私のウェブ文化史の書き方
~「個人ニュースサイト史」を例にとって~

2019年11月23日公開、2020年8月15日更新

▼目次
■1.初めに
■2.制作方法
 ◆1.当時話題となった記事を発掘しリンク集を作成する
  ・中間成果物を公開する場としてのブログ
 ◆2.サイト論リンク集の記事全てに目を通し、直感を養う
 ◆3.主要サイトをピックアップし開設日を調査する
  ・個人サイト開設日調査の技術
 ◆4.界隈の主要な出来事を調査する
  ・出来事調査の技術、日付確定の”確定”と”見做し確定”
 ◆5.脳内整理をする
 ◆6.本文の骨組みを作成しイメージを描く
 ◆7.本文を書く
  ・有名な出来事だけど書かないものがある、有名な出来事ではないけれど書いているものもある、割り切る所は割り切る、自分で確認出来ていない事は極力書かない
 ◆8.一旦出来上がった本文を何度も読み返して論理矛盾が無いか、各章のバランスが適切かを確認する
 ◆9.追加調査し完成度を上げる
 ◆10.公開
 ◆11.読者の反応を見て追記する
■3.フォーマット
■4.最後に

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1.初めに

 今回はこのサイトにある「○○の歴史」ページがどの様な手順を踏んで制作されているのかを2017~2018年に書いた「個人ニュースサイト史」を主な例として説明する。 これは私の書くウェブ文化史が、巷に蔓延る適当な脳内妄想で書かれた文章では無く、自分が出したい結論が先にあって書かれた文では無く、誰かが纏めた物を再構築している訳でも無い。 自らで発掘・調査から行っており、それを分析して纏め上げて文にしている。その事を説明する必要があると考えてこの文を書いた。 又、『佐倉葉ウェブ文化研究室』自体は未だ道半ばのサイトであるがここで一旦、制作方法を文書化しておけば誰かの役に立つかもしれないとも考えた。
 私の書くウェブ文化史はある程度決まった方法によって制作されている。 その方法は私が主に下記を書いている中で始めは手探りの状態から徐々に制作方法を確立していった。

 2004~2006年に書いた「RagnarokOnline(JP)の歴史」(現:ウェブ文化から見たラグナロクオンラインの歴史
 2006~2008年に書いた「インターネットの歴史年表」(現:個人サイトが多めなインターネットの歴史年表
 2007~2008年に書いた「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」(現:アイマスMAD動画の黎明期
 2008~2010年に書いた「テキストサイトの歴史

2.制作方法

 私が書くウェブ文化史の制作手順には工程という考え方がある。 大きく言うと『発掘』『調査』『整理』『記載』『確認』『公開』の6つ有り、基本的には順番に進めていくのだが厳密なものではない。『発掘』が終わる前に一部『調査』を先に行なう事はよくあるし、『記載』工程まで進んでても一旦『発掘』『調査』『整理』に戻る事もよくある。

 この工程を細分化すると下記になる。

 1.『発掘』当時話題となった記事を発掘しリンク集を作成する
 2.『発掘』リンク集の記事全てに目を通し、直感を養う
 3.『調査』主要サイトをピックアップし開設日を調査する
 4.『調査』界隈の出来事を調査する
 5.『整理』脳内整理をする
 6.『整理』本文の骨組みを作成しイメージを描く
 7.『記載』本文を書く
 8.『確認』一旦出来上がった本文を何度も読み返して論理矛盾が無いか、各章のバランスが適切かを確認する
 9.『記載』追加調査し完成度を上げる
 10.『公開』公開
 11.『公開』読者の反応を見て追記する

 そして、工程ごとに中間成果物を作成している では工程を一つづつ解説する。

1.当時話題となった記事を発掘しリンク集を作成する

 先ずは発掘作業を行なう。記載対象界隈で当時話題となった記事を発掘し、それらのリンク集を作成する。 話題になった記事全てをリアルタイムでブックマーク出来ていれば態々発掘する必要は無いがその様な事が出来ている筈も無く。 私が書くウェブ文化史の作成は発掘より始まる。
 記事発掘方法としてはキーワードを幾つも考えて検索エンジンにかけて片っ端から見ていくのが基本。 個人ニュースサイト史であれば例えば「個人ニュースサイト」「個人ニュースサイト 巡回方法」「個人ニュースサイト リンクされた」「個人ニュースサイト アクセス数」「個人ニュースサイト 紹介」「俺ニュース」「ムーノーローカル」「SMALLNEWS!」 等色々考えられる。片っ端から見ていき、いい記事があればリンク集に追加していく。ここでどれだけいい記事を発掘出来たが本文の内容レベルに直結する。 尤も記事が「いい記事」なのかを判断するのには経験と勘が必要になるのだが。いい記事を見つけたら、そこからリンクが貼られてる記事もいい記事である可能性が高い。 なので芋蔓式に記事が増えていく。又、その際に『Internet Archive』の「Wayback Machine」を使う事になるのは言うまでも無い。
 但し検索エンジンは年々使えなくなっている。何故なら当時の個人サイトが消されていっており、検索に引っ掛からないのである。 そこで頼りになるのは当時に、当事者が作成したサイト論リンク集。これがあれば今や検索エンジンで引っかからない記事も発掘出来る。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、幸いな事に当時作られたいいリンク集があった。 これに自分で発掘した記事を加えた中間成果物「個人ニュースサイト論リンク集」を作成した。 ⇒『個人ニュースサイト論リンク集
 個人ニュースサイト史は2011年辺りから「制作可能だ」と私の頭にあったと記憶しているが、これは『電脳製作図書館』『個人ニュースサイト論簡易まとめ』の存在を知っており、いい記事が集まる想定があった事が大きい。

★中間成果物を公開する場としてのブログ

 『個人ニュースサイト論リンク集』以外にも先の工程で次々と中間成果物を作っていくのだが、それはブログに書いて都度公開している。 この方法は「テキストサイトの歴史」制作時に思いついた方法。 本文を書く前に調査をしていくのだが、調査結果や考えた事を随時文書化しておけば頭が整理されるし後から自分が振り返る上でも解り易い。 本文を書く時にはブログの記事をコピペすればいいから楽だし、参考資料としても使える。 なお、サイトではなくブログにしているのはHTMLを手打ちしなくて済むことが理由。ブログはしっかりとしたコンテンツを公開する場としては不適切だがメモ書きツールとしては優秀である。
 「テキストサイトの歴史」を制作したときは完全にそれ専用のブログを立ち上げた⇒『テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書

2.リンク集の記事全てに目を通し、直感を養う

 リンク集を作成したらその記事全てに目を通す。 あくまで「目を通す」であり、じっくりとは読まない場合が多い。詳しい調査は後の工程で行う。ここはあくまで感覚を養う事を重要視する。 記事全てに目を通せば、「その界隈の大手サイトはどこなのか」 「界隈を引っ張った、存在感のあったサイトはどこなのか」がなんとなく解る様になる。 又、「どのようないざこざがその時起きていたか」もなんとなく解る様になる。 この段階では気楽にやる事が必要。文の完成まで一年以上かかる長期戦で最初の方の作業からシンドイ事をやっていたら挫折する。

 必要に応じて要点を纏めておく。例えば⇒『個人ニュースサイト関連文書1 ~個人でニュースサイトを立ち上げるには ~
 「個人ニュースサイト史」では私は最初からかなり理解が出来ていたので、記事全てに目を通したものの殆ど纏めておらず、あまり見本にならない。 テキストサイトの歴史を書いたときはしっかり纏めた⇒『文献を読む カテゴリーの記事一覧

3.主要サイトをピックアップし開設日を調査する

 「○○サイトの歴史」という風に立伝される程の界隈であれば、そこには何千ものサイトが発生している。然し、どの界隈でもそうなのだが、界隈に数多くのサイトが有っても、その中で界隈を引っ張っていく力の有るサイトは一部でしかない。そして力の有るサイトの動向が界隈の大勢を決める側面がある。 従って「○○サイトの歴史」というのを書くには主要サイトの動向を掴む事が重要。主要サイトが「いつ登場したか」のかが重要。 だから主要サイトの一覧を作り、その開設日を調査する。 ここでサイト論リンク集の記事全てに目を通した事が役に立つ。記事全てに目を通せば、よく名前が挙がってくるサイトがある事に気が付く。そのサイトこそが主要サイトである。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、まず自分が作った「個人サイトが多めなインターネットの歴史年表」から個人ニュースサイトをピックアップした。 次に個人ニュースサイトのリンク集である『Parallels2』を一通り眺めて、よく名前が挙がってくるサイトをピックアップした。 次にこれらのサイトの開設日を調べた。こうして中間成果物「個人ニュースサイトの開設日と生死調査」を作成した⇒『個人ニュースサイトの開設日と生死調査

 最終的に223サイトを調べたが、開設日調査は相当骨の折れる作業である。一つのサイトの開設日を調べるのに5分もあれば解る場合もあれば、 何十分かかる場合もあるし、何時間かけても解らない場合もある。

★個人サイト開設日調査の技術

 個人サイトの開設日はどう調べたらいいだろうか。 先ず、殆どのサイトは既に閉鎖されている。閉鎖してもサイト自体は残してくれている場合はまだいいが、多くは消えている。 その場合はいうまでもなく「Wayback Machine」を使う。
 調査対象サイトのトップページを見ると、どこかに「○○年○月○日:サイト開設」と書いてる場合がある。 トップページになければ次に更新履歴を見る。更新履歴に「○○年○月○日:サイト開設」と書いている場合がある。 これで三分の一くらいのサイトは開設日がわかるだろうか。

 これで解らなければ次に日記のページから一番古い日付のものを見てみる。そうすると例えば「1999年1月1日:サイトを開設しました」のように書いてあって開設日が判明する場合がある。

 さて、これでも開設日が解らない場合がある。ここからが経験と勘の勝負。 ここで打つ手を何手思いつくか。

 サイトが残っていて普通に見れる状態で、更新履歴や日記を見ても開設日が解らない場合は、サイトが普通に見れる状態であってもURLを「Wayback Machine」にかける。 一番古い日付のサイトを見てみれば今のとは違うサイトデザインの場合があり、そこの何処かに開設日が書かれている場合がある。 サイトが消えていて既に「Wayback Machine」にかけた状態でも開設日がわからない場合は、いま調べているURLとは別のURLが無いかを疑う。 例えば『かーずSP』の場合。URLが
 http://www28.freeweb.ne.jp/play/karzusp/
 http://isweb28.infoseek.co.jp/play/karzusp/
 http://hw001.gate01.com/karzu/
 http://www.karzusp.net/
と4つもある。その中で一番古い時期のURLで「Wayback Machine」にかけてみると、昔のサイトデザインでは開設日がトップページに書かれている。

 但し、過去のURLを探しだす事にもまた経験と勘が必要になる。 過去のURLを探しだす方法は・・・私がよく使う方法は検索エンジンで「(対象サイト名) (○○年) リンク」といれる。 これは何を意図しているかというと、 対象サイトへのリンクが貼ってある2001年の他サイトのリンクページを検索で引っ掛けるという事。 但し、この方法は年々使えなくなってきている。何故なら、ホームページレンタルサービスが次々と終了しており 個人サイト自体が次々と消えていっている為、検索で引っ掛からない事が多いからである。

 過去のURLを見てみても開設日が解らない場合、インタビュー記事に書いてある場合がある。 例えば「(対象サイト名) インタビュー」とかで検索エンジンにかけてみる。

 それでも開設日が解らない場合、まだ手はある。当時の個人サイトは 「個人サイト管理人に100質問」みたいな企画をやっている場合があり、そこに開設日が書かれている場合がある。

 それでも開設日が解らない場合・・・まだ手はある。ここからは界隈の特性を考えて頭を使って調査していく。 例えば個人ニュースサイトやテキストサイトであれば『2ちゃんねる』に専用スレッドあるのでそれを覗いてみると開設日が解る場合がある。 私が「テキストサイトの歴史」を書くにあたってテキスレへのリンクページを作っていたが、このような調査で必要になるからに他ならない⇒ 『テキスレリンク』 『中堅テキスレリンク』 『VNIヲチスレリンク』 『テキッ娘。スレリンク

 個人ニュースサイトのスレッドはうんぐらさんがスレのバックアップをとっていたので活用させていただいた⇒『ugNews.net/個人ニュースサイト論簡易まとめ

 それでも開設日が解らない場合は・・・色々発想して試してみるしかない。どうしても解らない場合は仕方ないから開設日不明にする。

 さて、ここで一つ不思議に思った事があると思う。 「なんで本人に聞かないんだ」と。 個人ニュースサイトでいうと当時のサイト管理人は多くが『Twitter』にいるので、『Twitter』で聞いてしまうのも手。 実際私も3~4サイトは直接管理人に聞いた。 でもなるべくなら直接聞くのは避けたい。 これには理由があり、本人に聞けば確かに教えてもらえる可能性は高いが、 実は本人がいう自分のサイトの開設日は、本人が勘違い・記憶違いをして間違えてる場合が割りとある。 その時「あんたその日付は間違えてるで」とは言いづらい、自分から聞いた手前。 又、本人に聞いたからには本文でそのサイトについて触れる必要性が出てくる。 聞いたけど本文で触れるのはやっぱやめたとかしてしまうと、本文公開後にあれこれ言われる可能性がある。 「お前、俺のサイトの開設日を俺に聞いてきたのに、一切書かれてないやんけ」と。 だから私がサイト管理人に直接聞くのは最終手段。

 ちなみにサイトの開設日年表を作ると「あのサイトが入っていない」「俺のサイトがない」と必ず言われるが、 入ってない理由として「そもそも開設日が解らかった(ので年表に入れようが無い)」場合がある。

4.界隈の主要な出来事を調査する

 その界隈の主要な出来事、多くはサイト間の揉め事になるのだが、これの詳細を調査。 先ずは起きた出来事をピックアップする。 制作したリンク集の記事全てに目を通した時に気が付いた揉め事をピックアップ。 更に当時自分がブックマークしたおいた記事からピックアップしたり、自分の記憶を頼りに思い出してピックアップする。 私の場合は「個人サイトが多めなインターネットの歴史年表」を作ってあるので、そこからもピックアップする。 ピックアップし終えたら、各出来事について「何時」「誰が」「何を行なったか」を明確に、それをブログに纏める。 纏めておかないと忘れてしまって本文を書くときの作業効率が悪くなる。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、中間成果物として次のものを作成した。⇒ 『孫ニュースサイト=大手ゼネコン論』 『2002年にあった個人ニュースサイトのネタ元表記に関する議論』 『「ニュース系サイト総合ヲチ」スレにおける、個人ニュースサイトのネタ元表記に関する議論』 『2002年のブログ騒動について今更振り返る

 個人ニュースサイト界はあまり揉め事がなかったのでこんなものだが、「テキストサイトの歴史」を書いたときはもっと調べてブログの記事に調査結果として残している。

★出来事調査の技術

 出来事調査は「何時」「誰が」「何を行なったか」の調査になる。基本的にはサイト開設日調査と同じ手法だが、こちらのほうがより柔軟な発想が必要。以下3つを例に挙げる。

 2019年に調査した「ツンデレカルタ騒動について今更振り返る
 ツンデレカルタ騒動は2007年にアイマスMAD界で発生した出来事だが、これは調査が容易。 何故ならこの時期の記事はまだウェブに残っているから。検索エンジンで「ツンデレカルタ騒動」で引っかかるものを片っ端から見ていけばいい。

 2016年に調査した「2002年のブログ騒動について今更振り返る
 これは2002年の出来事。界隈としては主に個人ニュースサイト界とテキストサイト界。 この辺になってくると検索エンジンでは当時の記事が殆ど引っ掛からない。2002年の出来事を2016年に調査しているのだからサイト自体が消滅している場合が多い為である。 こういうものを調べる場合、当時の記憶がある程度残っていれば、 言及していたと記憶しているサイトを「Wayback Machine」にかけて、騒動が起きた周辺の日付の日記を見てみる。 他には個人ニュースサイトを見てみるという手がある。 「ブログ騒動」では『俺ニュース』がブログ騒動で話題になった記事を幾つか紹介している。

 2005年に調査した「うさみみプレゼント事件
 これは2001年12月、ラグナロクオンラインのβ1テスト初期でゲームマスター(Hyack氏)が『MMO!』管理人Fen氏のキャラクターにレアアイテムをプレゼントしたという話。 この事件は2005年当時、伝承として「β1初期にHyack氏がどこかのファンサイト管理人にうさみみを渡して当時のテスターから顰蹙をかったらしい」くらいが語り継がれている状態だった。 検索しても詳細は全く引っ掛からなかった。 しかし私が書いた文を見ると具体的サイト名と日付まで書かれている。 この事件を私がどうやって調べたのか。 ここで経験と勘が必要になる。 まずはラグナロクオンラインの大手ファンサイトを見てみる。しかしこの事件については書かれていない。 ラグナロクオンラインの年表は私以外にも何人かが書いていたがどれも語り継がれている内容しか書かれていない。 検索エンジンでは引っかからない。 さて当時私はどうやって調べて、具体的サイト名と出来事の日付まで確定させたのか。 これは『2ちゃんねる』のラグナロクオンライン本スレを見ている。2001年12月後半から翌年1月に起きた出来事だという当たりはついていたので、 その時期の本スレで当該に関わる投稿を見つけていったのである。但し、スレッドから調査するのは骨が折れる。

★日付確定の”確定”と”見做し確定”

 出来事調査と先に書いたサイト開設日調査の二つは私が過去に「日付確定」とよく言ってたもの。 調査とは、「誰が」「何を行なったか」という事を明確にする事であり、明確にするという事は結局「日付」をはっきりさせる事である。 なのでこの作業を日付確定と読んでいた。 そしてこの日付確定がウェブ文化史を制作する上で一番重要。 ウェブ文化やウェブ上の出来事について何か語る時に、これを行なっていない、或いは他人が先行して調査したものを拝借していて自らで調べていない、そもそも日付確定の重要性が解らない、 こういったものは信用が出来ないと私は考えている。 尤もそうするとウェブにある文の多くは信用出来ない事になるのだが。
 日付を確定するといっても特にサイト開設日調査でそうなのだが、”確定”と”見做し確定”の二種がある。 ”確定”は日付が解ったという事。では”見做し確定”とは何か。 この日が開設日だと明確には解らなくても、「この日が開設日ではなかろうか」という推測が出来る場合がある。 この時に他の人が纏めた文を参考にする。 例えば、ばるぼらさんが書いた「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」にある年表を見ると当該サイトの開設日が書いてあって、 それが自分の推測した開設日と一致していれば、二人とも同じ日付なのだから、まあこれはこの日付が開設日としていいだろうと判断する。 このように確定出来なかったが粗間違いが無い為、確定出来たと見做して推測した日付を採用する事を”見做し確定”といっている。
 此処で大事なのは「先人が調べた日付が自分が推測した日付と違っていた場合は調査の自信の度合いによって、自分が推測した日付を正しい日付として見做し確定するか、あるいは開設日不明にする」事。 つまり他人が調べた日付は基本的には採用しない。これは自分の目で確認が出来ていないからである。また、他人の調査結果をそのまま横取りするのは筋が通らないという事もある。

5.脳内整理をする

 色々調べていくと、そのうち自分の考えが出てくるので、それを文に纏める。もやっとしているものを文に纏めていくと自分の頭の中が整理される。 そして、こういうのを纏めておくと本文を書くときに文を流用可能。この工程の目的は本文記載時の効率化である。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、中間成果物として次のものを作成した⇒ 『個人ニュースサイト界の衰退に関する意識 』 『個人ニュースサイトの衰退原因について箇条書きメモ

 「個人ニュースサイト史」では脳内整理は余り書かなかったが(私は個人ニュースサイト史については最初からそれなりに詳しかった為、脳内整理する必要がなかった) 「テキストサイトの歴史」制作時には沢山書いている⇒『脳内整理 カテゴリーの記事一覧

6.本文の骨組みを作成しイメージを描く

 此処までくれば本文をどう構成するかのイメージが沸いているのでイメージを書いてみる。 私はこれを骨組みと呼んでいるが、要は本文の目次部分を作成してみるという事。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、下記を骨とした。

題名:個人ニュースサイトの歴史と文化

■通紀
◆原始ニュースサイトの誕生(1995~1996)
◆アングラな時代(1997~1999)
◆テキストサイトブームの中で(2000~2001)
◆動画時代の到来(2002~2004)
◆2ちゃんまとめサイトの攻勢(2005~2006)
◆Twitterの襲来(2007~2010)
◆個人サイトの黄昏(2010以降)

■列伝
・裏ニュース君(1の方)、ちゆ
・てくる、カトゆー、かーず
・まなめ、From E
・イケダハヤト、UG-K
・山崎恵人、大山卓也
・さやわか、津田大介
・ばるぼら

■文化
子ニュースサイト
孫ニュースサイト
リンクの貼り方
・羅列型
・テキスト型
ちゆデー

 この時点では題名が「個人ニュースサイトの歴史と文化」で内容は「通紀」「列伝」「文化」の3本柱。 なお、実際に書いた「個人ニュースサイト史」の目次はこう。

題名:個人ニュースサイト史

■1.始めに
■2.歴史
 ◆1994年~1996年 個人ニュースサイトの誕生
 ◆1997年~2000年 アングラな世界の中で
 ◆2001年~2003年 個人ニュースサイト界全盛期
 ◆2004年~2008年 SNSの足音
 ◆2009年~2016年 みんながニュース発信者の時代に生きる
■3.システムと文化
 ◆個人ニュースサイトの分類
  ・情報元による分類、リンクの貼り方による分類、扱うネタの広さによる分類
 ◆リンク作法
 ◆個人ニュースサイトによる波状アクセスの実例
 ◆○○デー
■4.最後に。個人ニュースサイトについて徒然

 つまり「列伝」はボツにした。制作中にブログで「3本柱の内1本はボツにする大きな決断をした」と書いたのがこれの事。

7.本文を書く

 骨を作ったら次は肉付け。ついに本文作成。 主要サイトの開設やその界隈での出来事を時系列に並べて書いていく。 本文作成のコツは自分が書きやすい年代から手をつける事。 「個人ニュースサイト史」でいうと対象期間は1994年から2014年だが1994年から順番に書いていく訳ではなく、 私は世代的に2001年~2008年が一番得意だから、ここから書いていく。 いきなり苦手な年代から書くと筆が進まず心が折れる為である。 書き進めていくと今まで行なった調査の足りない部分が必ず出てくるので、その時は随時調査を行う。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、調査工程で作成した 『個人ニュースサイトの開設日と生死調査』 が本文のベースになっていて、基本的には「○○年○月○日に『○○』が開設した。○○はこういうサイトだった」の羅列になるが、 それだけだと本文が退屈なもの・読むのが苦痛なものになるし、年表と何が違うんだという話にもなる。 その為、出来事調査や脳内整理で調べた事・纏めた事をあいだあいだに入れている。 又、個人ニュースサイトは”ウェブ上の時代を映す鏡”だった側面があるので、「この時ウェブではこういう物が流行っていた」という話もあいだあいだに入れている。

 次に本文を書く上でのポイントを挙げる。

★有名な出来事だけど書かないものがある

 これは私が2005年から「どこまで書くか問題」とよく言ってたもの。 人はつい「私はこういう事を知っている」と言って知識をひけらかしたくなる。 『Twitter』を見れば解るが、自慢したい・マウントをとりたい人間がどれほど多い事か。 然し私にはそんな趣味がないので「知っていても総合的に考えて書かないという判断を下す」事がある。

 例えば「個人サイトが多めなインターネットの歴史年表」を見ると、 「けつ毛バーガー事件」について触れていない事に気が付かねばならない。 けつ毛バーガー事件を私は当然知っている。 然し書かない事にした。これは本人への影響を考えたから。 本来私が彼女に気を使う義理は無く、 私が自粛したところで既に広がっている情報なので意味は無いかも知れない。 然し本人にとっては辛い出来事だったろうし、それを態々私まで書いて人々の記憶から消え去る事を私が妨害するのは躊躇われる。 また、年表にある、とあるサイトの管理人が性犯罪で捕まった事も私は知っているがそんな事を態々書いてもウェブ文化史としては何の意味も無い。

 個人ニュースサイト史の作成においては 上記例とは違うが、やはり知ってはいるが書かなかった事がある。 「とある超有名個人ニュースサイト管理人が後に有名になるブロガーが主催するオフイベントに参加して、 何故か一方的に泣いて他の参加者から意味不明と言われた話」とか。 「とある超有名個人ニュースサイト管理人が後に捕まった話」とか。 他にもあるのだが、そんなものを態々書いたところでウェブ文化史的に意味は無い。 そんな事を書いても「俺は知ってるぞ」という自慢にしかならない。 しかもその管理人が面倒な人間だったら喧嘩を仕掛けられて事後対応が必要になり、時間が勿体無い。

 2007年~2008年に書いた「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」では 当時のアイマスMAD界は全盛期であって、リアルタイムで進行している案件だったから界隈に迷惑をかけない為にネガティブな事は書かないと決めていた。 従ってツンデレカルタ騒動について触れなかった。(そんなものは数年経ってから追記で書けばよいし、実際にそうした)

 尤も、これには難しいところがある。本文公開後の話になるのだが、理由があって書かなかった事を「こいつは知らないけど俺はこういう事知っているぞ」「これが書かれてないからこの文はダメ」とおおっぴらに言って態々私にマウントをとろうとしてくる人が”必ず”いる

★有名な出来事ではないけれど書いているものもある

 有名だけど書かないものがあれば、逆に有名ではないけれど書いているものもある。 調査していると「この出来事は有名ではないけど、過去の歴史と繋がりがある」という事象が見つかる。 このような出来事は優先的に本文で触れている。

 「個人ニュースサイト史」の作成において一番解りやすい例は『アライブモーニング』。 知名度だけでいえば触れる必要が無いと思えるこのサイトをなぜ本文で触れたのかといえば、 それはテキストサイトの一派閥である「娘。系テキストサイト」の後継をこのサイトは自称しているから。 【娘。系テキストサイトの系譜に連なるサイトが2013年に「娘。系のニュースサイト」として現れた】 という事象的面白さがあるので本文で触れた。

★割り切る所は割り切る

 最初はここまで書こうと思っていたが、作業時間の割にいい文が出来なそうな部分があれば、その部分については思い切って書くのを止めている。 この割り切りも重要である。制作に時間を投入すればするほど本文の質は上がっていく。これは当たり前の事であるが、与えられた時間は限られている現実もある。 従って時間を有効に使う事を意識して作業をしていく。

 「個人ニュースサイト史」ではアングラ関連が内容的に薄いのはまさにこの割り切りによって削った。アングラ関連は今この時代に調査するのは大変で、 調査しても其れほど多くの事を書けないと判断した為。
 また先に書いたが3本柱のうち「列伝」はボツにした。これも膨大な投入時間と比べて内容的には大した事が無い物が出来ると判断した為。 ちなみに書き途中だった列伝の一部を折角なので公開する。

・かーず
 2001年4月22日、かーずは『かーずSP』を開設した。当初はゲームのセーブデータとレビューがメインコンテンツだったが、 やがてFlash動画を紹介する個人ニュースサイトとなった。
 2002年1月17日、『2ちゃんねる』は「FLASH・動画掲示板」を立ち上げた。この時、ひろゆきからは「盛り上がらなかったらかーずさんが悪いってことで、、、」という書き込みがあった。 『かーずSP』はその影響力から『ホタテプロダクツ』『(・∀・)イイ・アクセス』と共にFlashニュースサイト御三家といわれた。 また、『カトゆー家断絶』『ゴルゴ31』と共に三大個人ニュースサイトとして”KKG”と呼ばれた
 FLASH・動画掲示板を中心をしたコミュニティの衰退が言われ始めた2007年、ばるぼらが著した「ウェブアニメーション大百科」において、 かーずは「FLASH・動画掲示板が最初の頃ほど重要性がなくなってきているのは事実」を語った。
 2007年10月、かーずはtwitterのアカウントをとった。
 2008年9月20日、かーずは「Tokyo Culture Culture」で単独ライブイベントを開催した。声優の橋本まいをゲストに呼んだ。声優の桃井はるこから次の電報が届いた。「かーずはワシが育てた!」。 製麺業だけあって、食事として「かーず焼きそば」を出し、2食300円のお土産の製麺を売った。
 2012年2月、かーずは「アイドルマスターシンデレラガールズ」に15万円をつぎ込んだと話題になった。
 2017年5月3日、かーずは『ねとらぼ』に「かーずSPのインターネット回顧録」の連載を始めた。
 2017年2月13日、かーずは『コピスペ!』の日替わりマンガレビューのライナーの一人のして連載を始めた。
 「かーずSP選FLASH大全 (VOL.01)」「まじカル! 2007」を著した。同人誌として「まじカル!A`s」「まじカル! StriKarzU」を著した。
 かーずは副業としてライターもやっており、古き時代のネット文化を書ける貴重な存在。 製麺業としてのキャラも確立している。 個人ニュースサイト管理人からライターになって、それでもサイト管理人を続けていて、Twitterも活用している。 彼こそがミスター個人ニュースサイト管理人だろう。

 騒動事を起こさないかーずさんについてはこのくらいのものだが、騒動事を幾つも起こしている某大手ニュースサイト管理人についてはもっと長文で色々な事を書いてあった。

★自分で確認出来ていない事は極力書かない

 私の文は他人がある程度纏めた物を土台にさらに纏めたものではなく、 発掘作業から自分で行い、それを解析して纏めている。つまり自分が調べた以上の事は書いていない。 『佐倉葉ウェブ文化研究室』全体で見れば開設初期の2006年から2007年に書いた一部の文は他人の調査結果に頼った記憶もあるのだが、 「個人ニュースサイト史」の制作においては自分が確認した事以外は書いていない。 自分で確認出来た事しか書かない理由は自分が書いた物に自信を持つ為。 他人が調べた物を書いたら、その部分は自分の目で見てないから記載に自信が持てない。それが嫌だという事。

8.一旦出来上がった本文を何度も読み返して論理矛盾が無いか、各章のバランスが適切かを確認する

 一旦本文を書き上げたら最初から最後まで読んでいき、おかしな部分を見つけて修正をかけていく。 一回読んだくらいではダメで何度も読み返して修正を加えていく。
 まずよくあるのがキーボードの打ち間違い。続いて漢字誤り。 全体的に「である調」で書いているのに一部が「ですます調」になっている事もある。 本当は校正をしてくれる人がいるといいのだが私は一人で書いているのでこの辺は自分で行なわなければならないのが辛いところ。 自分の間違えを自分で見つけるのは難しい。 ただ第三者を挟まないからこそ好きに書けるという点もある。 「個人ニュースサイト史」では態と漢字を多く使い、古い言い回しを多用した。これは自分の勉強の為という理由とそもそもそういう文が好みだという理由。 この様なものは第三者の校正が入れば修正を求められるだろう。
 本文を書いているときは「この事も書いておいたほうがいいかな」と念の為記載した部分が、 後で読み返してみると「カットでいいかな」と思う事もよくある。 同じ事を最初の方では「Aだ」と書いておきながら後ろの方では「Bだ」と書いている事もある。 ある年代については詳細に記載しているが、ある年代については内容が薄くバランスが取れていない場合もある。 表現がストレート過ぎる場合もある。こういったものも修正をしていく。

 「個人ニュースサイト史」の作成においては、長文であるから何度も読み返してその度に修正を入れていった。 読み返していくと、2004年以降が内容的に薄い事が気になった。個人ニュースサイトはその特性から2004年以降が内容的に薄くなるのは致し方無い部分ではある。 しかしこの時期もいいサイトは幾つか出てきており、2007年は新規個人ニュースサイト最後の豊作年。 この時期もなるべく本文で多く触れたいという想いがあり、追加調査を行なう事にした。

9.追加調査し完成度を上げる

 読み返した結果、追加調査が必要になった部分を調査し、追記していく。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、上記のとおり2004年以降の事について追加調査し本文の量を増やした。 『Project::Logistica.』や『Lingua furanca.』「ニュースサイト読本」の事はこの時に追加した。

10.公開

 さて、いよいよ公開。この工程はただ単にHTMLをサーバーにアップロードするだけだから、特に何もいう事は無い。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、常時SSL対応を同時に行なった事からいつもよりは時間がかかった。 公開日については公開後の反応を直ぐに見たかったので3連休の初日にした。

11.読者の反応を見て追記する

 公開すれば数日で何万アクセスとあるので様々な反応がある。 反応を確認し「その通りだなあ」と自分が思ったもの、いい指摘・役に立つ指摘については修正や追記をして極力対応していく。 2007年に「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」(一番最初の公開時は「THE iDOLM@STER MAD 登場から07年7月までのまとめ 」)を公開したときは 『2ちゃんねる』のニコマス本スレで「あれが入ってない」とか色々言われた。正直「うるせーな」と思ったものだが、 でもまあその通りだなあとも思ったので後からスレで出た指摘の多くを本文に取り込んだ。
 逆に見当違い甚だしい指摘も少なからずある。そういうものについては臨機応変な対応でいいと思うが、私の場合は基本無視。 検討違いな指摘の中には「嫉妬によるもの」や「マウントをとる事が目的」な場合も多く、こういう物に構っていても仕方が無い為である。
 検討違いではない指摘や要望も全てを取り込んでいる訳ではない。 それを取り込む事で本文の質がどれだけあがるのか、その為にかかる時間はどれくらいなのか、そういったものを考えて総合的に判断している。

 「個人ニュースサイト史」の制作においては、「『アリガミンネットワーク』が入ってない」と指摘があったが、このサイトについては完全に入れ忘れ。本文では触れなかったが開設日表にはサイト名を入れる対応をした。 また「スマートフォンではレイアウトが崩れて読みづらい」という指摘があり、これは5ヶ月後にHTMLコードを書き直した。




 以上の11手順でこのサイトにある「○○の歴史」ページが制作されている。 「個人ニュースサイト史」では制作時間におよそ80休日を投入していると思われる(制作時には数えていなかった。後から各工程で大体これくらいだろうで所謂概算見積もりをした)。 そのうち事前調査(発掘・調査・整理)に50休日、本文記載に27休日、公開に3休日というところと思われる。 文章作成の27休日も実態としては調査を行なっている日も多い。 つまり私の書くウェブ文化史の制作はその殆どが調査に時間を費やしているという事である。 80休日だと約9ヶ月。 実際休日全てを制作時間に割り振けれるわけが無いから実期間としては約1年かかっている。

3.フォーマット

 「個人ニュースサイト史」と「テキストサイトの歴史」と2019年に書き直した「ウェブ文化から見たラグナロクオンラインの歴史」「アイマスMAD動画の黎明期」 は多少のカスタマイズはあれど粗同じフォーマットで書いている。

 序文:本文の趣旨を記載。所謂”つかみ”になるので記載にあたって重要視する人もいるが、私は重要視していないので一言二言書く程度。
 年表:記載対象サイトの開設日を年月単位で記載。サイト開設日は年月日単位で調べているのだが、その単位で表を作ると縦にかなり長い表になってしまう為、年月単位にしている。
 本文:その界隈における主要サイトの開設や主な出来事を時系列で記載。
 評論:本文で記載した事を踏まえた、当該界隈に対する私の総評。史記で言うところの「太史公曰」の部分。
 参考文献:私が書くウェブ文化史は参考文献の量が膨大な為、基本的には別ページに記載。
 更新履歴:本文に追記を入れた場合に日にちを記載。漢字誤りの修正等、本文内容とは関係の無い小更新については記載しない。

 このフォーマットになる前にも数個のフォーマットを考えたのだが最終的にこの形に落ち着いた。 過去のフォーマットは「『佐倉葉ウェブ文化研究室』10+3年の歩み」に画像がある。 私はサイト管理人としてはイラストサイト上がりなので、 当初は報告書や論文としてこうあるべきというよりも、複雑なTableレイアウトと画像による装飾で見た目にお洒落なものを目指していた。 然し、スマートフォンが出てきた事による視聴環境の多様化は複雑なレイアウトの管理を難しくし、 イラストサイトを止めて時が過ぎるにつれ装飾の為の画像を描く気も無くなり、 現在のようなシンプルな形に変えていった。言うまでもないが報告書としてはそのほうが良い。
 今はどんな長文であっても1ページにしている。これはサイト全体のページ数を減らす事で保守の手間を減らす為。縦に凄く長いページにはなってしまうが… 以前は一つのものを年代でページ分割していた。しかしページが増えるとサイトを更新する時に手間が増える。 但しアクセス数を稼ぐならばページ分割したほうがいいのは言うまでもない。

 下は以前使っていたフォーマット。私がc70フォーマットと呼んでいたもの。

4.最後に

 最後は話し言葉で書きましょうか。 歴史なんてものは見てきた人の分あるものなんです。だから色んな人がウェブ文化について書けばいいんです、本当は。 でもこの分野はばるぼらさんが書いた「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」という大著があって、 彼の他には唯一私だけが合間を見て粛々と成果物を作っている状況になった。 そして、もう今更昔のウェブ文化の事について”きちんと”書く人は他に出ては来ないでしょう。 書いたとしても私がやっているような発掘から始めるのは無理ですね。多大な労力の割りに合わないんですよ、私がやっている事は。 もっと表面的な所をなぞって美味しいところだけを書いた軽い文のほうが、制作は圧倒的に楽だし、実はその方が多くの人に読んでもらえる。 先に「日付確定が一番重要」と書いたけれども、こんな事やらなくても知ったかぶりで書けるんですよ。 でもそれは本物ではない。少なくとも私は本物だとは思わない。 割りに合わない事を平気でやれる人間が書いた本物の文がウェブに少しはあってもいいでしょう。またそういうものが少しはないと救いがない。 そう思って『佐倉葉ウェブ文化研究室』は割に合わない事を続けています。 そして、それが肩書きとか後ろ盾とかが無くてもきちんと評価されて世の中に広まっていく、これがインターネットの可能性だったはずなんです。

 私は嘗て「時間と共に消えていく過去の情報を集積し、残すサイトが必要」と言い、「何年経っても残るサイト、残すべきサイトにする」と言い、「信念を持って貧乏くじを引きに行く」とも言いました。 その気持ちは今も変わりません。今の活動を何時まで続けられるかは解らないですが続けている間は本当に価値のあるものを書き続けますよ。