個人ニュースサイト史
2018年7月13日公開
▼目次
■1.序文
■2.歴史
◆1994年~1996年 個人ニュースサイトの誕生
・『秋保窓』と『秋葉原マップ』、Macintosh関連ニュースサイト、個人でニュースサイトを立ち上げるには
◆1997年~2000年 アングラな世界の中で
・”個人的に注目している”ネタの紹介サイト、ムーノーデー、UG系、偽春菜、孫ニュースサイト
◆2001年~2003年 個人ニュースサイト界全盛期
・VNI、KKG、Flashニュース御三家、『ムーノーローカル』終了、参照サイトランキングサイト、
商業化したサイト、サイト管理人から評論家へ、孫ニュースサイト=大手ゼネコン論、ブログ騒動、『俺ニュース』終了
◆2004年~2008年 SNSの足音
・最後の大物、はてなブックマークの登場、2ちゃんねるまとめサイト、サイト管理人達による合同ブログ、新規サイト最後の豊作、Twitterへの移住
◆2009年~2016年 みんながニュース発信者の時代に生きる
・新規が育たなくなる中で、個人ニュースサイトの役割減少、『カトゆー家断絶』終了
■3.システムと文化
◆個人ニュースサイトの分類
・情報元による分類、リンクの貼り方による分類、扱うネタの広さによる分類
◆リンク作法
◆個人ニュースサイトによる波状アクセスの実例
◆○○デー
■4.評論
■参考文献
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1.序文
この文は、「個人ニュースサイト」について1994年からの22年間を記した物である。 個人ニュースサイトの特筆すべき点、それはシステムにある。従って、本文は歴史とシステム、この両輪を持って「個人ニュースサイト史」とした。
個人ニュースサイトとは何だったのだろうか。個人ニュースサイトの中でも代表的なサイトである『SMALLNEWS!』。その管理人PYRENEES!氏は自身のサイトについて斯くの如く語っている。
「自分がインターネットでいくつものサイトを巡回するので、他の人も巡回してるのではないか?と考え、巡回しなくても良いように幾つものニュースサイトを巡回して、目に付いた面白いニュースを掲載するようにした」
個人ニュースサイトの”個人”には2つの意味があると考える。一つは”個人が運営している”事。そしてもう一つは”個人的に注目している”という事である。 では”個人的に注目している”とは何なのか。商業サイトや既存メディアでは基本的には ”世の中的に注目されている事””報道をすれば世の中的にこれから注目される事”を記事のネタにする。 然し、個人サイトはそこが違う。 「俺が注目しているんだ」「俺はこの情報を広げたいんだ」、これを可能にするのが個人ニュースサイト。 商業サイトではフォロー出来ないウェブ文化(ネット文化)について取り上げる事が出来るのが個人ニュースサイト。 個人ニュースサイトの攻勢は日本のウェブに一大勢力「個人ニュースサイト界」を築き上げるに至り、 そしてソーシャル・ネットワーキング・サービス時代の到来により黄昏を迎えた。
2.歴史
個人ニュースサイトの歴史を年代ごとに記載する。これは私が調査・作成した表「個人ニュースサイトの開設日と生死調査」を元にしているが、 表にある二百超のサイトは個人ニュースサイトの極々一部である。 個人ニュースサイトの数が一体何千あったのか。それは今となっては数える術の無い事である。
◆1994年~1996年 個人ニュースサイトの誕生
主要なサイトの開設年月
1994年10月
『窓の杜(秋保窓→)』
1995年3月
『AKIBA PC Hotline!(秋葉原マップ→)』
1995年8月
『MacTree(Welcomehome→Macintoshtree→)』
1995年10月
1996年5月
『まなめはうす(MANAME's Home Page→)』
1996年7月
『MediaDebager』
1996年9月
『MacintoshGarden』
1996年11月
『MACお宝鑑定団』
1994年10月、オンラインソフトウェアがウェブの何処にあるのか探しづらいと考えていた東北大学の院生・樋口隆司氏は アメリカのオンラインソフトウェアの紹介ページを参考に『秋保窓』を開設した。 トラフィックの多さが学内で問題になると、サイトの移転を決意。インプレスに移り『窓の杜』となる。 『秋保窓』はオンラインソフトウェアの登録情報がほぼ毎日更新されている。 そして、インプレスに移る前までは個人サイトなのだから、正に個人が運営するニュースサイトになり、その始祖の一つでもある。 然も、個人から商業になったニュースサイトとしても始祖である。
『秋保窓』との共通点を見出せるのは1995年3月27日に開設した『秋葉原マップ』。 元々は石橋文建氏が1993年末に公開したWindows用フリーソフトであり、秋葉原の店舗情報と地図が入っていた。 石橋氏が「DOS/Vパワーレポート」編集部の工藤氏に誘われてインプレスへ遊びに行ったのがきっかけで、インプレスのサーバー上にウェブ版を作ることなる。 ウェブ版『秋葉原マップ』には「アキバHotLine!」というページが有った。 「フリーな立場でアキバの情報を流したい」と云う石橋氏は、毎週土曜に秋葉原に行き、お買い得情報や製品ニュースを探す。それをサイトに公開したものが「アキバHotLine!」である。 月間40万件のアクセスという巨大な数字を持つ『秋葉原マップ』はインプレスサーバー内にある石橋氏のページから、後にインプレスの一コンテンツとなり、現在の『AKIBA PC Hotline!』となった。
1994年8月9日に開設した『JapanEdge』は個人サイト祖として名前が挙がるサイトであるが、 ここにも個人ニュースサイトに近い形を見つける事が出来る。 それは「What's New ? (新着情報)」ページ。 数日に一回更新されるこのページは自サイトの更新情報に加え、1995年11月からは注目している他サイトについて記載しており、後の個人ニュースサイトに近い形であると言える。
さて、コミュニティ論、即ち、「あるカリスマ的なサイトが登場する事でそれに影響を受けた類似サイトが複数登場し、
それのサイト群をもって○○サイト(界)の登場とする」ならば、
”Macintoshに関する情報を伝える個人サイト群”が個人ニュースサイトの始まりと言える。
1995年8月1日に開設した『Macintoshtree』はMacintoshに関する新しい情報を伝える個人サイトであった。
Macintoshの情報は当時、海外のサイトに多く、そこから最新の情報を取ってくる事は一苦労。無論英語を読めなければならない。
その労力を肩代わりしたのがMacintoshの情報を伝える個人サイトであった。
日本人の誰かが代表して海外サイトにアクセスし、その情報を日本のサイトで伝えればいいという事である。
Macintosh関連ニュースサイトは乱立気味だったというが代表的なサイトとして『Macintoshtree』の他には1996年9月頃開設の『MacintoshGarden』、同年11月5日開設の『MACお宝鑑定団』、1997年1月7日開設の『MzDonald's』等が挙げられる。
幾つかの優良なサイトから影響を受け次々と類似のサイトが生まれていくのである。
この界隈で象徴的だった出来事は、香川大学の秋山智氏のページ『Designer's Farm』の1コンテンツである『Macintosh News』が更新を停止したときの話である。『Macintosh News』は更新停止に際し「個人でニュースサイトを立ち上げるには」を書いた。
『Macintosh News』は香川大学のサイト内に有り、やはり海外サイトから収集したMacintoshに関する新しい情報を伝えていた。
Macintosh News は更新を停止しました.更新を停止して困る一人は他ならぬ私です.私自身が Macintosh News をメモ代わりに利用していたからです. そこで,他のニュースサイトにがんばっていただいて,私が困らないようにしていただけたらと思います.また,最近 Macintosh 関連ニュースサイトが乱立気味の気がしないでもありません.これから作ろうと思われる方も含めて, Macintosh News のノウハウを公開いたします.
その文章を要約すると下記であった。
・新しい情報ページを立ち上げるなら、オリジナルな情報を含んでいるか考える事。但し、オリジナルな情報とは、情報の組み合わせ方、提示の仕方も含む。リンクだけでも立派な情報ページ足り得る。
・情報の確実性を第一に考える事。間違いが分かった場合は、すぐに訂正する事は勿論、誤情報を流した旨を報告する事。
・引用先を明示しリンクを貼り、自分のオリジナルな情報でないことが分かるようにする事。明示せずに他サイトのオリジナルな情報を引用するのはルール違反。
・情報を共有する事がインターネットの精神。インターネットは情報を公開し合う事で発展してきた。他のニュースサイトの情報やニュースソースを紹介し、多くの方がオリジナルな情報を辿れるようにする事。自サイトのアクセス数を誇るようになってはいけない。
・他の情報を利用する場合は著作権に留意する必要がある。出所を明示しアンカーを貼ってあれば引用の範囲としては許されると思うので、そのようにする事。画像については必ず、作者の承諾を得る事。
・インターネットの即時性を考えると土日も休まずサイトを更新する必要がある。
・見易さ、読み易さを考える事。
・出来るだけ軽いページにする事。
・毎日、確実に時間を費やさなければならなくなり、長く続けることが一番難しい。
(原文)
この内容は、ノウハウというよりも個人で運営するニュースサイト管理人としての心構え。乱立気味な既存Macintosh関連ニュースサイト、これから生まれるニュースサイトに向けて、ニュースサイトはこうあるべきという、氏の経験に基づいた考えを記載していた。 そして、この内容は後年、個人ニュースサイトが大量発生した際に書かれた個人ニュースサイト論に近い内容である。 従って”Macintoshに関する情報を伝える個人サイト群”が発生し、初めて個人ニュースサイト論といえるものが書かれるに至った。ついてはここを個人ニュースサイトの始まりと置く事にする(*2A)。
尚、『MacintoshGarden』『MACお宝鑑定団』『MzDonald's』は20年経っても命脈を保っている。これも特筆すべき事である。
この時期に『MANAME's Home Page』が開設した。後の『まなめはうす』なのだがこの頃はまだ個人ニュースサイトでは無かった。又、『MOON PHASE』や『RinRin王国』の管理人もこの時期にサイトを始めている。『Weekly Teinou 蜂 Woman』の前身サイト『B級投稿マニア』もこの時期である。
*2A:私の文より先発である、ばるぼら氏の「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」には「(個人ニュースサイトは)Macintoshニュースサイトから始まった」と書かれている。
私はそれを知っていたから、他にないのかと調べてみたのだが結局個人ニュースサイトの始まりを置くなら「Macintosh関連ニュースサイト」が適切という結論に達した。
その理由は先に書いた通りなのだが
・Macintoshに関する情報を伝える個人サイト群が発生("群"というのが重要である)
・個人ニュースサイト論の御先祖といえるものがこの群のサイトから書かれた
以上2点である。但し、後年の個人ニュースサイトからMacintosh関連ニュースサイトの名が出てくる事はほぼ無く、従って後年の個人ニュースサイトがMacintosh関連ニュースサイト群の系譜かというと迷うところもあるとここに記しておく。
◆1997年~2000年 アングラな世界の中で
主要なサイトの開設年月
1997年1月
1997年6月
『MP3 TIDALWAVE』
1997年7月
『ムーノーローカル』『あ!ネット』
1997年9月
『グエンディーナ・ニュース(マソガ道・最後の聖戦→智子の部屋→)』
1997年10月
『HMX.NET』
1997年11月
『志保ちゃんのエミュレータニュース』 『電脳な日記』
1997年12月
1998年2月
『かもがまうはぅ!』
1998年4月
1998年5月
『宇治軍団』『Emulator Island』
1998年6月
『朝目新聞』
1998年7月
『きまぐれニウス』『Underground de GO!』
1998年8月
『ほぼ日刊でニュースをお伝え(以下略(究極最終兵器2ndWeapon→)』 『イレギュラーエレクトロン』
1998年10月
『SMALLNEWS!』『セキュリティホール memo』『EmulatorDiary(Emulation Diary→)』
1998年12月
『水無月情報ページ(水無月城→)』
1999年1月
『魔太えもんがくる』 『変人窟』 『J-oの日記跡地(J-oの日記→)』 『TECHSIDE.NET』
1999年3月
『Ping=Zero』
1999年4月
『usePocket.com(useDDIpocket→usePocket→useWill.com→ )』
1999年5月
『ポケットニュース』『裏ニュース!』『itoya_laboratory*net_news』
1999年6月
1999年7月
『emulation number 9』 『MOON PHASE(Sea of Tranquility→)』 『REGION ZERO(KGOTO.NET→)』 『sawadaspecial.com』 『てらゆか(TERRAZIとゆかいな仲間たち→)』
1999年8月
1999年9月
『アニオタフォース(アニオタニュース→)』 『Kawakawa-19 旬』
1999年10月
『NariNari.com(なりなりヘッドライン!→)』
1999年11月
『Amrit不老不死ラボ』 『ほんわかキリン本店』
1999年12月
『dependspace』 『RetroPC.NET(RetroPC News→RetroPC Network→)』
2000年1月
『BRAINSTORM』 『百式』
2000年2月
『駿河電力/スク水.jp(駿河電力→)』
2000年4月
『GIGAZINE』
2000年5月
2000年6月
『2ちゃんねる研究』
2000年9月
『エアロプレイン(airoplane.net→)』 『俺ニュース』
2000年10月
『最後通牒(落花狼藉→)』
2000年12月
『シャブ壱inDEEP』 『無駄な領域リサイクル』 『アリガミンネットワーク』 『ホタテプロダクツ(ほたて製作所→)』
2000年?
1997年7月29日開設の『あ!ネット』は「連日更新!!日本のお気楽スタートページ!!」を称していた。 ”スタートページ”というのはどういう事なのか。『あ!ネット』は毎日更新していて、トップページには管理人がウェブで見つけた新しい記事・ネタ・話題へのリンクが羅列的に貼られていた。 つまり「初めにこのサイトを開いて、リンク先を見ればその日のホットな話題が解りますよ」という事である。 正に羅列型ニュースサイトなわけだが、リンクには商業ニュースサイトが出したニュースへのリンクは勿論、 特筆すべきは「ネットの話題」として個人サイトの記事も紹介していた事にある。
個人ニュースサイトの”個人”には2つの意味があると最初に先に書いた。一つは”個人が運営している”事であり、一つは”個人的に注目している”。 『あ!ネット』は個人的に注目しているネタについて紹介した羅列型ニュースサイトの先駆けと言える。
1997年6月27日に開設した『MP3 TIDALWAVE』 はMP3情報サイト。MP3関連の最新ニュースやオンラインソフトウェアの紹介。 『MP3 TIDALWAVE』はアンダーグラウンド(アングラ)なサイトに分類される。何故なら当時、MP3はアングラだった。今の時代からは考えられない事だが。 勿論それには理由があって、MP3は音楽の違法アップロードで良く使われるフォーマットだった為である。なお、当時アンダーグラウンドは「UG」と書かれることが多かった。
1997年11月1日に開設した『志保ちゃんのエミュレータニュース』は海外のサイトを情報元にしたゲームエミュレータ情報を伝える。 サイトの冒頭文は「長岡志保ちゃんが、エミュレータの最新情報をお伝えするページよ!」。 この長岡志保というのはLeafのビジュアルノベル「To Heart」に出てくるヒロインの一人。 管理人が長岡志保に成りきって、UGであるゲームエミュレータの情報を紹介するというぶっ飛んだ発想のサイトだった。 ゲームエミュレータニュースサイトの当時最大手で掲示板が荒れている事でも有名。2001年2月にサイト消滅。 この時期に開設した代表的なエミュレータニュースサイトとしては他に『かもがまうはぅ!』『EmulatorDiary』『emulation number 9』等が挙げられる。『emulation number 9』は後年まで生き残っている。
当時の時代背景を説明すると、ゲームエミュレータの情報を紹介するサイトはUGという位置づけだった。何故UGかというと、 nes(Nintendo Entertainment System、ファミリーコンピューター)、snes(Super Nintendo Entertainment System、スーパーファミコン)、GENESIS(メガドライブ)、TurboGrafx-16(PCエンジン)等のコンシューマゲーム機のソフトをパソコン上で動かすエミュレータ自体はともかく、 ゲームエミュレータで使うゲームソフトは秋葉原等で売っている専用のデータ吸出し機を使って nesならファミコンカセットからパソコンにデータをコピーし、コピーしたデータは個人サイト上にアップロードされ、違法に交換されていた。 違法な為、ソフトをその儘サイトにアップロードせずにアップロードの際には専用のソフトで”偽装”する事も行われた。 また、アプリケーションソフトのCDを違法にコピーする事も盛んに行われていた。 CDにはコピーガードがされているのだが、ガードを回避出来るCDライティングソフトがあった。 CDライティングソフトはCD-Rドライブとの相性がシビアだった。 以上の事情により、ウェブでは「このエミュレータが更新された」「この偽装ソフトが出てきた」「この統合アーカイバなら、沢山の偽装を解除できて便利」「このCD-Rドライブとこのライティングソフトの組み合わせなら、コピーが出来る」という情報が重宝された。 先に書いたとおり音楽の違法アップロードも行われていた。UGが熱い時代だった。その為、UG情報を扱う個人ニュースサイトが出てきたのである。 なお、ここではスコープ外な為に触れないが”数多く出てきた偽装ソフト”はそれ自体が日本のネット文化その物である。
1997年11月頃に開設した『電脳な日記』もUG系サイト。98年末にサイトを閉めた後はメルマガ「電脳な日記 MailMag.」としてリスタートした。 他に大手UG系ニュースサイトとしては『UGNews TOP!!』がある。
1997年12月20日に開設した『街の灯』は元々はニュースサイトではなく、巨大リンク集サイト。”実用総合リンク集”を自称していたが、ようはUG系に強いリンク集だった。 2004年夏にニュースサイト化。UG系サイトは寿命が短いイメージだが『街の灯』は路線変更をしつつ、凡そ20年間サイトを維持した。
1998年10月8日に開設した『SMALLNEWS!』。余った時間の全てをサイトに捧げていたというこのサイトは”嫌われないサイト構成”がコンセプト。 このサイトの運営は戦略的だった。
・「情報を必要とする人間にとって、私が誰であるのか、どういう人間であるのかという事は不要」という考えを元に、
取り上げたニュースへのコメントは最低限に留めた。これにより、コメントに余計な事を書いてしまって発生する揉め事を避けた。
・取り扱わないネタが幾つかあった。例えば「母の日」の場合、母親を亡くしたばかりの人が「母の日」のネタを見て悲しい思いをする事が考えられるので取り扱わない。
「バレンタイン」「父の日」「クリスマス」も同様の理由により取り扱わなかった。
・サイトのデザインはどのブラウザのサイズで見ても形が崩れないようにした。
・サイトの色は「くすんだ桃色」にした。当時のサイト管理人といえば多くが男性であり、『SMALLNEWS!』も男性だったのだが、
桃色にする事で閲覧者に「もしかしたら管理人は女性かも」と思わせ、性別が今一解らないようにするのが狙い。
個を出すのは必要最低限に留め、情報のみを簡略化して淡々と書き綴っていった。『SMALLNEWS!』は管理人が興味を持ったもの全般を取り扱ったが初期はUG系情報も多かった。
1997年7月7日に開設した『ムーノーローカル』は1999年1月11日から始まったコンテンツ「どーでもいいトピックス」が伝説的である。
「どーでもいいトピックス」は、毎日数個のURLを管理人rhyme氏の感想とともに紹介する。
扱った話題としてはIriaやRarUty等のツール更新情報も多かったが、なんと言っても”学校の窓が割られた”とか”食品への針混入”とか”性犯罪”とかへの食いつきが凄かった。
本人は後年「気の狂った久米ひろしを目指した」と言っていたが、
「今回は窓ガラス○百枚割られた、今年は枚数を大目に割るのがトレンドなのか」とか、食品への針混入では「今回の針の長さは○センチ」とか、「今回の性犯罪で女を買った額は○○円だった、これは安い」とか、
変わったところに拘る芸風。この様なコメントの面白さが『ムーノーローカル』の持ち味であり、人気サイトになった理由でもある。
1999年10月24日、『ムーノーローカル』が好きなサイト管理人達で行われた「ムーノーデー」。
これはみんなでサイトのデザインを『ムーノーローカル』にしようという企画。
この後もムーノーローカルのカウンタが切り番になったタイミングで数回行われた。
この「ムーノーデー」は『俺ニュース』『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』に対しても行われるようになり、個人ニュースサイトの文化になった。
『MP3TIDALWAVE』『SMALLNEWS!』『ムーノーローカル』の3サイトは合同の企画を行っており、当時の個人ニュースサイト界の中心にいた。 この3サイトに”三大○○サイト”といったような言い方は無いのだが、後発サイトに与えた影響から考えて、この3サイトが初期の三大個人ニュースサイトといえる。
『ムーノーローカル』『MP3 TIDALWAVE』『SMALLNEWS!』が3サイト合同でやったエイプリルフール企画
『ムーノーローカル』が『MP3 TIDALWAVE』になり、『MP3 TIDALWAVE』が『SMALLNEWS!』になり、『SMALLNEWS!』が『ムーノーローカル』になった。
『MP3 TIDALWAVE』が『SMALLNEWS!』に扮したものは『INTERNET ARCHIVE』に残っていなかった。
1999年5月26日に開設した『裏ニュース!』。 ブロードバンド普及前時代のサイトとしては後発でありながら最大手まで成り上がった『裏ニュース!』は『SMALLNEWS!』を模したデザインのニュースサイトである。 ただ、似ていたのはサイトデザインだけであり、自分の意見を書くのは必要最低限に留めた『SMALLNEWS!』とは違って、 『裏ニュース!』が紹介するニュースには管理人の近況や意見が書かれた比較的長いコメントがついていた。 その為、『裏ニュース!』は個人ニュースサイトでありながらテキストサイトとしても扱われた。 取り上げたニュースはUG系、即ちCDライティングソフト、偽装ソフトや統合アーカイバ、エミュレータ等。 『裏ニュース!』はすぐに個人ニュースサイトの最大手となり、 『ReadMe!JAPAN』のランキングでは常に上位にいた。2001年7月には累計5千万ヒットを達成。 当時の個人サイトで一番勢いのあったサイトといっていい。 但し、ここを個人サイトと言い切っていいのかは疑問がある。 即ち、管理人の裏ニュース君はCloneCD等のwindowsソフト違法コピーに重宝されたCD-Rライティングソフトウェアの日本代理店を行っていた企業「プロジー」の社員であり、 『裏ニュース!』自体もプロジーのサーバーに存在していた。 『裏ニュース!』はプロジーが代理店になっているソフトを記事にしていたし、而してプロジーが運営していた商業サイト『CDR Japan』の広告バナーを貼っていた。 故に『裏ニュース!』は個人サイトもどきといっていいかもしれない。 他にプロジーのサーバーにあった個人サイトもどきのサイトとしてはMMORPGの話題を扱っていた『Ping=Zero』がある。
根底には『SMALLNEWS!』と『裏ニュース!』への憧れと尊敬があると語るのは1999年1月7日に開設した『変人窟』。 管理人は着ぐるみコスプレイヤーでもある。 『変人窟』からのリンクによりアクセス数が増加する現象は「変人窟効果」と言われ、 後年開設する『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』は『裏ニュース!』『TECHSIDE』『ムーノーローカル』の3サイトからのリンクにより有名になったが、それより先に『変人窟』がリンクしていた。 その『変人窟』の影響で生まれたのが1999年9月20日開設の『Kawakawa-19 旬』。
1999年1月に開設した『TECHSIDE.NET』も『SMALLNEWS!』の影響を受けたサイト。『TECHSIDE.NET』はゲーム、PC、MP3、DVDの情報が中心だが、他にも管理人が興味あるものを多様に扱った。 『ほんわかキリン本店』は『TECHSIDE.NET』の影響を受けて誕生したサイト。扱ったネタはブロードバンドインフラ。 2000年9月9日開設の『airoplane.net』は、管理人の中山記男氏がバイト先で『TECHSIDE.NET』のてっく氏に出会い、 てっく氏から「ニュースサイトを作ることは非常に楽しい」との話を聞いた事が開設のきっかけ。従って『airoplane.net』も『TECHSIDE.NET』の影響を受けていると言ってよい。
『SMALLNEWS!』→『裏ニュース!』、『SMALLNEWS!』→『変人窟』→『Kawakawa-19 旬』、『SMALLNEWS!』→『TECHSIDE.NET』→『ほんわかキリン本店』・『airoplane.net』という流れだけを見ても、 『SMALLNEWS!』が後発サイトに与えた影響の大きさがよくわかる。
『SMALLNEWS!』による、後発サイトへの影響
★サイト開設のきっかけ
■変人窟
最初はPWR128/4VCで制作した動画を配布する為に某所のある方のアカウントの下で生まれた「たびちゃんずほめぱげ」(今考えると最悪の名称や…)をGeocitiesにアカとってただのリンク集作り、そしてFSI移転し今のニュースになれない、まがい物の駄文サイト始めようと思ったキッカケがSMALLNEWS!さんと裏ニュース!さんでした。その後ムーノーさん、オナニー日記さんといった今は伝説となっとしまったサイトの影響を受け、ここも
迷走色々と変化してしまったのですが、やはり根底にあるのはSMALL NEWS!さんと裏ニュース!さんへの憧れと尊敬だったわけで。
■Kawakawa-19 旬
9/20 ふと、いきなりお世話になりすぎている変人窟をパクって見ようと思い立ったが吉日(殴) ICQでパクリ許可願いをだして、うやむやのウチに強行採決(こら)
たびさん以外の方がここのサイトについて禁止する事はできません。ええ(撲殺)
■TECHSIDE.NET
IW:サイト開設に至る動機はなんですか?
TECH:かつてはニュースサイトがなかったんです。高校2年生くらいで“ネットジャンキー”になりまして、ないならば作ってしまえと。当時は、身内向けに知ってるとちょっとした話の種になるようなニュースを集めていました。それから、デザインなどでは、「SMALLNEWS!」さんに影響を受けてます。
■ほんわかキリン本店
IW:サイト開設に至った動機はなんですか?
and:ニュースサイトにリニューアルする前は、身内向けにCG画像を公開しているサイトだったのですが、「TECHSIDE」さんを見て、自分でもニュースサイトをやってみたいと思いました。ちょうど、仕事がない頃だったので、時間はありましたね。
■airoplane.net
「TECHSIDE」の「てっく」氏が同僚だと知った僕は、サイト運営に関する色々な話を聞きました。するとわかったんです。どうやら、インターネット上の情報をまとめてホームページを作る、つまりニュースサイトを作ることは非常に楽しいと。しかもまだネットバブルがはじける前だった当時、そこそこは儲かりそうです。それまでホームページといえば日記的なものしかやっていなかった僕にとって、この気づきは衝撃的でした。ああいったサイトは特殊な人や古参の人でなければ出来ないと思っていましたが、今まで様々な情報をネットから集めていた僕にも出来そうだったわけです。
そこではじめたのがこのサイト、「エアロプレイン」でした。ちなみに当時は「airoplane.net」が正式名称でした。ドメインもこの文字列ですね。
★サイトデザイン
先発の『SMALLNEWS!』と後発の『裏ニュース。』
先発の『TECHSIDE.NET』と後発の『ほんわかキリン本店』
札幌のパソコン屋店員が1999年1月13日に開設した『J-oの日記』はアニメ・ゲーム・インターネット関連のニュースでオタク系ニュースの父とも云われて居る。 ゲーム系情報サイトと言えば同年8月6日に開設した『セガマニア@大阪』はサイト名通りセガの話題を取り上げる。
同年7月に開設した『sawadaspecial.com』もゲーム系が強いサイトだが、オタク系全般を取り上げていた。
『水無月情報ページ』は元々はウルティマオンラインと広末亮子情報のサイトであったが、 1998年からゲームの最新情報を提供するサイトへ変わった。 ゲーム系個人ニュースサイトになってからは『ReadMe!JAPAN』のランキングでトップ10にいるほどのサイトになった。 然し、「ゲームの最新情報を提供するサイト」というのはゲーム制作会社からの情報提供がある商業サイトのほうが圧倒的に有利である。 2000年代も半ばとなりウェブに商業サイトが増えていくにつれ『水無月情報ページ』は存在感を失っていく。それでも人で賑わう掲示板にこのサイトの価値があった。
1999年4月24日開設の『useDDIpocket』。ここはサイト名通りDDIpocket関連のニュースサイトだが、DDIpocketが無くなってからも『usePocket』『useWill.com』と名前を変えサイトを継続した。
1999年7月頃に開設した『TERRAZIとゆかいな仲間たち』は解凍ソフト「解」のサポートページだったものがニュースサイト化。 このサイトといえばオフ会に政治家の加藤紘一氏を呼んだ事(*2B)。 「加藤の乱」失敗直後、 失意の加藤氏と事務所が「全国行脚」と称して「加藤紘一をあなたの町に呼んでください」との呼びかけにTERRAZI氏が応募したもの。 このオフ会参加について加藤氏は自身のサイトで「名刺交換無く、肩書きも無く、こんなふうに人と人とがコミュニケーション出来る事が新鮮な体験であり、大発見であった。カルチャーショックを受けた」 「IT革命が叫ばれているが、この革命の本質は「人と人との深いつながりを可能にする」ことにあるのかも知れない」と感想を書いた。 TERRAZI氏は2003年3月4日にはてなダイアリーで『TERRAZINE』を開設する。
1999年10月4日に開設した『なりなりヘッドライン』は後に商業サイトとなるのだが、ここは管理人のサイトに賭ける猛烈ぶりが有名。 勤めていた『Yahoo! JAPAN』を退職。 朝3時半に起床し、200~300のニュースサイトをチェックして朝一番に更新。更に12時、17時、21時、23時にも更新。これを土日も休まず毎日やる。 それでも収入は会社員時代と変わらないという。2001年4月に『Narinari.com』へサイト名を変えた。
2000年6月21日に開設した『2ちゃんねる研究』は『2ちゃんねる』の観察日記。『2ちゃんねる』で起きた日々の出来事を記事にしていた。 管理人であるzenhitei氏は、『2ちゃんねる研究』と同じように『2ちゃんねる』やその各掲示板の情報を紹介するサイトの集まりである「ちゃんねるNewsプロジェクト(CNP)」とそのヘッドライン『CNPheadline』を立ち上げた。 CNPに参加したサイトは56サイトあるが、代表的なものとして『スレの杜』『泣ける2ちゃんねる』『HAGAKURE理論』『ばるぼらアンテナ』等が挙げられる。 『2ちゃんねる研究』は2002年末で終了。「ちゃんねるNewsプロジェクト」と『CNPheadline』は後継者に引き継がれ、「CNP(Cnp is not channel News Project)」となった。 zenhitei氏は2008年からブログ『ブログ運営のためのブログ運営』を書いている。 尚、先に挙げた『HAGAKURE理論』は2003年9月から『METEORA』という個人ニュースサイトを始めている。 このサイトは「羅列系一言コメントニュースサイトはバカでも出来る」という視点から始めたもの。 2004年9月に閉鎖した際にトップページで「羅列系ニュースサイトは時間さえあればバカでもできます。 羅列系ニュースサイトはなくてもいいです。でもあっても困りません。 ネットの情報共有精神になんとなく沿った存在だと思います」というコメントを出している。 バカでも出来るのかどうかは別にして、この「羅列型ニュースサイトは無くてもいいが有っても困らない。ネットの情報共有精神に何となく沿った存在」というのは羅列系ニュースサイトを端的に表している言葉といえる。
2000年5月25日、黒衣鯖人氏はデスクトップマスコットのソフトウェア「偽ペルソナウェア with "偽春菜"」を開発。
これはプラエセンスが開発した「ペルソナウェア with "春菜"」に不満をもった黒衣鯖人氏が開発した(*2C)。
偽春菜には「ヘッドラインセンサ」という機能があった。これは、偽春菜に登録された個人ニュースサイトが更新すると、
デスクトップ上の偽春菜が更新情報を呟くというもの。RSSリーダーの様なものであった。
この偽春菜は、キャラクターが可愛かった事、そのキャラクターをユーザーが作成可能な事、作成したキャラクターは配布できた事、
ユーザーは沢山のキャラクターを自由に使える事、
そしてヘッドラインセンサ機能、これ等に依り大人気となった。
また、偽春菜経由で個人ニュースサイトにアクセスする流れが出来た事で、偽春菜に登録された個人ニュースサイトのアクセス数は一気に増加した(*2D)。
*2B:リンク先を参照⇒「『東京都池袋にて』加藤紘一からのメッセージ~2月7日~」「「加藤の乱」の故・加藤紘一氏を池袋のクソやっすい居酒屋のオフ会に呼んだらカルチャーショックを受けていた話」
「続・加藤紘一氏をオフ会に呼んだらカルチャーショックを受けていた話」
*2C:"春菜"と"偽春菜"間のいざこざについてはスコープ外な為にここでは書かない。リンク先を参照⇒「はじめての偽春菜“問題”跡地」
*2D:「ニュースサイト界には新しいトラフィックの流れが生まれたのでした。ちょうど細くされたエアロプレインも前日からは考えられないようなアクセス数をはじき出すようになり、Readmeの上位に進出することができたのでした。まさにバブルのようにPVが膨らむバブル期を象徴するような出来事の1つだったように記憶しています。」
⇒「エアロプレイン10年史(4)?ニュースサイトバブル」
サイト巡回を肩代わりする事が役目である個人ニュースサイト。 ウェブの世界が広がるにつれ様々なジャンルに個人ニュースサイトが現れた。 個人ニュースサイトの数が増えた事で結局”個人ニュースサイトを巡回する”状況になった。 その様な状況になれば、今度は個人ニュースサイトの巡回を肩代わりするサイトが現れる事は自明である。 2000年9月13日開設の『俺ニュース』は管理人のtechle氏が『自動アンケート』でアンテナが低いと煽られたことがきっかけだという。 『俺ニュース』は個人ニュースサイトを巡回し、ネタのURLを取得していく。 他の個人ニュースサイトで引用されたサイトを更に孫引きするスタイルのニュースサイトである。 これは”孫ニュースサイト”と呼ばれ、『俺ニュース』はその先駆けとなった。 そして『俺ニュース』の影響により数多くの孫ニュースサイトが発生した。
そしてニュースサイトが、ニュースサイト層⇒子ニュースサイト層⇒孫ニュースサイト層と多層化した。これが後年「孫ニュースサイト=大手ゼネコン論」に繋がっていく。
techle氏と『自動アンケート』住民(自アン民)との関係は良好であり、『自動アンケート』の流れを汲むニュース投稿サイト『自動ニュース作成G』では毎年5月31日に俺ニュースデーを行い、それを2017年迄という長きに渡って継続した。
サイト名はどちらが正式名なんだと必ず話題になるのが『ー`)<淡々と更新し続けるぞ雑記。ωもみゅもみゅ』。『Tentative Name.』と言ったほうが伝わるのかもしれない。 サイト単体では題名どおり淡々と更新するニュースサイトという印象だが、ネットラジオをしたり顔出しもしており、サイト外で管理人さらしる氏の個性が光る。
他に1997年~2000年開設の代表的なサイトとしては、1997年12月31日開設の『Weekly Teinou 蜂 Woman』、1998年6月14日開設の『朝目新聞』、同年8月1日開設の『究極最終兵器2ndWeapon』、 2000年1月1日開設の『BRAINSTORM』、同年1月20日開設で「日本のアルファブロガーを探せ2004」に選出された『百式』、同年2月2日開設の『駿河電力』、 同年5月24日開設の『Intermezzo』、同年10月30日開設の『最後通牒』、同年12月31日開設の『無駄な領域リサイクル』 等が挙げられる。
この頃はブロードバンド普及前。インターネットへの接続に時間的な、或いは金銭的な制限のある人が大多数だった。 其故に更新チェックの為のサイト巡回を代わりにしてくれる個人ニュースサイトは有り難い存在だった。 個人ニュースサイトが人気になるのは必然だった。
◆2001年~2003年 個人ニュースサイト界全盛期
主要なサイトの開設年月
2001年1月
『テンプルナイツ』 『音楽聴こうよ!』 『うどんアタック!(仮称)』 『好き好き大好きっ』
2001年2月
『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』 『いつか見上げた、あの青空の下で・・・』
2001年3月
『屋根裏』
2001年4月
2001年5月
『林檎の木』 『堕武者』 『APOSPO on the web』 『タブブラウザ推奨委員会』 『中途半端な暇人の家』 『NuBoNBA』
2001年6月
『pya!』
2001年7月
2001年8月
『BlackAsh』
2001年9月
『MusicRider.com』 『放置ぷれい』 『ガベージニュース(Gnews→Garbagenews.com→)』 『ごみおきば(真・ごみおきば→)』 『楽画喜堂』
2001年10月
『ミュージックマシーン』 『TBN(本日の厳選モノ茜17歳→)』
2001年12月
『連邦』 『シャア専用ポータル』
2002年1月
『HK-DMZ PLUS.COM』 『II-Access((・∀・)イイ・アクセス→)』 『音楽配信メモ』 『電子伝達係』 『格闘ゲーム総合サイト FFL(バーチャルネットアイドルかすみ19歳→)』 『エルエル(ぺんぎんと~く♪→)』 『みずほN(かんぷのうHP→ )』
2002年2月
『NEWSSITE MOOODY'S』 『桃戯右士』 『フラン☆Skin』 『君のぞにゅーす』 『萌えミシュラン』 『D.B.E三二型』
2002年3月
『ABC振興会』 『KYTIMKYM(KATTAYATTATABETAITTAMITAKIITAYONDAMOETA→)』 『X51.ORG』
2002年4月
『=)』 『血統の森』
2002年5月
『choiris』
2002年6月
『面白ニュース』 『えれーでもういい』 『ダークマター』
2002年7月
『駄文にゅうす』 『L.L.L@online』 『Nest of Developer 4』
2002年8月
『Negitaku』
2002年9月
『カセテ[.‥.]』
2002年10月
2002年11月
『UG ZONE』 『everything is gone』 『ゴルゴ31』
2002年12月
『海外ボツ!News』 『電脳空間』 『最終防衛ライン3(最終防衛ライン→最終防衛ライン2→)』 『ほほえ味屋』
2003年1月
『舞軌内雑筆店』 『REVの日記』 『incomplete blue』 『秒刊SUNDAY』
2003年3月
『ラグナロク☆ねっとわーく』
2003年4月
『ねたたま(Lunatic Cylinder→ねたミシュラン→)』
2003年5月
2003年6月
2003年7月
『FINALE』 『気にな・る・こ・と♪』 『小ネタBlog~純情派』
2003年8月
2003年9月
『★てれびまにあ』 『ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS』 『Target capture』 『METEORA』
2003年10月
『小人閑居シテ駄文記ス』 『萌ニュース』 『ネタサイド』 『cotinus』 『小生にうず』 『無気力通信↓』 『N.a.E』 『荻上式BLOG(成城トランスカレッジ!→)』 『TricksteR』
2003年11月
『チラシの裏側』 『黒板ぽ』
2003年12月
『面白いサイトを見つけたよ。』 『ザイーガ』
2001年2月14日に開設した『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』は、個人ニュースサイトとテキストサイトの両方の要素を持つサイト。
どちらかと言えばテキストサイトに分類される事が多いものの、『ちゆ12歳』をきっかけに増えた”量産型VNI”の内、
一番出世が個人ニュースサイトである事もあり、『ちゆ12歳』は個人ニュースサイトとしても取り上げる必要がある。
管理人である「ちゆ」を「バーチャルな世界にデータだけが存在する電波少女」とし、
「(バーチャル世界の住人なので)ゲップもしなければトイレにも行かない。理想的な新世紀のアイドル」と云い、
更にサイトに描かれているちゆのイラストを「(バーチャル世界の住人なので)イラストではなく写真である」と云う。
この設定だけでもお腹一杯な濃さなのだが、取り上げるネタはオタク・サブカル・新興宗教とこれまた濃いネタばかり。
とにかく個性が際立っているサイトだった。
そんな『ちゆ12歳』であるから有名になるのは頗る早く、開設一ヶ月後には『変人窟』に取り上げられた(変人窟効果)。
その一ヵ月後にはサイト批評サイトの『HEY BULLDOG』に取り上げられた。
更に一ヵ月後には『ムーノーローカル』『裏ニュース!』『TECHSIDE.NET』に取り上げられた。
開設から4ヶ月の6月30日には100万ヒットを達成。
更に凄いのは、『ちゆ12歳』のサイトデザインや芸風をその儘真似たサイトが大量に現れた事である。
それらのサイト達は”ちゆフォーマット”を使った”量産型VNI”と呼ばれた。
2001年8月に量産型VNIの第一号『ばーちゃんネットアイドル・ちよ74歳』が出現。
一日5千アクセス程を稼ぐサイトとなった。そして、次々と量産型VNIが出現することになる。
その勢いは登録型ブックマーク集である『バーチャルネットブックマーク集・ほかん庫』が出来た程。この『ほかん庫』に登録されているVNIの数だけでも686サイト(2002年9月16日)存在した。
量産型VNIは基本的には『ちゆ12歳』をリスペクトしており、
『ちゆ12歳』の開設日である2月14日は彼らによって「ちゆデー」となった。
『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』と、ちゆフォーマットを使った量産型VNIのサイトデザイン例
「量産型VNI」の中でアクセス数的に一番出世したのが2001年10月18日に開設した『本日の厳選モノ茜17歳』、後の『TBN』である。『本日の厳選モノ茜17歳』は量産型VNIの中でも個人ニュースサイト型で多くのアクセスを稼いだ。 2002年1月19日に開設した『バーチャルネットアイドルかすみ19歳』は当初、格闘ゲームコラムのサイトであったが、 格闘ゲームの個人ニュースサイト『Fighters Front Line』に路線変更した。 『ちゆ12歳』を頂点としたVNIのサイト群であるVNI界は一気に拡大し一気に縮小したのだが、この2サイトが後年まで生き残り、 『本日の厳選モノ茜17歳』は大きなアクセス数を長い間維持し続けたのは、テキスト系よりもネタ切れになりづらいニュースサイト型であったからと考えられる。 他にニュースサイト型VNIとしては海外のニュースや動画に強い『エルエル』がある。 ニュースサイトという枠を外せば、『バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳』や 『バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳』は形を変えながらも後年まで生き残っている。 数多く発生した量産型VNI。ちゆフォーマットは優秀なフォーマットであったが、それを用いたとしても後年まで生き残るサイトは、結局は、サイトに個性があり管理人に自力があった者である。
『ちゆ12歳』は2002年3月頃から更新頻度が激減。同年秋には『ちゆ12歳ポータル』を開設し、「ちゆネット(ODNの「まるごとプラス」+ちゆドメインのメールアドレス)」「ちゆショップ(携帯電話に貼るシール、マウスパッドを販売)」等の商業活動に乗り出したが話題にはならなかった。 2003年以降、『ちゆ12歳』はたまに更新するだけとなり、徐々に存在感を失っていく。 数多くいた量産型VNIも年々減っていった。然しそれでも稀にアップされた記事はその都度、昔を知るものの間で話題となった。 2018年、「バーチャルYouTuber」が流行ったが、この時、『ちゆ12歳』の存在を思い出した人も少なくはない。
さて、『ちゆ12歳』はテキストサイトと個人ニュースサイト、両方の性質をもったサイトである。 この時期は「テキストサイトブーム」と呼ばれるほどテキストサイト界の勢いが強かった。 一大勢力となったテキストサイト界。ならば、その中の出来事を扱ったニュースサイトが生まれる事は必然。 「テキストサイト界の出来事をネタにしたテキストを書くサイト」は「テキスト系テキストサイト」と呼ばれ、「テキテキサイト」略された。 2002年6月30日開設の『ダークマター』は「テキテキサイト」の代表格で、「このサイトがこんな事を言った」「あのサイトとこのサイトが言い争っている」「テキストサイトスレでこんな議論が起きている」等、テキストサイト界の話題をピックアップしたサイトである。 この形も個人ニュースサイトと言っていい。 2001年8月26日開設の『BlackAsh』 もテキストサイトの話題について扱っていた。また、テキストサイトの中で、「モーニング娘。」の話題を多く取り上げるサイトが現れ、「娘。系テキストサイト」と呼ばれた。 この群からも『アライブモーニング』というニュースサイトが生まれたが、これは2013年になってから。テキストサイトブームから10年以上経って現れた異色の存在である。
2001年4月22日に開設した『かーずSP』。 管理人である、かーず氏は就職したものの退職しフリーター、製麺業の会社に再就職という変わった経歴の持ち主なら、 サイト開設の経緯も変わっており「バックアップ目的でエロゲーのセーブデータをサイトスペースにアップロードしたが、せっかくなのでそれを公開した」というものである。 コンテンツの一つである「日々の愚痴」が徐々にニュースサイト化していき、。個人ニュースサイトの最大手にまでなった。
取り上げるジャンルはアニメ・ゲーム系が中心だが、Flash動画についても力を入れており、取り上げるだけではなく「かーずSP的flash総括」という企画を定期的に書いていた。 2002年1月17日、『2ちゃんねる』が「FLASH・動画掲示板」を作った時、ひろゆき氏から「盛り上がらなかったらかーずさんが悪いってことで、、、」という書き込みがあった。 『かーずSP』はFlashニュースサイトとしても最大手になった。 副業としてライターもやっており、かーず氏は古き時代のネット文化を書ける貴重な存在。 製麺業としてのキャラも確立されており、単独ライブイベントでは「かーず焼きそば」を出し、お土産として麺を売った。 個人ニュースサイト管理人から上手くライターになって、それでもサイト管理人を続けていて、Twitterも活用している。 ミスター個人ニュースサイトの称号はかーず氏にこそ相応しい。
2001年7月15日に開設した『カトゆー家断絶』。扱うネタはアニメとゲームが多い。 その様な意味ではよくあるニュースサイトなのだが、このサイトはとにかく量が凄かった(*2E)。数百のリンクをコメントも殆どつけずに淡々と貼り付けていた。 この力技な更新スタイルからはあまり想像出来ないのだが、管理人のカトゆー氏は絵も描けるし、文も書ける人間。多才である。
*2E:『メガとんトラック』に「巡回先一覧」というページがあって、一日に各サイトがリンクを貼っている数を集計している。
(今の巡回先一覧を見ると殆どが更新停止になっていて寂しい気持ちになるのだが…)
例えば2009年4月のものを見ると『カトゆー家断絶』と『everything is gone』の数がずば抜けて多い事がわかる⇒「メガとんトラック - 巡回先一覧」(2009年4月)。
2010年9月18日は1,001というとんでもないリンク数だった⇒「「カトゆー家断絶」のリンク数について調べてみた - spring efemeral」
漫画批評サイトから始まり、後にニュースサイト化したのは2002年11月29日開設の『ゴルゴ31』。 アニメやゲームネタに加え漫画レビューを紹介するニュースサイト。 ニュースサイトというのは「何のジャンルを中心に紹介していくか」が重要である。マニアックな、紹介している人があまりいないジャンルを選べば、 それがサイトの個性になり、他サイトとの差別化になる。漫画レビューを紹介するニュースサイトというのは他になく、 後発であるこのサイトが最大手にまで伸し上がってきたのは、没個性に成り易い個人ニュースサイトに於いて管理人のGOLGO31氏はサイトの個性付を意識していたからと考えられる。 とは言っても、GOLGO31氏の能力が一番出ているのはやはりサイトの原点である漫画批評。個人ニュースサイト化してからも、漫画批評はサイトのコンテンツとして残されている。
『かーずSP』『カトゆー家断絶』『ゴルゴ31』は三大個人ニュースサイトとして”KKG”と呼ばれた。 特に『かーずSP』と『カトゆー家断絶』は当時の大手個人ニュースサイトの中では別格の存在であった。 其故、後年『カトゆー家断絶』が閉鎖した時は個人ニュースサイト界の中で激震となるのである。
この時期はテキストサイトブームであると同時に、”Flash黄金時代”でもあった。『2ちゃんねる』のFLASH・動画掲示板に出入りするFlash動画職人を中心として、
多数の良質なFlash動画が制作された時代だった。
『NuBoNBA』は『2ちゃんねる』ネタやFlash動画を紹介していたFlashニュースサイトの先駆け。
但し、Flashニュースサイトとしては後に現れる”Flashニュースサイトの御三家”のほうが有名。
『NuBoNBA』の管理人であるhayato氏が有名になるのは数年先、ブロガー「イケダハヤト」になってからの事である。
『ホタテプロダクツ』は2001年10月17日からFlash動画を取り上げ、2002年1月5日には『(・∀・)イイ・アクセス』が開設。
『かーずSP』と『(・∀・)イイ・アクセス』と『ホタテプロダクツ』の三サイトはFlashニュースサイトの”御三家”とされ、Flash界隈を支えた。
Flash界隈は動画職人と宣伝役であるFlashニュースサイトの両輪があって成り立つものであった。
個人が趣味で作成したFlash動画を、個人が趣味で運営するニュースサイトが紹介する。これぞ正に個人サイトであり、ネット文化であり、インターネット的であったといえる。
『(・∀・)イイ・アクセス』は「FLASH黄金時代」が終了してからも、Flash動画について語り続け、嘗ての熱気を伝えている。
特に2012年1月17日、『2ちゃんねる』にFLASH・動画掲示板が出来てちょうど10年目に書き始めた【FLASH BACK 200X】は、10年時を遡った2002年から2007年までのFLASH動画について流行や映像の進化を振り返っていく。
【FLASH BACK 200X】の連載は2017年12月30日まで続き、6年かけて6年分を振り返った。
Flash動画について書き続けるUG-K氏のブレない姿勢。この企画は彼ならではの、そして彼にしか出来ない企画であった。
2001年8月19日、『ムーノーローカル』が閉鎖。この時に公開した「解題・ムーノーローカルの作り方」は話題になった。 この後、管理人のrhyme氏は”さやわか”として『ニーツオルグ』を開設。更には文化論に強いライターとして羽ばたいていく。
2001年10月9日、『2ちゃんねる研究』は、「個人ニュースサイトに革命をもたらす「blogdex」」という記事を書いた。
『blogdex』というのはアメリカのサイトで、Weblogからリンクされている数が多いニュースをランキング形式で表示するサイトである。
更には各ニュースに対してどこのWeblogがリンクしているのかをも表示していた。
これにヒントを得て作られたのが『ばるぼらアンテナ』である。
『ばるぼらアンテナ』も個人ニュースサイトからリンクされているニュース記事をランキング形式で表示するサイトであり、
更に各ニュースに対してどこの個人ニュースサイトがリンクしているのかをも表示していた。
『blogdex』と『ばるぼらアンテナ』
『ばるぼらアンテナ』の他に個人ニュースサイトを巡回して、よく取り上げられているニュースを抽出するサイトとしては『みなぎね5.1』と 2006年に『デジモノに埋もれる日々』のCK氏が作った『メガとんトラック』がある。 この2サイトも各ニュースに対してどこの個人ニュースサイトがリンクしているのかを表示している。
2001年12月、裏ニュース君(1の方)はプロジーを退社。それにより、プロジーのサーバーにあった『裏ニュース』は閉鎖。 同時に『Ping=Zero』もseidai氏のプロジー退社により閉鎖となった。 裏ニュース君(1の方)が吉野健太郎とハンドルネームを変えて立ち上げたサイトが『連邦』である。 『裏ニュース』の”事実上の”後継サイトであり、内容も以前と変わらないコラム型ニュースサイト。 『裏ニュース』の名声と膨大なアクセス数を引き継ぎだ『連邦』は開設した瞬間から最大手サイトとなった。 そして、開設した瞬間がこのサイトの全盛期であった。 2003年に産経新聞といざこざをやっていた辺りまではまだ大きな影響力を持つサイトであったが、 吉野氏が設立した有限会社「コンセプトエンジン」が販売し、『連邦』に広告を貼ったCD-R/RWライティングソフトウェア「Magic CDR」は評判が良かったとは言えず、 「Win高速化」を巡ってattosoftとのいざこざもあった(*2F)。そして何より、かつてのアングラがアングラではなくなりつつあった。 自身の行いと時代の変化により、『連邦』は徐々に影響力を失っていくことになる。なお、seidai氏のほうは『=)』を開設した。
*2F:
2004年2月3日、吉野氏が設立した有限会社「コンセプトエンジン」は、コピーコントロールCD(CCCD)を採用した音楽CDのバックアップが売りであるCD-R/RWライティングソフトウェア「Magic CDR」を発売した。 アングラサイトの管理人であり、それに関する書籍を多く出している吉野氏の会社が出したソフトであるから、ネットの人々を大きく期待させた。 『連邦』のトップページに貼った、インド人が「ヤケチャッタ…」と呟く広告も話題となった。
然し、発売されたMagic CDRは凡庸な性能のソフトであり、 CD-R書き込み検証では並ぶものがいない『CD-R実験室』による検証レポートでも、評価は高いとは言えないものであった。
2004年4月、コンセプトエンジンはPCの動作を高速化できるユーティリティソフト「Win高速化 Advanced XP」を発売した。 これは、「attosoft」が開発するWindows用フリーウェア「Win高速化」の製品化であった。コンセプトエンジンはattosoftから販売権利を期間限定で取得した。
2005年、コンセプトエンジンは「Win高速化 Advanced XP ファクトリーパッケージ」を発売した。 「Win高速化 Advanced XP」と違い、attosoftには無断で発売した為、attosoftからの抗議を受け、販売を終了した。 同年、コンセプトエンジンは「Win高速化 Advanced XP 2006」を発売。attosoftはWin高速化の開発を中止した。 この件でattosoftは「庇を貸して母屋を取られる」と評された。
2006年3月、吉野氏はコンセプトエンジンの代表取締役を退任した。
開設日は2000年4年1日だが2001年からニュースサイト化した『GIGAZINE』。 管理人の山崎恵人氏はソフトバンクパブリッシング入社、雑誌「ネットランナー」の副編集長を務めた。 その後、ライブドアへ転職。「livedoor コンピュータ」の副編集長を務めた。 『GIGAZINE』はサイト名からも分かる様に開設当初は「オンラインマガジン」の形式であり、vol1から7まで発行していた。
このオンラインマガジンがメインコンテンツであり、同時に「にゅーすせんたー」という羅列型ニュースも行っていたのだか、 2001年にはこのニュースの部分がメインコンテンツとなる事でニュースサイト化し、更に商業化した。 オンラインマガジン上がりのニュースサイトなだけあって、「話題の○○を食べてみた」等の試食レポート、「○○に行ってみた」等の旅レポートといった自分のサイトオリジナルの記事を作りだせる事がこのサイトの強みであり、 だからこそ商業化出来たとも言える。科学系記事の翻訳も評価が高い。 個人ニュースサイトから商業ニュースサイトへ転進したサイトの代表格であり、羨ましがれ、妬まれる事にもなった。 『GIGAZINE』は個人ニュースサイトの枠組みから抜け出して飛躍したサイトであり、 後述する『ナタリー』と共に個人ニュースサイトの発展系であり完成系である。 『GIGAZINE』はしばしば大きな話題となった(*2G)。
*2G:有名な所では…
2009年5月27日、『GIGAZINE』は「楽天市場から個人情報がスパム業者に流出か、実名の記載された迷惑メールが楽天でしか使っていないメールアドレスに届き始める」というエントリーをアップロードした。
これは、『つきつき日記F』のエントリー「楽天ショップがメールアドレスをスパム業者へ流してるっぽい」を『GIGAZINE』が紹介したものであった。
同日、『GIGAZINE』は「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売していることが判明」というエントリーをアップロードした。
これを楽天は否定した。然し、大手新聞社がこの件について報道を始めると一転して楽天は認めた。
2010年8月2日、『GIGAZINE』は「【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します」というエントリーを上げた。
『GIGAZINE』が自サイト内で求人募集するのはこれが初めてではなかったが、今回はその文中で自社の社員を非難した為に話題となった。
『GIGAZINE』を大いに意識したサイトと言えば『秒刊SUNDAY』。 『秒刊SUNDAY』も個人サイトが商業化したニュースサイト。 抑も『秒刊SUNDAY』がニュースサイト化したのは「2006年くらいにGIGAZINEを初めて読んだのがきっかけ」と語っている。 レポート形式の自サイトオリジナルの記事を作りだせる事は『GIGAZINE』と同じ。 そして『GIGAZINE』と同じように嫉妬混じりの非難をされる事になるのだが、『秒刊SUNDAY』は非難が避けられない行いをしている。 それは、「釣りタイトル」と「炎上商法」と呼ばれるもの。 いざこざが起こるような内容の記事を意図的に書き、非難も含めて話題になる事でアクセス数を増やし、広告収入や知名度向上に生かす。 良く言えば戦略的にサイト運営をしているともいえる。
尤も炎上商法自体はウェブの歴史を振り返れば、昔はその言葉が無かったというだけで、事象自体は以前からあった。 例えばテキストサイト界隈では「アクセス至上主義」というものが有って、アクセス数を最も重要視し、その為に手段を選ばず行動するサイトはあった。 而してそれの度が過ぎれば他のサイトから叩かれたり、掲示板に非難の書き込みが相次ぐ事で、 サイトの閉鎖やサイトの活力低下に繋がる事が多かった。多少は自浄作用が働いていた。 但し、これはサイト管理人が開き直ってしまえば全く意味が無い。 その様な管理人(運営会社)が増え、自浄作用が効かなくなっていく。その流れの中で2010年代には 人々の対立を煽ることで成長していくサイト、またはTwitterアカウントが目立つようになる。 また、その様なサイト・記事にアクセスする者、支持する者、定期購読する者が多くいたのもまた事実である。
2001年10月18日に開設した『ミュージックマシーン』は音楽情報。
管理人の大山卓也氏は北海道大学卒業後、日本マクドナルドに入社したが2年で退社。メディアワークスで「電撃PlayStation」「電撃王」「電撃オンライン」の編集者となった経歴を持つ。
毎日長時間働き睡眠時間を削りながら更新していたというこのサイトには2つのコンセプト有り。
一つは、音楽には様々なジャンルが存在するものの情報収集マシーンとしての性能を重視し、好き嫌いせず取り上げる事。
一つは批評的な要素を極力排除する事であった。これによりフラットなメディアにしようとしたという。
また、このサイトがムーノーローカルの影響を受けている事もネット文化的には重要である(*2H)。
管理人の大山卓也氏は後述する津田氏と共にサイトを商業化し『ナタリー』として大きく羽ばたいていく。
『ナタリー』の編集方針である「主観を入れない」と「どんなネタも選り好みしないでなるべく記事にする」は、
羅列型個人ニュースサイト上がりらしい考え方と思える。『ナタリー』は個人ニュースサイトの枠組みから抜け出して飛躍したサイトであり、羅列型の完成系である。
音楽といえば2002年1月11日開設の『音楽配信メモ』。 只、このサイトのリンク対象は音楽は音楽でもインターネットを使った音楽配信、音楽に関わるIT技術である。 管理人である津田大介氏はライターであり、雑誌「ネットランナー」で記事を書いていた。 「だからWinMXはやめられない」という本を出しており、古くからウェブを見ていた人にとって津田氏はUG方面の人という認識と考えられる。 「ネットで一番CCCDを叩いていた男」「CCCDで唯一得をした人間」と本人が言っているようにCCCD(Copy Control CD)問題によってサイトが一気に有名となり、 津田氏はジャーナリストとしての頭角を現した。 「Tsudaる」と名付けられた、 会議に参加したら実況形式でTwitterに呟いていくのは、実にいいアイデアだった。 単純に知名度から考えれば津田氏が「個人ニュースサイト界隈の一番出世」となる。 氏の場合は「ネットランナーでアングラ系の記事を書いていたライターが偉そうな事言う資格あるのか」的な事を言われる時もあるが、 良く言えば、嘗てのアングラなネット文化を語れる貴重な存在とも言える。 尤も彼の場合は政治評論家的方面へ進んでしまい、彼の能力は宝の持ち腐れになっている事が惜しい所である。
津田氏と同じように個人ニュースサイト管理人で有名評論家になった人には『成城トランスカレッジ!』のchiki氏(荻上チキ)がいる。
2002年1月、テキストサイト界の方では、数多く存在するテキストサイトを評価しようという機運高まり、
『2ちゃんねる』の「ネットwatch」掲示板の「テキストサイトはここで語れ」スレッド(通称:テキスレ)から、
『このテキストサイトがすごい!』というテキストサイト批評サイトが生まれた。
サイト管理人の金子氏がイメージしたのは「このミステリーがすごい」のテキストサイト版であった。
メインコンテンツのテキストサイトランキングでは20人程の評者がテキストを読んだ上で投票によりランキングを決定する「評者投票制システム」を採用。
然し、20人程の評者を抱えてサイトを運営するのは現実的とは言えず、
テキストサイトランキングは3回行ったが、そこで『このテキストサイトがすごい!』は終了した(*2I)。
同年2月2日、個人ニュースサイト界でも、やはり「ネットwatch」掲示板の「ニュース系サイト総合ヲチ」スレッドに於て、
数多く存在する個人ニュースサイトを評価しようという機運高まり、
個人ニュースサイトをランク分けするサイト『NEWSSITE MOOODY'S』が生まれた。
ここはサイトをA+、A、A-、B+、B、B-、C+、C、C-にクラス分けした。
同月、『えふすく日記』は「俺ニュース集計」という物を始めた。 これは孫ニュースサイトである『俺ニュース』がどこの子ニュースサイトを採用しているかをランキング形式で表示したのであるが、 これに異議を唱えたのがキワモノネタを扱い、「荒野の王者」と評されたサブカルニュースサイト『屋根裏』であった。 『屋根裏』は同月10日、サイトトップに下記の文を掲載した。
それはそれでいいと思うのですけど、私個人としてはそういった優劣のつけられるのは、社会の仕事の中だけにしてくれよ、って感じで利益も何もない個人的な趣味の世界まで比較されるのが、非常に苦しいです。
例えば、申し訳ないですけど、俺ニュースさんの俺ニュース集計とか、採用率とかランキングで表示されたりするとすごい「俺って、無意識的に俺ニュースさんに採用されるために投稿してるのかなぁ」と思って支配されているいるように感じたりします。
そんなこと気にしなくて、のほほんとやってればいいじゃないかと、思いますけど、これが自分の性格が偏屈者なので、一番とか上位を目指しているわけではなくても、何か負けず嫌いな所があるので比較される場所っていうのは苦手なんです。
しばらくニュース・テキスト界からは離れたいと思って、形式を変えたり、移転したりしてこの辺りから身を隠したいと思っています。
屋根裏
同月11日、これを見た『NEWSSITE MOOODY'S』は早々にサイトを閉鎖させた。開設から閉鎖まで僅か9日間であった。
この騒動について『俺ニュース』は、下記コメントを出した。
近年のブームでニュースサイトが200も300もあるような現状では、
格付けとか評価する力が働くのは極自然のものだと考えます。評価するのも自由、評価されるのも自由、
無視するのも自由、意識するのも自由です。
RNA side(俺ニュース)
この騒動は2つの問題を示している。
一つは、『NEWSSITE MOOODY'S』のようにサイトを赤の他人が勝手にランク付け・評価すると、当然の事であるが評価されるサイト管理人の中にはそれを嫌がる人がいる事。
もう一つは「子ニュースサイトが事実上、孫ニュースサイトの下請け」になってしまっている事である。
『屋根裏』が直接名指しした「俺ニュース集計」のランキングは、『俺ニュース』がどこの子ニュースサイトから情報を取ってきたのかを順位付けしたもの。
これは結果としては、「孫ニュースサイトが持っている数字を使って子ニュースサイトを評価する」形になってしまい、又、
子ニュースサイトは「孫ニュースサイトにネタを提供するためのサイト」に成り下がってしまっている事を示している。
一日一万アクセスを叩き出す『俺ニュース』に比べ、子ニュースサイト達は数百~数千アクセスである。
つまり「ネタを探す労力を肩代わりさせておいて、アクセス数までもっていくのか」という事になるのである。
同月14日、『ゴキブリオンライン』は子ニュースサイトの立場的な弱さが子ニュースサイトの減少に繋がり、延いては孫ニュースサイトの質低下、更には個人ニュースサイト全体の衰退に繋がる事を危惧する文を書いた。
孫ニュで有名なのが俺ニュースさんなんだけれど、ここのアクセス数は1万HIT/日ぐらいらしい。ところが、ネタ元の子ニュサイトさんをみると、だいたいが数百HIT/日ていど。
確かに、孫ニュって「自分のかわりに子ニュ巡回してくれてる」という意味ではすごく便利で有用。それゆえ、子ニュよりもアクセス数が伸びるのは当然といえるのかもしれない。
だけど、これだけアクセス数に差がでてしまうと、子ニュは「孫ニュにネタを提供するためのサイト」になり下がってしまってるといえなくもない気がする。だって、子ニュのネタを直接みる人よりも、孫ニュを介してネタをみる人のほうが圧倒的に多くなってしまってるといえそうだからだ。
つまり、大手孫ニュというものが「建設業界でいうゼネコン」「SI業界でいうITベンダー」という役割を果たしてしまっているために、上下構造ができつつあるのではないかと(アクセス数に関してだけだけれども)。
単なる趣味のはずの子ニュサイトさんが、孫ニュという上流工程に支配されているような、いないような。……個人サイトによる、個人サイトの支配。
■そのうち、この事実に気づいた子ニュのサイトさんは、バカらしくなってサイトの運営をやめるなり、孫ニュ化するなりしちゃうんじゃないかと思ったりもする。んで、
子ニュの減少 → 孫ニュの質の低下
が起きて、最悪の場合、個人ニュースサイト全体の衰退につながるんじゃないのだろうかー、なんて思ったりしてヽ(´ー`)ノ←かなりの妄想が入ってる(笑)
世間ヲチ(ゴキブリオンライン)
これが「子ニュースサイトは孫ニュースサイトの下請けである」という考え方、即ち「孫ニュースサイト=大手ゼネコン論」として議論を巻き起こした。
*この騒動の参考資料⇒「屋根裏休止の経緯」
、私が纏めたもの⇒「孫ニュースサイト=大手ゼネコン論」
*2I:
『このテキストサイトがすごい!』終了の経緯について私が纏めたもの⇒「サイト批評サイトの登場と挫折」
2002年3月12日開設の『ABC振興会』と2002年12月11日開設の『海外ボツ!News』はどちらも海外ネタ。 『ABC振興会』は日本国内では競争相手のいないハリウッドのB級ネタという目の付け所の良さ。 両者は2004年11月から『Excite』の「世界びっくりニュース」で翻訳や編集を担当した。
2002年3月20日に開設した『X51.ORG』 は世の中の奇妙なもの、現象について紹介するサイト。 管理人の佐藤健寿氏は奇妙なものを対象にした写真家として大成した。
『はっぴい!ぱらだいす!』の日記から始まった2002年7月1日開設の『駄文にゅうす』は、取り上げるニュースの独自性が魅力。
他の個人ニュースサイト管理人は「駄文にゅうすはどこからネタを仕入れているかわからない」というほど。
『駄文にゅうす』は他個人ニュースサイトの情報元になっている事もあって、
普段は注目されないようなサイトが『駄文にゅうす』からのリンクがきっかけで波状アクセスに会う事がある。
個性が無い・薄い事が大半である個人ニュースサイトに於て『駄文にゅうす』は独特の存在感を持つオンリーワンな存在であり、個人ニュースサイト界孤高の仙人である。
『まなめはうす』は、サイト自体は1996年5月から存在しておりニュースサイト化は2003年から。
2016年にこのサイトが(個人ニュースサイトとしては)終了したとき、現役・または嘗ての個人ニュースサイト管理人達からの反応を見るに個人ニュースサイト管理人のカリスマ的な存在と言える。
個人ニュースサイト論や一種の人生論・生き方的な事についてよく語っていたのが印象的で、これがカリスマ化した理由の一つと思える。
また、はてな界隈からの支持が強い。これは、他の個人ニュースサイトとの差別化として、はてな界隈を参照してニュースを取り上げていた事が理由と考えられる。
『駄文にゅうす』と『まなめはうす』はサイト自体が持っている数字がそれほど大きい訳ではない。
『かーずSP』『カトゆー家断絶』『ゴルゴ31』と比べれば一段落ちる。
然し、『駄文にゅうす』と『まなめはうす』自体にそれほどの数字が無くても、ここの価値は数字では決めれない所にある。
そういった意味でこの2サイトは他の個人ニュースサイトとは一線を画す存在である。
2002年8月24日開設の『Negitaku』はエレクトロニック・スポーツ(e-Sports)に関する国内、海外の動向や情報などを紹介するサイト。 e-Sportsという単語は昔からありつつ、よく聞くようになったのは2010年代になってから。 即ち『Negitaku』は個人ニュースサイト界全盛期生まれのサイトでありながら、個人ニュースサイトが斜陽を迎えた時期に存在感を増していき、2010年代後半でも勢いは衰えていない珍しい個人ニュースサイトといえる。
他に2001年~2003年開設の代表的なサイトとして、2001年9月開設の『楽画喜堂』、2002年1月1日に個人ニュースサイトへ転向した『HK-DMZ PLUS.COM』、 2003年4月15日開設の『ねたたま』、同年9月7日開設の『ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS』、同年11月16日開設の『黒板ぽ』、同年12月17日開設の『ザイーガ』等が挙げられる。
2002年9月30日、『ばるぼらアンテナ』のばるぼら氏は「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」を公開した。 個人サイトが日本のネット文化の多くに関わり、作り上げていった事を示すこの年表の登場に個人サイトの管理人達は歓喜した。
1992年から2002年の日本のインターネットの文化はまさしく個人によって作られていたと思う。やがて法規制に囲まれて、何をするにも金が取られ、年齢や役職に縛られる。そんな未来が近いうちに来るけれど、これから何十年インターネットの歴史が続くとしても、何か新しいことを、何か面白いことを始めたのは、いつも何処かの誰かだった時代があったという記録をここに残そう。
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ(ばるぼらアンテナ)
2002年10月、東京大学メディア環境学研究室(MESH)の武邑光裕助教授が伊藤穣一氏経由でアメリカのWebLog(blog・ブログ)を知り、感激した。 MESHのブログを学生に作らせ、学生達自身も各々のブログを開設した。そして学生の一人がこう書いた。
「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れないと言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)」
更には伊藤穣一氏が飯野賢治氏と「Japan Blog Associations」を作る事にした。
同年11月8日、MESHや伊藤穣一氏に対し個人サイト管理人達が一斉に反発したのである。「日本では先人達の手(我々の手)によってブログ草創期はすでに終わっている」「伊藤穣一とMESHは利権を握ろうとしている」と。
アメリカのブログは「通常一人で管理しており定期的に更新がある小規模なサイト」(*2J)の事である。
その中には日々ニュースへリンクしコメントを加えたものもあった。これは日本で謂う所の個人ニュースサイトその物だった。
MESHの学生の発言と「Japan Blog Associations」の設立は騒動事に発展し、結果的には嘗てのインターネットで重要人物だった伊藤氏と武邑氏に「不勉強だった」とコメントを出させるに至った(*2K)。
今にして思えば、そこまで反発する必要があったのかとも思えるが、その様な事よりも、
当時の個人サイト界隈の勢いを示す出来事として捉えるべき事象である。
*2J:「Typically, a weblog is a small web site, usually maintained by one person that is updated on a regular basis and has a high concentration of repeat visitors.」⇒「Anatomy of a Weblog」
*2K:私が纏めたもの⇒「2002年のブログ騒動について今更振り返る」
テキストサイト、個人ニュースサイト、UG、Flash動画、etc...、この頃の個人サイト界隈はネット文化の中心に位置していた。個人サイトが輝いていた時代だった。
時代はナローバンドからブロードバンドへ。テキストが主体だったウェブ上のコンテンツは動画・ネットゲームが増加した。 ウェブの世界が広がっていくと共に、広がった世界を取り上げるニュースサイトが必要だった。 それは商業サイトではフォロー出来ない部分も多々有り、個人ニュースサイトの活躍の場は広がる一方だった。
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2003年5月2日、『俺ニュース』はサイトの閉鎖を発表。個人ニュースサイト界に激震が走った。そして宣言通り同月31日に閉鎖した。 同年8月21日、『俺ニュース』に更新があった。其処に書かれたのは「next behavior 2003 winter」。 冬には復活かと多くのサイトが好意的に反応をした。然し、結局復活はしなかった。
『俺ニュース』は何故個人ニュースサイト全盛期に閉鎖を決意したのだろうか。
『俺ニュース』は全盛期に閉鎖したが故に伝説の個人ニュースサイトとなった。
5月31日は”俺ニュースデー”となった。
◆2004年~2008年 SNSの足音
主要なサイトの開設年月
2004年1月
『アキバBlog』
2004年2月
『酔拳の王 だんげの方』 『俺暇』 『独り言以外の何か』 『ugNews.net(newsG→teiou→)』 『天涯の森』
2004年3月
『ぷらすめもっと弐式(ぷらすめもっと→)』 『自動ニュース作成F』
2004年4月
『GilCrowsの映像技術研究所(GilCrowsのFLA板観測所→)』 『Tempじゃ~なる』
2004年5月
『できそこないβ版』 『ひろぶろ』 『Goonie!』 『おふらいんver2』 『魔界都市日記』 『unlimited game works』
2004年6月
『誠天調書』
2004年8月
『誰が為に鈴は鳴る』 『神コップBloG』
2004年9月
『小太郎ぶろぐ』 『MOON CHRONICLE(MOON→)』
2004年10月
『Re:戯言』
2004年11月
『謝る前にケツを出せ』 『鴎庵』
2004年12月
2005年2月
『明日は明日の風が吹く』 『白い戯言』 『ネギま!で遊ぶ』
2005年3月
『傾き屋(日日俺酔狂→)』
2005年8月
『やくろあんてな』
2005年9月
2005年11月
『痕跡症候群』
2006年1月
『にゅーす特報。(ニュー得ブログ→)』 『ニトロ有線式』
2006年3月
『儚雪の空』
2006年6月
2006年10月
2006年11月
2007年1月
『鍵っ子ブログ』 『@nikutyせかんど』
2007年2月
2007年3月
2007年5月
『ゴリラブーツ』
2007年6月
『ぷちげんか』
2007年9月
2007年10月
『あみみ』
2007年11月
2007年12月
『るいんずめもりぃ』
2008年2月
『モノリス(キりマンジェロ→)』
2008年9月
2004年1月19日に開設した『アキバBlog』。ネタは毎日のように秋葉原に出かけているという管理人による秋葉原情報。
ここのサイトの秋葉原情報というのは、アニメやゲームの事。 このネタは需要が大きい代わりに、供給の競争相手も多い。何より、商業サイトと題材が丸被りする。 然し、店を毎日数十件回りネタを探してくる嗅覚と、 火事等のハプニングについてもすかさず記事に出来る身の軽さ。 商業サイトと真っ向から戦える個人サイトとして、その存在感は圧倒的といえる。
2004年2月27日に開設した『ugNews.net』。先行個人ニュースサイトへのはっきりとしたリスペクトを感じるこのサイトは、ニュースサイトとしての実績は勿論だが、 何と言っても当時数多く書かれた個人ニュースサイト論へのリンク集を作り、残しておいた事はこのサイトだけの仕事と評価出来る。 このリンク集は当時の個人ニュースサイトに活気が有り、華やかだった事を伝える物である。
2004年2月、ソーシャル・ネットワーキング・サービス (SNS) の『mixi』がサービス開始。 SNSは個人サイトの世界に大きな影響を与える事になるが、『mixi』の場合は完全招待制で基本的に実生活と紐づいており、 足跡機能による独特の息苦しさを持つ事から既存個人サイトの代わりには成り難く、個人ニュースサイト界に与えた影響は小さかった。
『2ちゃんねる』の「FLASH・動画掲示板」住民の一人が2004年4月21日に開設したのが『GilCrowsのFLA板観測所』。『FLA板AA保管庫』の管理人でもある。
開設当初はサイト名通り「FLASH・動画掲示板」の観測を行っていたが、
『GilCrowsの映像技術研究所』とサイト名を変え、Flash動画を取り上げるニュースサイト化した。
動画といえば、この時期は『ニコニコ動画』が開設。それ故『GilCrowsの映像技術研究所』も『ニコニコ動画』の動画を取り上げるようになる。
2004年5月4日に開設した『ひろぶろ』、2004年9月3日に開設した『小太郎ぶろぐ』も動画紹介系だが、ネット文化的な動画ではなくて、一般的な面白動画・衝撃動画である。
2004年9月22日に開設した『MOON CHRONICLE』は「ニュースサイト読本」という同人誌を出し、「ニュースサイトたん」というサイトの看板キャラクターを作った。 更にはこのキャラクターを使って「ニュースサイトたん4コマ」というウェブのネタを題材にした漫画を連載するというアイデアが秀逸。
2005年2月10日、『はてな』はソーシャルブックマークの「はてなブックマーク」をリリース。 はてなブックマークの人気エントリー (ホットエントリ)一覧やアルファブックマーカーのブックマーク一覧は、 それ自体が羅列型個人ニュースサイトと機能的に変わらないものであり、 「はてなブックマークの登場によって個人ニュースサイト界は衰退する」と云う人もいた。 然しそれは杞憂に終わり、むしろ個人ニュースサイト管理人が情報収集ツールとして上手く活用していた。
2005年2月19日に開設した『ネギま!で遊ぶ』は漫画の「ネギま!」関連のニュースサイト。公式ニュースの紹介だけではなく、同人サークルの情報、個人サイトが作成したネタも紹介。 自らが考察を書いたり、企画物も出来る。即ち、自分でコンテンツを作りだす事が出来る。 このサイトの強みはネギま!関連”ではない”個人ニュースサイト達の巡回先として入っている事。この事により、ネギま!界隈外からネギま!のコンテンツにアクセスを誘導する事が出来た。 同年8月27日開設の『やくろあんてな』も「ネギま!」関連のニュースサイト。ここは『ネギま!で遊ぶ』の影響を受けている。 太く短く終わった『ネギま!で遊ぶ』の後継としてネギま!界隈を支える役を担った。
2005年、この年からある形式のサイトが増える事になった。そのサイトを個人ニュースサイトに含めるのか含めないのかは人によって違う所がある(*2L)ものの、
個人ニュースサイトに含めるにしろ含めないにしろ、触れないわけにはいかない存在。それは「2ちゃんねるまとめサイト」。
2ちゃんねるまとめサイトの原形は2001年6月29日開設の『スレの杜』、同年12月3日開設の『バーチャル2ちゃんねらー裕子』とあったが、
これらは「スレッド紹介サイト」を名乗っており、管理人が面白いと思ったスレッドについて何の様な感じのスレッドなのかを短く数レス分載せているだけだった。
即ち、面白そうなら自分でスレッドに行って読めという事であり、まさにスレッド紹介サイトであった。
2005年から大量発生した2ちゃんねるまとめサイトはそれとは違う。スレッド紹介サイトではない。
纏め文自体でコンテンツとして完成している。
1スレッドに1000レス有り、それを只読めば其程面白くないものであっても、
レスを選別し、順番を前後させ読み易くする。スレッドにある面白さを濃縮させる。
濃縮させた面白さを軽い読み口で読ませる2ちゃんねるまとめサイトは
娯楽として捉えれば面白いし、人気が出た事自体は当然の事。
然し、そのスレッドの選び方、纏め方によってはサイト運営者の意図が強く入る事になるし、
アクセス数を稼ぐ為に人々の対立を煽る形の文にする。コメント欄で言い争いが始まれば更にアクセス数を稼ぐ事が出来る。
非難される事の多い「ゲーム業界、ハードウェア」掲示板のまとめサイトは正にそれと言える。
個人ニュースサイト史を書くにあたって、2ちゃんねるまとめサイトを触れないわけにはいかない存在なのは何故か。
それは後年、2ちゃんねるまとめサイトは孫ニュースサイトから見て事実上の親ニュースサイトになった為である。
*2L:この「個人ニュースサイト史」では2ちゃんねるまとめサイトを”個人ニュースサイトではない”ものとして扱う。
あれだけ大きな存在になった2ちゃんねるまとめサイト群を個人ニュースサイト界の内訳として考えるのは不自然だからである。
補足:この時期に2ちゃんねるまとめサイトが大量発生した事を一番良く示す資料として『Saturday evenings::Activica.』(『小生にうず』の香陸氏)が作った「2chブログの開設日&更新停止日」年表がある⇒
「2000-2006」
「2007」
「2008」
「2008」
「2009」
他に2004年~2006年開設の代表的なサイトとしては、2004年12月2日開設でアクセス数が多い『情報屋さん。』、 2005年2月1日開設の『明日は明日の風が吹く』、同年2月16日開設の『白い戯言』、同年11月15日開設の『痕跡症候群』、 2006年1月25日開設の『ニュー得ブログ』等が挙げられる。
2006年1月22日、個人ニュースサイト管理人達が集まり、毎回自分達が決めたお題について思うところを書いていくブログ『Project::Logistica.』開設。
参加したのは『Orbium』のとし氏を中心にした10サイトの管理人。個人ニュースサイト管理人達の集まりなので文の内容は個人ニュースサイト論が多い。
例えば、「あなたのサイトの個性って何ですか?」というお題があって、それに対し各々のサイト管理人が自分のサイト運営経験から文を綴っていく。
これは同年7月までの6ヶ月間行われた。
2007年3月18日、『Lingua furanca.』開設。これは『Project::Logistica.』の復活版といってよく、やはり毎回自分達が決めたお題について思うところを書いていく。
参加したのは『白い戯言』の白球氏を中心とした18サイトの管理人。こちらは2008年1月4日までの9ヶ月間行われた。
『Project::Logistica.』も『Lingua furanca.』も参加したサイトは古参の大手というよりは、後発で頭角を現したサイトが多い(*2M)。
2007年12月には『MOON CHRONICLE』のミルト氏が中心となって同人誌「ニュースサイト読本」が書かれた。
個人ニュースサイト界が大きなコミュニティになれば、この様な何かしらの合作的な動きが出るのは当然の事。
そしてこれは個人ニュースサイトの運営がコミュニケーション手段化した事を示す一例でもある。
*2M:
『Project::Logistica.』に参加したのは『Orbium』(とし氏)、『まなめはうす』(まなめ氏)、『ちょいりす』(ゆつき氏)、『小生にうず』(香陸氏)、
『今日の覚え書き』(もそ氏)、『cool D'zine room』(yujiro氏)、『鴎庵』(鴎氏)、『俺ヘッドライン』(わんこ氏)、『everything is gone』(みひろ氏)、
『ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS』(セミマル氏)
『Lingua furanca.』に参加したのは『白い戯言』(白球氏)、『それさえもおそらくは平凡な日々』(☆YAS!☆氏)、『埼玉麻帆良愚連隊』(KUH氏)、
『最終防衛ライン2』(lastline氏)、『アシタノ!』(アシタノ氏)、『てきとうなもの』(うぃんぐ氏)、『よなかのとり』(カラス氏)、
『ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS』(セミマル氏)、『たまごまごごはん』(たまごまご氏)、『青ひげノート』(テラシィ氏)、『アセティック・シルバー』(はし氏)、
『まなめはうす』(まなめ氏)、『MOON CHRONICLE』(ミルト氏)、『やくろあんてな』(やくろ氏)、『週刊少年二次元』(有賀氏)、
『Diary of Hopeless Sinner』(犬氏)、『マンガ☆ライフ』(水音氏)、『痕跡症候群』(水瀬氏)
「ニュースサイト読本」に参加したのは、『MOON CHRONICLE』(ミルト氏)、『ふぇいばりっとでいず』(あすか氏)、『明日は明日の風が吹く』(☆YAS!☆氏)、
『ゴルゴ31』(GOLGO31氏)、『白い戯言』(白球氏)、『かーずSP』(かーず氏)、『酔拳の王 だんげの方』(だんげろうず氏)、『ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS』(セミマル氏)、
『痕跡症候群』(水瀬氏)、『マンガ☆ライフ』(水音氏)、『やくろあんてな』(やくろ氏)、『無駄な領域リサイクル』(功刀練武氏)
2007年2月2日に開設した『世界は数字で出来ている』はニュースサイトを自称しており、考え方によってはそうも取れるのだが、 実態としては「ラジオの書き起こしサイト」である。そもそもラジオの書き起こし自体が許されるのかという議論が有り、 然も書き起こした文に煽情的なタイトルをつける事でアクセス数を稼いでいる。 その為、このサイトに対し非難の意見もある。それは当然な事。 ただ、ラジオ書き起こしサイトは他にもあって、書き起こし量とアクセスの稼ぎ方といったサイト運営の実力でこのサイトが抜きん出ているのは事実である。 尚、ラジオ書き起こしサイトであるにも関わらず何故このようなサイト名かというと、 開設当初は 「タイトルには必ず『数字』を入れる」 「内容も『数字』にまつわるものを必ず書く」 「ニュースのジャンルは問わないが、必ず何らかの『数字』に関する蘊蓄を入れる」 というルールを設けていたからである。
2007年は新規個人ニュースサイト最後の豊作年であった。 記事へのリンク作法に信念を持ち個人ニュースサイト論によく顔を出していた1月5日開設の『@nikutyせかんど』、3月5日開設の『愚者のニュース』、 3月28日開設でアイマスMAD動画関連の『兎に角やってみよう』、 5月19日開設でエロ系ネタが多めの『ゴリラブーツ』、9月7日開設の『どどどの日誌』、 9月18日開設で「VOCALOID」関連の『初音ミクニュース』、 9月18日開設でスク水枠が毎回ある『すくぅうみうぎ』、 12月1日開設でニュースサイトとテキスト系の融合型である『るいんずめもりぃ』。この様に個性的なサイトが多く出てきた。 同時にこの年は『Twitter』が流行り始めた年でもあった。
2008年9月5日には『ネットサーフィン見聞記』が開設した。
この時期、まだ個人ニュースサイト界には活力があった。然し、迫ってくるのは本格的なSNS時代。 個人サイト管理人は挙って『Twitter』のアカウントを取り、サイトの更新よりももっと手軽でリアルタイム性の高い『Twitter』での呟きを優先するようになっていった。 それは個人ニュースサイト界でも同じ事であった。
後年、『(・∀・)イイ・アクセス』のUG-K氏はこの頃を振り返り、こう書いている。
「Youtubeやニコニコ動画の台頭により作品公開の場は個人サイトから動画サイトへと移っていった」
「宣伝の場という点でも2ちゃんねるからmixi、Twitter、FacebookなどのSNSへ移行していった」
「Flash紹介サイトとしてのイイアクセスの役割は2007年時点で終了していたのかもしれない」
と・・・
◆2009年~2016年 みんながニュース発信者の時代に生きる
2007年から始まったサイト管理人のTwitterアカウント取得は加速していった。Twitterのタイムラインは羅列型ニュースサイトと役割的に同じであって、 個人ニュースサイト管理人の多くにとっては事実上のTwitterへの移住となり、サイトの更新頻度が低下していくのは自然な事であった。 また、”サイト運営はコミュニケーション手段”という側面があり、それはTwitterで容易に代替出来るものであった。
2010年頃から、個人ニュースサイト界が停滞しているといわれ始めるようになった。 それは、新しいサイトの気配が殆どしてこなくなった為である。 サイトに個性が出しにくい個人ニュースサイトでは後発サイトが先発サイトを追い抜く事が難しい、先行者利益の大きな世界になってしまう。 先に有名になった大手サイトがその座に居座っている限り、後続サイトは弱小、良くて中堅サイトに甘んじるより他無く、 事実、大手サイトの顔ぶれはあまり変わらずに00年年代は進んでいった。
そしてこの時期、インターネット環境に大きな変化があった。それはスマートフォンの普及。
スマートフォンによってこれまで以上に移動しながらのインターネット接続が容易になる。
これとTwitterを初めとしたSNSとの親和性は抜群だった。
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震によって、コミュニケーションインフラとしてのSNSが注目を浴びた。
スマートフォンを使ってリアルタイムに出来事や気になった事をSNSに書き込んでいく。
動画を撮ってyoutubeにアップロードしていく。気になったニュースはリツイートで拡散していく。
みんながニュース発信者の時代へ。
これは個人ニュースサイトの役割減少を意味した(*2N)。
*2N:例えば
かとゆー氏は「とにかくニュースサイトを押えておけばネットの情報がつかめるという状況が変わってきた」と言った⇒「12年間更新し続けた個人ニュース“カトゆー家断絶”は、なぜ更新をやめたのか?」
まなめ氏は「かつては個人ニュースサイトが求められていた時代があったんですが、その時とは状況が異なります」と言った⇒「“まとめサイト”のうのみは危険! 分かりやすさの裏に潜む影」
個人ニュースサイト界に新規サイトが育たなくなった事は何を意味するのか。 個人ニュースサイト、特に孫ニュースサイトは同業の個人ニュースサイトを巡回しネタを拾ってくる。 即ち、個人ニュースサイトは巡回によってアクセス数を相互に融通し合っている状態にあった。 個人ニュースサイト界が縮小していけば、生き残っている子・孫ニュースサイトのアクセス数も自然に減っていく。
情報元としての個人ニュースサイトが減っていくと、残された個人ニュースサイトは2ちゃんねるまとめサイトの記事紹介サイト化が加速した。 2ちゃんねるまとめサイトは孫ニュースサイトから見て事実上の親ニュースサイトになったわけだが、 2ちゃんねるまとめサイトの方から見れば、孫ニュースサイトからのリンクは必要という訳でもない。 2ちゃんねるまとめサイトは自分の力でアクセス数を取りに行く事が出来る。 即ち、個人ニュースサイトは2ちゃんねるまとめサイトに”依存している”という状態になった。
需要が減っていく中で、新規サイトが生まれない中で、既存サイトの管理人の年齢は高くなっていき、人生のステージが変わっていく。 サイト管理人は変わる事を求められる、変わらざるを得ない中で、あるサイトは路線変更し、あるサイトはそれでもその儘続け、あるサイトは更新を停止した。
2013年3月、中堅・弱小のサイトが次々に死んでいく中で、個人ニュースサイトの衰退について少し話題になった。「衰退」という食い付きの良さそうな話題ですら大きな話題にならなかった事が個人ニュースサイト界の縮小を物語っている。
そして同年7月15日、KKGの一角である『カトゆー家断絶』が更新を終了した。これは界隈ではとてもとても大きな衝撃だった。
個人ニュースサイト界に限らず、どの界隈でもそうなのだが、その界隈に数多くのサイトが有っても、その中で界隈を引っ張っていく力の有るサイトは極一部。 力の有るサイトがそのカリスマによって界隈の大勢を決めてしまう側面がある。 本人が意識していた、していないに関わらず『カトゆー家断絶』が更新を続けるという事はそれだけで結果的には”他の個人ニュースサイトに背中を見せる”事になっていた。 だからこそ、『カトゆー家断絶』の更新終了は大きな意味を持った(*2O)。
*2O:例えば、2003年の『絵文録ことのは』による指摘。「カトゆーさんがサイトをやめたら、はっきりいって今のノンジャンル個人ニュースサイト・コミュニティ帝国は崩壊するだろう」⇒「「個人ホームページ不況」とマニア率・カリスマ論」
KKGのもう一角である『ゴルゴ31』は2015年8月9日を最後に更新しなくなり、一部からカリスマ扱いされている『まなめはうす』は2016年9月29日の@nifty終了とともに路線を変更した。
2010年代以降も個人管理のニュースサイトは少なからず生まれているのだが、それはもはや商業と見分けがつかないレベルのサイトであり、 コミュニティ的にかつての個人ニュースサイト界に居るわけでもなく、嘗ての個人ニュースサイトとは似て非なるものといえる。
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・
・
終焉が近づいている。
個人ニュースサイトの中には、今も一日に数百、数千アクセスを稼ぐサイトはある。 然し、役割が減少し、新規サイトが育たなくなった事から”個人ニュースサイト”という単語を聞く事はほぼ無くなった。 サイトに個性があるもの、管理人に実力があるものについては、管理人のやる気が続く限り命脈を保ち続けるだろうが、界隈としての個人ニュースサイトが嘗ての存在感を取り戻す事はもうないだろう。
3.システムと文化
個人ニュースサイトの特徴とは何だろうか。それは、優れたシステムにあった。またそのシステムが生み出した文化であった。
◆個人ニュースサイトの分類
個人ニュースサイトには幾つかの種類に分類される。ここではその分類について纏める。
■情報元による分類
ネタ(一次情報、ソース)
└ 親ニュースサイト
└ 子ニュースサイト
└ 孫ニュースサイト
・ネタ(一次情報、ソース)
これはニュースサイトではない。世の中で起こっている事、政治、経済、文化、地域情報等。また、ウェブ上にあるネタで言うと、日記・テキストサイト・レビューサイトのエントリー、イラストサイトの絵、ソフトウェア制作サイトのソフトウェアとその更新情報もこれにあたる。
これらを紹介するのがニュースサイトである。
・親ニュースサイト
一般的にニュースサイトと言えばこれの事になる。ネタを紹介するサイト。これは新聞社・出版社等、基本的に企業が担っている。何故なら個人サイトには取材能力が(一部例外を除いて)無い為である。
勿論例外もあり、例えば管理人自ら秋葉原に出歩き、探してきたネタを記事化しサイトに公開している『アキバBlog』は親ニュースサイトである。
・子ニュースサイト
一般的に個人ニュースサイトと言えばこれの事になる。複数の親ニュースサイトを巡回し、気になったネタを紹介するサイト。
1995年に出てきたMacintoshニュースサイトは、海外のMacintoshニュースサイトを巡回し、必要な情報を日本語訳して公開していた。
これは子ニュースサイトである。子ニュースサイトは個人ニュースサイトの原点と言える。
・孫ニュースサイト
2000年に出てきた『俺ニュース』によって一気に広まった個人ニュースサイトの変化型。
複数の子ニュースサイト、孫ニュースサイトを巡回し、気になったネタを紹介するサイト。クリッピングサイトとも言える。
この分類、各サイトを綺麗に分類できるわけではない。例えば、孫ニュースサイトであっても巡回先は親ニュースサイトだけではなく、 一部ブログを入れていれば、その部分については親ニュースになる。
個人ニュースサイトの基本形は子ニュースサイトであった。 子ニュースサイトの一番解り易い形は『Macintoshtree』に代表される1995年のMacintosh関連ニュースサイト。これは当時Macintoshに関する最新情報は海外ニュースサイトに有り、 日本人は海外サイトを見なければ最新情報を得ることが出来ない。無論英語を読めなければならない。通信代も必要。 ならば、日本人の誰かが代表して海外サイトにアクセスし、その情報を日本のサイトで公開すればいい。そうして出来たのがMacintoshニュースサイトであり、分類的には子ニュースサイトに該当する。 これはMacintosh情報だけではない。例えばエミュレータやMMORPGに於ても事情は同じで、やはり同じような形の子ニュースサイトが発生した。
ウェブの世界が日本でも広がっていき、様々な情報がウェブに存在する様になれば様々なジャンルの親ニュースサイトが増えていく。 そうすると、親ニュースサイトの巡回を肩代わりする形のニュースサイトが発生する。これも子ニュースサイトである。 子ニュースサイトは、複数の親ニュースサイトから自分の観点で厳選した・フィルタを通した情報(=親ニュースサイト内の対象記事URL)を提供する。 インターネット利用者は自分の感性・価値観に近い子ニュースサイトを閲覧することで親ニュースサイトの記事全てに目を通す必要は無くなるのである。 また、アンダーグラウンドなネタについては商業である親ニュースサイトで紹介できる訳が無く、代わりに個人ニュースサイトがその役割を担った。
子ニュースサイトが増加・多様化すると、更にもう一段階フィルタを通す孫ニュースサイトに需要が出てくる事になった。
孫ニュースサイトは同じ個人サイトである子ニュースサイトと同業の孫ニュースサイトから情報を取ってくる。 また、子ニュースサイトも一部は孫ニュースサイトや同業の子ニュースサイトからから情報を取ってきていた。 それは、子・孫ニュースサイト管理人が、サイト管理人でありながら子・孫ニュースサイトの閲覧者も兼ねている事を示している。 つまり子・孫ニュースサイト達はアクセス数を相互に融通し合っている状態にあった。アクセス数を内需で回している点は個人ニュースサイト界の大きな強みであった。
ニュースサイトが、ニュースサイト層⇒子ニュースサイト層⇒孫ニュースサイト層と多層化したのだが、
これはネタと閲覧者をinput/output、ニュースサイト・子ニュースサイト・孫ニュースサイトを層としてみれば、
ネタが3層通して閲覧者に届く。大仰な言い方をすると極原始的ではあるがニューラルネットワーク化ともいえる。
これには問題も有った。閲覧者がアクセスするのは孫ニュースサイト層とニュースサイト層(+ネタ)になり、中間である子ニュースサイト層にはアクセスしなくなる。
上図でいうとモナーとモララーがその事象に当たる。
子ニュースサイトはニュースサイトやネタの巡回という労力が発生するものの、アクセス数は孫ニュースサイトにもっていかれてしまう。
これが「子ニュースサイトは孫ニュースサイトの下請けである」という考え方、即ち「孫ニュース=大手ゼネコン論」になった。
子・孫ニュースサイトが、同業の子・孫ニュースサイトから情報を得た場合、対象記事URL・リンクとその横に「情報元」としてサイト名を記した。 これは、情報を発掘した人に対する礼儀でもあった。同時に個人ニュースサイト界というコミュニティへの参加意識を持たせる事になり、 情報を提供するという本来の役割よりも、コミュニティへの参加が目的になるサイトが出てくる事になった。
■リンクの貼り方による分類
・羅列型
ニュース記事へのリンクの下に管理人が1行ぐらいの短いコメントをつけて読者に紹介していく。コメントが無くてただリンクが貼られているだけの場合もある。
・コラム型
ニュース記事へのリンクの下に管理人が比較的長いコメントをつける。言い方はコラム型以外にも「ブログ型」等色々有り。
コラム型サイト例)『裏ニュース!』『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』
羅列型・コラム型には各々一長一短があり、どちらが良いとは言いづらい。私の感覚にはなるが数としては羅列型が多い。
サイト運営者にとってコラム型はサイトの個性が出し易いという利点がある。
然し、読ませるような長い文を書くには能力が必要になる事と、コラムというのはサイト管理人の感情が入ってしまうので、
閲覧者から文句を言われたり、リンク先から苦情を言われたり、揉め事に巻き込まれやすくなってしまう。
それに対し、羅列型の利点はサイト管理人の感情がはっきりしない為、揉め事に巻き込まれづらい所にある。
ただこれはサイトの個性が出しにくい、という致命的な欠点があり、後発サイトになればなるほど不利になってしまう。
だから実際に「大手サイトが引退せずにいつまでも居座っているせいで、新規サイトが育たない」という意見が出てくるのである。
また、羅列型は個性を出しにくい分、サイトの優劣が一日に貼るリンクの量によって決まってしまう側面があり、
人によってはサイト運営を続けていくにつれ、体力と気力を消耗していくという事にもなる。
ニュースサイトでも紹介文に力をいれていればそれはテキストサイトその物であり、
事実、『裏ニュース!』『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』はテキストサイトにも分類される。
下記に例を示す。
★羅列型
2018/5/5
・個人ニュースサイトの開設日と生死調査
今の時代に個人ニュースサイトネタ!懐かしいですね。
(情報元:駄文にゅうす)
・個人サイトが多めなインターネットの歴史年表
これも懐かしい。
(情報元:かーずSP)
★コラム型
2018/5/5
こんばんは。ゴールデンウィークも仕事で殺意沸いちゃう♪観鈴ちん18歳です♪
今日はこちらのニュースをご紹介します。
・個人サイトが多めなインターネットの歴史年表(かーずSPさまより)
佐倉葉ウェブ文化研究室さまが作成した個人サイトの開設日がたくさん載ってる年表です。
ちゆお姉さまって2001年誕生なのねー。2月14日なのはちゆデーやってたので覚えてたんだけど。
て、うちのサイト載ってないじゃない!(怒)。載せておいてよねー。
もしかして私の誕生日わからないのかしら。
いいわ、特別に私の誕生日教えてあげるわ。佐倉葉さんは私に感謝してよね。私のサイトの開設日は・・・2002年2月29日よ!
・・・
・・・
・・・
2002年はうるう年じゃないっちゅーねん!(セルフつっこみ)
この頃は楽しかったわね。VNIが沢山いて、みんなで騒いでたのよ。
反VNIを袋叩きにしたりね。今や誰も知らないわよねー。
毎日がお祭りのようだったわあ。
そんな事知ってるあんたは何歳なんだって?18歳に決まってるでしょ。
え?中の人の年齢?中の人ってなによ。そんな人いないわよ・・・これ以上聞くと・・・
殺す!
というわけでバーチャルネットアイドル・観鈴ちん18歳はインターネット老人なのがばれるのをおそれています!
■扱うネタの広さによる分類
・全般型
サイト管理人が興味を持ったものならジャンルはあまり問わず取り上げる。
・特化型
あるネタに特化して取り上げる。
特化型サイト例)ゲームの中でもスクウェア・エニックス情報が中心の『Intermezzo』、携帯電話・PHSの中でもDDIポケット情報が中心だった『useDDIpocket』、漫画の中でも「ネギま!」情報が中心の『やくろあんてな』
個人ニュースサイトは全般型が多いが特化型もあり、それらはそのジャンルを選んだという事だけでそのサイトの個性になる。
この分類も各サイトを綺麗に分類できるわけではない。何をもって特化型というのか、という問題である。
例えば音楽に特化した個人ニュースサイトがあっても、広い音楽の世界で音楽全般何でも取り扱っていたらそれは特化型と言えるのかという事。その辺の匙加減により変わるという事である。
これが例えば演歌に特化した、アニソンに特化した、という場合は特化型と言えるのだが。
サイト運営者側から考える特化型のいい点は、分野特化する事でサイトの個性を出す事が出来、
既に参入している個人ニュースサイトが無い・少ないジャンルを選べば競争を避ける事が出来る点にある。
但し、選んだ分野と運命共同体になる事は考えておかなければならない。とあるアイドルに関するニュースサイトなら、そのアイドルの人気がある内はアクセス数を稼げるが、
人気が落ちていけば自然とアクセス数は減っていく。自分の努力ではどうにもならない大きな波に影響されるのである。
選んだ分野が衰退を始めた時、他の分野に代えるという方法があるにはあるが、これは言うのは簡単でも実際に行うのは簡単なものではない。
補足:この分類は「先に考えた人がいるならその人に敬意を払い、その言葉・単語を極力その儘使う」という私の考えを元に、『MOON CHRONICLE』が出した同人誌『ニュースサイト読本』の19~21ページ「だんげの個人ニュース三分間ロッキンポ」(文:『酔拳の王 だんげの方』だんげろうず氏)を踏襲した。
◆リンク作法
子・孫ニュースサイトが、ネタを探す為に同業の子・孫ニュースサイトを巡回しネタを得た場合、対象記事URL・リンクとその横に「情報元」として子・孫ニュースサイト名を記した。 これは、ネタを発掘した人に対する礼儀でもあり、ネタをただで横取りしたと言われるトラブルを回避する手段でもあった。
リンクの仕方は大きく3種ある。下記に例を示す。
★ニュース(ネタ)のURLのみ記載
2018/5/5
・個人ニュースサイトの開設日と生死調査
今の時代に個人ニュースサイトネタ!懐かしいですね。
★ニュース(ネタ)のURLと情報元を記載
2018/5/5
・個人ニュースサイトの開設日と生死調査
おい、俺のサイト入ってないぞ。死刑。
(情報元:駄文にゅうす)
★ニュース(ネタ)のURLとネタを作ったサイトのトップページURLと情報元を記載
2018/5/5
・個人ニュースサイトの開設日と生死調査(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
おい、俺のサイト入ってないぞ。って俺無名だし存在感ないし。しかたないのか・・・生きててすいません・・・
(情報元:駄文にゅうす)
通常、一般個人サイトでリンクを貼る場合は「ニュース(ネタ)のURLのみ記載」になる。
ただ、個人ニュースサイトの場合は、同業である個人ニュースサイトからネタを取ってくる場合が多々ある。孫ニュースサイトの場合はほぼそれになる訳だが。
その場合、他の個人ニュースサイトから得たネタをその儘自分のサイトで紹介すると、ネタを横取りする形になってしまう。
事実、個人ニュースサイトの中には情報元記載が無いものも多数あり、『2ちゃんねる』の「ニュース系サイト総合ヲチ」スレで叩かれたりする。それが大手サイトだったりするとなおさらである。
だから、「ニュース(ネタ)のURLと情報元を記載」にするのである。
「ニュース(ネタ)のURLと情報元を記載」は先に書いたように、情報を発掘した人に対する礼儀でもあり、情報をただで横取りしたと言われるトラブルを回避する手段でもある。
情報元へのリンクを貼れば少なからずアクセスを送り込む事ができ、僅かでも恩返しが出来る。
また、情報元を辿っていけば最初に紹介したサイトをつきとめる事が出来る。
これを「個人ニュースサイトから伝わる美しいウェブ作法」と言う人もいる(*4A)。
ただ、これで問題が全て解決するわけではない。例えばこの様な場合である。
”弱小サイトAが自力発掘でとりあげたネタを、弱小サイトAを巡回していた中堅サイトBでも取り上げた。その後そのネタが中堅サイトBを巡回していた大手サイトCでも取り上げた。その時、大手サイトCが示したネタ元は元の弱小サイトAではなく、中堅サイトBだった。 弱小サイトAからしたら、中堅サイトBにアクセス数を横取りされた(中堅サイトBにただ働きされられた)ように感じる。”
●最近、孫ニュース系の記事の参照の仕方に疑問がある
子ニュース:A 孫ニュースその1:B 孫ニュースその2:C と、仮定。
Bは「Aより」とネタ元を記載して「ある記事」を紹介する。これは極普通の事です。
次に、巡回サイトにAとBを入れているCが「ある記事」を紹介しようとする。
ここでネタ元をどうするのか?私は「Aより」と記すべきだと思う。
しかし、人気に於いてB>CでありCがBに対して好印象をもっている場合ネタ元はBになる。
私はこの辺りが疑問。
最近は「孫ニュース郡」というべきぐらいサイトが横に繋がりあい、ネタを相互に参照し合って親睦を深める事が
大切なのかも知れないが、Aを巡回に入れているのならネタ元はAにして欲しい。
唯でさえ、ネタを提供するマシーンと化して来ている子ニュースにも日の目を当ててもらいたい。
ちょっと書きましたが、「AとBがCの巡回サイトに入っている」「ネタ元AだとBに記されている事をC知っている」
が、絶対必要条件なので注意。それ意識せずに読むと偉そうな事書いてるだけだと捉えられるので。
2002/03/22 (金) 戯言(AbsoluteSphere)
2002年6月29日、『Crimson Fairytale』が書いた「たった1行のネタだって、それを見つけてきた「功労者」がいるんデスよ。」は『俺ニュース』に載ったことで大いに話題となった(*4B)。
俺は文章力は人並みだが、 その分「面白いネタを拾ってくる」のには、 拘りを持ってサイトを作っている(ツモリ)。
俺が好きなのは、既出のネタではなく、「まだ他で出ていないようなネタ」。 その為に、動きがありそうなサイトはWWWCの更新チェックに入れ、 ジョジョとゲームネタなら2chのスレも追っかける。 そしてエコールや最近のゲームだとか、 TVや雑誌で見かけた事とか、 何かをキッカケに偶然興味を持った話題(例えば日本のゲームCMサイトを見て、海の向こうじゃどうなんだ?とか)など、何かキッカケがあれば、 Googleやリンクを辿って、ネタを探したり掘り下げたりする。
それはハッキリ言って面倒な事だし、 面白いネタなんてそうそう見つかるモンでもない。が、 運良く「これはッ!」という恰好のネタにブチ当たると、それまでの手間なんて 簡単にブッ飛んで、あとはネタを俺なりに面白くして書いてやるだけだ。
それから半日と経たず、それがニュースサイトなどで拾われている事がある。
拾われる、それは全然嬉しい事で、「あ、やっぱ面白いネタだったんだ」という確認にもなる。 リファを辿って、そのネタに付けられたコメントを見るのも、実は結構楽しい。 だが、正直あんまり嬉しくないパターンもある。
ウチでしか見つけてない(見つけそうにない)ネタなら、 自然と「情報元:Crimson Fairytale」と書いてくれるサイトが殆どなのだが、 2次的に拾われてきた場合に、ウチではなく後者をネタ元に変えられたり、 ネタ元の表記自体をされずに拾われる事も度々あって、 一旦そうなると、それ以後 「Crimson Fairytale」という名前は、 簡単に失われてしまう。
こんな事が月に2度3度もあると、ディ・モールト(非常に)ガックリ来る。
理由その1、「ネタを見つけてくる事が、馬鹿で無駄な行為に思えてしまう」。 せっかく色々手間裂いてネタを見つけたというのに、 いとも簡単にかっさらわれ、しかも自分の知らない所でどんどん盛り上がってるのを見て、 それで「さー! 張り切って次の面白ネタ探しちゃうもんねー!」なんて素直に思えない。 逆に、「あんたらの為に面倒臭ぇ思いしてネタ探してきたんじゃあねーんだよッ!」 と、そのネタに掛けた苦労に比例して、ドス黒い気分が吹き出して、 そして「俺のネタはアンタらのサイトの『パーツの1つ』なのか?」という想いが ズシリと首をもたげてくる。
理由その2、「サイトの個性・独自性まで持って行かれた気分になる」。 ニュースにしろ日記にしろ何にしろ、 「どんな話題をどんな風に扱うか」が、サイトの個性なんだと思う。 例えばウチならエコールやデスクリムゾンのネタとか、最近はジョジョや漫画ネタも。 でも、そんな「ネタ=個性」が、 ネタ元もあやふやに流出して行ってしまうと、 何だか俺のサイトの独自性まで取り流された気になる。 しかも大きい所にソレをやられると、自分が見つけてきたネタなのに、 下手すりゃ俺の方が「こいつネタ元書いてないぞ」とか思われるかもしれない(考えすぎ?)。
…と、ここで一旦断っておくが、 俺は別に「ネタ元を書かずにリンクするのが絶対許せねぇ!」と 言いたいのでは無いデス。 所詮はリンク1つなんだから、どう扱おうとそのサイトの自由だし、 大体わざわざネタ元なんて書いても、サイト運営者からは手間が増えるだけ、 見る側からすればどうでも良い事なのは重々承知。
でも、そこが『ネタ元としてよく扱われる、ある程度規模のあるサイト』なら話は別なんじゃあないか? そんな所がネタ元も書かずにリンクして、その結果、 あちこちでネタに加えて「ネタ元:○○」と書かれているのを見る。 大手の孫引きサイトが、2次引用しただけのサイトをネタ元と書けば、 そこが他のサイトに「ネタ元」として重宝される。 体よくパシらされた形の「本当のネタ元」が、それを喜ぶハズなど無いのに。 ニュースサイトに限らず、日記でも雑記でも、そこが「他からネタ元にされやすい、そこを中心に『ネタ』が引用されていくようなサイト」なら、 「このネタを持ってきたのはココだ」と、明確に記して欲しいと、俺は思う。 ネタ元自体を書かないパターンだと、そんな証拠なんて何処にも無いけど、普通分かるもんデスよ。
「ニュース(ネタ)のURLとネタを作ったサイトのトップページURLと情報元を記載」は少数派である。 個人ニュースサイトからリンクされたサイトは一時的にアクセス数が上がるものの、それは本当に一次的なものに過ぎない。 「この個人ニュースサイトはいいネタを紹介している」という事で個人ニュースサイトのアクセス数が上がっても、 ネタを作ったサイト(イラストサイトなら絵を描いた、レビューサイトならレビューを書いた、評論サイトなら評論を書いた、etc...) へのリターンが少ない。だからネタを作った側からは「自分の苦労が個人ニュースサイトにいいように利用されている」と感じてしまう。 特にイラストサイトからはそういった意見が目立った。 イラストサイトの場合は.jpgに直接リンクを貼られて、サイトのアクセス数や知名度向上には全く繋がらないケースがあった為である。 そこで、ネタがあるページへのリンクだけではなく、ネタを作ったサイトのトップページにもリンクを貼るという事。 これはネタを作ったサイトを育てるという事である。 ただしこのリンク方法は流行らなかった。
情報元表記の方法は個人ニュースサイト永遠のテーマであり、 『2ちゃんねる』の「ネットwatch」掲示板にある「ニュース系サイト総合ヲチ」スレッドでは幾度となく議論が繰り返された(*4C)。
*4A:「情報源明記:個人ニュースサイトから伝わる美しいウェブ作法」
*4B:私が纏めたもの⇒「2002年にあった個人ニュースサイトのネタ元表記に関する議論」
*4C:一例として私が纏めたもの⇒「「ニュース系サイト総合ヲチ」スレにおける、個人ニュースサイトのネタ元表記に関する議論」
◆個人ニュースサイトによる波状アクセスの実例
個人ニュースサイトからリンクされたサイトは一気にアクセス数が増える。 然も個人ニュースサイトの特徴として、一つのサイトからリンクをもらうと、 次から次と別の個人ニュースサイトからもリンクされていく。 これを「波状アクセス(アクセス津波)」と言っていたが、実際何の様な感じなのかを書き残しておく為に、 過去に私のサイトで波状アクセスにあったときの数字を公開する。
・計測対象ページ:『WebsiteMAP βVersion』 の「インターネットの歴史年表」(現在の個人サイトが多めなインターネットの歴史年表 )
・対象URL:http://websitemap.michikusa.jp/webhistory.html
・対象期間:2006年10月26日~11月3日
・アクセス解析ツール:『xrea』の「AccessAnalyzer」
・アクセス津波前の状況
『WebsiteMAP βVersion』(現:佐倉葉ウェブ文化研究室) はラグナロクオンライン関連のサイト『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』から派生する形で2006年7月31日に開設。
当時は『ラグナロクオンラフフフフフフフフ』からの固定リンクと『RAGNAROK Square』からの固定リンク、開設時に『ラグナロク☆ねっとわーく』からの御祝儀リンクをもらったのみ。アクセス数は一日1桁台で推移。
上記ページは2006年10月26日に『駄文にゅうす』からリンクされた事により、波状アクセスが起きた。
下記表はその時のリンク元サイトとそこから来たアクセス数の日別推移である。
図のほうは情報がどのように伝達されたかを表したものである(先述した「リンク作法」によって、それが分かる)。
*各日とも各サイトから一日10以上のアクセスがあったものを記録(9以下は記録に残していなかった為)
ちなみに表に載っていない11月4日以降(11月4日以降は日次アクセス数を保存していなかった為)もリンクはされ続けており、表に載っていない有名サイトとしては『情報屋さん。』からは1310アクセス、『エルエル』からは1073アクセス、『変人窟』からは868アクセス、『おもトピ!』からは584アクセス、
『TargetCapture』からは461アクセス、『活動漫画館』からは310アクセス、『まなめはうす』からは170アクセスであった。
『駄文にゅうす』のリンクから数日かけてこれだけのサイトからリンクされるようになった。
波状アクセスが終わってからのアクセス数は一日数十から2百程度を推移していたと記憶している。
そして、『WebsiteMAP βVersion』の開設からアクセス津波まで3ヶ月もかかっている事は個人ニュースサイトの能力的な限界を示している。
*補足:『デジモノに埋もれる日々』にも波状アクセスの実例がある⇒「実録! 個人ニュースサイトが織り成す「華麗なる波状アクセス」一部始終」「実録!「華麗なる波状アクセス」パート2 - 直下集中型連鎖」。 同じサイトからでも『WebsiteMAP βVersion』の時とは数字の大きさが全然違ったり、また、波状アクセスにも「さみだれ型」と「直下集中型」の2種があるのではと指摘している。
◆○○デー
1999年10月24日、みんなでサイトのデザインを『ムーノーローカル』にしようという企画「ムーノーデー」が行われた。
『カルトブックマーク』『御茶御茶そふと』『TECHSIDE』『Kawakawa-19 旬』『ほんわかキリン本店』『ポケットニュース』等、20近いサイトが参加。
当時の『ムーノーローカル』の人気ぶりがわかる。この後もムーノーローカルのカウンタが切り番になったタイミングで数回行われた。
この「ムーノーデー」は対象サイトを変えて行われるようになった。
それが2月14日の『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』開設日にあわせて行われる「ちゆデー」、 5月31日の『俺ニュース』閉鎖日に合わせて行われる「俺ニュデー」。
『ちゆ12歳』は沢山の量産型VNI達を生み出し、『俺ニュース』も沢山の孫ニュースサイトを生み出した。
『ムーノーローカル』『ちゆ12歳』『俺ニュース』と、3サイト共通して言えることはカリスマ的な人気を持つという事であり、
その様なサイトだからこそ○○デーが開催されるようになった。
サイトの構成がまだ原始的で、サイト管理人がHTMLエディタから手打ちで書いていた時代。特にちゆフォーマットを使った量産型VNIの場合は色の指定を変えるだけで済む。そんな時代だからこそ出来た企画だった。
昔、「ちゆ12歳」というサイトがありました。もちろん、今もあります。
2001年2月14日に生まれたサイトですので、ヨシミ22歳をひっくるめた周囲の皆さんが、ちゆ12歳さんのデザインを借用して、「ちゆデー」と称した催し物をするということもありました。2月14日に。
昔は、HTMLが手打ち! スタイルシートも手打ち! …という感じでしたので、デザインの借用が非常に楽だったのですよね。
その後、ヨシミ22歳は2009年に全面的にブログに移行するのですが、ちゆデーを行うことが不可能となりました。スタイルシートを上手く書き換えられない、という関係上、です。
一方、ちゆ12歳さんも「文字色の選択」というものが可能になり、実質的にデザインをカスタマイズすることが可能になりました。デフォルトだとピンクなのですけれどもね。
そのような感じで、HTMLからスタイルシートへ、ブログへ、という感じで、簡単にデザインをいじることができなくなり、ちゆデーは下火になった、というふうに把握しております。
ちゆデーの例
普段の『バーチャルマザーマーメイド・晴子28歳』と、ちゆデー時の『バーチャルマザーマーメイド・晴子28歳』。
俺ニュデーの例
普段の『自動ニュース作成G』と、俺ニュデー時の『自動ニュース作成G』。
4.評論
インターネットで世界が繋がる、インターネットによって、身分や財産・権力の大小に関係なく世界の一人一人が自由に情報を発信し、そして受けとる事が出来る。 90年代によく云われていたこの言葉は、それはその通りなのだが壁も有って、多くの場合に言葉の壁が立ちはだかる。 その為、海外のニュースを日本語で紹介するサイトに人気が出るのは必然であり、その様なサイトは個人ニュースサイトの基本形であった。
ブロードバンドがまだ普及しておらず、検索エンジンの性能・精度がまだ低かった90年代。 アングラ等、需要がありながらも商業サイトでは扱えないネタが沢山あった時代。 ウェブ上を巡回し情報捜索・取得を肩代わりしてくれる個人ニュースサイトは確かに有り難い存在であった。 又、当時はウェブに娯楽が少なかった。個人ニュースサイトはネタに対し感想コメントを付ける為、その感想コメントが面白ければ、それ自体が娯楽になった。 そして、同じニュースに対し、「他の人達はどう思っているのか」というのを個人ニュースサイトを巡回していく事で確認出来た。 今だとTwitter等で簡単に分かる事だが、当時はその様なものがなかった。 00年代になり、ブロードバンドが普及し検索エンジンの性能は著しく向上したが、 それでも個人ニュースサイトの需要は無くならなかった。 ウェブの世界が広がっていくと共に、広がった世界を取り上げるニュースサイトが必要。 それは商業サイトでは賄えない部分多々有り。個人ニュースサイトの活躍の場は広がる一方だった。
個人ニュースサイトは”ウェブ上の時代を映す鏡”だった。 ウェブにアングラの匂いが強かった時代はアングラ系個人ニュースサイト、テキストサイトブームのときは…FLASH黄金時代のときは…、 その時期にウェブで人気のあった分野に対応する個人ニュースサイトができた。 ネット文化は商業サイトの守備範囲外である事が多く、そもそも題材的に商業では取扱えないものも少なくなかった。 その様な時こそ個人ニュースサイトの出番。個人サイト群がネット世界の中心にいた時代。個人サイトがネット文化を生みだし、それを個人サイトが拡散していく。そんな時代。
個人ニュースサイトが数多く作られた。その理由の一つとして、システム的に完成度が高く、属人性が低かった事にある。 ウェブ巡回の肩代わりであれば個人の特殊能力をそれ程必要とせず、時間と体力の勝負。力技で運営が可能。 自力でネタ発掘をしていた子ニュースサイトは未だしも、孫ニュースサイトは尚更特殊能力を必要としなかった。 同時期に流行っていたテキストサイトとの比較で、個人ニュースサイトの方がより文章力の必要性低く、 特に羅列型個人ニュースサイトは定期的に発生するニュースの紹介とそれに対する一行コメントのみで更新することも可能。 だからこそ、「個人ニュースサイトの更新作業は単純作業」といわれるようになったし、 論より証拠、特殊能力を必要としないからこそ大量のサイトが発生した。 然し、大量のサイトが発生したという事は競争相手が多いという事である。 その中から抜け出して中堅・大手サイトに伸し上がるには、結局のところ何かしらの特殊能力が必要となってしまうというジレンマを生んだ。
個人ニュースサイトの運営には大仰に情報収集能力が必要と言っている人有って、 無論高い情報収集能力を持つサイト管理人もいるにはいたが極少数にとどまった。 熟々惟るに、「情報収集能力が必要」という言葉は、どちらかといえば個人ニュースサイト管理人が自分達を慰める為の言葉と思え、 或いは大手個人ニュースサイト管理人が、自分を大きく見せ、自分への支持を集める為に使う事もあったように見える。それは知恵者らしい振舞いだった。
先行者利益の大きな世界故に、「先発サイトがいつまでも居座っているから、後発サイトが上がってこれない」という意見が出るのは必定。 ただ、「後発サイトが不利」という点については個人ニュースサイト界だけの話ではない事には注意したい。同時期に同様の話がテキストサイト界にも有り。 そして、有効な手段は結局無かった。
個人ニュースサイトを持つという事がコミュニケーション手段にもなった。オフ会への参加は勿論の事、 サイト同士がお互いに巡回し合いリンクしあった。オフ会に出ずとも、サイト運営自体がコミュニケーション手段になった。 それは、大手サイトになるという野心を捨ててしまえば、弱小サイトもコミュニケーションを楽しむ場とし機能する事を示している。 弱小サイトを運営し続ける事にありがちな、「サイトを運営し続けてて何の意味があるのか」という悩みをある程度は封じる力があった。 これは、さんざめく個人ニュースサイト界の大きな大きな強みであった。 この事から、サイトが大量発生したのはテキストサイトブームと同じだが、個人ニュースサイトの場合はシステムとしての優秀さに支えられ、直ぐにブームが過ぎ去るという事は無かった。 そしてそれは本末転倒な事でもあった。サイトを運営するに当たり、 情報収集の為にコミュニケーションが必要であった筈が、コミュニケーションの為にサイト運営が必要となっていったのである。 本来、個人ニュースサイトとは、あるジャンルのサイト群内に於て、その中の情報収集役・情報拡散役として存在するものである。 それが個人ニュースサイト界という言葉が出来、個人ニュースサイト論というものが出てきた事が、 個人ニュースサイト運営のコミュニケーション手段化を示している。
2007年以降、『Twitter』等のSNSが個人ニュースサイト界に与えた影響は余りにも大きかった。 サイトの更新停止が連鎖的に続いた。 「やる気が無くなった」とか「リアル環境が変わった」とか理由付けは色々有るも、多くは結局『Twitter』では呟いているのである。 つまり、個人ニュースサイトの多くは、厳しい言い方をすると『Twitter』での呟きで簡単に代用出来る程度の物であったともいえた。 勿論そうではないものもある。サイトを閉鎖させて、活動は『Twitter』に変えても、ある分野に対してのニュースを継続的に追いかけ、呟き、宣伝・情報拡散に勤しむ者も存在する。 これはサイトから『Twitter』に変わったというだけであって、本質的には何も変わらない。その様な人は根っからの個人ニュースサイト管理人であったといえる。
2010年代後半になっても個人ニュースサイトで生き残っているものは、本気を出して商業化したり、ある程度のマネタイズが出来ていたり、 真の意味で情報収集能力を持って商業サイトでは不可能な分野を押さえていたり、 何かしらの知識・実力有ってサイトの方向性変更が成功した者であった。 又、単純に巡回してURLを集めて公開する事が好きな人が続けている場合もあるが、それは好きな事自体が特殊能力といえる。 従ってSNSの時代になってからこそ、みんながニュース発信者の時代になってからこそ、 個人ニュースサイトの管理人は情報収集役・情報拡散役としての真の能力を試された、といえるのかもしれない。
個人ニュースサイトは、初期は情報収集役・情報拡散役であった。ブロードバンド普及以降はネット上にある情報が極めて大量になるにつれ、情報選別役、現代の言葉で謂う所のキュレーション役の側面が強くなった。 しかし、月日過ぎ去りしと共に初期の思想は忘れ去られ。サイトが増えるにつれコミュニケーション手段としての個人ニュースサイト運営という側面が強くなった。 そして、コミュニケーション手段であったからこそ、SNSで簡単に置き換わった。その様な状況に於いても更新し続けるサイト、即ち、 90年代~00年代に開設した個人ニュースサイトの内、10年代になり個人ニュースサイトが次々の閉鎖・更新停止していく中で、それでも更新し続けるサイトは真の個人ニュースサイトである。大いに評価したい。
更に年月が経っても、個人運営のニュースサイトは無くなる訳ではなく、ウェブに新ジャンルが生まれる度、一定の需要は発生する。 その為、これからも新規サイトは発生していく。しかし、それは「個人ニュースサイト界」のような個人ニュースサイト間大規模コミュニティを発生させるものではなく、 あるジャンル・界隈のサイト群内に於て、情報収集役・情報拡散役の一つとして存在する事になる。
之即ち原点回帰也。個人運営のニュースサイトは20年かけて本来の姿に戻ったのかもしれない。
参考文献
数が膨大な為、ここでは一つ一つを記載をせず。代わりとして後年の事も考えて『個人ニュースサイト論リンク集』を作成した。このリンク集に載っている200以上のページ全てが参考文献である。
[ウェブ]Sakuraba『個人ニュースサイト論リンク集』 佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書、2018年
このリンク集は下記の個人ニュースサイト論リンク集がベースである。謝辞として記す。
[ウェブ]冬夜 『電脳製作図書館』 荒廃の歌、2003年
[ウェブ]gazo 『個人ニュースサイト論簡易まとめ』 ugNews.net、2007年
[ウェブ]きをふし 『個人Webサイト文化研究特集』 黒板ぽ、2004年
[ウェブ]nikutetu 『はてなブックマーク - 個人ニュースサイトに関するnikutetuのブックマーク』 @nikutyせかんど
その他特筆すべき物
[ウェブ]『Parallels2』、2007年
[書籍・ウェブ]iNTERNET magazine編集部 「iNTERNET magazine」1994年10月創刊号から1996年12月号まで、インプレス 1994~1996年 バックナンバーアーカイブ有り⇒『インターネットマガジン バックナンバーアーカイブ』
[ウェブ]古田雄介 『古田雄介の“顔の見えるインターネット”』 ASCII.jp、2011年
[書籍]ミルト他 「ニュースサイト読本」 むんくろ(同人サークル)、2007年
[ウェブ]香陸、セミマル 『Saturday evenings::Activica.』、2007~2009年
[書籍]ばるぼら 「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」 翔泳社、2005年
[書籍]Net Travellers' Tribune 「ネット・トラヴェラーズ'95」 翔泳社、1995年
[書籍]田口和裕、堀越英美、ばるぼら、sawadaspecial 「ウェブログ入門」 翔泳社、2003年