一躍有名になったインタ-ネットのWWWのホ-ムペ-ジを神戸市が市民サ-ビスとして本格的に開始したのが震災の前年の10月で導入から日が浅く活用能力が十分でなかった。
(2) インタ-ネットの利用目的が広報や観光情報を中心にしていたために停電や災害による不測の事態に備えてデ-タの分散配置、回線の多元化(専用線、携帯電話、PHS、衛星通信)など万全の体制でなかった。
(3)災害発生地区以外からの接続でサ-バ-(情報を置いてあるコンピュ-タ-)の通常の許容量を超えてしまいダウン寸前であった。
(4)受け手も災害により停電や回線の切断等により情報源のサ-バ-に接続できなかった。
(5)各避難所に兵庫県から日本電子機械工業会を通じて、パソコンが配置され、操作に習熟したインタ-ネットボランティアネットワ-クの学生やCSK(株)が運用したが、絶対数の不足から避難所で有効に機能した場所は少なかった。
(6)情報を蓄積しても組織的な運用(活用)ができなかった。
防災に活用、インターネットの可能性(GHDNet):https://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/98/g625saig.html
中林一樹(東京都立大学)
災害の直後対応が終る頃から、安否情報を含めて、避難所や支援活動、物資配給や給水支援、その他様々な情報が被災者の生活支援のために必要になっていく。 被災者という多様な属性・状況の人々に、多様な情報を同報的に供給し、需要者は自分の必要に応じて多様な情報から必要な情報を、必要なときに取り出す。 逆に、あらゆる情報を、随時提供していく。 こうしたパーソナルな情報から公的情報までを、公平に、いつでもやり取りできることが、パソコンネットワークによって可能になった。 阪神・淡路大震災が、わが国の災害の中で歴史的であるのは、その被害の悲惨さのみならず、 パソコンネットワークや市民ボランティアに代表される新しい災害対応のスタイルを作り出したことであろう。 伊勢湾台風(1959)が災害対策基本法を作り出したように、阪神・淡路大震災(1995)は 新い都市型災害における災害対応のあり方を抜本的に変えてしまう可能性を示した。 地域をはるかに超えた広域的空間における情報支援や人的支援のあり方を、災害対策に組み込むべき課題として示されたのである。
阪神・淡路大震災と4つの災害情報システム(一般財団法人 日本情報経済社会推進協会):https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0000129.pdf
WIDEプロジェクト
1995年の阪神淡路大震災は、情報通信ネットワークの脆弱さを露呈させましたが、一方で、情報通信ネットワークの重要性を示しました。
今回の震災のような都市型の広域災害では、情報が水や電気、ガスなどと並ぶ重要なライフラインとして、重要な役割を担っていることが、あらためて認識されました。情報を正確にそして迅速に伝達することは、被災者の生命や生活を維持するためになくてはならないものとなっていることがわかりました。
さらに、情報も従来の警報や誘導といった政府や自治体からのトップダウンの情報や、マスコミからの情報だけでは、不十分で被災者による草の根レベルの情報と、その伝達も非常に重要であることがわかりました。
◇
インターネットは、被災地域の情報流通、被災地と外部との通信など、災害時の情報伝達手段として、優れた特性を持っています。災害時に発生する通信の急激な混雑にも強く、また、無線やその他の通信手段と組み合わせることにより、頑強な通信網を構築することができます。また、草の根レベルでの、情報発信、伝達手段としても優れています。
一方で、このような特性を生かし、災害時に有効に機能させるためには、技術的、運用的、制度的な課題を解決する必要があります。
1995年 1月17日、阪神・淡路大震災が起こり、ガスや水道は絶たれてしまいました。電話は、安否の問合わせなどによって回線パンクの状態になりました。このようにライフラインが絶たれた状況においても、インターネットでは生存者情報や被災状況などが世界中に公開され、一躍注目を浴びることになりました。しかし、
* インターネットでなければできないことをしたか?
* インターネットを充分に活用できたのか?
といった点を考えると、阪神・淡路大震災の後に行なわれた利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットでも流したということにすぎませんでした。つまり、インターネットとしてのメリットを活かした利用は充分にはできていなかったと考えます。
第1回インターネット災害訓練報告(IAA project):http://www.iaa.wide.ad.jp/report96/drill.html
通信白書
7年1月の阪神・淡路大震災は、パソコン通信やインターネットの情報提供メディアとしての地位を確立させるとともに、情報ネットワーク重視型の新しいタイプのボランティア活動を誕生させる契機となった。 これは、パソコン通信やインターネットの、情報量や情報発信時間に制約がない、情報の蓄積が可能、双方向性を有する、ごく一部のニーズにも応えることが可能、といったメディア特性が認識されたためである。
パソコン通信のニフティサーブが、震災発生当日(7年1月17日)の午後1時に開設した「地震情報」メニューは、翌日午後6時までに、総アクセス件数約101万件、総アクセス時間数270万分に達した。 また、復旧活動の本格化に伴い、26日には、ボランティア情報や救援物資の流通円滑化を目的とする「震災ボランティアフォーラム」が開設され、多数のボランティア団体を結ぶ役割を果たす場を提供した。
インターネットの利用については、7年3月の商用パソコン通信3社(ニフティサーブ、PC-VAN及びピープル)のネットワークを、インターネットにより接続し、情報共有化を図る試みである、「インターVネット」創設が挙げられる。 これにより、各ネットワークの掲示板又はインターネット上のニュースグループに書き込まれた情報が、インターネットを経由して自動的にパソコン通信ネットワーク及びインターネット上を流通することになり、別々に機能していた複数のネットワークの相互乗り入れを可能にした。 同年4月までに、ASAHIネット、アスキーネット、日経MIXが「インターVネット」に参加し、ボランティア団体、企業、行政、マスコミ等を結ぶ情報ボランティアネットワークとしての役割を果たした。
平成11年版通信白書第1章第3節(2)ボランティア(総務省):https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h11/html/B1322000.htm
4.評論
阪神・淡路大震災でインターネットはどの程度役に立ったのか。
インターネットは情報通信網であり、真っ先に果たした役割は現地からの被害情報発信であった。
『神戸市外国語大学』が地震発生翌日からウェブで発信した現地情報は、国内のみならず、寧ろ海外からのアクセスが多かった。
これは世界に繋がるというインターネットの特徴がよく表れた事象といえる。
また、死亡者名簿のウェブ公開は被災地に親族や友人を抱える人にとって役立つ情報である。
被災者の救援にインターネットを活用しようという試みが行われた。被災地や各避難所の状況をウェブにアップロードし被害状況の共有を図る。また、
各避難所で必要な物資と、現時点で供給可能な物資をリンクさせるという情報ボランティア活動が行われた。尤も情報ボランティア活動はパソコン通信でより活発であった事に留意しなければならない。
ではインターネットが"大いに"役に立ったのかといわれると評価は難しい。
被害情報の発信は、被災者ではない人が被災地はどうなっているかという興味を満たす事にはなるし、実際ウェブページには多くのアクセスがあった。
ただ、これが被災地で今まさに困っている人の助けになったかというとこれは疑問である。
被災地外の人が被害を知っただけでは何も変わらない。被害を知った上で被災地に人が入り、実際に手や足を動かさなければ、被災者の救援にはならない。
情報ボランティアの中で最も成果を挙げた「情報ボランティアグループ」が何故成果を挙げたかといえば、担当が避難所を訪問し、問題を洗い出し、それを解決する為の交渉まで行ったからだと考える。
それらは結局コンピューターネットワーク外の活動である。
・「インターネットのWWWは災害直後から被災地の映像を新聞報道よりも早く全国、全世界に被害の大きさをセンセーショナルに伝えたが、その情報で人の命が助かったのか、また、そのことが住民の生活に役立ったか疑問である」
・「阪神・淡路大震災の後に行なわれた利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットでも流したということにすぎなかった」
・「インターネットによる情報のやりとりは、主に被災地と外部にいるこの災害に関心のある人々の間においてなされたものであり、 直接被災地内の被害にあった人にはなんの関係もなかったといってよい」
・「情報ボランティアにとって最も有用なツールはコンピュータではなく、バイクだったようである」
という評価がそれを示している。インターネットは所詮情報通信網であり、それ自身が被災者を救済するものではなく、救済しようとする人の動きを助けるツールである。
被害情報の発信だけではなく、結局はコンピューターネットワーク外での人の動きが必要なのである。
また、抑々の話としてインターネットが未だ普及していないどころか普及率が0.4%であり、インターネットが使える場・使える人が限られていた。
加えていえばパソコンすら普及しておらず、避難所にパソコンを置くところから始める必要があった。避難所が学校でパソコンがあったとしても今度はパソコンを使える人がいないという問題もあった。
更には情報を受け取るならまだしも発信となるとHTMLが書ける必要がある。
そういう状況だからこそ情報ボランティアが必要になった。インターネットを活用する以前の問題が大きかった。
とはいっても電話回線はパンク状態になった中で、インターネットは早期に復旧した。『神戸市外国語大学』が地震発生翌日からウェブで発信した事は、インターネットの可能性を見せた出来事だった。
地上波放送ではインターネットとパソコン通信が早期に復旧し、被害情報の発信と被災者救援に使われている事が伝えられた。これはインターネットという言葉が日本国内で認知されるきっかけの一つになったと判断出来る。
以上から、阪神・淡路大震災でインターネットはどの程度役に立ったのかという問いに対しては、
人によって答えは当然変わるものであるが、ここでは「少しは役に立った」そして 「将来更に役に立つ事が分かった」 と答える。
兵庫県南部地震の後に起きた同規模被害の大地震は2011年の東北地方太平洋沖地震になるが、この頃にはインターネットが普及し、人々の生活や業務がインターネットを使った情報伝達ありきになっている。
つまり東日本大震災においては、インターネットが役に立ったかどうかを論じる状況ではなく、抑々インターネットが無いと話にならない。
そういった状況の中でウェブ空間においてどういった情報が流れていったのか。これがインターネット普及以降の視点として重要になっていくのである。