テキストサイトの歴史

2010年2月19日公開、2021年10月2日更新

▼目次
■1.序文
■2.1995年~1996年 テキストサイト発生前夜
 ◆雑文サイトの登場、◆『ReadMe!JAPAN』の開設
■3.1997年~1998年 原始テキストサイトの誕生
 ◆ゲーム論評サイトが人気に、◆コジャレ系、◆雑文祭の開催、◆『ホソキンズ ルゥム』によるサイト批評開始
■4.1999年~2000年 テキストサイトの形、出来上がる
 ◆『ろじっくぱらだいす』の登場と痛い系の活況 ―ゲーム論評サイトの系譜―、◆ライト日記系 ―コジャレ系の系譜―、◆テキスレ立つ
■5.2001年 テキストサイトブーム
 ◆『侍魂』の登場、◆『ちゆ12歳』の登場(VNI系)、◆テキストサイトブーム ―テキストサイトの活況と模倣サイトの大量発生―、◆アクセス至上主義 ―形を変えつつもテキストサイトブーム期からSNSの時代まで続く奇病― 、◆『斬鉄剣』vs『無題』、◆アクセスアップ論・テキストサイト論の流行、◆娘。系テキストサイト
■6.2002年 脳死、猛威を振るう
 ◆重要サイトの閉鎖・更新停止による活力の低下、◆脳死とテキスト系テキストサイト、◆サイト批評サイトの登場と挫折、◆『ろじっくぱらだいす』による「ろじぱら式Web投げ銭」の提案、◆「テキストサイト大全」の発売、◆ROVNIの登場とVNI界の失速
■7.2003年 ブームの終了
 ◆『テキッ娘。』の挫折、◆『ダークマター』の更新停止と後継を狙ったサイト達、◆衰退への意識
■8.2004年~2008年 成熟期
 ◆ネットウォッチ掲示板の変質、◆イベントの開催、◆『オモコロ』の登場、◆『ReadMe!JAPAN』の閉鎖
■9.2009年~2016年 過去の物として語られるテキストサイト
 ◆遅れてきたテキストサイト、VIPより来たる、◆過去の物として語られるテキストサイト
■10.テキストサイトの定義
■11.評論
参考文献

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1.序文

 この文は、嘗てウェブで大きな旋風を巻き起こした「テキストサイト」について、2001年~2002年のテキストサイトブーム期を中心にテキストサイト発生前夜からテキストサイトが衰退する迄の出来事を記した物である。 そして、当時数多く書かれたテキストサイト論の集大成でもある。 テキストサイト界はテキストサイトブームといわれる程の大きな流れを引き起こし、ウェブ社会にその存在感を示した。 年月が経ち、テキストサイトが過去の物になっても、嘗て人気になったテキストサイトや人気になったテキストは人々の記憶に残った。

2.1995年~1996年 テキストサイト発生前夜

雑文サイトの登場

 1992年、日本で商用インターネット接続サービスが開始される。
 1994年、個人サイトの祖先となるサイトが発生した。それは大学に在籍する学生の個人ページであった。 当時、個人ページで毎日更新可能なコンテンツといえば日記くらいしか無く、それは「ウェブ日記」と呼ばれ、ウェブ上の数少ない娯楽を担った。
 1995年、電話回線定額制サービス「テレホーダイ」が開始され、「Microsoft Windows 95」が発売された。インターネットに接続するハードルはある程度下げられ、 それまで大学や研究機関に所属する人が多くを占めていたウェブに一般個人が増えていく。 この年は「インターネット元年」と呼ばれた。
 1995年5月18日、豊橋技術科学大学河合研究室の津田優氏は自身のサイト『Masaru Tsuda's Home Page』内に個人サイトの日記リンク集「日記なページのリスト」を作った。これは『日記リンクス』と呼ばれた。 『日記リンクス』は利用者が自分のサイトを新規登録出来る機能、登録されているサイトをランキングで競う機能を実装した。 ランキングという娯楽を提供し人気となった『日記リンクス』を中心にサイト同士が繋がり、一つのコミュニティになった。これは「日記界」と呼ばれた(*2A)。
 さて、ウェブ日記は個人サイトの一コンテンツでしかない訳だし、内容も所詮日記な訳だが、人に読ませる事を前提にした随筆・エッセイを公開するサイトが現れた。これは「雑文サイト」と呼ばれた。 雑文サイトの中心的存在は1995年に開設した『雑文館』である。

 代表的な雑文サイトとして『雑文館』の他に 『ATSUYO’S HOMEPAGE』『みや千代日記』『補陀落通信』『それだけは聞かんとってくれ』『鉄血くだらな帝國』『大西科学』『どーでもいいコトを真剣に考えてみよう』『森で屁をこく』等が挙げられる。 雑文サイトの醍醐味は「ふと、たまたまサイトに立ち寄った人が前提知識無しに読んでも面白いと思えるような、一話で完成された文」であり、ウェブ日記とは一線を画すものであった。 『大西科学』のジャッキー大西氏は2006年、サイトで公開した雑文を元にしたライトノベル「ジョン平とぼくと」を著した。

*2A:詳しくは「登録型ウェブ日記リンク集の動乱」の「『日記リンクス』の開始」を参照。

 まず「雑文館」ありというのは動かせないでしょう。今はなき新屋さんのサイト。ここで雑文の面白さに目覚めた人も多いかと思います。ここは、1996年あたりからの稼働でしたっけ。実際にはその前にパソ通時代というのがあって、新屋さん、おがんさん、みやちょさん、ぽいうさん(当時のハンドルネームはマジン)、といったところがニフティで「いかに面白い文章を書くか」というのに精進していたらしいのです。同じ頃、ニフティの違うフォーラムでは、田口ランディが大口叩いていたんですよね。私が小説を書くなら、このへんを面白おかしく書いてみたいなあ。
 私が「雑文館」をはじめて見たのは、1997年ごろでしたっけ。仕事がらみで検索していて、「がんばれ!ゲイツ君」というパソコンサイトのリンク集から辿っていった「ひまわり戦記」がはじめでした。そこで、「ああ、ネットでもこんな面白い文章を書く人がいるのか」と、新屋さんはじめ、新屋さんのリンク集からどんどんと雑文サイトを追いかけて。
 雑文界の最初は、いまの日記才人の前身である「日記猿人」にある、ということでいいのでしょうか。そのころ日記猿人には、新屋さんはじめ、みやちょさんの「みや千代日記」、うえださんの「補陀落通信」などが存在していました。まあ、この三人が雑文御三家でしょうか。
 御三家に影響されて、雑文を書き始める人が徐々に増えてきました。「それだけは聞かんとってくれ」のkeithさん、「大西科学」のジャッキーさん、「どーでもいいコトを真剣に考えてみよう」のにょしかわさん、あたりが第二世代でしょうか。このへんの人物によって、伝説の第一回雑文祭「ある朝突然に」が開催されたんですよね。あれはびっくりしました。
 このころ、雑文サイトの多くは、リードミーに登録していたのではないかと思います。日記猿人から離れて。ところがそのころから、リードミーの上位がエロサイトとゲーム系ニュースサイトに占拠されてしまったんですよね(そのころはまだネット系ニュースサイトというものはなかった)。そんなわけで雑文サイトの多くはリードミーを離れ、新屋さんがやっていた登録型の「勝手にリンク」、その発展系の「オフィスの友」に参加したのではないかと記憶しています。私のサイトの「オフィスの友海賊版」は文字通りそのパクリです。
 さらにここから派生して、雑文サイトがいっきに増えたのが1998年ごろだったと思います。keithさんの後輩である「森で屁をこく」の louさん、貧乏ミュージシャンが売りだった「破竹の勢い」のいっしょうさん、文章の破綻しかたがすばらしかった「203号室」のやかたさん、などなど。
 むろん、この流れとはあまり関係ないところでも雑文は動いていました。もっとも大きいのは「我が妻との闘争」で有名な呉さんのアミーゴ人脈でしょうか。「MICK WORLD」のMICKさん、「湘南から元気倶楽部」の静炉厳さんなど、こちらも多士済々。独立系では「もんちゃんのKnowみそ」も見逃せません。

くだらな日記(2002年9月)旧鉄血くだらな帝國

『ReadMe!JAPAN』の開設

 1996年7月2日、登録型ウェブ日記リンク集『ReadMe!JAPAN』が開設した。このサイトは「日記リンクス630事件」の最中に開設し、『日記リンクス』の後継を狙ったもの(*2B)。 日記界に含まれるサイトにおいて登録型リンク集に登録する場合は、その多くが『日記リンクス』『日記猿人』(日記才人)になるが、 後に登場するテキストサイト達が登録型リンク集に登録する場合は多くが『ReadMe!JAPAN』へ登録した。『ReadMe!JAPAN』には登録したサイトがアクセス数で競うランキング機能がある。 登録の条件は「読み物であれば何でもOK」であった為、テキストサイトだけでは無く、個人ニュースサイト、ゲーム情報サイトも登録していた。その為、00年代のアクセス数ランキング上位には当時の各分野最大手サイトが立ち並ぶ、 いわば無差別級ランキングといえる状況になった。

*2B:詳しくは「登録型ウェブ日記リンク集の動乱」の「日記リンクス630事件」を参照。

3.1997年~1998年 原始テキストサイトの誕生

主要なサイトの開設年月

1996年7月

『ハイパーノイヅ』

1996年11月

おたくウィークリー』 『SHIFT

1996年?

『ハッピーハッピーうさちゃんまつり'67』 『WORLD 9-1』

1997年1月

『HEY BULLDOG(ホソキンズ ルゥム→)』 『ヒラリーマン随筆日記

1997年2月

糞藝研究所

1997年3月

『ono*8』

1997年6月

『コヨーテ(ペヤンゲ→)』 『04』 『テキスト王(工藤圭のなかなか楽しいページ→)』

1997年8月

『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』 『ウガニク』 『ヤングオデオン

1997年10月

outdex

1997年11月

俺とパンダ2俺とパンダ俺とパン工場→)』 『湘南 から元気倶楽部

1997年?

クリアラバーソウル(kicking noise kooky→)』

1998年3月

『A_prompt.』 『A → Z』

1998年5月

『山本総翼右ムェゲ』 『Acid overdrive』 『HEXAGON』 『オトノチカラ

1998年6月

『カクエガク』 『狂いキノコ』

1998年8月

『おとなランチ』

1998年9月

兄貴の館』 『偽黒武堂の三国志探訪

1998年10月

ぴこていこく大(仮名)帝国→)』 『偽黒武堂の三国志探訪』 『G-LABO

1998年11月

『絶望の世界』

1998年12月

無題

1998年?

『S*e』

ゲーム論評サイトが人気に

 テキストサイトの起源を語ると『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の名が出てくる。 だがその前に、紙媒体の2つの連載に触れなければならない。
 1995年、「ゲーム批評」の1995年9月号において、がっぷ獅子丸氏の「悪趣味ゲーム紀行」が始まる。 悪趣味ゲーム紀行は名作ではなく変なゲームに対し、非常にぶっちゃけた批評を行い人気になった。 1996年7月、「ユーズドゲームズ」創刊。そして白川嘘一郎氏の「バカゲー専科」が連載開始。 1996年11月、岡田斗司夫氏が編集長のウェブマガジン『おたくウィークリー』が始まる。 この「交錯するオタク情報を初心者からディープなユーザーにまで届けする、オンライン週刊誌」の プレ創刊3号(1997年1月)から始まったクソゲー論評が阿部広樹氏の「俺はくそゲーハンターだヨ!」。 更に阿部氏はクソゲー論評本「超クソゲー」を著し、自らのサイト『A.prompt』を立ち上げた。

 この『A_prompt.』はDOSプロンプトのような黒背景に、文章の所々でフォントの色・サイズ変える特徴的な文体を用いていた。 これは「ABC体」(ABC文体、ABC文調、ABC文法)と呼ばれ、この文体が後の「フォント弄り」となっていく。 そしてクソゲー論評で大人気となったもう一つのサイトが『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』であった。

 この頃のゲーム論評サイトとしては『A_prompt.』『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の他に、 『パワートダイ(のゲーム業界残酷物語)』『糞藝研究所』『山本総翼右ムェゲ』『兄貴の館』『神聖バカゲー騎士団』『execute &h0000』『VULTURE’S HEAVEN』『LOGIC&MATRIX』等が挙げられる(*3A)。 又、ゲーム論評サイトが中心となって、各自で書いたクソゲー論評を競う「クソゲー竜王戦」が開催された。

*3A: クソゲー文章に関しては『デスクリムゾンリンク集 ~せっかくだから俺はこのリンクを選ぶぜ~』も参考になる。

強弱を表現するためのフォント弄り

 フォント弄りとはどのようなものかを文で説明する前に、実際の物を見てもらうほうが分かりやすい為、引用する。

3月 6日
 ちょっと暇になってきたので、前から作れ作れと言われていたホームページを作成する事にした。
 日記を毎日つける事により文章能力の向上を図り、いずれはコラムニストとして大成しウハウハの人生を歩もうとか、この日記を読んで感動した超大手ゲーム会社の社長が是非役員待遇で我が社にとスカウトに来るのを


「いや、御社にはY岡という男が勤務していますので辞退します」

等といってかっこよく断る自分の姿を妄想して悦に入りつつ作成開始・・・・・・。
 結果、ホームページ作成はめんどくせぇということを学習する羽目になった。ひとつ勉強になった。 というわけで、皆さんよろしく

Diary 98年 3月A_PROMPT(復刻版)

 上記引用は『A_prompt.』が開設して一発目の日記である。黒背景に基本白文字だが、強調したいところを白以外の色にし、さらに拡大している。 このようにして、文章に強弱をつける技法がフォント弄りである。 黒背景にメッセージは白あるいは緑、重要なメッセージは目立つ色にするというのはコンピュータの世界では昔から行われていた事であり(所謂「高輝度メッセージ」)、 それを個人サイトの日記に応用する事もインターネット初期から行われていたが、一気に広めたのは 阿部氏(クソゲーハンターABC)であることから「ABC体」「ABC文体」「ABC文調」「ABC文法」と呼ばれた。

 実はいまABC系とか言われているHTML操作系日記は、俺がいきなり発明したもんではありません。
 文体としては、東海林さだおや戦前の講談なんかから脈々と続き、70年代から80年代に入って宝島なんかで一気に整備され、その後ログインで爆発して他のゲーム系雑誌のバカ記事の原型へと発展していった文章漫談そのものです。
 それに、他のサイトでぼちぼち使われはじめていた文字強調や色替えなんかを取り入れたにすぎません。

Diary 99年 4月A_PROMPT(復刻版)

コジャレ系

 1997年~1998年の文章サイトでは、特に人気があったジャンルとして先のゲーム論評の他にもう一つあった。 それは「コジャレ系」と呼ばれるものである。 コジャレ系サイトの大きな特徴は2つ、それは「デザイン」と「サブカル(オタク)」になる。

コジャレ系 :無理に要約すれば「文章やデザインがちょっと洒落ているサイト」。特徴としては、フォントが小さい・HNがカタカナ・BBSがライトデザインなどといったあたり。現在のライト系につながる。

テキスト系用語集 か行esquisse

 ちなみに、私がサイトをつくって作文するようになったのは1999年4月ごろのことであり、それからたかだか2年と少しの歳月が経っただけである。にもかかわらず、その短期間で周囲をとりまく環境は確実に変化している。
 当時は「コジャレ系」と呼ばれるサイトの全盛期であったように思う。カタカナのサイト名、入り口としての役割しか果たさないindexページ、原色を否定した色づかい、やや小さめのフォントサイズ、オタク風サブカルチャーによる味付け、日常性ではなく思想性を打ち出した日記――そういった特徴を持つコジャレ系サイトは、個人テキストサイト界隈を席巻していた感があった。

エレメモ(エレメンタルノート

コジャレ系というのは当時のインターネットでよく使われた表現であり、同時に非常に定義が曖昧な表現でもあった。僕の持論は、当時から最先端のデザインを追求していたウェブマガジン「SHIFT」がまずあり、その元スタッフによる個人サイト「world9-1」のデザインに影響を受けたサイト群がコジャレ系であるというものだ。ただ、そのうち「コジャレ系のサイトとリンクしているサイトがコジャレ系」というネットワーク説が強くなってくる。こうなってくると初期の定義はもうグダグダだ。コジャレ系はなぜか東京、名古屋、福岡が熱かったという不思議な地理性があったことも付け加えておこう。

ネット幸福論 第十三回(MouRa)

 コジャレ系サイトの発生を語るには、まず『SHIFT』というサイトを説明しなければならない。『SHIFT』は1996年11月に創刊した「e-zine(電子雑誌)」である。 コンテンツはサイトの紹介であり、 「ART(担当:Chibashi氏)」「FASHION(担当:Z.A.K.氏)」「MUSIC(担当:Kyota Hamaya氏)」「X-girl(担当:AKO氏)」 「OTAKU(担当:Tomotaka Nagata氏)」「OTHER COOL JP(担当:Takehito Oguchi氏)」「WORLD(担当:Satoru Tanno氏)」とジャンル分けし、それぞれ担当が探してきた お勧めサイトを紹介するというものであった。

"ABOUT SHIFT"

 SHIFTは、日本のウェブカルチャーを、日本のネットサーファーはもちろん、バイリンガルで紹介するオンラインマガジンです。 月1の更新で、日本のクールサイトをジャンル別に35サイト、世界のサイトを5つ紹介していきます。
 大型のサーチシステムでは、サーチしきれないようなサイトをフォローするべく、個人で情報を発信するサイトの水路として機能してくことと、日本のリアルなカルチャーを紹介するのが目的であり、それがSHIFTの目指すところです。

About SHIFT(SHIFT)

 当時はエヴァンゲリオンが社会現象になっており、『SHIFT』でも「vol4(1997年3月)」にてエヴァンゲリオン特集が組まれた。 ここで「加熱するエヴァ人気を体感するために、嘘エヴァページをでっちあげているサイトある」として紹介されたのが、当時カウンターがまだ800しか回ってなかった『ハイパーノイヅ』。 この後『ハイパーノイヅ』は「新世紀エヴァンイミダス」が雑誌で取り上げられ、2ヵ月後にはカウンターが10000を突破するのだが『SHIFT』で紹介された時はまだ弱小サイトであった。
 洒落たデザインである『SHIFT』でサブカル(オタク)のサイトが紹介され、やがて洒落たデザインとサブカル(オタク)が結びついたコジャレ系サイトが現れた。 『ハイパーノイヅ』の他に『SHIFT』に取り上げられたサイトとしては『outdex』『ペヤンゲ』『ヤングオデオン』等が挙げられる。
 数多くのサイトを紹介してきた『SHIFT』、そのうち「OTAKU」を担当していた永田氏のサイトが『WORLD 9-1』である。 『SHIFT』『WORLD 9-1』『ヤングオデオン』、そしてデザイナーであるオシモト氏の『04』、 これらのサイトは現在の視点で見ても洒落たデザインであり、多くのコジャレ系サイトの参考となった。 そのうち「コジャレ系のサイトとリンクしているサイトがコジャレ系」というネットワーク説が強くなり、 例えば『ウガニク』のような洒落たデザインではないサイトもコジャレ系と呼ばれるようになっていく(デザインとしてのコジャレ系から派閥としてのコジャレ系へ)。
 コジャレ系サイトとしては先に挙げた『WORLD 9-1』『outdex』『ペヤンゲ』『ヤングオデオン』『ウガニク』の他に 『クリアラバーソウル』『A → Z』『Acid overdrive』『HEXAGON』『オトノチカラ』『カクエガク』『S*e』等が挙げられる。 その中でも『クリアラバーソウル』の桑島由一氏はライトノベル作家となり、代表作の「神様家族」がアニメ化され、『HEXAGON』のヤマグチノボル氏も同じくライトノベル作家となり、「ゼロの使い魔」がアニメ化された。 大物を輩出したコジャレ系であったが、テキストサイトブームの前にはその多くが姿を消していった。

――そういった特徴を持つコジャレ系サイトは、個人テキストサイト界隈を席巻していた感があった。もっとも、コジャレ系を支えていたのは主に20代前半のウェブマスターたちであり、就職して時間がとれなくなるなど、それぞれの事情によってサイトは閉鎖され、また、コジャレ系の乱立によってマンネリ化が進んだこともあって、現在ではいかにもそれらしいコジャレ系は大部分が姿を消してしまった。

エレメモ(エレメンタルノート

コジャレ系のデザインに影響を与えたサイト

SHIFT

04

ヤングオデオン

雑文祭の開催

 1998年8月3日、雑文界で「雑文祭」が開催される。 まず、お題を決める。それに沿った文をみんなで創作し、みんなで鑑賞しようという試み。『雑文館』が企画した。
 第一回の雑文祭りでは下記の縛りの中で参加者は文章を創作した。
  * タイトル:「ある朝突然に」
  * 書き出し:「そういう場面に出くわすとは、考えたことさえ無かった。」
  * 結び:「あまり考えたくはない話である。」
  * お題:「小さな貧血大きなお世話」
 この企画は好評で、雑文祭は雑文界の一大イベントとして 2010年の第十回まで行われた。

 始まりは新屋さんからのメールでした。「こういう企画を考えているの だが、参加しないか?」という内容のメールです。これは、私を含む五人 に同報で送られていたと記憶しています。主旨としては、「いつも読んで いる複数のページで、ある朝突然に、同じタイトル・同じ書き出し・同じ ダジャレ等を使った雑文が発表されたら読者は驚くだろう」というもので した。
 その後、確かキースさんに「秘密の掲示板」を作ってもらい、そこで、 タイトルはどうするか、お題はどうするか、等を六人で相談していました。
 で、1998年8月2日に六人一斉に発表、目論見どおり読者は驚いてくれた、 ということです。

雑文祭について議論する掲示板のログ雑文祭書庫

『ホソキンズ ルゥム』によるサイト批評開始

 テキストサイトが登録型ウェブ日記リンク集に登録する場合、『ReadMe!JAPAN』に登録する事が多い。 この『ReadMe!JAPAN』に登録したサイトへの批評を行っていたサイトが『ホソキンズ ルゥム』(後のHEY BULLDOG)である。 新規登録されたサイトを片っ端から見ていき、一言コメントを付けていくのだが、そのコメントがあまりに強烈。 罵倒ともとれるコメントも多かった。 例えば「つまらない日記がありました。過去の奴も、読んでも読んでも面白くなりません」「涙が出るほどつまらないページ」「19歳男性のかたのページです。写真は猛烈ブザイクです」という具合。 その為、幾つかのアンチサイトが発生した。アンチサイトとしては『キンタマ細田研究KAI』『ヘーイ!テリアとラブラドール』等が挙げられる。 評価が分かれるサイト(*3B)である。

*3B:良い評価としては膨大な『ReadMe!JAPAN』登録サイトを片っ端から見ていった、その功労に対して。 悪い評価としては罵倒に近い批評であったということ。 「レトロ・リンクNO-FUTURE)」の中程に 批評の一部が書いてある。但し、サイトレビューというのは非常に難しいものである事も確かであり(例えば、一時期サイトレビューを行っていた『荒廃の歌』は「レビューを始めてから、あれだけ嫌いだった愛・蔵太さんが尊敬の対象になりました。「あんなん単なる罵倒してるだけの糞じゃねえか」と思っている人は、実際にサイトレビューをしてみましょう。あまりの不毛さに素で泣けます」 と語っていた)、『ホソキンズ ルゥム』をどう評価すべきなのかは悩ましいところ。
*:『ホソキンズ ルゥム』については「登録型ウェブ日記リンク集の動乱」にも記載している⇒「『ReadMe!JAPAN』を語る上で欠かせないサイトがある。それは『HEY BULLDOG』

 インターネットの世界で、知る人ぞ知るページがある。サイト批評としては老舗と言ってもいい「ホソキンズルゥム」というページだ。個人運営のホームページを一刀両断にして、鋭い切り口で辛口批評するのが「売り」で、少し前までは1点から5点の5段階評価による採点結果も公表していた。

 一日に平均1000件の訪問者がある人気サイトである。

 当然のことながら、高い評価を受けたホームページの作者は気分がいいが、最低に近い評価を下された作者は不愉快な気持ちになるだろう。中には、怒り心頭に発して抗議メールを送ってくる人もいる。「無断で他人のページに対して評価を下すのは失礼ではないか」「頼んでもいないのに何の権利があって勝手に紹介するんだ」といった具合である。

 確かにここに掲載される批評は辛口で厳しい。しかし、少なくともこれだけは認識しておかなければならないことがある。インターネットでホームページを公開するというのは、世界中に情報を発信するということなのだ。

 いったんインターネット上でページを公開したら、どこでだれが見ているか分からない。不特定多数の人々に読まれることになる。そして、公開された創作物や著作物はさまざまな批評や評論、評価の対象になるのだ。そうした批評や評論は、原作者の意図とは無関係に、しかも一方的に表現される。著作物を公開するということは、実はそのような「覚悟」を伴うのである。

 公開ということで言えば、「ホソキンズルゥム」の批評対象は、読み物系ページを集めた「ReadMe!」というリンク集に掲載されているページである。このリンク集には、「自分の作ったページをみんなに読んでほしい」と考えるホームページの作者が、自主的に登録申請したものが掲載されている。不特定多数の訪問者に読まれることが前提になっているのだ。仲間内でひっそり楽しんでいるページが批評されているわけではない。

公開するということの「覚悟」~サイト批評ページ/上セカンドインパクト

 「ホソキンズルゥム」の作者は、出版社勤務の愛・蔵太(あいくらた)さんだ。蔵太さんが、このような「サイト批評ページ」を作ったのは、他人のホームページをこき下ろすためではなくて、本来の目的は、面白いホームページがあることを広く紹介したかったからだと言う。

 「面白いサイトがこんなにあるのに、なぜ自分のページよりもアクセスが少ないのだろうとの疑問からですね。もともとは、悪口を言うためのページではありません」

 サイト批評は蔵太さんにしてみれば、玉石混交のホームページの中から「原石を探すための作業」なのだ。

 もちろん、切り口鋭く短い文章でばっさり批評するから、反感を買うこともある。面白くないページに対する蔵太さんの批評は、本質を突いているだけに辛辣(しんらつ)で容赦ない。

 褒められたらうれしいし、けなされれば悔しいと思うのは人間として当たり前の感情だ。しかし、それが事実に基づいた「正当な評論」の範囲内であるなら、世間に公開した著作物についてあれこれと言及されることは、ある程度は覚悟しなければならないだろう。

 「自分のページをみんなに読んでもらいたいけれど、悪口を言われるのは嫌だというのは虫がよすぎる。それに、読んでいる100人が100人とも面白いだろうと思うことがそもそもおかしい。どんなものであっても、必ず何人かは面白くないと感じる人がいるのが普通ですよ」と蔵太さんは話す。

 ただ、一日のアクセスが平均1000件を超えるだけに影響力も大きい。蔵太さんの評価に一喜一憂し、呪縛されてしまう人もいる。他人の目を気にしすぎて、第三者による見方を自分の中で相対化できない人も少なくない。それで、批評されると怒り出す人も出てくる。

 では、批評のためのガイドラインはあるのだろうか。「人を傷つけるのが目的であってはならない。これがサイト批評をする際の基準ですね」。まったくその通りだと僕も思う。評論するには最低限の「愛」が必要なのだ。見ず知らずの他人をただ単にこき下ろし、罵倒して侮辱するだけでは、とても批評や評論などとは言えないだろう。

 もう一つの基準は、身内だけに読んでもらいたいと考えて個人が開いているホームページには決して言及しないことだという。人の家に土足で入って暴れ回るようなことはできないからだ。

 だから、ホームページの作者が、自分自身で登録申請する「ReadMe!」というリンク集に掲載されたページだけを、蔵太さんは批評の対象にしている。

「正当な評論」には愛がある~サイト批評ページ/中セカンドインパクト

4.1999年~2000年 テキストサイトの形、出来上がる

主要なサイトの開設年月

1999年1月

猫を起こさないように』 『ろじっくぱらだいす』 『我思う、故にラーメン』 『たろたま(たろすけのたまご→)』 『ダイアローグ』

1999年2月

一流ホームページ

1999年3月

かメ人間』 『Otearai Web

1999年5月

『appendix』

1999年6月

犬ヨ(犬嫁→)』 『斬鉄剣

1999年8月

装填(N言語→ハピネスガン→)』 『東方千年帝国協会

1999年9月

かまくら』 『NO-FUTURE』 『みんなきてKOIKOI

1999年10月

黄髭児(黄漢升→黄瑠璃→)』 『アジア系』 『if→itself』 『LOGIC&MATRIX』 『コスモクルーズ

1999年11月

エレメンタルノート』 『裏MIZUHAの憂鬱

1999年?

『Line On』

2000年1月

『WEBSITE』

2000年2月

人間道場』 『エキスパートモード

2000年4月

POPOI

2000年7月

ナフ』 『えこのみっくぱらだいす』 『SCREAM*MACHINE(SCREAM*MACHINE→節足動物園→)』

2000年8月

-め組-』 『紐井亭(紐井屋→)』 『ESRP2(エスロピ→)』

2000年9月

ニガシオ

2000年10月

桃色核実験

2000年11月

『ダイラボ』 『九十九式(九十九式→六十六式→)』

2000年12月

『マフラー(現実逃避→)』 『梨華の時間』

2000年?

吉田が巨大な物を作ってますよ

『ろじっくぱらだいす』の登場と痛い系の活況 ―ゲーム論評サイトの系譜―

 1999年1月21日に開設した『ろじっくぱらだいす』は最も成功したテキストサイトといえる。文章のジャンルとしては「お馬鹿ネタ系テキスト」。軽めの文をストレス無く読ませるセンスはこのサイトが一番である。

 自虐ネタが得意であり、本来恋人と一緒にいるクリスマスイブに一人で怒涛のサイト更新をする非モテ系の祭典「クリスマス殲滅委員会」「クリスマス殲滅委員会2000」を行った。 「クリスマス殲滅委員会2000」は参加サイト数が100を超える一大企画となり、その後「クリスマス特別更新」としてテキストサイトブーム後も『ろじっくぱらだいす』の影響を受けたサイト達によって続けられていく。
 そして『ろじっくぱらだいす』と『兄貴の館』を中心とした自虐ネタが得意なサイト群が「痛い系」である。 痛い系サイトでは痛いサイトの王者を決める「痛い度ランキング選手権」「第2回痛い度ランキング選手権」や「リレー801SS「学園天国」」等の企画が行われた。 代表的な痛い系サイトとして『ろじっくぱらだいす』『兄貴の館』の他に、『一流ホームページ』『紐井屋』『裏MIZUHAの憂鬱』『碑文』『全壊スピリッツ』『大(仮名)帝国』『もっと焚木を!』『G-LABO』『えこのみっくぱらだいす』等が挙げられる。
 『えこのみっくぱらだいす』は『ろじっくぱらだいす』の弟分であり、サイト名、サイトデザイン、ハンドルネーム、更新スタイルからネタの傾向まで徹底的に『ろじっくぱらだいす』を模倣したサイトだが、 軽めの文をストレス無く読ませるセンスは確かで、模倣サイトでありながら他の痛い系サイトから実力を認められた存在だった。他に『ろじっくぱらだいす』と形式が近くて、且つ実力があるサイトとして『プラッチック』がある。
 『ろじっくぱらだいす』『一流ホームページ』『プラッチック』はテキストサイトブームが終わってからも長く活躍し続ける。
 痛い系サイトでは『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の影響を受けたと語る者が多い(*4A)。クソゲー論評とは「ダメなゲームを別の視点から見て、面白文章を作成する」事であるが、 この「ゲーム」を「人間」に置き換えてみると、「ダメ人間(である自分)を別の視点から見て、面白文章を作成する」となる。これはまさに痛い系テキストサイトそのもの。 痛い系のサイト群はクソゲー論評の影響を受けているといえる。

*4A:『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の他に『ろじっくぱらだいす』や『侍魂』を挙げてくる場合もあるが、この2つのサイトがそもそも『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の影響を受けている⇒ 「エッケ・ホモ! これがメガヒット級の個人サイトだ」 「テキスタイルポップ//インタビュー#24 ろじっくぱらだいす」 「ASCII.jp:ろじぱらのワタナベさんに聞く、テキストサイトの可能性|古田雄介の“顔の見えるインターネット”」。 実際に「影響を受けたサイト」が解るものとしてはサイトや書籍でのインタビュー記事の他に「テキストサイト管理人に100の質問」というものがあって、この中に「影響を受けたサイトを教えて下さい」「尊敬しているサイトを教えて下さい」 という質問がある。私の方で「現存する「テキストサイト管理人に100の質問」回答リンク集」を作ったので、興味が有る人は見てみるといいだろう。

ライト日記系 ―コジャレ系の系譜―

 「ライト日記系」(*4B)サイトとは、コジャレ系のデザイン傾向を引き継いだサイトの事をいう。 即ち「入り口としての役割しか果たさないindexページ」「原色をなるべく避ける、やわらかい色づかい」「やや小さめのフォントサイズ」等の特徴が確認できる(*4C)サイトである。 他の特徴としては、サイトの開設当初から日記をメインコンテンツにしており、 その中で反響の大きかったものを別枠に切り分ける方式をとっている事が多い。 この方式は後のテキストサイトにおいてもよく使われるようになった。 代表的なサイトとして、『我思う、故にラーメン』『ドリフトウッド』『マフィア』『九十九式』『ナフ』『桃色核実験』等が挙げられる。 『我思う、故にラーメン』は「1月31日の日記のテーマを「ボクの町」で統一しようぜ」という企画を行い。253サイトが参加する大イベントとなった。 又、テキストサイトでは「代打日記」(*4D)がよく行なわれていたが、これを早い段階で行なっていたのもこのサイトである。

*4B:ライト日記系サイトは1999年から現れたが、ライト日記系という呼び方が生まれたのは2001年。 初めは「ライト感覚日記系」という単語であった。単語の提唱者は『偽黒武堂の三国志探訪』のニセクロ氏。 氏によると「日記系概況<2001年度春-秋>」 にて使ったライト感覚日記系という呼称はあくまで仮称であった。 その後『九十九式』の「宇宙時代のテキスト系」においてライト感覚日記系がライト日記系と短縮して書かれ、 「宇宙時代のテキスト系」が『ちゆ12歳』に取り上げられた事でライト日記系という単語が定着したという。 このエントリーのコメント欄を参照⇒「ライト感覚日記系について
*4C:実際にサイトを見てデザインを確認したければ『ハントウメイ』が現存しており、かつ当時の状態がそのまま残っているのでよいだろう。
*4D:主に大手のサイトで行われた企画。管理人が帰省や旅行等で家を留守にしサイトの更新が出来ない際に、他のサイトの管理人による代筆日記を載せるというもの。

テキスレ立つ

 2000年8月27日、『2ちゃんねる』のネットウォッチ掲示板に「■◇◆日記系サイトの裏事情◆◇■」スレッドが立つ。 スレッド名の通り、大手サイトの裏情報を書き込む事が目的のスレッドだったのだが、やがてサイト紹介が主目的となり「おすすめ・非おすすめ日記系サイト」に名称変更。 更に「テキストサイトはここで語れ」に変わり、ここにテキスレが誕生した(*4E)。その他には、あまり知られていない面白いサイトを紹介しあう「中堅テキスレ」や、 サイトごとのヲチスレ(主に脳死関連のサイト)があった。

まず、大手日記サイトの裏事情を語るスレとして「日記系サイトの裏事情」が誕生。第3弾の頃より、あまり有名ではない面白いサイトを紹介するという流れに。そして第4弾から「おすすめ・非おすすめ日記系サイト」と名前を変更。愛・蔵太氏降臨等により、レビューが流行。ただ、マターリ進行であった「裏事情」と比べ、自演や煽り罵倒の横行で荒れ模様気味となる。 第9弾辺りで、対象を日記系だけでなく、読み物系全般に広げようという機運が高まり、名前を「テキストサイトはここで語れ」に変更。多数のレビュアが登場してスレを盛り上げる。基本的に祭りはせずに別スレを立てるため、比較的マターリした展開で、一つの黄金時代を迎えることになる。 ネトヲチ閉鎖、再開を経て、テキスレ第5弾辺りからナフ周辺祭りが開催。それに嫌気の差した住民が各スレに散り、余儀なく縮小されることになる。まよ、信念登場の頃には相当荒れ放題となっていた。その後、話題は大手語りに回帰。反アクセス至上主義色が鮮明になっていく。その後、ニンジャワショイ、1・17事件。金子氏企画の「このテキストサイトがすごい!」支援という流れに。

テキスレ盛衰記(アルヲ)

 後に、テキスレの話題を紹介する「テキストサイト系テキストサイト」が誕生する事になる。

*4E: 調査用に私が歴代テキスレへのリンクを作成しているので、スレの中身を確認したい場合は使うとよい。 但し、完全に消失しており『Wayback Machine』にすら残って無かった物もある⇒ 「テキスレリンク」 「中堅テキスレリンク

5.2001年 テキストサイトブーム

主要なサイトの開設年月

2001年1月

侍魂』 『全壊スピリッツ』

2001年2月

万年筆ト雑キ帳迎賓館裏口→)』 『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳 』 『ミッシェルガンさしすせそ(@さだまさし→d.j.ペリカンマッチ→)』

2001年3月

『てらたま(てらたまテキストサイトニュース→)』 『碑文』 『オレイズム

2001年5月

『堕落誌』

2001年6月

もっと焚木を!』 『僕の見た秩序。

2001年7月

うーさーのその日暮らし(宇佐教授の無駄学研究室→)』 『777's LoopLight'sLoom』 『無情な日常

2001年8月

『BLACK徒然草』 『マクベスの魔女(戦意→デビロットに銃口を→ロックリンゴ!→)』 『- BlackAsh -』 『荒廃の歌』 『

2001年9月

カフェオレ・ライター』 『ちよ74歳』 『プラッチック』 『バーチャルネット一般人無双』 『ウロンのひとりごと

2001年10月

TBN』 『Numeri』 『ケルベロス

2001年11月

バーチャルマザーアイドル・秋子28歳』 『エルエル(ぺんぎんと~く♪→)』 『Wired Explorer』 『駒木博士の社会学講座

2001年12月

『 バーチャルネットアイドル・ブックマーク集『ほかん庫』』 『バーチャル2ちゃんねらー裕子』 『バーチャルネット微生物・みじん子0.3mm』 『ぺてんし(ビンからピクルス→)』 『アルヲメモ(アルヲの独り言→)』 『グチョグチョライフ

『侍魂』の登場

 『侍魂』は2001年1月18日に開設したテキストサイトである。

 『侍魂』が初めに注目を浴びたのは同年2月に公開した「ヒットマン事件簿」であった。ヒットマン事件簿とは『侍魂』の健氏が「家の近くの公衆電話で鉄パイプ持った知らない人から今から殺しに行くと言われた」時の話であり、これが『兄貴の館』で紹介され、話題となった。 ヒットマン事件簿は黒背景に基本白文字だが、所々にフォント拡大&白以外の色を使うという、フォント弄りの文章である。 『侍魂』は『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』でテキストサイトに目覚め、『斬鉄剣』の影響を受け、サイト開設を決意したと語っており、文章からもそれが読み取れる。
 同年3月、『侍魂』は10000ヒット記念としてテキストサイト界に伝説として記録される文を書き上げた。後に「先行者テキスト」の呼ばれたその文とは、 中国のロボット「先行者」を面白おかしく紹介した「最先端ロボット技術」と 閲覧者から送られてきた先行者GIFアニメ(*5A)をネタにした「最先端ロボット技術外伝」である。 最先端ロボット技術・最先端ロボット技術外伝の特徴的な点は改行の使い方にあり、 人によっては一見無駄にも見える改行の連発によって、お笑いでいうところの「間」を作り上げた。 「強弱を表現するためのフォント弄り+間を表現するための改行」これが『侍魂』の文章である。『侍魂』の計算されつくしたテキストは読者の爆笑を誘い、サイトのアクセス数はうなぎ昇り。 全盛期で一日25万アクセス。メールも一日数百来ていたという。2002年10月に通算1億ヒットを達成した。
 この『侍魂』の影響は凄まじく、フォント弄りを使うテキストサイトが大量発生した。

*5A:先行者が股間からビームを撃つGIFアニメを制作した人は後にアメリカへ渡り俳優となった⇒「先行者よ永遠に ~Senkosha Forever~」。

◆侍魂を作ったきっかけ
一番はお客さんを楽しませたいというのがあったんですけど、その他の理由で大きかったのは、「俺ってどれだけの価値があるんだろう?」っていうのを知りたかったんですよ。 俺の周りがみんな就職活動をする中で、俺は家業を継ぐんで就職活動をしないんですよ。みんな良い会社に入るために自分を試していくわけじゃないですか。それで、内定を取れれば、その会社に初任給分の働きをするって認められるわけですよね。その時点でそいつは月給○万の価値があるわけなんですよ。 で、周りが内定を取っていく中で「俺だったらどれくらいの会社まで受かるのかな?」っていうのを試してみたかったんですよ。フワフワとした連中の「自分探し」とか「自己発見」じゃなくて、もっとシビアに「俺はいくらぐらい稼げるのか?世の中にどれぐらいの価値を認めてもらえるのか?」って。

「侍魂」の健さんに聞きました! (All About Japan [笑えるサイト] )

 「先行者」を初めて見たのは、雑誌「サピオ」(2001年1月10日号)に掲載された最先端テクノロジーについての記事だった。 そのなかに「先行者」の写真が白黒で掲載されていた。これは面白い、絶対に人気を博すると直感した。あとは、このネタをどのように書くかということだ。
 最初は、台湾海峡で戦争が起こったという物語を書いた。中国から「先行者」が台湾海峡を越えて台湾に渡り、迎え撃つのはアメリカのイージス艦と日本のソニー製ペット型ロボット「アイボ」で、 「アイボ」が「先行者」の股間にある中華キャノンに噛みつく、そんなストーリーだった。
 しかし、どうもしっくりこない。そこで逆にシンプルに書き込んでいった。 まずロボット技術をコミカルに紹介し最後にブリキのオモチャのような「先行者」の写真を掲載し、「追いついてない、ちっとも追いついてないよ」というツッコミを入れて落とすのだ。これが成功した。

第1章 ネット史上初の大ブレイク日記(金田善裕著 個人ホームページのカリスマ)

間を表現するための改行

 どういったものか説明する前に、実際の物を見てもらうほうが分かりやすい為、引用する。


ある国がロボット技術の最先端をひた走る

我が日本にライバルとして参戦してきました






それは




中華人民共和国





4000年の歴史を持ち

12億の国民を従える超巨大国家






今回報じられた内容を紹介しよう







中国湖南省の長砂国防科学技術大学で

中国初の人間型ロボットを開発に成功




説明によると名前は



先行者




高さ1.4メートル 重さ20キロ

頭部 目 首 胴体 腕 足



人間と同様のパーツを持ち

さらに基本的な言語能力まで備えている
と言う






中国政府直属の国防科学技術大学で開発された

まさに中国最先端技術の結晶である











これを報じた新華電社はこう言い切りました










先行者の開発により中国のロボット技術は日本の本田、ソニーのライバルとして最先端の先進国レベルに追いついた!!









さぁ中国政府の切り札


「先行者」の登場です!!








先行者




















追いついてない





ちっとも追いついてないよ














さすが中国人

国をあげてオチ付けなくても良いのに

愉快な国ですまったく





俺もこういうの作ったことあります





夏休みの工作でな


最先端ロボット技術侍魂

 上記引用文はテキストサイトブームのきっかけになった『侍魂』の「最先端ロボット技術」、その一部である。この文は文字数にして411文字なのだが、その中には「172個」もの改行タグが使われている。 この改行によって一文一文の間に時間的間隔を空けさせる。それは会話における「間」と同じ。『侍魂』が巧みだったのは、この改行の使い方であった。
 尚、当時のパソコンディスプレイは解像度が1024×768或いは1280×1024、800×600が主流。無論スマートファンなんて物はない。その環境を前提に間を計算しているのだから、後年『侍魂』を見ると感覚が当時とは違うと考えられる。

IW:「侍魂」のテキストは、独特な文体です。一般的に、してはいけないと言われる無駄な改行などが、さらに笑いを増幅していると思いますが?
健:「アンチ侍魂」を掲げる人などに叩かれることはあります。でも、伝統的なテキストオンリーのページは、伝えたいことがたくさんあって、論理的にきっちり構成できる文章には向いていると思いますが、侍魂のように「ぱっと見て気軽に笑える」文章を書くためには、演出は必要だと思います。改行で間をあけるやり方は、まさに会話における間の取り方と同じ。ネタの文章は完成していても、この「間」の計算に時間がかかってしまいます。

エッケ・ホモ! これがメガヒット級の個人サイトだINTERNET Watch

 それまで日本のインターネットの歴史で、個人の日記や読み物のホームページが一日一万人の訪問者を呼ぶことはなかった。 「侍魂」は、ホームページを作ってわずか二ヶ月でその歴史を書きかえてしまった。
 それは偶然でもなく、幸運でもない。数多くの読者を獲得するホームページには、作者の工夫や努力がある。
「あんまり活字を読まない人でも、あっさり読める文字量にするのが第一条件で、第二条件が、スパッ、スパッと歯切れよく落とす間です。 リズムよくあっさり読めるように、4コママンガ的に読めるようにしていったんです」
 一〇分もあれば読み終える量だが、その構成を考えるのに、一週間をかけたという。練りに練り上げられたテキストが、読者を引きつけるのだ。

第1章 ネット史上初の大ブレイク日記(金田善裕著 個人ホームページのカリスマ)

『ちゆ12歳』の登場(VNI系)

 2001年2月14日に開設した『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』はオタク・サブカルネタが得意なテキストサイトである。

 管理人である「ちゆ」を「バーチャルな世界にデータだけが存在する電波少女」とし、 「(バーチャル世界の住人なので)ゲップもしなければトイレにも行かない。理想的な新世紀のアイドル」と言い放ち、更にサイトに描かれているちゆのイラストを「(バーチャル世界の住人なので)イラストではなく写真である」 というぶっとんだ設定に、文字色はピンク色。一見すると電波サイトである。 然し、テキストの内容は実力派。濃いオタク・サブカルネタから政治ネタまでこなすという器用さとそれを面白文に加工する技術に長ける。 開設一ヶ月後には『変人窟』に取り上げられ、 その一ヵ月後には『HEY BULLDOG』に取り上げられた。続いて『裏ニュース』『TECHSIDE.NET』『ムーノーローカル』からも取り上げられ、一躍有名サイトとなった。 そして『ちゆ12歳』と同じサイトデザイン(ちゆフォーマット(*5B))を用いた「量産型VNI」と呼ばれる模倣サイトが大量発生した(*5C)。 代表的な量産型VNIとしては『ちよ74歳』『バーチャルマザーアイドル・秋子28歳』『バーチャルネット一般人無双』『TBN』『バーチャル2ちゃんねらー裕子』『バーチャルネット・ラウンジャーもなみ9歳』『バーチャルネットAA描き・チェき14歳』『バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳』等が挙げられる。 なお、「VNI四天王」という言葉があるが、これは『ちゆ12歳』と量産型ではないVNI 『777's LoopLight'sLoom』『ウロンのひとりごと』『米』 の4サイトを指す。

*5B: ちゆフォーマットの元祖は『ちゆ12歳』であるのは言うまでもないが、実は『ちゆ12歳』にデザインがそっくりなサイトがあり、開設は『ちゆ12歳』が登場する前である。それが2000年12月開設の『◇浄土真宗親鸞会について考えるページ◇ジャンヌ』。 次の文章も参照⇒『教科書には載らないバーチャルネットアイドルちゆ12歳の歴史(ラブラブドキュンパックリコ)』 『教科書には載らないバーチャルネットアイドルちゆ12歳の歴史、補填版(ラブラブドキュンパックリコ)』
*5C:次の文章を参照⇒ 『教科書には載らないVNIの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ無料HPスペース娘・じおこ13歳)』 『VNI年表(バーチャルりあるネットアイドル 俺29歳)』。言うまでもない事だが、これらにのっているサイトは量産型VNIの極一部。 2003年に作られたVNI勢力図というものもある。 なお、勢力図に書いてある「ディスク峠の会戦」とは、 『ゆり☆にゅーす』が「やえ十四歳ディスク」を「もらってはみたものの、使い道がないCD-R」として、 エロ絵データを「やえ十四歳ディスク」に書き込んで『一般人無双(芹香)』に上納し、 受け取った『一般人無双』は「使い道のないやえ十四歳さんのディスクを有効活用してくださってありがとうございます。やえさんも草葉の陰でさぞ喜んでいることでしょーさ。ハハハ。」 と語り、それが『やえ十四歳』に対する罵倒なのではと「VNIヲチスレ」で小さな論争になった事をいう。

テキストサイトブーム ―テキストサイトの活況と模倣サイトの大量発生―

 『侍魂』と『ちゆ12歳』の登場はテキストサイトを知らなかった人にテキストサイトの存在を知らしめた。 大量のアクセス数を誇るこの2サイトと一足先に有名になっていた『ろじっくぱらだいす』。この3サイトの活躍に引きづられる形で他のテキストサイトもアクセス数が増えていき、 テキストサイト界に好景気が訪れるのである。そして、第二の『侍魂』、第二の『ちゆ12歳』、第二の『ろじっくぱらだいす』を目指す模倣サイトが発生した。「読者の急増」と「サイトの急増」、こうしてテキストサイトブームが訪れた。 テキストサイトブーム期に開設した代表的サイトとして『僕の見た秩序。』『宇佐教授の無駄学研究室』『荒廃の歌』『カフェオレ・ライター』『Numeri』等が挙げられる。 『僕の見た秩序。』は当初テキストサイトでは無かったが2002年10月からフォント弄り、11月からは改行を多用する様になり、事実上のテキストサイトになった。 多くのテキストサイトがブーム終了以降存在感を薄めていく中で、寧ろブーム終了以降に存在感を発揮。企画や書籍化が多数行なわれた。 『宇佐教授の無駄学研究室』は管理人の宇佐義大氏がサイトのキャラクター「うーさー」をアニメ化した。

 テキストサイトブーム期に発生したサイト。その中には上記のように実力のあるサイトもあったが、無論全てがそうだった訳ではなく、寧ろ形を模倣しただけの低質サイトが大量発生した。

 「『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』のように注目を浴びたい」

 『侍魂』の模倣サイトは『侍魂』と同じように「フォント弄り&改行」を多用し、『ちゆ12歳』の模倣サイトは『ちゆ12歳』と同じサイトデザインを用い、 『ろじっくぱらだいす』の模倣サイトは自虐系日記を書いた。 然し、模倣サイトの多くは『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』のように面白い文を書く事が出来なかった。 「フォント弄り&改行」の真の意味を理解せず、形だけ真似した文。知識が無いのにサブカルネタ。自虐系日記を書いても自分だけ身内だけが面白いと感じる文。
 熟々惟るに、ある程度の文であれば義務教育で書かされている事もあり、誰でも経験がある。身内を笑わす経験もある。だから「テキストサイトであれば自分にも出来る」、模倣サイトそう思ったのだろう。 だが、そうではなかった。一見の人にも伝わるような面白い文を書くにはセンスや知識が必要、しかもほぼ毎日更新しなければならない。 テキストサイトは一見簡単に見えて実は難易度が高く、多くの模倣サイトは模倣元のように大人気になる事が出来なかった。大人気どころか弱小サイト止まりであった。これはサイト管理人本人の能力の問題である。
 然し、一部の人はそれを認めることができない。それを認めてしまうことは自分を自分で否定することだから。ここにスキがあった。 このスキをついたのが「アクセス至上主義」である(*5D)。
 又、大量の低質模倣サイト発生によって、良質の新規サイトが登場しても大量にある低質サイトの中に埋もれて目立つ機会を得られくなる「埋もれ問題」が発生した。これはサイト批評サイトの発生に繋がっていく。

*5D: 発生過程についてはこちらにも書かれている⇒アクセス至上主義発生過程またたびきゃんぱす

「まずは、サイトの構成からだね。僕はテキストサイトを作りたいから、出来るだけ軽くシンプルな構成にして…」
「ちょっと待て。ここはニュースサイトにしておけ」
「へ?何で??僕は、テキストを書きたいんだけど」
「ニュースサイトでもテキストはかける。Hit数を稼ぐのに重要な要素として、『安定して面白い話題を提供する。毎日更新が望ましい』。『色々なサイトにリンクされる』のなどがある。これらの要素はテキストサイトよりもニュースサイトのほうが満たしやすいのだよ」
「僕は、テキストの溜め込みもあるし、内容にも自信があるよ。だからテキストサイトでいいじゃない」
「そこが甘いんだよ。ほとんどの大手日記サイトは、最初こそ質の高いテキストと素早い更新頻度で一気に注目を集めていたが、数ヶ月もすると、クオリティも更新量も目に見えて衰えてくるだろうが。ほとんどの大手テキストサイトってのは「笑い」を中心として人気を集めている。だが、「笑い」というのはあまりにも感性に依然する部分が大きい(だから、才能が重要なんだ)ために、あっという間に才能が消費尽くされちまう。漫画界には『ギャグ漫画家は2年で潰れる』という格言があるのもそのためだ。月刊や週間で書いてるプロが2年足らずで才能が枯渇してしまうのならば、毎日のように更新を繰り返す素人があっという間に才能がなくなるのは自明の理だろう?」

ニュースサイトの作り方2(荒廃の歌)

 VNI、特に「ちゆ12才」が雑誌ネットランナーで紹介された直後あたりでしょうか。その独特のスタイルがウケたのでしょう。ちゆフォーマットは勿論、その他の似たようなスタイルのVNIフォーマット(おこめ型とか)をそのまんまパクったVNIサイトが雨後の竹の子よろしくニョンニョンと生えました。それらは「量産型VNI」と呼ばれます。(ちなみに「他称VNI」という分類もあります)

 ページタイトルは「バーチャルネットアイドル○○(名前)△△才」というのが基本です。その構成も「ちゆ12才」にならい・・・ってかそのページソースをまんま流用したものがほとんどです。(これは本家「ちゆ12才」への敬意でもあったようです)
 内容はやはり本家同様「日々のニュースネタ」「おたくネタ」「日記」といったモノがほとんどです。実に取っつきやすいです・・・

 ・・・という勘違いがあったのでしょう。
「お前らは日記をナメスギだ。アーメン」


 日記サイトは大変なんです。人気のある日記サイトは基本的に更新頻度がおっそろしく高いです。ほぼ毎日です。しかも書けばいいってもんではなく面白いものを書かなければいけないのです。そうでなければお客さんはあっさりと離れていきますから。

 それら雨後の竹の子サイトの多くは、開設当初は本家かつ超大手「ちゆ12才」や他量産型VNIサイトとの密なリンクでアッと言う間に数千のアクセスを稼いでいました。いいなぁ、と思いながら僕はあちこち見て回りました、ヒマなヤツです。そしてすぐそれら量産型のほとんどが廃れる(というか制作者が保たない)だろう、とも思いましたが・・・。
(ミナサン、飛ばしすぎだったんです)
(だから取っつきやすいけど扱いが実は難しい毒舌などに走ったり)
(雑誌ネットランナーで「3日で作れる人気サイト(だっけか?)」とかって記事が載った頃が限界だったようです)
(明らかにつまらないネタに過敏反応して延々それを弄るのは読者が見えていない証です)

 そんなワケで。一時は日に六っつ以上の新VNIサイトが発生したりしてましたが。その後はそれに勝るイキオイで更新停止、消滅していきました。アルジャーノンに花束なチャーリーの脳の弱まり具合の様でした。

 特にアニメ「KANON」をメインのネタにしていた「秋子28才」がアニメ終了と同時期に有終の美を飾った後。精神的支えを喪った様にバタバタ倒れていく量産型。そんな中でも賢明に己のペースを模索するVNIや仕切りなおしてオリジナルサイトとしてやり直すページがあったり・・・。

 結局ちゆ量産型は本家「ちゆ12才」のイキオイを利用しようとしたけど逆にイキオイに付いていけなくなった、と僕は見ています。背負った看板が重すぎた、というか・・・。僕は自分の中ではそれを呪いといってますが。えーっと、分かりやすく言えば~。

 ジムはガンダムを元に造られました。
 でもジムはガンダムじゃないんです。
 どうやったってガンダムにはなれないんです。
 ジムにはジムの戦い方があるんです、それを模索すべきなんです。
 それを端折ってガンダムの戦い方を参考にしちゃいけないんです。
 ジムをガンダムの様に扱ったって機体各部に無理が生じるのが当たり前なんです。

VNI。(ぷち大黒堂)
なお、この文は『教科書には載らないVNIの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ』にある、 「量産型VNIはちゆを元に造られました。でも量産型VNIはちゆじゃないです。量産型VNIは量産型VNIの戦い方があるんです、それを模索すべきなんです。」の原文である。

アクセス至上主義 ―形を変えつつもテキストサイトブーム期からSNSの時代まで続く奇病―

 「アクセス至上主義」とはサイト運営においてアクセス数を最も重要視し、その為には手段を選ばず行動する考え方の事である。 主にテキストサイトブーム期開設のサイト(侍魂以後といわれた)のテキストサイトに支持された。 アクセス至上主義の中心的サイトであった『堕落誌』(塾憂)は、自らが立ち上げた『アクセス至上主義WEBリング』においてこう書いている。

アクセスを求めること=格好悪い、という風潮を変えていきませんか。

アクセスが欲しいと思うことって全然普通です。理由なんていりません。

アクセスが増えて、管理人が嬉しいならそれでいいじゃないですか。

アクセスを楽しく増やしましょう。

アクセス至上主義WEBリング

 「文章を公開するからには多くの人に読んでもらいたい」そういう考え方が出てくることは自然である。 抑々『侍魂』はアクセス数を重要視しており、 その子どもである侍魂以後世代がアクセス数を重要視するのは当然であるといえる。 然し、アクセス至上主義の場合はコンテンツの向上といった根本的な解決作の他に、「大手サイトにメールを送る」等の小手先テクニックを用いた為、 他のサイトに迷惑をかけるケースがあり(*5E)、非難の対象となった。
 アクセス至上主義の巧みだったところは、アクセス数が少ないサイトの原因を「テキストの出来が悪い(管理人の文章能力が低い、センスが無い)」よりも、「サイト運営のやり方、文章の公開の仕方に問題がある」としたところにある。 侍魂以後世代のテキストサイトは多くが『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』を意識して開設している。 つまり彼ら程度の文なら書けると思ったからこそサイトを立ち上げた人も多いと考えられ、テキストの出来に自信をもっている場合が多い。 そんな彼らに「アクセス数が少ないのはテキストの出来が悪いから」といっても聴いてもらえず、「アクセスしてもらうには、リンクをもらわないとダメ。リンクをもらう方法がありますよ」 といったほうが支持される。アクセス至上主義は人の心の弱さを突き、一部から支持を受けた。

*5E:2001年11月におきた出来事が有名。『堕落誌』はアクセス数を増やすために、自分のサイトの読者を使って大手サイトの管理人宛に『堕落誌』の推薦メールを送らせるという企画を行ったのだが、 メールが送られたサイトの1つ『LINE ON』は「他所に迷惑がかかるような事は止めろ」と『堕落誌』に苦言を呈した。然し『堕落誌』は黙殺。 その頃、『堕落誌』は「バーチャルネットアイドルマジカルゆみ11歳」の中で 「大手の人=人間的な魅力に溢れた人じゃないですから。たまたま運と偶然にちょっとした文章力が重なってアクセスを稼ぐようになっただけ。たまたま人より早く日記サイトを開設したという幸運に恵まれただけです」と書いた。 これに対し『LINE ON』は「そういう自分は大手サイトのおこぼれアクセスを目当てにしていたのを忘れたんでしょうか。わかってんのか、塾憂」と更なる苦言を呈した。 『堕落誌』は開き直りととれる文で返答したものの、この『堕落誌』vs『LINE ON』の揉め事により『堕落誌』は各所から非難されるようになり、閉鎖となった。 詳細は次の文章を参照⇒「塾憂とLINE ON仁騒動 記録・検証サイト)」 「堕落雑~塾憂~ってウザイ

 先月の下旬に「個人ホームページのカリスマ」という本が発売されたのをご存知でしょうか?個人で運営されていながら膨大なアクセスを得ているサイト及びその管理人を紹介している本です。14のサイトが紹介されている中で、一番始めに紹介されているのが健さんの侍魂です。ボク自身はあまり健さんに対して興味を持っていないので、今まで彼のインタビュー記事等を読んだ事はほとんど無かったのですが、この本を読んで思った事が2つかあります。
 まず一つ目に、彼は侍魂を運営しようと思った動機が「自分の力でどれだけアクセスを集めることができるか試したい」というものであったという事です。これは侍魂の大ヒット後のアクセス至上主義につながる部分があるのではないでしょうか?侍魂に影響を受けてサイトを開設した人の多くが、アクセスを集める事を第一の目標としていた事の原因の一部がここにあるように思われます。

NIKKI LOGS 200206aYUMEGIWA LAST BOY

 アクセス至上主義と称されるものが何故批判を受けるのか。
 基本的には、そりゃアクセス数は多い方がいい。特殊な場合をのぞいては、多くの人はそう考えているのではないだろうか。
 僕もその例外ではなく、単純に増えたら嬉しいし、減ったら寂しい。
 しかし、問題はアクセス数を増やす事自体を目的としてしまう場合だ。

 これは何も今に始まった病気ではないが、近年のテキスト人口爆発に伴って増えてきた奇病の一種である。
 患者の特徴は、アクセス数をただ単純に「数字」として捉えている所にある。
 アクセス数というのは、数字であって数字でない。その一つ一つは、インターネットを通して、端末の向こう側にいる一人一人の人間がサイトにアクセスし、文章を読んでいる事を意味している。
 結局、そこの所に頭が回る程度の想像力を持っているかどうかが問われているのだ。

 歪んだ自己顕示欲にもとづく動機から、オッペケ大手サイトに「掘り出し物」リンクされちゃった初心者サイトの中には、自分を見失ってしまう人もいる。そりゃぁ突然アクセス数が100倍になっていたりしたら、頭が茹だってしまっても仕方ないが。
 ただ、それで増長して「テキストサイトは、アクセス数を増やすゲーム」などとのたまうのは、相当に失礼な事であるのは自覚しておいて欲しい。
 誰に対して失礼か?言うまでもなく、自分のサイトを見てくれている読者に対して、である。
 「アクセス数ばかり気にしやがって」と叩かれているのではない。作品を数値化しないと判断できない鈍さと、人間をただの数字としてしか見ない傲慢さとが、人を不愉快にさせるのだ。
 そんな低脳サイトを喜んで見ている人達も、よく考えた方がいい。お前ら、ナメられてんだぞ?

 このサイトも、最近随分と「アクセス数」が増えたけど、僕は常に意識的でありたい。
 端末の向こう側で、毎日能動的に99式にアクセスしてくれる人の事を。たまたま通りがかった人の事を。メールを送ってくれる人の事を。掲示板に書きこんでくれる人の事を。僕は、読者の一人一人に向かって、届く言葉で、あなたに何かを伝えようとして毎日文章を書いている。
 僕は、数字が欲しいのではなく、読者が欲しいんだ。
 偽善と言われようと構わない。しかられたって、かまわない。日記を書いていくとー(決めたー)なのにー(アクセス増が)急じゃ)ー怖いー

アクセス至上主義とは何だったのか九十九式

『斬鉄剣』vs『無題』

 『侍魂』活躍の恩恵を受けたサイトの一つに『斬鉄剣』がある。『斬鉄剣』は「ランク制リンク制度事件」(*5F)によって影響力を失い、更新停止となっていたが、 『侍魂』が「『斬鉄剣』から影響を受けた」と語ったことで『斬鉄剣』は影響力を取り戻した。 2001年3月、『斬鉄剣』復活。然し、一部のサイトは『斬鉄剣』の行いを忘れていなかった。 同年4月、『斬鉄剣』に罵倒された事のある『無題』が『斬鉄剣』の復活に気づく。

4月16日 (月)
■斬鉄剣がひそかに復活してるぞ! 気をつけろ! (←なぜパクリ?)
しっかしこの男、相変わらず自分棚上げ芸の達人だなァ。ヘタレの分際で語るなよ。たとえナミ様が忘れようと無かったことにしようと、私は忘れませんよ? 斬鉄剣の過去の所業は。

卯月(無題

 こうして『無題』は斬鉄剣批判を開始。『斬鉄剣』が言及した事に対し、次々と反論を展開した。 これが原因で『斬鉄剣』と『無題』は揉め事の火種を作っていき、「1・17事件」に繋がっていく。

■私と斬鉄剣の関わりを述べれば、斬鉄剣が私の掲示板にリンク報告をしてきたのが最初のきっかけ。
んで、リンクしてくれたんならってことで特に何も考えずに相互リンクに。もっとも、あんまり面白いサイトじゃなかったので、「斬鉄剣風に言うなら『と金』かな?」(注:「と金」は斬鉄剣のランク制リンクの階級)…というコメントをつけた所、気に入らなかったのかなんかいろいろ言及されたりした。
で、その後まるるん事件と並行して斬鉄剣ランク制リンク事件が勃発。そこでの場当たり的にコロコロ変わる対応や、ログさえ残らないんだったら何言ってもいいや的な言動、嘘臭い上辺だけの綺麗事連発の謝罪にうさん臭さを感じ、まるるん事件の資料として入手したチャットログを読んで、斬鉄剣に対する疑惑と嫌悪が決定的に。ICQに登録して会話を試みるも、速攻無視リスト行きを喰らう。(チャットで斬鉄剣をQ登録している人間複数で照合した結果なので確かな事実。「無視リスト行きはねーだろ」って突っ込んだら、「そんなことやってません」って強弁された。嘘つき)
その後、斬鉄剣とは距離を置いていたのだが、斬鉄剣の議論掲示板なる場所でくぼ様が遊んでいたので、私も参加。…してみた所、あっさりと「ここは議論ゴッコをする所です!」って悲鳴を上げて、議論掲示板閉鎖。
そして、ランク制リンク以降、各サイトに総スカンを喰らって日記系に居られなくなったナミ様が斬鉄剣を閉鎖。その後こっそり立ち上げた、「至誠天ニ通ズ」というサイトのテキストで、名指しもリンクもせずにあてこすられ罵倒されるという屈辱を受けたのをきっかけに斬鉄剣と本格的にやり合うことを決意するも、ほどなく新サイトも閉鎖。怒りのやり所を失う。
…と思ったら、「侍魂」ブレイク現象に乗っかって、「あの侍魂が影響され師と崇めるサイト」として、どさくさに紛れて復活。過去のことを無かったことにして(一応テキストで過去について言及して反省しましたって態度取ってるけどあんなもん嘘っぱちだ)、侍魂以降の素人相手に「伝説の名サイト」扱いされ、権威として君臨。信者やシンパが多数増殖し、超大手サイトとして影響力を持ち出す。そして、その権威を武器に自分好みのサイトを掘り出しアクセスを流し恩を売り、一大派閥を形成。「テキスト系のご意見番」として崇め奉られるというクソったれな状況が発生。
それで私は、「斬鉄剣」みたいなクソ外道が権威として崇められる現状は最悪だと思うので、この現状を打破すべく斬鉄剣批判を展開することとなった……というのははっきり言って建前であり大義名分。本当の理由は私怨であり私情であり義憤。即ち、個人的感情の産物。…なので、私の斬鉄剣批判はあんまりアテにしない方がいいです。

VS 斬鉄剣・1(無題

*5F: 『斬鉄剣』には1999年10月に始めた「ランク制リンク制度」という、相互リンクの申し込みをしてきたサイトに対しランク付けしてリンクする制度があった。 『斬鉄剣』は相互リンクを申し込んできた、とあるサイトに対し「糞」とランク付けしトップページで馬鹿にした。 この『斬鉄剣』の行き過ぎた行動に対し、他サイトから抗議の声があがったのだが『斬鉄剣』は謝罪というより喧嘩を売っているというほうが近い謝罪文をのせ、相手を挑発。 結果、斬鉄剣批判の声が大きくなっていき、相互リンクサイトは次々と『斬鉄剣』へのリンクを削除していった。 詳細については次の文を参考のこと⇒「皆も同じ事言いたがってたんだろ?」 「斬鉄剣のクサれた歴史

アクセスアップ論・テキストサイト論の流行

 2001年8月、『かまくら』「さくらとちぃのテキストサイト論」の連載を始める。 これは(オフ会の話に偏っているが)テキストサイト界について書いたテキストである。 更に、アクセス至上主義の『堕落誌』がアクセスアップの具体的手法を書いた「アクセスを増やす裏技外伝」。 これらのテキストにより、テキストサイト論・アクセスアップ論の話が連鎖的に広がっていき、2001年後半から2002年前半にかけて多くのサイト論・アクセスアップ論テキストが書かれる事となった。 代表的な物として上記2テキストの他に、 「ほめことぱげこのテキストサイト論(かまくら)」 「荒廃の歌・特別編(荒廃の歌)」 「お父さんのためのテキストサイト講座(鞠棚)」 「アクセス考(面会謝絶)」 「テキスト界成り上がり講座(宇佐教授の無駄学研究室)」 「テキストサイト作成論、サイトの構成、ホームページとは?(斬鉄剣)」 「テキストサイト界近況(BlackAsh)」 「日記系概況<2001年度春-秋>(偽黒武堂の三国志探訪)」 等が挙げられる。2002年7月に発行された書籍「テキストサイト大全」はテキストサイト論の集大成といえるだろう。 又、テキストサイト論の流行に伴って揉め事が発生した(*5G)。

*5G:例えば『斬鉄剣』と『G∽FORCE』の間で発生した揉め事がある。『斬鉄剣』が書いた「テキストサイト・時代の流れ」に対し、 『G∽FORCE』が「なぜ、アンチ斬鉄剣なのか?」において『斬鉄剣』の問題点(論理のすり替えによる見解の正当化など)を上げ、「斬鉄剣のナミって人は、もうちょっと物事を客観的に見れるようにならないとダメ」と書く。 これに対し、『斬鉄剣』は「理論と思い」の中でオススメリンクの名を借りた『G∽FORCE』潰しを行った(いわゆるネガティブアクセス剛掌波)。 『G∽FORCE』は『斬鉄剣』からきた人たちによって掲示板を荒らされ、テキストサイト界からの撤退を決意した。

娘。系テキストサイト

 テキストサイトの中で、モーニング娘。の話題を多く取り上げるサイトが現れる。2000年12月、モーニング娘。の話題に特化したテキストサイト『梨華の時間』開設。 2001年1月、『WALKING IN THE RHYTHM』がサイト内に『モーリンク娘。(仮)』というモーニング娘。を話題にするテキストサイトのリンク集ページを作った。これが後に『ニッキモニ。』となる。 ここにモーニング娘。の話題テキストサイトが集まってきた。 代表的なサイトとして『梨華の時間』の他に『九十九式』『桃色核実験』『牧歌的』『コスモクルーズ』『ピンスパイク』『FooL PLooF』等が挙げられる。 ここで注意しなくてはならない事がある。モーニング娘。を話題にするテキストサイト「娘。系テキストサイト」はあくまでテキストサイトであり、「ただのファンサイトではない」のである。 ”テキストで表現する”事に彼らは拘りをもっていた。
 『ニッキモニ。』は自己申告による登録制であった。やがて、アクセス数目的にテキストサイトではない、普通のファンサイトが多く登録されるようになると、 ”『ニッキモニ。』はただのファンサイトリンク集になってしまった”という意見が出てくる。 特に『九十九式』の「ニッキモニ。は終わった。」は大いに議論となった。 『ニッキモニ。』以外のリンク集としては、『武蔵野タンポポ団』『娘。アンテナ』が挙げられる。 また、「娘。系テキストサイト」と「ハロプロまとめサイト」の間の子として後年誕生したサイトに『アライブモーニング』(現:『エンタメアライブ)』がある。

Miki-Tea-Timeの人(っつーかwackyさん)が「ファンサイトのテキストサイト化と、テキストサイトのファンサイト化」について書け、なんて言っているので久しぶりに話に乗ってみます。こーゆー他人の振った話題に、単に興味だけで乗ってなんか書くって久しぶりだなぁと思わなくもないです。うーん。

僕は自分のサイトはファンサイトでは無いと思っています。あくまでモーヲタが運営するテキストサイト(?)だと。このテキスト/ファンサイトの区切りがいまいちハッキリしないまま話を進めると有らぬ誤解を受けそうなので、一応自分なりの定義を。

・テキストサイト
「テキスト」で表現を行う事を主眼としたサイト。内容は好きなアイドルでも毎日の日記でも面白いネタでもニュースでも関係無し。

・ファンサイト
ファンである対象について表現する事を目的としたサイト、表現方法はキャプだったり、ラジオのテキスト起こしだったり、掲示板、日記そのもの等、色々。

んで。ここで話はアクロバチックに展開しますが、まず最初にこれ以降は単なる僕の愚痴です。別に特定の誰かに喧嘩売ってるわけではないです。不甲斐ない自分への不満とでも思っていただければ。あとはエンターテイメントであるモーニング娘。について表現する人達自身をエンターテイメントと見立てた場合の不満とかか。

あのな、ぶっちゃけDDとかなんちゃら右翼だとか勝ち組だとかそんな手垢の付いた言葉とかかったりーな。僕が読みたいのは人の書いていない領域に踏み込んだ文章なんですよ。もしくはもっともっと自分の心に踏み込んだソレ。人から言葉を借りて閉じたコミュニティー作ってうふふあはは楽しむのは結構な事だけど、ハッキリ言ってつまらないよ。せめて借り物の言葉なら一捻りは入れてくれ。僕は君の言葉を聞きにサイトを訪れたんだから。

あと、誰でも書けるような番組の感想を羅列されてもなんも残らん。単に楽しかった番組をプレイバック出来るか、見たような気分になるだけ。どんな頓珍漢な事でも良いし、自分だけの思いこみでも良いから誰も考えたことの無い視点を感じたいのよ、僕は。それは当時の梨華の時間の視点だし、当時のNATIONAL ANTHEMの視点だし、九十九式の視点だと思うんだよ。

わぁ、久しぶりにすげぇ書いたなー。(FooL ProoF)

──モーニング娘。が結成された90年代末から2000年代前半って、今みたいに携帯やスマホからインターネットができる時代ではなかったんですが、一部のファンの人たちの間では自分たちの曲の解釈や解説をネット上にアップして、ファン同士の交流を深める文化がありました。それはつんく♂さんはじめ、制作サイドから説明がなかったからだと思うんですが、今は逆につんく♂さんのほうからセルフライナーノーツで「この曲はこうです」「こういう意図で作りました」と先手を打ってるわけですよね。

そうなんですよね。だからネット社会が始まって「2ちゃんねる」ができた頃は、ネットに参加してる連中っていうのはすごく能動的で。当時はモーニング娘。に限らず、人気アーティストのアルバムが出たらその感想文を自分のホームページで書く人がすごく多かったんです。「この曲は○○の『××』っていう曲のイントロのオマージュで、これこれこういうふうになってる」とか「この歌詞の意味は、きっと△△さんはこういう思いを込めて書いたんだろう」とか、1曲1曲を自分なりに解説して。「つんく♂が今回の曲で安倍なつみをセンターに持ってきたのは、やっぱりこれこれこういう理由なんだよ。『ASAYAN』を観てもこうだったし」とかね、嘘でもええから書いてるんですよ。まあそれを「ああ、こいつマニアックやな」とか「それは違うな」って思いながら読んで(笑)。

──あはははは(笑)。

まあそれは僕に対してのアンサーを含めて、自分たちでライナーノーツを作ってたわけですよね。でもそこからmixiとかSNSを経て、今はTwitterやLINEに移行した。ネットが日常化されていけばいくほど、そういう感想文を書く人が減っていった気がしていて。例えばAKBのCDをゲットしたとか、「Now Playing ○○」みたいなことを書くんですけど、その先の感想がないんです。ネットが普及したことでいろんなことが短縮化、簡易化されて、物事を書くということがおざなりになってるのかなっていう危機感を感じてるんですね。そんな文章を書くことがおざなりになってる中で間違った情報が上がらないためにも、「ここまで書かなくても普通は気付くでしょ?」みたいなことまで書いておかないといけないなと思っていて。僕が発した言葉に対して「そんなわけないやんけ!」って言ってくる人すら少なくなってますからね。その危機感みたいなものは非常に感じています。

モーニング娘。「ブレインストーミング / 君さえ居れば何も要らない」特集 (5/6)音楽ナタリー

6.2002年 脳死、猛威を振るう

主要なサイトの開設年月

2002年1月

バーチャルネットさいころ・だいす6面体』 『Fighters Front Line(バーチャルネットアイドル・かすみ19歳→)』 『続・ルミ姉さんと一緒(ベロス同盟→ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ→)』 『無料HPスペース娘・じおこ13歳』 『このテキストサイトがすごい!』

2002年2月

もなみ9歳Fバーチャルネット・ラウンジャーもなみ9歳もなQぽぉたるもなQらいと→)』

2002年4月

バーチャルネットAA描き・チェき14歳』 『ダンシング☆カンパニヰ(サイト自体は1999年から存在。電脳麻薬→温泉テクノ→落石注意→)』 『バーチャルネットプリーストさやさや16歳(バーチャルネットアコライトさやさや16歳→)』

2002年5月

Web冷え汁』 『レティクル座妄想

2002年6月

『est(YUMEGIWA LAST BOY→)』 『バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳』 『母さん』 『バーチャルネット思想アイドルやえ十四歳』 『ダークマター

2002年7月

『カニバリズム(煩悩カニバリズム→)』 『バーチャルオナベアイドル 浪路27歳』 『バーチャルネット大司狂レイホウ19歳』 『Text Cicle』 『まるだしの構え』

2002年8月

『α汁』 『まいにちあゆみ17歳』 『テキ通』

2002年9月

『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)』 『バーチャルネットアイドルのるぅりん☆6歳』 『HAGAKURE理論

2002年10月

バーチャルネット法律娘 真紀奈17歳』 『POPSCENE』 『バーチャルネットゲーマーアイドルヒェミ16歳

2002年11月

ゴブリンと僕。

重要サイトの閉鎖・更新停止による活力の低下

 2001年10月、痛い系サイトの中心にいた『兄貴の館』が2002年3月一杯で終了すると発表。 『裏MIZUHAの憂鬱』は、これまでの感謝とお別れの意図を込めて出来るだけ多くのサイト運営者で兄貴を見送ろうという「アニキまつり」を企画。 2002年3月21日、170個のサイトの背景が『兄貴の館』でおなじみのマッチョな男がポージングをしている画像となった。同年3月31日、『兄貴の館』終了。 『侍魂』は2001年後半から徐々に更新頻度が下がっていき、健氏が社会人となった2002年には更新が稀となる。 『ちゆ12歳』も2002年から更新頻度が下がっていく。2002年9月、『ちゆ12歳ポータル』を開設し、「ちゆネット(ODNの「まるごとプラス」+ちゆドメインのメールアドレス)」「ちゆショップ(携帯電話に張るシール、マウスパッドを販売)」等の商業展開をするも話題にならず。肝心な更新頻度は下がったまま。 界隈を牽引してきた中心的サイトの影響力低下は、快進撃を続けるテキストサイト界に陰を落としていく。

脳死とテキスト系テキストサイト

 2001年の『斬鉄剣』vs『無題』、アクセス至上主義、そしてアクセスアップ論・テキストサイト論の流行。こうした「自分の考えを高らかに主張する」流れは論争の火種を生む。 2002年の傾向として「自分の考えを高らかに主張し、かつ他人への迷惑を考えない」、そんなサイトが幾つかの揉め事を引き起こした。

脳死

 テキストサイト界でいうところの脳死というのは、「迷惑行為を行うテキストサイト」に与えられる称号である。 一部テキストサイトの行動・発言が周りへの迷惑を考えていない事から、「思考が停止しているとしか思えない」として脳死と呼ばれるようになった。 「脳死スレ」のテンプレを以下に引用する。

☆『脳死レンジャー』って何?☆
 ネットの公共性をわきまえない言動をするテキストサイト管理人を 「脳が死んでいるとしか思えない」ので「脳死系」と呼ぶ(参考・テキストサイト大全)。 具体的にはネットバトルを仕掛ける、他サイトを誹謗・中傷する、閲覧者の信頼を裏切る、 アクセス数やネゲットを目当てに迷惑な行動を取る、他所のテキストをパクる、 他所の掲示板に電波文を何度も投稿する、などが脳死的行為に該当する。 「脳死系」のうち、問題行動を継続的に続ける、面白いほど間抜けである、 自意識が強くツッコミを流せない、などの理由で、 長期的観察対象になり得ると認定された管理人が「脳死レンジャー」である。 古参サイト・有名サイトでも状況次第で脳死レンジャー認定することがある。 ただし大物すぎて扱いきれない(例:温帯)、テキストサイトに関わってこない(例:ぷららん)、 などのようなものは脳死レンジャー認定対象外である。

☆『脳死ライダー』って何?☆
 かつて「脳死」とは、「無題」管理人マサムネと戦う者たちの総称であった。 彼らは脳が死んでいるとしか思えないほど馬鹿であるがゆえ脳死と呼ばれ、 個性豊かにして愚かで迷惑な言動を披露して散っていった。  
 しかしマサムネの失墜と共に、時代は脳死同士で戦う脳死バトルに突入。 これに伴って「脳死」の定義も若干変化した。 現在ではネットの公共性をわきまえない言動をするテキストサイト管理人を「脳死」、 そのサイトを「脳死系サイト」と呼ぶ。(参考・テキストサイト大全) 具体的には自サイトに揉め事の種となる文をアップする、他サイトを誹謗・中傷する、 他所の掲示板に意味不明な怪文を何度も投稿する、他所のテキストをパクる、 その他アクセス数やネゲットを目当てに迷惑な行動を取ることなどが脳死的行為に該当する。
「脳死」のうち、ろくなアフターフォローもないまま問題行動を継続的に続ける、 面白いほど間抜けである、自意識が強くツッコミを流せない、ほほえましい、などの理由で、 長期的観察対象になり得ると認定された管理人が「脳死ライダー」である。 古参サイト・有名サイトでも状況次第で脳死ライダー認定することがある。 ただし大物すぎて反応を楽しめない(例:温帯)、 そもそもテキストサイトに関わってこない(例:ぷららん)、 などのようなものは脳死ライダー認定対象外である。

1.まったくもってまとまりのない集団
2.脳死レンジャー
3.基本的に色で識別される。個別には魚類だの繊維だの蟲だのアシカだの麻雀牌だのいろいろ
4.20代が多かった
5.2002年1月17日(1.17事件)~
6.関連各サイトの掲示板、チャットに波及
7.初期に関しては「脳死力研究所」跡地が詳しい。
8.「侍魂」のブレイクで一躍ブームになったテキストサイト。
数多くのテキストサイト管理人を産み出したが、その中で アクセス数稼ぎや売名目的でほとんど理論武装もせず、主に古参サイトに 論戦をふっかける管理人達が現れはじめた。 彼等を評して「脳が死んでいるとしか思えない」。すなわち「脳死」。 文中リンクでの罵倒合戦、掲示板やチャットへの突撃、脳死内での内ゲバなどなど しばらくの間バトルロワイアル状態が続いたが 「脳死」という言葉をはじめて使った「無題」マサムネのオフラインのトラブルによる失脚、 「仁」という脳死を超えた存在の出現、言及サイトおよび「ダークマター」の閉鎖などが重なり、 糸の切れた凧状態に。そして昨年末「斬鉄剣」も更新停止。

 特に多かったのが「後の事を考えずにとりあえず喧嘩を売る」行為である。 2002年だけでも「1・17事件」「魚類の乱」「植物の乱」「斬鉄剣vs旅打ち日記騒動」「仁騒動」(*6A)といった揉め事が起き、その主犯は脳死認定された。

*6A:各揉め事について書いておくが簡単に書いただけなので、詳細については資料を参照。

「1・17事件」:
『斬鉄剣』と『無題』との論争に『無情な日常』が割って入り、『斬鉄剣』擁護の発言を行う。更に『無題』の掲示板に乗り込み、挑発した。それに対し『無題』は「はあ? 貴様は正真正銘ホンモノの白痴か。だったら黙ってろ。中途半端な理解と覚悟で口を開くな。不愉快だ。」と一喝。『無情な日常』は謝罪した。
資料:1・17事件

「魚類の乱」:
『鯛ページ』が『斬鉄剣』批判の文を載せる。その文中で「誹謗中傷が好きな方は素敵なわんちゃんのサイトへ行って下さい」と書き、『ケルベロス』を軽く煽った。コレに対し『ケルベロス』が反撃し言い争いになった。この「魚vs犬」の争いを見た『無題』はこの争いを低レベルと評す。すると、『鯛ページ』は矛先を『ケルベロス』から『無題』に変え、「貴方は脳が不自由ですか?」等と煽る。その後も『鯛ページ』は『無題』を罵倒した。やがて『鯛ページ』の自分勝手な発言に対し鯛批判を行うサイトが増えていき、鯛包囲網が出来上がると、『鯛ページ』は自分の発言が「すべては計算尽くのネタであった」という事にして大逆転を狙ったが流石に無理であり、『鯛ページ』はサイト閉鎖を宣言、謝罪した。
資料:魚類の乱
資料:YOU IS A BIG FOOL MEN > 鯛

「植物の乱」:
『戦意』は『無題』に対し「現実で他人に言いたい事を言えないヲタが匿名性の高い空間でいびつなゴシップを撒き散らしている」と評し、『無題』へのリンクを貼った。これに対し『無題』が反撃すると、『戦意』は謝罪になっていない謝罪文を載せた。だがその後も『無題』への罵倒を行った。これによって『斬鉄剣』等から非難されると『戦意』は『無題』に対して再び謝罪した。だがまたも『無題』を挑発し、さらに魚類の乱で『無題』に敗れた『鯛ページ』を擁護。リンク集をリニューアルした際にはコメントで『無題』や『斬鉄剣』を煽る。さらに『クロユリ』に対しネガティブアクセス剛掌波を発動。『斬鉄剣』を「珍鉄剣」と煽るなど謝罪と煽りを繰り返した。 なお、これが植物の乱といわれるのは『戦意』管理人のハンドルネームがひまわりだからである。
資料:ヒールというかフール

「斬鉄剣vs旅打ち日記騒動」:
『旅打ち日記』が『斬鉄剣』に「楽しみ方としては、アホ加減を薄ら笑いしよう。脳みその中身が見てみたい」というネガティブコメント付きリンクを貼る。これに気が付いた『斬鉄剣』が「舐めくさったリンクコメント書いてんじゃねーよこのバカタレが」と怒りを露に。『旅打ち日記』はリンクコメントを変更した。
資料:斬鉄剣VS旅打ち日記騒動

「仁騒動」:
『仁さんの徒然草』が「LINE ON vs 堕落誌」に何故か乱入。 『堕落誌』を擁護し、『LINE ON』を餓鬼、精神病的などと罵倒。だが『仁さんの徒然草』はすぐに方針変更し『堕落誌』を非難する。この『仁さんの徒然草』の変わり身を『ダークマター』が取り上げると『仁さんの徒然草』は『ダークマター』まで非難。この様子をじっと観察していた『LINE ON』は8月10日、『仁さんの徒然草』に対し、「人の事を餓鬼だの精神病呼ばわりした日記に対する責任を取れ」と要求した。これに対し『仁さんの徒然草』はメールで『LINE ON』に謝罪したが、『LINE ON』は「サイト上で悪口を書いたのだから謝罪文もサイトに書くべき」「責任取るつもりがあるなら、行動で納得させて下さいよ。私を」とサイト上での謝罪を要求した。『仁さんの徒然草』はサイトに謝罪文を載せたものの言い訳がましく、あまり謝罪文とはいえない謝罪文であった。その後『仁さんの徒然草』は『LINE ON』の掲示板に自分勝手な書き込みを行った事で『LINE ON』の更なる怒りを買う。『LINE ON』は「仁氏とのコミュニケーションは何一つ実らない。よって今後は停止する」とし、『仁さんの徒然草』を黙殺する事にした。
資料:仁さんの徒然草(JIN's ESSAY.)騒動記
資料:脳死史上最悪の男、仁

テキスト系テキストサイト

 脳死関連の揉め事は、その多くが『アルヲの独り言(あるヲッチャーの独り言)』のアルヲ氏(nanasi537)によって記録に残された(*6B)。

 『アルヲの独り言』を創始とした「テキストサイト(テキストサイト界の出来事)をネタにしたテキストを書くサイト」が現れる。それが「テキスト系テキストサイト(通称:テキテキサイト)」(*6C)である。 その代表格は『ダークマター』であり、他にも 『Text Cicle』 『YUMEGIWA LAST BOY』 『Target capture』『ねとながめ』『off topic』 『迎賓館裏口』 『てらたまテキストサイトニュース』等が挙げられる。

 テキスト系テキストサイトは「このサイトがこんな事を言った」「あのサイトとこのサイトが言い争っている」「テキストサイトスレでこんな議論が起きている」等、テキストサイト界の話題をピックアップし、伝えていった。 テキストサイト界がウェブ芸能界化していく中で、彼らはワイドショー的な立ち位置を確保した。

*6B:アルヲ氏が書き残したものは『脳死ログ』にある。(アルヲ)となっているものがそれ。
*6C:この言葉の起源は不明だが、『ダークマター』の濁氏は「テキストサイト系テキストサイトという言葉を、最初に言ったのは私だった気がしますが、実際の所どうなんでしょうか」といっている。

サイト批評サイトの登場と挫折

 テキストサイトブームが起き、テキストサイトが大量発生すると「埋もれ問題」が発生した。 埋もれ問題とは、良質の新規サイトが登場しても大量に発生した低質サイトの中に埋もれて目立つ機会を得られなくなり、 結果として大手サイトの顔ぶれが何時までも変わらず、界隈が活性化されないという現象である。

 最近、テキストサイトやニュースサイトが乱立しています。これは、テキスト界が活性化しているということで大変喜ばしいことですが、同時に一つ個人的な心配事があります  それはかつてのゲーム業界の、「アタリショック」と同等のものがテキスト界に津波を起こさないかという事です

 言うなればゴミ(失礼)に埋もれてしまって、真に素晴らしいサイトが人の目に触れずに消え去らないかと言う事と、カス(失礼)サイトだけを頻繁に目にした閲覧者が「テキストサイトなんて面白くない」と判断して去ってしまわないかということです

荒廃的なお知らせ(荒廃の歌)

 これに対し、埋もれている良質な若手・中堅テキストサイトを発掘しようという気運が高まり、サイト(テキスト)批評(レビュー)サイトが多く登場するようになった。 代表的なサイトとして『このテキストサイトがすごい!』『中堅テキスレレビュー 』『デマゴーグ』『Free Fisher』『earth aspic』『テキ通』『キングギドラ』等が挙げられる。 その他に『アルヲの独り言』内の「中堅サイト厳選リンク集」や『荒廃の歌』『我思う、故にラーメン』『ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ』も批評を行っていた。 批評サイトはテキストサイトをネタにしたテキストを書くサイトであるからテキスト系テキストサイトの仲間として扱われる場合がある。 『侍魂』の登場以後、大量の低質模倣サイトが発生した事は問題視されており、 本当に面白いテキストサイトを外部の人間に見てもらえるような仕組みが必要であった。
 批評サイトの中で特に期待されていたのがテキスレ発祥の『このテキストサイトがすごい!』であろう。中心人物の金子氏は「■■■テキストサイトはここで語れ(その12)■■■」にて現在の問題点を述べ(*6D)、新たな批評サイトの構想を練る。 金子氏の頭にあったのは「このミステリーがすごい」のテキストサイト版であった。 メインコンテンツのテキストサイトランキングでは評するに値するレベルに達した20人程の評者を用意しテキストをキチッと読んだ上で投票により決定される「評者投票制システム」を採用する事で、ランキングの信頼性を確保。 他のサイト批評サイトとは一線を画すものであった。

603 名前: 名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日: 02/01/19 08:56 ID:c/XNp4GR
デゴマーグのろじぱら批判に関して言えば、確かになにかの専門系じゃなくて、
日記系サイトなら俺でもできそうだなという人間を大量にサイト管理の方向に
走らせてしまい、結果糞サイトが増大したという責任はあるけど、あくまで
不作為の責任なので、それに対してどうこういうのは酷。あからさまに客に
嫌われるようなことなんかいってもメリットは何もないわけだし。
 
やはり、日記系に人を大量に流れ込ませた「侍魂」が諸悪の根源かと。あそ
こが「斬鉄剣」をリスペクトしていなければ、塾憂も宇佐も最初からなかっ
たようなもんだから、ここまで低質化することはなかった。
ただし、「侍」がなくても、遅かれ早かれこういう問題は出てきていたと思
う。一昔前の日記系のように、ハイレベルな管理者が凌ぎを削る、という状
況はもう出現しないし、そういう状況を出現させたいのなら、ある程度自分
らでコミュニティを閉じて部外者を締め出せばいいと思う。
 
 
604 名前: 名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日: 02/01/19 10:32 ID:/HbZiQaW
>>603
松田っぽい考えだな。
かつての「ハイレベルな管理者が凌ぎを削」っていた時代に
今ほどの大量の読者が流れ込んでいたとしたら、
結局はそれらハイレベル日記の模倣サイトが乱立していたに違いない。
だけどハイレベル管理者はそんなことには動じなかったろうよ。
侍魂は確かに日記系に大量の読者を引き込んだし、
斬鉄というクソをリスペクトしていたためにクソ模倣サイトが結果として増えた。
だけどこれって悪でもなんでもないだろ?玉石混交で全然いい。
それを悪だと言うならデマゴーグと同じ視点だ。
 
クソがどれだけ増えようともろじぱらは我が道を行っている。
「どこそこのせいでクソが増えて困った」とか言ってる暇があるなら
ろじぱらみたいにクソはほっといて自分のテキストを書くべきだ。
誤読者が増えるとテキストサイト全体の質が落ちるっていう松田の論理は
確かに正しいが、コミュニティを閉じてまで質の維持を図る必要性はないだろ。
ろじぱらも侍魂も模倣者に説教垂れる必要は全くない。
よって、これは>>603批判ではなく松田批判でありデマゴーグ批判だ。
 
 
606 名前: 603 投稿日: 02/01/19 11:15 ID:0vp6x9N/
>>604
自分もまったく現状を非難する気はないし、コミュニティを閉じる
必要もないし、遅かれ早かれこういう状況になっていたと思うので、
概ね同意。実際、ハイレベルな「ちゆ」を模倣した糞のようなサイ
トが現在乱立をはじめている。パソコンの発達、インターネット人
口の増大により、ウェブサイト開設の敷居が下がり、レベルの低い
管理者が大量流入した必然の結果。貴方とはいい意見交換ができそ
うだから、もう少し続けます。
 
玉石混合という言葉が出たついでに書くが、現在はそのバランスが
異常なまでに偏っている。つまり、玉が圧倒的に少ない。理由とし
ては、今まであげた理由もあるが、玉を捜すのが極めて困難、とい
うこともあげられる。
また、たとえいいテキストを書いていても評価されるとは限らない。
誰にも見つけられずに消えていった素晴らしいサイトを幾つも知っ
ている。
人は少なからず評価を求めているものだから、気合入れてテキスト
を書いていても放置ではやる気がなくなるというもの。
 
 
607 名前: 603 投稿日: 02/01/19 11:16 ID:0vp6x9N/
現在は大手サイトによる掘り出し物リンク、「ちゆ」のニュースリ
ンクという形で、それらが幾分か解消されるようなシステムになっ
てはいるものの、完全には程遠いゆえ、「斬鉄」のように管理者の
感性が歪んでいる場合、どうでもいいサイトが大手面をはじめると
いう悪夢のような状況が発現する。
 
これを解消するためにはどうすればいいのか。ホソキンが事実上倒
壊し、猫、まよが死亡した今求められるのは、複数の人間が行う
サイトレビューサイトなのではないか。それも、40人、50人単位
で行う一言レビュー、簡単に言えば「このミステリーがすごい」みた
いなものをテキストサイトにそっくり移行することは出来ないか、
と考える。
それを行える媒体はどれか。ここだ。テキスレだ。ある程度テキスト
サイトを読み込んでいる人間が揃っている。人数もいる。
テキスレ読者で、サイトレビューサイトを立ち上げてみないか。テキ
ストサイト界に、面白いものが勝者になるというシステムを構築して
みないか。
 
というお話。どうざんしょ。

■■■テキストサイトはここで語れ(その12)■■■

 第一回のテキストサイトランキングでは一日に4000ヒットのアクセスを記録し、注目も高さを裏付けるものであった。 然し、2回、3回と行うにつれ問題も発生した。20人程の評者を統制するのは難しく、最初は高かった評者のボランティア精神は時間の経過と共に薄れ、多忙を理由に作業を行わなくなっていった。 結局、4回目は行われずに『このテキストサイトがすごい!』は終了。金子氏は「このテキ反省文」を書き、『このテキストサイトがすごい!』を踏み台にした有益な批評サイトが登場する事を願ったが結局それは登場しなかった。
 サイト批評サイトは『このテキストサイトがすごい!』に限らず、その殆どが数ヶ月という短命に終わった(長く続いたのは『ホソキンズ ルゥム』のみ)。 理由は色々考えられるが
 ・「サイト批評サイト」は裏方であり、批評する人は多大な労力の割りに得るものが少ない(得るものより失うもののほうが大きい)
 ・他人のふんどしで相撲を取ってるといわれる事が多い
 ・批評するからには自らの批評について批評(あるいは非難)される事が避けられない
等によるモチベーション維持の難しさが挙げられる。
 但し、同じ「発掘する」という目的でも、批評ではなく「紹介」という方法では『テキスタイルポップ』という成功例がある。 ここには、「批評サイトではありません。世の中いろんなサイトがあります。 こんなサイトがあるよー、という紹介をしていきたいと思います。言及とか興味ないです。オールポジティブアクセスが目標です」と態々書いてある。 2003年開設と登場時期が遅いこのサイトは前例から学習しているといえる。

*6D:私が「『このテキストサイトがすごい!』開設の経緯」にまとめてある。

「このテキ」の評者はだいたい20人でした。
評者は毎月、20程度のサイトを読み、それを順位付けすることでランキングが決定されます。
当初はほとんど100%の人が、期限内に投票を提出していたのですが、2回、3回と重ねるごとに締め切りが守られなくなり、投票率も下がってきます。
その理由として主に挙げられていたのは、「多忙」というものでした。
多忙という理由の裏には、このテキの活動が生活の優先順位の中でかなり下にあることを意味します。

「このテキ」の評者活動を支えていたのは、「テキストサイト界に風穴を開けたい」というボランティア精神でした。ただ、このような長期活動において、ボランティア精神というのは時間とともに風化していきます。その結果が、投票率の低下を招きました。

これは何も内部告発をしているわけではなく、誰しもが陥る当たり前のパターンであり、評者に「やりがい」を提供できなかった管理人のミスであると考えます。
本来、「やりがい」の代わりに現実世界においては対価としてギャラが支払われますが、資金力のない一個人である私にとっては、必死に「やりがい」を提供する努力を行うしかありませんでした。そして、それは私の能力の限界を超えていました。

このテキ反省文このテキストサイトがすごい!

 ぶっちゃけた話、サイト批評サイトなんて、運営する側にしてみたら百害あって一利なしというのが個人的な雑感であります。
 だって、誰も知らないようなサイトくそみそに貶したところで自分の印象が悪くなるだけだし、大手サイト批判したらしたで信者に掲示板荒らされたりするし、当たり前のこと感想書いても「ヌルい」とか言われるだろうし、そもそも批評依頼してくるサイトが早々面白いわけもないし、いちおう批評するんだからそんなつまらないサイトでもそれなりに目を通さないといけないし、それなら寝てるほうが100倍マシだし……ということで、辛いだけだよ!

テキスト界の住人見下げ果てた日々の企て

 ええっと、レビューに応募してくださって結局、レビューしなかったサイト様のの書き込みでよく「まあ、うちはレビューする価値も無いほどのクソサイトですから」という、あからさまな当てこすりをよく見かけます
 とりあえず言い訳しておきますと、「レビューしない=カス」だなんて思っていません。レビューをしなかったのは、「しにくかったから」です。いわゆる「可も無く不可もなく」というやつです。ただ単に私の技量不足の面もありますが
 というわけで、「レビューしなかったけれど別にカスなんて思ってないですサイト様」を今度暇を見つけてアップします
 レビューをやめたのと、わざわざ「カス」という括りを使ったのはこういうことがあるからです(注:そのままはまずいと思うので、一部改変しています)

 「うちは日記メインですが、できれば○○のパクリだと言ってもらえると嬉しいです」←アホですか?
 「アクセス数と面白さは反比例するという信念でやっています」←遠まわしにケンカ売ってますか?
 「できたばかりでつまらない日記ですがよろしくお願いします」←「出来たばかりは送らないでください」と応募要項に書いています。ちゃんと読んで下さい。あと、「つまらない」と思っているのに送ってくる神経が素敵です。謙遜のつもりなのかもしれませんが、99.99%の確立で本当につまらないので意味は無いと思います
 「お願いします。http://xxxxx.xxxxx.xxxx」←一番多いです。URLだけですか。そのシンプル故に脳内思考が極めてよく分かっていい感じです
 「既に打ち切りしたらしいですけれど、どうかレビューお願いします」←お断りします。時間無いですし

 こんなのが大量に来たらさすがにキレます。おまけにサイトレビューには莫大な時間がかかるし、表現にもかなり気を使いました。これだけやっても、《荒廃の歌》にとってはマイナスにしかなりません(時間がかかるため、通常の更新が出来ない)。それどころか、名指しで「お前」呼ばわりされてこんな事まで言われる始末です
 >批評家って言うのは基本的に 他人のふんどしで相撲を取ってるって言うか 他人の釜の飯を食ってるって言うか そういうもんでしょ?偉そうな口たたく存在じゃないと思うんですけど
 プチ(←切れた音)
 というわけで、サイトレビューは二度としません。サイトレビューのマイナス面はMHKさんの12月2日の日記に詳しく書かれています。ただ一つ言える事は、レビューを始めてから、あれだけ嫌いだった愛・蔵太さんが尊敬の対象になりました。「あんなん単なる罵倒してるだけの糞じゃねえか」と思っている人は、実際にサイトレビューをしてみましょう。あまりの不毛さに素で泣けます

《荒廃の歌・特別編》 管理人よりの言及(荒廃の歌)

”「作品はそれ単体で価値を持つべきだ」という意見はナンセンスである”という麻草クンの意見には、話をテキストサイトに限るならば、ほぼ同意です。
テキストサイトというものは、管理人のキャラクターやサイト全体の味や匂いまで含めて評価すべきというのが、ルミの見解です。実際のところ、テキスト単品だけ取り出しても面白い人は、そのサイトも面白いということが殆どですが、ではその逆も真、つまり単品のテキストがつまらなければ、そのサイトもつまらないかと言うと、そうでもないことが往々にしてあるのです。

テキストサイトにおける付随価値を否定するのはナンセンスです。
例えばインストゥルメンタル音楽の視聴におけるブラインドフォールドテストのごとくに、作者を知らされずに大手人気サイトのテキストを切り出して、面白いかどうか問うという実験があったとすれば、その集計結果は微妙なところです。
読者は、ろじぱらのユーモアや侍魂のストレートな笑いや紐井屋の痛さに親しんでいるからこそ、そこにアップされているテキストを面白く感じるのではないでしょうか。そしてそれは、そのサイトが長年かかって築き上げてきた付随価値以外の何者でもありません。そこを否定してしまっては、「ではテキストサイトとは一体何なのか?」という根源的な問題に踏み込まねばならなくなってしまいます。作品が単体で完成している小説や詩に比べ、未だその定義すらも定かでない”テキストサイト”というものを評価しようとする場合、現在のところは、その付随価値を認めなければならないとルミは考えます。

テキストサイト批評の直面する問題の多くが、麻草クンのいうように深刻な事態を迎えているのは間違いないでしょう。
明確なガイドラインは存在せず、デファクトスタンダードになり得るような批評サイトも存在しないとなれば、志す者は暗中模索で数多くの失敗と経験を積み重ねなければなりません。
そして批評サイトの多くが、その方法論を確立する前に総じて短命に終わるのは、他サイトに言及することの難しさを言外に物語っているのではないかと思います。

テキストサイト批評はエンターティメントになり得るか?
正直、難しいところだと思います。宝島の「このミス」を見れば出版媒体では既に「なり得る」との回答が出ていると考えていいかと思いますが、ことWEB 上、しかも海のものとも山のものとも知れない「テキストサイト」なるものが相手では、未だ未知数と言っていいでしょう。

2002年4月後半ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ☆

『ろじっくぱらだいす』による「ろじぱら式Web投げ銭」の提案

 「投げ銭システム」とはサイトの管理人を大道芸人とみなし、大道芸を見て感動した人が芸人にお金を渡すのと同じ様に、 サイトのコンテンツに対して感動した人がサイトの管理人にお金を渡すシステムの事をいう(*6E)。 提唱者は、言語学の学術書を中心に出している出版社「ひつじ書房」の松本功氏である。 松本氏は「投げ銭システム推進準備委員会」を立ち上げ、個人や小さな会社が導入出来るようなオンライン小額決済システムの実現に動いた。

◆1.どうして個人の出版社やラジオ局がないのだろう
インターネットによって、個人でも放送局が開けるはずであったのに、現実的には個人で放送局を開いた人間はいない。放送局だけでなく、個人の新聞社も出版社もない。個人で、情報を発信している人は大勢いるにもかかわらずである。なぜなのか、ということが出発点の一つである。
◆2.有料か無料かだけでなく。
もう一つ。インターネットの文化は、無料の文化であった。アメリカの税金で賄われ、科学者同士は、個々のアプリケーションを有料で配布したりはしなかった。そこには、共有の精神があると称揚された。一方、様々な有料のサービスが登場し、ビジネスでの戦果を声高に話し始めてもいる。無料か、有料のどちらかしかないのか?これが、出発点の二つ目である。
◆3.NPOにあったお金の巡り方があるはずだ。
そして、実際に、NPOなども含む小規模の企業の側として、適切な規模の集金システムが無く、また、オンライン上で気楽に送金しようとしてもちょうどあったシステムがない。銀行もクレジットカードもプリペイカードも大げさすぎる。もっと小振りな送受金の方法がないものか。
◆4.HPはインターネットの大道芸。
ここで、考えたのが、小さな発信者をいわば、大道芸人と考え、大道芸人へのお金の渡し方を投げ銭と考えてみたら、新しい視点が開けるのではないかという提案である。我々が、探しているのは、作り手が値札をつけ、買う人はそれに従うか従わないかの選択肢しかないような市場ではなく、受け手と送り手が、相互的に交渉し、その都度値段を決めていくようなシステムである。これは、公開市場で、買い手と売り手が相談しながら値段を決めていくようなやり方であり、市場の根元的な姿ではないか。場合によっては買い手は、ただですませるものもおり、場合によっては、売り手は、命の次に大事な物を勝ち取るかも知れない。そのようななかで特に私たちは大道芸人に注目したい。これこそが、インターネット時代の新しいマーケットのスタイルをしめすものだからだ。このシステムを「投げ銭システム」と呼ぶことにする。
大道芸人は辛い。パフォーマンスがうまくて、お金を払ってやろうと思わせなければ、だれも空き缶にコインを投げ込んでくれない。劇場のように入場料があるわけではない。道ばたでたまたま、芸が行われているのに遭遇して、足を止める。芸がそこそこ面白いだけでは、だめだ。こいつに100円でもいいから、お金を払ってやろうといく気持ちになってもらわなければならない。楽しませるだけではなく、財布のひももゆるめないといけない。こいつにはお金を払ってもいい、こいつが生きていけた方が、世の中が楽しいと思わせたらしめたものだ。いつもよりも多くのお金を払ってくれたり、豪華な夕食をごちそうしてくれるかもしれない。
◆5.辻に立ち、小銭を投げ込む帽子を置こう!
なんで、大道芸人の話と思われるかも知れないが、現在のWEBの情報発信は、大きな通りで、芸を延々と見せている状態に近い。だれか、後ろに旗を持って立ってくれる広告主が現れない限り、その芸にはだれもお金を払ってはくれないのだ。もしかしたら、ちょっとばかりカンパしてやろうという気持ちも見ている方にはあるかもしれないのに、そこに空き缶や帽子が無いためにお金を投げ入れることができないのだ。芸人も、そこでなにがしかの金銭が得られれば、生活の基盤をシフトすることができる。他で稼いで、その分、芸に回すのではなく、芸だけで食えたり、あるいは「副業」にかける時間と労力を減らすことができる。また、投げ銭を受け入れることは、批評を受け入れることでもある。励みにも成るし、頑張っているページが生き延びることが出来るすべとなる。この精神はインターネットで利用できるだけではなく、なかなか厳しい状況で、孤立無援で最善を尽くしている個人への匿名の応援にも利用できるだろう。「あなたの仕事を私は見ています」と。
◆6.新しい経済システムの可能性
もし、この「投げ銭」システムが、軌道に乗れば、大げさな課金システムもいらないし、組織に依存しなくても、生きていくことが可能になる、NPOやボランティア組織も生き延びやすくなるというものだ。現在、大勢となっている集金システムとは全く違ったお金の流通のシステムができれば、もっと自由になれるだろう。また、この方法はインターネットとも親和性が高いものだと私は信じている。このシステムが稼働するかどうかで、市民のものになるのかが、決まると言っておきたい。
 我々はささやかながらも栄光ある「言い出しっぺ」として、このシステムの準備を推進する委員会を結成することにした。ぜひともご賛同いただき、賛同者の列にお加わりいただきたい。ここでも、我々は我々の前に立ち止まってくれたあなたに賛同の声のために、頭を下げ、帽子を差し出すことにする。

投げ銭・宣言!(投げ銭システム推進準備委員会

 この提案を元に、1999年から日本でもサービスが始まった小額電子商取引システムを利用して個人サイトの管理人が報酬を得る方法を『ろじっくぱらだいす』が考え、後に実行したのが「ろじぱら式Web投げ銭」である。

 ろじぱら式Web投げ銭は投げ銭システムを個人サイトの管理人として、より具体的に考え、実現可能な方法について検討した。

1-1 サイトとお金と意欲
 「趣味のサイトでお金を稼げないか。」管理者ならば誰でも一度は考えるでしょう。自分の作ったコンテンツを元にサイトで大儲け、まではいかなくとも、電話代とプロバイダ料金ぐらいはカバーできないか、と。逆に良質のコンテンツを作る管理者がお金を得ることは、モチベーションの維持や新規コンテンツへの意欲にも繋がるでしょう。
 基本的にサイト管理者は無償で奉仕することを強いられています。傍観者から不平不満をぶちまけられながら、学業仕事の合間をぬってコンテンツを提供。その苦労に比べ、得られるものはあまりにも少ないのが現状です。趣味でサイトを運営している分には気にならないでしょう。しかし、さまざまなマイナス要因が趣味の楽しみを超えてしまった時。その時、サイト管理者は良質なコンテンツを提供するのを止めてしまいます。
 しかし、もしサイトでお金を稼いでいたなら。それはさまざまなマイナス要因を乗り越えるパワーの一部に成り得るかもしれません。また、アルバイトに充てている時間を少し減らしてコンテンツ作りに励む管理人も出るかもしれません。ではサイトでお金を稼ぐにはどうすればいいか?
 有名サイトなら「雑誌にコラムを書く」などの仕事があるでしょう。しかし普通のテキストサイトがお金を稼ぐには「広告を付ける」しかないのが現状です。ですが、無料スペースを使っているサイトは、他社広告禁止のためそれすらもできない。また、どんなに面白いコンテンツを作っても、アクセス数を集めなければ充分な収入にはなりません。しかも、「あのサイトは面白いから広告をクリックしてお金をあげよう」というのはちょっとおかしい。広告の概念からは外れています。
 ではサイトをすべて有料にしてはどうか。――きっと結果はみなさんの想像通りになるでしょう。みなさんが毎日見ているサイトのほとんどは、無料だから見ているのです。お金を払ってまで見たいサイトがいったい幾つありますか?有料化の結果、モチベーションの維持どころか個人サイトコミュニティの衰退にも繋がりかねません。
 ではどうするか。

1-2 Web投げ銭の提唱
 私は最も適切なシステムは「投げ銭」ではないかと考えます。
 みなさんは路上で大道芸を見たことはありますか?大道芸人は芸を披露したあと、観客の前に帽子を置きます。観客は思い思いの金額をその帽子に入れます。「投げ銭」です。
 このシステムのメリットは、お金を払う払わない・金額の大小は客の自由意志であり、無料で見続けてもまったく問題ないということです。また管理者は仕事と違って責任がないため、趣味のレベルで無理なくコンテンツを製作できます。また面白いコンテンツは評価され多くの投げ銭を貰えるため、アクセス数などという目に見えない数字よりモチベーションの維持・向上も図れます。

1.Web投げ銭の提唱ろじっくぱらだいす

 『ろじっくぱらだいす』は投げ銭の受け取りによって義務や権利が生じないようにする為に2つの事を挙げている。

  ・管理人は、投げ銭をした人としなかった人を区別しない。(閲覧者が投げ銭をする事で何かが得られると思わないようにする為)
  ・閲覧者は、現在までに見たコンテンツに対して投げ銭をする。将来のコンテンツを期待した投げ銭をしない。(投げ銭をしてもらう事が管理人にとって重荷とならないようにする為)

 これを大前提にする事で、気軽に投げ銭をし、受け取る事が可能というのがろじぱら式Web投げ銭の特徴である。 実行に当たってはニフティの個人間決済サービス「@pay」を使用した。 但し、閲覧者の意識改革が必要であり(当時はサイトでお金を稼ぐという行為に抵抗感が強い時代だった)、 問題を起こさずに運営出来るのか議論になった。
 尚、Web投げ銭からヒントを得てだんでぃ氏が考えたシステムが「web拍手(*6F)」である。

*6E:この辺を参考のこと⇒『Bitliteracy Long Interview』 『投げ銭・宣言!
*6F:大道芸を見た観客は大道芸人を応援する気持ちを込めて拍手や投げ銭をする。その拍手の部分をシステム化したもの。 サイトに拍手ボタンを設置し、閲覧者がそれを押す事で閲覧者は応援の気持ちを伝える事が出来、サイト管理人はボタンを押された回数により記事の評価を知る事が出来る。 サイト管理人を応援したいがメールを書くのは面倒、態々メールを書かなくともワンクリックで応援の気持ちを伝える方法事はないかという思想である。

↓以下の引用は2002年当時の反応

◆ サイトから収入を得る方法~ろじっくぱらだいす「Web投げ銭」 [03:17] 
  以前、「バナー広告は金にならない」と書きましたが、今回ろじぱらさんが提唱する方法は、
『面白いコンテンツを見せてもらったので適当なお金を払う』
という感じ。大道芸人が差し出す帽子にお金を入れるような感覚で、サイトにも「チャリン♪」とお金をあげるんです。これが、ネットバンキングやウェブ上での決済方法の発達により、可能となってきたのではないか、というお話。
詳細はリンク先をご覧になれば十分理解できると思います。とにかく、「投げ銭」を受け容れる窓口をどう設定するか、が最大の問題ですかね。あとは、払いたくなるようなコンテンツを作っていくことかな(面白いサイトの作り方は、ろじぱらさんのこちらのテキストで書かれていますね)。
しかし、ろじぱらさんが提唱する「投げ銭」の定義にはちと困難がありかと。
『閲覧者は、現在まで見たコンテンツに対して投げ銭をする・・・ 将来のコンテンツに対しては投げ銭をしない』
とありますが、これはねぇ・・・
ワタナベさんもわかってて、それでもあえて書いてるんでしょうが、大道芸人とウェブサイトの大きな違いは、「継続性」にあります。大道芸人は、たとえば新宿日曜日の歩行者天国で30分くらい芸を見せて、それで「投げ銭」をもらう。また同じ場所に来ることはあまり多くないんじゃないかな(芸のレパートリーに限界があるため、同じ場所でやって同じ観客を相手にするといずれ新鮮味が薄れる)。対して、ウェブサイトはネタ更新(=芸)により存続しますが、それはいつも同じ場所(=アドレス)にあります。だから、同じパターンの更新が続くと飽きるという現象が生じ、故にサイト管理人は日々ネタのひねり出しに苦労しているわけです(笑)
つまるところ、ウェブサイトは「恒常的に同じ場所にある」というインターネットのシステム上不可避的な拘束を受けざるを得ない。そうであるにもかかわらず、
『閲覧者は将来のコンテンツに期待して投げ銭してはいけません。今あるコンテンツを見たことに対して投げ銭をしてください』
というのは、少なくとも今はムリでしょう。閲覧者の意識が相当に変化しなければ、これはあり得ない。それを半ば期待して書いてるんでしょうけど、閲覧者は、どうしても、「明日の更新はどうなるのかな」「このネタの続きが気になるな」という意識で来る。つーか、気になるからまた来るし、また来る気にさせるそのコンテンツに価値を見出すケースが相当に多いんだから。
ろじぱらさんの提唱する「投げ銭」、確かにお金は入るかも知れません。けれども、その意識までを変革するには・・・ 少なくとも今は、難しいかも、と思わざるを得ないです。

BlackAsh News!! 新着順 - 6月 11~ -BlackAsh

02-06-11-TU

ろじぱらのweb投げ銭システムについて
今回の件に関してはBlackAshさんの見解が適切だと思いますが、それを踏まえた上で更に自分なりに考察してみたいと思います。まず結論としてボクはワタナベさんの期待通りにはならないと思います。 今回一番問題なのはワタナベさんが提唱している考え方(web投げ銭の定義)が正確にかつ確実に普及しないのではないかということです。 九十九式の5月19日及び6月6日に誤読者問題が話題が上ったように、送り手(今回の場合は提案者であるワタナベさん)の意図を受け手(これから投げ銭システムを利用しようと考える人達)の全員が正確に理解することは非常に難しいと言えます。 更に、初めて「web投げ銭について考えてみた」を読んだ時は、ワタナベさんの意図を正確に理解したつもりであっても、 月日が経つにつれ気づかぬうちに「今あるコンテンツに対してではなく将来のコンテンツに対して投げ銭する」という方向に堕してしまう人もいるでしょう。 ついでに言えば、ネット上には日本語をロクに理解もできない電波さんも沢山いらっしゃいます。 こういった事は大半のテキストサイト管理人や閲覧者には当てはまらないでしょうが、一旦お金が絡むとなるとごく少数の人間が原因でも、大きなトラブルへと発展する危険性を有していると言えます。 …ということでボクはこのシステムをテキストサイト界に広げるのに反対です。

NIKKI LOGS 200206a (YUMEGIWA LAST BOY)

さて。
結論から先に言っちゃうことにしよう。
柊の結論。
 
Web投げ銭は心情として応援したい試みではあるけれど、このしくみは恐らくそれほど広まらないし、現状では成功と呼べるほどの成果も上がらないだろう。
 
どうして僕がこう考えるのか、続けて書いていくから、興味を持った人はもう少し付き合ってね。
 
まず、個人ホームページが対価を得るには「インターネットに公開したコンテンツは無料で提供されるべきだ」と云うイデオロギー(思想)を克服しなければいけない。
ここで問題になるのは、このイデオロギーを克服するのは「読者」の側で、投げ銭を提案する「作者」じゃないと云うことだ。
自分の考えは変えられても人の考えを変えるのは難しい。
 
次に、一定数以上の読者が集まるサイトでは必ず出てくるであろう「クレームメール」の問題。
僕が思うに、ろじっくぱらだいすの「Web投げ銭について考えてみた」の中で最も重要な文章は
ろじぱら的Web投げ銭の定義なんじゃないかな、と思うんだけど、果たしてたとえ少額でも金が動くのに対してすべてのケースがこんなにスマートでいられるだろうか。
ひとがひとにお金を出すってのは、なかなかキレイに済まないんだ、残念だけど。

ohanasi迎賓館裏口

 ウェブコンテンツに対するマイクロペイメントというのは、ずっと懸案であったテーマと言える。つまりはずっと懸案のまま解決できていない問題とも言えるわけで、Jakob Nielsen 博士は1998年と1999年の二度にわたってマイクロペイメントを擁護したものの、結局彼が予測したようには普及しなかった。そこらへんの問題については Clay Shirky による「マイクロペイメントへの反論」に詳しいが、この文章の冒頭でも述べられているように、P2P 技術が重要性を増していくことを考えるとマイクロペイメントが普及しないのはちょっと困ったことでもある。

 日本においてマイクロペイメントを推進する運動としては、投げ銭システムが最も有名だが、成功しているとは言えない。この文章を書いている時点で、そのトップページに「現在は投げ銭出来ません」と明記しているぐらいだもの。

 投げ銭システムに対する批評として、山形浩生による「投げ銭と青空文庫と:電子テキストについて考える」がある。これは以前にも少し書いたことがあるのだが、この文章における松本功によるフリーソフトウェア批判への反論、フリーソフトウェアと青空文庫の関連性の分析はともかく、投げ銭システムに対する批判の部分には少しおかしなところがある。少なくとも松本功は既存の集金システムに対するオルタナティブを目指していた(いる?)のだから、郵便振替でいいだろうというのははなから違うはずだし、「価値があると思うやつは5000円振り込め」というのができないのが「loser文章」と断じるのも議論上粗雑過ぎる。人の実際的な金銭感覚なんて結構いいかげんだし、時期性にかなり影響されるはずだ。例として挙げている布施英利のメールマガジンなんてその好例だろうに。

 ただ山形浩生が「さもしい」という言葉で表現している、金銭を要求することに対する心理的なハードルは確かにある。僕自身がそうしたシステムを利用しないのは、単に金銭を目的・想定して文章を書いていない、ただそれだけなのだが、この「心理的なハードル」は無視できない。

 ただ状況もこれから大きく変わるかもしれない。ろじっくぱらだいすにおいて公開された「Web投げ銭について考えてみた」が契機となってこの問題が議論されているからだ…などと書きながら僕はいわゆるテキストサイト界に興味がなく、ろじぱらを含む有名どころすらほとんど巡回していないのでその議論の詳細を知らないのだが、いずれにしろ有名サイトが取り上げただけでこれまで沈滞していたものが一気に活気付くというのも皮肉であり一面愉快でもある。

 現状 eBANK でおひねりというのがベストであるようだが、確かにこれで日本版 PAYPAL が実現し、ユーザがはじめから「そういうものだ」と思えるところまで持っていければ、ユーザのマイクロペイメントに対する心理的抵抗も変わるかもしれない。

 ただ上にリンクした文章にしても、トラブルが起きないためのユーザ側、サイト作成者側それぞれの気構えについてわざわざスペースを割いて書かざるを得なかったわけで、そうした十分な前説が必要な時点で既に難しいのではとも思う。このままでは、口座を持つのはウェブサイト作成者だけになり、投げ銭という仕組みが彼ら(テキストサイト界?)の馴れ合いと政治の道具にちまちま利用されるだけに終わりかねない。すぐにウェブサイトの面白さの指標化といった方向に話が進むのもそういった匂いを濃厚に感じるし。

どうでもよいことにこだわってしまうYAMDAS Project

「テキストサイト大全」の発売

 2002年7月、「テキストサイト大全」という本が発売された。書いたのは『かまくら』の釜本雪生氏と『コスモクルーズ』のくぼうちのぶゆき氏。 内容としては大手テキストサイト管理人へのインタビュー、テキストサイト論、テキストサイト用語集等。個人ニュースサイトについても少し載っている。 テキストサイトという単語で思いつく事が一通り書かれており、内容がよく練られている。 テキストサイトブームが如何に熱かったかを後世に伝える本。そして当時のウェブ全体を包む空気が一番よく表現されている本である。

筆者はここに宣言する。
テキストサイトはすでに、独立した一つの文化であると。htmlという独自の表現によって成立する、新時代の町人文化であると。

テキストサイト文化独立宣言(テキストサイト大全)

 この本以外にもテキストサイトに関わる本は幾つか発売されている。 代表的な本として2002年7月の「バーチャルネットアイドル ちゆ12歳」、2005年3月の「ろじっくぱらだいす」、2009年4月の「僕秩プレミアム!」等が挙げられる。 但し、それらが対象サイトに限られた内容であるのに対し、テキストサイト大全はテキストサイト"界"について書かれている点で一線を画している。
 他に、2002年12月の「ちゆ12歳公式ファンブック」には所々にVNI界の空気が解る記載がある。

ROVNIの登場とVNI界の失速

 2001年~2002年のウェブにおける重要な出来事といえばブロードバンドの普及という事になる。 そしてブロードバンドの普及に伴い、MMORPGが次々と登場。「ファイナルファンタジーXI 」と「ラグナロクオンライン」の二つは特に人気があった。
 2002年3月20日、『バーチャルネットアコライト・さやさや16歳』開設。『さやさや16歳』は量産型VNIでありながら 中身はラグナロクオンラインプレイ日記であった。量産型VNIでありながらコンテンツはラグナロクオンラインファンサイトであるものを「ROVNI(*6G)」という。 『さやさや16歳』は開設3日目にして大手ラグナロクオンライン総合情報サイトからリンクが貼られ、ラグナロクオンラインコミュニティ内の大手サイトとなった。 同年5月1日、鍵系VNIの『バーチャルマザーマーメイド・晴子28歳』がROVNI化。同月8日、やはり鍵系VNIの『バーチャル幼なじみアイドル・名雪17歳』(一般人無双)がROVNI化。 多くのVNIがラグナロクオンラインに嵌った原因として『さやさや16歳』『晴子28歳』と『名雪17歳』の力が大きいといわれている。 この後次々とROVNIが誕生していき、VNI界の中でROVNIは一大勢力となった。
 ファンサイト系テキストサイトでモーニング娘。を話題にしていた「娘。系テキストサイト」達は、ただのファンサイトではなく ”テキストで表現する”事に拘りをもっていた。 自分はテキストサイトであるという自覚が強かった。 然し、同じファンサイト系テキストサイトであってもROVNIは違った。他人が読んで面白いプレイ日記を書くサイトもあるにはあったのだが、 自己満足なプレイ日記しかコンテンツがないものも多く、中には『さやさや16歳』の事は知っていても『ちゆ12歳』の事はあまり知らないものまで存在した。 低質なROVNIの急増、それは一部VNIから非難される事態になった。
 同年9月7日、ROVNIを叩く流れの中で、ROVNIを罵倒する事がコンテンツのサイトが現れた。 それが『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)』であり、『佐祐理18歳』が中心となって起こした揉め事が「ROVNI騒動」(*6H)である。 この騒動が引き金となり、VNIブックマーク集である『バーチャルネットアイドル・ブックマーク集『ほかん庫(仮)』』が閉鎖を発表。 拡大を続けていたVNI界に失速の兆しが見え始めていた頃、この騒動によりブックマーク集を失ったことでVNI界の縮小は決定的となった。
 同年10月12日、『バーチャルオナベアイドル 浪路27歳』『バーチャル格闘ゲーマーアイドル かすみ19歳』『バーチャルネット思想アイドル やえ十四歳』『バーチャルネットストーカー ヨシミ22歳』『バーチャルネットさいころ だいす6面体』「バーチャルネットアイドル界の明日を創る会」(VNICTP)を結成。 「VNI界が落ち目だと言われ始めている昨今、我々はお互いに自信を持って内容を保証しあえる仲間達と会を結成することによって、サイトを見てくださる方達にまだまだこのように素晴らしいサイトがあるということを胸を張ってお伝えしたいと思います」 と宣言。VNI界活性化を目的とした。然し、VNICTPは成果を上げる事が出来なかった。
 翌年に開設したVNI最後の大物『バーチャルネットアイドルユニット「テキッ娘。」』の登場を最後にVNI界が大きな話題になる事は無く、その存在感を失っていく。

*6G:元祖ROVNIはバーチャルネットアコライト†神無 Lv.27†(2002年2月4日開設)と思われるが無名サイトである。 よって、事実上の元祖ROVNIは『さやさや16歳』といえる。
*6H:詳細は次を参照のこと⇒「ROVNI騒動」、「VNIの黄昏

当方が更新の停止を決意した理由と致しましては、各々バーチャルネットアイドル(以下VNI)を一括りに『VNI界』として見た場合、その『VNI界の低質化』の現象が激化しているという事態が直接の理由に当たります。
VNIというものが一つのジャンルとして認識され始めてから久しい昨今、『VNI界』というジャンルの大きさは予測できない程の広がりを見せました。当方が確認している限り、そのサイト数は700を超えています。
しかしVNI界の拡大に伴い、それを構成する個々のサイトの低質化も目立つ様になってきたのもまた事実です。
ネタでは無いのにも拘らず数日で更新を停止してしまっているサイト。アクセス数稼ぎの為に無意味にちゆフォーマットを採用し、VNIを名乗るサイト。これが原因の全てではありませんが、この様な例を挙げ始めたら限がありません。
そしてそれらサイトの中には、ちゆ12歳様にリンクを張っていないサイトも多数見られます。
勿論ちゆ様がそれを強制・推奨しているわけではありませんが、フォーマットを借用している以上、敬意、場合によっては謝罪の念を払うためにリンクを張るのは『VNI』を名乗る者として当然の行為だと、当方はそう考えております。

氷瀬秋子氏から『ほかん庫(仮)』を受け継いだ時点で当方の中に在った、VNIらに対する期待と興味は、既に現時点では欠片程も残っておりません。VNI界を一ブックマーク集ページとしてまったりと見つめ続けるのは、時間の浪費と判断致しました。
結局は、「ちゆって誰?」と言い出す人間(最早VNIではない)が出現しそうな勢いで、それら劣化コピーとも言い難いサイトが増え続ける現状を冷静に静観し続けられるほど、当方は大人でもなかったという話です。

閉鎖の宣言は、当方の本心を行動に移したものに他なりません。ただあの時は溜まっていたストレスを一気に爆発させてしまった直後なので、言葉を選ぶという配慮など何も足りませんでした。
当方を運営する上では『内容の如何に問わず、VNIの網羅』という事を至上としておりました。しかし登録・拡大を推し進める中で次第にあまり褒められたものではないサイトを目にする事が多くなってきたのです。今まではVNIの数も増えたし仕方もないだろうと考えていました。

登録作業を進める上で必要になるのが、登録対象となるサイトを隅から隅まで閲覧することです。しかし、前述したようなサイトが大手を振って経営している姿を見る度に、私の中には知らず知らずの内にストレスが少しづつ積もってゆき、そして今回の『ROVNI弾圧騒動』で溜まったものが破裂してしまいました…。
…何故ストレスに耐えられなくなったか説明をしますと、VNIの弾圧を目的としたVNIが登場してしまうという現状では、もうこの世界もお終いだなと思ってしまったが原因です。

低質なVNIとは、RO系の大半が全てではありません。…はっきり言わせてもらえば、当方の主観においてRO系のVNIにそのようなサイトが少ないと言えないのは事実ですが。
当方も一時は『[日記]、[版権]、[ちゆ型]、キーワード:ラグナロクオンライン』だけのサイトを後幾つ登録すればいいのかと、勝手に思い悩んでいた事もありました。
しかし登録を進める中で、他にも見られたものではないサイトを幾つも見てきました。当然、それもフラストレーションの一部に加算されていると思います。
感情を爆発させてしまったのは『すっかり堕落してしまった量産VNI界』に対してのものですので…。

バーチャルネットブックマーク集・ほかん庫

VNIというものに関してですけど、本来は「ちゆ12歳」さんのサイトからはじまった
んですよね。 そこから主に、それに似せたテキストサイトが増えていったわけです。

RO系VNIもそれにしかりです。 ただ普通のVNIと違うところは、一般のニュースなど
にはまったく触れず、ラグナロクオンラインのことしか扱っていないところでしょうか。

でも、これはどの系列のサイトも似たようなものではないのでしょうか? なにかしら
を特化させたサイトはこのネット上にいくらでも転がっているわけです。

RO系VNIはラグナロクの日記や情報で成り立っているんです。
それがいけないことなのでしょうか?

09/08「肯定と否定」(yuyuでRo!)

最初に言っておきます。最近のRO系VNIの増加についてですけど、じおこは別にROVNIの増加に問題はないと思います。
むしろガンガンVNIが増えたほうが面白いと思っています。

さて、四月~五月ぐらいにVNI同士がROネタ馴れ合いでHP更新が激しい時がありました。もう凄まじいぐらいに、酷い時にはチャットルームの内容(ROネタではないですが身内ネタで)までもちだしてみんなで馴れ合いちゆデー的(文中リンクして相手先をみないと内容がわからないことまでしてました。)なことををやり始めていました。(私もあれには腹が立ちました。)これにたまりかねたVNIファンの方が某BBSで「あれなんとかならないでしょうか?」と訴えていたのを思い出します。

 じおこはこの人達のシグナルにVNI達が気付かなかったのがそもそもの問題だったのではないかと思います。(まあ、気付けと言うほうが難しいですが・・・) そうして7月、RO馴れ合い化が激しくすすみ、なんだかROをやらないとVNIとしてやっていけない状況ができ始めついに、この状況に耐えかねた花火さんが訴えました。
なんでVNIでRO日記をやるのか?と よっぽど悔しかったのではないでしょうか?

まあ、気にせずが一番なのでしょうが、他の一般VNI達は嫌がってました。(じおこは多少は気にしてましたが w)

ROで馴れ合ってVNIになったほうがお得と言う考え方が最近出てきたと思います。VNI界で

実際にRO系VNIしか最近増えてしかいないのではないでしょうか?
じおこは、そうゆう環境を作っている今のVNI界は良くないと感じ始めています。
(またRO型VNI撲滅サイトが出てくる環境も良くないです。)

それに、ちょっと、じおこ色々みてみましたが、VNI同士での文中リンクが多い人も見受けられます。
そうゆうことをすると、努力して大きくなろうとするVNIが育たないんです!! じおこはこれが残念でならないんです!!

とくに、レイホウさんやさやさやさん気をつけてほしいんです。文中リンクは、VNIを応援しますなんてやったらとんでもないアクセス数が流れるんです。(これはもう、某VNIを応援した時にわかっています。)そうしたらどうでしょうか?、努力して頑張ってるVNIさんが育つでしょうか?

なんとゆうか、その、もう少し読者や他のVNIさんに気を遣って欲しいんです、RO型VNIの皆さん(もちろんVNIさんも)
「身内だけわかってればいい、嫌ならくんな」ってゆうのは、そのVNIを訪問した人になんだか凄く失礼だと思うんです。
また、VNI同士の馴れ合いばかりの応援もあまりじおこは関心しません。
あと、もう一つ、版権物でVNIをやっている人、特に注意してください。
抱き枕をもってるぐらいキャラ好きな人もいるので、安易な気持ちでVNIは絶対にやらないでください。

最後に
願わくは、VNI界が侍魂フォトいじりのように衰退しないように…

RO型VNI撲滅サイトについて無料HPスペース娘・じおこ13歳

7.2003年 ブームの終了

主要なサイトの開設年月

2003年1月

メガネバリヤー』 『バーチャルネットアイドルユニット「テキッ娘。」

2003年3月

テキスタイルポップ

2003年5月

『ファンタ』 『アルティメットジェッター中村』 『ペパーミント

2003年7月

off topic』 『ディッシュアップ!』 『ねとながめ』 『ニュートリノ』 『ザイーガ(バナナが黄色いわけ→)』

2003年9月

『Target capture』

『テキッ娘。』の挫折

 テキストサイト界の中で一足早く衰退が明確であったVNI。2003年1月3日、『かまくら』の釜本雪生氏はVNIサイト『バーチャルネットアイドルユニット「テキッ娘。」』を立ち上げた。

 開設の目的としては「ちゆや侍魂の更新頻度が落ちた今、廃れていくテキストサイト界にカンフル剤をうつべく、テキッ娘を開始しようと思った」という事らしい(*7A)。 このサイトはVNI系だが、管理人が雪生氏だけあって、色々なテキストサイトのいいとこ取りをしたようなサイトであった。特徴としては以下があげられる。
・週6回更新。
・「電子の世界でデビューを果たした5人組のネットアイドルグループの運営する番組」というコンセプト
・イメージとしては深夜のラジオ番組
・曜日によって異なる女の子がDJを務める
・5人のDJはそれぞれ得意分野を持っている。日曜日「たまき」は洋楽、月曜日「かれん」は漫画、火曜日「えりりん」は映画、水曜日「あまね」はゲーム、木曜日「ゆかりん」は競馬&toto。
・ピックアップニュース、フリートーク(お便り紹介)は定期更新。得意分野に関する記事は不定期更新。
・絵は『LALAMIX』が描いた。
 VNI系であるから仮想人格を設定するわけだが、更新する曜日ごとに違う人格を5つ用意したというのが『テキッ娘。』一番の特徴。 しかも5人の人格にはそれぞれに違う得意分野を設定しているという凝りよう。 これを雪生氏は「バーチャルディスクジョッキーシステム」と名づけた。このシステムだが、読者に広く話題を提供する点では優れているものの、 5人のDJが日替わりで担当するといっても書いているのは雪生氏一人なわけで、負担が大きい。 『テキッ娘。』はすぐに話題となり、専用スレも立ったが、スレには「これは更新が厳しいんじゃないの?」という意見がでている。

36 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 07:16 ID:nwRkpQ37
VNIがまだ四天王(ちゆ米ウロンL)だけの頃に登場してれば
少しは、ねぇ…と思った。
この四人を雑誌とかが娘。のように起用してる事を考えると
雪男といえ、一人五役じゃ辛いわな。
すごーく惜しいサイトである事には賛同。
これじゃ「かまくら」のほうが面白いっす。
 
雪男の芸風はお米たんのお兄ちゃんに似てるんで
「それなりに」期待はしてる。
 
39 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 08:01 ID:n4hwJDJv
結論、
傷の浅いうちに止めた方が
っつーかんじですか
 
実際の話、2、3ヶ月やってからニッチもサッチもいかなくときが
一番くるしいのではないかという…
 
雪男さん、濁又にリンクしてるって事は、ここ見てらっしゃいますか?
かまくら更新がんばってください
 
52 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 11:18 ID:S7TBCI/H
冷静に考えると絶対これ行き詰まるぞ。個人でやったら。
中の人を早急に補充したほうがいいと思われる。
 
5人もいるのにキャラ分けが満足にできず
語尾の変化とか喋り方程度で区別させて
それでもなんとなく芸風は同じ、みたいなことになりそう。
話題の幅もそれほど大きくとれないだろうし

テキッ娘

・最初は3人(ユニットだと主張できる最小人数)に留めておくべき。中の人が1人で5人キャラ使い分けて毎日更新なんて絶対無理。現状ですらすでに破綻している。メンバー増員は、中の人を増やすなどして、運営にかかるコストを余裕を持って受け止められる体制が整うまで我慢。

1月25日・2回目(無題)

 『ちゆ12歳』の強さは「濃いオタク文化というのを、ライトなオタクや一般人に伝える事の上手さ」にある。 然し、量産型VNI達の多くはその事が解らず、或いは解っていても真似出来ず、結果として量産型VNI達の多くは身内だけしか面白くない「ただのオタクサイト」に成り下がっていた。 『テキッ娘。』は、サイトデザインは凝っているし、内容は一般人でも理解が出来るように噛み砕いた文章で書かれている。 ポテンシャルの高さを感じさせるサイトであった。
 開設して直ぐにアクセス数を一日3000ヒット稼いでおり、相当期待されていた(悪くいうならヲチられていた)わけだが、『777's Loop Light's Loom』との間に揉め事が発生(*7B)。 更には『バーチャルネットアイドルユニット 不適ッ娘。』『バーチャルネットアイドルユニット 敵ッ娘。』というパロディサイトが現れる等、周りからおちょくられる始末。 それでも3月中旬までは更新していた。然し、3月末に「春休みをとります」といって更新休止。4月に再開する予定だったのだが、4月になっても再開されない。
 そして8月、雪生氏はついに『テキッ娘。』の「無期限更新停止」を発表する。

 テキッ娘。に関してのお詫び  

 まずは、何よりも先に「テキッ娘。」の更新を楽しみにしてくださっていた方々にお詫びします。長々と放置して申し訳ありませんでした。  

 更新停止については一言で申しますと、「就職したので時間が無くなってしまった」というのが理由です。正直な話、ずっと悩んではいました。「毎日更新をやめて形態を変えればまだ細々とは続けられるんじゃないか」という迷いを引きずったまま具体的に何もせずここまで引っ張ってしまった、というのが放置の真相です。  

 もちろんそれが更新停止の告知を出さなかったことの言い訳になるとは思っていませんし、何事も無かったことにしようとも思っていません。「忙しくて続けられなくなった」だけで「やりたくなくなった」わけではないので、いつかは形を変えて(更新負担の軽い形で)復活させてみたいとも思っています。その時またお会いしましょう、ということでテキッ娘については「閉鎖」ではなく「無期限更新停止」という形で残します(フォーム等は外しておきます)。
 今までテキッ娘を読んでくれて本当にありがとうございました。今後も何らかの形でネット活動は続けていくつもりですので、失った信頼は言葉でなく行動で取り戻せていけたらと考えています。今しばらくの休養をどうかお許しください。それではまた。

お詫びかまくら

 その後、『テキッ娘。』は2度と更新されることは無かった。

 この企画、当時こそ散々悪い風に言われていました。パクリ、つまらない、エトセトラ。けど、今こうやって見てみると結構いけるような感じもしませんか? ということです。

 何せ今や「萌え」が流行語大賞にノミネートされるようなカオスな世の中ですよ。時代はインパクトを求めている。そして、それが『テキッ娘。』にはある!

 それに『テキッ娘。』はたった2ヶ月しか存在しなかったサイトなのにも関わらず、未だに話題に出るときがあるくらいです。それくらいみんなの心には残っているのです。

なぜ『テキッ娘。』は失敗したのか?~教科書には載らない『テキッ娘。』の歴史~ほいみんのページ7

*7A:2003年2月13日にネットラジオで雪生氏がそう語ったらしいのだが私はそのネットラジオを聞いていない。 あくまで「テキッ娘。Part2」に書いてあったことが元なので「らしい」と書いた。 この発言で重要なのは「廃れていくテキストサイト界」という言葉を使った事である。

267 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 16:14 ID:i1V975Gx
http://www.radiat.net/ondemand_wed.html

ここから「みかか」
釜本おやじのカマっぽいトークが楽しめる(藁)

268 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 18:18 ID:jvWT3Cn5
>>267
つまんねーラジオだなオイ。ラジオってこういうもんなの?

269 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 18:27 ID:jzJ1coMZ
>>268
だよねー。
でも頑張って聴いたぞ。

・雪男のコメントまとめ

ちゆや侍魂の更新頻度が落ちた今、廃れていくテキストサイト界にカンフル剤をうつべく、テキッ娘を開始しようと思った。

2chのスレ住民の方がよく考えてる(と冗談めかすように)。
また、この前スレに登場した雪男は本人じゃない。

次の展開は考えてある。

…とまあ、こんな感じで特に聴くほどの内容はなかったです。

270 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 18:48 ID:jvWT3Cn5
>>269
自分、ラジオってほとんど聴かないからスキルが足らないのかと思った。

271 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 22:54 ID:50l1VFuB
>269
素朴なつっこみとしては、テキストサイト界って廃れていっているのかと言いたい。

272 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 22:58 ID:oCCyD/Px
廃れてるっつーより一般的になってきたと思うのだが。

273 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 23:08 ID:EdV3MngT
廃れてはないな。
増えすぎて色々趣向の方向が変わってきたというべきか。

テキッ娘。Part2

このとおり「廃れていく」という表現に対し、否定的な意見が直ぐに書かれている。 後ほど「衰退への意識」でも触れるが2003年時、テキストサイトの衰退を一部の人は感じていたものの、多くの人は衰退という認識を持ってはいなかった。(ブームが終わった程度の認識)
*7B: 『777's Loop Light's Loom』が『テキッ娘。』の画像を改竄し、パロディネタを公開。これに対し、『テキッ娘。』の雪生氏が『777'sLLL』にメールを送り、画像の削除を要求した。すると『777'sLLL』は雪生が送ったメールを公開、更に「あーなんだ、本物のバカか。遠慮して損した。笑」などと雪生氏を馬鹿にした事で騒動になった。 『α汁』のおはら氏はこの騒動に対し、どっちもどっちだとし、 「テキッ娘に関して雪男氏が本気で取り組もうとしている事は重々承知しております。色々と板ばさみになって右往左往している事も。なのでこれ以上の言及はしたくないのですが、あえて言うなら「急いては事を損じる」と。落ち着いて地固めしましょうよ…。色々な可能性のあるサイトなんだからもったいないって。」と語った。

『ダークマター』の更新停止と後継を狙ったサイト達

 2003年6月30日、開設以来テキストサイト界のニュースサイトというべき存在であり、大きな影響力を持っていた『ダークマター』が更新停止となる。 そして後継を狙う者たちが現れた。但し、「テキテキサイトの寿命は短い」の前例通り直ぐに閉鎖・更新停止となるものが多かった(抑々『ダークマター』自体が1年)。 『ニュートリノ』はサイトデザインからして『ダークマター』そのままであり、後継になろうという意思があからさまであったが一ヶ月持たずに更新停止。 他に『ナイトメア』『ディッシュアップ!』も短い命であった。 そんななかでも 『Target capture』『ねとながめ』『off topic』が後継サイトとして育った。 然し、テキストサイト界の拡大が止まり、情報源であった「ネットウォッチ@2ch掲示板」の性質は2004年以降大きく変化。テキストサイト系テキストサイトは消えていく事になる。

衰退への意識

 2003年9月1日、『遥かな道しるべ』は「テキストサイト系テキストサイトの現状メモ」という記事を書いた。 「最近はテキストサイト系テキストサイトの閉鎖が多い」という内容である。

2003年09月01日月曜日

テキストサイト系テキストサイトの走りでもあるてらにゅさんが更新終了。てらたまテキストサイトニュースの頃から見ていた者としてはログも残さず無くなってしまうのはかなり寂しいですが、何はともあれ1年半お疲れ様でした。

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時期的なものなのか気のせいなのか何とも言えないところですが、なんか最近テキストサイト系テキストサイトと呼ばれる類のサイトの閉鎖や休止が相次いでいるようないないような。自分の所の更新に関るのでためしにちょっとメモ。

テキストサイト系テキストサイトの現状メモ

■ダークマターのテキストサイト系テキストサイトリンク集より
・ニュース系
てらにゅ(閉鎖)  HAGAKURE理論  HAGAKURE Plus  est(更新停止中)  URAGAWA LAST BOY  パラレルは宝(閉鎖)  遥かな道しるべ  diarrhea(閉鎖)  テキコンのぞき。(閉鎖)
・ネタ系
MMR Super(閉鎖)
・情報系
読我新聞  殺害現場  それ行けGoogle探検隊(最終更新05月04日)
・批評系
ヘイ・ブルドッグ  愛・蔵太の気ままな日記  めけめけ@DC(批評は停滞気味)  デマゴーグマイルド(批評は停滞気味)  オブザデ(閉鎖)  FindMe!(最終更新02月15日) 
・創作批評系
続・ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ(最終更新07月25日)
・エッセイ系
D-Point  チャッピーのおまけ日記  迎賓館裏口  中堅テキスレレビ(最終更新06月04日)
・データベース系
テキスタイルポップ  トヨペケたん(;´Д`)ハァハァ  VNI総合ウォッチ 過去ログ倉庫&News(最終更新04月08日)
・ファンサイト系
おむつプレイ(最終更新07月13日)
・地獄の番犬
ケルベロス(閉鎖)

■ダークマター閉鎖以後
UNDER500(最終更新07月22日)  ナイトメア(閉鎖)  ニュートリノ(最終更新07月29日)  ディッシュアップ!  off topic  流星RIDE

実際に見てみたら過去1ヶ月以内に更新があるサイトが3分の1ほどとなかなか寂しい結果に。他のジャンルと比べて割合的にはそう多くないのかもしれないですが、絶対数が少ないのでどうしても寂寥感を感じてしまいます。

2003年09月01日月曜日(遥かな道しるべ)

 これに対し、『おれはおまえのパパじゃない』は、 「ジャンルの盛衰」にて テキスト系テキストだけではなく、テキストサイト全体で元気の無さが目立つと書く。さらに 『ARTIFACT』が 「テキストサイトの衰退?」 を書いた。この3記事はウェブ文化論的に重要である。 2006年に、かーず氏とばるぼら氏の対談をきっかけにして「FLASH・動画板とそれを中心をしたコミュニティの衰退」が話題としてよく上がっていたが、この時は「FLASH・動画板の衰退」を住民が意識しており、 各ブログでは「何故衰退したのか」や「衰退の経緯」について色々書かれる事となった。 つまり、「テキストサイトの衰退」という内容のエントリーに対する反応を見ることで当時の人々はテキストサイトの衰退をどの程度意識していたのかを知る事が出来るのである。
 『ARTIFACT』が有名サイトな事もあり、反応は沢山あったのだが『ARTIFACT』が引いてきた資料の妥当性、或いはコミュニティ論についてばかり反応しており、「テキストサイトの衰退」という言葉に対しての反応が薄い。 「テキスレ」でも話題となったが、ここでも参考にした資料が適切ではないという書き込みばかりで、「何故衰退したのか」や「衰退の経緯」といった反応が無い(*7C)。 つまり、2003年下半期当時の人々は「テキストサイトの衰退」という認識を殆ど持っていなかった(全く無かったわけではない事に注意)、そして「テキストサイトの衰退」という単語に対し興味を持たなかったという事と考えられる。 然し、「テキストサイトの衰退」といった内容の記事が書かれ始めたという事実もある。 「テキストサイトの衰退」という言葉に対し「衰退などしていない」という真正面からの有力な反論が無かったという事実もある。 つまり、テキストサイト界にまだ活気はあるものの折り返し地点に入ったという思いを、はっきりとではないが、なんとなく感じ始めていた。2003年下半期は、そんな時期ではないだろうか。

*7C:私の方で調べたものがあるので参考に⇒『テキストサイト界隈の衰退に関する反応(2003年)』。

8.2004年~2009年 成熟期

主要なサイトの開設年月

2004年2月

『久保マムシ』

2004年3月

ブラニュース

2004年7月

『マルチアングルボーイ(がむしゃら。→)』

2004年9月

『天空飛行船』

2004年10月

『ありえねぇから!』

2005年3月

『サトウイヌ』 『谷間の百合

2005年10月

オモコロ

2006年2月

地団駄を踏んで1up

2006年4月

『コルクペニス』

2006年6月

トナリグミ

ネットウォッチ掲示板の変質

 『2ちゃんねる』のネットウォッチ掲示板はウェブで起きた事件について扱う掲示板であった。 それは、「ウォッチ先 さわらず荒らさず まったりと」と掲示板に書かれている通り、遠くからの観察であった(所謂ネトヲチ)。 この掲示板はテキストサイトと密接な関係を持っており、 「テキストサイトはここで語れ」スレッドだけではなく、「中堅テキストスレで面白いの教えて!」「バーチャルネットアイドル総合ウォッチ」「Readme!新作評価レビュー」があったのはこの掲示板であり、 各テキストサイトをウォッチするスレッドがあったのもこの掲示板であった。 テキストサイト間で揉め事が起こった時にはこの掲示板にスレッドが立ち、テキストサイト系テキストサイトが情報源にしていたのもこの掲示板であった。 一時期はテキストサイト界隈がネットウォッチ掲示板の主流であった。
 片や、もう一つネットウォッチスレッドが立つ掲示板として「ネトゲサロン掲示板」というものがあった。ここはネットゲームで目立つプレイヤー、或いは痛いプレイヤーをウォッチするスレッドが立っていた。
 2004年3月12日、ネトゲサロン板でのキャラウォッチが禁止となった。すると、ネトゲサロン板からネットウォッチ板へスレッドと住民が大量移住してきた。 スレッドは彼らに乗っ取られ、事実上のネトゲヲチ掲示板になっていった。

イベントの開催

 ブームが去った事が明確になったテキストサイト界。VNIは確かに衰退著しい状態であったが、その他についてはまだまだ活力がある状態であった。 早々と衰退という言葉を使う人もいたが、この時期の実態としてはテキストサイト界全体に衰退という言葉を使うにはまだ早く、成熟期という言葉のほうが適切といえる。 この時期、FLASH界隈でいうところの紅白FLASH合戦的な企画が行なわれるようになった。


 2004年8月、2005年8月、2006年8月に行われた「NIKKI SONIC」はコンセプトとして 「この世の中に存在する数多くの日記サイトの中でも卓越した日記度を誇る、言わば日記サイトの中の日記サイトを一堂に会し、二日間限りのお祭り騒ぎを繰り広げるイベント」とした。 ロックフェスの日記版という事でNIKKI SONICというイベント名。主催は『ペパーミント』
 2008年11月に行なわれた「Text site summit」はコンセプトとして「古き良きテキストサイト時代の復興を目指し、ありとあらゆる人気日記サイトを一堂に会した二日限りのお祭り」 であり、NIKKI SONICと似たもの。但し、「古き良きテキストサイト時代の復興を目指し」という言葉に時代の変化が現れている。主催は『マルチアングルボーイ』。 3回行なわれた「NIKKI SONIC」と「Text site summit」は古参からテキストサイトブーム世代のサイトが集まった。


 2005年12月に行われた「除夜のテキスト祭」は「108名のサイト管理人が1人1つずつテキストを発表して煩悩を除き、来年もいいテキストが 書けるように願ってバカ騒ぎする」がコンセプト。 主催は『アルティメットジェッター中村』 。実際の参加者はピッタリ108名とはいかなかったが100名以上のサイトが集まるという大規模イベントになった。2006年12月には「Re:除夜のテキスト祭」が行なわれた。
 2007年12月は開催予定が無かったが、『トナリグミ』が継続の為に立ち上がり、「除夜のテキストラーイク祭り」が行なわれた。


 「ReadMe! Newwork Review Carnival」は 「Readme!新作評価レビュー」スレッドが発祥。スレッドで紹介されたサイト達を集めて、NIKKI SONICのようなイベントを行なうというもの。 2005年11月、2006年11月、2007年11月の三回行なわれた。 特筆すべきは「当サイトは実力のある新作サイトを中心に行う」というコンセプト。 これにより、ブーム終了後以後に開設された新世代のテキストサイトが集まった。


 更には、2008年12月に行われ、旧世代サイトと新世代サイトが集まった「紅白日記合戦」。 「新旧の人気テキストサイト、人気ブログが一同に会し、【旧テキストサイト陣営】が赤組・【新進気鋭のブロガー陣営】が白組として競い合う、日記サイト最大規模のお祭り」 がコンセプトであった。

 この他にオフラインイベントではあるが「オフ喜利」も開催された。

 上記イベントへの参加回数の多かったサイトとして、古参では、『俺とパンダ2』『ろじっくぱらだいす』『一流ホームページ』『かメ人間』『吉田が巨大な物を作ってますよ』、 テキストサイトブーム世代として『プラッチック』『Numeri』『クリトレシート』『ペパーミント』、ブーム後世代として『天空飛行船』『谷間の百合』『オズワールド』等が挙げられる。

 その界隈が明らかな衰退期に入った事の指標として、「実力のある新規サイトが発生しなくなる」というものがある。 この頃のテキストサイト界は確かにブームは終わっているがイベントは活発に行なわれていた。 そして、「ReadMe! Newwork Review Carnival」「Text site summit」「紅白日記合戦」に参加したサイトのうち2004年以降に開設したものは約60サイト。まだ実力のある新規サイトが発生していた。 サイトも閲覧者も激増し言い争いが多かったテキストサイトブーム期から安定した時代へ。古参から中堅、新人まで比較的バランスよくいる、それがこの時期といえる。

*:2004年以降のイベントと参加サイト、その開設日を表にした⇒「テキストサイトブームが過ぎ去った後のテキストサイト界を支えたのは誰なのか

『オモコロ』の登場

 『オモコロ』(おもしろコロッセオ)は『ゴブリンと僕。』のシモダテツヤ氏と『グチョグチョライフ』のニスィーベ氏が中心となって開設したサイトである。

 新サイトといっても初期は『ゴブリンと僕。』がメインコンテンツという状態であった。その内独自記事が充実していき人気のサイトへ。 2010年に商業化。雰囲気的に『デイリーポータルZ』に近い感じのサイトとなり、コンテンツはテキストだけではなくなったものの、個性的なライター陣が書く面白テキストは健在。テキストサイトの空気感を継承している。
 シモダ氏とニスィーベ氏以外にもテキストサイト管理人がライターとして数名参加しているが、その中でも一番活躍したのは『オレイズム』のヨッピー氏といえる。

『ReadMe!JAPAN』の閉鎖

 テキストサイトも数多く登録されていた『ReadMe!JAPAN』は2007年11月にランキング機能を停止。理由はサーバーの故障によるものだが、復旧される事は無かった。 2008年2月29日、『ReadMe!JAPAN』は閉鎖した。 テキストサイトだけではなく数多くの個人サイトが登録し競っていた『ReadMe!JAPAN』の閉鎖。前年には『日記才人』も閉鎖しており、個人サイトの時代の終焉を予感させた。

9.2009年~2016年 過去の物として語られるテキストサイト

主要なサイトの開設年月

2009年7月

散文誌

2013年5月

『リバプール(やさしいHP→)』 『VIPでテキストサイトやろうぜ@ウィキ(VIPでテキストサイトブームをまた引きおこそうぜまとめ)→』 『服装第一主義

2013年6月

一番星の下で約束した日

2013年9月

カンナガラ』 『ナマケモノがテキストぱんちゃー』 『LTFFRを目指して

2013年11月

梁の上から

2014年1月

春のショットガン

2014年2月

スポーツ雑記帳

2014年6月

beable雑記δ(beable雑記→)』

2015年9月

最後の銀

2016年1月

『そうだ、FLASHしよう』

2017年1月

第弐仮想領域

遅れてきたテキストサイト、VIPより来たる

 ブログの普及、更にはSNSの台頭と震災以降のSNS普及加速。テキストサイト界、いや個人ニュースサイト界も含めて個人サイトを取り巻く環境は大きく変わっていった。 2013年、テキストサイトは「過去に流行った物」になっていた。そんな状態にも関わらず新規テキストサイトが大量発生する。 それは思いがけない場所からだった。
 2013年5月1日、『2ちゃんねる』のニュー速VIP掲示板に「VIPPERでテキストサイトブームをまた引き起こそうぜwwwwwwww」スレッドが立った。 スレの>>1(白石氏)は先陣を切り、『やさしいHP』(後にリバプールに改名)を開設した。

VIPPERでテキストサイトブームをまた引き起こそうぜwwwwwwww

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:04:08.37 ID:/Sm3WykX0
やろうずwwwwwwwwwwwうはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:09:40.72 ID:WaBUPGFW0
スレ主の行動力に嫉妬wwwwwwwwwww88888888888888888888888

3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:09:41.91 ID:fiOnj+RI0
ちゆ12歳の思い出

4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:10:24.73 ID:/Sm3WykX0
>>3
ネットストーカー懐かしいよなwwwwwwwww
今ってヨシミしかいないのかなwwwwwwwwwwwwwwwwwww

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:12:33.46 ID:/Sm3WykX0
ちょっとテキストサイトつくってくるwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
サイト名どうしようwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:15:13.47 ID:nWIjjefO0
久しぶりに聞いたわその単語
今更流行るかね?

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:17:41.32 ID:/Sm3WykX0
>>6
やってみなきゃわかんねぇwwwwwwwwwww
だめだったら時代に取り残されながらwwwww懐古主義でいるわwwwwwwwwwwwwwwww

よーしパパ忍者ツールにしちゃうぞーwwwwwwwwwwwww

36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/05/01(水) 04:59:07.41 ID:/Sm3WykX0
http://kuj.xxxxxxxx.jp/

できたああああああああああああああwwwwwwwwwwwwwww
俺の!!!俺のテキストサイトじゃあああああああああああああああああああああwwwwwwwwwwwwwwwwww

VIPPERでテキストサイトブームをまた引き起こそうぜwwwwwwww

 同日、『VIPでテキストサイトブームをまた引きおこそうぜ まとめ』wikiが作成された(後の『VIPでテキストサイト wiki』)。このwikiはサイトの作り方、VIPテキストサイトのリスト、イベントへのリンク等、内容が充実していく。
 白石氏に引っ張られる形でVIPPERが開設したサイト数は2013年5月の一ヶ月で29サイト。最終的には200以上(*9A)のサイトが開設した。この数字にも驚かされるが、更に驚かされるのは嘗ての個人サイトの形式を踏襲しているサイトが多いという事。 HTML手打ち、リンクバナー、アクセスカウンタ、テキストサイトではお馴染みの「100の質問」は嘗てのものに加え「新・テキストサイト管理人に100の質問」が新たに考えられた。 テキストサイトの定義について議論になったり(*9B)と、嘗てテキストサイト界で見た後継が再び繰り広げられた。 開催されたイベントとしては、前の人が書いたテキストの最後の一文を次の人の最初の一文とするテキスト版しりとり企画「ムカデ人間」、 参加するサイト管理人からテーマを募り、それをシャッフルして参加者にテーマとして与える「テキスタンルーレット」、 紅白に分かれてテキストの内容を競う「紅白テキスト合戦」、一年を一月づつ各サイトに割り当てて振り返る「振り返り2014年」が行なわれた。 イベントに参加した代表的なサイトとして『一番星の下で約束した日』『春のショットガン』『散文誌』『beable雑記』『鉛色ポエジー』『羊の水海』『LTFFRを目指して』『最後の銀』『そうだ、FLASHしよう』『カンナガラ』『スポーツ雑記帳』『梁の上から』等が挙げられる。

 嘗てのテキストサイトの形式を守り、ノスタルジックな魅力を持つVIPテキストサイトは、ブームをまた引き起すというとんでもない目標を高いテンションで進めた。 勿論それは無理な目標であったしアクセス数は身内で回しあってる状態であった。然し、嘗てのブームを見た者達がテキストサイト界の再興を試み、小さいながらも界隈を形成した大変貴重な例といえる。
 VIP発テキストサイトが活発だったのは2016年まで。そこからは活動が低下していくが、それでも幾つかのサイトは2020年に入っても更新を続けている。

*9A:『VIPでテキストサイト資料』を参照。但しテキストサイトとはいえないようなサイトも幾つかある。参考⇒「今の「VIPでテキストサイト」はただの飲みサー
*9B:参考⇒「2013年にあった「どこまでをテキストサイトとして認めるのか」に関する議論

過去の物として語られるテキストサイト

 VIPテキストサイトは「嘗てのテキストサイトブームを再び起こす」とした。それは、つまりテキストサイトが過去の物であるという認識を意味している。
 初期のテキストサイトが発生した1997~1998年当時、殆どのインターネット回線はまだナローバンドであった。 そんな状況だから、ウェブ上に動画コンテンツは少なく、動画どころか画像も多用出来ない。 ウェブ上に娯楽が少ない状況の中、テキストサイトは貴重な娯楽を担っていた。ナローバンドに対応したデータ量の少ない娯楽、それがテキストサイトの特徴であり、強みであった。

 しかし、だ。通信インフラが整い高速化していくことは、確かにインターネット全体の未来にとっては歓迎すべき事態だろう。 だがそれは、我々のこのテキストサイトの未来にとってはどうなのだろうか?
 かつてあの低速回線時代を通り抜けてきた者なら、テレホタイムにサイトを読み込んだままトイレに行って帰ってきたらまだ半分も表示されてなかった、 なんて悪夢を一度や二度ならず経験しているはずだ。画像一枚満足に表示できない、そんな粗末な回線状況だったからこそ、 軽くて表示の速いテキストサイトは当時ネットの娯楽に飢えていた人々に受け入れられていったわけだ。 特別他のジャンルに比べて面白かったというよりは、文字だけのテキストサイトくらいしか娯楽としてまともに毎日見るに絶えるものが他になかったというのがかつてのネットだったのだ。

 画像やムービーはそれだけで何メガというデータ量を要するのに対して、文字だけのテキストサイトはサイト全部のデータ合わせて1メガに満たないなんてことがザラにある。 データ量に対しての面白さの密度、という条件ならばテキストサイトにかなうものはネットに存在しない。これはかつて間違いなくテキストサイトが持っていた大きな大きなアドバンテージだった。

テキストサイトの未来 ~テクノロジー編(釜本雪生&くぼうちのぶゆき著 テキストサイト大全)

 一時期、テキストサイト界は確かにウェブの話題の中心にいた。然し、一般家庭のインターネット回線が高速化していく中でFlash動画の人気、更には『youtube』『ニコニコ動画』といった動画投稿サイトの登場。 テキストサイトが持っていた強みは失われていった。 又、文章が主体のサイトでもブログに話題を取られた。 日本におけるブログ圏はテキストサイトとは違う系譜にいたが文章がコンテンツのサイトである事に違いは無く、しかもブログにはテキストサイトには無い新鮮さがあった。 アルファブロガーだWeb 2.0だブロゴスフィアだといわれる時期にテキストサイト界は成熟期を迎えつつ、徐々に話題に上がらなくなっていった。存在感は減少していった。 2010年台にはテキストサイト界だけではなく、個人サイト全体が廃れていく中でテキストサイト界はもはや界といえる程の集団では無くなった。
 テキストサイトの管理人からウェブ系ライターの代表格になったヨッピー氏が2013年に書いた「あれだけ流行ったテキストサイトが何故廃れたのか考えてみる」では 「その昔、インターネットにはテキストサイトというものが存在した」とテキストサイトが過去の物として語られた。 同年に起きたVIPテキストサイトの登場がテキストサイト界に咲いた最後の一花であった。

 但し、テキストサイト自体が無くなったのではない。界隈として維持できなくなったという事であり、更新を続けているテキストサイトは存在する。そして何よりテキストサイトの文体はウェブに生き続けているのである。

10.テキストサイトの定義

 テキストサイトには答えの出ない永遠のテーマが一つある。それはテキストサイトの定義。 テキストサイトを一言で表すと「テキストがメインコンテンツの個人サイト」となる。 然し、それをテキストサイトの定義にしてしまうと「日記サイト」「雑文サイト」「ブログ」はテキストサイトなのかという話になる。 そして、一般的にこの3種とテキストサイトは区別されている。 つまり「テキストがメインコンテンツの個人サイト」だけでは定義としては足りない事が解る。 更には、絵日記サイトも一部はテキストサイトといわれた。 加えて個人ニュースサイトもコラム型のサイトについては人によってテキストサイトに分類するケースもあった。 こうなってくるとテキストサイトとは何なのかがよく解らなくなってくる。
 2013年7月、VIPテキストサイト界隈では「どこまでをテキストサイトと認めるか」という問題が出てきた。 VIPPER達でテキストサイトを作ろうと呼びかけて出来たサイトには、絵ばっかりのサイト等「これはテキストサイトなのか?」と思ってしまう物があったからである。 この問題を解決する為にテキストサイトの定義について議論されたのだが、 結論は出ず、VIPテキストサイトの先陣を切っている『リバプール』の白石氏は「    心  か」と発言した。 つまり、サイトの管理人が「テキストサイトを作っている」と考えればそれはテキストサイトとするという事である。 テキストサイトかどうかの判断は周りが行なうのではなく、サイト管理人の判断や良心に委ねたのである。
 これはVIPテキストサイト界隈の事情を考えれば、現実的な判断といえた。 つまり、嘗てのテキストサイトブームを見てきたVIPPER達が2013年になってテキストサイトを作りだした。 テキストサイトブームの頃には様々な形・派閥のテキストサイトがあって、彼ら全員が同じ物を見てきた訳ではない。だから人によってテキストサイト像が違う。 それを一部の人によって「テキストサイトはこうだ!」と決めてしまってもそれは「あくまでも決めた人のテキストサイト像」でしかなくて、 他の人からは異論が出てきて必ず揉め事になる。だからかなり広めな定義を決めて、後はサイト管理人自身が自分のサイトについてどう思っているかに任せるしかない。
 2002年に発売された「テキストサイト大全」は『かまくら』『テキッ娘。』の雪生氏と『コスモクルーズ』の久保内氏が書いた本であり、 ブーム期のテキストサイトについて書かれた文としては最も整理された物である。ここにテキストサイトの定義についてのページがある。 しかし、具体的な条件での定義はしておらず、「そんなものはありません」「うちってテキストサイトかなあと思えばそこはテキストサイト」としている。 これは白石氏の「    心  か」といっている事は同じである。

 テキストサイトを語るにあたってまず一番最初にしておかなくちゃならないことは、当たり前だけど「どっからどこまでをテキストサイトと呼ぶか?」 の定義だろう。この条件を満たしていなければテキストサイトとは呼ばない、という絶対条件は果たして存在するのだろうか?
 これについては筆者はこう答えるしかない。「そんなものはありません」と。石を投げられてしまいそうな返事だけど、こればっかりは本当にそうなんだから仕方がない。 テキストサイトがテキストサイトであるために絶対に必要な条件というのは、実は存在しないのだ。本人がなんとなく「うちってテキストサイトかなあ」 と思えばそこはテキストサイトだし、逆に本人が「うちはテキストサイトじゃない! そんな風に扱われるのは心外だ」という態度を示したところで周りが 「でも、あそこってテキストサイトだよなあ」と思えばそこはテキストサイトになってしまうもの。 本当にいい加減な話だけど、逆に言えばこのとんでもないアバウトさと懐の広さがテキストサイトの良いところであって、だからこそここまで発展してこれたんだって見方もできなくもないかな。

テキストサイトの定義(釜本雪生&くぼうちのぶゆき著 テキストサイト大全)

 テキストサイトかどうかの判断をサイト管理人に委ねる方法は先に書いた通り運用面では現実的なのだが、 理論面では困る事態にもなる。例えば「テキストサイトの歴史」を書くときにテキストサイトの定義を決めておかないと、どこまで書いたらいいのかが解らなくなってしまう。そこで、テキストサイトの定義について改めて考えてみる。 「このサイトはテキストサイト」と判断するための条件は何なのだろうか。どんなサイトにも文章は存在する。その中でテキストサイトと分類されるのは、どのようなサイトになるのか。

テキストサイトの特徴

 先ずテキストサイトの特徴を挙げてみる。すると最初に考えられるのはこれである。

  ・文章によって閲覧者を楽しませる事が目的の個人サイト

 文章が主体のウェブ日記やブログ圏のサイトとの違いは、これに他ならず。真っ先に挙げるべき特徴といえる。 逆にシステム的に商業ブログサービスを使ってたとしても閲覧者を楽しませる事を目的としていればそれはテキストサイトといえる。 現に商業ブログサービスを使うテキストサイトは存在する。

 さて、閲覧者を楽しませる事を目的といっても、それは概念的な所がある。より具体的な特徴はないだろうか。

  ・「フォント弄り」を多用している
  ・「間を意識した改行」を多用している
  ・「おすすめテキスト」といった形で過去に話題になった文章へのリンクがトップページにある
  ・日次更新
  ・HTML手書き

 これは当てはまらないテキストサイトも多いし、当てはまってもテキストサイトではない物もある。然し所謂侍魂以後世代のサイトであればだいたい当てはまる条件といえる。ネタの内容としては

  ・サブカル(オタク)ネタ。特にTVゲーム
  ・自虐(痛い)ネタ

 が比較的多めである。テキストサイトの多くが影響を受けたと語る『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』はゲームネタ。 痛い系の中心サイトであった『兄貴の館』もゲームネタ。その痛い系の代表格である『ろじっくぱらだいす』は自虐(痛い)ネタ。 クローンを多く生み出した『ちゆ12歳』はサブカルネタである。
 テキストサイトではどういうページを置いていたかにも特徴を見出せる。

  ・[トップページ(最新のテキスト)][過去のテキスト][(過去のテキストから抜粋した)お勧めテキスト][他のテキストサイトへのリンク]

 さて、ここでテキストサイトについて詳しい人は気が付くはずである。これまで熟々と書いた特徴は所謂コジャレ系には当てはまらない部分が多い。 テキストサイトは遡るとゲーム論評系とコジャレ系の二つがあり、これが融合していったという流れがテキストサイトの定義を更に難しくしている。 テキストサイトは系統が重要であるから、次に系統を纏める。

テキストサイトの系統

 テキストサイトは遡るとゲーム論評系とコジャレ系の二つがあるという話をしたので簡単な系統図を示す。 一応念のために言っておくと、系統図は作る人によって違うものが出来上がるだろう。 何故なら「どの指標を軸にするのか」「どういった視点で評価するのか」によって変わってくるから。この図は一例である。

 ・日記系:ブログ、雑文、テキストサイトを一纏めにした言い方。広義のテキストサイト。
 ・日常日記系:まさに日記そのもの。テキストサイトという言葉が無い時代のテキストサイトは日記系と呼ばれており、テキストサイトという言葉が生まれてからも日記系と呼ぶ人は少なくなかった。
 ・日常日記系時事派:時事ネタ中心。後のブロガーに多いタイプ。
 ・コジャレ系:日記系の内、洒落たデザインとサブカルが結びついたサイト。
 ・ライト日記系:コジャレ系のデザインを引き継いだサイト
 ・ゲーム論評系:クソゲー論評の文体とフォント弄りを使うサイト。
 ・痛い系:ネタ日記系の内、ネタの自虐率が高いサイト。クソゲー論評に影響を受けたサイトが多い。
 ・不条理系:ネタ日記系のうち予測不可能な文書のサイト。
 ・絵日記系:絵日記サイトにはテキストサイトをルーツに持つ者がいるので狭義のテキストサイトに入れても不自然ではない。図では境界線上に配置した。
 ・量産型VNI:VNIはテキストサイトといわれているが、時事ネタ日記・ニュースサイト傾向が強い。
 ・テキストサイトブーム以降のテキストサイト:言い換えるなら侍魂以後世代のテキストサイト。テキストサイトという言葉が広まり、 テキストサイトを日記系ではなくテキストサイトとして意識し、サイトを開設した世代。
 ・テキテキサイト:テキストサイト系テキストサイト。テキストサイト界について書いたテキストサイト。侍魂以後に出現。
 ・雑文系:随筆・エッセイのサイト。中心人物達は元々パソコン通信で活動していた。狭義のテキストサイトからは外したが、入れても間違いとはいえない。
 ・ブログ:=日常日記系。商業のブログサービスが始まって以降の日常日記系。ブログという言葉が広まり、商業のブログサービスやツールを使い、ブログとして意識しサイトを開設した世代。

 ちなみにこの図は『新・Readme!新作評価レビュースレ』にあった図をカスタマイズをしたものである。 元の図は次を参照のこと⇒『日記系サイトの系統図

テキストサイトの定義

 さて、ここまで書いた事を踏まえ、この文におけるテキストサイトの定義は下記とする。

  ・【文章によって閲覧者を楽しませる事が目的の個人サイト】且つ【系譜を遡れば「ゲーム論評系」或いは「コジャレ系」に行き着くサイト】

 系譜を遡るというのは例えばこうである。

  『さくらばのほめぱげ』というテキストサイトがあったとする。
  『さくらばのほめぱげ』は『えこのみっくぱらだいす』の影響を受けた⇒『えこのみっくぱらだいす』は『ろじっくぱらだいす』の影響を受けた⇒『ろじっくぱらだいす』は『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の影響を受けた
    ↓
  『さくらばのほめぱげ』はテキストサイト!

 テキストサイトには様々な形があって、全員が同じ物を見てきた訳ではない。だから人によってテキストサイト像が違う。この文におけるテキストサイトの定義は「あくまでも私が決めたテキストサイトの定義」でしかない。 色々なテキストサイトの定義があるはずだし、あっていい。

11.評論

 テキストサイト界はテキストサイトブームといわれる程の大きな流れを引き起こし、ウェブ社会にその存在感を示した。テキストサイト界はウェブの話題の中心にいたし、大手テキストサイトの管理人はウェブの有名人でもあった。 一個人がサイトスペースを借り、個人サイトを立ち上げ、狭い世界の話ではあるが有名人になれる。それはインターネットの可能性を解りやすく示した事例といえた。勿論実力がなければ無理なのではあるが。 インターネットによる情報発信の革命が個人サイトという形で一旦実現した時代の花形、それがテキストサイトであった。
 無論、テキストサイト界は素人集団だけで出来た物ではなく、初期はプロのライター達の影響を強く受けた。彼らが個人サイト或いはe-zineという形でウェブに進出。 彼らが作り出すサイトやテキストに影響されて他の者もサイトやテキストを洗練させていき、テキストサイトは従来のウェブ日記とは一線を画す物になっていった。 やがて界隈からプロのライターや小説家が育っていくという好循環も生まれた。

 ブームといえる程大きな流れになった理由として『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』の3サイトの登場が大きかった。 特に『侍魂』は伝説となった先行者テキストを生み出しただけではなく、管理人健氏の個性もあり、数あるテキストサイトの象徴となった。 テキストサイト界に限らず、どの界隈でもそうなのだが、その界隈に数多くのサイトが有っても、その中で界隈を引っ張っていく力の有るサイトは極一部。 力の有るサイトがそのカリスマによって界隈の大勢を決める側面がある。 先の3サイトは多数の閲覧者、多数のファンを獲得し、テキストサイトを知らない人達にその面白さを広めた。 界隈の外への宣伝力があるサイトは一握り、だからこそ早々に更新頻度が激減した『侍魂』と『ちゆ12歳』は更新を待ち望む声が閲覧者だけではなくテキストサイト管理人の中にも多かった。 特に『ちゆ12歳』は量産型VNIの総大将であるから、『ちゆ12歳』の更新頻度低下はVNI界の活力低下にそのまま結びついたと考えられる。

 先の3サイトは多数の閲覧者・多数のファンの獲得と同時に多数の模倣サイトを生み出した。模倣サイトの中には低質なサイトも多く、それはテキストサイト界全体のレベルを下げるに至り、アクセス至上主義を生み、脳死を生んだ。 ブーム期に発生したサイトを軽蔑の意味で「侍魂以後」と呼ぶ向きもあった。 テキストサイト管理人の中には「テキストサイトとはこうあるべき」という矜持を持つ人もいて、そういった人からすると低質模倣サイトは許せなかったと考えられるし、実際にサイト間の揉め事が発生した。
 但し、サイトの大量発生が必ずしも悪い訳ではない。 大量発生したからこそ、人々に「テキストサイトが流行っている」として認識させ、更なる注目を集めるようになったし、コミュニティが大きくなればサイトの質の平均が下がるのは当然の事。揉め事が増えるのは当然の事。 揉め事が発生するのはコミュニティに活力がある証拠でもある。 更にいうと、そういった事を含めて一つのテキストサイト界としての面白みであり、その揉め事にワイドショー的なエンターテイメント性があったからこそテキスト系テキストサイトが発生した。 低質サイトの大量発生は、それ自体が問題なのではなく、低質サイトの中に埋もれてしまった優秀な新サイトを引き上げる事が出来ない所にある。
 勿論この状態を座視していた訳ではなく、実力のある新サイトを引き上げる試みは行なわれていたのだが、効果を上げたとはいえなかった。 『このテキストサイトがすごい!』は、その試みの中で一番期待されたものであったが、管理人の信念に頼った運営は結局管理人の挫折という形で終わった。 但し、これはテキストサイト界だけの問題ではなく他の界隈でも同様の問題が有った。そして、対策をとっても結局は根本的な解決に至らなかった。

 大量に発生したサイトに低質なものが多かった理由として、テキストサイトは一見誰にでも運営出来るように見えて、実際は技量を求められるという特徴が挙げられる。 文章を書くだけなら誰でも出来るが、面白いテキストを原則毎日安定供給出来る人間など一握り。 それを長期間続けるとなれば尚更であった。加えて、時間に余裕のある学生が行なうならまだしも社会人が空き時間を使って行なうには尚の難しさがあった。ブーム期には学生であったサイト管理人がサイトの更新をなんとか行なえても社会人になったとたん更新が滞るという自体にもなった。
 更にいえば、技量があったとしても今度はモチベーション維持の問題があった。 運営の難しさの割りに報酬を得る手段が当時は乏しかった。AmazonアソシエイトもGoogle AdSenseも無い時代。個人サイトが報酬を得る手段はバナー広告を貼る程度しかなく、 又、いざ個人サイトが報酬を得ようとすると周りから非難されるという事態にもなった。 『ろじっくぱらだいす』が提案した「ろじぱら式Web投げ銭」即ち、小額電子商取引システムを利用して個人サイトの管理人が報酬を得る方法は当時の情勢を考えれば現実的な方法であったが、 これすらも相当の非難を浴びた。個人サイトが報酬を得る事に抵抗が強い時代だった。 そういった難しいテキストサイトの運営だからこそ、そこで人気になった者には真の実力があったし、プロとして活躍するまでになった者を何人もテキストサイト界は輩出した。

 そんなテキストサイトもブームは終焉し、徐々に存在感を薄めていく。 テキストサイト大全に書かれていた「データ量に対しての面白さの密度、という条件ならばテキストサイトにかなうものはネットに存在しない。これはかつて間違いなくテキストサイトが持っていた大きな大きなアドバンテージだった。しかし、高速回線化した今はすっかりそれも武器ではなくなってしまった」 は実に未来が見えていた言葉だった。テキストサイトが持っていた強みは失われていった。 それだけでなく利用料定額の高速回線が普及した事による新たな商業サービスが次々と始まった事で、テキストサイトがウェブで担っていた「娯楽の提供」という立場は失われていった。 加えて、ウェブで文章を書くという行為が難易度が高いテキストサイトよりも、ブログという名前はハイカラだが実質はハイパーダイアリーに回帰した形式が人気となった。 ブーム期以降もテキストサイト界は健在であり、新規サイトは発生していたものの『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』のような界隈外にまで影響を与えるような大物サイトの出現は無く、コミュニティの内輪化が進んた。 敢て挙げれば『オモコロ』なのだが、このサイトは複数人運営であり、やがて商業化した。テキストサイトの系譜には間違いないが、従来の「個人サイトとしてのテキストサイト」とは別物といえる。 テキストサイトは洗練させていくと、結局サイト管理人が一人で報酬無しに行なうのは難しく、それはテキストサイトの中でも洗練されていた『テキッ娘。』や『このテキストサイトがすごい!』の挫折に現れている。

 2010年代にはテキストサイトが過去の物となった。そんな中の2013年に「テキストサイトブームをまた引きおこそう」と立ち上がり、嘗てのテキストサイトスタイルを守りつつサイトを作成し、小さいながらも界隈を形成するまでに至ったVIPテキストサイト達の行動は賞賛に値する。

 日中すれば則ち移り、月満つれば則ち虧く。あれだけ存在感のあったテキストサイト界も過去の物になった。然し、生産されたテキストは人々の記憶に残った。 テキストサイトが過去の物になっても、嘗て人気になったテキストサイトや人気になったテキストは人々の記憶に残るであろう。そして、これからも嘗てのウェブの話が出る度に語られていくであろう。

参考文献

膨大な数になるここには記載しない。『テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書』の 「[文献を読む]記事一覧」 「[調査]記事一覧」 を参照の事。

その他特筆すべき物

[書籍1]釜本雪夫+くぼうちのぶゆき 『テキストサイト大全』 ソフトマジック、2002年

[書籍2]金田善裕 『個人ホームページのカリスマ』 講談社、2002年

[書籍3]井上真花 『人気ホームページの作り方』 ソシム、2002年

[書籍4]ばるぼら 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 翔泳社、2005年

[ウェブ1]アルヲ アルヲメモ、2002年

[ウェブ2]tmash、Black、MIST 『テキストサイト界近況』 BlackAsh、2001年

[ウェブ3]Maybe-na 『教科書には載らないバーチャルネットアイドルちゆ12歳の歴史』 ラブラブドキュンパックリコ、2007年

[ウェブ4]宗像明将 『ネット幸福論』 MouRa

[ウェブ5]sakota 『テキストサイト関連年表』 Arikitarina WEB、2004年

[ウェブ6]サカイ 『レトロ・リンク』 NO-FUTURE、2004年

[ウェブ7]nanjy 『【注意】ReadMe登録前に知っておきたい「批評サイト問題」 』 TVマル秘ガイド、2004年

[ウェブ8]じおこ 『教科書には載らないVNIの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ』 無料HPスペース娘・じおこ13歳、2002年

[ウェブ9]永江孝規 『インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して』 Hacked by NAGAE Takanori (3ki3ro) 、1999年

[ウェブ10]『VIPでテキストサイトやろうぜ@ウィキ - アットウィキ』 2019年

[ウェブ11]高目 『Vテキ情報室』 春のショットガン 、2016年