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回想録:「アイマスMADの黎明期」というページの制作について

始めに

 私が書いた『アイマスMADの黎明期』『アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究』について、「どのようなことを思いながら書いたのか」、説明する必要があると思っていました。 しかし、そういった説明は結局のところ自分語りになってしまうことから避けていたのですが今回は書いてみることにします。「沢山いる見る専の一人」である私が何を考えていたのか。まずは『アイマスMADの黎明期』を書いていた2007年を振り返ることにします。


アイマスとの出会い

 そもそも私はXBOXというハードを所持しておらず、XBOX版のTHE IDOLM@STERは2007年の春まではプレイしたことがありませんでした。業務用についてもプレイしたことはなかった、というより正直に言うと眼中になかった感じ。 ただし、2006年に先行公開されたデモムービーには驚かされましたし、歌もいい!と感じました。デモムービーは何度も見返したものです。

 ■THE iDOLM@STER DEMO MOVIE TGS Verion

 その後、XBOX版はプレイしました。確か2007年の5月か6月頃だったと思います。プレイしたといっても買ったわけではなく、友達の家で遊んだということなのですが。 選択したキャラクターは高槻やよい。。やよいにした理由は、別にやよいが好きというわけではなく、やよいが一番簡単と聞いていたから。一応エンディングまで遊びました。 ちなみにこのときの私の評価は「アイマスは、歌とポリゴンキャラクターは素晴らしいが、単純なミニゲームの集合体でゲームシステムはいまいち」だったと記憶しています。 ファミ通のクロスレビューの数字(6,7,7,6)が低すぎるという意見がウェブ上では結構ありましたけど、私としては妥当な数字ではないかという風に感じました。 ただ、このゲームは他のゲームと同じ目線で評価してはダメですよね。ミニゲーム、キャラクター、モーション、声優、歌の総合パッケージで勝負する商品ですからね。


アイマスMADとの出会い

 私がアイマスMADを見るようになったきっかけの動画は「アイドルマスター CDTV風メドレー」。

 ■アイドルマスター CDTV風メドレー5/22ver 100〜31位
 ■アイドルマスター CDTV風メドレー5/22ver 30〜1位

 週マスの先祖であるCDTV風メドレーを見た後で、気になったいくつかの動画を見ました。「ここまで違和感無く作れるものか」と驚きましたし、そもそも違和感無く作っているだけではなく、 製作者によって創意工夫がなされていた。
 「アイドルマスター KOTOKO Princess Bride!」の爽快感。
 「MAD - アイドルマスター 美希&千早PV 「Relations m@sturbasion」」の演出。
 「THE iDOLM@STER 「エレクトロ・ワールド」 by 雪歩・伊織・やよい」のテンポ。
 「【アイドルマスター】 とかち猩々編 ゲリラのうた? remix」の独創性。
 そういう動画が10、20という数ではなく、何百と作られている。ニコニコ動画内で凄いことが起きているんだなあと、そう思いました。


「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」制作のきっかけ

 アイマスMADのまとめを作り初めたのは2007年7月16日。当時の雑記にこう書きました。

思うところがあってアイマスMADまとめを作っているわけだが、これはだいぶ先を見て作ってる。ようは今は必要が無いのだが、後で必要になるかもしれないので。
 Flash・動画界隈ではJASRAC登録曲を利用した動画のことを「黒動画」と言います、この黒動画はJASRACから注意を受け削除されることが少なくなかった。アイマスMADは、いわゆる黒動画である。ゆえにいつ消えてしまうかわからない。だから消える前に記録に残しておきたい。そう思い、まとめページを作ることにしました。最初に作ったものは 「プロデューサー別、代表作」。 これは意外に結構手間をかけて作っています。アイマスMADの画像を1動画につき2枚貼ってあるのですが、なるべくそのアイマスMADの一番魅力的、あるいは特徴的な場面な2枚にしようと頑張った感じ。 画像を貼った意図は「もし、アイマスMADが消えても画像が貼ってあればそれを見て懐かしむことが出来るだろう」ということ。 その後、「自分が作るんだから年表を作らなくてどうする」と思い、「THE iDOLM@STER MAD 登場から07年7月までのまとめ」を制作。これを後に「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」と改名しました。

 このときすでに他のブログでアイマスMADのエントリーを書いていた(虹蓮華さんとか敷居さんとか花見川さんとかカズマさんとか)。まとめ的な記事もあった。 私がまとめページを作り始めた時、そのことを知らなかった。制作を開始してしばらくして知ったのですが、もし事前に知っていたら、、、まとめページは作らなかったかもしれません。どうしても他の人が書いたまとめ記事を意識してしまい作りづらくなるし、「他の人がまとめてるなら俺がまとめる必要なくね?」と思ってしまってモチベーションが下がってしまうから。


 「突然アイマスMADの世界が無くなるかもしれない」

 今は違うのでしょうが、当時はよくそういうことが言われていたと記憶しています。少なくとも自分はそう思っていた。


「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」を制作して

 「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」を作る上で、最初に悩んだことは自分が今管理しているサイト『WebsiteMAP』の一コンテンツとするか、あるいは「新しくサイトを立ち上げるか」ということでした。 以下の理由により『WebsiteMAP』の一コンテンツとしました。
  ・『WebsiteMAP』の一コンテンツであれば『駄文にゅーす』さんがリンクしてくれて、そこから派生して各ニュースサイトもリンクするだろうという期待。
  ・「インターネットの歴史」というコンテンツがあって、その横に「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」というコンテンツを置くことの意外性と面白さ。

 「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」では、アップロードされた動画をただ羅列していたわけではありません。黎明期のアイマスMADはアップロードされた時期ごとに特徴があり、 そしてそれはおそらく「共進化」によるものと思います。すなわち、

  ・ある一つの完成度が高い動画がアップロードされる⇒それに影響された人が、その動画を参考にしつつ自分なりのエッセンスを加えた動画をアップロードする”

 従って、「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」ではその月ごとの特徴をある程度意識して書きました(6月は組み合わせ、7月はPerfume、10月は手書き、11月は合作)。  

 そういえば、前文で業務用アイドルマスターに対して厳しい書き方をしていた。反発を買う書き方とも言われた。今はもう直しているが当時はこう書いてました。

 『(業務用アイドルマスターの)3Dキャラクターの出来がまだまだ発展途上の段階のものであり、正直言ってあまり可愛いとは言えないということである。このゲームモデルは「アイドルの世界」なのだから、いわゆるところの「萌え」要素を入れて完成するモデルであることは言うまでも無い。しかし肝心な3Dキャラクターが可愛くない。可愛くないアイドルにどれほどの価値があるというのか。』
 これは私の率直な気持ちなのですが、アーケード版のプレイヤーからは反感を買うであろうとは思っていたため、直そうかと思ったことは何度もありました。 しかし、多くの人に読んでもらうには多少大げさで多少反感を買うような部分があったほうがよいと考え、ずっとそのままにしておきました。当時の私は今よりも「読んでもらう」ということに貪欲だったんですね。まあ「直すのが面倒くさかった」というのも正直あるのですが。 今では考えが違うため2010年の更新で変更しました。

 「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」なんてものを作っておいてなんですが、私はアイマスMADを沢山見ていたかと言うと正直有名どころしか見ていません。 もちろんアイドルマスターランキングは見ていたのでランキングで出てきた動画は見てますが、ランキング外のものまで見ていたわけではなく。さらにPのブログはチェックしていない。 つまり、知識に偏りがある。知らないこと、詳しくないことも沢山ある。 2010年7月に最終更新するまでは「ちんこうP」についての記載が無かったのですが、この理由はなんてことはなく、私は「ちんこうP」の事についてあまり詳しくなかったというのが理由。

 私は年表形式に物事をまとめる経験・力はあったが、アイマスMADの知識はそんなに持っていないという事実。これが後に「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」の更新停止に繋がっていく。。。


「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」の反応

 「THE iDOLM@STER MAD 登場から07年7月までのまとめ」を2007年8月6日に公開。幾つもの大手ニュースサイトからリンクが貼られました。アクセス数は、具体的な数字は忘れましたが一日数万アクセスが数日続いたと記憶しています。 なんせ時期がよかったですね。丁度、花見川さんが、 「ニコニコ動画におけるアイマスMADの歴史メモ その2」を書いたときで、 それと一緒にリンクが貼られることが多かった。相乗効果ってやつなわけで。

 評価としては好意的なものが大多数でした。まあ、こういう「○○の歴史」の宿命として、「これを入れろ」とか「あれが入ってねえじゃん」とかは言われるわけで。。。一通り反応をチェックして、不足として指摘されたものは極力追加することにしました。 07年8月分を追加したときに「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」に改名しました。


どこまで書くべきなのか、という問題

 『WebsiteMAP』というサイトを運営するにあたって難しい点は、「どこまで書くべきなのか」ということです。 このサイトには「インターネットの歴史年表」というコンテンツがありますが、知っていることを全て書けばいいというものではありません。 例えば年表には「ケツ毛バーガー」のことについては書いてません。なぜ書かないのか、それをわざわざ事細かに説明する必要はないでしょう。 書いて記録に残すことの影響というのを常に考えなくてはならない。 「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」においては、「書くべきか、書かないべきか」悩んだ物が2つありました。


■わかむらP=若村技研
 わかむらP登場から2〜3ヵ月後だったと思う。『かーずSP』を見て、かつて大量生産された2chAAキャラクターの動画について調べていた私は、「若村技研」という職人の名に目が留まった。

 「若村?」

 ティンときた私は若村技研について調べ、「わかむらP=若村技研である」と確信しました。何年も前の事なので記憶があやふやだが、確信した理由は、、、たしか、「好物と文章癖が一致している」だったと思います。

 当時、わかむらPが若村技研であることを指摘した文章はウェブ上にありません。「これはいいネタを見つけた」、そう思いました。そして「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」に書こう、と思いました。 しかし、本人は若村技研時代のことを一切語っていない。本人が明らかにしていないことを私が書いてしまっていいのか。。。 「せっかくいいネタを見つけたのだから書きたい」という気持ちと、「これを書いていいのか」という気持ちの間で悩んだわけです。 そして私が出した結論は、書くには書くが「はっきりとは書かずに、遠まわしに書く」ということでした。

 08年1月4月、「インターネットの歴史2003年」ページを公開。そこの動画紹介コーナーに若村技研が作った「世界制服モララー」を取り上げ、

「『若村技研(若村重化学工業 先進技術研究所)』のwakamuraが制作したアニメーション。 TVアニメOP風ムービーは第一期、第二期、劇場版の3種ある。
「世界制服をたくらむモララー」が元ネタ。「世界制服モララー」は商業の音楽を使っていた。いわゆる黒動画(著作権的に)であるわけだが、黒動画を作る理由としてwakamuraは「黒ってかさ、そういうパロディっておもろいやん 」「仕事じゃ作れへん、作らしてもらえへん物を好きなように作る」と言っていた。しばし姿を消した後、2007年、彼はニコニコ動画に現れる。MAD制作者として。」
と書いた。 その2日後、「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」ページに07年11月分を追加。そこには

ムネオハウスブームの時代にはすでに活躍していた古参職人であるwakamura氏。かつて高い3D技術でFlash・動画界隈を驚かせた彼が「わかむらP」としてニコマス界隈に現れ、
と書きました。すなわち、はっきりと「わかむらP=若村技研」とは書かない。しかし、「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」と「インターネットの歴史2003年」を両方見ればわかるという方法。

 まあ、あまりにも遠まわしすぎて、誰にも気がついてもらえなかったようですが。。。 よって後に書いた「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」ではもっとはっきりと「わかむらPの過去」を書くことにしました。


■ツンデレカルタ騒動
 私がこの騒動に気がついたきっかけはもう忘れてしまったのですが気がついたとき、すぐに2chのニコマススレを見ました。するとすでに沈静化し始めていました。 次にPや見る専のブログを見てみると、まだ殆ど言及されていませんでした。
  「これをブログに書く人がでてくるんだろうな」
 そう思いました。ブログに書く。それは消え始めた火に油を注ぎ、再び燃やすことを意味するわけで。 これを大きな騒ぎにして誰が得をするのか。アイマスMADの世界にとっていいことなのか。 私は、これより5年前に自分がいたネットゲームのコミュニティにおいて、騒動の度に大手サイトが閉鎖されていく場面を見ています。
  「消え始めた火に油を注いではいけない」
 見る専のブログがこの騒動に言及しないようにするため、私は一計を案じました。
 まず、「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」に「簡単な『THE iDOLM@STER』MADの系統図と解説」を追加。この追加は更新の口実の為にてきと〜に書いたものです。よって本当の目的は別にあります。ページの一番上にこう書きました。

2007.11.26:
簡単な『THE iDOLM@STER』MADの系統図と解説を追加。4月分を少し修正。
BLOGが流行りだしてからWEB界は「無意味な議論に明け暮れる」ことが流行りだしたが、自分はその流れには乗らずに「もの」を作り続けるよ。
ページの一番下には

 ようは遠まわしに「言及するのはやめようぜ」と釘を刺したわけです。この計は少しだけだが効果はありました。もっとも、逆に火に油をどんどん注いでいって完全に燃え尽きさせたほうがいいという考え方もあるので、私の考えが正しいとは限らない。自分でも何が本当に正しいのかは正直よくわからない。
 また、この騒動を「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」に書くのは止めました。理由は、
 ・騒動直後で頭が熱い状態で書いてもロクなことを書かない。自分の頭の冷却期間が必要。
 ・騒動を書き残すという行為は、「消えそうな火を、完全には消さずにくすぶり続けさせる」ということに他ならない。
 ・そもそも騒動事は「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」の趣旨から外れるのではないか。
 以上から、これを今書くことがアイマスMADにとってプラスになるとは思えなかった。書くとしても一年後に書けばいい、そう思いました。


更新の終了

 2008年1月に2007年11月分を追加記載しました。この頃、自分の力に限界を感じ始めていた。他の人のほうが自分より詳しく、上手く記事を書いている。。。 基本的にはアイドルマスターランキングで出てきた動画して見ておらず、Pのブログを読んでいない自分が持つアイマスMADの知識では、他の見る専ブロガーには敵わない。 そして多様化するアイマスMADに自分の知識がついていかなくなってしまった。アイマスMADをどうやってまとめ記事にしたらいいのかわからなくなった。

 自分の仕事はここで終わりにしてもいいかな、、、そういう気分になりました。そして「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」のページは更新を終えました。

 2010年7月、「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」を放置して2年以上経ち、経年劣化が目立ち始めます。よってリンクの貼りなおしなどの延命措置を行いました。 その際、2007年3月から11月までの期間しか書かれていないこのコンテンツに「『THE iDOLM@STER』MADの歴史」という題名は相応しくないと思いました。 題名を変えたいがどのような題名がいいのか。2007年11月分まで書かれたアイマスMADの歴史か。 アイマスMADの世界を牽引した週刊アイドルマスターランキングの桃月P版が終わったのは11月末。12月からは新体制の週刊アイドルマスターランキング。 そして、古参P代表格のありすえPが引退したのは12月9日。となるとこの時期が一つの区切りなんだな。12月からアイマスMADの世界は新たなステージに進んだと考えるべきか。 では11月までは黎明期。よって題名を「アイマスMADの黎明期」に変えました。そして黎明期最後の象徴的出来事として「桃月Pによる週刊アイドルマスターランキングの終了」「ありすえPの引退」を新たに書き加えました。

 ちなみに「アイマスMADの黎明期」の出来に満足はしていないです。特に桃邪気Pの「アイドルマスター 隣に・・・ 三浦あずさ (MA07販促)」についてきちんと書けていないところが心残りですね。 また、Pのブログを巡回すべきでした。当時の私は「Pは動画で語るべき。見る側は文書(ブログ)で語るべき」という考え。よって見る専のブログは読んでいたのですが、Pのブログは殆ど読んでいなかった。 Pのブログを読んでいれば、『アイマスMADの黎明期』と『アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究』は、もっと良いものになったのではないかと今では思います。


あの頃のアイマスMAD

  「突然アイマスMADの世界が無くなるかもしれない」

 だから『THE iDOLM@STER』MADの歴史」を作る必要があると思った。私は当時、Pのブログはチェックしていなかったし、IRCもチェックしていなかったため、Pの人達がアイマスMADの将来についてどう思っていたのか私にはわからない。 ただ私は、アイマスMADは突然終わりを迎えるかもしれないと思っていた。。。見る専の人達にはそう思っていた人が多かった。 しかし、それは杞憂だった。

 Pの人達は「とりあえずやってみる」の精神で前へ前へ突っ走っていった。そうしたらいつのまにかアイマスMADの世界に、簡単には崩れない土台が出来上がっていた。


 大きな騒動があっても、有力なPが引退しても、

  「それでも、アイマスMADは続いていく」
 
 そんな土台を作った。それがアイマスMADの黎明期だったように思う。



2015.03.22公開