個人サイトが多めなインターネットの歴史年表
★2023.09.09
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年表
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テキストサイト界周辺の出来事については別ページ「テキストサイトの歴史」に詳細が書いてあります。
個人ニュースサイト界周辺の出来事については別ページ「個人ニュースサイト史」に詳細が書いてあります。
Flash動画界周辺の出来事については別ページ「Flash動画史」に詳細が書いてあります。
1984~1993年:最初にJUNETありき
1984.10.xx:JUNET始まる
JUNETとは、慶應大・東工大・東大をUUCP方式で結んだことで始まったネットワーク。公衆電話回線を用いた。 1984年8月、慶應大の若き研究者である村井純が東工大に籍を移すこととなった。村井は慶応大のコンピュータのなかに沢山のデータを残しており、そのデータが必要になるたびに村井や後輩達は東工大と慶應大を往復していた。 電話線を使って東工大のコンピュータと慶応大のコンピュータとの間でデータの送受信ができないだろうか。 どちらのコンピュータもUNIX搭載機であった。UNIXマシン同士でデータ転送を行うには通信プロトコル「UUCP」がある。 初めは慶應大、東工大間を接続、まもなく東大も参加。 JUNETの機能の中で主なものは、バケツリレー方式での電子メール・ネットニュース。 電気通信事業法の施工、いわゆる「通信の自由化」を待って、1985年の情報処理学会にてJapan University NETwork「JUNET」を正式に発表。 JUNETは評判となり参加者は増え、fjというニュースグループでは活発な議論が行われた。
1985年4月に電電公社が民営化されてNTTになるまでは、一般の回線を電話以外で使うことは、ハードルが高くて普通の人にはとてもできませんでした。 正式には認可が必要でしたし、それにはたいへんな手間と出費がかかりそうでした。 たとえば300bpsの(いまから見ればおもちゃのような)モデムで、電話回線を使ってどことどことをつなぐということの正式な認可を得るために、 書類を出して、機器をそろえてとなると、何百万円かは覚悟しなければなりません。 しかも、電電公社との、何段階ものネゴシエーションのために足しげく通わないとだめだとか、そんな状態だったと思います。
このような状況だったので、一般の長距離ネットワークが、日本では大きく遅れたのですが、85年4月の電電公社民営化以後、 電話機や接続機器についての自由度がある程度出てきて、電話回線に接続して使える、データ通信用の一般向けモデムが発売されるようになりました。
そしてそれを使って、離れたコンピュータ同士を、電話回線でつないだわけです。 実際には、このネットワークの実験は、電電公社民営化以前の1984年10月、東京工業大学、東京大学、慶応義塾大学を結ぶことから始めました。 民営化後を見越して開発が進められていた機器を使って、非公式に開始したのですが、民営化後も事務レベルでは大きな抵抗感がありました。 電話回線を電話以外の目的で使うのはいけないことだと、多くの人が心配するなかで、「草の根」からネットワークをつないでいくという実験を重ねていったのです。
第4章インターネットの変遷(村井純著 インターネット)
JUNETによって実現された数々の功績は,技術的にも大きいものがあるが,社会的に大きな功績の一つは電子ニュースの配送であり,ネットワーク上のコミュニティができるようになったことだ.これがfjと呼ばれる日本の中でのニュースグループである.ARPANETからUSENETに入ってくるニュースはFrom ARPA でfaというタグをつけていた.JUNETからはfj(From JUNET)という名前がつけられた.fjというニュースグループは,日本の中でどういう掲示板を造ればいいかといった様々な議論がなされていた.fjは faとも相互運用されていて,USENETなどのほかにもたくさんのネットワークともつながっていたこともあり,この中で大変大きな発展があった.
4. 電子ニュースとネットワークコミュニティ(電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163)
1985.01.xx:JUNETがUSENETに繋がる
USENETとは、1979年にデューク大学の大学院生Tom TruscottとJim Ellis、が構築したUUCP接続ネットワーク。
1986.01.xx:JUNETがCSNETに繋がる
CSNETとは、全米科学財団が構築したネットワーク。
1987.07.01:JUNET記念日
1987年7月1日、ネットニュース記事の配送が突如停止。
ニュース配送システム「Bnews」当てたパッチ中の「july」と記述すべき箇所が「July」と
なっていたことが原因であった。これ以降、毎年この日はニュースの配送に感謝して、記事の投稿を控える日「JUNET記念日」となった。
1987年はサラダ記念日が流行っていた年であった。
「この記事が古い」とinews(君)が言ったから、7月1日はJUNET記念日
1988.04.xx:WIDEプロジェクト始まる
JUNETは電話回線を用いたUUCP通信である。JUNETの通信量は右肩上がりに増え、電話代は当然増えた。 電子メールのアドレスの書き方を間違えたせいで国際電話の電話代が月300万円になったこともあったという。 したがって専用線の導入が必要という結論になったのだが専用線を引くには金がかかる。 専用線を引くには企業から金を集めるしかない。村井は共同研究費という形で企業から金を集めた。 そしてまずは東大と東工大間を88年7月6日に、慶應大と東大間を同年同月19日に接続した。通信方式はTCP/IPを用い、速度は64kbpsであった。 この共同研究はWidely Integrated Distributed Environment Project 「WIDEプロジェクト」と名づけられる。
第2章
WIDEプロジェクトの概要WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)の目的は、 局所的な分散環境とそれらの接続という階層的な構造に基づいた大規模な分散環境を構築するための技術を実証的に確立することにある。 そのために、実際に運営されている複数のローカルエリアネットワーク間を、分散環境を構築するために充分な速度の回線を用いて接続し、 その上に実用に耐える大規模広域分散環境のプロトタイプの構築を開始した。 この環境の構築に際して、ネットワーク間パケットのための経路制御機能、ゲートウェイにおける制御機能、 広域分散環境の管理機能と応用機能に関する研究と研究成果の実証を行う。
2.1 研究期間
研究活動は当面4年間を予定している。この期間を2つのフェーズに分け、前半と後半をそれぞれ次のような方針で活動を行っている。 実際の活動は1988年4月から開始している。
フェーズⅠ(1988年4月から1990年3月)
実験基盤の確立とゲートウェイ機能の開発、大規模分散型オペレーティングシステムの構造に関する設計、 応用技術のプロトタイプの開発と実験などを目的とする。フェーズⅡ(1990年4月から1992年3月)
実験基盤の発展と運用の技術確立、大規模分散環境のためのオペレーティングシステム技術、ゲートウェイ技術、応用技術の開発と実験などを行ない、 その技術移転を目的とする。
・「右手に研究、左手に運用」
・「北風より太陽になろう」
われわれは「北風と太陽」と言ってきました。「こういうものを使わなければ困ったことになるぞ」と、 強迫観念を与えてものごとを推進していこうというのは、いわば『イソップ物語』でいう「北風」です。 そうではなくて、「こんなによいことが起こるのだ、こんなに有効なものなのだ」と、 まずコンピュータ・サイエンスの分野が成果を示し、そしてほかの分野を動かしてきたのです。
第5章インターネットの重要課題(村井純著 インターネット)
1988.08.02:IPパケットが初めて太平洋を横断する
NTTの後藤滋樹と村上健一郎がCSNETとのTCP/IP接続に挑戦。
まず手始めにルーターを取り寄せた。発注したのは,米シスコシステムズ製のルーター。日本に持ち込まれた最初のシスコ・ルーターである。シスコを選んだのは,「ルーター・ソフトのできが他社より良かったから。でもハードは相当ひどかった」(村上)。
次にグローバルIPアドレスの取得。実はすでに社内実験用にSRI(スタンフォード研究所)からアドレス・ブロック(連続するIPアドレス群)を割り当ててもらっていた。これを使えばいい。
最後は国際回線との接続だ。社内事情から国際専用線を使えなかったので,回線はX.25 パケット交換網と呼ぶ公衆サービスにした。
ただし,ここから苦労が始まった。X.25パケット交換サービスの仕様が,日本と米国で微妙に違っていたためだ。やむを得ず村上は,ルーターOS の修正作業を開始する。シスコとCSNETのエンジニアに応援を依頼し,米国版X.25と日本版X.25で相互接続できるように,ルーターOSを書き換えてもらうことにした。
修正は実験結果を反映しながら進めなければならないので時間がかかった。まず,シスコが日本仕様に書き換えたルーターOSを送信してもらう。受け取ると,すぐさまルーターにインストールし,CSNET側と歩調を合わせて起動する。通信を開始し,パケット・アナライザを使って通信状態を逐一チェックする。最後に,通信に失敗した原因を解析し,その結果をシスコへフィード・バックする。こんな作業が,数カ月も続いた。
1989.08.xx:WIDEネットワークセンターを岩波書店に設置
民間企業から資金提供を受けることに成功したWIDEプロジェクト。 共同研究として資金提供をしてもらったのだから民間企業とJUNETをつなげなければならない。 しかし国立である東大と民間企業を直接繋げることは難しかったため、 接続拠点を岩波書店に設置し、そこを介すようにした。 WIDEプロジェクトに参加する組織が増えるにしたがって、各地に接続拠点を開設。 こうしてWIDE網が広がっていく。日米間接続の専用線はハワイ大学のPACCOMプロジェクトによって実現した。
1989.08 | WNOC東京 | 岩波書店 |
1989.11 | WNOC京都 | ASTEM |
1990.03 | WNOC大阪 | 千里国際情報事業財団 |
1990.04 | WNOC-SFC | 慶應大湘南藤沢キャンパス |
1990.12 | WNOC福岡 | システムソフト |
1991.08 | WNOC仙台 | AIC |
1992.07 | WNOC広島 | 広島大 |
1993.04 | WNOC奈良 | 奈良先端科学技術大学院大 |
1993.05 | WNOC北海道 | 札幌エレクトロニクスセンター |
1994.07 | WNOC浜松 | 静岡大 |
1994.07 | WNOC八王子 | 東京工科大 |
1994.12 | WNOC-SFO | MCI Hayward Center |
1995.09 | WNOC岐阜 | ソフトピアジャパン |
1995.09 | WNOC小松 | 北陸先端科学技術大学院大 |
1989.12.xx:(海外)Tim Berners-Lee、「World Wide Web」を実装
1989年11月12日、CERN(欧州原子核研究機構)のTim Berners-Leeは具体的なWorldWideWebの提案書「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」を発表。 同年12月、CERNにあった「NEXTSTEP(NeXTコンピュータ社のOS)」コンピュータ上に、世界初のWWWサーバ、世界初のウェブブラウザを構築した。
1991.08.06:(海外)世界初のウェブサイト
1991年8月6日、Tim Berners-Leeは「WorldWideWeb - Executive Summary」を「alt.hypertext」ニュースグループに投稿。 同日、世界最初のウェブサイト「http://info.cern.ch/」を立ち上げた。
1992.02.xx:日本初のHTML
NTT基礎研究所の奥乃博が日本国憲法や社内情報等をHTML化。
1992.09.30:森田洋平、Tim Berners-Lee博士と出会う
1992年9月になって、ある国際会議がフランスで開かれ、その会議に出席した私は その後、別の会議に出るためにCERN研究所に立ち寄りました。そこでTim Berners-Lee博士と出会い、CERNのカフェテリアで昼食を食べながら、WWWの ことを聞いてみました。この席上で博士から「情報はネットワーク上でみんなと 共有して、はじめて価値が生まれる。WWWはハイパーテキストのリンクで世界中の 情報をお互いに結びつけることを可能にする。KEKもぜひWWWサーバーを立ちあげて 欲しい。」と依頼されました。このときの博士の情熱にあふれた瞳を私は今でも 忘れることができません。
博士の情熱的な説得に感化された私は昼食の後、さっそくCERNの端末室に出向き、 ネットワーク経由でKEKにログインして、はじめてのHTMLファイルを作り、 サーバーの上に置きました。それから博士にそのアドレスを電子メールで 送り、CERNのリンク集のページにKEKを加えてもらいました。(当時のメモ によれば1992年9月30日)
この時のサーバーはHTTPではなくて、FTPを使っていましたが、これが日本で 最初にWWWの網の目にリンクされたWWWサイトとなったのです。当時、CERNのTim Berners-Lee 博士のページに登録されたWWWサーバー の数は世界中に10数台ぐらいだったと記憶しています。
1992.09.30:日本最初のホームページ
KEK Information
Welcome to the KEK WWW server. This server is still in the process of being set up. If you have question on this KEK Information page, send e-mail to morita@kek.jp.Help
On this program, or the World-Wide Web .
H E P
World Wide Web service provided by other High-Energy Physics institutes.
KIWI
KEK Integrated Workstation environment Initiative.
Root
WS Manager Support (Root) [EUC].
See also:
Types of server , and OTHER SUBJECTS
1992.11.xx:日本初の商用インターネット接続サービス開始
日本イーエヌエス・エイティアンドティ(AT&T Jens)が日本初の商用インターネット接続サービス「Spin」を開始。UUCP接続。IP接続サービス「InterSpin」は1993年7月に開始。
地球はもっとすばらしい星になる。
電話や飛行機が地球を小さくしたように、インターネットもまた地球を小さくし、世界をひとつにしようとしています。 コンピューターネットワークを通して、だれもが世界のだれとでも情報のやりとりをできるようになりました。それは、その人の身分、財産、権力、会社の大小に関係ありません。世界のひとりひとりが自由に情報を送り、受けとることができるものです。 インターネットは、いままでにない自由なコミュニケーションのネットワークを実現しつつあります。
インターネットの夢を考えるたびに、私たちは、AT&T草創期のA.G.Bell(アレキサンダー・グラハム・ベル)を思い出します。 19世紀末に電話を発明したA.G.Bellはたしかに天才です。しかし、彼を電話発明へと導いたのは、天才の力だけではありません。耳の不自由だった母と妻への献身の力を忘れることはできません。 ベルの後継者たちは、A.G.Bellの夢をさらに前進させました。電話が必要な人は、だれでも、低料金で電話をつかえる?ユニバーサル・テレフォン・サービス?この思想が、電話ネットワークを爆発的に発展させる源になります。
電話に始まるインターネット。私たちはインターネット時代になっても電話の精神を忘れません。お客様に満足していただける仕事、社会の役に立つ仕事、これが私たちのやりがいのある仕事です。
インターネットで地球はもっとすばらしい星になります。
AT&T Story(AT&T Jens)
1992.11.xx:IIJ設立
村井が号令をかけ、WIDEプロジェクトのメンバーが中心となって設立された、日本初の商用インターネット接続サービス会社「インターネットイニシアティブ(IIJ)」。
IIJは1993年11月に国内限定のインターネット接続サービスを開始。
この頃はまだ特別第二種電気通信事業者の免許が取得できてなく、国内はTCP/IP接続だが海外との接続は米UUNETのサーバーにUUCPで接続していた。
1994年2月に免許取得し、本格的にインターネット接続サービスを開始した。
商用化に対する要求と議論は日本でも熱を帯びてきており,WIDEプロジェクトを中心としてみんなで少しずつお金を出して商用のサービスを作ろうという働きかけをやっていた.まず,WIDEで動かしているインターネット運用のモデルが商用化の可能性があるのかを検証するために,郵政省の下でいろいろな専門家に入って頂いて研究会を開いた.WIDEで運用しているインターネットの需要が大きくなっているが,商用化としてスタートできるかどうかを検討してきたわけである.ところがその結論は商用化は難しいだろうということだった.WIDEでの実績はあくまで研究活動としての運用であり,そこで予測される伸び率は,共同研究の仲間が増えてくるに従って増加するのみにとどまり,これを顧客として換算していった場合には,営業活動その他の状況が全然異なるため,ビジネスとしての採算にはつながらないというもので,結論は余りに悲観的なものだった.それでも,筆者らは商用化は絶対に必要になってくることを主張し続けていた.そうしないとWIDEプロジェクト自体が運用活動に時間をとられすぎ,研究活動として続かなくなると考えており,とにかく商用化を急務として進めたかった.
そこでスタートしたのがインターネットイニシアティブ(IIJ)社である.IIJはWIDEのボードメンバーが少しずつ出資し,当時アスキーにいた深瀬氏に社長をお願いしてスタートした.AT&Tを基盤としたSPINというサービスも同じ時期に商用化した.この二つが日本で最初の商用インターネットサービスの会社である.そこでスタートしたのがインターネットイニシアティブ(IIJ)社である.IIJはWIDEのボードメンバーが少しずつ出資し,当時アスキーにいた深瀬氏に社長をお願いしてスタートした.AT&Tを基盤としたSPINというサービスも同じ時期に商用化した.この二つが日本で最初の商用インターネットサービスの会社である.
6. 学術研究ネットワークと商用ネットワーク(電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163)
1993.03.14:(海外)NCSA Mosaic 登場
「NCSA Mosaic」とは米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)のMarc Andreessenを中心としたチームが開発した画期的なウェブブラウザ。なにが画期的であったのか。 それは「<IMG>」タグを備えていたことであった。今までのブラウザは文字しか表示できない、ゆえにウェブサイトは簡素で、見かけは地味なものであった。 しかし、Mosaicの登場により、文字と一緒に画像の表示が可能となる。これは衝撃であった。インターネットといえばMosaicというくらいMosaicは流行した。
NCSA Mosaic は、未来の情報サービスの姿をインターネットという地球規模の舞台で今ここに実現した。これこそが来るべき情報スーパーハイウェイ時代のソフトウェアである。
MosaicのPR用ビデオより
1993.05.18:Windows3.1発売
Windows 3.1は、1993年5月18日に出荷された。秋葉原の大型コンピュータ店では、発売初日に、約900本を売り尽くしたという話もある。その前の週には、日本電気のWindows 3.1が出荷され、一週間でWindows 3.0の一年分を売り尽くしたとも言われる。
当時のWindows 3.1が利用したハードディスクは約25MB。隠しファイルのスワップファイルが約15MB。今から考えると、信じられないくらいコンパクトなOSだった。
1993.10.07:NTT、WWWサーバを立ち上げる
奥乃が作成した日本国憲法のHTMLがここで公開された。「www.ntt.jp」。
NTTのホームページへようこそ!
ここはNTT(日本電信電話株式会社)のホームページです. このサーバはNTTのWWW愛好家によって運用されています.どうぞお楽しみください!
NTT Home Page
1993.10.xx:TWICSがインターネット接続サービスを開始
四谷にある日米会話学院が母体。マニュアル、メニューは英語。同学院は国際交流の為のBBSを1984年に開始していた。
1993.12.01:『日本の新着情報』登場
1993.xx.xx:『富ヶ谷』開設
http://www.eccosys.com/JPN/index.html
伊藤穣一が開設した個人ホームページ。
米のプロバイダ「インターコム」が日本でのインターネット接続テストと必要機材の保管を伊藤に相談。
伊藤の自宅に専用回線が引かれたのがきっかけ。
伊藤は1994年4月「有限会社エコシス」を設立。1995年8月、フロムガレージグループの林郁とともにデジタルガレージを設立。
1994年:個人サイトの始まり
1994.02.xx:NIFTY-Serveがインターネット接続サービスを開始
パソコン通信サービスを行っていたNIFTY-Serveのインターネット接続サービス。
1994.06.01:InfoWebがインターネット接続サービスを開始
富士通のインターネット接続サービス。
1994.06.20:『Local Area Medical Network(LAMeN)』開設
http://www.sapmed.ac.jp/satui/std/lamen-indexj.html
札幌医科大学学生のページなのだが、人気コンテンツは医療情報よりもラーメン…
「ラーメン情報」というページがあって、札幌の人気ラーメン屋の情報と短評が書かれている。「Lamen-ml」というメーリングリストも運営。
短評で「解剖学第2講座の石田助教授御推薦の店」とか言われましても…
札幌といえばラーメン、ラーメンといえば札幌。札幌ラーメンに憧れてこの地に訪れるあなたのために、札幌医大が推奨する(?)ラーメン屋を一挙公開! 決してすすきのでラーメンを食べないで下さい。
1994.06.xx:ASAHIネットがインターネット接続サービスを開始
朝日ネットのインターネット接続サービス。
1994.07.25~1994.07.29:NetWorld+Interop 94' Tokyo 開催
幕張メッセで開かれたインターネットサービスについての展示会。この後、毎年行われる事になる。
1994.08.09:『JapanEdge』開設
http://www.ces.kyutech.ac.jp/student/JapanEdge/index.html
九州工業大学の学生3人「一瀬大志」「児玉修一」「堀江信助」が同大学制御システム工学科のサーバー内に作った、日本の先端文化を紹介するページ。
音楽、ファッション、ストリートの情報を届ける。個人サイト祖?
一瀬大志と児玉修一は「ハイパーヒッチハイカーズ」を著した。
The Internet Edge Culture Archive of Japan (通称 "Japan Edge") は、 日本で最初の先端(edge)文化を紹介するアーカイヴです。 ここから世界に向けて、日本のストリートやアンダーグラウンドの最新情報を発信します。
JapanEdge
1994.08.22:『内閣総理大臣官邸』開設
内閣総理大臣所信表明演説などを公開。
1994.08.xx:インターネット協会日本支部発足
1994.09.xx:ベッコアメ始まる
直接ベッコアメをつくるきっかけとなったのは94年7月の日本初のインターロップでした。 ぼくも喜び勇んで幕張に出かけたんです。でも何もないんですよ、未来を予感させてくれるようなものが。 どこのメーカーのブースに行ってもMOSAICしかない。
熱気は確かに感じたのでこの点は成功だと思うんですが、技術的には期待外れだったなと思って帰ろうとすると、 IIJのブースだけがすごい人だかりがしているんです。 なんだろうと思ってみてみると、商談コーナーに人が列をつくってる。 考えてみれば、インターネットに繋ぎたい人はたくさんいるし、たくさんの人が繋がなければおもしろい技術が 出てくるわけがないんですよね。
そうすると、IIJの料金がこんなに高いんだったら、個人が入りたくても入れない。それでは意味ないと思ったんです。 じゃあIIJが月3万円ならば俺は年間3万円でサービスをやってやる。 事業計画も計算も何もなしで、そう決めちゃったんですよ、そのとき(笑)。 IIJのブースの周りをぐるぐる回りながら来年はここにうちのブースを立ててやると決意してましたね。 数ヶ月でつぶされたとしてもネットに価格破壊をもたらして討死にしてやるとか思って(笑)。
このとき、電話ボックスみたいな小さなブースでインプレスという出版社が『インターネット・マガジン創刊期待号』という冊子を配っていたんです。 どうなるかわからないインターネットの専門誌を出そうなんて、馬鹿なヤツらもいるなぁと思ったんですけど、そこで起業しようというぼくと同じヤツがいると思うと勇気づけられましたね。
帰りの電車の中でどんどん起業への気持ちが膨らんできて、実家近くの駅で降りてすぐに電話ボックスに飛び込んで、 さっきもらった『インターネットマガジン』の編集部に電話をかけました。 「創刊号に広告を出したい」というと「失礼ですが、どのような会社ですか」と電話の向こうで聞くので、「いや、これからつくります」と答えると電話の向こうで大爆笑ですよ(笑)。 ともかくこれから編集部に来いというので、また電車に乗って『インターネット・マガジン』の編集部に行きました。広告をこの号に出して、それからベッコアメは始まったんですよね。
尾崎憲一インタビュー(ハッカージャパン VOL6)
1994.10.01:リムネットがインターネット接続サービスを開始
ソフトウエア開発会社「ラピドシステムズ」のISP事業。
1998年8月にPSINetに買収され、01年1月にTWICSと合併。現「インタードットネット」。
1994.10.xx:JUNET解散
1993年、IIJをはじめとする商用IP接続サービスプロバイダがサービスを開始。 ネットワーク接続は「学術」から「産業」に、時代は変わりつつあった。 「学術」であるJUNETはその役割を終えるときが来たのである。1993年から解散準備を始め、誕生から10年が経った1994年にJUNETは解散。 12月には関係者を招いてJUNET誕生10周年記念兼解散式を行った。
1994.10.xx:(海外)Netscape公開
NCSA Mosaicを製作したMarc AndreessenらはNCSAを離れ、「Mosaic Communications(後のNetscape Communications)」を設立。
1994年10月、「Mosaic Netscape」を公開した。「Netscape」はすぐに大きなシェアを獲得。
そこでMicrosoftは「Netscape」のライセンスを受けようとしたが失敗。Microsoftは「Internet Explorer」を開発するようになり、
「Netscape」VS「Internet Explorer」の戦いが始まる。
1994.10.xx:『秋保窓』開設
http://ftp.tohoku.ac.jp/~thig/ftp/
東北大学の樋口隆司が開設したソフト紹介ページ。後の『窓の杜』。
オンラインソフトというものは、すでにパソコン通信の世界では広く流通していた。しかしまだインターネット上では配布されておらず、各大学のサーバー管理者等によって、パソコン通信からインターネットサーバーへの転載が行われていた。当時大学院生として東北大学に在籍していたひぐちたかし氏は、学内ボランティアとしてその作業を担当していた。
だが、どこのサーバーにどのソフトが転載されているかという案内的Webページはなく、Archieなどの検索システムを使ってファイル名で検索するしかないなど、必ずしも使いやすいものとはいえなかった。ひぐち氏は、アメリカの某大学にFTPサーバーに転載されたオンラインソフトの紹介ページを見つけ、「こういうのがほしかったんだ!」と思った。そしてさっそく、大学内のサーバーにおいていた個人のWebページにオンラインソフトの紹介ページを新設した。サーバーの名称は、仙台市郊外の秋保(あきう)温泉が由来の“Akiu”だったため、Webページに「秋保窓」と名付けた。これが日本初のオンラインソフト紹介サイトの誕生だった。
1994.11.27:『Koichi Matsuda's Home page』開設
http://www.ke.ics.saitama-u.ac.jp/matsuda/
http://cupramen.hp.infoseek.co.jp/
埼玉大学の松田浩一によるページ。
1995年1月5日から始めたカップラーメンレビュー「カップ天国」がカップラーメン食いまくりで凄い。
1994.11.xx:ベッコアメのサーバーに初めて個人ホームページが出来る
http://www.bekkoame.or.jp/~kbystryk/
小林照幸が”商用プロバイダ上の”個人ホームページの日本初を狙って作った。
ホームページを作ろうと思った動機は?
去年の10月の終わりか11 月の初めだったと思います。 日本のインターネット接続プロバイダーとしては初めてBEKKOAME/INTERNETが会員へのホームページの無料開設サービスをアナウンスしたんです。 その前から「自分のWWWのホームページを持ちたい」とは思っていたんですけど、それができる環境というのはそれまでなかったんですよね。 だから「おおっ、今だ、これはチャンスだ! 日本一を維持するのはたいへんなことだけど、日本初というのは歴史に残るぞ!!!」と思ったんです。
1994.11.xx:『Searcher in Waseda』登場
http://www.info.waseda.ac.jp/search.html
http://senrigan.ascii.co.jp/
早稲田大学の田村健人が.jpドメインのデータ収集、そのデータを利用したWWW検索システムを始める。
日本初のロボット型検索エンジン。後に『千里眼』と命名された。
1997年3月、『千里眼』は早稲田大学からアスキーに移転した。
■「千里眼」という名前の由来は?
開始当初は名前がなかったのですが、1995年の9月頃から名前を公募しました。数十の案が送られ、その中から選ばれたのが向後達也さんの案である「千里眼」です。
1994.12.01:ベッコアメ・インターネット設立
個人向け、低料金なサービスプロバイダ。
1994.12.xx?:『NTT DIRECTORY』開設
かつて日本最大級を誇ったディレクトリ型検索エンジン。
2000年2月からの名称は『OCNnavi』。
1994.xx.xx:『ダービースクエア』開設
http://www.fix.co.jp/extra/keiba/Racing.html
http://www.k-ba.com/
東京大学の堀江貴文が作った、競馬のポータルサイト。1995年の段階で参加者がすでに1000人を越えていた競馬予想大会「Derby Square Cup」をはじめ、コラムや競馬関連サイトのリンク集など。
後に堀江は有限会社オン・ザ・エッヂ(Livin' on the EDGE)を立ち上げる。サイトデザインは『akiko brand』の有馬あきこ。
2010年?、有馬あきこ逝去。R.I.P.
1995年:Windows95登場し、インターネットという言葉が一般に広まる
1995.01.17:阪神・淡路大震災
6,434名の死者を出した「平成7年兵庫県南部地震」。このとき、安否確認・被災地からの情報発信手段の一つとして使われたのがパソコン通信でありインターネットであった。 電話回線はパンク状態な中で、インターネットは早期に復旧。『神戸市外国語大学』のサイトは神戸市内の被害状況を写真で公開し話題となった。 ボランティア活動にもインターネットの活用が試みられる。災害の中でインターネットが存在感を示した。
先の阪神淡路大震災では, 情報技術者を含む130万人もの人々が様々な形で, 救援ボランティア活動を行った。 その体験の予想外の成果の一つが,大災害時の通信手段の一つとしてパソコン通信やインターネットが意外に役立つことの発見であったと言える。 実際には役に立った人 (ネットワークが使えた人) の数は少なかったのであるが, それでもこの結果は, 例えば1995年7月に改訂された国の 「防災基本計画」 (中央防災会議) の中にも盛り込まれ, これによって正式に, 各自治体によるパソコン通信 (インターネットを含む) の利用が防災計画の中に位置付けられ, その利用が要請されることになった。
パソコン通信等の通信手段が, このような震災救援活動において, これほど役に立ちうることは, 当時としては予想外であり,その話題性のためにマスコミの好意的報道も多数あった。 このような経験を社会的なものとするためには,これらの活動を積極的に評価することは重要であろう。 神戸新聞社の情報センター長, 光森氏の言葉を借りれば,パソコン通信やインターネットは大災害において 「役に立つことが分かった」 と評価すべきである。 例えば神戸市内の状況を写しだしたWWW (神戸市立外国語大学のサーバー) へは, 地震発生後20日の間に50カ国からアクセス数が約36万件あった。 これは WWWへのアクセス数としては非常に多い。
1995年の阪神淡路大震災は、情報通信ネットワークの脆弱さを露呈させましたが、一方で、情報通信ネットワークの重要性を示しました。
今回の震災のような都市型の広域災害では、情報が水や電気、ガスなどと並ぶ重要なライフラインとして、重要な役割を担っていることが、あらためて認識されました。情報を正確にそして迅速に伝達することは、被災者の生命や生活を維持するためになくてはならないものとなっていることがわかりました。
さらに、情報も従来の警報や誘導といった政府や自治体からのトップダウンの情報や、マスコミからの情報だけでは、不十分で被災者による草の根レベルの情報と、その伝達も非常に重要であることがわかりました。
◇
インターネットは、被災地域の情報流通、被災地と外部との通信など、災害時の情報伝達手段として、優れた特性を持っています。災害時に発生する通信の急激な混雑にも強く、また、無線やその他の通信手段と組み合わせることにより、頑強な通信網を構築することができます。また、草の根レベルでの、情報発信、伝達手段としても優れています。
一方で、このような特性を生かし、災害時に有効に機能させるためには、技術的、運用的、制度的な課題を解決する必要があります。
1995年 1月17日、阪神・淡路大震災が起こり、ガスや水道は絶たれてしまいました。電話は、安否の問合わせなどによって回線パンクの状態になりました。このようにライフラインが絶たれた状況においても、インターネットでは生存者情報や被災状況などが世界中に公開され、一躍注目を浴びることになりました。しかし、
* インターネットでなければできないことをしたか?
* インターネットを充分に活用できたのか?
といった点を考えると、阪神・淡路大震災の後に行なわれた利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットでも流したということにすぎませんでした。つまり、インターネットとしてのメリットを活かした利用は充分にはできていなかったと考えます。
第1回インターネット災害訓練報告(IAA project)
1995.02.01:meshがインターネット接続サービスを開始
NECのインターネット接続サービス。正式名称は「C&Cインターネットサービス mesh」。1996年7月12日にパソコン通信のサービスのPC-VANと統合、「BIGLOBE」となる。
1995.03.27:『秋葉原マップ』開設
http://www.impress.co.jp/akibamap/
http://www.watch.impress.co.jp/akiba/
https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/
秋葉原の店舗情報と地図のサイト。インプレスのサーバー上にある。
管理人の石橋文建が毎週土曜に秋葉原に行き、見つけてきたお買い得情報や製品を紹介した「アキバHotLine!」というコンテンツもあり、
これが後に『AKIBA PC Hotline!』となった。
元々は石橋が1993年末に公開したWindows用フリーソフト。
1995.03.27:『東京トップレス』開設
http://tokyotopless.com/
風俗マニアの工藤によるエロ・風俗情報サイト。1995年時で一日一万アクセスあったという。
1995.03.31:『nozomi Ohmori SF page』開設
http://www.sdw.com/m/ltokyo/ohmori/
http://www.asahi-net.or.jp/~KX3M-AB/
SF作家である大森望のサイト。大森はインターネット初期から雑誌にインターネットについて色々書いていた人。
史上最強のパーソナルメディア、WWWの極意はHyperDiaryにある。
相互接続する個人ページの中から誕生しつつある、だれにでも開かれた日記のネットワーク。光速モディファイを誇るWWW日記ページが現代とリアルタイムでシンクロする新しいメディア=コミュケーションのかたちを提出する。
日々の生活そのものをWWWにまるごと投影する日記者たちの過激なヴァーチャルライフにリンクせよ。
1995.05.14:『三ツ矢浩之のホームページ。』開設
http://www.stat.t.u-tokyo.ac.jp/~mitsuya/index-j.html
http://www.iijnet.or.jp/mitsuya/
東京大学の三ツ矢浩之のページ。「誤変換の宴」「エセ倍角の館」が面白い。
1995.05.14:『NAKATA Personal Home Page Magazine』開設
http://www.bekkoame.or.jp/~nakata/personal/personal.html
http://www.iijnet.or.jp/NAKATA/
http://www.t3.rim.or.jp/~nakata/
ジャンルごとに個人サイトを紹介するオンライン・マガジン。個人サイトの検索機能も実装した。登録された個人サイト数は1999年3月で7382。
1995.05.18:『日記リンクス』始まる
http://www.ita.tutkie.tut.ac.jp/~tsuda/links/nikki/index.html
http://nikki.ita.tutkie.tut.ac.jp/nikki/
http://nikki.pobox.ne.jp/nikki/
豊橋技術科学大学の津田による登録型ウェブ日記リンク集。7月にはアクセスランキングを開始する。さらに登録者が更新報告できるなど斬新なアイデアで人気に。
1995/07/11 今日の日記リンクス
こっそりと日記ランキングを始める。
ランキングは理系のギムですので。
ランキングシステムによって競争心を煽られたウェブ日記サイト達は更新に力をいれ、ウェブ日記サイト界隈は活性化した。そしてその中心にいたのが日記リンクス。多大な影響力を持つようになった日記リンクスだが、競争心から生まれる力には常に「負」の側面がある。翌年、津田はその負の力に悩まされることになる。
資料:『日記リンクス』紹介
(大森望のSFページ)
資料:1995年 『日記リンクス』の開始
1995.05.24:『J.O.Y - Japanese Open Yellowpage』開設
http://joyjoy.com/
JOYって何?
J.O.Y. - Japanese Open Yellowpages は日本最大の個人ホームページ専門のディレクトリー・サービスです。「インターネットの時代は個人の時代」をスローガンに個人ホームページを分類して作者自身によるコメント付きで紹介しています。
1995.05.xx:『CSJインデックス』サービス開始
サイバースペースジャパンが運営する検索サービス。コンテンツの一つであるリンク集「リンクdeリンク」は1994年から。後に『iNETGuide』となる。
1995.05.xx:『地下道入口』開設
後のUGサイトの原点的サイト。
1995.06.01?:『Yahho』登場
http://yahho.ita.tutkie.tut.ac.jp/
豊橋技術科学大学の近多泰宏が開発したディレクトリ型検索エンジン。「YAsuhiro chikata Hyper HOtlist」。
1997年9月1日、サーバーが高桑美術印刷に変わり、『うぇいぶなび』となった。
1995.06.12:『あみのホームページ』開設
http://www.kinotrope.co.jp/~ami/
1日8時間以上をサイトの更新に使っており、サイトの一コンテンツである『不連続日記事件』という日記が人気。
管理人の河合あみこは「日記界の女王」と呼ばれた。
日記界四天王の一人。後の三人は『駄文でポン!』の諸星友郎、『すちゃらか日記』の酒井伸和、『きちく系日記』のなかむらひろし。
1995.06.16:『YOMIURI ONLINE』開設
読売新聞のウェブサイト。
読売新聞社が情報発信
(東京都千代田区)
読売新聞社は、本紙社説などの情報の発信を開始しました。提供する情報は本紙社説と、読売新聞の英字紙「ザ・デイリー・ヨミウリ」に掲載されている英訳版社説のほか、「ザ・デイリー・ヨミウリ」から選んだ主なニュース、読売新聞社とグループ企業のインフォメーションなどです。社説と主なニュースは新聞が休みの日を除く毎日、更新します。また、当日の本紙トップニュースのサービスも近く開始するほか、継続的に内容の充実を図り、読売新聞社が出版する書籍の新刊情報、イベント案内といったメニューを順次追加する予定です。
日本の新着情報
1995.07.08:「南平岸インターネット」放送開始
「モザイクな夜」「水曜どうでしょう」というオリジナリティ溢れる番組を作っていた90年代の北海道テレビ放送(HTB)が、 1995年から放送を開始した情報番組。インターネット関連情報番組の草分けの一つ。 インターネットに限らずPCの事について広く扱っていたので、そちらの印象のほうが強いかも。 番組はMacintosh支持色が強く、Windows95の説明にきたゲストにはきつめに当たったりとか… カシオペアの向谷実が率いる会社「音楽館」が作ったMacintoshのソフト「Train Simulator」を絶賛してたら、いつのまにか向谷実が準レギュラーのように頻繁に出演するようになったとか… 早口の達人、Tzoneの蝦名信英とか…
1995.07.12:『低山徘徊派!』開設
http://www.bekkoame.or.jp/~akiyuki/
http://teihai.com/
近畿を歩くハイカーの山行記録。特に生駒山がホームグランド。
1995.08.01?:『NETPLAZA』サービス開始
NECが運営する検索サービス。
1995.08.01:『Jam Jam』開設
毎日新聞のウェブサイト。
毎日新聞社から、「Jam Jam」情報発信開始
(東京都千代田区)
毎日新聞社は、ホームページ名「Jam Jam」を開設しました。一日5回のニュース更新を行うとともに、9月1日から電子メディア広告を本格的に展開します。主な内容は、以下の通りです。「日本語バージョン」=毎日新聞=・今日のトップニュース ・ヘッドラインニュース =フォトギャラリー=・戦後50年報道写真展(8月15日スタート) など。「英語バージョン」=Headline News= =Mainichi Daily News= =Photo Gallery=(8月15日スタート)など。どんどん内容を増やし、欲張りな情報の玉手箱を目指します。
日本の新着情報
毎日新聞は1996年4月、『Jam Jam』とは別に『AULOS』を開設。『Jam Jam』は速報性、『AULOS』は深層に迫るという切り分け。 これにより2つのサイトが並存する形となったが1999年4月にサイトを統合し、『毎日インタラクティブ』となる。 2004年5月にはマイクロソフトが運営していた『MSNニュース』と統合し『MSN毎日インタラクティブ』。 2007年10月にマイクロソフトとの提携を解消、『毎日.jp』となり、2013年12月に『毎日新聞』となった。
1995.08.01:『Welcomehome』開設
http://www.sannet.or.jp/mactree/
http://mactree.net/
後の『Macintoshtree』、その後の『MacTree』。
アップルコンピュータ関係の情報サイト。Macの最新情報を日本語で読める事に存在意義。
各サイトを巡回してMacの最新情報を集め、
日次更新形式で日付とともに情報を羅列、情報元サイトも記載するその姿は後の個人ニュースサイトと同じ。
この時期は『Macintoshtree』の他にも、アップルコンピュータ関係の情報サイトが幾つも発生した。これらのサイト群が、後に個人ニュースサイトと呼ばれるサイト達の始祖?
ようこそ私のホームページへ
ここは私が管理運営する日本語で読めるMac関係の情報源です。 基本的な姿勢としてはMacの情報を日本語で読めることにこだわってリンクしてあります。 情報が外部に日本語である場合は極力リンクしていきます。個人がやっているpageですから限界ありますがなるべく新鮮な情報を独断と偏見と好によって 選んでリンクしていく予定ですの、応援をお願いします。
☆はじめに(Macintoshtree)
1995/8/15☆タイトルを「MacintoshTree」と改め macuserの為の情報源を目指しURLのリンクを開始。
1995/8/1☆bekkoameにてMacintoshTreeの原形となるhomepageを開く。この頃のタイトルは「Welcomehome」でお帰りなさいという意味だった。
Histry of MacintoshTree(Macintoshtree)
当初は岸田浩一が一人で運営していたが、後に「MacTree Project」として複数人運営に。 複数人が運営に関わったり、団員を集めていた、3つのMac関連個人サイトの一角。
1995.08.10:『asahi.com』開設
朝日新聞のウェブサイト。
朝日新聞社
(米国カリフォルニア州サンノゼ市)
朝日新聞社は、世界に向けてインターネットで情報を発信します。これまで紙とインクを使って読者に提供してきた情報を、世界に開かれたインターネットの上で提供する道を探りたいと思っています。提供するのは、時々刻々と変わる速報ニュースと、東京本社発行のその日の朝刊最終版の主要記事です。企業から提供される発表資料なども掲載します。英文情報としては、Asahi EveningNewsの主要な記事や英文の企業リリースなどです。各地の工場で印刷して家庭まで届けるという紙の世界とは違って、世界全体に瞬時に情報を届けることができるインターネットで、新聞社の持つ情報を多くの方に利用していただく方法を、さまざまな角度から検討していきます。テレビのニュースを待たずに、必要な分野の最新の情報を受け取ることができる、地球のどこにいても日本の情報を知ることができる、そんなサービスを追及してみたいと思っています。紙の朝日新聞と同様に、「朝日新聞asahi.com」をご愛読ください。
日本の新着情報
1995.08.10:『野田英樹のモーターホームページ』開設
http://momoinfo.com/noda/index_j.html
F1で「ラルース」のドライバーだった野田英樹のサイト。レーシングドライバーが個人サイトを立ち上げて自ら情報発信を行うという意味で日本初。
1995.08.22:テレホーダイ開始
フレッツ・ISDNサービスもADSLもなかったこの時代、インターネットに接続している間はアクセスポイントまでの電話代がかかってしまう。 テレホーダイは予め指定した2つまでの電話番号に対して23時~8時の間、電話料金が定額になるサービス。 このため23時になった瞬間にテレホマン達は一斉にネットに繋げ、インターネットのトラフィックが急激に増えた。
1995.09.xx:『InfoNavigator』サービス開始
富士通が運営する検索サービス。
1995.10.16?:『雑文館』開設
http://www.zatsubunkan.net/
雑文界の頂点に立ったサイト。第一回雑文祭の主催。
代表作として、遊び場「ひまわり広場」を巡る小学生達の争いを綴った「ひまわり戦記」。甥の勘太郎の話など。
雑文サイトとテキストサイトの違いは?と訊かれると答えるのが難しいのだが、文学的なのが雑文サイト?
1995.10.xx?:『Hole-in-One』サービス開始
日立国際ビジネスが運営する検索サービス。ロボット検索は1996年8月15日から。1998年7月27日、Exciteに吸収された。
100人が100日間限定で一つの掲示板に日記を書いていくプロジェクト。 見ず知らずの人の日記を集め、読むことで何を感じるかを知りたくて始めたとの事。 これを企画した八谷和彦はその後、メールソフト「PostPet」、「うんち・おならで例える原発解説」、「風の谷のナウシカ」に出てくる乗り物「メーヴェ」の実機を作るプロジェクトなどで有名に。
メガ日記の目的
ぼくがいまここにいること。きみがいまそこにいること。
知らない人の日々の生活を深く知ること。
プライベートとパブリックの間を軽く飛び越えること。
自分と他人の境界をあいまいにすること。
それぞれの人生が尊く置換不可能であることをあえて知ること。
理解不能な他人を愛すること。
不用意で軽率な行為、それを楽しむこと。メガ日記が確認するものは、おそらくそういったものです。
1995.11.03:『MOROBOSHI Tomorou HomePage』開設
http://www.hf.rim.or.jp/~morrow/
日記界の二大事件、日記リンクス630事件と日記猿人812事件について多く言及していた。日記界四天王の一人。
1995.11.23:Windows95発売
グラフィカル・ユーザー・インターフェースの改良。プラグアンドプレイによる周辺機器の容易な増設。ネットワーク設定の容易化。使いやすさが向上したWindows95の登場によってパソコンブームが起きる。そしてWindows95はインターネットを意識したOSであった。インターネットに注目が集まっていく……
11月23日に日本語Windows 95がリリースされ、午前0時からの発売には、小雨模様の東京でなんと2万人、雪の札幌でも2000人が行列して求めたとのことです。秋葉原のショップでは甘酒、郊外のショップではホット懐炉のサービスがあり、帰宅できなかった多くの人達は盛り上がった雰囲気の中で夜を明かしたと話していました。23日~26日にはJR秋葉原駅前の広場には巨大なSTART CITYが出現し、Windows 95 Start Festaが開催されました。
1995.11.xx:『WAVE Search』サービス開始
Sonyが運営する検索サービス。『日本の新着情報』のデータを元にしている。
1995.11.xx:『ODiN』登場
http://odin.ingrid.org/
東京大学の原田昌紀が開発した検索エンジン。原田は後にGoogleの日本人開発者第1号となる。
1995.11.xx:SANNETがインターネット接続サービスを開始
三洋電機のインターネット接続サービス。
1995.11.xx:インターキューがインターネット接続サービスを開始
ダイヤルQ2を使った事業を行っていたボイスメディア(後のGMOインターネット)によるダイヤルQ2を利用したインターネット接続サービス。 ダイヤルQ2である為、契約手続きが不要な点に強み。
1995.12.01:hi-hoがインターネット接続サービスを開始
松下電器のインターネット接続サービス。
1995.12.20:『とほほ日記』開設
http://www.asahi-net.or.jp/~pa8t-fks/
http://www.iijnet.or.jp/bowwow/
後に『日記猿人』を開設するばうわうの日記。『日記リンクス』ランキング上位の日記を批評(攻撃・喧嘩に近い場合も)を行い、注目された。さらに『日記リンクス』のランキングで不正行為を行ったサイトに対する批判もしていた。もっとも、ばうわうにもランキング不正疑惑があったのだが……。
1997年からはCMウオッチングサイトとして人気に。
1995.12.xx:『★阿修羅♪』開設
http://www.asyura2.com/
社会問題を議論する掲示板サイト。
★阿修羅♪はオウムへの強制捜査前に、強制捜査が入ることをPC-VANの掲示板に書き込んだことで注目された。
1996年:津田、ランキングシステムの弊害に苦しめられ。ばうわう、新たな日記リンク集を作るも人望を失う
1996.01.01~1996.12.31:インターネット1996ワールドエキスポジション
http://park.org/
世界130か国が参加した世界初のインターネット上で行う万国博覧会。
日本が主催者であり、民間主導で行われた。
「WIDE Project」の他に参加企業として日本の大手通信・家電・プロバイダの各社が参加。
エキスポをきっかけに日米間のインターネット回線が14Mbps回線から45Mbps回線に増強された。
IWE'96は、Internet 1996 World Exposition(インターネット1996ワールドエキスポジション)の略称で、1月1日から世界同時に始まったインターネットというネットワークの中で行われているこの新しい形態の博覧会です。 開幕後、参加国も増え、様々なパビリオンが展開されています。 日本も、4月1日に 、多くのパビリオンがオープンし、装いを新たにグランドオープンいたしました。 この博覧会は、45Mbit/sという、高速な次世代の通信環境を実験的に構築し、大小を問わず様々な企業や自治体、個人が世界中からパビリオンを展開しています。 また、映像や音声を使った新しいマルチメディアインターネットの世界も体験できます。
資料:インターネットマガジン1997年2月号―INTERNET magazine No.25 - im199702-266-interv.pdf
資料:インターネット白書'97 - iwp1997-ch01-11-p048.pdf
1996.01.01:『廃線跡を旅する』開設
http://www.bekkoame.or.jp/~mani-60/
http://www.kysd.net/
廃虚や跡というものは私たち日本人にとって侘び、さびに通じる何とも言えない雰囲気、情感を感じさせるものです。このホームページは鉄道の廃線の跡について徒歩や自転車でたどるための情報を収めたものです。私は鉄道の専門家でないので完璧には痕跡を追っていませんし、また紀行文にもしたくないのでWWWのくせに写真は少なくしています。ただ、廃線跡にある遺物を単に見るだけではふくらみに欠けると思うので、沿革やエピソードを多めに掲載しています。基本的に過去の自分自身の探索を元に構成していますが、各地の方の最近の情報や意見などをいただければ非常にうれしいです。
今も廃線跡は静かに眠っています。みなさん、今度の休みの日にはちょっと小粋に廃線跡をたどる旅でもしてみませんか?
1996.01.09:『NIKKEI NET』開設
日経新聞のウェブサイト。
1996.01.15?:『東京トイレマップ』開設
http://www.asahi-net.or.jp/~ad8y-hys/
東京にある駅のトイレを5段階で評価するトイレ行きすぎな林雄司のサイト。トイレにあった落書きなんかも載ってる。
このサイト用に写真を撮っていたら、トイレ以外の面白い写真が集まったので、それを載せる場として後に作ったのが
『Webやぎの目』なんだとか。
1996.01.15:So-netがインターネット接続サービスを開始
Sonyのインターネット接続サービス。
1996.01.18:『検索デスク』開設
https://www.searchdesk.com/
横断検索サイト。検索エンジンに関するニュースやコラムも充実。
検索デスク誕生:NTT新着情報へ登録 1996.1.18
午後11時頃にメールを送付。自動処理。19日より広報。1月18日を検索デスクの誕生日とします。実は娘の誕生日。これなら忘れない(^_^)
1996.01.31:ベッコアメ事件
ベッコアメ・インターネットのサーバーに猥褻な画像をアップロードしてい東京都内の会社員(28歳)と高校生(16歳)が、わいせつ図画公然陳列容疑で警視庁の家宅捜索を受けた。
4月22日、東京地裁は会社員に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を下した。
このとき警察はベッコアメのシステムを差押えたのだが、そのためベッコアメの業務に影響が出たほか、この事件に関係ない契約者の情報が警察に渡ることになった。
「日本のインターネット史上、最初の逮捕事件」とも言われる。
パソコン通信においては95年に「P-STATION事件(懲役10ヶ月)」「MEDIA大阪事件(罰金50万円)」の2例がある。
資料:平成8年刑わ第302号わいせつ図画公然陳列被告事件、平成8年4月22日刑事第二部判決(電脳世界の刑法学)
1996.01.xx:『赤尾晃一の知的排泄物処理場』開設
http://www.akaokoichi.net/
「メディア・ウオッチ日記(後の「わかば日記」)」は1996年3月から。
私は1996年3月から3年10ヶ月、web日記である「わかば日記」を、何度かの中断をはさみながら発信しています。400字詰めに換算すれば約600枚近い雑文を垂れ流した勘定になりいます。その間、私が大学の研究者として挙げた業績となる論文は100枚に満ちません。ですから、インターネットを含めたメディア研究をしている人間でありながら、業績の足しにもならない日記の更新に、ほぼ1日に2時間以上の時間を費やすとともに、当然ほかの方々がお書きになっているweb日記を2時間くらいかけて読んでいます。
「なんて無駄なことをしているんだ」と思われるかもしれません。しかし、個人の情報発信メディアとしてインターネットをとらえていく場合にweb日記が格好のサンプルを提供してくれていると思います。web日記が個人の情報発信の大きなブレークスルーになっていくツールだと、かなり我田引水的に考えております。
個人の情報発信メディアとしてのweb日記(日本web日記学会)
1996.02.xx:『RECRUIT BOOK on the Net』がサービスを開始
後の『リクルートナビ』。学生はウェブから企業へ入社試験の希望を出せるようになり、大学の就職課を経由せずに就職活動を行える、このサービスは就職活動シーンを一気に変える事になった。 バブル崩壊後の不景気な時代背景も重なり、00年代以降は入社試験を何十社も受ける事が当たり前の時代に。
1996.03.07?:『Comoesta's Japan HomeVage』が「使えないページ」を開始
ネガティブリンク集。ネガティブなコメント付きでリンクを貼る。
使えないページについて
96/03/07
「使えないページ」の語源は、文字通り「useless page」である。 alt.binary.tastlessの世界が「味のない世界」と訳され、ある種の独自の世界を構築していたように、この「使えない」世界もグローバルに旬である。先人の研究結果は「Useless WWW Pages」やMirky's Worst of the Webを参照してくれ。「インターネット」と「ホームページ」というかけ声だけ先行している昨今、「使えない」奴らの間抜け具合は素晴らしい。私はページを神経細胞になぞらえているが、これら「使えない」ページは、そのうち死滅していくに違いない。それらがどうして死滅していくかは、私の病態学的な研究心をそそってやまない。
「使えないページ」の定義はこうだ。あまりにつまらなすぎて「ああ、くだらねえ」と笑うしかないもの。しかしそれが作者の意図に乗って面白いものなら駄目。そして、それなりに完成度が高い事。初心者にありがちな技術的なミスや、未完成の部分を指摘するのではない。ページとしてはある程度出来上がっていて、しかも誰が見てもつまらないと思える、これが重要なのだ(何が重要なのだか)。
1996.03.18:『スパーク!小便小僧』開設
http://www.5884333.com/
1997年8月21日から始めた「勢いとゲーム差がわかる日本プロ野球順位変動グラフ!」が有名。
1996.03.xx:『日本の道』開設
http://japan.road.jp/
現:『Japan Road』。山歩きをしないと通れない点線国道についてのレポートがある。かつては全国の国道を景色・爽快度などで5段階評価していた。
1996.04.01:『日本の新着情報』、提供を日単位に
サイト数増加に伴い、新着情報の提供が1日単位になる。
1996.04.01:『Yahoo! JAPAN』サービス開始
1994年、スタンフォード大学のデビッド・ファイロとジェリー・ヤンはリンク集サイト『David and Jerry’s Guide to the World Wide Web』を公開。非常に好評であった。 95年、2人は『Yahoo!』を設立。事業としてポータルサイト運営を行う。これに目を付けのがソフトウェア卸売業「ソフトバンク」の孫正義であった。ソフトバンクは『Yahoo!』に出資。
1996年、ソフトバンクと『Yahoo!』は合弁でヤフー株式会社を設立。4月に『Yahoo! JAPAN』がサービスを開始した。
このプロジェクトには孫正義の弟であり、後にガンホー・オンライン・エンターテイメントで成功を収める孫泰蔵もいた。
『Yahoo!』への出資と『Yahoo! JAPAN』の運営で大成功を収めたソフトバンクは総合通信業へ突き進んでいく。
資料:Yahoo! JAPAN 10年の軌跡
(Yahoo! JAPAN)
1996.04.01:『拡張子辞典』開設
http://www02.so-net.or.jp/~viewer/
http://www.jisyo.com/viewer/
なぜ、このようなページを作ろうと思ったか?
インターネットに接続をして、サイバーワールドを歩き回っていると、さまざまな情報に出くわします。それらの情報は必要であればファイルという形式で自らのパソコンへ取り組んでくることになります。また、この世界は技術の進歩がすごく早いこともあり各種のツールがものすごいスピードでリリースされています。そしてそれらのツール毎に、ファイル形式があり、それらの数は日に日に増えてます。 やっぱり新しいツールは試してみたくなるものですし、特に最近はブラウザ自体がFTPに対応したこともあり、一寸前に比べるとそういったファイルの入手が格段に手軽に簡単に行えるようになりました。 その結果、我が家のパソコンには、いろいろなファイルがあふれて何が何やら分けが分からなくなってきてしまいました。最近のブラウザにはHelperアプリケーションの登録やPlug-inといった優れた機能もありますが、こういった機能もファイルと拡張子とツールの関係が分からないと宝の持ち腐れになります。 そこで、一念奮起してじゃあこういったツールの一覧をまとめて見ようということになりました。取り敢えず私が通常使っている環境でのものから順番にまとめてゆきます。
1996.04.19:『Comoesta's Japan HomeVage』が「嬲リンク」を開始
ネガティブリンク集。主に自己顕示欲の強い女のサイトが対象。ネガティブなコメント付きでリンクを貼る。
1996.04.xx:ドリーム・トレイン・インターネットがインターネット接続サービスを開始
三菱電機のインターネット接続サービス。
1996.05.01:『MANAME's Home Page』開設
http://member.nifty.ne.jp/maname/
http://maname.hatenablog.com/
後の『まなめはうす』。コンテンツは自己紹介に日記に掲示板にお友達へのリンク、と『まなめはうす』も昔はよくある個人サイト。名言集というページに『まなめはうす』の片鱗が?。
1996.05.20:『産経Web』開設
産経新聞のウェブサイト。
1996.05.27:『この指とまれ!』開設
http://www.nouvellevague.com/tomare/
http://yubitoma.sphere.ne.jp/tomare/
https://yubitoma.or.jp/
ウェブ同窓会サイト。後にsocial networking service(SNS)と呼ばれたサービスの嚆矢。
このサイトには全国の学校のページが用意されており、実名で登録したユーザーが自分の卒業した学校と卒業年を指定する事で卒業生同士が繋がっていくという仕組み。
秀逸なアイデアで有名サイトになったものの、
設立者は長崎県知事選挙に出馬し(大差落選)、運営会社は山口組系暴力団に乗っ取られ、その後も運営会社が変わっていき、徐々に存在感を失っていく。
その後、インターネットが普及し始め、私も95年頃から使うようになりました。その魅力を知り始めた頃、高校時代の同窓会を20年ぶりに開こうという話が持ち上がったんです。1学年450人に連絡を取るだけでも大変な手間です。仕事が忙しくて幹事の手伝いはできないし、出席できるかどうかもわからないと返事した後、ふと連絡手段にインターネットを使えないかと思いつきました。
そこで、高校の先輩に相談すると、「いいアイデアじゃないか」と言われて、さっそくインターネット上に掲示板を開きました。当時はパソコンを持っている人さえ少なく、450人中、登録者は10人でした。最初はメーリングリストの機能もなく、単なる伝言板でしたね。
当初は役目が終わったら、この掲示板も閉じようかと思っていましたが、先輩が自分たちの学年の掲示板も作ってくれと言いだして、どうせなら全学年をやろう、全学年をやるなら長崎県全体に広げられる、こうなったらもう全国版だ、と話はどんどん展開し、5月の連休中に仕事の合間を縫ってシステムを作り、96年5月末にゆびとまを開設しました。「この指とまれ!」という名前はすぐに思い浮かびました。
登録者が増え始めると同時に「登録したいのに学校がない」という文句が出始めました。最初は長崎県内の学校しか登録していなかったんです。「それじゃ、登録したい学校名を教えてください」と言って、4人~5人の方々がボランティアで学校名の登録作業をしましたが、多すぎて追いつかない。
業を煮やしたユーザーが自分で作業すると言いだして、次第に「学校整備担当者」という名の全国的なボランティアが自発的に増えていき、しまいには各県1人ずつ50人ほどになりました。みなさんはとくにパソコンおたくでもないし、インターネットにとりわけ詳しいわけでもない。「昨日パソコンを買った」という人も協力してくださいました。
1996.05.xx:『Webやぎの目』開設
http://www.kt.rim.or.jp/~yhayashi/
http://yaginome.jp/
「死ぬかと思った」が有名なサイト。
──“Webやぎの目”が今みたいな凄いことになったのはいつ頃からなんですか?
「始めた頃からすでに結構人気があったんですが、新たに何かみんなが投稿できるようなコーナーを作りたいなぁと思ってた頃、呑みに行った時とかに一緒に呑んでる人達に『死ぬかと思った体験ってない?』ってよく訊いてたんですよ。そしたらみんな笑える体験談を話すんで、“これは投稿コーナーで募集するとイケるかな?”と思って作ったらいきなり物凄いことになって。いろんなとこで噂になりだしてあれよあれよという間に本にもなって、TVの番組にもなったりしたから、『死ぬかと思った』がキッカケと言えばキッカケかもしれません」
1996.06.01:『STOP!STOP!破壊活動防止法』開設(後の『DerAngriff』)
1995年、麻原彰晃が逮捕されたものの、テロ行為を行い多数の人を殺したオウム真理教に対する人々の目は厳しかった。公安はオウム真理教に止めをさすために「破壊活動防止法」、通称「破防法」をオウムに適用することを考えたが主に左派勢力・評論家の激しい抵抗にあう。 1996年6月、破防法適用に対して反対するサイト『STOP!STOP!破壊活動防止法』が現れる。そのサイトの管理人は河上一郎と名乗った。 『STOP!STOP!破壊活動防止法』は後に『INTERNETオウム真理教』からリンクが貼られた。
破防法と公安調査庁が完全消滅する日まで!
日本を徹底的に破壊する破防法はいらない!
国民を無差別に監視する公安調査庁は百害あって一利なし!
組織犯罪対策立法の本当の狙いはわたしたち善良な市民!
STOP!STOP!破壊活動防止法
1997年1月、公安審査委員会は破防法適用を却下。オウマーである西村新人類の助言により、河上一郎から河上イチローに改名。同年10月、『STOP!STOP!破壊活動防止法』を既存メディアに対する挑戦状『DerAngriff』として再出発。何故彼は破壊活動防止法に反対していたのか。それは後に明らかとなる。
http://www2.baynet.or.jp/~aasasaa/
http://www.baynet.or.jp/~aasasaa/
違法じゃないのに
多くの人が遠慮する
情報を発信する!
CyberAgent
ハカイダー
河上イチローの
ウェブサイト
"Der Angriff"
Der Angriff
サイト名変遷:『STOP!STOP!破壊活動防止法』⇒『ぼくの心(ハート&マインド)を守って――日本のプライバシーと表現の自由を救え!』(1997.02.17)⇒『Der Angriff』(1997.10.15)
1996.06.01:『日記猿人』開設
http://wafu.netgate.net/ne/
http://www.wafu.ne.jp/ne/index_full.html
『日記猿人』はばうわうによる手動の登録型ウェブ日記リンク集。手動な理由はばうわうにプログラミング技術がなかったから。プログラミング技術が無くても、自力でなんとかしてやろうというばうわうの姿勢は評価され、支持を集めた。
1996.06.03:嬲リンクが『Lady's Homepages』をリンク
嬲リンクの「女衒」ページにて『Lady's Homepages』をリンク。
このページを作っている「やすぴょん」は男。これは娘ページへのリンク集、いわゆるポン引きページだが、リンク集+リンク集のリンク集と程良くまとまっている。腐れフェミニスト万歳。 (06/03/96)
コモエスタ坂本は後に「インターネットXファイル98」にてこう語った。
この「やすぴょん」のページもひと月ぐらいあたためていましたかね(笑)。このページ、当初は「Lady's Homepages」って名前のリンクページで、バック色がピンク、テキストの文体も内容も女っぽく、「やすぴょん」が自己紹介を書いてなかったんですよ。要するに偽装娘ページ、いわゆるオカマページだったんですね。奴さんが何を目論んでたのかは一目瞭然でしょう(笑)。単にページを作っている女の子にお近づきになりたいと。実像は非常に粗暴で男くさい、家庭持ちの間抜けなサラリーマンだったんですがねえ(笑)。
で、「やすぴょん」はその後、自己紹介を掲載して、相変わらずな内容のページを作り続けていました。何が間抜けかと言えば、ページ中のコメントに尽きますかねえ。「あったかくて、かわいくって、センスの良い、女性のページを選びました」とか「エチケットを守って、頑張ってる女性をみんなで応援していきましょう!!」とか、またそれぞれのリンクに冠しているコメントなども枚挙にいとまが尽きないのですがね。それで、この「やすぴょん」の勝手な思い込みと、無意識的な下心のギャップが面白かったので、6月3日に「嬲リンク」に掲載しました。その背景としては、当時も現在もですが、この手の「娘ページリンク集」ってのが多発してるという状況がありますかね。こういうリンク集は、大抵娘ページを作ってる側にリンクページの主催者が許可を取るか、もしくは娘が自分で応募してくるか、という方式が主流なんですが、この主催者側も他人のフンドシ的な奴か、下心的な奴が大半で、また娘側も自己顕示欲の強いだけの間抜けな女が多いという図式になっていたんですね。そこで、ミュージアムを標榜する「嬲リンク」としては、この構造を喝破したいと思いまして。 まあそういうサンプルにはうってつけだったんですよ、この「やすぴょん」のリンク集は。
インターネットXファイル98
1996.06.06:『パワートダイ』開設
http://www.powertoday.com/
オウム貝を食べたり、すごいものでゆで卵を作ったり、日本のマクドナルドにまだメガマックが販売されていない時代に自力でメガマックを作り、それどころかテラマック、ぺタマックと作ってしまったり…
1996.06.11~1996.07.xx:嬲リンク事件
『Lady's Homepages』のやすぴょんが『Comoesta's Japan』のコモエスタ坂本に対し、嬲リンクの削除と謝罪文の掲載を要求。
これに対し、コモエスタ坂本は反論する。「これからも「やすぴょん」こと村田康人に対する「嘲笑」を続けます」。
このことが原因で『Lady's Homepages』は閉鎖となったのだが、やすぴょんはASAHIネットに『Comoesta's Japan』の削除要請を出していた。個人サイト間でのいざこざであったがASAHIネットは介入し、コモエスタ坂本に嬲リンクの削除を要求。コモエスタ坂本はこれを「事実上のプロバイダによる検閲」とし、サイト上で抗議した。するとASAHIネットは抗議が書いてあるページを削除。さらに嬲リンクを削除したのであった。
資料:『インターネットXファイル』原稿(96年7月)
(大森望のSFページ)
1996.06.27:『ジャンボのラーメン三昧』開設
http://www.ny.airnet.ne.jp/jumbo/ramen.htm
本格的ラーメン批評サイトの先駆け。ラーメン批評のほかには、書籍化された名店へのインタビュー企画「ラーメンは人なり」、TVチャンピオンに出た時の話等があったが
2005年2月12日をもって更新停止。今は「食べ歩きメモ」が残るのみ。(インターネット)ラーメン四天王の一人。
1996.06.30:日記リンクス630事件
『日記リンクス』に登録されてる日記を批評・批判・攻撃し注目されていた『とほほ日記』は、批評・批判・攻撃が日に日にエスカレートしていく。そしてその攻撃は津田の友人にまで及んだ。1996年6月30日、津田は『日記リンクス』から『とほほ日記』を削除。アクセスランキングを停止した。
1996/07/05 そして全てが
■あぁ。freeWAIS-sfの日本語化パッチが動かない。環境は Linux-1.3.100+gcc-2.7.0だから、こちら(Linux Zen Penguin on Warm Milk + gcc-2.7.2+Pentium patch)とかなり近いはずなのに。なにがおかしいんだろう。アルファベットの検索は出来るんだけど、肝心の日本語検索が出来ないから意味がない(>_<)。これが動いてくれると、メチャクチャうれしいのに。作者の方にメールしてみようかなー
「はじめまして、陰湿で冷血で、不意打好き、おとなしくて悪いやつの津田@豊橋技科大ですが、こんな私の質問にも答えていただけますか?」 ってね。■正直いって、みんながそれほどまでに日記リンクスの事を気にかけていたとは思っていなかった。僕にとって日記リンクスとは、dbmで構成されたデータベースと、統一性のないperl script(+ たった一つのCのsource) の集合である。これを改造していく権利は当然自分にあると思っていた。
■日記リンクスはサークルである。サークルからの除名である。名簿からの削除である。とする認識があった。 日記界と日記リンクスは別である。日記リンクスに登録しなくたって日記は書ける。僕はそうやって初めた。認識の違いは大きい。削除されたのは、formに文字を入力する労力以上のものだったのだろうか?
■不意うちであった事。自分の中では恐しく長い猶予期間を与えたと思っていた。これは錯覚だった事は確かだ。全く理解不能なランキングに対する批判をしながら、日記リンクスに参加してきた人がいた。認識のずれは決定的であると考えた。やめてもいいと思った。どうあっても分かってもらえるはずがないと思った。システムを批判する時にはシステムを理解すべきではないのか。これは一方的な理論で、普通の世界では通用しないだろう。しかし私はそれが通じる世界で遊んでいたのではなかったのか。ならば、 httpを学びcgiを学べ。それをせずにしたり顔でランキングを批判し、しかも自分の名前を登録してきた人間が確かにいたのだ。
■私はその時点で決断すべきだった。遅すぎた非はある。たくさんの人に迷惑をかける前にやめるべきだったと思う。
■その時やめておけば、あなた達はどのような反応をしたのだろうか?公共的な性格を持つリンクならばいきなり閉鎖する事はやはり許されない事なのだろうか?削除する自由はないが、*やめる*自由はあるのだろうか? 200人なら許されるのか?600人なら許されないのか?自分で制御できる人数って何人だ?登録システムが無いならいいのか?きまりとして書けばいいのか? 誰が書く? 俺が? それだけの対価をあなた達は支払ったのか?
■まあ。どうでもいい事だ。システムへの攻撃が絶えない。私が続ける限りもはや日記リンクスの登録システムは復旧不可能かもしれない。それならばやめるだけ。
資料:630事件二周年
(MOROBOSHI Tomorou's 3rd HomePage)
資料:日記リンクス630事件
1996.07.01?:『東京のラーメン屋さん』開設
http://www.torasan.com/
自称「日本一ラーメンを食べた男」大崎裕史が立ち上げたラーメン総合情報サイト。
1996年はラーメン界に革命が起きた年であり、大崎とこのサイトは
90年代後半から00年代前半のラーメンブームに貢献した。(インターネット)ラーメン四天王の一人。
資料:ラーメンの現在、
96年組によるラーメン革命、
20年後の究極のラーメン、
ラーメンの明日
(美味しんぼ塾)
1996.07.02:『ReadMe!JAPAN』開設
http://www1.meshnet.or.jp/WWWH9/readme/
http://readmej.com/
もう一つの『日記リンクス』後継サイト。たかのゆきまさが興した。
大手の検索エンジンなどのサービスは、面白いものだったら何でも読みたいという乱読系の人達たちの要求を満たすものではない。 「日記リンクス」は乱読系の人にとってなくてはならない存在だった。ところが一九九六年六月三〇日に「日記リンクス」は閉鎖してしまった。 離散家族ではないが、みんなが集まっていた場がなくなってしまったのだ。みんなが離ればなれになってしまう前に、 集まっていた人たちが再び集まることのできる新しい場を作らなくてはと、たかのさんは考えた。それが「リードミー」を作った動機だった。
個人ホームページのカリスマ 月間5億ヒットの秘密
1996.07.09:『ハイパーノイヅ』開設
http://home.interlink.or.jp/~hyp/indexe.html
「新世紀エヴァンイミダス」が有名な妄想サイト。
1996.07.12:『Fast & First』開設
http://www.cds-co.com/ff/
https://www.fnf.jp/
電化製品の分解したり、電子レンジだけでゆでたまごやクレープや厚焼き卵を作ったりしている実験サイト。
1996.08.03?、1996.08.04?:『未確認日記物体UDO”誘導”』開始
ばうわうは『未確認日記物体UDO”誘導”』を企画する。『ReadMe!JAPAN』から『日記猿人』へ人を誘導させることが目的であったと言われている。企画の具体的な内容としては『日記猿人』に登録されている日記の紹介ということになるのだが、これが批判されることとなった。 紹介された日記は当然ランキングが上がる。ばうわうは『日記猿人』の管理人という立場である。そのばうわうが特定の日記を紹介するということは、結果として『日記猿人』の運営側がランキングを操作するということになってしまう。これを『日記猿人』の私物化であると批判したのが『ばうわう公式ウォッチング日記物体BOWDO”暴動”』であった。
1996.08.06:『ばうわう公式ウォッチング日記物体BOWDO”暴動”』開始
http://www.tama.or.jp/~nova/bowdo1.html
夜久則彦によるUDOヲチ。
1996.08.12:日記猿人812事件
1996年8月12日、ばうわうは『BOWDO』と自身に批判的な日記を『日記猿人』から次々と削除。登録されている日記を管理者権限で削除するという行為は、かつて津田が行ったことと同じである。これに対し、反ばうわう派は削除された日記を再び登録し対抗。 ばうわうへの非難が嵐のように吹き荒れ、ばうわうは「神」の座を降りざるをえなくなった。 8月14日、ばうわうは『日記猿人』の管理者を辞任。17日、池川とせんべいはばうわう抜きで『日記猿人』を続けると告知した。
資料:日記猿人812事件
1996.08.21:『あやしいわーるど』開設
『あやしいわーるど』は匿名掲示板群である。95年3月20日、窮地に立たされたオウム真理教は「地下鉄サリン事件」を起こす。それからまもなく「霞ヶ関」という地下ゲームが登場した。このゲームの題材は地下鉄サリン事件であり、不謹慎ゲームとして話題になった。
このゲームを所持していた「芝雅之(しば)」がNIFTY-Serveのホームパーティを利用し『あやしいワールド』をスタートさせる。そしてそこで「霞ヶ関」を配布していた。
96年8月21日、芝は「デジタルエデン」の無料掲示板サービスを利用しインターネットで『あやしいわーるど』をスタートさせる。そこでの話題の中心はアンダーグラウンドなものであり、例えば「warez」「非道徳的なもの」であった。『地下道入口』閉鎖後は、難民が押し寄せたことにより「ハック・クラック」の話題が増えていく。
12月23日、デジタルエデンが無料サービス終了。無料の掲示板サービスである「県人会」に移転した。 12月26日、一般ネタの「97」と 技術ネタの「2000」に分割。「2000」では掲示板荒らしを行う者達がおり、その者達は後に生まれる掲示板破壊集団「ゲスッ」のメンバーであった。
資料:あやしいわーるどの歴史
1996.09.08:『Macintosh News』更新停止
香川大学の秋山智が更新していた『Macintosh News』。
このサイトが更新停止を発表した。この時に書いたのが「個人でニュースサイトを立ち上げるには」という文。
この文に書かれている事は「情報は確実を第一に」「出所は明確に」「多くの方の利益を優先しましょう」、そして最後に「長く続けることが一番難しい」。
この文はマッキントッシュに関する個人ニュースサイトの多くで使われる事になった。
資料:個人ニュースサイト関連文書1 ~個人でニュースサイトを立ち上げるには ~(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
1996.09.10:『とほほのWWW入門』開設
http://www.tohoho-web.com/
ホームページを作った人であれば誰もが見た事があるといわれるHTML解説サイト。
1996.09.15:『VAJRAYANA 真理の探究』開設
http://www.bekkoame.ne.jp/i/sinzinrui/
「オウマー」である西村「新人類」雅史のサイト。オウマーだけあって、このサイトにある数々のオウム真理教ネタはとても濃い。
1996.10.11:『INTERNETオウム真理教』開設
http://aum-internet.org/
このホームページは、これまで会見場として利用してきた亀戸道場、阿佐ヶ谷道場を明け渡し、開催が困難になった記者会見を補足する情報提供、意見交換の場として、この度開設しました。オウム真理教に関する最新の情報を、きめ細かに、いち早く提供して参りたいと思います。
INTERNETオウム真理教
1996.10.xx:『infoseek Japan』サービス開始
米infoseekの日本サービス。デジタルガレージが運営。2000年、楽天に買収される。
1996.11.05:『MACお宝鑑定団』開設
http://www.tcp-net.ad.jp/danbo/
http://www.macotakara.jp/
複数人が運営に関わったり、団員を集めていた、3つのMac関連個人サイトの一角。
1996.11.07:『今日の必ずトクする一言』開設
http://www.tomoya.com/
http://www3.coara.or.jp/~tomoyaz/higawari.html
科学技術エッセイ。
1996.11.30:『地下道入口』閉鎖
住民が『あやしいわーるど』に移住。
1996.11.xx:『SHIFT』開設
http://www.iacnet.or.jp/shift/
http://www.shift.jp.org/ja/
1996年11月に創刊した「e-zine(電子雑誌)」。
SHIFTは、日本のウェブカルチャーを、日本のネットサーファーはもちろん、バイリンガルで紹介するオンラインマガジンです。 月1の更新で、日本のクールサイトをジャンル別に35サイト、世界のサイトを5つ紹介していきます。
大型のサーチシステムでは、サーチしきれないようなサイトをフォローするべく、個人で情報を発信するサイトの水路として機能してくことと、日本のリアルなカルチャーを紹介するのが目的であり、それがSHIFTの目指すところです。
About SHIFT(SHIFT)
1996.12.25:OCNがインターネット接続サービスを開始
NTTのインターネット接続サービス。常時接続環境を専用線感覚で実現する「OCN常時接続」サービス群と、個人向けの「OCNダイヤルアクセス」サービスから成る。
1996.12.xx:『手動サーチエンジンはやぶさ』登場
http://www.kk.iij4u.or.jp/~kazunori/indexmoto.html
http://www.8823.net/
世界初??世界最遅の手動サーチエンジン。自称、「手動検索のパイオニア」「手動検索に命をかける男」。ある意味最強のサーチエンジン。
利用者は検索結果を見るのに数日かかる?。「並列分散処理技術”ぐりとぐら”」「情熱変換とびうお」等の最新技術が導き出す検索結果に期待せよ!
1997年:ゆいぼーどが配布され、私書箱が作られる
1997.01.04:『UGTOP』開設
http://www.ugtop.com/index.shtml
ハッカーグループUGTOPの主催者である石川英治のサイト。「Windowsの悪のマニュアル」を著した
1997.01.12:『統合アーカイバ・プロジェクト』開設
http://www.csdinc.co.jp/archiver/
http://www.madobe.net/archiver/
元々は、「日本コンピュータ・システムデザイン(http://www.csdinc.co.jp/)」のサイト内にあった。
Common Archivers Library
これは、現在 NIFTY-Serve FWINDC MES #3 にて進行中の『統合アーカイバAPI仕様』に準拠した ライブラリ(DLL)についてのページです。
なお、「API仕様」は現在進行形のプロジェクトです。したがって、このページの内容だけでなく、 ここに登録されているファイルでの記述も全て、最終決定版ではないと言うことを充分に認識の上、 ご使用ください。
仮に「統合アーカイバ・プロジェクト」と名づけましたが、元々決まった名称があったわけでは ありません。このページの内容も含めて、すべて私(shoda T.)の一存で書いてますので、どんどん 変わって行く可能性も大きいです(^_^;)
統合アーカイバ・プロジェクト
1997.01.14:『hosokinの出版業界喧嘩道場』開設
http://www2c.meshnet.or.jp/~hosoda/
http://www2c.biglobe.ne.jp/~hosoda/
http://member.nifty.ne.jp/~hosoda/
http://www4.gateway.ne.jp/~lovedog/
http://lovelovedog.cool.ne.jp/
後の『ホソキンズ ルゥム』、その後の『HEY BULLDOG』。『Read Me!』に登録されているサイトの批評を行っていた事で有名。
批評においては罵倒ともとれる記述も多く、幾つかのアンチサイトが発生するほど。
1997.01.27:『ARTIFACT』開設
http://www.tamon.co.jp/~kanose/
http://artifact-jp.com/
このWEBページは何?
加野瀬と称する人間の文章や絵が置いてあります。特に力を入れているのは文章ページで、日々の雑感を書き連ねています。WWWのジャンルとしては文章+ギャラリーですね。
最近、たくさんの方がリンクしてくださって嬉しい限りなのですが、リンクのコメントを見ていると「評論ページ」に分類されているようです。自分の中では「評論」というのは作品に新しい視点を与えるものであって、自分の書いている文章は「感想」、ちょっと突っ込んでいる場合は「分析・考察」だと思っています。スタンスとしては、新しい視点を追求するアカデミズム的視点ではなく、事実を追求するジャーナリズム的視点といったところでしょうか。Not even justice,I want to get truthって感じ。
このページに初めて来た方へ(ARTIFACT)
後にはてな村の村長と呼ばれるようになる。
1997.01.27:You is a big fool man.
WareZ君へ 投稿者:KKC 投稿日:1月27日(月)19時22分18秒
wareZ君、”ワレズ”には笑わせてもらったよ。
しかし、私は君のような馬鹿にはきて欲しくない。
だから教えてやろう。だが二度とここにくるな。WareZ isn't soft.
WareZ is name of bad copy soft.
Do you understand?
You never come here.あまりに簡単すぎる英語で書きました。
これで分かるかな?
馬鹿だからわかんないかもねYou is a big fool man.
Hahahaha.
あんたの英語の方が笑えるよ 投稿者:笑止千万 投稿日:1月27日(月)20時46分28秒
あんたの英語間違いだらけだよ.
Warez is not a software.
Illegally duplicated software is collectively called warez.
くらいの表現力はないのか.You is にいったっては、中学校の入試でも落ちるぞ.
資料:KKC
1997.02.01:『青空文庫』開設
http://nw.ume-labo.com
http://www.aozora.gr.jp/
青空文庫へ、ようこそ!
青空文庫は、無料公開のインターネット電子図書館です。
著作権の切れた作品と、「自由に読んでもらってかまわない」とされたものを、テキスト、HTML、エキスパンドブックの三つの形式でそろえています。より多くの人に作品を味わってもらい、より自由にファイルを活用してもらうことは、この場を整えている私たちの願いです。
青空文庫早わかり(青空文庫)
1997.03.21:『論談同友会』開設
http://www.rondan.co.jp/html/home/
現:『論談』。「日本一の総会屋」と呼ばれた論談同友会が開いたサイト。読者投稿欄「目安箱」が人気に。
1997.03.27:『goo』サービス開始
NTTアド、NTT、INKTOMEによる日本語検索サービス
1997.03.xx~1997.10.xx:掲示板荒らし集団「ゲスッ」が暴れる
ありがとう黒マグロ事件により解散するまでに数百の掲示板を荒らした。メンバーの一人はアリス・リデル。
1997.04.01:ODNがインターネット接続サービスを開始
日本テレコムのインターネット接続サービス。
1997.04.11:FLMASK事件
画像にマスク処理をかけるソフト「FLMASK」の作者が、「わいせつ図画公然陳列ほう助」の疑いで逮捕された。 FLMASKは画像にマスク処理をかけるソフトだが、同時にマスク処理した画像を可逆的に復元する機能ももっていた。 その為、猥褻画像の配布に使われることも多かった。 これが「インターネット上でわいせつ画像を流すのを手助けした」ととられた為。
容疑者はわいせつ画像のモザイクを消す特殊ソフト「FLMASK(エフ・エル・マスク)」を開発。 昨年8月から、わいせつ画像を提供しているホームページと提携して、末端ユーザーに1500円で販売した疑い。 容疑者はホームページの運営者に、電子メールでソフトを売り込み、逮捕された時は、約60のホームページとリンクしていた。 提携したホームページを開き、クリック操作で特殊ソフトを稼動させると、モザイクが消える仕組み。 利用会員は2万人以上にのぼり、容疑者は約3500万円の収入を得ていた。
当時の新聞報道
懲役一年執行猶予三年の有罪判決となった。
1997.04.11:『町田あかねのおクスリ研究所』開設
http://kusuri.net
主に精神病に関する薬の話題。ここの人気コンテンツが「現役女子高生あやちゃんのお部屋」であった。
いじめを受けた結果、自殺未遂。精神科の閉鎖病棟に入院までした現役女子高生である南条あやが綴った精神病との入院日記。
同じ悩みを抱えた人達から支持を集める。
1999年3月、高校卒業。1999年3月30日、南条あや逝去。向精神薬中毒のため...。R.I.P.
1997.04.16:『Dr林のこころと脳の相談室』開設
http://kokoro.squares.net/
質問者をときに優しく、ときにばっさり切る、精神科Q&Aが凄い。
「まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います」というセリフが有名。
これからは脳の時代であると言われています。
人類最後のブラックボックスである脳は日に日に解明されつつあります。その最前線の脳の科学者が一番よく受けるのは、「こころは科学で解明されると思うか」という問いです。
この問いは、科学がどこまでこころに迫っているかを聞きたいのではなく、「こころは科学では解明できない」という答えを期待していることがほとんどでしょう。
こころの領域だけは科学や医学に踏み込まれたくない、そういう気持ちは誰にでもあります。こうした気持ちは、こころの領域に入られるくらいなら脳の科学は進歩しない方がいいという倒錯した心理にもつながります。
でもそれはこころの健康があってはじめて言えることです。
脳の科学の進歩の恩恵をまっさきに受けるのはこころの病に悩む人たちです。
現代の日本には百万人の単位でこころの病気にかかっている人がいます。数の上からは本当にありふれた病気です。それなのに、いまだに精神科の敷居は高く、多くの人が治療を受けることなく病状が悪化し、それを見た人は、やっぱりこころの病は治らないものだという感想を持ってしまうことが多いものです。実際には、脳の科学はこころの病の診断や治療の進歩に大きく貢献し、適切な治療をすれば、その多くが治るようになっています。残念なことは、そのことがあまりに知られていないことです。
このページは、現代の精神科を知って頂くことを理念として作成しました。
1997.05.30:「ゆいぼーど」登場
『ゆいちゃっと』が掲示板スクリプト「ゆいぼーど」を公開。これは親掲示板に対し、投稿者が自由に子掲示板を作成できるという特徴を持つ掲示板スクリプトであった。この「ゆいぼーど」を使った掲示板が大量に発生する。『GERI-P!』『グヘ箱』『むし箱』『歪んだ運命』『LNB』等。それらの掲示板は「私書箱」と呼ばれた。
1997.05.xx:『¥CORE PRICE¥』開設
後の『価格.com』。変遷は『¥CORE PRICE¥』⇒『¥パソコンの価格が分かるページ¥』⇒『¥パソコン価格情報¥』⇒『価格.com』。
1997.06.14:『ぺヤンゲ』開設
http://www.246.ne.jp/~supercar/index.html
後の『コヨーテ』。女性が管理人。
1997.06.18:『東風荘』開設
http://mj.giganet.net/
麻雀のオンラインゲームといえばこれ。1996年にテスト運営開始。
1997.06.25:『工藤圭のなかなか楽しいページ』開設
http://www.pluto.dti.ne.jp/~kudok/
http://kudok.com/
本人曰く「二週間で閉鎖しそうなサイト名」。後の『テキスト王』。
自分がプロ作家への挑戦する過程を書いた「さっか道」が代表作。テキストサイト関連の文も書く。
このホームページは世界最強の物書きを目指す一人の男が、 その夢を実現させるために作ったページのつもりである(笑)。
テキスト王
1997.06.27:『MP3 TIDALWAVE』開設
http://mp3tidalwave.com/
http://mr.simplenet.com/layer3/
MP3プレイヤーのレビュー、MP3の基礎知識など。
このページは、インターネット上に広がりつつある,高音質高圧縮規格であるMPEG LAYER-3(以下mp3)に関する情報をメインに、インタラクティブに展開していきたいと考えています。
ぜひ、積極的に、ご意見、感想、などお送りください。
私自身、不勉強な点もあり、不愉快な思いをされる場合もあるかも知れませんが、温かい目で見守ってやってください。
このサイトを運営することによって多くの事が学べるのではと、期待しています。
注意書き(MP3 TIDALWAVE)
1997.06.xx?:『GERI-P!』開設
最初期の私書箱。
1997.06.29~1997.08.xx:酒鬼薔薇聖斗事件
1997年6月29日、『あやしいわーるど2000』で神戸連続児童殺傷事件の犯人である通称:酒鬼薔薇聖斗の実名とされる名前が書き込まれる。 ネットでは複数の名前が挙がっており、この時点では『あやしいわーるど2000』に書き込まれた実名が真実かは解らなかったのだが……
[6/29 15:41] 酒鬼薔薇:
◯◯◯◯、決定!!
じゃあ、次、生年月日、住所、電話番号いってみよう!!
(爆)
同月30日、産経新聞が「ネットの掲示板に少年の実名が書き込まれている」として、掲示板に書き込まれた内容を掲載してしまう。
ホームページに少年の実名
神戸の小六男児殺害事件で、殺人、死体遺棄容疑で逮捕された神戸市須磨区の中学三年の少年(一四)の実名が、逮捕直後から同事件に関する情報交換が行われているインターネットのホームページの掲示板に掲載されていたことが三十日までに分かった。
問題の掲示板は、米国のインターネット接続会社に設けられている。東京に本拠を置くインターネット接続会社の会員が設けたこの事件を扱うホームページから簡単に接続が可能で、インターネット利用者ならだれでも見たり、自由に書き込むことができる。
このホームページでは、少年が逮捕された二十八日夜から書き込みが急増。少年について「こりゃ死刑だね。実名も報道すべし!!」との書き込みに答える形で二十九日午前十時二十五分ごろ、少年の実名を名乗って犯行声明全文が掲載された。その後、読み方の説明を求める書き込みを受けて、名前の読みが平仮名で掲載された。中には「生年月日、住所、電話番号をいってみよう!!」とさらに少年についての情報提供を求める書き込みもあった。
これにより『あやしいわーるど2000』に書き込まれた名前が酒鬼薔薇聖斗の実名であることが確定。 酒鬼薔薇聖斗の実名が多くのアングラ系サイト、掲示板に書き込まれることになった。
酒鬼薔薇 発信日時:7月1日(火)00時10分35秒
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9706/html/0630side45.html
産経新聞様。 昨日、某掲示板に「◯◯◯◯決定。次、生年月日、住所、電話番号いってみよう!!」と書きこんだ者です。
昨日のあの時点では、ネット上に複数の名前が流布されており、ごくごく限られた人たちしかどれが実名であるか確認できない状態でした。
しかし、今日の貴社のホームページにより、おかげさまをもって、犯人の少年の名前は完全に確認することができました。
ありがとうございました。
今後の貴社のますますの発展を希望いたします。(爆笑)
というわけで、改めて生年月日、住所、電話番号いってみよう!!
1997.07.01:酒鬼薔薇サイト第一次消失
『酒鬼薔薇聖斗事件・情報一覧』(みさっきー)が対象。 1997年6月30日深夜、ビッグネットにおいてあった『酒鬼薔薇聖斗掲示板』がビッグネットによって削除される。 同年7月1日、ベッコアメがみさっきーに連絡を取り、みさっきーは酒鬼薔薇聖斗事件・情報一覧を閉鎖。ビッグネットとベッコアメに対し朝日新聞が違法データ所持及び公開の指摘をしたため。
1997.07.01:DIONがインターネット接続サービスを開始
DDIのインターネット接続サービス。
1997.07.07:『ムーノーローカル』開設
http://muunoo.com/
「どーでもいいトピックス」が人気になったサイト。毎日数個のURL、rhymeの感想とともに紹介する。初期の代表的な個人ニュースサイトの一つ。
1999年11月には100万ヒット。2000年12月には500万ヒットを記録。
なるべくよそ様が取り上げないようなどーでもいいことを中心にしたいですが、基本的になんでも。
管理人のいい加減さにより、デマ、噂、誤った情報なども平気で扱いますのでご注意ください。
どーでもいいトピックス(ムーノーローカル)
1997.07.20:『ウガニクのホームページ』開設
http://www.raidway.ne.jp/~okada923/
後発のテキストサイトに影響を与えたオナニー日記が凄いサイト。
1997.07.25?:『Excite日本語版』サービス開始
米Exciteの日本サービス。日本法人には伊藤忠が出資。2001年に米Exciteの親会社が破綻。2002年に伊藤忠が株式を買い取り、伊藤忠の子会社となった。
1997.07.25:『魔人ブウ*のラーメンデータベース』開設
http://www.netlaputa.ne.jp/~buu/
開設時で既に230店について書かれていたラーメン批評サイト。(インターネット)ラーメン四天王の一人。
1997.07.29:『あ!ネット』開設
「連日更新!!日本のお気楽スタートページ!!」
http://www.teleway.ne.jp/~zxcv/home.html
http://www1.neweb.ne.jp/wb/a-net/
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/laputa/home.html
1997.08.05:『あめぞうリンク』開設
http://amezo.neko.to/
http://www8.big.or.jp/~amezo/
スレッドフロート型を採用した掲示板群。開設当初はリンク集であった。『あやしいわーるど』難民の移住先であり、アンダーグラウンドな話題が中心。
1997.08.05:『HotWired Japan』開設
アメリカのWired Digitalが提供する情報サイト『HotWired』の日本版。日本版の運営はNTT-X。後に『Wired Vision』となる。
● 「HotWired Japan」の基本テーマは?
インターネットに代表されるデジタル革命は、長年にわたって社会全体を支えてきたシステムや産業分野の、再編・融合をもたらす次の世代にむけた時代の変化を予見しています。
「HotWired Japan」は‘21世紀の価値観/Alternative Values for 21st Century’にむけた視点で現在、そしてこれからの‘Digital Revolution’を捉えていきます。
HotWired Japan インフォメーション(HotWired Japan)
1997.08.01:『T.Yach's ウルティマオンラインページ』新規オープン
http://yach.tri6.net/
リニューアル前のサイトは1997年1月頃から電気通信大学のサーバに存在。
日本語サービスが始まる前、当然、公式告知は全て英文だった時代の
ウルティマオンライン情報サイトであり、日本で一番最初にウルティマオンラインを紹介したサイト。
英文の翻訳を掲載し日本人プレイヤーに必要な情報を提供。ウルティマオンライン初期の日本人プレイヤーコミュニティを支える。
このサイトのように、日本語サービスが始まる前にファンサイトを開設し、
そのゲームの日本におけるコミュニティの基礎を作り上げたネットゲームファンサイトとして他には、
『うるうる』(ウルティマオンライン)、『Ultima Online の部屋』(ウルティマオンライン)、『NICOLE'S Home Page』(ウルティマオンライン)、『Let's RAGNAROK !』(ラグナロクオンライン)、
『K-RANGAROK』(ラグナロクオンライン)、『ComeOn-TalesWeaver』(テイルズウィーバー)等がある。
1997.08.12:『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』開設
http://bx.sakura.ne.jp/~fgh/
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Rook/4511/
クソゲー批評が人気だったサイト。『ろじっくぱらだいす』や『侍魂』『斬鉄剣』など、後の大手テキストサイト達が影響を受けたサイトとして挙げらることが多い。「フォント弄り」を広めた。
1997.09.01:『ZDNet Japan』開設
アメリカのZiff-Davisが提供する情報サイト『ZDNet』の日本版。日本版の運営はソフトバンク。後に『ITmedia』となる。
2005年4月に登場した『ZDNet Japan』とは、名称が同一だが別物であることに注意。
資料:ソフトバンクがコンピュータ情報サイト「ZDNet Japan」を9月開設
(INTERNET Watch)
1997.09.03:『悪徳商法?マニアックス』開設
http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/
まず、悪徳商法についての定義を行います。このページにおける「悪徳商法」とは、
私が悪徳だと思った商法
のことです(^^;。
どのようなときに悪徳だと思うのかは難しいのですが、このページを書くことによって、原因を帰納的に考えていきたいと思っています。もしかすると、「悪徳商法」を解説するページではなく、私の内面を探求していくページかも知れません。
現在、悪徳だと思うもの
資料請求をしていないのに、DMを送ってくる行為 (E-mail・FAX は、極悪)
いきなり勧誘・販売等の電話をかけてくる行為
他人なのにアポイントも無しに訪問してくる行為
路上で通行の邪魔をする行為
SPAM(メール、掲示板、検索エンジン)を行って宣伝する行為(98.11.20追加)
また、このページは、悪徳商法の撲滅を目指したページではありません。むしろ、こんなとんでもないビジネス・面白いビジネスがあるのだということを知って楽しむページです。ですから、悪徳商法でない、グレーゾーンのビジネスであっても積極的に取り上げていきたいと思います。
1997.09.15:『ジオシティーズ』サービス開始
http://www.geocities.co.jp/
アメリカのGeoCities社が運営していたウェブサイト無料スペースサービスの日本版。日本ではソフトバンクと合弁。
後の『Yahoo!ジオシティーズ』
1997年9月15日(月)AM 0:00
私たちジオシティーズ(株)は、本日から無料のホームページと電子メールアドレスのサービスを開始しました。
ぜひ、コミュニティに登録して、皆さんのすばらしいホームページを作成し、インターネットをお楽しみください。
私たちはこれからも、サービスの充実を目指していきます。どうぞご期待ください。
ジオシティーズ スタッフ一同
システムからのお知らせ(ジオシティーズ)
1997.09.19:『とほほ日記』が『日記猿人』に改名
ばうわうが『日記猿人』のネーミングは自身が考えたものだとして自身の日記を改名。 ばうわうは『日記猿人』管理人を辞めた後も『日記猿人』のアンケートで不正操作をして問題になるなど、『日記猿人』と揉めていた。 これにより『日記猿人』というサイトは2つ存在することになった。
1997.10.03:『カルトブックマーク』開設
http://cult.to/cult/
アングラリンク集の大御所。
こんばんわ、アンダーグランドリンクサイト「カルトブックマーク」 のLinkerのchマニアです。今回の定期メルマガのお題が 【なんとなく、UGな人達の、なんとなくな理由】ということなので、 1回目から落としてはまずいだろうと、一生懸命、暇を見つけつつ 書いてみることにします。
そもそもなぜボクがUGの道を歩み始めたのかは、どこか忘れ ましたがとある掲示板(表)に書かれていたURLをクリックしたこと に始まります。まだPROXYも通さずにうろちょろしていた無防備な 頃で(といっても、今もPROXYは通さないことがほとんどですが...) PCのことはちょっと知っていても、セキュリティについては知識ゼ ロに近い頃でした。そのジャンプした先は地下道入口。なにやら 怪しいコンテンツに、地下掲示板では高度な話題に花咲いていて、 カキコすることもできず(スキルが無かったこともありますが)しっか りとROMらせていただいていました。今では伝説となられた方々の カキコにそれはもう「こんな世界があったのか?」状態で、それ以来 リンクを辿り、暇さえあればいろんなサイトを覗く毎日が続いたのは いうまでもありません。
1997.10.10:『outdex』開設
http://outdex.net/
コジャレ系サイトの一角。当時のテキストサイトの記録は、この人が残した文に頼る事が多い。
1997.10.xx:『森で屁をこく』開設
http://www.mori-he.net/
雑文サイト。
1997.11.01:『志保ちゃんのエミュレータニュース』開設
http://toheart.pos.to/emunews/
「長岡志保ちゃんが、エミュレータの最新情報をお伝えするページよ!」
エミュニュースサイトの当時最大手。掲示板の荒れっぷりの凄さでも有名?。アクセスカウンターは1000万を越え、掲示板も賑わっていた。2001年2月にサイト消滅。
97年11月1日(土)・天気:さむい
ついにオープン!なんか、気が向いてつくってみたって感じ。こんな情報、あたしの手にかかったら簡単 今日はねぇ、emulator discoveryっていうエミュレータの情報ページを見つけたの。でもあたしのページの方がきっと大きくなるんだから。
負けてるですって!?負けてなんかいないよ!!多分
情報の入手先は、EMU NEWS SERVICEっていう海外のページよ。中国語版もあったりして、とても便利なの。更新は1日2・3回やってるみたい。すごいわね。い・いや、私だって出来ますよーだ。飽きっぽくて3日で止めるとか、サボるとか、そんな事はないから、大丈夫!
志保ちゃんのエミュレータニュース
1997.11.03:『世界最強の危険リンク集』開設
http://www.midnight.nu/kikenda/
サイト名からして危険な香りのするアングラリンク集。
1997.11.10:『KEI画廊』開設
http://www.phoenix-c.or.jp/~ishikawa/
http://www.kei-garou.net/
透明感がある水彩風の絵が特徴。このサイトの管理人は10年後、ウェブで一大ブームを巻き起こした「初音ミク」のキャラクターデザインを担当する事になる。
1997.12.16~1998.01.18:ポンポンネット事件
1997.12.16:『しうの電脳麺記』開設
http://www2s.biglobe.ne.jp/~siu/
1997年のTVチャンピオン第4回ラーメン王選手権準優勝者であり、後に新横浜ラーメン博物館の広報担当になった北島秀一のサイト。
新横浜ラーメン博物館が主催するパソコン通信ネット「ラーメンネット」に書き込んだメッセージを中心に纏めたもの。ラーメン四天王の一人。
2014年9月1日逝去。胆管癌のため...。R.I.P.
1997.12.20:『街の灯』開設
http://www.matino-akari.com/citylights.html
http://plaza.harmonix.ne.jp/~thm/linksyu/
アングラ系のリンク集。後に、訪問者が記事にコメントを書けるニュースサイトになった。
1997.12.xx?:『BlackBOX』開設
みかみが『私書ばっこん』という私書箱を閉鎖させた後に作った私書箱。 『私書ばっこん』は短命であったが『BlackBOX』も短命で、1998年3月に一旦閉鎖となった。
1997.xx.xx:『クリアラバーソウル』開設
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kook/
管理人の桑島由一はライトノベル作家となり、代表作の「神様家族」はアニメ化された。その実力は当時からすでに発揮されており、「妄想系ピラミッド最高峰」とか「コジャレ世代の日記系の頂点」とか言われていた。
1998年:ABC文法の登場
1998.01.15:『廃墟ファン』開設
http://member.nifty.ne.jp/ruinfan/
http://homepage3.nifty.com/ruinfan/
廃墟系サイトの先駆け。お洒落なサイトデザイン。後発の廃墟系サイトに影響を与えた。後に開設する廃墟系サイトの雄、『廃墟Explorer』は「このHP無しでは、私の廃墟人生は語れない」と言う。
1998.01.31:『WAVE Search』サービス終了
WAVE Search は'98年1月31日をもちまして終了させていただきます。永らくご利用頂きありがとうございました。
WAVE Search
1998.01.xx:『なみかれ』開設
「涙枯れるまで泣く方がいいかも」の略。質問項目(お題)に対し回答者は一言コメント(ネタ)で返す形式の掲示板。
1998.02.21:『渡辺製作所』開設
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_wata/
http://www13.plala.or.jp/french/
「THE QUEEN OF HEART」「PARTY's BREAKER」「RagnarokBattleOffline」を制作した同人ゲーム界の雄。
後の『フランスパン』。
1998.02.27:アリス・リデルがNHKのニュースでコメント
ポンポンネット事件について。
1998.03.06:『A_prompt.』開設
http://www.aikis.or.jp/~abc/
クソゲーハンターABCとして「里見の謎」「デスクリムゾン」などの評価するに値しない酷い出来のTVゲームソフトを紹介する本「超クソゲー」を著した阿部のサイト。
阿部の文は所々に太い、色の目立つフォントを使うことで文に強弱を付けており、この手法は「ABC文法」と呼ばれた。「ABC文法」はテキストサイト界における技法の一つ、「フォント弄り」の原形になる。
資料:『A_prompt.』のミラー
1998.03.28:『ICQ道場』開設
http://pocketstudio.jp/icq/
「アッオー」の着信音でお馴染み?なイスラエルのインスタントメッセンジャーソフト「ICQ」を解説したサイト。
日本語化パッチが置いてあり、「ICQを使うならまずこのサイトを見ろ」と言われるサイト。
なお、開設日の”1998年3月28日”はサイトを全面更新した日(本人曰く「マジメに作り始めた日」)。厳密な開設日は1997年末(更新履歴によると「97年末頃から製作を初めていたと思うが、記憶は定かではない。」)。
98/3/28 ICQ道場を全面更新 & 移行作業の開始 & マジメに作り始める(^-^;
97年末頃から製作を初めていたと思うが、記憶は定かではない。(99年の現在から思うと、この頃のICQはかなりマイナーなツールだったと思う。思い返せば98年にICQが爆発的に普及しはじめたと思います。)
ICQ道場99 更新記録(ICQ道場99)
1998.03.xx:『クックパッド』開設
1998.03.xx:アリス事件
アリス・リデルが、掲示板アタックツール「PerlDUKE」を公開。 さらに、あやしいわーるどに対しPerlDUKEをテスト使用。あやしい住民と対立する。 あやしい住民はNHKニュースに出たときのアリスの映像でコラージュを作り、アリスを笑いものにした。 挑発されたアリスはあやしいわーるどをさらに攻撃。この対立はあやしいわーるど閉鎖の原因になった。
1998.03.xx?:『ひょろびり』開設
ひょろっと歩くとびりっと破れますの略らしい?。
『BlackBOX』の一時閉鎖を受け、復活までの繋ぎとして作られた私書箱だと言われている。
「ゆいぼーど」公開以降、数多くの私書箱サイトが出来た。しかし、無料サーバーを使ったこと、
苦情や規制(コラ画像のUP等、アダルト関連の私書箱があった)、荒らしにより次々と閉鎖。そんな中『ひょろびり』は同年10月の『BlackBOX』復活まで私書箱の命脈を守った。
資料:というか私書箱は一体どこから誕生したのですか?
(箱ログ保存処)
1998.04.11:『Macお仲間探偵団』開設
http://www.onakama.com/
団員登録自体は1998年2月から。
複数人が運営に関わったり、団員を集めていた、3つのMac関連個人サイトの一角。
1998.05.11:『AltaVista』日本語検索サービス開始
1995年にアメリカで登場し、かつて英語圏でよく使われていた検索サービス。
日本語検索が開始されてからは日本においても、それなりに人気になった。
『Google』登場するまでは……
1998.05.14:『山本総翼右ムェゲ』開設
http://home4.highway.ne.jp/grw/
「ゲェム右翼」。
それは、ギャルゲー&エロゲー (以下「エロゲー」に統一) 全盛という現代の腐りきったゲーム界を憂う者たちのやりきれない情念が生み出した、新しい組織である。昨今のゲーム界は、エロゲー好きのおたく共が支持する「ゲーム改革派」の動きが活発になりつつある。きゃつらのような極左集団を、日本ゲーム界の旗手とする訳にはいかない。ここは我々ゲーム保守派が「ゲェム右翼」を結成し、断固闘うべきである。
このたび私は僭越ながらこのゲェム右翼を創設し、党首として活動を行うことを宣言する。
世のゲームマニア諸君!
諸君が現状のゲーム界に不満を持つならば、アカを廃絶すべく、私と共に活動を行おうではないか!
未来の明るいゲーム界は、諸君の手にかかっているのだ!私はここに宣言する!
「エロゲーに死を!おたく共に死の鉄槌を!」
「ゲームの本質は、『殴る!蹴る!撃つ!壊す!殺す!』
これを行わずはゲームに非ず!」
党首宣誓、党ノ基本理念(山本総翼右ムェゲ)
1998.05.xx:『HEXAGON』開設
http://isweb4.infoseek.co.jp/play/gonzui/
http://hexagon-noboru.blogspot.com/
後にライトノベル作家となり「ゼロの使い魔」を書いたヤマグチノボルのサイト。2013年4月4日逝去。癌のため...。R.I.P.
1998.06.06:『ほぼ日刊イトイ新聞』開設
http://www.1101.com/index.html
コピーライターの糸井重里が主催する、説明不要のサイト。コンテンツたくさん。
多くの関連書籍を出している。後に商業化。
クリエイティブがイニシアティブを持って仕事の出来る「場」をつくりたい。 そんなぼくの目の前にあらわれたのがインターネットだった。------------
まったくのパソコン素人が一念発起。 『ほぼ日刊イトイ新聞』を インターネット上に立ち上げてから三年。 ドタバタじたばたしながらも、 どんどんにぎやかな人気サイトに育っていく。
そこから見えてきたのは、 これからの「働く」ということ。 これからの「つくる」ということ。 これからの「付き合う」ということ。 そしてこれからの「生きる」ということ。
勝ち負けだけじゃない価値も この世の中にはある。
ほぼ日刊イトイ新聞の本
1998.06.07:『兄貴の館』開設
1998.06.08:『BM98's ROOM』開設
http://www.sun-inet.or.jp/~yaneurao/
やねうらおが作ったビートマニアシミュレーター「BM98」を公開。
BM98は人気となり、数多くのBMSファイル(BM98用の音声ファイル)が作られたのだが
同年8月に公開中止。
BM98本体の公開は完全に中止しました。もう公開することは、永久にありません。どうも私(やねうらお)の著作権に対する理解が不足かつ欠如していたようで、皆様には、大変ご迷惑をおかけしました。この場にてお詫びさせていただきます。
現在、数種類の互換ソフトが存在する。やねうらおは後にラグナロクオンラインプレイヤーとしてROVNI『バーチャルネット商人まいにちあゆみ17歳』を開設。「ガンホー春のBAN祭り」ではキャラクターがBAN対象になった。
1998.06.14:『朝目新聞』開設
http://www.ne.jp/asahi/asame/shinbun/
個人ニュースサイトだがパロディイラスト投稿の場所として有名。
1998.06.16:『wOzBox』開設
http://www.din.or.jp/~wosa/
http://wozbox.to/
元々は日記サイト。そこから個人ニュースサイトになったが2001年11月からはFlash動画を制作・公開。
AAキャラクターを使ったアニメオープニングパロディの先駆けである【うる★8つら】で注目される存在に。
管理人のwosaはFlash界隈の明暗を握る重要人物となっていく。
1998.06.30:『フレッシュアイ』サービス開始
東芝が運営する検索サービス。”今日のページを検索できる”のがウリ。
1998.07.02:『Lycos』β版サービス開始
検索サービス。米Lycosの日本語版。住友商事、米Lycos、IIJの合弁会社。
1998.07.17:『悶えろ!!モエプロゲッターズ』開設
http://www.ne.jp/asahi/moe/pro/
伝説として語り継がれるサイト。ファミコンソフト「燃えろプロ野球」のカセットをひたすら買い集めているという。集めた数は2500本以上。この行為だけでも意味がわからないのだが、
収集○○本突破記念企画がさらにぶっ飛んでる。集めた燃えプロのカセットで富士山を作ったり、五重塔を作ったり、後楽園球場を作ったり…。
風呂桶一杯にカセットを入れて入浴する「悶えフロ」…。この人にしか出来ない企画で”これぞまさに個人サイト”と言えるサイトだった。
1998.07.17?:『大西科学』開設
http://onisci.com/
雑文サイト。雑文館亡き後の雑文界において、その中心的なサイトの一つ。
「ジョン平とぼくと」と「ジョン平は天気を占う」を元にした「ジョン平とぼくと」を著した。
1998.07.25:Windows98発売
1998.08.03:雑文祭
決められたお題の文章をみんなで創作し、みんなで鑑賞しようというイベント。
第一回の雑文祭りでは
* タイトル:「ある朝突然に」
* 書き出し:「そういう場面に出くわすとは、考えたことさえ無かった。」
* 結び:「あまり考えたくはない話である。」
* お題:「小さな貧血大きなお世話」
という縛りのなかで文章を創作する。
「雑文館」の新屋健志が考えたこの企画は好評で、雑文祭は雑文界の一大イベントとして
この後も行われることとなった。
1998年12月25日:第二回雑文祭
1999年05月31日:第三回雑文祭
1999年06月24日:昼下がりの雑文祭(第四回雑文祭)
2000年10月23日:第五回雑文祭
2003年11月15日:第六回雑文祭
2005年12月22日:第七回雑文祭
始まりは新屋さんからのメールでした。「こういう企画を考えているの だが、参加しないか?」という内容のメールです。これは、私を含む五人 に同報で送られていたと記憶しています。主旨としては、「いつも読んで いる複数のページで、ある朝突然に、同じタイトル・同じ書き出し・同じ ダジャレ等を使った雑文が発表されたら読者は驚くだろう」というもので した。
その後、確かキースさんに「秘密の掲示板」を作ってもらい、そこで、 タイトルはどうするか、お題はどうするか、等を六人で相談していました。
で、1998年8月2日に六人一斉に発表、目論見どおり読者は驚いてくれた、 ということです。
資料:雑文祭書庫
1998.09.01:『ウェブリング・ジャパン』サービス開始
ウェブリングとは一種のコミュニティーです。
ウェブリングとは、同じ趣味・主張・興味を持つ人たちが、それぞれのサイトを繋ぎあわせ、「リング(輪)」を作ったものの集大成です。
リングは、どんな内容のものでも構いません。リングには、同じような趣向を持つサイトを持っている人であれば、基本的には誰でも参加できます。
例えば、「サッカー」が好きでたまらない人たちは「サッカー」のリングを作る事ができますし、もっとマニアックに「中田選手の足の裏」のリング(もちろんそういったサイトが複数あることが条件ですが・・・)も出来るかもしれません。
何も好きなことにこだわらなくてもいいのです。例えば、「サークルで一緒だった人たち」のリングとか、「水虫に泣かされている人」のリングとか・・・。あなたの持っているサイト次第でいくらでもできます。
もちろん、いろいろ守らなくては行けないルールはあるのですが・・・。
ウェブリングとは(ウェブリング・ジャパン)
1998.09.03:『あやしいわーるど』閉鎖
あやしいわーるどは閉鎖いたしました。当分復活しないでしょう。
でも、ここのリンクは更新し続けるので利用してね。
なにも言わないと閉鎖の理由についていろんな憶測が飛ぶでしょうから、まあ少しくらいは書いてみるか。
まず、公権力とか大手のどこかの圧力なんていう話は残念ながら全くないっす。
人間を滅ぼすのは人間ってな感じで、まあアングラ同士で潰し合いとかしちゃってまあくだらないね。
あやしいわーるどがアングラかどうかはまあともかくさ(わらぃ。
まあ、直接の原因はメイン掲示板の沈没なのですが、ネットの中にはいろんな対立とかがあるみたいで、
そういうのってとってもくだらないなあと思ってね。みんなと仲良くしたいのになあ、くだらないっすよ。
そんなかんじ。
復活はするかもですが、しないかもです。あやしいわーるどの名前使って掲示板やりたいひとはメールでもください。
掲示板のとこからリンクはりますよん。
あ。最後に。これまで、いろいろお世話になってみなさまありがとうございました。
ひとりひとりあげるときりがないのでやめときますけど。
そして、あやしいわーるどをご贔屓にしていただいたみなさま、ここのリンク集はつかってね。
かわりに、日記でもはじめるかな。ははは (98/09/03 20:46)
1998.09.11:『Britannia 観光案内所』開設
http://member.nifty.ne.jp/kamurai/
後発のMMORPGファンサイトの参考となった、ウルティマオンライン総合情報サイト。
資料:人気ホームページ作者のインタビュー
(人気ホームページへの道)
1998.09.15:『兄貴の館』開設
http://webclub.kcom.ne.jp/mb/watan/
有名サイトが2つある『兄貴の館』の一つ。テキストサイト界で有名な方。
特に痛い系テキストサイトに多大な影響を与えた。
「限りなくクロに近いクロなホモ疑惑を持つ男」(@ろじぱら・ワタナベ)。
1998.09.28:ウルティマオンライン日本サーバー開始
1998.09.xx:WinGroove事件
当時人気だったシェアウェアのソフトウェアシンセサイザー「WinGroove」に、
ハードディスクのデータを消去する機能が実装されていたことが判明。
不正に流れているユーザーIDとパスワードを入力すると、IO.SYSを書き換え、FATをゼロクリアする。
「不正ユーザーに対してとはいえやりすぎではないか」「作者は過失を主張したが、実際は故意にやったのではないか」とウェブ上で議論になった。
資料:「WinGroove」の旧バージョンにディスク内容を消去する問題、
WinGroove作者が新たにディスク消去問題の詳細を公表、
WinGroove作者・中山裕基氏インタビュー
(窓の杜)
1998.10.04:春菜プロジェクトが「ペルソナウェア」を公開
ニュース等を配信する便利ソフトに『ペルソナ』と呼ばれる仮想人格を乗せ、キャラクターが色々しゃべるようにしたソフト。サーバーからスクリプト、画像、音声などの各種データファイルを定期的に自動取得できるようにした。制作者は中西巧。
このソフトの面白いところはペルソナウェアは中西が制作するのだが、そこに乗せるペルソナ(仮想人格)は誰でも作れるように開発キットを用意したこと。全てを自力で制作せずに、フリーで活動する協力者(ベンダー)に任せるという手法は、インターネットの時代に実に合っている。
資料:キャラクターを使ったプッシュ情報クライアント「ペルソナウェア」が公開
(窓の杜)
1998.10.08:『SMALLNEWS!』開設
http://www.smallnews.net/
当初はエミュレーターとPCパーツ中心のニュースサイト。
そのうちエミュレーターとPCパーツ以外にも色々なものを取り上げるようになる。
10/8 EMU(WIN) PSEmu Plugins Updated
プレステのエミュ用プラグインファイル
PSEmuPro用のプラグインがアップデートしました。
・gpuGlide・・・Voodoo2用のグラフィックドライバ
・spuSeal・・・サウンドドライバ
・gpuDudSoft・・・DirectDrawドライバ(汎用)
・cdrDAO・・・CDドライバ(DAOイメージファイル用)
・cdrDudAspi・・・CDドライバ(ASPI)
PSEmuProはConfigが起動できなくなる場合があります。そうなったらレジストリを直接書き換えて下さい。
1998.10.14:『大(仮名)帝国』開設
http://www11.big.or.jp/~kkk/empire/
日記とマクドナルドの新作レビューがメインのサイト。
よりによってクリスマスイブの日にホモゲー「炎多留」のレビューを行ったことで有名。
1998.10.15:『BlackBOX』復活
前日に『BlackBOX』復活までの繋ぎの私書箱であったひょろびりが閉鎖。 そして『BlackBOX』復活。だが翌年2月に閉鎖。今回も短命で終わる。
1998.10.17:『樂書屋春九堂本舗<電脳出張所>』開設
http://g-labo.coco.co.jp/
http://g-labo.to/
後の『G-LABO』。『兄貴の館』の兄貴の知り合い。春九堂と言えばアフロがトレンドマークで、色々なサイト管理人にアフロを被せた。早い時期からオフ企画を行っていた活動的なテキストサイト。
1998.10.18:『ゲーマーズターミナル』開設
http://www.gamersterminal.com/
「ゲーマーズターミナル」へようこそ!
ここはなつきとふりざが二人で作っている、個人ゲーム系サイトの サーチエンジンですが、以下の運営方針を掲げています。・ゲームが好きな人達で作る、ゲームが好きな人達の為のサーチ
・融通のきく、登録者・検索者双方にやさしい作りを
・サイト内容をわかりやすく正確に紹介できるように努める
・登録URLの定期チェックで、リンク切れ問題を解決
・登録を待つだけでなく、良いサイトはどんどん訪問
・更新スピードを限界まで向上し、円滑で新鮮な運営を
・自動登録・大手/企業サーチエンジンの味気なさを排除私達は登録して頂いている側です。 ゲームを愛する登録者の方々あってのGT。 「登録してやってるんだぞ」という態度の サーチエンジンはありますよね・・・
ありませんか?登録しようと思っても、 ずらずら連なる無数の警告文に閉口してしまった事。 何度も申請したけども全く無視された事とか・・・ここはそんなサーチエンジンに嫌気がさした、 なつきとふりざが皆さんにお贈りする、今までにない 「ユーザーサイド」サーチエンジンです。
ゲームを愛する皆様、どうぞご活用下さい。
私達もゲームが大好きです!!
総合案内(ゲーマーズターミナル)
1998.10.28:『復元プロジェクト』開設
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/1690/
統合アーカイバ「RarUty」を公開。後にRarUtyの影響を受けて「Malty」「WARUty」「詩子様」が生まれた。
Riz,Jydivide,御茶義理,ぽこにゃん,分割くん,HamaEvolution,JpegDirectAnnex,クローキングBMP,うそマップ,NOISE,BitmapPackager,インプラントGIFの偽装・分割に対応。
まだMinMXもWinnyもなかった時代。
アングラな人々はファイルを交換するときに、ファイルをサイトスペースにUPするという方法をとっていた。
そのファイルには偽装がかけられており、対応ソフトを使って偽装を解かないとファイルは使えなかった。
1998.10.xx:『廃墟』開設
私書箱中興の祖。再び多くの私書箱が作られるようになる。
1998.12.12:『無題』開設
http://www.h7.dion.ne.jp/~nontitle/
反『斬鉄剣』の中心人物。『斬鉄剣』と共にテキストサイトに起こった数多くの騒動の中心にいたサイト。『斬鉄剣』のナミはランク制リンク制度の失敗によって『斬鉄剣』を閉鎖後『至誠天ニ通ズ』を開設。そこでナミはマサムネを罵倒し、マサムネはナミとの戦いを決意する。『侍魂』の後押しによって『斬鉄剣』が復活するとマサムネは、「しっかしこの男、相変わらず自分棚上げ芸の達人だなァ。ヘタレの分際で語るなよ。たとえナミ様が忘れようと無かったことにしようと、私は忘れませんよ? 斬鉄剣の過去の所業は。」と言い、『斬鉄剣』との戦いを開始。『斬鉄剣』が言及したことに対し、次々と反論を展開した。『斬鉄剣』との戦いは長期にわたり、1.17事件、魚類の乱などの原因となり、テキストサイト界に影響を与えた。
1998.12.15:ドクター・キリコ事件
1998年、『安楽死狂会』というサイトがあり、そこには「ドクター・キリコ診察室」という掲示板があった。
「草壁竜次(本名ではない)」という人がいた。彼はドクター・キリコと名乗り、掲示板で自殺希望者の相談に乗っていた。
12月3日、杉並区高井戸の女性が草壁の口座に3万円を振り込んだ。
12月7日、草壁は振り込まれたお金を引き出した。
12月10日、草壁は、青酸カリの入ったカプセル6錠を宅配便で女性に送った。
12月12日、杉並区高井戸の女性がカプセル6錠を飲み、病院に運ばれた。
12月15日、女性が死んだ。同日、草壁も札幌市北区篠路の自宅で死んだ。
12月24日、マスコミが報道を始めた。
12月25日、『安楽死狂会』が閉鎖された。数日後、掲示板も閉鎖された。
資料:ドクターキリコ事件
資料:ドクター・キリコ事件
1998.12.28:『水無月城』開設
http://www.tcp-ip.or.jp/~minaduki/
http://www.1minaduki.com/
開設当初はウルティマオンラインと広末亮子情報のサイト。1998年3月18日に『水無月情報ページ』へサイト名変更。ゲームの最新情報を提供するサイトへ変わっていく。
ただし、情報の速さでは商業サイトにかなわず。
従って、管理人が提供するゲーム情報よりも、人で賑わう掲示板のほうにこのサイトの価値があった。
1999年:あめぞうの終わりと2ちゃんねるの始まり
1999.01.06:『LINC』開設
http://homepage1.nifty.com/kito/
http://masakikito.com/
弁護士、紀藤正樹のサイト。META KEYWORDSが凄すぎることで有名。
何を言っているのか解らない人は『LINC』のソースコードを見てみよう。
Welcome ! 問い合わせが続いているインターネット消費者被害対策弁護団の紹介の必要にかられ、これ以上多忙になるのが嫌で、あえて避けてきたホームページを立ち上げました。 まずはスロースタートしますが、末永いお付き合いのほど、よろしくお願い致します。
1999.01.07:『変人窟』開設
http://www.henjinkutsu.net/
サイト名変遷:『たびの適当に作っているぺえぢ』⇒『変人窟』
最初はPWR128/4VCで制作した動画を配布する為に某所のある方のアカウントの下で生まれた「たびちゃんずほめぱげ」(今考えると最悪の名称や…)をGeocitiesにアカとってただのリンク集作り、そしてFSI移転し今のニュースになれない、まがい物の駄文サイト始めようと思ったキッカケがSMALLNEWS!さんと裏ニュース!さんでした。その後ムーノーさん、オナニー日記さんといった今は伝説となっとしまったサイトの影響を受け、此処も
迷走色々と変化してしまったのですが、やはり根底にあるのはSMALL NEWS!さんと裏ニュース!さんへの憧れと尊敬だったわけで。
1999.01.13:『J-oの日記』開設
http://www.remus.dti.ne.jp/~j-o/
アニメ、ゲーム、インターネット関連の話題を中心としたニュース+日記。本人曰く「引き篭もり系サイト」。
●Windows系の美少女ゲームが主力商品の中古パソコン屋で働く、30前後の独身男の日記です。職場での日常やパソコンやゲーム、インターネット関連の話題が中心です。いわゆるアニオタ・ゲーオタ系サイトです。
このサイトについて(J-oの日記)
1999.01.21:『ろじっくぱらだいす』開設
http://www.juno.dti.ne.jp/~logicp/
http://logipara.com/
もっとも成功した日記系テキストサイト。
本来恋人と一緒にいるはずのクリスマスイブに一人で怒涛のサイト更新をする、非モテ系の祭典「クリスマス殲滅委員会」を広めた。
テキストサイトブーム時に人気になったサイトのうち多くがブーム終了後は更新頻度が落ちている中、毎日更新を続ける。
1999.01.22:『ほいみんのページ』開設
http://www.tohgoku.or.jp/~hoimin/kousin/index.htm
後に、量産型VNIの元祖『ちよ74歳』を作る。
平成11年1月22日
ついに公開、でも、とりあえずはリンク貼らない(笑)。平成11年1月20日
というか、公開もしていないのに、更新履歴書いてる自分も
どうかな? などと思った。平成10年11月28日
ホームページ作成開始。悪戦苦闘をしながら無謀な挑戦が始まる。はたして公開までに何日かかるのやら……。
更新履歴(ほいみんのページ)
1999.01.26:『我思う、故にラーメン』開設
http://www003.upp.so-net.ne.jp/warera/
1月26日(晴れていた)
だいたいナンノ知識もなくホームページ作ろうってのが危なかしくてしょうがない。下手を打てばすぐに「家のワンちゃんデース」という構図になってしまい、誰からもあいてにされずに遠吠えだけを繰り返す近所の犬のペンタス君になってしまうのではないかと現在心配中。まあとりあえず、「最近どう?」ってたぐいの平凡でツマラナイおれ様人生を他人に見せつけつつ、そこに潜む知的欲求の願望が昇華されたストイックな哲学的考察と思って読んでいただければ、ワリカシ「是名文也」というふうにも取れること受け合い!でもこれ深読みしすぎたときの場合。
まあ日記ということで今日起きたこと。ついにやりました!なかなか揃うことのない『銀河鉄道999』(少年画報社から出ていた昔のバージョン)をコンプリートしましたよ! いままでボクのために色々な古本屋を探してくれた、スズキさん、山本さん、HIRA、ヲリタ、アベッチ、Kou、どーもありがとう。今ボクはアンドロメダ行きの定期を手に入れた気分です。ウソです。言いすぎましたね、はい。まあ世間では、やれスターウォーズが20周年だとか、ガンダムが 20周年だとか、ドラえもんTV化20周年だとか、サザンオールスターズが20周年だとか、オレの弟のヨージ君が20周年ってどこもかしこも20と言う数字が世間について回るこの御時世になぜ宇宙空間に線路があるテッチャン漫画を買わなければならなくなったのでしょうか?そもそもきっかけナンテものは何処にでもころがっているもので、たまたまジャスコの古本市で栄光の第一巻を100えんで買ったのが運の尽き。 本棚に一巻しかないのは寂しいですからして、次の日全巻揃えてやる!と堅く決意!しかし8巻までは何処にでも置いてあるがそれ以降18巻までがなかなか手に入らないんですよ。東京、名古屋、大阪、沖縄の古本屋を調べまくったが集まったのは15巻まででした。沖縄の古本屋のおっちゃんに「何故手に入らないんですかねえ?」と尋ねたところ、「ねーもんはネエ」みたいなことを早口のウチナーグチで言われ、理解するのに2秒くらいかかって、ただウスラ笑いを浮かべることの情けなさっていったらもう情けない事この上なしでした。
で、全巻セットで売っているところは結構あったんだですよ。まんだらけに行けば「全巻セット、全初版、2万円!」なんてカンジであるんだけど、ヤッパリ気分悪いじゃん。金さえ払えばいくらでも手に入るっていう図式。嗚呼資本主義。クソッタレメガ!それに今まで買った分が無駄っぽくていけません。だからこつこつと買ってたわけさ。で、どうやって手に入れたかって?近所の古本屋で全巻セット6400えんで買っちゃいました…。
日記(我思う、故にラーメン)
1999.01.xx:『TECHSIDE.NET』開設
http://www.iris.dti.ne.jp/~spec/
http://techside.net/
24 Jan 1999 23:43:41
TECH NEWS始動!テレビ、雑誌、インターネットなどなどいろんなメディアから得た情報をNEWSとして記録していくことにしました。またみなさんからの情報もお待ちしております。なおしばらくはテスト運営です。レイアウトも変わります。どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
TECHSIDE.NET
1999.02.04:『一流ホームページ』開設
http://www.vinet.or.jp/~katsu/
妄想させてこの人の右に出る者はいない。テキストサイト界の妄想王。
1999.02.06:『日記圏』開設
http://www.age.ne.jp/x/rentaro/nikken/
登録型ウェブ日記リンク集。『日記猿人』『ReadMe!JAPAN』と比べて地味な存在ではあった。
1999.02.13:『YAMDAS Project』開設
http://www.yamdas.org/
豊富な読書量に裏づけされた価値あるテキストを提供する実力派サイト。海外のインターネット情報に明るい。
1999.02.22:iモードがサービス開始
NTTドコモの携帯電話向けインターネット接続サービス。
1999.02.xx~:W32_Ska
通称Happy99。トロイの木馬の一種。Happy99.exeを電子メール経由でばらまく。Happy99.exeは実行すると“Happy New Year 1999!!”というメッセージを表示し、花火の画像が表示される。
資料: WORM_SKA(HAPPY99)
(トレンドマイクロ)
1999.02.xx:『CompJapan』事件
1999.03.31:『千里眼』サービス終了
千里眼は1999年3月をもってサービスを終了させていただきました。ご利用ありがとうございました。
"Senrigan" was closed in March, 1999. Thank you so much for visiting our Web site.
千里眼
1999.04.18:『南条あやの保護室』開設
http://nanjouaya.com/hogoshitsu/memory/index.html
『町田あかねのおクスリ研究所』の人気ページであった「現役女子高生あやちゃんのお部屋」を独立させる為に開設したサイト。
ここで南条あやの日記を連載する予定だった。しかし開設作業中の1999年3月30日に南条あやは向精神薬中毒で死亡。知人が作業を引継ぎ開設させた。
1999.04.xx?:Iria公開
国産ダウンロードソフト。 アングラで利用されていたレンタルスペース「the globe」がjpドメイン弾きを実施し ファイルをダウンロードできなくなった現象、通称「地球病」にいち早く対応し人気になった。 「homestead」の時間と共にURLがにランダムに変化する仕様にも対応した。
1999.04.xx:『自動アンケート作成』開設
http://www.jan,sakura.ne.jp/~snog/
http://snog.squares.net/
前身サイトは公開投票場。
「ゆいぼーど」「ゆいぽすと」を使った、
いわゆる「私書箱」の系列。
はしゃぎすぎが集う
ボンクラサイト
URLがhttp://www.jan,sakura.ne.jp/~snog/であったことから管理人はsnogと呼ばれる。
後に多数の亜流アンケートサイトが生まれた。
亜流アンケート:自動アンケート+、自動アンケート作成_、ぷちアンケート作成、何でもアンケート作成等々。
1999.05.26?:『裏ニュース!』開設
http://www.uranews.com/
PRO-G社員であった裏ニュース君によるサイト。
CDR焼きソフト、偽装ツールや統合アーカイバ、エミュレータなど比較的アングラよりな内容。
ニュース専門のページを作ってみました 投稿者:裏ニュース君 投稿日:05月26日(水)02時09分54秒 ■ ★
MP3、エミュレータ、CD-R、ゲームボーイ、時事などのニュースページを作ってみました。日刊更新でバリバリ更新していきたいと思います。
ちょっと重いページですが、よろしくお願いします。
今はニュースページですが、今後コンテンツ等も充実させたいと思っています。http://www.uranews.com
1999.05.30:『2ちゃんねる』開設
http://www.2ch.net/
そんでもって、、 投稿者:ひろゆき 投稿日:99/05/30(Sun)12:42
読者投稿欄に宣伝です。
あめぞう掲示板っぽいものをつくりました。
どうでしょう?
どうかな?
どきどきhttp://bohe.virtualave.net/
05月30日(日)12時21分41秒 05月30日(日)12時21分41秒
あめぞう2チャンネル<勝手に1
ひろゆき
どうも、ご無沙汰してます。ひろゆきです。
実は、あめぞうさんに無断であめぞう掲示板っぽいものをつくりました。
事後承諾ですみません。
http://bohe.virtualave.net/
スレッドも最新の投稿が上がるようになっており、過去のレスも見れるようにしました。
使い勝手は一緒だと思います。というか、一緒になるように苦労しました。
あめぞう掲示板で没になった企画「ダメ人間@あめぞう」「地方@あめぞう」とか
そういうあめぞうさんのお眼鏡にかなわなかったジャンルの掲示板にしようかと
思ってます。 というわけで、作りたいジャンル募集!!
あめぞう速報
資料:2ちゃんねるの歩み
(2ちゃんねる愛の劇場)
資料:あめぞう速報の過去ログ置き場 amemain990526.lzhに「あめぞう掲示板っぽいものをつくりました」という書き込みがあります。
1999.06.03:『東芝のアフターサービスについて』開設
http://member.nifty.ne.jp/AKKY/
東芝のビデオデッキを購入したAKKYが製品の修理依頼をしたが東芝の対応は暴力団まがいの応対であったとして、抗議のサイトを開設した。
1999.06.03~1999.09.xx:東芝サポート事件
AKKYはサイトに東芝との交渉経緯や電話応答音声ファイルを公開した。
「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。クレーマーっちゅうのお宅さんはね。クレーマーっちゅうの」。
瞬く間にインターネット上に話が広がり、東芝製品不買運動へと発展した。
騒動はやがてインターネット外にまで広がっていき、週刊文春、MacFan、財界展望、SPA!、週刊朝日、週刊現代でこの事件が取り上げられる。
インターネット時代における新たな抗議方法を見せ付けた。
資料:東芝問題専用ページ
(紀藤正樹のLINC)
資料:東芝のアフターサービスについて(ミラー)
1999.06.18:『さるさる日記』サービス開始
レンタルウェブ日記サービスであり、その草分け的存在。
吉野家コピペはさるさる日記の一つ『Not Found』から生まれた。
まだブログが始まる前で、コメント欄すらない非常に原始的な機能の日記ではあるが、人気のある日記を多数輩出した。
『きっこの日記』『勝谷誠彦の××な日々』『貴様ら!俺の言うことを聞いてみませんか?』『毎日更新!奥山のオルタナティヴ31歳ガン闘病記』。
1999.06.22:『東京がけっぷち倶楽部』開設
http://www.asahi-net.or.jp/~tt3s-cb/takerou/
「小池一夫劇画村塾」6期生の漫画家、千葉毅郎のサイト。これまでもがけっぷちの人生で、それがそのままサイト名になっている。
彼の人生最後の約1年半、若くして癌に犯されてからの雑記はすごかった。魂のテキストだった。
この雑記こそ、彼の、彼にしか書けない最後の作品だった。2001年、千葉毅郎32歳、最後のがけっぷちへ。
このホームページは漫画家・千葉毅郎のホームページですが、現在末期の肺ガンを患い闘病中です。そのため更新はほぼ『雑記帳』のみとなっておりますが、ご容赦下さい。現在雑記帳にて日々の闘病の様子を公開中です。末期ガン患者の生活がどのようなものか、参考になさってくださいませ。そう言うのがあんまりお好みでない方、まったく興味のない方は、このまま進んでも構わないけどたぶん面白くないと思うよ。
東京がけっぷち倶楽部
オレは大して強い人間じゃないから、ガンはやっぱり怖いです。
元気に振舞ってるのもガンが怖いから。
気持ちが負けてしまうとガンの侵攻を許してしまいそうなので、
これ以上ヤツラにそうさせないためにも、明るくしてます。
食欲があるのは幸い。実際転院してから3Kg太ってるし(笑)。
それに、たくさんの人が応援してくれるから、元気でいられます。
こんなに励まされる事はありません。
オレ1人の戦力じゃ、ガンの侵攻を阻止できないかもしれない。
だからみんなの励ましが、最高の援軍です。
それと、オレが気弱になる事で、とても心配する人が出てくる。
その人がオレを心配する事で、その人の元気を奪いたくない。
だからその人のためにも元気でいたい。さすがに自分の置かれてる状況が判ってきて、自覚も出てきて、
恐怖心も出てきたけど、簡単に死ぬつもりもない。
不安は多いけど、今は身体も元気だし、たくさんの人達のおかげで心も元気です。
こんなに心配してくれる人がいるのは、とても幸せです。逆に言えば、今1人になる事はすごく怖いです。
1人じゃ耐えきれないだろうな。どうしていいのか判らなくて、
毎日泣いてるかもしれない。
実際、自宅に戻ってきて一人の時間ができると、途端に不安に駆られます。
そんな時は、励ましてくれる人達の顔を思い浮かべてます。一人だったら、こんなに元気で明るくいられません。
オレの元気はオレだけの力じゃないって事です。病は気からってのを証明してみせるから、
みんなに何かあった時は、オレに続けよ。
にゅういん日記(緒長病院編)(東京がけっぷち倶楽部)
2003年3月29日逝去。肺癌のため...。R.I.P.
1999.06.23:『Baka-Fla』開始
http://www.flash-jp.com/bakafla/
http://www.flash-jp.com/modules/bakafla/
まつむらまきお が『Flash-JP』内につくったFlash動画投稿ページ。
「高度な技術を競う場ではない」「超初心者もベテランもわけへだてなく気軽に参加」がコンセプト。
ここの投稿者にルンパロや もりのあるじ、青池良輔がいた。
1999.07.01:『GIFアニメ掲示板』開設
http://gifanimation.hypermart.net/
http://r1.ugfree.to/~gifanimation/
GIFを使った動画の投稿掲示板。ここの投稿者の一人が後に有名になる のすふぇらとぅであった。
サイト名変遷:『GIFアニメ掲示板』→『GIFアニメ道場』→『日本GIFアニメ連合』。
2001年3月末に閉鎖。4月からは「地上系:アニメーション、手描き作品中心」の『大日本動画帝国』(http://do-ga.keddy.ne.jp/)と
「地下系:バカコラ、実写画像中心」の『新 日本馬鹿画像同盟』(http://iyarn.hypermart.net/)に分裂した。
1999.07.12:『emulation number 9』開設
http://www.emulation9.com/
1999.07.14:『MOON PHASE』開設
http://moon.endless.ne.jp/users/cyan/
http://cyan.maid.to
http://www.moonphase.cc/
http://m-p.sakura.ne.jp/
1999.07.xx:『sawadaspecial.com』開設
http://sawadaspecial.com/
ちょっと変わったネタを仕入れてくるオタ系ニュースサイト。
1999.08.xx?:(海外)i-driveサービス開始
i-driveとは無料ディスクスペースレンタルサービス。 ファイルが消されにくいことから、「われざー」(市販ソフト等を違法にアップ・ダウンロードをする人)がファイル置き場として愛用した。 通称「愛銅鑼」。アメリカのサービスだが日本人も多く利用していた。
i-drive is a free internet hard drive. It is the easiest way to access, transfer and share your important files. Move from computer to computer with ease. Eliminate attachment problems. Share MP3's and digital photos.
1999.09.01:ADSLサービス始まる
JANISネットが長野市川中島町有線地区を対象に下り1.5Mbpsでサービス開始。月額料金5,500円。
資料:長野県で国内初の商用ADSLインターネット接続サービス開始
(INTERNET Watch)
1999.09.01:『かまくら』開設
http://www.interq.or.jp/white/yukio/index.html
http://snow-man.cc/
テキストサイト。02年に「テキストサイト大全」を著した。サイトを作った理由は「モテたかったから」なんだとか。
9月1日(水)
宇多田ヒカル日記から来てくれた人、特にこんにちは! ってホントはリンク貼られてねえけどな。 はじめまして。雪男です。プロフィールはないです。っていうかプロフィールに自分のパソコンのスペックのことダラダラ書く人、あんたパソコンかよ。つまんねえページ作る奴に限ってプロフィールが長いんだよ。 なーんちって、日記初体験だから緊張しちゃって上手く喋れない僕、てへっ☆ ちょっとくらいキッツイこと言っても見逃してね!
じゃ、改めて自己紹介。どうもはじめまして。雪男です。現在の肩書きは大学生です。学科はアニメ・声優科で将来の夢はびっクリエイターです。使用パソコンのスペックは95万パワーです。学校では毎日声帯訓練としてクラス全員(少数精鋭)で「オッス!オラ悟空」の唱和を50回以上もやったりしているんですよ~。なーんて感じでいいのかな? よくねえな。たぶん。
1999.09.20:『Kawakawa-19 旬』開設
http://www.nsknet.or.jp/~kawase/
http://www.kk19.net/
9/20 ふと、いきなりお世話になりすぎている変人窟をパクって見ようと思い立ったが吉日(殴) ICQでパクリ許可願いをだして、うやむやのウチに強行採決(こら)
たびさん以外の方がここのサイトについて禁止する事はできません。ええ(撲殺)
1999.09.30:『みんなきてKOIKOI』開設
http://members.ytv.home.ne.jp/cupmen/
「お湯以外でカップメンを作る!そして食う!!」で100種類試した脅威の実験系テキストサイト。
1999.10.01:『発言小町』開設
読売新聞が運営する掲示板。女性がターゲット。トピ主と呼ばれる投稿者が悩みを投稿し、閲覧者の意見を求める形。 実態としては自分勝手な相談も多く、その結果として『2ちゃんねる』の掲示版、2ちゃんねるまとめサイトで笑いのネタにされることも多い。
1999.10.04:『なりなりヘッドライン!』開設
https://www.narinari.com/
後の『NariNari.com』。サイト運営に人生をかけ、朝3時半に起床し一日五回更新。商業化した。
資料:時間をつくるコツ
(FPN)
資料:第1回 「なぜホームページを開設するのか」を考えよう
(日経BP NetBusiness)
1999.10.15:『秘境駅へ行こう!』開設
http://hp1.cyberstation.ne.jp/hikyoueki/
人があまり訪れない、簡単には到達できない駅のレポート。「秘境駅」という言葉を世に広めたサイト。
ようこそ「秘境駅」のページへ!ここでは日本全国の鉄道路線に現存する、周囲に人家が少なく大自然の真っ只中にある駅を 紹介しています。こうした駅は今日のモータリゼーションの普及や、過疎化の進行により利用者が減少したことで、路線そのものが 廃止されることが多い現在、奇跡的に生き残った貴重な存在と言えましょう。これらの駅はローカル線に限らず、特急列車が通る 幹線にも存在します。けれども、訪問には多くの難題があり、普通列車でも通過が多い場合には、なかなか降りるチャンスに恵まれ ません。また、駅へ続く車道はおろか、歩道さえ無いこともあり、簡単に到達出来るものでもありません。しかし、断崖絶壁や深い 山中、原野が広がる無人地帯であっても「ひとつの駅」として存在しているのです。その殆どが寂しい無人駅ですが、古い木造駅 舎や鉄道遺構が残っていることもあり、興味が尽きません。これらの駅を訪問する旅へ暫くご一緒しませんか?
1999.10.23:『LOGIC&MATRIX』開設
http://landm.web.fc2.com/
「ファイアーエムブレム聖戦の系譜」の縛りプレイ「アーダン一人クリア」のテキストでお馴染み。
1999.10.24:ムーノーデー
みんなでサイトのデザインを『ムーノーローカル』にしよう企画。この後もムーノーローカルのカウンタが切り番になったタイミングで数回行われた。
資料:1999年12月のムーノーデーログ
(KawaKawa19旬)
同じような記念日としては、2月14日の『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』開設日にあわせて行われる「ちゆデー」、
5月31日の『俺ニュース』閉鎖日に合わせて行われる「俺ニュデー」がある。
サイト管理人がHTMLのコードを自分で書いており、デザインの変更が簡単だった、そんな時代だからこそできた企画。
1999.10.xx?:あめぞうウイルス、猛威を振るう
あめぞうウイルスとは、『あめぞう』を荒らすために作られたスタイルシート。 この荒らしの結果、あめぞう住人の『2ちゃんねる』移住が加速する。
そして終わりは唐突に訪れます1999年10月下旬(ぐらいだったと思う、記憶曖昧;、裏が取れたら加筆するかも)あめぞうに激震が走ります、一部の掲示板であめぞうウイルスという名のスレッドが増殖をはじめたのです。
実は自分はその瞬間をリアルタイムで見ていたのですが、まさに圧巻な光景でした、どんどん「あめぞうウイルス」という題名のスレッドが増殖していくのです、僅かに生き残っているスレッドではスキルの高い利用者がこの異常事態をどのように打開するか激しく議論していました。
自分は別にあめざー(当時あめぞうをこよなく愛する人たちをこう読んだのです、ちなみに2chを愛する人たちは2ちゃんねらーというらしいですが言いづらいのかあまり流行りませんでしたね)ではなかったので傍観者でしたが掲示板とはかくも脆いものかと思いました。
なんたってあめぞうですよあ・め・ぞ・うですよ、当時のあめぞうといったらネットの大御所で、スラム街、はきだめ、たんつぼ、基地外収容所、隔離病棟、便所のらくがき、ネット墓場と呼ばれ(え、呼ばれてないって(^^;)あめざーは凶暴かつ凶悪でリンクされた掲示板をぺんぺん草も残らぬほど完璧に駆逐し、無くなってもミラーを立ち上げ、骨までしゃぶり尽すといった外道ぶり。そのあめぞうが手も足もでません(管理人が何もしないのだから当然;)、僅か数時間、、、一晩のうちにネット史上最悪の外道掲示板は消滅しました、壊れゆくあめぞうを目に人々は一体何を感じたのでしょうか?
一つの歴史の終焉でした・・・・。
早わかりアニメ掲示板の歴史中編(アニメ∞座談会)
1999.10.xx?:『斬鉄剣』、ランク制リンク制度を開始
『斬鉄剣』は相互リンクの申し込みをされたサイトをランク付けしてリンクする「ランク制リンク制度」を開始。
後に、「ランク制リンク制度」に申し込んできたあるサイトに対し「糞」とランク付けし、TOPページで馬鹿にしてしまう。
この『斬鉄剣』・ナミの行き過ぎた行動に対し、
他サイトから抗議の声があがったがナミは謝罪というより喧嘩を売っているというほうが近い謝罪文をのせ、相手を挑発。
結果、斬鉄剣批判の声が大きくなっていき、相互リンクサイトは次々と『斬鉄剣』へのリンクを削除、最終的に『斬鉄剣』は孤立した。
その後ナミはサイトを閉鎖させたが、2001年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった『侍魂』が『斬鉄剣』から影響を受けたと語ったことで『斬鉄剣』は復活した。
1999.11.xx?:『ほんわかキリン本店』開設
http://and.kurumi.ne.jp/
ADSL/FTTH/モバイル等のブロードバンドサービスがメインのニュースサイト。
1999.11.29:『MIZUHAの憂鬱』開設
http://www.pure.ne.jp/~mizuha/
後の『裏 MIZUHAの憂鬱』。『兄貴の館』掲示板に出没していた女学生ハンターみずはのサイト。
『兄貴の館』閉鎖の際には「アニキまつり」を行った。その後海外逃亡したりと何かと忙しい人。
1999.12.02:『宇宙最強リンク集』開設
http://club-impact.com/BestofLinkClub/
量より質を謳うアングラリンク集。『世界最強危険リンク集』をリスペクトしている。ちなみに『銀河最強の危険リンク集』なんてのもあった。
1999.12.08:『東方幻想空間 博麗神社』開設
http://www16.big.or.jp/~zun/
同人サークル・上海アリス幻樂団の主宰であり、東方Projectの名で制作された同人ゲームの制作者ZUNのサイト。
『東方幻想空間 博麗神社』開設前は、東京電機大学のサークル『Amusement Makers』のサイト(http://www.kt.rim.or.jp/~aotaka/AM/)で新作の告知をしていた。
1999.12.10:『通信用語の基礎知識』開設
https://www.wdic.org/
元々は1995年に草の根BBSで「波動用語の基礎知識」として公開していたもの。
パソコン通信で使われる用語を解説する辞書を作るという内容だったが、長い年月をかけた事でウェブで使う用語を広く・数多く扱うものになった。
”基礎知識”と言うが実態としては私見の用語集であり、編集者の強い政治的な偏りを指摘される事がある。
その代わりに思いがけない単語についても収録されており、Google検索で調べものをする際に、このサイトが検索結果の上位である事も多い。
1999.12.12:『テキスト庵』開設
http://www.spacehorn.com/text/
日記サイト、テキストサイトの登録型リンク集。『日記才人』『ReadMe!JAPAN』亡き後も存在し続ける貴重な存在だったのだが…
1999.12.14:『魔法のiらんど』サービス開始
携帯電話向けの無料ホームページサービス。
1999.12.21~2001.03.01:「痕」盗作騒動
痕のおまけシナリオの一つが「できすぎ」という短編小説と同じ話であり、パクリではないかと騒動になった。 騒動の影響により、2ch隔離板「Leaf・Key板」が誕生。このおまけシナリオを担当したのが後に「超先生」と呼ばれるようになる青紫であった。
23 名前: >22 投稿日: 1999/12/21(火) 02:34
それは大槻ケンヂの「新興宗教オモイデ教」の事だと思います。
色々類似点はアリマスが、別物です。毒電波とか宗教とか皆殺しとか、サイコな話です。
同じ人が書いたのでは無いですが、参考というか、
かなり意識したのではないでしょうか。それよりも私には、痕のおまけシナリオの一つに全てのもの
をすり抜けられる薬というのを扱った短編があり、
実はこの話、講談社文庫の星新一編、「ショートショートの広場1」
の一番最初に載っている「できすぎ」という短編と完全に同じ話
(パクリとかのレベルでなく、完全に同じ)であることの方が
気になります。
「できすぎ」の作者である吉沢景介氏はリーフの人なのか
というくらい同じです。
興味のある人は書店で読んでみてください。
3頁の短編ですので、立ち読みでも大丈夫です。誰かこの事について知ってる人はいないのでしょうか?
此処まで見事なパクリというのも珍しい気がします。
きずあと
資料:葉鍵板の歴史with超先生 (哭蔵のFlash)
1999.12.24~1999.12.25:クリスマス殲滅委員会
本来恋人と一緒にいるはずのクリスマスイブに一人で怒涛のサイト更新をするという「俺の恋人はネットだ」と言わんばかりの企画。『ろじっくぱらだいす』主催。
これ以降、痛い系サイトではクリスマス特別更新が定例行事となる。
2000年:Google来たる
2000.01.03:モナー誕生
1 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:39
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
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| おまえらも|
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
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2 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:42
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| おまえらも|
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
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3 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:43
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| おまえらも|
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
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4 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:44
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| おまえらも|
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
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5 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/03(月) 15:51
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| お |
∩_∩ | ま |
( ´∀`)< え |
( ) | も |
| | | | な |
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てすと
2000.01.09:『はっぴい!ぱらだいす!』開設
http://www.tam.ne.jp/from_e/
http://ariel.s8.xrea.com/
2002年7月に分離独立した『駄文にゅうす』というコンテンツが有名。独自の情報源によるニュースサイト。
Parallels2(10:00):なるほど。では『駄文にゅうす』開設の動機については?
From E:個人ニュースサイトを見始めてある程度巡回するサイトが増えた頃に、「どうして何処のサイトも同じ様なネタや記事を紹介しているのだろう?他からネタを引っ張らずに独自にネタ探しをするのはそんなに難しい事なのか?」、また「ネットウォッチ板で言われているような、馴れ合い無しでもアクセス数は増えてゆくものか?」とまぁ思った訳ですが、外野からぶつくさ言っていても判らないので検証がてらに始めました。
2000.01.20:『百式』開設
http://www.100shiki.com/
海外のアイデアを毎日発信することがコンセプトのサイト。
『百式』では一日一社、海外のドットコムサイトを紹介していきます。そして、紹介したいのは海外ドットコムサイトの「発想」です。なぜなら、あなたがどんなビジネスをしていても、「発想」だけはあらゆる分野に応用可能だからです。
なぜこの人たちはこんなことを考え付いたのか、そもそも何を解決しようとしているのか。ビジネスモデルの裏に潜んでいるであろう「発想」の部分(あくまで僕の主張ですが)に着目して記事を書いています。
もしよろしければあなたのビジネスにご活用ください。起業、企画、営業、雑談等々のネタに使っていただければ幸いです!
『百式』について(百式)
2000.02.02:『駿河電力』開設
http://www.sukumizu.jp/
元々は東北電力「エコアイス」のマスコットキャラクターの説明とかイラストとかのサイト。03年8月より『駿河電力/スク水.jp』としてニュースサイトになる。
2000.02.13:『活動漫画館』開設
http://members.aol.com/uuggoo/anime/anime.htm
http://www.nosferatu-non.com/
https://nosferatunon.wixsite.com/nonchan
GIFアニメーションサイト。「機動戦士のんちゃん」で見せた脅威の画力と演出力は人々を驚かせた。
2000.02.18:角耳モナー誕生
10 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/18(金) 02:02
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)<
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てすと
2000.02.28:『RG-CONSENT』開設
http://www2.odn.ne.jp/rg/
http://web.kikyou.jp/con/
http://www.rzconsent.com/
http://www.morinono.net/
後の『RZ-CONSENT』『MoRinono』。
Flash職人。2001年に公開した【つきのはしずく】で有名になった。
Flashアニメーションの可能性を示した人で、Flashアニメ四天王の一人。
2000.03.03:『あめぞうリンク』閉鎖
あめぞうウイルスの攻撃を受けていた『あめぞうリンク』がついに閉鎖。
2000.03.07:『メビウスひみつきち』開設
http://www.picnic.to/~mhk/
後の『見下げ果てた日々の企て』。「ギャラクシーエンジェル」オープニングのダジャレ解析等。
2000.03.16:『ふみコミュニティ』サービス開始
http://www.fumi23.com/
https://news.fumi23.com/
小学生から高校生の女子をターゲットにしたコミュニティサイト。通称:ふみコミュ。2003年12月に法人化するほどの人気があった。コンテンツとしては掲示板、チャット、ホームページの作り方講座、フリー素材集等。
SNS化等時代に合わせつつ2017年代までコミュニティサイトとして生き残る。それ以降は女性向けヲタ活情報サイトへリニューアルしたが2020年に消滅。
2000.03.16~2000.05.18:銃夢ハンドルネーム事件
漫画「銃夢」の作者・木城ゆきとが「龍河銃夢」というハンドルネームの人に対し、
ハンドルネーム使用を止めることをメールにて要求した。
木城ゆきとの一方的な意見に批判が殺到。
龍河銃夢はハンドルネームの使用を中止しサイトを閉鎖させたが、
騒ぎが大きくなり、最終的には木城ゆきとが龍河銃夢に謝罪することとなった。
資料:銃夢HN問題を記憶に止めるために
2000.04.01:『山さ行がねが』開設
http://homepage2.nifty.com/yokkiren/
http://yamaiga.com/
廃道系サイト最大手。廃道、廃、廃隧道の探索レポート。只の探索レポートではなく、過去の地図や歴史にも触れ、読みものとして面白い。
このサイトでは、わたしの山チャリ… 道路探索の記録 を、
多くの写真と、臨場感を重視したレポートで綴りました。
東北各地に点在する、忘れられ行く廃道・旧道・隧道、
二度と軋みを上げることのない、廃線や林鉄…
それらの数々を、ごゆっくり お楽しみ下さい。
あなたの傍にも、
いつでも、幾つもの道が、
未知へと続いているはずです。
山行がが、あなたの旅の ミチしるべ となれば、幸いです。
山さ行がねが
2000.04.01:『GIGAZINE』開設
http://keisui.com/GIGAZINE/
http://gigazine.net/
ニュースサイト。元々は個人運営サイトだったが商業に転じた。その手の代表的サイト。
2009年05月27日、『GIGAZINE』は「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売している」という記事を書いた。
楽天は、店舗側へのカード情報提供を認めた。
2010年08月02日、『GIGAZINE』は「【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します」という記事を書いたが、
その内容は求人募集というよりも現社員への愚痴・文句であったため、話題になった。
2000.04.16:『PlayStation mk2』開設
http://kyoichi.ceo-jp.com/ps2/
http://psmk2.net/
このサイトは、雑誌等で見かける専門家ではなく、
私たちゲーマー自らの参加による
PS2ソフトの 「レビュー&攻略」 読者参加型サイトです!
PlayStation mk2
開設時の運営方針は私自身がレビューする予定だったけど
当時、PS2が売り切れて買えませんでした。
このままではまずいと現在のメインコンテンツ、参加型のレビュー投稿を開始する。
もし買っていたら今のような形になっていなかったと思いますね。
資料:Web歴史書 (PlayStation mk2)
2000.04.xx:『POPOI』開設
http://www.fsinet.or.jp/~popoi/
女性が管理人のテキストサイト。
2000.04.xx?:Malty公開
RarUtyライクな統合アーカイバ。ソフト名の元ネタは「ToHeart」の「マルチ」。
ぽこにゃん・DARKFILER・璃樹無・BlackAlbum・謎の形式6つ・猫缶等の偽装・分割に対応。
2000.05.03:西鉄バスジャック事件
2000年5月3日13時、西日本鉄道の高速バスわかくす号(佐賀第二合同庁舎発、西鉄天神バスセンター行き)が、刃渡り約40センチの牛刀を持った17歳の少年にバスジャックされた。 少年は3人を刺し1人が死亡した。この少年は事件直前、『2ちゃんねる』に犯行予告とも取れるスレを立てていた。
1 名前: ネオむぎ茶 投稿日: 2000/05/03(水) 12:18
ヒヒヒヒヒ
佐賀県佐賀市17歳・・・。
マスコミは少年が事件前に『2ちゃんねる』でスレッドを立てていたことを報道。『2ちゃんねる』に対しては否定的な報道であったが『2ちゃんねる』の知名度を上げる結果になった。
資料:西鉄バスジャック事件
(無限回廊 endless loop)
2000.05.24?:『Intermezzo』開設
http://www.i-mezzo.net/
スクウェア・エニックスやガジェットの情報を取り上げるニュースサイト。
2000.05.25:偽ペルソナ計画始動
『Finite Laboratory』の黒衣鯖人は中西巧らが制作したソフトウェア「ペルソナウェア」に対し、正しいコンセプト・良い素材であるのに生かされていないことを嘆き、自ら「偽ペルソナウェア with 偽春菜」を製作・公開することでペルソナウェアのコンセプトの正しさを証明しようとした。
彼は後に偽春菜の開発動機について、こう書いた。
本当はもっとずっと前から作りたいとは思っていた。が、条件が揃わなかった。最後の条件が揃ったのが今年2月ごろ。
動機は、やはり春菜があまりにも凄くなかったことに尽きる。面白いコンセプトを打ち出しながらいつまで経っても進化せず、スケジュールやアラームといったどうでもいいファンクションを付けられ、売りであるネットワーク更新にも大した更新がなく、ニュースを読み切っては黙り込む春菜があまりにも無意味で痛々しかった。凄いものを作れる可能性があったのに、自らそれを破壊した。デスクトップに人を立たせて一体何がしたかったのか?本当に何も考えていなかったのか?
春菜は正しいコンセプトを持っていながら実装不足でデスクトップに立ち続けられなかった。単なる他人の下らないプログラムではなく、あと一歩惜しいところで意味のあるものにならなかったこと、それが腹立たしく悔しかった。実装の不足が生きた素材を殺してしまった。"春菜" は本当は生きて行くはずだった。遺志を継がなくてはならない。
偽ペルソナウェア with 偽春菜 - 開発動機(Finite Laboratory)
2000.06.01:『おめでとう!任天堂』開設
http://www1.linkclub.or.jp/~stskkzty/index2.html
歪んだ任天堂ファンサイト。サードパーティから恐れられる任天堂をヤクザの組に例えるネタは当時よく使われていて、
このサイトもそのネタ。山内社長が親分で今西広報室長が若頭みたいな。
今西室長に成りきって質問に答える「教えろ今西さん」や「今西紘史ファンクラブ」「任天堂人物事典」など。
そして、今西広報室長にサイトの題字を書いてもらったという・・・よくお願いできたな・・・
2000.06.02:『復元プロジェクト』更新停止
一身上の都合により、5月をもちまして開発およびHP運営を終了いたします。 よって新たな形式追加等の要望は実現できないのでご了承くださいませ。 サポートBBSは終了しました。またサポートも期待しないでください。
2000.06.03:『2編ちゃんねる』開設
http://www.nihen.com/
http://megabbs.com/
後の『megabbs』。『2ちゃんねる』ライクなスレッドフロート型掲示板。
2000.06.14:『毒吐きネットマナー』開設
http://www.botan.sakura.ne.jp/~kannmaru/manner/
【「はじめに」と書いて「肝に銘じろ」と読む】でお馴染み。
個人サイト管理人の目線で、閲覧者に気をつけて欲しい事を書き連ねたサイト。
ネットマナーについて書いていると思わせるようなサイト名だが、
実態としては
「サイトの注意事項は必ず読め」「掲示板に書き込むときは初めましてとか、お邪魔しますとかぐらい書け」
「リンクとブックマークはトップページに貼れ」
等、一般的なネットマナーではなく、『毒吐きネットマナー』管理人の個人的な思いが書かれている。
『毒吐きネットマナー』の閉鎖後に、別の人が開設した『毒吐きネットマナーPlus』では『毒吐きネットマナー』の文を隠しページを含めて全文掲載しつつ、その文へのツッコミが追記された。
2000.06.21:『2ちゃんねる研究』開設
http://yokohama.cool.ne.jp/sepadenial/
2ちゃんねるを中心としたネットウォッチ。CNP(Channel News Project)を立ち上げた。
今は2ちゃんねる簡易年表が残っている。
2000.07.04:『ファミコン決死隊』が戦死
ファミコンソフトをサイトにアップロードし、配布していたとして、ファミコン決死隊メンバーが著作権法違反(公衆送信権侵害)の疑いで逮捕される。告訴会社は任天堂。
逮捕されたメンバーはファミコン決死隊の連隊長(サイト管理人)と、特別相談役(都内大手プロバイダー派遣社員男性)、空軍少尉(無職の少年)、コンビニエンスストア店員。
資料:長野県警、“ファミコン決死隊”会員ら4人を逮捕
(ASCII24 )
2000.07.07:フレッツ・アイ(FLET'S・Isdn)本格提供開始
東京と大阪では1999年11月から提供されていた完全定額制インターネット接続サービス。2000年7月からは正式サービスとして全国展開されていった。
2000年7月18日にフレッツ・ISDNに名称変更。完全定額制はテレホーダイユーザーにとっては夢のようである。
しかし、時代が必要としていたのは、こんな低速回線の定額制サービスではなかった。(但し、業務視点ではISDNは重宝された)
資料:ISDN回線によるIP接続サービス「フレッツ・アイ」の本格提供に伴う地域拡大及び「フレッツ・オフィス」の提供開始について
(NTT東日本)
資料: フレッツ・アイ,ADSLを後目に大躍進
(ITmedia)
2000.08.01:『廃墟Explorer』開設
http://www2.ttcn.ne.jp/hexplorer/
メディアに多数出演している廃墟系サイトの雄。書籍も出している。
2000.08.03:『Google』日本語β版登場
2000.08.08:『エンピツ』開設
http://www.enpitu.ne.jp/
レンタルウェブ日記サービス。先発のさるさる日記より地味な存在であるものの令和の時代になっても生き続ける。代表的なサイトは『江草 乗の言いたい放題』。
2000.08.08~2000.09.05:久保帯人事件
漫画家・久保帯人が自サイトの画像をプリントアウトするなと主張。
最近、このサイトの画像をプリントアウトしている 人がいる。というちょっとイヤな噂を耳にした。えーっと・・・・・・。 ここに来てくれる人の中にそんなのがいるなんて思いたくないけど、取り敢えず。止めて欲しい。と言っておきます。
これに対し、 「プリントアウト自体は法に触れない」「個人で楽しむのならいいんじゃないか」 といった意見がよせられると久保は、
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」理由がそれだけじゃ不充分なんだろうか?
と主張した。
さらに2ちゃんねらーを煽ったことで騒ぎを大きくしてしまう。9月4日、久保帯人は謝罪しサイトは閉鎖になった。
資料:久保帯人先生、ジャンプに復活
(バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳)
2000.09.09:『airoplane.net』開設
http://www.ag.wakwak.com/~norinori/
http://park3.wakwak.com/~norinori/
https://airoplane.net/
コラム型個人ニュースサイト。
2000.09.09:詩子様公開
RarUtyライクな統合アーカイバ。ソフト名の元ネタは「ONE」の「柚木 詩子」。
璃樹無・Longinus(DLL要)・Magician2.0・あかね ・C&C・F.C.Sakura・BlackAlbum・WhiteAlbum・T-Tiba・うそぴょんII・猫缶の偽装・分割に対応。
2000.09.12:『Google』日本語版正式サービス開始
GOOGLE日本語検索サービスを開始
数々の受賞に輝くサーチエンジン、グローバル化を推進中
米国カリフォルニア州マウンテンビュー発. 2000年9月12日 -- 急成長中のウェブ上サーチエンジン開発会社Google社 (Google Inc.)は、数々の受賞に輝くGoogleサーチエンジンの日本語版のサービス開始を本日発表しました。このサービス拡張により、全世界のユーザーに日本語サイトでの日本語検索が実現します。日本語ユーザーの方々に世界最高のインターネットサーチを体験していただくため、Googleではプリファレンスを設定して、検索のヒントやメッセージも日本語で表示できるようになりました。
この国際化サービスは、Googleのホームページ(http://www.google.com)でご利用いただけます。ここでメニューから希望の言語を選択すると、即座にカスタマイズできます。Googleの十億以上にものぼるウェブページの索引を検索できるほか、15ヶ国語で作成されたウェブサイトの検索が可能になります。言語の選択は、Googleのウェブサイトに次回アクセスするときのために保存も可能です。
Googleの社長兼共同創設者、Sergey Brin氏は次のように語っています。「日本はインターネットユーザーが2700万人と言われる急成長市場の一つで、Googleを日本語で提供できることを本当に嬉しく思います。シンプルさ、包括性、客観性、それに的を得た検索結果への私どものこだわりは、世界のユーザーのニーズを満たしています。きっとGoogleの機能にご満足いただけることと思います。」
Larry PageとSergey Brinが考案したGoogleは、インターネットの世界規模の普及に対応するように設計されています。1998年9月にベータサイトとして開始し、翌年には商業ウェブサイトとしてオンラインスタートを切りました。そのデビュー以来、Googleサーチエンジンは、全世界に熱心なユーザー基盤を築き上げました。この成功は、ワールドワイドウェブの月次アクセス数の大幅な増加、業界からの表彰、そして顧客の支持によって今後も続きます。Googleウェブサイトのアクセス数のほぼ半分は、アメリカ以外のユーザーからのものです。
Googleのサーチエンジンは、インターネット接続機能のあるモバイル電話などワイヤレスデバイスをはじめ、どんなコンピュータでも、シンプルで高速で的を得た検索結果を提供します。そのメリットは優れた操作性、すっきりとしたインターフェース、ユーザーのクエリーに対する的を得た検索結果です。 Googleは、一番重要な結果が常に先頭に表示されるように革新的なテクノロジーをベースとしています。Googleの検索サービスの原動力である集中性とテクノロジーを駆使し、Googleはインターネットの拡大と共に向上し続けます。
2000.09.13:『俺ニュース』開設
http://www13.xdsl.ne.jp/~techle/
techleが『自動アンケート』でアンテナ低いと煽られたことがきっかけ。やがて最大手の孫ニュースサイトに。
資料:俺ニュースのミラー
2000.09.22:WindowsMe発売
2000.09.23?:『駄目虫超』開設
http://kyoto.cool.ne.jp/konkou/
http://csx.jp/~damemushi/
素材やイラストを置いていたサイト。後の『電影駄目虫超』。2004年9月に公開した空耳系Flash動画【マイヤヒー】が大ヒット。
権利者に無断で楽曲をFlashで利用する、いわゆる黒フラッシュであるが、これが公式に認められ、
エイベックスが販売した「DISCO-ZONE~恋のマイアヒ~」に収録される。前例の無い快挙。然し、これがのまネコ問題へと繋がっていく。
2000.09.29:『日本の新着情報』更新終了
このページは2000年9月29日を以って更新を終了することになりました。
現在あるコンテンツは、当分の間は従来どおりご覧いただくことができます。
長い間ご利用ありがとうございました。
日本の新着情報
2000.10.23:『DerAngriff』閉鎖
というわけで、さよならです。私は消えます。皆さん、どうもありがとうございました。
新・Der Angriffは、すべてのネットワーカーの共有財産となりました。それぞれに育ててみてくださいね。
∩_∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ( ´∀`)< それじゃヽ(´ー`)ノ♪
( ⊂ ⊃ \_______
( つ ノ ノ
|(__)__)
(__)__)
Der Angriff
2000.10.23:河上騒動
『VAJRAYANA 真理の探究』の西村新人類が河上イチローの正体を暴露。河上イチローの正体はオウム真理教信者「カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァ師補」。河上のサイト『DerAngriff』は、始めは『STOP!STOP!破壊活動防止法』という名であった。彼は破防法に反対していたわけだが、なるほど、彼は公安が破防法を適用しようとしていたオウム真理教の信者であった。
2000.10.30:そ公開
統合アーカイバ。元ネタは「kanoso」(kanonではない!)の「月宮(つくみや) あゆ」。
BlackAlbum・C & C・DarkFiler・うめ~このみかん・猫缶・璃樹無・なぞじゃむ (dll要 )・Longinus ( dll要 )の偽装に対応。
2000.11.01:『Amazon.co.jp』サービス開始
1995年にアメリカでJeffrey Preston Bezosが開店したインターネット書店『Amazon.com』の日本サービス。
資料:Amazon.comが日本でのサービスを開始、まず和洋書の販売から
(INTERNET Watch)
2000.11.12:『日記猿人』の新名称決定。『日記才人』
http://www.nikki-site.com/
ばうわうが『「日記猿人」という言葉は自分が考えた』として『とほほ日記』を『日記猿人』に改名してから、
『日記猿人』というサイトは2つ存在することになってしまったわけだが、
登録型日記リンク集のほうの『日記猿人』が2000年8月に新名称を募集。同年11月12日に決定。新名称は『日記才人』(「才人」は「さいと」と読む)。
2001年1月1日の新システムリリースと共にサイト名を変更した。
2000.11.29:『九十九式』開設
http://members.jcom.home.ne.jp/type99/nj/
http://type99.net/
『九十九式』の99は1999年に批評サイトを開設した事が由来。
2000.11.xx:『CD-R実験室』開設
http://homepage2.nifty.com/yss/
CD-R、DVD-Rドライブ買いまくりなドライブ購入歴が凄すぎる。圧倒的なドライブ所有数を武器にSafeDiscなどのプロテクトに果敢に挑戦するサイト。
2000.12.01:『楠木坂コーヒーハウス』開設
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/
http://kyoko-np.net/
嘘ニュースを新聞の記事調に書いたコンテンツ『虚構新聞社』が有名。
嘘だけども本当にありそうなところをついたネタに本気でだまされた人も。
ネタで書いたものが現実化してしまったものもある。
連合サイト「楠木坂コーヒーハウス」へようこそ。
ここは管理人UKがその時々に思ったこと、挑戦したことををあてなく綴っているテキスト系サイトです。
その時々で、書評を書いてみたり、ドラクエを変な解き方でプレイしてみたり、思い出を書き綴ってみたり、まあ、その他にもなんかいろいろやってきました。多分これからもいろいろやっていくんじゃないかと思います。
このサイトについて(楠木坂コーヒーハウス)
2000.12.05:『へっぽこ実験的ホームページ』開設
http://www.biwa.ne.jp/~you-13/flash/
http://www.geocities.jp/hasami_san/
モナー達をFlashで動かすという斬新なアイデアを披露していった(V)o\o(V) のサイト。
2000.12.16~2000.12.30、2001.01.07:第1回痛い度ランキング選手権
『兄貴の館』主催で行われた、痛い系サイトの中で最も痛いサイトどこかを決めるという選手権。 優勝は『兄貴の館』。「ホモゲー大好き」というわけの解らない属性を持つ人なので優勝は当然か。 兄貴はテキストサイト界に痛い系という分野を切り開き、且つ、その頂点に君臨するという偉業?を成し遂げた。
2000.12.24~2000.12.25:クリスマス殲滅委員会2000
前回を上回る108の痛いサイトが参加した非モテ系クリスマス特別更新イベント。
2000.12.31~2001.12.31:インターネット博覧会
政府主導で行われたインターネット博覧会。通称「インパク」。インターネットの普及を図り、コンテンツの充実を促す事が目的とされた。
荒俣宏、糸井重里、石井竜也、栗山英樹、清水ちなみ、田口ランディ、5代目中村勘九郎等の有名人を参加させた。
堺屋太一経企庁長官の「インパクは世界初の試み」という発言は、
1996年に開催された「インターネット1996ワールドエキスポジション」を無視するもの、あるいは知らないものであり、始まる前から失敗を予感させるものであった。
会期中は、コンテンツにFlashや画像が多く使われた事から、「サイトが重い」と非難され、終わってからは
「110億円と言われる税金投入に見合う効果があったのか」と非難された。
また、http://www.inpaku.go.jp/を会期終了わずか1カ月で削除した事も非難された(インターネット1996ワールドエキスポジションは20年経ってもまだ見れるのに!)。
資料:インパクの“失敗”を総括する そして消え去ったインターネット博覧会(ITmedia エンタープライズ)
資料:インターネット博覧会「インパク」はそれからどうなったのか(Timesteps)
2000.12.xx?:『ほたて製作所』開設
http://hotate.s1.xrea.com/
http://hotate.org/
後の『ホタテプロダクツ』。2001年10月17日から羅列形式でFlash動画の紹介を始める。Flashニュースサイト御三家の一角。
2001年:テキストサイトブーム
2001.01.18:『侍魂』開設
http://www6.plala.or.jp/private-hp/samuraidamasii/
一大ブームを巻き起こしたテキストサイト。計算されたテキストで計算通りに人気となった。笑いどころに大きいフォント・派手な色を使うことで文章に強弱を付ける「ABC文法」に改行の大胆な使い方をプラスすることで、お笑いで最も重要な「間」を出すことに成功。ここに「フォント弄り」技法は完成し、それを用いて数々の名テキストを公開。特に先行者ネタは大ヒット、テキストサイトに興味が無かった人達を引き込んでいき、テキストサイトブームのきっかけを作った。 2001年1月に登場し、その年いっぱいまで活躍。2002年以降は健の就職により、更新停止に近い状態。このサイトの影響でフォント弄りを駆使したサイトが数多く登場したが多くはすぐに消えていった。
毎日更新はできないと思いますが日記形式にしたことによりあるていどの更新速度は保ちたいと考えております、もしよろしければブックマークに侍魂をよろしくお願いします
2001.01.19?:WARUty公開
RarUtyライクな統合アーカイバ。ソフト名の元ネタは「ToHeart」の「マルチ」。
ちちば・猫缶・BMP忍者(Level4)・F.C.Sakura・垢ね・C & C・Magician・璃樹無の偽装・分割に対応。
2001.01.25~2001.03.xx:偽春菜騒動
2000年10月7日、「ペルソナウェア with "春菜"」の開発母体「春菜プロジェクト」が法人化され、プラエセンス株式会社となった。プラエセンスは「ペルソナウェア with "春菜"」を有料化した。 2001年1月25日、翼システムは、「プラエセンス株式会社 代表取締役 水谷貞治」「翼システム株式会社 代表取締役 尾上正志」の連名で、 「偽ペルソナウェア with 偽春菜」の黒衣鯖人に対し、偽春菜の公開停止と「ペルソナウェア」「春菜」「 haruna 」などの名称の使用中止を求めるメールを送信した。
前略
1 プラエセンス株式会社(以下「当社」といいます。)は、「春菜」と称する キャラクター等が登場する「ペルソナウェア」というソフトウェア(以下「当 社ソフトウェア」といいます。)にかかる著作権の管理権限を有し、当社ソフ トウェアを、当社の運営にかかるホームページ (URL: http://www.personaware.gr.jp )等にて販売しております。 当社ソフトウェアは、1998年窓の杜大賞インターネット関連部門賞を受賞す る等、極めて好評を博しており、当社ソフトウェアが「ペルソナウェア」とい う名称、キャラクター「春菜」とともに、広く知られたものであることは貴殿 もご承知のことと存じます。2 当社の調査によれば、貴殿は、「あれ以外の何か with "偽春菜"」と題する ホームページ( URL:「 http://www.cc.rim.or.jp/~finite_l/haruna/indexj.html 」。 以下、同ホームページ及びこれにリンクする貴殿の運営にかかるホームページ をまとめて「本件ホームページ」といいます。)において、当社ソフトウェアと 類似の内容を有する偽ペルソナウェア「あれ以外の何か with "偽春菜"」と称 するソフトウェア(以下「本件ソフトウェア」といいます。)を配信していま す。
本件ソフトウェアの「偽春菜」と称するキャラクターは、当社ソフトウェア の「春菜」と称するキャラクターに依拠して作成されたものであることは明ら かであり、貴殿は、本件ソフトウェアにおいて、当社ソフトウェアのキャラク ターを、権限なく、翻案ないし改変しています。これらの行為は、当社ソフト ウェアに係る翻案権ないし同一性保持権を侵害するものであり(著作権法27条、 20条1項)、本件ソフトウェアを配信する行為は、著作権侵害行為に該当するも のと考えます(同法28条・23条1項)。3 また、貴殿は、本件ホームページのURLに「haruna」の文字列をそのまま使用 し、また、本件ホームページにおいて、「ペルソナウェア」及び「春菜」の表 示を多数使用しています。これらの表示は、当社ソフトウェアと本件ソフトウェ アとの間に誤認混同を惹起するおそれがあるのみならず、当社ソフトウェアの イメージを低下させるおそれがあり、不正競争防止法2条1項1号又は2号所定の 不正競争行為に該当するものと考えます。
4 翼システム株式会社は、商標「ペルソナウェア」につき、商標登録出願第 2000-68753号、同第2000-107661号及び同第2000-100450号を出願済みであり (願書の写しを別にお送りします。)、本書状をもって、商標法13条の2所定の 警告をいたします。
5 したがって、私どもは、貴殿に対し、本件ソフトウェアの配信を直ちに中止 すること、本件ホームページ上又はホームページのURLにおける「ペルソナ ウェア」、「春菜」、「haruna」その他これらに類似する表示の使用を直ちに 中止することを要求します。
6 上記に対する貴殿のご回答を本メール受領後1週間以内に、連絡先: プラエセ ンス株式会社 中西 巧( nassie@tsubasa.co.jp )宛にお送り下さい。その折に は、貴殿又は経営主体の氏名ないし名称、住所ないし本店をあわせてご連絡下 さい。なお、上記期間内にご回答なき場合は、当社としても、断固たる措置を 採用せざるを得ませんので、ご承知置き下さい。
あれ以外の何か with さくらとも呼ばれるひと(Finite Laboratory)
これに偽春奈ユーザーが怒り、抗議するサイトが複数発生した。また、「あれ以外の何かwith“任意”」ユーザー有志が署名兼公開質問状をプラエセンスに送付した。
2001.02.03:加藤紘一、個人サイトのオフ会に現る
加藤紘一事務所が企画した「加藤紘一をあなたの町に呼んでください」に『TERRAZIとゆかいな仲間たち』が応募して実現したもの。
大物政治家が個人サイトのオフ会に出た初めてのケース。
このオフ会参加について加藤は自身のサイトで「名刺交換無く、肩書きも無く、こんなふうに人と人とがコミュニケーション出来る事が新鮮な体験であり、大発見であった。カルチャーショックを受けた」 「IT革命が叫ばれているが、この革命の本質は「人と人との深いつながりを可能にする」ことにあるのかも知れない」と感想を書いた。
2月3日、メールで申し込みを受けた、インターネットサイト「TERRAZIとゆかいな仲間たち」の「オフ会」に行ってきました。場所は東京・池袋西口はロサ会館3階の居酒屋「大馬鹿地蔵」。店の名前に臆したわけではありませんが、正直言って、最初は不安感が胸をよぎりました。サイトでの1行知識やコメントでは、どんな会になるのかさっぱり見当がつかなかったからです。
それでも事務所の若いスタッフに強く勧められ、「7割興味」「3割不安感」で会場に向かいました。でも、まだ不安だったのでしょうか、途中で先乗りしている秘書に携帯で様子を聞きましたら、何のことはない、名刺を交換する間もなく、すでに参加者の人たちとなごんでいる、とのことでした。案に違わず、私も会場に入ってすぐに、会場とそのメンバーにうち解けていました。名刺交換もなく、肩書きもなくこんなふうに、人と人とがコミュニケーションできるということは、私にとって、ほとんど初めての新鮮な体験であり、その意味でも大発見でした。カルチャーショックを受けました。
このTERRAZIさんが主宰するサイトが、オフラインの会を開くのは初めてのことで、日にちはこの日と決まっていたのを、私のサイトの「全国行脚受付」を見て応募し、仲間の方々にメールを流したとのことです。「最初は7~10人の参加予定だったのですが、加藤さんが来るというので、こんなに集まったのですよ」と言ってくれて、気を使ってくれているなと思いつつも、嬉しくなりました。事実、居酒屋の個室は40人もの若者でいっぱいでした。平均年齢は23、4歳。女性も3人ほどいました。皆さんそれぞれに初めての出会いにもかかわらず、日頃メールを交換している間柄のせいか、とてもうち解けたいい雰囲気をかもしだしていました。
司会者の方の挨拶後、すぐに私への問いかけが始まりました。いずれも社会や政治を真剣にとらえた質問と意見でした。政党には興味を感じないものの、政治についてはまじめに考えており、政治家についても大臣を経験したかどうかという肩書きや経歴の立派さより、どんな発言、メッセージを出しているかに関心を抱いているようでした。私も聞かれるままに、時間を忘れ、3時間近く「森喜朗論」「年金問題」「台湾問題」などを述べましたが、率直な感想は、人と人が同じテーマについて話し合うことがいかに大事かということと、人と人とは話し合わなければ、なごまないものだということでした。そして何よりも、見ず知らずの人間どうしがこの国の現状と将来について真剣に話し合う時間と空間が存在する、私は、この国はまだそんなに見捨てたものではないな、と実感しました。
IT革命が叫ばれていますが、この革命の本質は「人と人との深いつながりを可能にする」ことにあるのかも知れません。「意見を持たない」「話さない」というのが、これまでの日本人のイメージだったのですが、これは、いま完全に変わりつつあります。音を立てて変わりつつあります。その意味では、これまでの党や団体などの組織を通 じてのタテ型の選挙パターンに大きな変化が起きることは必至です。
30人、40人の人と、いや10人、20人の人とも真剣に語ることが、この国を改革してよりよい社会を生み出していく「原点」、そこで出された思いやテーマは、必ず何百人、何万人、いや日本人全体の課題に通 ずる、これが今回「TERRAZIとゆかいな仲間たち」の「オフ会」に参加して、強く感じたことです。私は、この信念を抱き、さらに改革のための活動を続けていくつもりです。
『東京都池袋にて』加藤紘一からのメッセージ~2月7日~(加藤紘一オフィシャルサイト<<改革の広場>>)
資料:「『東京都池袋にて』加藤紘一からのメッセージ~2月7日~」
「「加藤の乱」の故・加藤紘一氏を池袋のクソやっすい居酒屋のオフ会に呼んだらカルチャーショックを受けていた話」
「続・加藤紘一氏をオフ会に呼んだらカルチャーショックを受けていた話」
2001.02.14:『バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳』開設
http://tiyu.to/
「ゲップもしなければトイレにも行かない。理想的な新世紀のアイドル!」の「ちゆ」がお届けするサイト。
オタク・サブカルネタから政治ネタまでこなす守備範囲の広さと、面白文に加工する技術に長ける実力派。
『裏ニュース』『TECHSIDE』『ムーノーローカル』からのリンクにより一躍有名となった。
その影響力は凄まじく、「量産型VNI」と呼ばれる『ちゆ12歳』と同じサイトデザイン(ちゆフォーマット)を用いた模倣サイトが大量発生することになった。
はじめまして。私は、仮想世界に生きる”電子の妖精”ちゆといいます。実体を持った女性よりも空想の美少女が好きだ!という二次元コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアイドルです。どうかよろしくお願いします
2001.02.14:2・14事件
「リーフフフ製作委員会・シナリオ局」スレッドにてLeaf社員が書き込んでいる掲示板の存在が明らかにされ、 アップローダーにそのログ「552.txt」が上げられた。この552文書により、Leaf内部のゴタゴタが明らかになり、葉鍵板は祭りになった。
24 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 2001/02/14(水) 20:02
この企画、マジなの?
マジでリーフフフ開発するつもりなら
陣内ちからが自分のFTPディレクトリにこっそり置いていた
リーフ社員だけの掲示板のログアップするところなんだが…
完成したら面白そうだもんな、リーフフフ。
リーフフフ製作委員会・シナリオ局
資料:552文書 (Leaf&Key仮想戦記 保管HP)
2001.02.15:『All About Japan』開設
アメリカのサイト『About.com』の日本版。About.comとリクルートとの合弁会社「(株)リクルート・アバウトドットコム・ジャパン」が運営。
2001.03.03:『侍魂』先行者ネタを公開
中国で作られた突っ込みどころ満載な謎のロボット「先行者」。『侍魂』はこの先行者を面白おかしく紹介。この記事によって『侍魂』は超大人気。テキストサイト界隈は一気に活性化。第二の侍魂を目指すテキストサイトが多数発生した。
資料:最先端ロボット技術、最先端ロボット技術外伝
(侍魂)
なお、GIFアニメの制作者「悠」とは後に俳優としてアメリカで活躍する松崎悠希である。
2001.03.03~2003.03.xx:テキストサイトブーム
大手テキストサイトの活躍により、テキストサイトが急増。
特に『侍魂』のフォント弄りを模したサイト、『ちゆ12歳』のサイトデザイン(ちゆフォーマット)を模した量産型VNIサイトが急増した。
テキストサイトの急増は同時に「大手サイトの形だけを真似した低質サイト」を多く生み出すこととなった。
周りの迷惑を試みない活動をする「脳死」やアクセス数を稼ぐ事を優先する「アクセス至上主義」はサイト間の揉め事の原因となる。
2002年に入り、重要サイト達の更新頻度が落ち始める。『侍魂』は更新停止に近い状態になり、『兄貴の館』は3月末で閉鎖した。
量産型VNIは『ちゆ12歳』の更新頻度が落ちたにも関わらず増加を続けるも、「形だけ真似した低質なサイト」を原因とした揉め事がおき、活力が失われていく。
2003年1月、テキストサイトブームが生み出した最後の大物サイト『テキッ娘。』は廃れていくテキストサイト界にカンフル剤をうつべく登場したが、
それも志半ばで倒れ、ブームは終わっていく・・・
2001.03.05:『さくら基金』開設
http://sakura-kikin.mikage.to/
黒衣は「あれ以外の何か(旧偽春菜)」公開にあたって、万一裁判が行われた時の準備を目的として募金を集った。
その活動に手を貸したのが佐川豊秋(とよぞう)だった。
佐川はパームトップPCを製作する企画「Morphy One」を立ち上げ、購入予約者や出資者から約7000万円という巨額の資金を集めたが、
期限を過ぎても試作品すら完成していない状況であった。
つまり、そうとう胡散臭い人間がさくら基金に関わることになった。
「Morphy One」の予約者からは佐川に対し「オマエはそんなことやってる場合じゃないだろ」との声がでる。
2001.04.05:『窓の杜』が「UD Agent」を紹介
パソコン使用時のCPU余剰処理能力を使用して解析を行い、薬の開発に役立てる「UDがん研究プロジェクト(United Devices Cancer Research Project)」。
そのクライアントソフト「UD Agent」を『窓の杜』が紹介。
同日、『2ちゃんねる』住民が「Team2ch」としてUDに参加。
4月7日には『TECHSIDE.NET』、4月9日には『絶対サポセン黙示録』、4月12日には『Yen-e JAPAN』(偽春奈のコミュニティ)と参加していった。
特に「Team2ch」は世界一の解析数を誇るチームとなる。2001年は「Team2ch」が解析数トップを独走していたが、2002年に米『Easynews』がUDに参加してからは2005年前半まで熾烈なトップ争いを繰り広げていた。
資料:インターネットに接続されたパソコンを医療研究に役立てるソフト「UD Agent」
(窓の杜)
2001.04.07:吉野家コピペ誕生
『Not Found』(http://www2.diary.ne.jp/user/69964/)で吉野家コピペの元となる文章が書かれる。
新作出来ました!人生とはセパタクローである、ってやつなんですけど。
聞きたいっすか、いいっすか、そうですか、遠慮しますか。分かりました。
と、まあそんなこんなで、アクセス者の95%がメガネという
脅威のサイトN・FOUND、今日も始まったわけですけど。
昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。
PS.ACさんお金貸して下さい。
資料:吉野家コピペの歴史
2001.04.19:tDiary制作開始
ただただしが制作した日記ツール。この時期ですでに「ツッコミ」という名のコメント機能と「本日のReferer」機能を備えていた。 2011年4月に「あと15年間はtDiaryを開発を続ける」と宣言。
2001.04.22:『かーずSP』開設
http://www28.freeweb.ne.jp/play/karzusp/
http://isweb28.infoseek.co.jp/play/karzusp/
http://hw001.gate01.com/karzu/
http://www.karzusp.net/
初期はゲームのセーブデータとレビューがメインコンテンツ。やがてFlash動画に強いニュースサイトへ。3大個人ニュースサイト「KKG」の一角であり、Flashニュースサイト御三家の一角でもある。
[1] うぐぅ 投稿者:かーず 投稿日:2001/04/29(Sun) 02:11
てすと
http://www28.freeweb.ne.jp/play/karzusp/
2001.04.26:『優駿達の蹄跡』開設
http://ahonoora.com/
競走馬達の血統表と成績が載っているサイト。その情報量には圧倒される。驚愕すべき個人サイト。
『Yahoo!JAPAN』や『netkeiba.com』等の商業サイトが競走馬情報を充実させた後も存在価値を保ち続ける。
このサイト「優駿達の蹄跡」には競走馬の血統、戦績、種牡馬成績表、
レースの歴代勝ち馬一覧、レースの全着順がまとめられております。そこにあるのは、一見無愛想な表と見えるものかもしれません。
しかし、優駿たちの蹄跡をたどれば、
デビュー以来いかにライバル達と鎬を削りあい、
いかに栄光を勝ち取り、あるいは挫折を味わったか。
そのような馬達の「生き様」が、はっきりと映し出されてくるのです。我々競馬ファンは、名馬を記憶として心の中に留めることが出来ます。
心の中の記憶は、名馬たちが残した記録を眺めることによって、
より鮮明に、瞼の裏にまで浮かんでくることでしょう。また、あまりその馬についてを知らないという人にとっても、
名馬たちの戦績表がその馬の個性を物語ってくれることでしょう。このサイトが、少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
はじめに(優駿達の蹄跡)
2001.04.28:『山本総翼右ムェゲ』閉鎖
首相官邸に呼び出されて Dr. マシリト(小泉首相)にこっぴどく叱られたため、2001/4/28 をもって当サイトの更新を終了しました。
遠藤雅伸氏と当サイト閉鎖の関係が噂されているようですが、 体の関係以上は何もありません。
党首の遺言:「サイト閉じた後に遠藤さんの話を知ったよ。国民の諸君、遠藤氏に迷惑かけんように」。
館號弐 翼右ムェゲ
「遠藤さんの話」とは2chスレで山本総翼右ムェゲの管理人の所属と名前を 遠藤雅伸(ゼビウスの作者)が書いてしまったこと。
2001.04.xx:『絵日記でもかいてみようか』開設
http://enikkidemo.com/
絵日記サイト最大手。ほのぼのひとコマ絵日記。
2001.05.09:『スラッシュドットジャパン』開設
米『Slashdot』の日本版。後の『スラド』。
Slashdot Japan について
このサイト(Slashdot Japan)は、US の人気サイトである Slashdot の日本語版 として、2001年5月28日に運用を開始しました。
Slashdot は、Rob "CmdrTaco" Malda 氏と Jeff "Hemos" Bates 氏によって 1997年に開始されたハイテクオタクのためのニュースと雑談のためのサイトです。 月に3000万ページビューを叩き出すマンモスサイトですが、実はそのほとんど は、多くのボランティアと熱心なタレコミとコメントを繰りかえすユーザによって 支えられています。
CmdrTaco と Hemos は、1999年の6月に自身が運営していた Slashdot を Andover.net 社に売却しました。彼らの資財で運営できないほどにサイトが 巨大になってしまったからです。ですが、彼らは Slashdot のデザイン、 レイアウト、内容についての権限を一切手放しませんでした。Slashdot は、 Slashdot のコミュニティに集うみんなのサイトであり、真にオープンな サイトでなければならないからです。
その後、Andover.net は、2000年の2月に VA Linux Systems に買収され、 現在 Slashdot は VA Linux Systems 社が立ち上げた OSDN の一角を担う サイトとして運営されています。OSDN は、オープンソース文化を広める というただ一点の目標にむかって運営されており、その中で Slashdot は、 オープンソース・ジャーナリズムとも表現されることのある自由な議論 と報道の文化を広めることを目標にしています。オープンソース・ジャーナ リズムについては、 HotWired の記事に触れられています。
Slashdot Japan は、彼らの考えを尊重し、できる限りユーザに自由な 議論と報道の場を与えることを目標にしています。システムの運用に ついては、 VA Linux Systems ジャパン(株)が担当し責任を負いますが、コンテンツ についてはユーザの意思に依存します。つまり、誰もが自由に記事を投稿し、 コメントし合うことができます。さらにモデレーション機能によって、 他人のコメントを批評し合うという制度も設けています。
最後に、このサイトに書かれているニュース記事の内容は、無保証です。
Slashdot Japan について(スラッシュドットジャパン)
2001.05.14:『タブブラウザ推奨委員会』開設
http://members.tripod.co.jp/TabBrowser/
http://tabbrowser.ktplan.jp/ainulindale.html
http://tabbrowser.info/
当サイトは、まだタブブラウザを知らぬ人、及び、よりよく知りたい人の為に作られた。
当サイトでは、主にWindows版のInternetExplorer(以下IE)のコンポーネントを
用いたタブブラウザについて語られている。
このサイトにある情報はMac、また他のOSの使用者には全く役に立たない。
About(タブブラウザ推奨委員会)
2001.05.16:『錦織組サポーターズクラブ』開設
http://fox.zero.ad.jp/~zam70113/
http://www.kaeruotoko.com/
後の『蛙男商会』。【菅井君と家族石】【秘密結社鷹の爪】で有名になる。
2001.05.xx:『Wikipedia日本語版』登場
一般人が共同で執筆・編集して作り上げる百科事典『Wikipedia』に日本語版が登場。 2001年~2002年時はまだ無名であった日本語版Wikipediaであったが2003年に『Wired News』や『スラッシュドット・ジャパン』で紹介され一気に知名度をあげることに。
2001.05.xx?:『NuBoNBA』開設
http://www1.vis.ne.jp/~nubonba/
『2ちゃんねる』ネタやFlash動画を紹介していた個人ニュースサイト。Flash動画紹介サイトの先駆け。
管理人のhayatoは後にプロブロガーのイケダハヤトとして一躍有名に。
(Flash動画を紹介サイトとして有名になったのは2001年だがサイト自体はこれ以前から存在?)
2001.06.01:『MARU PRODUCTION』開設
http://www5c.biglobe.ne.jp/~maru-p/
http://maruproduction.com/
イラストレーター。Flash動画【吉野の姫】は多くのコンテストで賞を獲得。
2001.06.08:i-drive、個人向けサービスを停止
2001.06.14:小泉内閣メールマガジン創刊
毎週木曜日に発行。創刊号は78万部。200万部を超えていた時期もあった。2006年9月21日の第250号が最終号。
● メールマガジンの創刊にあたって
小泉純一郎です。私のことを「変人」とかライオンのような髪型ぐらいし か知らない方も多いのではないでしょうか。この「小泉内閣メールマガジン」 で、小泉内閣の素顔を知って頂きたいと思います。
私の内閣は「改革断行内閣」です。この改革の成功には、皆さんとの対話 が不可欠です。メルマガで、私の、そして小泉内閣の考えをお伝えし、また 皆さんのご意見もうかがい、この国をどのような国にしていくのか、世界や 子どもたちに誇れる国にするにはどうしたらよいのか、住みやすく、働きや すく、憩いのある国に向けて何をするべきなのか、是非、皆さんと一緒に考 え、実現に向けて努力していきたい。見直すべきものは見直し、守るべきも のは守り、よい国を創っていきたい。それが小泉内閣の目指すものです。
私は、改革の過程を皆さんに明らかにし、広く理解と問題意識を共有して いきたい、「信頼の政治」を実現していきたいと考えています。情報をどん どん発信します。皆さんからのご意見、ご提案を歓迎します。そして一人ひ とりが「本当に日本はいい国になったな」としみじみと感じる、そんな国を 築いていきましょう。
メルマガも最初から完璧なものはできません。まず、できることから始め、 皆さんの意見を取り入れ、どんどん良いものにしていくというのが私の考え です。小泉内閣の政策も最初から完璧なものはできません。皆さんの意見を 取り入れ、よりよいものにしていきます。
皆さんの積極的な参加をお待ちしています。
2001.06.17:『D-STUDIO』開設
http://yoga.tripod.co.jp/diary.htm
http://yogatori.com/
後の『ヨガ鳥』。
『ヨガ鳥』はFlash動画【戦え!キッコーマソ】や
【(゚∀゚)ラヴィ!!】等で有名に。
【戦え!キッコーマソ】は外国でも大ウケし英語版Flashも製作した。
Sun 17 Jun,2001
Diary of A Madman
このページを作成。「のんびり」をモットーにすすめていこうと思う。まずは日記。タイトルは"Diary Of A Madman"と命名。言わずと知れたオジー・オズボーンの名曲からの引用だが、今後、私が書いていくだろう内容が表題の通り「狂って」いかないことを祈る。
"Diary" of A Madman(D-STUDIO)
2001.06.29:『スレの杜』開設
http://park16.wakwak.com/~vgwei/
2chスレ紹介サイト最王手。
サイト更新停止前の最期に紹介したスレは「ちんこ音頭に投票してカラオケ入りを実現しよう」。後にスレを紹介しない普通のブログになった。
2001.06.30:『僕の見た秩序。』開設
http://www.dfnt.net/
元々は写真素材+日記サイトで2002年10月までの日記は普通の日記だったのだが11月からフォント弄りを多様するようになり、11月中には現在のスタイルを確立する。その後は快進撃。連載、ライブ、出版、グッズ販売と勢力的に活動。テキストサイト界のみならずWEB界全体からみても最も成功した個人サイトの一つといえる。『侍魂』が現れて以降フォント弄り技法が流行し多くのサイトがその技法を真似、そしてその多くが技法を生かせず消えていった中、僕秩はフォント弄り技法を生かし、元々持っていた画像加工技術と組み合わせて僕秩のスタイルを確立した。
開設当初のサイト名は『わしぺーじ。』
2001.06.30:『OCNnavi』サービス終了
日本のインターネット黎明期を支えた登録型ディレクトリ検索サービス『NTT DIRECTORY』。役目を終える。
2001.07.01?:『宇佐教授の無駄学研究室』開設
http://www.lares.dti.ne.jp/~usagiinu/
http://www.saturn.dti.ne.jp/~wooser/
動物的なキャラクターを使ったテキストサイト、その1。うーさーというキャラクターを使ったテキストサイト。
うーさーの凄いところは後にアニメ「うーさーのその日暮らし」のキャラクターになったところ。これほど出世するとは。
2001.07.06~2001.07.10:クゼナルト問題1
2000年に開設したクゼナルト(久世)のサイト『脱オタクファッションガイド』はオタクが変身する為の指南をするサイトである。
「(ウェブで)初めてのファッション入門サイト」を自称したこのサイトは大きな話題となり、小学館からの取材を受け、ビッグコミックスピリッツで竹熊健太郎を変身させる企画が実施されたほどであった。
一方で1998年に開設したくもざるのサイト『いちからはじめるファッション入門マニュアル』(はじめてのファッション@ぁゃιぃ→)は『あやしいわーるど』の掲示板発祥のサイトである。
サイト名の通りファッション入門サイトであり、『脱オタクファッションガイド』よりも先行サイトであった。
つまり『脱オタクファッションガイド』が自称する「(ウェブで)初めてのファッション入門サイト」は事実とは違う。
しかもクゼナルトは『いちからはじめるファッション入門マニュアル』の存在を知っていた上で自称していたのである。更には内容をパクっているのではとの疑惑があがった。
『いちからはじめるファッション入門マニュアル』の閲覧者(『あやしいわーるど』掲示板住民)は『脱オタクファッションガイド』とクゼナルトに不快感を示した。
これに対しクゼナルトは「パクリパクリ」ってウチを批判しなきゃ、某サイトの人達はアイデンティティを保てないんですか?」と煽った。
『いちからはじめるファッション入門マニュアル』の閲覧者とクゼナルトは掲示板で直接対決し、クゼナルトはパクリを認めなかったものの「初めてのファッション入門サイト」が事実とは違う事を認めた。
クゼナルトは『脱オタクファッションマニュアル』に謝罪文を載せた。
資料:『脱オタクファッションガイド』にあるパクリ疑惑と関連騒動について今更振り返る(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
2001.07.15:『カトゆー家断絶』開設
http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/
毎日かなりの数のニュースを取り上げるサイト。ゲーム、アニメの話題が多い。3大個人ニュースサイト「KKG」の一角。
2001.07.15:『人力検索サイトはてな』開設
人が答える検索サイト。
2001.08.06:『AA大辞典(仮)』開設
http://members.tripod.co.jp/maruheso/aadic/index.html
http://members.at.infoseek.co.jp/maruheso/aadic/
『2ちゃんねる』のAAまとめサイト。「AA大辞典をつくろう」スレ発祥。2003年には書籍化された。
2010年11月1日の「インフォシーク iswebライト」サービス停止に伴うサイト消滅後もミラーサイトが存在する。
369 名前: ( ´∀`)さん 投稿日: 2001/08/06(月) 02:41
>>1 まとめたよ
http://members.tripod.co.jp/maruheso/aadic/index.html
>>1-355 THANKS370 名前: ( ´∀`)さん 投稿日: 2001/08/06(月) 02:58
>>369
おお!すばらしい。371 名前: ( ´∀`)さん 投稿日: 2001/08/06(月) 03:01
>>369
良くぞやってくれた!!素晴らしい!!
AA大辞典をつくろう
編集人著
編集していて気づいたことは、かなりのAAがあり、
私もモナー板の住民ですが、知らないAAがたくさんありました.
まだまだ未完成ですので、今後も多くのAAを投稿してください.
投稿してくれた方には感謝しています.
特にスレッドを立てた1の方には感謝しています.
AA大辞典(仮)
資料:AA大辞典からお知らせ
2001.08.09:『弥栄堂』開設
http://panzer.cool.ne.jp/
http://iyasakado.com/
Flash動画【ウシガエル】で数多くの賞を受けた塚原重義のサイト。レトロフィーチャーな世界観に特徴有り。2008年2月には株式会社弥栄堂フヰルムを立ち上げた。
2001.08.17:『ドラサイト』開設
http://www.geocities.co.jp/Milano-Killer/6851/
早い時期にFlash動画で人気を得たサイト。
制作する動画の元ネタは「ドラえもん」「特撮」「Hatten」「wasabi」等だが、内容がとにかくめちゃくちゃ。シュールというか…ヘタウマというか…思いついたままに動画にしたというか…なんというか…普通の人には制作出来ないセンス。
だがそれが良かった。特に出落ちネタの切れ味は鋭かった。
サイト名変遷:『ドラサイト』⇒『オラサイト』⇒『ラサイト』。
2001.08.19:『ムーノーローカル』閉鎖
ムーノーローカルはもともと終了することを念頭に置いて企画されました。どんな風に立ち上げて、どういう風に運営し、どうやって終わろうかとずっと考えながらやっていました。あらゆる個人によるwebサイトはいつでもそれを終わらせることができます。ある日、突然更新するのをやめればいいのです。もしくは、人気がないとか、日常生活が忙しいとか、生活の変化とかいう理由をつけてやめてしまえばいいのです。僕はそれは嫌でした。この読み物を正しい形で大団円へと導かなくてはならないと最初から思っていました。それは、毎日更新されるwebサイトが毎日更新するということ自体を自分に義務づけているのと同様に、当然であると僕個人は考えました。webサイトにだって、他のメディアにあり得るような作者の意図による終わりがあってもいいと思いました。
ですから、ムーノーローカルが人気があっても、誰も読んでいなくても、僕はある程度の期間更新を続け、そして終了させるんだと決めていました。それをすべてやって初めて「ムーノーローカル」という読み物ができあがると思いました。
具体的な終了の時期は、誰もがムーノーローカルがあって当たり前だと思う頃にしようと思いました。初めの頃、このサイトを見る人の多くは、「こんなやり方ではまったく更新を持続できないだろう」と言いました。だから僕はそう思われているあいだは絶対にやめないことにしたのです。その人が思いもよらないものが、もしくは望まないものが、存在し続けるということを証明するために、僕はこのサイトを終わらせませんでした。あなたの予想通りになってばかりの世の中なんてないよと僕はその誰かに対して言いたかったのかもしれません。僕はひねくれ者なので、常に定石通りに物事は運ぶという考えが許せなかったのでしょう。
ですから、よく「毎日更新していて飽きませんか」と問われましたが、飽きる以前の問題でした。ただ更新が当たり前のように続いている状態に至るまで、僕は続ける必要があったのです。文章を書くことだけが目的だったら、飽きるとか、誰かに文句を言われるとかいう理由でやめていたのかもしれませんが、僕は「誰もがこれがあって当たり前だと思うようになるまで続ける」というのが最大の目的だったので、へらへら笑って更新し続けました。飽きるという意味では、始めて一週間くらいで文章を書くことはイヤになってしまいました。僕は飽きっぽく、しかも文章を書くのが遅かったからです。日記だって3日以上続いたことはありません。しかし、これは日記ではありません。公開されたなんらかの読み物でした。だから僕は完結を目指して書き続けました。
そして、誰もがこれをあって当たり前の読み物だと思うに至った頃、僕はようやく全部を終了させることにしました。この読み物がずっと続くと考えた方もいらっしゃいましたが、やっぱり世の中はその人の予想通りになんてならないのです。それは読者の皆さんに対する裏切りでしたが、僕の一つの考え方でした。僕はそれを皆さんにお見せしたかったのかもしれません。
そして、これが失われた時、ずっと続いていくと思っていた物が突然なくなって、読者の皆さんは悲しいだろうか、もしくは作者は悲しいだろうか、と思いました。悲しいとすれば、誰もがその悲しい気持ちを忘れたりするのだろうか、とも思いました。我々はあらゆることを忘れるようにできています。そのこと自体は幸福ですが、それなのになぜ誰もが「このことを永遠に忘れない」と言うのだろうかと僕はいつも考えています。だから、突然笑いながら消えていくものを、読者の皆さんは、そして僕は、忘れないでいたいと思うだろうか、そして忘れるだろうか、と思い、それをやってみることにしました。もし、あなたがこのサイトのことをずっと後まで覚えているようでしたら、ネットや社会生活の中で、「ひょっとして、この人があの人だったのだろうか」と思うような人に出会った時に、「昔ムーノーローカルというページがあって…」という話でもしてみてください。話されたのが僕だったら、僕はヘラヘラ笑いながら「僕がやっていました」と答えましょう。しかし、もちろんそんなことを忘れてしまっても、僕は全然かまわないのです。
終了の理由を問われて、以上のような話をいろいろな形で何度も答えましたが、どうしても背後に僕個人の理由があると考えたい方もいらっしゃったようでした。何もありません。そもそも、僕個人の生活とこのサイトは極力切り離そうと思っていました。蛇足になりますが、だからこそ僕の生活が大変なあいだは、終了は絶対にしないでおこうと思いました。このページが「疲れた」「飽きた」「運営が嫌になった」「誰かの圧力で」「身上の都合で」などの理由で終わったりするものであってはいけなかったのです。
「個人のwebサイトで、しかもクソくだらない内容のくせにそんな考え方を持ち出すなんて、ずいぶん格好いいことを言うんだな」と笑われもしました。しかし、僕にとっては最初からそういうものでしたし、僕はクソくだらないことをやるには大まじめでなくてはできない人間です。名残惜しくないわけではありませんでしたが、最初に思った形で終了させることができて、皆さんにたくさんの言葉をいただいて、本当によかったと思います。この読み物の完結を惜しんでくださって、祝ってくださって、気にしないでくださって、ありがとうございました。
上にも書きましたが、このサイトのことは忘れていただいてかまいません。僕は言葉というまったく不完全なインターフェイスしか信じるものがないので、しかたなく言葉を信じているような人間ですから、あなたが「忘れない」と言ってくれたことや、僕がこれを忘れないと思っていることを信じることができます。しかし、どのみち僕は人間について諦めながら暮らしている人間でもありますから、僕やあなたがこれを忘れてしまうことを否定できませんし、もうずっとそんなことを悲しんではいけないと思って生きています。だから、言葉だけを大切にしておわかれしましょう。
今までありがとうございました。それではさようなら。僕はあなたのことをいつまでも覚えています。
このwebサイトの読者だった方へ(ムーノーローカル)
同時にrhymeがムーノーローカルをやっていく上で考えたことを記した「解題・ムーノーローカルの作り方」を公開した。
2001.08.25:8月危機
データ転送量が増加の一途を辿っていた『2ちゃんねる』だが、遂に限界に達した。 転送量を抑えるために掲示板が次々と閉鎖され、住民は『2ちゃんねる』閉鎖を意識するようになった。
841 名前: 夜勤 ★ 投稿日: 2001/08/25(土) 00:56 ID:???
いやー、どの板が悪いとかじゃなく、、、はっきり言ってしまえば「限界」が来たということでごあす。
【ebi&curry鯖重過ぎます Part3】
24 名前: 夜勤 ★ 投稿日: 2001/08/25(土) 01:49 ID:???
みんな はさーん
【ebi&curry鯖重過ぎます Part4】
そんななか、PerlerがUnix板の「2ch閉鎖の危機なんだと」スレにてread.cgiの改良(出力のgzip化)を提案。
夜勤はread.cgiのコードを公開し、Perlerはこれに改良を加えた。これによりデータ転送量を抑えることに成功。
閉鎖された掲示板は次々と復旧していった。
資料:モナジェクト X 「挑戦者たち」
資料:ある騒動の記録
(フラッシュ倉庫)
2001.08.26:ボクの肛門も閉鎖されそうです
1 名前: 真夏の名無しさん 投稿日: 01/08/26 15:18 ID:???
閉鎖します。8 名前: 真夏の名無しさん 投稿日: 01/08/26 15:20 ID:???
>>1よ。お前みたいな奴をみると、あの日のことを思い出すよ。
2001年8月25日。2ちゃんが本格的に閉鎖になりかけた日だよ。
転送量が多すぎて、費用が月700万もかかってるって発表されて、「数日中に閉鎖」って予告されてさ、
その日のうちにあっちこっちの板が封鎖されてた日だよ。
あのときのUNIX板の住人、カッコよかったんだぜ。「総力を結集」ってのはまさにああいう状態だよ。
転送量を1/3に削減しないと閉鎖、ってもんだから、新しいプログラム組んでさ、
そしたらほんの何時間かで完成したんだよ。それが聞いてくれよ、目標は1/3だったのに
1/16まで圧縮に成功しやがったんだよ。職人技なんてもんじゃねえよ、神技だよ。
でもよ、そうやって頑張る人がいた一方で、「ボクの肛門も閉鎖されそうです」とか駄スレ立ててたバカも
いたわけだよ。ちょうど、今のお前みたいにな。
だからよ、俺たちは総力を結集して、お前のバカ度を1/16に圧縮しようと思うよ。
ま、圧縮後でもお前のバカ度はこの世に生かしておくことのできないレベルだけどな。
要するに俺らの力を結集してもお前を助けることができないってことだ。
わかったら、まわりに迷惑をかけないようにひっそりと死んでくれよな
ボクの肛門も閉鎖されそうです
2001.08.26:『- BlackAsh -』開設
http://blackash.net/
テキスト多めなニュースサイト。代表的なテキストとして「テキストサイト界近況」がある。
ブログ騒動では、伊藤穣一が日本語版ブログではなく英語版ブログだけに書いた内容を和訳した。
2001.08.26:『荒廃の歌』開設
http://www.kisweb.ne.jp/personal/kouhai/
動物的なキャラクターを使ったテキストサイト、その2。サイト論を語らせるならここ。『電脳製作図書館』というサイト論リンク集を作成した。
2001.08.28:『ちよ74歳』開設
http://www.tohgoku.or.jp/~hoimin/
量産型VNIの登場。
ばーちゃんネットアイドルとは、バーチャルネットアイドルをボキャぶったものです。 本家のちゆちゃんは、ネットで写真や日記を公開している二次元の女の子です。でも、ちよは思いつきで存在しています。思いつきで作られた老婆ですから、上の全身像もただのらくがきです。 ちよには旦那もいますし、孫もいます。人生終わった感が非常に強い、旧世代のばーちゃんと言えます。
ちよ74歳
2001.08.30:『ふたばちゃんねる』開設
http://www.2chan.net/
数々のネタキャラやブームを生む。一番有名なブームは「うほっいい男!」だろう。「 や ら な い か 」
資料:二次裏キャラクター解説
(陛下保管庫)
資料:ねないこ だれだ
2001.08.xx?:『quino』開設
http://quino-lilo.hoops.ne.jp/
極めて映画的な長編Flashアニメ。ポエ山は翌月公開した【ゴノレゴ】も有名でFlashアニメ四天王の一人。ポエ山のサイト『POEYAMA』はhttp://isweb33.infoseek.co.jp/play/liloatx/、https://poeyama.com/。
2001.09.01:Yahoo! BBがインターネット接続サービスを開始
安さが売りなソフトバンクのインターネット接続サービス。 ソフトバンクはアルバイトを使って人通りの多い場所に陣取り、道行く人にモデムを配っていたのが何よりも印象的。
2001.09.06:『カフェオレ・ライター』開設
http://coffeewriter.com/
「知られざる「駅ダンジョン」の世界」やテニプリネタで有名。
2001.09.16:『Let's RAGNAROK』開設
http://www43.tok2.com/home/ragnarok/
日本語サービスが始まる前に開設されたラグナロクオンラインファンサイト祖。
後に開設したK-RAGNAROKと共に、国際サーバで遊んでいるプレイヤーの道しるべとなった。
2001/09/16 ホームページ暫定仮オープン^^; (管理人より)
当ページが、暫定オープンしました。ゲーム同様、まだ不十分ですが、旅のお供にお役立てください。
Let's RAGNAROK
2001.09.18:『バーチャルネット一般人無双』開設
http://www.bsg.to/
一時期は『バーチャル幼なじみアイドル・名雪17歳』としてROVNIもやっていた。芹香連合の代表にして、謀略に長けVNI界の騒動の際には暗躍する。VNI界の支配者?
はじめましての方もそうでない方も、こんにちは。BSGです。まずはじめにこのサイトは特定の人物を誹謗中傷することがとても多いので、「もしかして自分のことかな?」「BSGって俺の知り合い?」とか思う人は、早めにBSGに文句を言ってください。あまり、ただでさえ少ない友達なくしたくないので。ちなみにこのサイトに書いてあることはフィクションですのでそこのところよろしく。 一般人無双のネタ人 :
1. 一般人無双と自負するオレの周りに変人おおすぎ。
2. 美少女電脳都市アキハバラたまんねぇぜ、とか叫ぶなよ。
3. 類でも友でもないはずなのに周りによってくんなよ!
4. 「鬱氏」とか「逝ってよし!」とか日常で使うなよ!オレもつい使うけど
この人たちと遊んでいるとネタに困らないので、それを題材とした日記をつけることにしました。
一般人無双について(一般人無双)
2001.09.19:超先生誕生
『2ちゃんねる』の葉鍵板で「痕」盗作騒動で渦中の人となった「青紫(竹林明秀)」。青紫はやがて「超先生」と呼ばれるようになり、さらにAA化された。
931 名前: 名無しさんだよもん ◆NJmaKOPI 投稿日: 01/09/19 22:12 ID:bC7tT4H6
麗子の診察室が終わるという事は、竹林大先生がその分本業に注力すること
になるので終わったことが非常に残念だった という事だったんだが・・・ま、俺も診察室は毎月楽しみでしたけどねー
もうすぐ5スレ目に突入といことで、これからは青紫大先生を
青紫超先生
と呼ぶことにするです。
●●要求。青紫(竹林明秀)はLeafを辞めろ4●●
∧_∧
< `ш´> 感感俺俺
_φ___⊂)_
/旦/三/ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 誰彼百円 |/
「超先生」というのは興味深い存在のAAだった。
青紫が姿を見せなくなっても超先生というAAは『2ちゃんねる』の葉鍵板で存在感を増し続け、
やがて、超先生は青紫の実像とは離れたキャラクターになっていった。
それを本人はどう思っていたのだろうか。
2003年11月23日逝去。交通事故のため...。R.I.P.
2001.09.xx:『楽画喜堂』開設
http://www.geocities.co.jp/Playtown/2670/
http://isweb15.infoseek.co.jp/play/hirobebe/
http://www.rakugakidou.net/
サイト名の変遷としては『楽画喜堂』→『VISIONARY-R』→『楽画喜堂』。2001年9月は『VISIONARY-R』から『楽画喜堂』に戻った時の日付。
『ちゆ12歳』からのリンクで育ったサイトの一つで、元々はイラストサイト。
2001.09.xx~:Nimda
感染されるための手段を複数もった複合型ワーム。そのきわめて強い繁殖力で、世界中に広まった。あっという間に。
資料: 【緊急警告】「Nimda」ウイルス出現,メール本文のプレビューやWebページ閲覧だけで被害も
(ITpro)
2001.10.03:『半跏思惟』開設
http://deva.aleph.to/
河上イチローのサイト。オウムはアレフになって危険ではない教団に変わったことを主張し、アレフになっても変わってはいないと主張する評論家達を批判していた。なぜオウムの十字架を背負い続けるアレフにいなければならないのか、ということについて、「かつてオウムにいたからこそ、その烙印を背負い、十字架を背負うことこそが「責任を取る」ことにつながるのだろうと思っています。」と語っていたのだが……
★このサイトの目的
このサイトは、宗教団体・アレフの出家修行者であるサイト開設者が個人的に考えていることなどを表現する場として、設けられました。
このサイトについて(半跏思惟)
2001.10.05:『1ch.tv』開設
2001.10.17~2002.03.09:葉鍵板最萌トーナメント
http://saimoe.s10.xrea.com/
Leaf,Keyキャラで誰が最も萌えるかを決めるイベント。
一対一で人気投票を行い、得票数の多い方が勝ち進むトーナメント方式。
約5ヶ月にも及ぶ長いトーナメント戦が行われ、決勝戦は柏木千鶴(痕)vs倉田佐祐理(Kanon)。
数多い葉鍵キャラの中から最萌キャラに選ばれたのは柏木千鶴であった。
このイベントの成功により03年辺りまで、「2ちゃんねる全板人気トーナメント」「2ちゃんねる全AA人気トーナメント」
「「何か。」最萌トーナメント 」など多数のトーナメントが行われた。
2001.10.18:『本日の厳選モノ茜17歳』開設
http://www.m-net.ne.jp/~doba/goto/top.htm
http://tbn.to/
http://tbn2.blog50.fc2.com/
http://tbn17.com/
量産型ではないVNI。開設当初からVNI系というよりはニュースサイト系な感じ。
『ReadMe! JAPAN』のランキングにおいてVNIで最初に『ちゆ12歳』を抜いた。後の『TBN』。
2001.10.18:『ミュージックマシーン』開設
http://www.musicmachine.jp/
音楽情報の個人ニュースサイト。
後に『ナタリー』として商業化。羅列型ニュースサイトの完成系。
2001.11.11:ロリポップ!サービス開始
ナウでヤングな人を対象とした低価格レンタルサーバサービス。サンタクロースっぽいロリポおじさんがインパクト大。
2001.11.16:WindowsXP発売
2001.11.24:ろじぱらパクリ疑惑2001
あるサイトが『ろじっくぱらだいす』に日記をパクられたと主張した。が実際パクったのはあるサイトのほうであったのがばれる。偽装工作が見破られたあるサイトはさっさと逃げていった。
資料:ろじぱらは他人の日記をパクったのか?
(ろじっくぱらだいす)
2001.11.28:WinMXで逮捕者
京都府警が東京都と埼玉県の男性2人を著作権侵害(公衆送信権の侵害)の疑いで逮捕。
逮捕された男性は、東京都杉並区の大学生(19歳)と埼玉県さいたま市の専門学校生(20歳)の2名。
資料:「WinMX」で「Adobe Photoshop」などを交換した男性らが逮捕
(INTERNETWatch)
2001.11.29:RagnarokOnline日本語サーバーβテスト開始
日本ではFF11と双璧をなすMMORPGに。正式サービス開始は2002年12月1日。
個人サイトへの影響としては、量産型VNIの亜種である「ラグナロクオンライン日記を書くVNI」、すなわち「ROVNI」を大量に生み出した事と、
「ノーマナー」という単語を一般化させた事。
2001.11.30:もうだめぽ誕生
「もうだめっぽい」という意味。WinMXを利用していた会社員、やすだゆういちが最後に発した言葉。
80 名前: 投稿日: 01/11/30 07:04 ID:/jDnbtss
自分の部屋、二階なんですが。
いま下で、親と警察らしき人たちが押し問答やってるんですが、、、
いや、まじで、、、82 名前: 投稿日: 01/11/30 07:06 ID:/jDnbtss
てゆか、うちの親なんかないてるっぽい、、、 88 名前: 投稿日: 01/11/30 07:08 ID:/jDnbtss
とりあえず、部屋のカギかけました。
手、ふるえまくり。
おれも、なきそう、、、
なんでえええええええええええええええええええええええええええええ113 名前: 投稿日: 01/11/30 07:17 ID:/jDnbtss
やすだゆういち
あああ、、、、
やっぱ警察だよおおお。
いま、あけなさいってゆったあああああ122 名前: 投稿日: 01/11/30 07:19 ID:/jDnbtss
22歳
てゆうか、おれ神だね。
警察、説得モードにはいってきた。
ちょっと、おちついてきました、、、、137 名前: 投稿日: 01/11/30 07:22 ID:/jDnbtss
会社員
あぷりおんりー
あああ、手またふるえてきた、、、145 名前: 投稿日: 01/11/30 07:24 ID:/jDnbtss
えいがもあったなああああ
あとえみゅもお。
なんか、ハイ154 名前: 投稿日: 01/11/30 07:25 ID:/jDnbtss
そと、ちょっとしずかになた
そとで、はなしごえ
おや、いまだに泣き174 名前: 投稿日: 01/11/30 07:30 ID:/jDnbtss
煽ってるっみんながうらやましい
さっき、泣き声でおやになまえよばれた
あと、車?ぱと?がもう一台きたっぽい194 名前: 投稿日: 01/11/30 07:36 ID:/jDnbtss
またきた
そして最期の時が……
202 名前: 投稿日: 01/11/30 07:38 ID:/jDnbtss
かぎのおとが
おやがかぎわたしや
もうだめぽ
MX残り250人土曜日に一斉検挙されるが
書き込みが真実かネタかは不明。
資料:もうだめぽFLASH
2001.12.03:『バーチャル2ちゃんねらー裕子』開設
http://www.yuko2ch.net/
VNIフォーマットを利用した2ch系ニュースサイト。2002年夏のコミックマーケットでは「裕子CDR」を販布。
このCDRにはサイト主題歌、「今日も明日も逝ってよし!~バーチャル2ちゃんねらー裕子のテーマ~ 」を収録。 主題歌はサイトで先行公開したのだが、歌っているのが小学生ということで話題になった。
えー?ここは何のページかって?
そりゃ2ちゃんねるのスレッド紹介とか、ニュースとかもうわかってるパターンじゃない?
すなわちそういうサイトです。
2ちゃんねらーであって、アイドルではないのが特徴ですw
2001.12.03:『自動アンケート保存』開設
http://natori.brandneweb.com/vote4/list.cgi
後の『自動アンケート+』。ナトリアンともいう(管理人がnatoriなので)。
2001.12.03:『裏ニュース』閉鎖
裏ニュース君(1の方)のプロジー退社に伴い、終了。
てなわけで、裏ニュース!終わり。
2001.12.03:『Ping=0』閉鎖
seidaiのプロジー退社に伴い、終了。
突然ですが、本日を持ってping0の運営を終了とさせて頂きます。 理由は諸事情により会社を退職し、これまで会社の好意で借りていた サーバー、ドメインが使えなくなってしまうからです。
ping0というサイトがのサイトがここまで大きくなったのは、私の志に賛同し、応援し てくださったスタッフとパートナーサイトそして日々、http://www.ping0.comに接続 してくださる読者の皆様のおかげです。私がping0をはじめたきっかけは、1999年当時 日本国内にオンラインゲームを真剣に取り上げているサイトが無かったことから「それ なら自分で作るか!」という勢いからでした。今も昔も変わらないことですが、その内 容は海外の情報サイトから日本人にも興味が持てる情報をピックアップ。翻訳して紹介 するというもので新作ゲームのデモ版が出れば真っ先にプレイして、その内容を出来る だけわかりやすく解説していました。
2001年も今月一杯で終了。年をあければサイトオープンから2周年、そしてカウンタ ーもまもなく300万を迎えるわけで、サイト運営にピリオドを打つには、少し早い気 もしますが、ping0がきっかけでオンラインゲームの魅力に気づいた方は大勢いらっ しゃるようですし(稀にメールが届きます) 99年当時に比べればオンラインゲーム を取り上げるサイトも大幅に増えています。そして企業の見る目も変わったようで、 積極的にPCのオンラインゲームを取り上げるようになりました。よって、“オンライ ンゲームの啓蒙”を掲げてきたping0というサイトの役割は十分に果たされているのでは 無いかと感じる今日この頃です。
ご存知のとおり、当サイトでの紹介をきっかけにRAGNAROK ONLINEというゲームが大フ ィーバーで、光栄にも当サイトは開発元オフィシャルのミラーサイトとしてβクライ アントの配布を要請されているのですが、あまりの人気でサーバーに常時負荷が掛か ってしまうことから配布をメールによる先着制という形を取らせて頂いております。 これも今後はサーバーを使うことが出来なくなってしまうことから、ファイルの配布 を続行することは出来ません。しかし、うちの代わりに配布してくださるとある企業 と既に話がついていますので、近日中にはそちらからのダウンロードが可能となるで しょう。どうぞご期待ください。
この閉鎖によって多くの方にご迷惑をお掛けすることを、この場を借りてお詫び申し 上げます。メールの方は当分使えますので、苦情や質問などはここにではなく seidai@ping0.comまで直接お願いします。
最後の最後になりましたが「どうもありがとう!」
2001.12.04:『連邦』開設
http://www.renpou.com/
裏ニュース君(1の方)の新たなサイト。
2001.12.09~2001.12.24:リレー801SS「学園天国」
『ろじっくぱらだいす』のワタナベと『えこのみっくぱらだいす』のヤマグチを主人公にした801小説(ようはワタナベとヤマグチがホモる小説)を7サイトでリレーして書いていこうという企画。このホモ企画の主犯はもちろん『兄貴の館』の兄貴。
2001.12.16~2001.12.30、2002.01.22:第2回痛い度ランキング選手権
優勝は『ろじっくぱらだいす』。リレー801SS「学園天国」においてトリをつとめさせられ、クリスマス中に『ろじっくぱらだいす』のワタナベと『えこのみっくぱらだいす』のヤマグチとのからみのシーンをワタナベ自ら書いたことが決定打になった。
2001.12.17:FinalFantasyXI closedβテスト開始
ジョブ6種類。開始当初のレベル上限は30。 2002年5月16日に正式サービス開始。
米国「TIME」紙が選出する「Person of the year 2001」のインターネット投票で 田代まさしを1位にしてしまおうという祭り。
1 名前: 鉄腕28号 ◆Atom.28g 投稿日: 01/12/19 14:25 ID:/XAFIJE7
2001年を締めくくるに、ふさわしい祭りです!米【TIME】紙が「Person of the 2001」の投票を行っています。
75年の歴史を誇る由緒正しい賞で、過去には「ヒトラー」や「レーニン」
なども選出されています。本年度、現在までのトップはやはり「ビン・ラディン」で
2位以下は、「ブッシュ大統領」「ジュリアーニ N.Y市長」と続きます。田代まさしが「ラディン」「ブッシュ」「ジュリアーニ」を越え
世界一となる、又とないチャンスです!投票もかなり簡単です。吾らが教祖、田代氏が、世界一の重要人物になれるよう清き1票を!
アメリカ人を驚かせてやれ!(藁
【米TIME紙】田代がビン・ラディン抑え世界一!
自動投票スクリプト「田代砲」を使い、
2位のオサマ・ビン・ラディンに大差をつけて1位となったが、予想通り?田代の項は削除され、
ニューヨーク市長のジュリアーニが「Person of the year 2001」になった。
田代がTIMEの表紙を飾るコラ画像も有名。
資料:1位はなんと?TIME「PERSON OF THE YEAR」投票にネットの“力”
(ITmedia)
2001.12.19?:『シャア専用ポータル』開設
http://char-custom.net/
『2ちゃんねる』のシャア専用板と富野由悠季の情報サイト。
2001.12.27:『ちよ74歳』終了
最後はムーノーローカル閉鎖時のパロディ。
2001.12.xx:『バーチャルマザーマーメイド晴子28歳』開設
http://haruko.s8.xrea.com/
葉鍵板最萌トーナメントの神尾晴子支援の為に生まれたサイト。
神尾晴子は第2回戦でマルチに負けたがサイトは存続し、VNI血祭り事件、ROVNI騒動で活躍した。
はじめまして~。うちは、電動世界に生きる”飲んだくれ人魚”晴子さんや~。萌え萌え貧乳なロリっ子よりも、豊満バディな関西弁のお姉さんが(・∀・)イイ!っていう時代の流れに反した漢どものために生まれた、新しい形のおかんやで。どうぞ、よろしゅうに~。
バーチャルマザーマーメイド晴子28歳
2002年:新時代の幕開け
2002.01.01:『HK-DMZ PLUS.COM』開設
http://hk.dmz-plus.com/
サイト名の読み方は「エイチケーディムーズプラスドットコム」。2002年1月1日はニュースサイトとしての開始日。
サイト自体はそれ以前から存在。その時代の名前は『HK-DMZ+(香港ディームズプラス)』。
2002/01/01 (火)
あけましておめでとうございます。
どうやらHK-DMZは身内向けニュースサイトになるみたいです(人事のような顔で)
とはいっても他のニュースサイトから友人に教えたいネタを集めて掲載する。といったスタンスで進めていこうと思います。
勿論、毎日更新は無しね(ぉぃ
マターリいきまっしょーい
2002.01.05:『(・∀・)イイ・アクセス』開設
http://www.iiaccess.net/
http://iiaccess.net/
Flashニュースサイト御三家の一角。
2002年1月5日(土) [23:41:31]
2ちゃんねるネタを中心にFlash、DQN情報など
日々イイページと(ii.page.to)の出会いを提供します。
ネタはスポンサーからほとんどいただいているので、
詳細はそちらを参照してください。
2002.01.11:『音楽配信メモ』開設
http://homepage1.nifty.com/kraftwerk/
http://xtc.bz/
OZRIC(津田大介)のサイト。津田は出席したイベント・記者会見や発表会等において、出席者の発言を生中継するようにTwitterでつぶやいていく。この行為は「tsudaる」と呼ばれるようになった。
●このサイトについて
インターネット上の音楽配信、サービス、圧縮音楽フォーマット、シリコンオーディオ、
著作権、コピーコントロールCD(CCCD)などに関するニュースをクリッピングしています。
音楽配信に直接関係なくても、僕が将来音楽配信に影響を及ぼすだろうと考えた
ニュースも取り上げています。
about(音楽配信メモ)
2002.01.17:『2ちゃんねる』にFLASH・動画板が出来る
多くの名作フラッシュがここから生まれた。
1 :ひろゆき:02/01/17 17:17 ID:65HcCBOz
はじまりです。
動画鑑賞板ですー。
2002.01.19:『バーチャルネットアイドルかすみ19歳』開設
http://www5.justnet.ne.jp/~mizuseito/html_f/kasumi/menu.htm
http://ffl.sakura.ne.jp/
格闘ゲームコラム。後の『Fighters Front Line』。当初、「VNIの運営ではありません!あくまで『MIST&BLUE』のワンコーナーです。」となっていた。
『MIST&BLUE』は2001年11月1日に開設。通称:裏番。
はじめまして。私は、仮想世界に生きる”電子の妖精”かすみといいます。実体を持った女性よりも空想の美少女が好きだ!という二次元コンプレックスな方のために生まれた最近流行りの格闘ゲーマーネットアイドルです。どうかよろしくお願いします。
バーチャルネットアイドルかすみ19歳
2002.01.21?:『警鐘~高山登久太郎ホームページ~』開設
http://www.keisho-takayama.info/
暴力団の四代目会津小鉄会会長、高山登久太郎のサイト。月数回の頻度でコラムを書いていた。
暴力団の大物組長で早い時期からウェブに文章を書いていた二人の内の一人。
尚、もう一人はオレンチオジサンこと、英組組長の英五郎(六代目山口組舎弟)。
このサイトは、警察が如何に悪いか、政治家が如何に堕落しているか、 行政が如何に怠慢か ―― を徹底的に暴くものである。
公権力が、どれほど巧妙かつ狡猾に、市民をがんじがらめにし、そして食いモノにしようとしているか、 私たちはあまりにもその実体について無知であり、無防備に過ぎる。
私の実体験を通して、ひとりでも多くの方に 「このままでは取り返しのつかぬ事になる」ということを知ってもらい、 納税者として公権力をしっかりコントロールできる健全な社会を創っていく一助になれば幸いである。
警鐘~高山登久太郎ホームページ~
2002.01.25:『無料HPスペース娘・じおこ13歳』開設
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/6585/
量産型VNI。じおこ論文として「教科書には載らないVNIの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」を書いた。
他のじおこ論文として、
「VNIデビューマニュアル」
「RO型VNI撲滅サイトについて」がある。
みなさんこんにちは、じおこです。
私は、みなさんにジオシティーのよさをわかってもらうために生まれました☆(笑
えっと、その他のネットアイドルさんのように面白い話題があげれればいいんですけど…
ほんとうのところそれは無理だと思ってるんで、あんまり期待してほしくないです。
(えっ、期待してないって… そんな?(ぐすん(;-;))まぁ、どこまでいけるかわかりませんが、応援してくださいね。
じおこは、ジオシティーでHPを作っているみなさんを応援しています☆
2002.02.09:『バーチャルネット・ラウンジャー もなみ9歳』開設
http://monami.sblo.jp/
VNI四天王に次ぐVNI代表格。「リンク論まとめ」や「もなみ的VNI研究」など考察系文章とVNIヲチが得意。元々は2chラウンジ板系VNIだが現在は幅広く話題を扱う。もなみ帝国の女帝にして、騒動の際には裏で事態を操る。VNI界の影の支配者?
はじめまして。私は、ラウンジ@2ch掲示板に生きる”電子の妖精”もなみといいます。実体を持った女性よりもアスキーアートの美少女が好きだ!という半角文字コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアイドルです。どうかよろしくお願いします。
バーチャルネット・ラウンジャー もなみ9歳
2002.02.14~2002.xx.xx:ムネオハウスブーム
2002年2月14日、『2ちゃんねる』のテクノミュージック掲示板に「アシッドハウス=ムネオハウス」というスレッドがたった事をきっかけに国会映像の音声を使ったムネオハウスミュージックが次々と制作された。
ジャケットの絵やライナーノーツまで出来上がり、3月13日にはムネオハウス1st Album「"THE MUNEO HOUSE"」が完成した。
更にはFlash動画【THE MUNEO HOUSE PV】の登場により、ウェブで一大ブームとなった。
資料:ムネオハウスブーム
2002.03.12:『ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会』開設
http://abcdane.net/
アメリカに在住する管理人・D姐が現地で気になったAmericaのBacaなComedy(笑えるモノ)を集めたHPです。日本では未公開の映画の話、TVなどの情報が多いので、ネタばれにはご用心を。
2002年3月12日より開設するも4月に日本に一時帰国のため約4ヶ月休止。2002年7月末より復活しました。
このサイトについて/FAQ(ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会)
2002.03.20:『X51.ORG』開設
http://x51.org/
オカルトオタク向けニュースサイト。
2002.03.21:アニキまつり
閉鎖する『兄貴の館』に対し、これまでの感謝とお別れの意図を込めて、出来るだけ多くのサイト運営者で兄貴を見送ろうという企画。
『裏MIZUHAの憂鬱』が主催した。
痛い系サイトの絶対王者である『兄貴』の人徳?により、170ものサイトの背景がマッチョな男がポージングをしている画像になった。
資料:裏 ANIKIの館
(裏 MIZUHAの憂鬱)
2002.03.31:『兄貴の館』閉鎖
ひょっとしたら、またどこかでサイトをやるかも知れない。
でもその時は、また違った内容でやってみたいと思うし、例えやったとしてもここではもうやらないと思う。
このURLは、私が「兄貴の館」の為だけに用意した物なのだ。
それだけ思い入れを持つことができた事に、感謝したいと思う。
皆様ありがとう、私は楽しかった。
兄貴の館
2002.03.xx?:『あんびえん堂』開設
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Brush/4033/
http://koshiandoh.com/
Flash黄金時代を象徴するFlash動画制作者。作品はどれも評価が高く、【しぃのうた】【なつみSTEP!】が特に有名。
2Dなのに3Dに見せる技術力と、【ひろみの絵日記】【なつみSTEP!】で見せたほのぼのな絵の中に鋭い切れ味で狂気を入れてくるセンス。
サイト名変遷:『あんびえん堂』⇒『あん堂』⇒『こしあん堂』
2002.04.01:47氏、新p2pソフトの製作開始
47 名前: 投稿日: 02/04/01 05:35 ID:WTyTkgT
暇なんでfreenetみたいだけど2chネラー向きのファイル共有ソフトつーのを
作ってみるわ。もちろんWindowsネイティブな。少しまちなー。
MXの次はなんなんだ?
2002.04.03~2002.07.18:2ちゃんねる全板人気トーナメント
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/2697/2ch.htm
最大規模の最萌トーナメント。421掲示板の中からWinMXのネットワークを利用して、投票を呼びかけたDownload板が頂点にたった。
2002.04.05:新p2pソフトの名称決定
225 名前: 投稿日: 02/04/04 08:59 ID:Roy2G6sC
NXってのはNEC系Pcのプレインストールアプリに
良くついてる名前なんだよなあ。
MXの次ということでM→N
X→YWINNY=『ウィニー』
という線もあるかな。
W→X I→J N→O
も加えると、
XJONY=『エクスジョニー』『47』ってのも
これがメジャー化した時
何故そんな名称なのか、
このスレが伝説になりそうでよい。(・◇・)ヨナー
377 名前: 47 投稿日: 02/04/05 14:46 ID:yZ65YIiO
ん~、じゃWinnyにしますか?初めはWinNYだったけどMXの後継とは無関係に
Windows Next eXchange programって説明できていいかと思ったんで
WinNXに変えたんだったり。全部小文字にしてI love NYな人っぽい意味合いで語呂がいいからってことでもいいかも。
あと47絡みの名前は却下っす。使うなら作者名に使いますわ。ちなみに今作ってるプログラムInfo情報は以下の通りになっとります。
WinNX Version 1.0a1(Build ????)
Copyright 47@download.2ch
MXの次はなんなんだ?
2002.04.06:『バーチャルネット半なまAA描き・チェき14歳』開設
http://check-it.org/14/
AA職人だが、「The Real SUMO Fighting シリーズ」があまりにも有名な動画職人。親サイト『Dungeon Divers' Deadly Drug』の開設日は1998年9月21日。
2020年12月12日逝去。病気のため...。R.I.P.
2002.04.12?:『=)』開設
http://www.zeon.cx/
元同僚の裏ニュース君(1の方)が「http://www.renpou.com/(連邦)」なら
seidaiは「http://www.zeon.cx/(ジオン)」。ジーク・ジオン!
2002.04.13(2002.03.20):『バーチャルネットアコライト・さやさや16歳』開設
http://www.yggdrasill.gr.jp/sayasaya/
ROVNI最大手。このサイトの影響によりROVNIが急増することになった。
はじめまして。私は、ネットゲーム”ラグナロクオンライン”世界に生きる”アコライト”さやさやといいます。攻撃に特化した剣士やシーフ、遠距離攻撃のアーチャーや魔法士よりもヒールレベル10のIntアコが好きだ!という辻ヒールコンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアコライトです。病弱なのでもって半年、早ければ一週間の命な私ですが、どうかよろしくお願いします。
バーチャルネットアコライト・さやさや16歳
2002.04.xx:『ダンシング☆カンパニヰ』開設
http://plaza26.mbn.or.jp/~mackerd/
http://dancom.jp/
サイト自体は1999年にはすでに存在。就職直後に絵日記系サイト「ダンシング カンパニヰ」へ変更。「ぼく、オタリーマン。」として書籍化された。
『絵日記でも描いてみようか』と並ぶ絵日記系サイトの双璧。
サイト名変遷:『電脳麻薬』→『温泉テクノ』→『落石注意』→『ダンシング☆カンパニヰ』。
昨日に向かって全力ダッシュ
そんなホームページ。
温泉テクノ
2002.05.06:『Winny公式サイト』開設
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/2949/
231 名前:47 投稿日:02/05/06 15:49 ID:9nmsmZMp
ここですttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley/2949/
MXの次はなんなんだ?4
2002.05.06:福岡猫虐待事件
ディルレヴァンガーを名乗る男が猫に対し、尾や耳をハサミで切る、首を絞める等の残虐行為をし、 その様子をデジカメで撮影。アップローダーで写真を公開し、スレッドで実況を行った。
1 名前: ディルレヴァンガー 投稿日: 02/05/06 23:10 ID:fSmIWVjk
いいアプろだ教えて下さい。
先ほどキャリアを捕まえました。
おい!おまえら
大きな衝撃と波紋を呼び、あまりに残虐な行為に多くの人が恐怖した。 結果、インターネット上だけではなくテレビ・新聞で報道され ディルレヴァンガーに対し非難殺到、彼を逮捕すべきとの声が上がる。 福岡地検は8月7日、ディルレヴァンガーを動物愛護法違反で逮捕した。
2002.05.14:『自動アンケート作成』閉鎖
円満終了
住民は亜流アンケートに移住する。特に自動アンケート保存への移住が多かった。自動アンケート保存は自動アンケート+と名を変え、 事実上の後継サイトとなった。
2002.05.31~2002.06.30:2002 FIFAワールドカップ
ネット上の出来事ではないにも関わらず、ネットにあまりにも大きな、そして付加逆な影響を与えてしまった出来事。 サッカーワールドカップにおいて、日本と共にホスト国である韓国が関わる試合で次々に不可解な判定が起こる。そしてその判定が韓国に有利に働くものであった。ゆえに意図的に有利な判定が行われているのではないかという疑惑が沸き起こった。さらに不可解であったのは西欧諸国ではこの疑惑について報道されているにも関わらず、日本だけは何故か全く報道されないということであった。そんな中、あるスポーツジャーナリストがMSNのスポーツコラムにこう書いたのである。 「僕も含めて事実を記事にして日本に送っているのに、日本のほうで韓国の疑惑に対する記事は削除されているようだ」。 マスコミが韓国に対して不利な情報を流さないようにしているのではないか。ネット上ではそんなことが言われるようになった。そして玄界灘海難事故へ。
2002.06.01:『MyNewsJapan』開設
企業からの資金に頼らない市民参加型インターネットメディア。
我々が扱うニュースは、従来のマスメディアを流れる「権力の発表モノニュース」の範疇を大きく超えています。「各々の立場の人間として知るべき全てのニュース」こそが本当のニュースです。つまり、消費者の立場として知るべきニュース、有権者として知っておくべきニュース…。こうした理念の下では、自ずとニュースは各立場に立つ個人からも発せられねばなりませんし、その集合たる市民団体、NPO 等からも発せられます。従って、「新しい知らせ」を持った全ての人は記者となるのです。
MyNewsJapanが扱うニュースは、大きく「マイニュース」と「転伝」から構成されています。マイニュースとは、生活体験ニュースとも言うべきもので、日常的に各人が体験し、取材し、同じ立場の人達に知らせるべきだ、これはニュースだ、と判断された事実すべてです。当然、他の媒体には載っていない独自のものとなります。転伝は、他の媒体(新聞・TV、雑誌、ネット…)に掲載された事実から、各立場として知っておくべきニュースをピックアップし、可能な限り独自の情報を付け加えたものです。いずれも、編集過程を通すことにより、一定の基準を満たしたニュースとすることで、品質を保ちます。
権力を監視する機能を果たし日本の民主主義を成熟させるために、戦後を終わらせるために、そして権力の広報機関に過ぎない既存メディアにジャーナリズムを教えてやるために、そして何よりも各自が必要な情報を必要な時に入手し、共有し、活用し、議論し、楽しむために、ニュースの生産?蓄積?共有の作業を一緒にやりませんか。一人でも多くの皆様に参加していただけることを切に願っております。全てのネットユーザは記者なのです。
2002年6月1日
My News Japanについて(MyNewsJapan)
2002.06.02~2002.06.03:タカラギコ騒動
タカラがギコ猫を商標登録しようとしていることが判明。2ちゃんねらーはタカラを非難した。
6月3日、ひろゆきはタカラに対し質問状を送付。
同日、タカラは出願取下げ、謝罪した。
資料:タカラギコ騒動について今更振り返る(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
資料:落ちついて「タカラ・ギコ猫商標問題」を考えてみるページ
資料:タカラ問題
( ( ´∀`) オマエモナー・ファンクラブ (゚Д゚,,))
2002.06.05:『バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳』開設
http://y22.sakura.ne.jp/
文章力に定評のあるVNI。このサイトのアイデアは見事。
はじめまして。私は、仮想世界に生きる”電子のネットストーカー”ヨシミといいます。ネットでストーキングしたりされたりしてみたい!けれど本当にやっちゃうと捕まるので出来ないよ、という方のために生まれた新しい形のネットストーカーです。どうかよろしくお願いします。当サイトは違法行為を助長するものではありません。ていうかページの内容は人様の日記読解&分析批評です。でも情緒不安定なので毒も吐きます。あと、頻繁にHTMLの記述を間違えますが、仕様です。
バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳
2002.06.11:『ろじっくぱらだいす』が「ろじぱら式Web投げ銭」を提案
大道芸を見た人は、その芸が面白ければ芸人の前においてある銭入れに思い思いの額のお金を入れる。
「Web投げ銭」は、これをウェブ上で実現しようというもの。
日本では1999年からサービスが始まった小額電子商取引システムを利用し、
個人サイトの管理人が閲覧者から投げ銭を得る方式を提案した。
これにより、管理人はサイト更新の労力に対して報酬を受け取ることができ、モチベーションの維持・意欲向上も図れると主張した。
「Web投げ銭」はあまり支持を得られなかったのだが一年後、『日本だんでぃ協会』の「だんでぃ」が、このシステムをヒントにした「web拍手」を提案する。
資料:Web投げ銭 (ろじっくぱらだいす)
資料:『ろじっくぱらだいす』による「ろじぱら式Web投げ銭」の提案
2002.06.19:『母さん』開設
http://mother.cside.com/
必ず「母さん。」から始まる一言ネタサイト。
2002.06.20:ぬるぽ発生
1 :仕様書無しさん :02/06/20 15:09
∧_∧
( ´∀`)< ぬるぽ
2 :仕様書無しさん :02/06/20 15:11
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/ ←>>1
(_フ彡 /
NullPointerExceptionを「ぬるぽ」と呼ぶスレ
2002.06.22:『バーチャルネット思想アイドル・やえ十四歳』開設
http://www.amaochi.com/
親サイトの『HP 平成徒然解体新書【堕天使の槍】』は1999年7月15日に開設。やえ民主主義人民共和国の書記長?。「右も左も逝ってよし!」
はじめまして。私は仮想世界に生きる”電子の妖精”やえといいます。
VNI界初の「ネット思想アイドル」です。つまり「VNSI」です。
思想家ながらアイドル、またはアイドルながら思想家です。
こんな微妙な私ですが一生懸命頑張るので応援よろしくお願いします。
2002.06.28:ちゆデー
『ちゆ12歳』100万アクセス達成記念イベント。ムーノーデーと同じように ちゆデーでも多くのサイトがちゆフォーマットになった。
ついに、ちゆ12歳さんのアクセスが100万目前に迫りました♪
・・・皆様・・・いよいよです・・・♪
★ちゆちゃん100万アクセスおめでとうございますスペシャル♪
(別名・「ちゆちゃんデー」)0時より開催です♪
この日以外にも、ちゆ誕生日に「ちゆデー」が行われている。
資料:ちゆ12歳さん100万HITおめでとうございますスペシャル!♪
(うどんアタック!)
2002.06.30:『ダークマター』開設
http://members.tripod.co.jp/watch_dark/
http://watch_dark.at.infoseek.co.jp/
2chネットwatch板のテキストサイト関連スレッドが情報元のテキストサイト界ニュースサイト。所謂「テキストサイト系テキストサイト」の代表格。
多くの騒動を伝えた。
7月1日
管理人濁(ダーク)の、簡単な自己紹介。
ネット暦1年と少し。ご多分に漏れず「侍魂」によって、テキストサイトの世界を知るという恥ずかしい過去を持つ。その後、よせば良いのに自分でサイトを開設。例によって、黒バックセンタリングフォントいじり系日記サイト、要するに誰が見ても明らかな侍劣化サイトであった。そんな糞サイトを、よりによって半年間続けていたと事実は、嫁には絶対に言えない過去だったりする。嫁なんていないけどさ。
結局、フォントいじりに飽きてサイトを畳んだ後、ヲチ板の存在を知りヲチャーとしての日々を送る毎日。今では、ヲチ板が無いと生きていけないくらいの、ネットジャンキーである。そんな、絵に描いたような人生の堕落者。
2002.07.02:玄界灘海難事故
2002年7月2日、玄界灘でパナマ船籍(経理などの関係上、船籍をパナマとすることがある)、韓国興亜海運社所有の貨物船「フン・ア・ジュピター」(3372トン)が巻き網漁船「第18光洋丸」(135トン)と衝突。 「第18光洋丸」の乗組員17名が海に投げ出され、死者1名、行方不明者6名、負傷者2名。 続いて6日、6名の行方不明者を捜索中の水産庁の取締船「からしま」もまた貨物船「コレックス・クンサン」に衝突され大破、自沈処理をやむなくされた。 大変大きな事故であるのだが、マスコミは殆ど報道せず。また韓国船であることを報道せずに、「パナマ船籍」とのみ報道する。 マスコミが韓国に対して不利な情報を流さないようにしていると思った人は少なくなかった。マスコミの対応を非難するサイトが複数発生した。 ワールドカップ・玄界灘海難事故以前は朝鮮半島・在日朝鮮人への非難に対して、ネット上の人々の殆どは「右翼的言動」として耳を貸さなかった。 しかし、ワールドカップ・玄界灘海難事故をきっかけとして耳を貸す人が増えていき、いわゆる「嫌韓」が増えていくこととなった。
2002.07.04~2002.07.06:湘南ゴミ拾いオフ
フジテレビのワールドカップ報道に抗議する為におこなわれた2chオフ。同局の番組で湘南海岸清掃企画があることに目をつけ、事前にゴミを全部拾って企画をつぶしてしまおうというオフ。
2ちゃんねらーは5日~7日早朝までゴミ拾いをし、フジの中継が行われる前に全てのゴミを片付けた。これに対しフジテレビは黙殺。放送ではライフセーバーがゴミ拾いをしている様子が紹介された(ゴミは残っていないはずなのに!)。
資料:湘南ゴミ拾いオフのまとめページ
2002.08.09:『Let's RAGNAROK!』閉鎖
ラグナロクオンライン(JP)β1後期、『Let's RAGNAROK』は 掲示板が大きく荒れ始める。その原因は 「自分にとって都合の良いように決めたマナー(俺ルール)を他人に強制しようとするプレイヤー」と、 それに反対するプレイヤーとの対立であった。
日々無意味な論争に明け暮れていた掲示板住民は、やがて"劣厨"と呼ばれるようになった。
2002年8月、『Let's RAGNAROK!』と同じくRO総合情報サイトである『RODN』は「ガンホーに期待する事は?」というアンケートを実施。すると、投票CGIに「劣の閉鎖」という項目ができ、多数の票が集まった。それを見た『Let's RAGNAROK!』のMiyabiは虚しい気持ちになり、サイトを閉鎖させた。
今回、RODNさんの「ガンホーに期待する事は?」というアンケートに「劣(当サイトの事)の閉鎖」という項目が上がり、それに呼応するような形でサイトの閉鎖をしました。
閉鎖に関して、RODNさんのアンケートはトリガーに過ぎません。閉鎖を望む項目への投票も、悪のりの感はありましたが現在の「声」として受け止め閉鎖を決めました。 数ヶ月前より、自身の管理の至らなさから、掲示板への書き込みや頂くメールなどで閉鎖を望む声は大きくなっていると感じていました。もちろん、閉鎖を望む声よりも、当サイトを楽しみにしている方の声の方が大きいのは理解しています。そう思ってきたからこそ、あの日までサイトを運営してきました。
当サイトのようなコミュニティー主体のサイトでは、重大な影響を及ぼすような書き込みを早期に発見し削除しても、気が付く人はほとんどいません。消えているのですから。しかし、発見が遅れれば、多くの人目に付きます。
この日も実は、当掲示板に他人のHNを勝手に利用する悪質な書き込みに加えて、ベータ2サーバへのフライングログインについての書き込みが多くありました。実際にサーバオープン告知が出ていないのに、ログインできた、というものです。当然公式発表がない以上、削除すべき書き込みです。
何度も掲示板を見ては削除しての繰り返しです。
しかし、その事は、ほとんど人目につきません。
(当日の2chのログを見て頂ければわかります。「劣に広まるのも時間の問題だ」という書き込みはあっても、「劣に広まった。もうだめぽ」というような書き込みなかったと記憶しています。こちらでの書き込みを削除していたからです。)
その後に閉鎖を望む「声」を見ました。虚しい気持ちでいっぱいになりました。今まで何度か同じような事がありましたが、この日の私には、この「声」は深く刺さりました。そして閉鎖を決めました。
Let's RAGNAROK!
2002.08.29:ツンデレ誕生
あやしいわーるど@暫定にて。
■ 2002/08/29(木)00時28分42秒
> 貴殿ら大空寺大空寺と言ってるがあんな性格が悪くて馬鹿そうな奴の何処が良いんだ?
ツンツンデレデレが良いとか聞くな
漏れはまゆのほうがいいけど
2002.08.xx:さいたまブーム
何故か、さいたまが大人気。「さいたま」としか言わないFlash動画が数多く作られた。
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< さいたまさいたまさいたま!
さいたま~~~! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
2002.09.xx:アリスリデル、黒衣の騎士団としてラグナロクオンラインに現る
Allmissチートを使った様子をサイト『黒衣の騎士団』に載せる。
資料:黒衣の騎士団のミラー
(喫茶iRC)
2002.09.07~2002.09.30:ROVNI騒動
ラグナロクオンラインの登場以降、事実上はラグナロクオンライン日記であるVNI、すなわち「ROVNI」が多数登場。 既存のVNIですらラグナロクオンライン日記に移行するものが多数あった。 そんな中、『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)』が登場し、急増するROVNIに対して攻撃開始。
一般VNIから見たら、身内ネタオンリーで盛り上がって泡アクセス稼いでる同業者って物凄く迷惑なんですよ。やる気失せますから。
VNIのモチベーションが下がってしまうのは閲覧者にとっても物凄く迷惑ですし。RO系VNIのみなさんはこれが分かりますかぁ?
バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)
詳細は⇒ROVNI騒動、ROVNIの登場とVNI界の失速
2002.09.11:『バーチャルネットアイドル・ブックマーク集『ほかん庫(仮)』』が閉鎖を発表
ROVNI騒動が引き金に。 拡大を続けていたVNI界に失速の兆しが見え始めていた時、この騒動によりブックマーク集を失ったことでVNI界の縮小は決定的となった。
当方が更新の停止を決意した理由と致しましては、各々バーチャルネットアイドル(以下VNI)を一括りに『VNI界』として見た場合、その『VNI界の低質化』の現象が激化しているという事態が直接の理由に当たります。
VNIというものが一つのジャンルとして認識され始めてから久しい昨今、『VNI界』というジャンルの大きさは予測できない程の広がりを見せました。当方が確認している限り、そのサイト数は700を超えています。
しかしVNI界の拡大に伴い、それを構成する個々のサイトの低質化も目立つ様になってきたのもまた事実です。
ネタでは無いのにも拘らず数日で更新を停止してしまっているサイト。アクセス数稼ぎの為に無意味にちゆフォーマットを採用し、VNIを名乗るサイト。これが原因の全てではありませんが、この様な例を挙げ始めたら限がありません。
そしてそれらサイトの中には、ちゆ12歳様にリンクを張っていないサイトも多数見られます。
勿論ちゆ様がそれを強制・推奨しているわけではありませんが、フォーマットを借用している以上、敬意、場合によっては謝罪の念を払うためにリンクを張るのは『VNI』を名乗る者として当然の行為だと、当方はそう考えております。氷瀬秋子氏から『ほかん庫(仮)』を受け継いだ時点で当方の中に在った、VNIらに対する期待と興味は、既に現時点では欠片程も残っておりません。VNI界を一ブックマーク集ページとしてまったりと見つめ続けるのは、時間の浪費と判断致しました。
結局は、「ちゆって誰?」と言い出す人間(最早VNIではない)が出現しそうな勢いで、それら劣化コピーとも言い難いサイトが増え続ける現状を冷静に静観し続けられるほど、当方は大人でもなかったという話です。
バーチャルネットブックマーク集・ほかん庫
2002.09.15:1000キタ━━━ (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) ━━━━!!!!!!!!!! 公開
「50レス目に出たネタでフラッシュ作れ」生まれのFlash。 『スキマ産業』の代表作にして「50レス目に出たネタでフラッシュ作れ」スレの代表作にして2ch系Flashの代表作の一つ。ソースが公開され、多くのクローンが作られた。
1000 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/04 20:10 ID:LNimOew3
1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
50レス目に出たネタでフラッシュ作れ
14 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/04 20:11 ID:???
1000きたーーって・・・15 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/04 20:12 ID:???
前のスレの>1000は・・・・。16 名前: ヘポコ ◆HEPOx.cM 投稿日: 02/09/04 20:12 ID:???
前スレ1000が
「1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!」
か・・・
*50レス目のネタでフラッシュ作れ Part2
596 名前: スキマ産業 ◆d1suKimA 投稿日: 02/09/15 17:39 ID:???
Part1>>1000の「1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!」
です。色んな意味で重いです。ごめんなさい。
http://sukima-industry.hoops.ne.jp/num1000.html597 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/15 18:04 ID:PeEFDcrB
新作キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!
BGMカコイイ それよりなにより職人さんが離れてなく、じっくりと
時間を費やして作品を作っていて安心した
折れ的に久々の大作だったのでageるぞゴルァ!
*50レス目のネタでフラッシュ作れ Part3
2002.09.26:『Mitsuhiro Takemura's Blog』開設
http://blog.neoteny.com/takemura/
MESH(東大メディア環境学研究室)の助教授である武邑光裕のブログ。
my first blog.
久しぶりにJoiに会った。彼はいつも私たちの先にあるコミュニケーションの形を教えてくれる。Blogは久々に感激しているツールだ。どんな可能性があるかを実際に経験するため、とりあえず日記のように、記憶の地図のように、書き記そうと思う。 構想から3年くらい、今年は新しい本を書いていた。今まで書き下ろしの本など書いたことがなかったが、「デジタル・アーカイブ」に関する論考をまとめ上げている。記録と記憶、そして忘却。ポール・オトレ(Paul Otlet)からアビ・ヴァールブルグ(Aby Warburg)、そしてH.G.ウエルズ(H.G.Wells)、からバネヴァー・ブッシュ(Vannever Bush)、さらに現代のテッド・ネルソンに至るまでのハイパーテクスト概念の思考の流れを整理して、何故人間は記憶を外在化するのか、そしてそれらは忘却という内在化をいかに生み出すのかを考えた。 Blogは何かのヒントを与えてくれそうだ。
Joiとはネオテニーやデジタルガレージの代表取締役、伊藤穣一の事である。武邑はMESHの学生にブログを進めた。その学生の一人が明神光浩。
2002.09.30:教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ公開
『ばるぼらアンテナ』のばるぼらが制作した、個人サイト中心の年表。
大げさな前書き
このHTML文書は日本のインターネットの歴史のごく一部を年表の形にまとめたものです。 残念ながら私には、人を愉快にさせる面白い文章や、深く洞察を促すような賢い文章を書く能力はありませんが、 巷に溢れる乏しい資料で強引な俯瞰ばっか繰り返す退屈なネット論よりは、幾分マシなものになったかと思います。
いつか中学校の歴史の授業で「昔インターネットという地球だけの閉じたネットワークがあり…」なんて教科書片手に話される時、 ここに取り上げた事象のほとんどは語られることはないでしょう。 それはそれでいいのかもしれません。昔話は酒のつまみ。貴方の「インターネットが一番楽しかった頃」はいつですか?
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ
2002.10.07:『デイリーポータル Z』開設
ニフティが運営する面白記事サイト。編集長は『Webやぎの目』の林雄司。
2002.10.23:MESHの明神がブログ騒動のきっかけとなる文「BLOG BY MESH」を掲載
MESHの学生であり、武邑に勧められブログを始めた明神が自身のブログで ”「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。”と書く。
BLOG BY MESH
須之内君によってメディア環境学研究室のblogが立ち上げられてから3日目にして、やっとmy blogをスタートさせました。ほんとはスタイルシートをカッコよくしてからコンテンツを作りたかったんだけど、スキルがないので諦めて、とりあえず始めてみることにしました。
「blogの良さは実際にやってみなければわからない」と言われますが、現状では「はじめにくいからその良さがわからない」という面が大きいのではないかと感じました。HTMLでホームページを作る際には、「初心者のためのホームページ作成法」などの類のwebページや書籍が大量に出回っているので、それを利用すれば誰でも容易に作成できます。しかし、blogに関してはそういったものがまだ見当たりません。そもそもこのMOVABLE TYPE自体に英語版しかなく、HELPを読むのに助けが欲しいくらい(と某メンバーが言っていました)です。こういう状況だからこそ、ボクらがblogを作っていく際に困ったことや苦労したこととその解決法をまとめることに意義がありそうです。それを「初心者のためのblog作成法」として研究室のblogで公開すれば、これから始める人にとって大変役立つものになるのではないでしょうか。
blogが一般的になったときに、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)
2002.10.23:『eno blog』開設
http://fyto.com/eno/
「Dの食卓」を制作した事で有名な飯野賢治のブログ。
プレイステーションとの縁を切る事を、よりによってプレイステーションエキスポで発表したり、
『風のリグレット』を酷評したファミ通に対し「このゲームを評価するなら10点満点か評価不能のどちらかにしろ」と言ったり、
とにかく嵐を呼ぶ男だった。社名をスーパーワープからフロムイエロートゥオレンジに変えたあたりからは
大人しくなったが、それでも常に注目される存在だった。
彼がブログを開設した理由として「伊藤穣一がやってるから」といった事が書かれていた。
2013年2月20日逝去。心不全のため...。R.I.P.
さて、自分でもblogを始めてみた。
理由は3つある。
1つ目はJoiがblogをやっているからだ。Joiはblogだ。 いつ会っても、いつ電話してもJoiはblog中。 仕事柄でも、個人的にもJoiとそろそろ何か事業を一緒に始めようと思っているのだが、blogをやっていないと会話に入れてもらえないらしい。こりゃ困った。 なので、blogをやって「今日はいい天気だね」なんていう普通の人との日常の会話と同じように、「blogのスタイルシートがどうのこうの」などJoiとの会話のきっかけを作ることにした。 サッカー選手がセリエAに入った時、練習と同時にイタリア語を覚えるようなものだ。 なんだか、クラスのキレイな女の子との会話のきっかけを作っている中学生男子のようで悔しいのだが、Joiはblogなので仕方がない。
2つ目は、最近いろんな人にblogを教え、伝え、ハマらせているのだが、自分でやっていないのもどうかと思ったからだ。 教え、伝えた人々が、ハマって、作って、「enoさんのblogは?」と聞かれた時、「いや、ないんだよね」じゃ、申し訳ないし、情けない。 CREAだけ見て、「アマンリゾーツいいよー」と周囲に言い続けるようなものだ。 それはよくない。アマンはステキだ。 旅行も食事もblogも体験してみないことには、深くは語れない。 なんとなく、広める責任も感じて、自分でもやってみる、というのが2つ目の理由。
最後の理由は、自分なりに「!?」を感じているからだ。 可能性を感じている。 可能性というのは、単にblogの可能性だけではなく 自分の可能性を感じている。 自分の延長になるのか、忘却の手段になるのかわからないが これを続けると何かが変わりそうだ。 以前、webで日記を数年続けたが、いろいろと変わった。 少なくとも、それ以上、何かが変わる気がする。 変化はよいものだ。 変化は可能性であり、変化なくては進化がない。 あと、ちょっとしたキモチよさ、とか、美学も感じている。 そこが好きなところだ。
という、3つのスタート理由を書いて、初blogとする。
blogバンザイ!
2002.10.25:MESHの武邑がJapan Blog Associationsの立ち上げについて書く
Birthday
誕生日。48歳、よくもまあ、死なずに生きてきた。ただし、home alone....
本の校正やオーストリラリアの会議の準備で、寝る間も惜しい。blogはほんと、つかの間の休息。
今日、joiとenoさんからJapan Blog Associationsなる組織を作るとの知らせ。ほんと、blogに乗り出すこれからの人に、オープンソースの流れが合流すれば、この国の重いメディアの壁を越えることも可能かも。mesh bloggerも走り始めた。いきなり皆、それぞれの個性を光らせている。
あと2週間もすれば、ホント、周りが全部、bloggerになってしまう。これはやはり革命かな??
enoとは飯野賢治のことである。 彼らはJapan Blog Associationsを結成し日本のブログの代表になろうとした。 それに対し、反発をしたのが既存の日記・テキスト・個人ニュースサイト達であった。
2002.10.25:『FLASH作ってみますた~トゥートゥートゥマシェリーに魅せられて~』開設
http://otomania_2ch_flash.tripod.co.jp/
http://www.otomania.net/
後の『Otomania.net』。【VOCALOID2 初音ミクに「Ievan Polkka」を歌わせてみた】の制作者。
2002.11.05:『又吉イエス非公式サイト』開設
http://yes.kazamidori.net/
衝撃的な選挙ポスターで有名になった又吉イエスに関する情報サイト。
2002.11.08~2002.11.17:ブログ騒動
明神の「MESH抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたい」発言。
そしてJapan Blog Associationsの結成。
これに対し既存の日記・テキスト・ニュースサイト達は一斉に反発し騒動になった。彼らは
「先人達の手によってブログ草創期はすでに終わっている」「伊藤穣一とMESHは利権を握ろうとしている」
とし伊藤穣一とMESHを非難した。伊藤、武邑、明神は3名とも勉強不足だったとコメントした。
そして多くのサイトがこの騒動を取り上げ、結果、ブログという言葉・存在が一気に広まることとなった。
資料:某ウェブログしょぼ発言 反応クリップ
(俺ニュース(ミラー))
資料:2002年のブログ騒動について今更振り返る(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
2002.11.14:『MorphyOneの軌跡』開設
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/6906/
同人ハードウェア「MorphyOne」の失敗を詳細にわかりやすく後世に伝えているサイト。
ヒューレット・パッカードが開発した小型PC「HP200LX」。それが生産中止になったとき、
代替PCを俺が作ると言った「とよぞう」こと佐川豊秋。早々と予約を始め8400万円程のお金が佐川豊秋の元に集まった。
しかし、いつまでたっても代替PC「MorphyOne」は完成しない。
入金した人達は佐川豊秋に疑念を抱く。「MorphyOneは本当に完成するのだろうか…」。彼らは向う、佐川豊秋のいる湯島事務所へ…
2002.11.29:『ゴルゴ31』開設
http://www.golgo31.net/
漫画批評サイトとして作品の短評とマトリクス、採点を掲載。2004年3月頃からニュースサイトへ変わりだした。
姉DVDネタで有名に。同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」を広めたニュースサイトの一つ。3大個人ニュースサイト「KKG」の一角。
2002.12.02:『偽与野区役所』開設
http://yonokumin.tripod.co.jp/
http://www.niseyono.com/
Flash職人。オリジナルストーリーの動画を多数制作。【終わらない鎮魂歌を歌おう】が有名。
2002.12.10:『G-STYLE』開設
http://flash2ch.hp.infoseek.co.jp/
http://3sai.sakura.ne.jp/
Flash職人。自身の息子の面白い話をネタにしたFlash動画【3歳シリーズ】が代表作。
2002.12.26~2002.12.31:紅白FLASH合戦
2ch、FLASH・動画板から生み出されたFLASH祭り。
スキマ産業のような有名な職人から無名な職人まで参加し技術を競い合った。
■10/12
--企画の意図--
今年の年末大晦日、“紅白FLASH合戦”をやりませんか?
FLASH製作者が紅白に分かれ当日にFLASHの発表をします。
当日周辺にパソコンがなくても、前日にUPしておけばアドレスの発表を本部が行うので参加可能です。
紅白本部サイトに投票システムをおいておき(保留)、最後に全体として紅白どちらが勝ちかを決定致します。
勝ち負けはそれぞれの対戦ごとではありません。また、FLASHの内容は基本的に参加者が自由に決めてください。
大成功を収め、年末恒例行事に。
=閉会宣言=
この板が無ければ、2ちゃんねるが無ければ、
恐らくこのような企画が生まれ、成功することはなかったでしょう。はじめは、ほんの思いつきでした。
その思いつきが、こんなにも大きなイベントに成長したのは、
この板を訪れる多くの人達が協力をしてくれたからです。参加を決めてくれた方はもちろん、飛込みをしてくださった方。
イベントの成功のために動いてくれた方。様々なアドバイスをしてくださった方。
そして、FLASHをご覧になってくださった皆さん。みなさんの協力がこの企画を成功させました。
現実世界では、顔も知らないし、名前も知らない。
そんな人達が協力し合い、一つのものを作り上げることが出来る。
それが2ちゃんねるの、インターネットのすばらしさだと思います。最後に、FLASH50さん。
おそらく、この板に住むコテハンの中で最もリーダー
に向かないまろやかさが主催であるにもかかわらず
企画が成功したのは、あなたのおかげです。
本当にありがとうございました。2003年が“FLASH・動画板@2ちゃんねる”にとって良い年であることを願いつつ…。
ここに紅白FLASH合戦を閉幕いたします。
ありがとうございました。
2002年12月31日 まろやかさ
2002.12.27:『2ちゃんねる研究』閉鎖
特に継続する意義も見当たらないので、このまま終了ということにします
2ちゃんねる研究
2003年:FLASH黄金時代
2003.01.05:『ばーちゃるねっとあいどるゆにっと テキッ娘。』開設
http://www9.plala.or.jp/kamakura_yukky/vni/
『かまくら』の釜本雪生が作った独自型VNI。
バーチャルネットアイドルユニット「テキッ娘。」とは、「電子の世界でデビューを果たした5人組のネットアイドルグループの運営する番組」というコンセプトに基づいて構成されたテキストサイトのことです。正式名称は長いので文中で表記する場合は「テキッ娘」のみで結構です。単一のサイトで曜日によって異なる女の子がDJを務める、バーチャルディスクジョッキーシステム(VDJシステム)を採用しています。毎日巡回するも良し、好みの女の子が出演する曜日だけを追いかけるも良し。楽しみ方は読者の皆様方の自由です。
斬新で野心的なアイデアであるが5人のキャラを演じなければならないわけで、雪生1人だけでやるには難易度が高い……。 『無題』のマサムネは雪生にこうアドバイスしたという。
・最初は3人(ユニットだと主張できる最小人数)に留めておくべき。中の人が1人で5人キャラ使い分けて毎日更新なんて絶対無理。現状ですらすでに破綻している。メンバー増員は、中の人を増やすなどして、運営にかかるコストを余裕を持って受け止められる体制が整うまで我慢。
1月25日・2回目(無題)
3月末に「春休みをとります」といって更新休止。そして8月に…
詳細は⇒『テキッ娘。』の挫折
2003.01.16:はてなダイアリーベータ版リリース
人力検索サイトはてなが始めたブログサービス。はてなのブログサービスがほかと違い秀逸だった点は、キーワードシステムと呼ばれるWeb用語集が実装されていることであった。 Web用語集にはユーザーが用語とその解説を登録することができる。登録された用語はキーワードとなり、ブログの文中にキーワードが存在すると、そのキーワードの解説ページへ自動でリンクされる。非常におもしろいシステムである。3月13日に正式版に移行した。 しかし多人数が編集するWeb用語集だけに用語の解説には色々と問題も。3月13日に正式版に移行した。
2003.01.21:『jkondoの日記』開設
http://d.hatena.ne.jp/jkondo/
はてなの創業者、近藤淳也のブログ。2001年8月26日から始めていた『はてなスタッフ日記』が前身。
2003.02.01:『JanJan』開設
元鎌倉市長の竹内謙が立ち上げた市民参加型インターネットメディア。運営費は富士ソフトABCから賄われている。
韓国の『OhmyNews』と同様のコンセプトのインターネット新聞を目指した。2003年2月1日は創刊号の日。2002年9月30日には創刊準備号が発行されている。
●<JanJan宣言>
インターネット新聞『JanJan』は、これまでのメディアの発想を一新する「市民の、市民による、市民のためのメディア」です。そのことを明確にするため、創刊にあたって次の〈宣言〉をします。
多くの人々が市民記者になって生活や仕事、ボランティア活動の現場からニュースを送ります。
市民のボランティア活動とカンパが編集作業を支えます。
既存マス・メディアのニュース価値にかかわりなく市民の視点に立って良質な言論を創り上げます。
正義と自由、公正を大切にする市民社会の創造を目指し、市民主権と地域自治を確立する制度改革に取り組みます。 国境を越える情報交流による異文化の相互理解を進めます。
JanJanとは(JanJan)
2003.02.03:『愛・蔵太の気ままな日記』開設
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/
『HEY BULLDOG』の細田によるブログ。
■ この日記について
ヘイ・ブルドッグ(http://lovelovedog.cool.ne.jp/)ってサイトが少し重たくなってきたんで、こちらで軽い、メモのようなノートを書きます。グチと悪口は基本的に回避。
はじめました(愛・蔵太の気ままな日記)
2003.02.22:大阪マルビルにキタ━(゚∀゚)━!!!を出すOFF
梅田の大阪マルビルの屋上にある電子看板に「キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!!!」を流すという企画。
大阪マルビルの側にあるアクティ大阪27階に集まった2ちゃんねらー達は電子看板に出た「キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!!!」に歓声を挙げた。
資料:大阪マルビルにキタ━(゚∀゚)━!!!を出すOFFのレポート
2003.03.07?:『512kb』開設
http://page.freett.com/512kb/
http://512kb.net/
あずまんが大王のアニメオープニングをパロディにしたFlash動画【2ちゃんねる大王】が有名。また、【num1000 512kb cache mix】は数多く制作されたnum1000リミックスの中でも代表作といえる。
2003.03.13~2003.03.27:産経vs連邦
産経新聞の伊東繁次長が連邦のゲットニュースに対し、「著作権等の侵害である」「無断リンクを止めろ」と抗議を行った。
産経新聞社の伊東と申します。 「連邦」サイト管理者にお尋ねします。 同サイトで弊社が運営する産経WEB、ZAKZAK、サンスポcom の見出し記事が数本転載されて、 各サイト内の記事へ直接リンクをはっていますが、 こうした行為は弊社にリンクの許可 をとったうえでおこなっているのでしょうか。 こちらでリンクを許可したという書面はみつかりません。
もし、無許可でかかる行為をされているならば、 著作権等の侵害にあたります。 即刻、記事掲載を中止してください。 誠意ある対応をお待ちしております。
これに対し連邦は3月13日、産経から抗議から来たことを記事にし、著作権侵害ではないとして反論。 さらに伊東の態度を非難した。
とまぁ、ハイパーリンクを絶対に許さない産経新聞代表の方が担当しているのだが、この方が、人を「あんた」呼ばわりするは、「暇だから電話しているでしょ」とか、年齢を間違っただけで「年齢も暗記できないんですか」と人をコケにするわと(ちなみに俺より年上)大変な事になっている。お米ちゃんが在日の方と何かゴタゴタやっていると風の噂で聞いたが、電話をすれば「メールで返答ください。証拠になりますから」とかなんとか仰せになるので、大変洒落にならず、上の法務局に伊東のご意向で流してもらったら人はおらず。おまけに、このメールには「著作権」に関する詳しい条項がまったく書かれていないというおそまつさ。
つか、メールを公開するのはモラルに反するとか言うのに、産経サイドの俺モラルを押し付けるのは勘弁してください。他の方はしっかり対応していますが、あなただけ産経を盾にして話すすめています。つーか、これ採用されちゃったら、個人がリンクすることも、2チャンネルのニュース速報板がリンクする事もアウトになっちゃうんですよねぇ。。。。。。
さらに連邦は産経法務部に電話したところ、本件は伊東の暴走であり法務部は何も知らなかったとのことであった。
無断リンクはニュースサイトが普通に行っていることであり、多くのニュースサイトが連邦と産経とのやりとりを取り上げた。
資料:産経×連邦
2003.03.31:『梅田望夫・英語で読むITトレンド』連載開始
http://japan.cnet.com/blog/umeda/
梅田望夫が『CNET Japan』で2004年末まで連載したコラム。2006年、梅田は「ウェブ進化論」を著した。
2009年には「日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く」でも話題に。
2003.04.15:『Lunatic Cylinder』開設
http://l-c.hp.infoseek.co.jp/
画像ネタに特化したニュースサイト。後の『ねたミシュラン』、その後の『ねたたま』。
2003.04.15:『pya!』開設
http://pya.cc
画像と動画投稿サイト。投稿された動画を閲覧者が"(゚∀゚)"(イイ!)"(-A-)"(ダメポ)ボタンで評価が出来る。なお、商業サイトっぽくも見えるが個人サイトである。
公開してすぐに話題となった『電影駄目虫超』のFlash動画【マイヤヒー】は『pya!』経由で更に広まった。【Ievan Polkka】を広めた事でも有名。
2003.04.24:『ヘッポコムービーズ』開設
http://www2.odn.ne.jp/heppokomovies/
Flash職人。AAキャラクターをアニメ風に可愛く動かす事にかけては右に出るもの無し。【アニメ2ちゃんねる】【はしれ!!ショボねこ】。
かなりの額の年俸を貰いながら、ほとんど登板をしていない川崎憲次郎(中日)に対し、 オールスターゲームのファン投票で一位にして晒し者にしようという祭り。中間発表で一位になったが6月23日に川崎がオールスターゲーム辞退を発表。
2003.04.27:Winny2登場
1491 名前:47. 投稿日:03/04/27 22:02 ID:gmIlQnKz
お待たせしました。Winny ver2.00.beta1 です。Winny200beta1.zip 234,567 4de631b9e48726ccf464256c8162613c
現在のnyの稼動状況調査を兼ねて、ny1上で配布します。
・ファイル共有部分のバグ修正・仕様一部変更
・BBSはny1と互換性は無い
・GUIをフルリファイン
・BBSにクラスタの概念を導入
・ny1と同時起動は不可能。まず、ファイル共有部分について、
BBSを新しくするに当たり、ファイル共有部分のキー操作部分を変更しました。
ny1と互換性はありますが、ファイルversionは5.1となります。
BBS処理を分離したため、ファイル共有部分のクエリー処理が多少高速化したはずです。
MXの次の次は何なんだ? part120
2003.04.xx:『ウェブテント』開設
http://www.geocities.jp/jugongordie/
Flash職人。【くわがたツマミ】【やわらか戦車】とヒットを飛ばしていく。
2003.05.02:『俺ニュース』が閉鎖宣言
20030502
ういー、すっかり告知遅くなっちった。
以前からの御案内通り、
東京めたりっくの終了に合わせて俺ニュースは閉鎖させて頂きます。
長い間ありがとうございました。東めたは6/30で消滅するらしいので、
残務処理とかの期間をとるため5/31で終了とします。
それまでは更新頑張りますので。5/31をもって東めた・Yahoo!・Tripod・Infoseek・NAVER・トクトクの全アカウント・全サイトを抹消します。
「俺ニュース」及び「てくる」は完全に消滅します。
今後の予定は一切ありません。
完全に終了です。保存しときたい人はいまのうちに、といきたいとこですが、
俺ニュだけで250MBくらいあって鯖が耐えられないと思うのでちょっと待ってね。
週明けには3つ目の桜鯖が立ち上がるんでそこで再配分して負荷を分けますので。
RNA side(俺ニュース)
2003.05.05:『高木浩光@茨城県つくば市の日記』開設
http://d.hatena.ne.jp/HiromitsuTakagi/
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/
WWWを知った9年前、個人的なことは書くまいと思ったのを覚えている。Web日記が流行し始めたときも、「自分は書かないぞ」と決意したものだ。言いたいことはメーリングリストに書くことで満足していたし、他の人が意見を述べればそれが同じ場で皆に見えるという、メーリングリストの性質が自分には合っていた。Web日記はそうではない。小さなコメント機能はあっても議論の場とはならないし、誰かの反感を買ってどこか知らないところであれこれ言われるのは不安だ。それに、「これは個人的な日記だから」と暗に反論を牽制する結果をもたらす仕組みになっているのも、自分には合わないと思っていたし、そうした牽制を必要とする話題を書く動機がなかった。
だが、状況は変わってきた。tDiaryなどのRefererを自動集計してくれる便利な日記システムや、検索能力の高いGoogleの登場で、特定の話題に関心を持った少数の人たちのコミュニティが形成されるようになってきた。メーリングリストは基本的に参加者の皆が求めていそうな話題しか書けない(書きにくい)システムなので、関心ある者が臨機応変に集まる必要のある話題には向かない。
もうひとつの状況変化は、自分の関心が移り変わってきたことだ。以前は純粋な技術論だけで満足だったのでメーリングリストでよかった。ここ3年は、セキュリティ脆弱性の話題を扱うようになって、公の場では書けない情報を握るようになり、書けない鬱憤が溜まるようになった。しかし、書いてはならないことは、「個人的な」Web日記であろうとも、いずれにせよ書くわけにはいかない。ところがここ9か月ほどはプライバシーの話題にも首を突っ込むようになってきた。セキュリティ脆弱性の話は論理だけで事がすむ。証拠を示して問題点を指摘すれば私の役割は完結する。ところが、プライバシーの話はそうはいかない。正直、そういう性質の話題には首を突っ込みたくなかったし、自分の役割でもないと思っていたのだが、結局首を突っ込んでしまった。
「今日からWeb日記を書くぞ」と決意したことはこれまでにも何度かあったが、いろいろ迷いがあって、その都度断念している。今回もいつまで続けるかわからない。すぐにやめてしまうかもしれない。
2003.05.13:web拍手公開
『ろじっくぱらだいす』のワタナベが考え出した、サイト更新の労力に対して報酬を受け取るためのシステム、「web投げ銭」 。 このシステムからヒントを得て『日本だんでぃ協会』のだんでぃが考えたシステムが「web拍手」。 「web拍手」はサイト管理人への感謝の意思表示をするためのシステム。
web拍手とは?
大手テキストサイトの「ろじっくぱらだいす」さんで考えられた「web投げ銭」にインスパイアされて、 「日本だんでぃ協会」で考えられたシステムです。
例えば、大道芸人は道端で芸をし、それを見た観客が 大道芸人を応援する気持ちを込めて拍手や投げ銭をします。
これをインターネット上のwebサイト(ホームページ)管理人に当てはめたとき、 投げ銭にあたる物が「web投げ銭」、そして拍手にあたる物がこの「web拍手」です。
webサイトを公開したことのある人なら理解していただけると思いますが、 自分が発信しているwebサイトに対して 閲覧者からリアクションがくるというのは非常に嬉しいことです。
自分が趣味で始めたwebサイトでも、 「面白かったよ」とか、「がんばってください」といった言葉を 閲覧者から掛けてもらえると、より更新作業にも熱が入り、 webサイト運営が楽しくなります。
今まで、そういった閲覧者からのリアクションを得る方法として、 自分のwebサイトに掲示板を設置したり、自分のメールアドレスを公開していました。
しかし、それらの手段はどれも「文章を書く」というプロセスが必要だったために、 面倒なイメージがあったり、それ自体が苦手な人がいたり、何となく緊張してしまったりと、 管理人を応援したい気持ちがあっても、ただ見るだけで終わってしまうことがよくありました。
ここをご覧の皆さんも、そういった経験があると思います。
そこで、もっと簡単に「マウスをクリックするだけ」で 管理人に対する応援の気持ちを伝えることは出来ないか。
そういった考えの元に作られたのがこの「web拍手」です。
web拍手システムについて(日本だんでぃ協会)
2003.05.19:『切込隊長BLOG ~俺様キングダム』開設
http://lineblog.me/yamamotoichiro/
切込隊長こと山本一郎のブログ。
2003.05.29:『俺ニュース』が更新風景をUP
全巡回先約600のうち約280のサイトを2時間で回って、
HTML書いて200305-291248をアップロードするまでを収録してます。
まぁ見て面白いもんじゃないので資料として。
RNA side(俺ニュース)
資料:俺ニュースの更新風景 (俺ニュースのミラー)
2003.05.31:『俺ニュース』閉鎖
ネットワークの子供達よ
貴方達は私の誇り
貴方達は私の希望どんなに些細な事でもいい
どんなにくだらない事でもいい
貴方が心動かされた事を貴方の言葉で記し
貴方の手で次の世代に残しなさい遥かなネットワークの地平に次の百年を夢見て
長い間ほんとうにありがとうございました
RNA side(俺ニュース)
2003.06.01~2003.06.03:num1000リミックス企画
http://page.freett.com/scheme_a/day1.html
『スキマ産業』主催の1000キタ━━━ (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) ━━━━!!!!!!!!!!リミックス企画。
『スキマ産業』はnum1000のソースを公開。51作品が集まった。
2003.06.xx:蓮コラ
女性の肌に蓮の実を組み合わせた画像が大型掲示板の各種スレに貼り付けられる。 非常にキモイ画像であり精神的ブラクラ。
2003.07.01:『ダークマター』閉鎖
2003年7月1日午前0時をもって、ダークマターは更新を終了します。
一年間、当サイトを応援していただきありがとうございました。
いろいろと閉鎖文をこねくりまわしていたのですが、どうも湿っぽくなったのでバッサリカット。あんな感じになってしまいました。考えてみれば、この一年の間で伝えたい事は伝えきったからかなと、そんな気がします。
あと、誤解を受ける前に言っておきますが、トラブルでも何でもありません(笑)終わるべき時期が来たかなと感じたのがきっかけです。
当然ながら、表が終わった以上裏も終わりです。最後まで「β」が取れませんでしたが、このページを読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
2003.07.16:Japan Blog Associations解散
自分達の役割は達成したとして解散。
資料:JBAの問題点に関する報告/JBAとネオテニーの関係について、
再びJBAについて
(ARTIFACT)
2003.07.20:『きっこの日記』開設
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=338790
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/
現、『きっこのブログ』。元々それほど注目を浴びる存在ではなかった「きっこの日記」が注目されるようになったのは2005年の耐震強度偽装問題がきっかけであった。
2005年11月23日、まだメディアでは内河健の名が上がっていない時に、きっこは本当の黒幕は?というエントリーにおいて、 内河健が耐震強度偽装の黒幕であると指摘。
その後、イーホームズの藤田東吾が『きっこの日記』を「私たちでは関知し得ない、この事件の全容解明に資する重要な情報があると思います」と評価し、 情報を提供した。
同年12月20日、きっこは日記で書いてきた耐震強度偽装問題の情報元が民主党の馬淵澄夫事務所であると発表。 同日、馬淵澄夫議員がきっこの日記との共闘を宣言した。
2006年になり、きっこ、つまり横山希美子の正体は一体誰なのかという事について注目が集まった。
■2003/07/20 (日) ごあいさつ。
え~簡単に説明しますと、2000年の10月から2003年の1月まで、Roomsって言うケータイ用サイトのHPに書いていた『れいなの日記』と言う、あたしの徒然草的な日記があるんだけど、そこのサイトが閉鎖しちゃうので、こっちの日記に移動します。
本日から移動作業を開始するので、終了したら公開するつもりです。
とは言っても、ハンパじゃない量なので、いつになることやら‥‥。そんなこんなで、がんばって行ってみよーっ!!
きっこの日記
2003.07.20:FLASH★BOMB
紅白FLASH合戦と並ぶFlash界隈の大規模イベントであり、オフラインイベントである。FLA板に書き込まれた「ふらっしゅないと2003」という妄想イベントを現実化したもの。
運営はFlash50とwosa。大物職人が多数参加し【なつみSTEP!】等レベルの高い作品が公開された。紅白FLASH合戦とFLASH★BOMBはFlash黄金時代を象徴するイベントである。
2003.07.23~2004.06.02:株式会社ウェディング問題
2003.07.xx:『バナナが黄色いわけ』開設
http://phyphy.zombie.jp/
http://www.zaeega.com/
2004年1月から続く『ザイーガ』が有名。
2003.08.12:『テキッ娘。』閉鎖
「テキッ娘。」企画凍結のおしらせ
4月より再開を予定しておりました当サイト「テキッ娘。」ですが、諸事情により今後の更新が難しくなってしまいました。再開の予定は当分の間ありません。何らかの形で協力してくれた一部の関係者の皆様、おたよりを送ってくださった皆様、今まで楽しみに読んでくださった読者の皆様に心よりお詫び申し上げます。
過去ログについてはそのまま残しておきますので、今からでも見たいという方がいましたらご自由にどうぞ。今までどうもありがとうございました、それではまたどこかで。
2003.08.14:『極東ブログ』開設
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/
主に新聞社説ネタのブログ。
Q 極東ブログとはなにか?
A 「極東ブログ」という言葉に特に深い思い入れがあるわけではない。西洋人たちは日本人のことを世界の端っこにいると今でも思っていやがる、ということをきちんと認識しておこうというくらいの気持ち。
極東ブログFAQ(極東ブログ)
2003.08.21:『俺ニュース』更新
閉鎖告知時に
「俺ニュース」及び「てくる」は完全に消滅します。
今後の予定は一切ありません。
完全に終了です。
と言っていた『俺ニュース』が謎の更新。
next behavior 2003 winter
冬には『俺ニュース』復活か?と多くのサイトが反応したが、結局『俺ニュース』は復活せず。
資料:●next behavior 2003 winter に反応しているサイト様
(Doku*Pnoko)
2003.08.22~24:どっかの巨大モニタに映るモナーを見るOFF
2003年2月22日に開催された「大阪マルビルにキタ━(゚∀゚)━!!!を出すOFF」の成功に発奮したあしべ◆Mr.2chSfzcは新宿アルタの巨大モニタにモナー映す事を企画。
カンパを390,302円集め、広告主をコンセプトエンジン(=『連邦』の吉野健太郎)にして新宿アルタと契約。流す動画はFlash職人の軟骨が制作。BGMは『2ちゃんねる』が誇る名曲「ちんこ音頭」。
新宿アルタの巨大モニタにモナーが映し出され、ちんこ音頭が流れるという快挙を達成した。
資料:どっかの巨大モニタに映るモナーを見るOFF(CHOCOBOX)
2003.08.xx以前~:Antinny登場
Winnyネットワーク経由で感染するウイルス。Winnyのキャッシュを消去するだけであり、ダメージは少ない。 この後次々と亜種が現れる。
2003.08.xx~:MSBlast
ワーム。Windows2000,XPにある脆弱性を利用してコンピュータに侵入する。レジストリに自らを登録し、PC起動時に自分が立ち上がるよう設定する。
さらに、自らが感染しているIPアドレスに近いアドレスをランダムに選び出し、攻撃を仕掛ける。
さらには「Windows Update」にDoS攻撃を仕掛けるようにもなっていた。
資料: 爆発的流行の兆し? Blasterウイルス対策マニュアル
(INTERNET Watch)
2003.09.09:『絵文録ことのは』開設
http://www.kotonoha.or.tv/mt/
http://kotonoha.main.jp/
http://www.kotono8.com/
日本のブログの歴史をハイパーダイアリーと呼ばれた時代から遡って語れる貴重なブロガー、松永英明のブログ。
豊富な知識に裏づけされた実力はブロガーとしての彼の武器であり、話題性のある記事を多く書いた。
「震災後のデマ80件を分類整理して見えてきたパニック時の社会心理」「ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝」「日本のウェブログの歴史(詳細版)」などなど。
ただし、考え方の違う人には強い攻撃性を持って接しているようにも思え、多くの敵を作ることになった。
論争になったエントリーとしては、2004年5月23日の『CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味しない』、 同年7月25日『偽りの「愛国」、隣国への嫌悪』、 26日『「愛国」問題を出すとこのように誤読される』、 27日『愛国(3):「日本を誇る」必要があるのか』、
2005年5月9日の『多国語で書けるブログはどこ?ブログ124サービス【文字コード】全チェック』等が挙げられる。
2006年1月31日、『「きっこの日記」五年分すべてを通読してわかった。きっこの正体』というエントリーを書く。このエントリーがきっかけとなり、彼のかつてのハンドルネームが判明する。彼の正体は……
2003.09.27:アリス・リデルがRMTサイトを開設
http://rmt.revery.net/
37 名前:黒衣の騎士団投稿日:03/09/27 17:19 ID:???
ヨォ1年ぶり。名無しでは書いてたが。
ところで立てたぞ。まだ動いてないがな。http://rmt.revery.net/
対象はRagnarokOnline。
2003.09.28:『エルエル』開設
http://10e.org/
独自型VNI。トップページにあるムチムチ体系でピンク髪の看板娘が印象的。VOCALOID系動画の制作者でもある。『エルエル』の前には『ぺんぎんと~く♪』というサイトを運営していた。
老いも若きも、男も女も、ネコも犬もバーチャルネットアイドルも・・・。
皆様コンニチハ。
おん年10歳のエルエルです。
今年で10歳のエルエルです。
来年も10歳のエルエルです。
信じるモノは救われていないかもしれない10歳のエルエルです。現実の10歳はカワイイけど、空想の10歳は喰いかかってくるかもしれない理想のアイドルと言えるカモカモ。
はじめまして(エルエル)
2003.10.01?:『HACHIMIRI FILM』開設
http://freett.com/hachimiri_film_/
Flash職人。TVアニメ風動画の実力者。【Savior Cat- 救世主猫】が最高にクール。
2003.10.26:『しょこたん☆にっき』開設
http://ameblo.jp/nakagawa-shoko/
後の『しょこたん☆ぶろぐ』。一日に何度も更新することで有名。新「ブログの女王」。
2003.10.31:『成城トランスカレッジ!』開設
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/
http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/
人文系ニュースをメインに紹介するニュースサイト。後の『荻上式BLOG』。管理人のchikiは後に荻上チキとして評論家になる。
【このサイトについて】
「成城トランスカレッジ!」は、成城大学出身者有志によるプロジェクトで、様々な「知」の領域を横断する試みです。
このサイトでは、文化イベントの紹介やレポート、文化的ソフトや時事を巡る対話の実践を誰でも積極的に行うことが出来ます。
この環を、どんどん広げて生きたいと思っていますので、相互リンクやイベント紹介の書き込み、宣伝や運営の手伝いをしてくれる方、大歓迎です。
始まりたてで、まだ様子を伺いながらの運営ですが、様々な可能性を検討していきたいと思っていますので、よろしくおねがいします。
成城トランスカレッジ.com!
2003.10.25~2004.01.xx:日本ブレイク工業ブーム
神奈川県横浜市中区弥生町の解体業者、日本ブレイク工業とは社歌がウェブで話題となった。
同月24日に放送されたタモリ倶楽部の企画「マイナーキャンペーンソング大賞」にてこの社歌が大賞に選ばれたのがきっかけ。
翌日からウェブで話題になり、幾つものFlash動画が作られた。
資料:日本ブレイク工業ブーム
2003.10.xx?~2003.12.15:blog of the Yeah!2003
『Myblog japan』が企画した、今年最高のblogを決めるお祭り。
ベストブログとして『切込隊長BLOG』と『X51.ORG』が選ばれた。他に部門賞として『小鳥(a little bird)』『ごこち』『鷽スポーツ新聞』『借力』『ARTIFACT』『食べたものを淡々と記録するよ』『梅田望夫・英語で読むITトレンド』『小ネタBlog~純情派』『音楽配信メモ』『古今東西製品情報』等が挙げられる。
Myblog japan は……
「すでにblogを書いている人、これからblogを書きたい人、blogを知らない人、誰にとっても使いやすく役に立つサイト。」を目指して開設しました。
その趣旨の一環として今回「blog of the Yeah!」の開催に至りました。
内容が面白い!!デザインがいいね!スポーツの分野ではこのblogいいよ。という感じを、コンテスト形式にした[お祭り]です。
あまり固いことをするつもりはなく、お祭り騒ぎのように、bloggerの方々が、blogを知らなかった人が、審査員の方々が、 そして運営者である僕たちが、楽しめれば大枠の目的は達成だろうと思っております。
現在、大枠のスケジュールと概要しか決まっていません。
というのも、みなさまの協力なしでは盛り上がらない[お祭り]なので、 反対にみなさま次第で、いかような[お祭り]にもなると思っております。 素敵なお祭りにできたらいいな、という想いをこめて開催したいと思います。
主催者より(blog of the Yeah!2003)
2003.11.02~2003.11.06:丸紅ダイレクト事件
2003年11月2日8時、丸紅の通販サイト『丸紅ダイレクト』でNECのPC「VALUESTAR F VF500/7D」の価格が 198,000円と設定すべきところを19,800円と設定していたことが2chで発覚。一気に祭りになった。
706 名前:名無しさん 投稿日:03/11/02 08:34
おまいら、NECのデスクトップが安いですよ。
値段の付け間違いだろうなぁ・・・。http://esd.ivp.co.jp/scat/marubeni/asp/syousai.asp?ID=36677
707 名前:名無しさん 投稿日:03/11/02 09:17
安すぎ ワロタ
一桁間違えてるな708 名前:名無しさん 投稿日:03/11/02 10:33
>>706
みんなでこれ買おうぜ!!祭りじゃん!!
前も液晶モニターの価格間違えで、祭りになったような、
あの時は結局売ってくれなかったらしいが、今度は・・・。
▼ギコの楽しいデスクトップPC購入相談▼3台目
『丸紅ダイレクト』は同日10時に価格を訂正するもすでに1500件の注文が入っていた。
通常、こういった場合は「錯誤に基づく契約無効」とするのだが、
6日、『丸紅ダイレクト』は19,800円で販売することを決定。人々を驚かせた。
資料:丸紅ダイレクト 激安パソコン2ちゃんねる祭りのあらまし
(番外地)
2003.11.05:livedoor Blogがブログサービスを開始
エッジ(オン・ザ・エッヂ)のレンタルブログサービス。
2003.11.14:『NEXT FRAME(!)』開設
http://www12.plala.or.jp/nextframe/
http://nextframe.jp
Flash職人。【2ch格闘(仮)】【艦砲射撃!】が話題に。Flashで制作したゲームと思えない動きの滑らかさ、ボタンを押したときの爽快さが特徴。
2003.11.20:Seesaaブログがブログサービスを開始
Seesaaブログのレンタルブログサービス。
2003.11.23:ろじぱらパクリ疑惑2003
「とある漫画家」が『ろじぱら』にネタをパクられたと主張したが見当違い甚だしく、「漫画家の自意識過剰」という結論に落ち着く。
2003.11.27:超先生の死亡が明らかに
1 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 14:42 ID:dH5zPM/a
http://www.twin.ne.jp/~romyu/cgi-bin/minibbs.cgi2 名前: 名無しさんだよ全員集合 ◆kd.2f.1cKc 投稿日: 03/11/27 14:47 ID:fKzHJwqF
2get3 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 14:48 ID:Zdh+k6IE
いたずらカキコにもほどがあるな。
超 先 生 死 亡
http://www.twin.ne.jp/~romyu/cgi-bin/minibbs.cgiに竹林が死んだと書かれており、 書いたのはLeafのグラフィッカー「ねのつきゆきしろ」であった。 始めは偽者が書いたネタであるとして葉鍵板住民はあまり信じなかったのだが……
224 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 16:26 ID:2anZbcuy
お前らソースあったぞ!!!
http://www.mainichi.co.jp/area/osaka/news/20031124k0000c027006000c.html
超 先 生 死 亡
毎日新聞WEB版に載っていたのは超先生の本名「竹林明秀」。そして事故内容は 「ねのつきゆきしろ」が掲示板に書いた内容と一致していた。
23日午前9時40分ごろ、西区本田1の国道172号交差点で、 生野区新今里3の会社員、竹林明秀さん(32)運転のオートバイと トラックが衝突し、竹林さんは間もなく死亡
毎日新聞WEB版
227 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 16:26 ID:v7+R7avC
うわああああああああああああああああああああああああああああ228 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 16:26 ID:mEg7GMB8
>>224
ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…231 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 16:27 ID:fKzHJwqF
>>224
げげげげげげげげげげげげげっ!?233 名前: 名無しさんだよもん 投稿日: 03/11/27 16:27 ID:Hs/YFzFp
>>224
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
超 先 生 死 亡
葉鍵板は大混乱になり超先生関連のスレが乱立。個人ニュースサイトも超先生逝去の報を伝えた。29日、Leaf時代の同僚である高橋龍也が超先生逝去についてコメントを出した。
彼が高校時代から描き溜めていたマンガや小説などの自分の原稿は劣化しないよう、きちんとファイルやクリアケースに仕舞われていました。 多分、彼と身近だった人間のほどんどが一度は見せられている作品たちです。 彼が事故当時に所持していたクリアケースにも、高校時代に僕や田舎の仲間たちと描いた下手くそで恥ずかしい連作マンガなどが入っていました。 彼にとってはそれを持ち歩いていることがすでにネタのひとつで、初見の人に、なんでこんな物を持ち歩いてるのかと言わせたいと本人はよく言ってました。 それらの入ったクリアケースが無惨に割れていたのが、事故の凄惨さを物語っていて、居たたまれない気持ちになりました。
雑記(BUNGLE BUNGLE)
2003.11.27:Winny利用者が逮捕される
著作権侵害の疑いで愛媛県松山市の無職男性(19歳)と群馬県高崎市の自営業男性(41歳)を逮捕。 WinnyBBS上で「これから放流します」と発言。 Winnyは送信元のIPアドレスを特定するのが困難と言われていたが、BBSはスレッドを立てた人のIPアドレスを特定することが可能だった。
2003.11.28:47氏が家宅捜索を受ける
2003.11.29:『Clairvoyance』開設
http://clairvoyance.hp.infoseek.co.jp/
Flash職人。AAキャラクターを使った戦闘アクションアニメ【NIGHTMARE CITY】が第3回紅白FLASH合戦でMVPを獲得。
2003.12.02:ココログがブログサービスを開始
ニフティのレンタルブログサービス。
2003.12.25~2003.12.31:第2回紅白FLASH合戦
NHKの紅白よりもおもしろいと言われる、2chFLASH動画板最大のイベント。
2003.12.xx:『開運祈願 モナー神社』開設
http://www.dawgsdk.org/monashrine/
モナーの神様を御祀りしている神社。Flashによって本殿への参拝、おみくじ、絵馬を書いて奉納が可能なサイト。
モナー神社は、Web上で発展したモナー達AA(アスキーアート)キャラクタを祀るために平成15年(2003)に創建されました。以来、あらゆるところへリンクするWebの神様、Web神社であるということから、商売繁盛、家内安全、無病息災、恋愛成就、学業成就、合格祈願、交通安全・・オンライン・オフラインに関わることなく構わず何でも祈願できて(゚д゚)ウマーな神社として親しまれ現在に至っています。
2004年:47氏逮捕の衝撃
2004.01.05:Share登場
Winnyを意識して作られたP2Pソフト。47氏逮捕以後Winnyからの乗り換えが増える。
2004.01.08:『ZDNetJapan』が『ITmedia』に名称変更
アメリカ『ZDNet』の日本版としてスタートした『ZDNetJapan』だが、2000年に『ZDNet』が『CNET』に買収される。
『ZDNet』は時が経つにつれ企業向け情報中心になっていき、『ZDNetJapan』とは内容が乖離していった。
『ZDNetJapan』を運営するソフトバンクは2003年9月18日、『ZDNetJapan』を『ITmedia』に名称変更を発表。
2004年1月8日に名称変更。
資料:「ZDNet Japan」が「ITmedia」に名称変更へ
(INTERNET Watch)
2004.01.10~2004.01.13:韓国ネチズンが2ちゃんねるを攻撃(韓国名:サイバー壬辰倭乱)
韓国が竹島(韓国名:独島)の記念切手を発行を計画。 日本の総務省がこれに抗議するも韓国は切手を予定通りに発行。 韓国の明らかな挑発行為に対し日本の閣僚は相次いで非難の声明を発表した。 この非難の声明に韓国ネチズンは反発、日本に対し敵意を剥きだしにした。 韓国内で反日活動の気運高まる中、韓国の『dkbnews』というニュースサイトが 日本のサイト『Kの国の方式』を韓国を馬鹿にしているサイトとして紹介。 それを見た韓国ネチズンは大いに怒り、1月10日早朝、『Kの国の方式』と『2ちゃんねる』に対しトラフィック攻撃(通称:F5アタック) を開始した。攻撃を受けた『Kの国の方式』は陥落、次に『ふたばちゃんねる』に対し攻撃。 10日午後『ふたばちゃんねる』陥落。 最も攻撃を受けた『2ちゃんねる』は一時的に一部サーバーが陥落するも、韓国IP弾きを実施し大きな被害は出なかった。 韓国ネチズンの攻撃に対しひろゆきは、
527 :ひろゆき@どうやら管理人 ★ :04/01/10 16:17 ID:???
相手がどんなバカなことをしていても、
同じレベルに落ちるほうがかっこわるいと思うです。
重い重い重い重い重い重い重い×7@運用情報
974 :ひろゆき@どうやら管理人 ★ :04/01/12 11:56 ID:???
F5を押して反撃だと考えていたら、
それは頭の悪い行為だと思うです。少なくとも、彼らがサイトを攻撃をすることで
意志を伝えようとした事実は、新聞に残っていますし、
こういった細かい事実の積み重ねが、
外交のカードの一助になれば、被害を受けた甲斐があったというものです。
【速報】韓国が日本に宣戦布告 2 【エロ禁止】
と反撃をせず放置すべきだとコメント。『2ちゃんねる』内でも放置派が圧倒的だったため『2ちゃんねる』と2ちゃんねらーは専守防衛に終始。 『2ちゃんねる』はトップページに韓国人へのメッセージを載せた。
Someday we would know better way to communicate with each other more than such charge against each other. Anyway,still Team 2ch is best :) Next round should be there I hope. Sincerely,Hiroyuki.
2ちゃんねる
資料:事件簿「日韓サイバー戦争の行方」
(佐々木俊尚 これまでの仕事)
資料:韓国の反日サイバーテロ団体 本格的に2ちゃんねるを攻撃中!?
2004.01.19:『アキバBlog』開設
http://www.akibablog.net/
秋葉原のPCショップ店長をやっていたGEEKのサイト。内容はサイト名通りアキバ関連だが、PC関連ではなくアニメ・漫画のほう。
2004.01.23:Yahoo!BB顧客情報漏洩発覚
ソフトバンクBBは、242人分の顧客情報が流出していたことを発表した。。
その後、450万人分が漏洩していたことが明らかに。漏洩データを元にYahoo! BBを脅迫し現金を要求していたソフトバンク子会社元社員らが逮捕された。
ソフトバンクBBは謝罪として個人情報が漏洩されていないユーザーも含むYahoo! BB全会員に500円相当の金券を送付した。
資料:“Yahoo! BB顧客情報漏洩事件”特集
(INTERNET Watch)
2004.01.28:『ミダラナキャンディー』開設
http://blog.livedoor.jp/kensuu/
後の『ロケスタ社長日記 』。その後の『けんすう日記』。
はじめまして、けんすうです。
blogを作ってみました。
友達に
「今度はいつまで続くんだ」と言われたので
「おいらの作ったもので、続かなかったものがあったか!」といってみたら
「全部言ってやろうか!」といわれたので謝っておきました。
というわけで、飽きないようにがんばりつつ書きます。自己紹介をすると、
大学に通いつつ、したらば
とか、milkcafeとか、
萌えBBSとかやっています。
blogを作ってみた(けんすう日記)
2004.02.03:『テキストサイト関連年表β版』公開
http://homepage3.nifty.com/sakota/texthist.html
『Arikitarina WEB』のsakotaが公開した年表。といっても02年にばるぼらが制作した年表『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ』をテキストサイト分野用にカスタマイズし、幾らかの加筆をしたもの。
はしがき
この文書は、ごく曖昧に「テキストサイト」と呼び慣わされている「文章をコンテンツとした個人サイト」について、その消長を書き並べた年表です。扱う期間は1992年から2002年までです。
作成にあたっては、「ばるぼらアンテナ」のばるぼら氏が2002年に発表した 「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」 の記述に全面的に依拠しました(2003年3月8日付け初版・最終刷使用。「第二版公開中止告知」によれば最終刷に修正を加えた06/23発表のものもあったようです)。具体的には、ばるぼら年表から個人サイト・テキストサイトに関する記載を抜き出して、それを骨子に若干の追記をしています。細部に多少データを付け加えることが出来たと自負してはいますが、本質においてこの年表はパクリです。
テキストサイト関連年表(Arikitarina WEB)
2004.02.12?:『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』開設
http://dain.cocolog-nifty.com/
書評ブログ。
2004.02.13:JUGEMブログがブログサービスを開始
paperboy&co.のレンタルブログサービス。
2004.02.27:『newsG』開設
http://homepage1.nifty.com/kraftwerk/
http://ugnews.net/
後の『ugNews.net』
個人ニュースサイト「newsG」として更新を開始。元々プロレス関係のサイトを運営していたときにネタに困り、とりあえずニュースサイトへのリンクを張った更新を続けていたときに「これって面白いな」と感じ、そこから本格的に個人ニュースサイトとなる。
2004.02.xx:『mixi』サービス開始
2004.03.09:gooブログがブログサービスを開始
NTTレゾナントのレンタルブログサービス。
2004.03.14以前~:Antinny.G
通称「キンタマウイルス」。デスクトップを定期的にプリントスクリーンし、Winnyネットワークにアップロードする。 北海道警察の巡査、京都府警の巡査、大正時代な戦姫を書く同人作家、VTR編集者などのデスクトップが晒され、 「おちんちんを高速でしごくんだ!」「やるならとことん最後まで」「お尻を試してごらん」などの名言が生まれた。
99 名前:※キンタマの由来※[sage] 投稿日:04/03/16 02:04 ID:MfIcO/JO
ホモネタが好きなアニメエンコ職人が、「ところで俺のキンタマを見てくれ。
こいつをどう思う?」っつって自分のデスクトップ晒した。
それが好評だったので他のエンコ職人も次々続いた。
最初の例にならってデスクトップ画像には[キンタマ]って付けるのが
慣習になった。
DOMの連中はクラスタワードにキンタマを登録して落としまくった。
そこに目を付けたワーム作者がご覧の通りのものを作った、と。
2004.03.22:ウェブリブログがブログサービスを開始
NECのレンタルブログサービス。
2004.03.xx?:『ネットゲーム刃』開設
http://jin115.com/
後の『オレ的ゲーム速報@刃』。最初は主にWarcraft3の話題を取り上げるブログだったが、
やがて『2ちゃんねる』の「ゲーム業界、ハードウェア板」のネタを中心にまとめているサイトになり、ゲーマーを扇るような内容でアクセス数の大きなサイトになっていく。
2004.04.01以前~:Antinny.K
ユーザーの個人情報をACCS(コンピュータソフトウェア著作権協会)に送るウイルス。
2004.04.02:『小説家になろう』開設
http://nw.ume-labo.com
http://syosetu.com/
投稿型のケータイ小説サイト。ユーザー数の増加に伴ってSNS化していく。2010年に法人化。
このサイトへの投稿に多い「現代社会で生活する主人公が異世界に行って活躍する」という内容の小説は「なろう系」呼ばれるようになった。
『小説家になろう』は今流行りのケータイ小説を誰でも基本的に無料で手軽に読み書きできる便利なサイトです。 小説を書くために高度な知識は必要ありません。必要なのは今あなたがこのページを見ているようなインターネットに接続できる端末だけです。 NTTドコモのiモード等のケータイ端末は当然のことながら、パソコン(PC)からのアクセスも完全対応、互換していますので、ケータイとパソコンを共用して 小説の読み書きが可能です。さぁ、ケータイ小説作家ライフをお楽しみ下さい!
初めての方へ(小説家になろう)
2004.04.09:『RSF』開設
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabic508/rsf/
Flash職人。マイケル・ジャクソンがファミコンの世界で大活躍する【マイケルクエスト】【マイケルクエスト】【マイケルフォーエバー】のマイケルシリーズ3部作が有名。
2004.04.17:『テキストサイト関連年表β版』公開終了
そこそこ話題になったsakota公開の『テキストサイト関連年表』であったが、この年表は他者が作った年表のカスタマイズであり、 sakota制作の年表と言うには無理があった。しかし『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ』を知らない閲覧者は、これを見てsakota制作年表として評価するわけで。 sakotaは以下のように書き、『テキストサイト関連年表』の公開を中止した。
β版では「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」の記載をまるごと引用して、そのスタイルのパスティーシュで追記していくという形式をとりました。読者として想定していたのは「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」の存在を知っていて、なおかつテキストサイトと呼ばれるようなものに興味を抱くような少数の人たちでしたが、思いがけずに多くの人の目に触れその意見を読むうちに、予備知識なしに閲覧する普通の読者への配慮を欠いていたことを痛感しました。そうした方々が下さった高い評価は本来「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」が受けるべきものでした。また、違いを理解したうえで、追記部分を評価して下さった方の中に「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」の後継的意味合いの資料というような評価をしていただいている場合があったのですが、これもまたスタイルを模倣したために生じた過分な評価であるように思います。実は私自身もオリジナルの主張を継承して特定領域への適用を行った作業だと妄想めいた自負を抱いていなかったわけではないのですが、内容の不備や視点の定まらなさを思うにつけ、形だけの模倣の問題性を感じないわけにはいかず、一旦「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」から離れた(とはいえ内容的には当然、多くを負うことになることは免れないでしょうが)ものに方向を修正することにしました。
作成予定の正式版は簡潔なリストのような形式を想定しています。記載内容については訂正や記載事項の追加以外に特に変更の予定はありませんが、まるごと引用したネット環境の整備に関することなどは自分なりに消化したうえで場合によっては取扱範囲外として消えるかもしれません。
テキストサイト関連年表(Arikitarina WEB)
作成予定の正式版は結局作成されなかった。
2004.04.19?:『自動ニュース作成F』開設
2004.04.21:『GilCrowsのFLA板観測所』開設
http://blog.livedoor.jp/gilcrows/
http://gilcrows.blog17.fc2.com/
2ちゃんねるFLASH・動画板の観測日記。後の『GilCrowsの映像技術研究所』。
2004.04.22:『gameonline』閉鎖
954 :namipika ◆91KCfRVtzU :04/04/22 21:44 ID:L2dkSx+M
2ちゃんねるの皆様、お世話になっております。gameonline記者・namipikaでございます。
本日の朝から、gameonlineへアクセスできなくなっていることについて、お伝えいたします。
本日、gameonlineは休止しました。
今後については一切未定です。
また、質問等については一切答えられないことをご理解ください。
今まで、gameonlineへアクセスしていただき、ありがとうございました。
■■ 速報!@ゲーハー板 ver.307 ■■
2004.04.29:『Hagex-day.info』開設
http://hagex.hatenadiary.jp/
https://hagex.hatenadiary.jp/
はてな村内で有名なネットウォッチャー。ウェブ上の騒動・炎上についてブログでコメントしたり、纏め記事を書いたりしていた。
2018年6月24日、故郷の福岡でネットウォッチの勉強会を開催した。同日逝去。刺殺されたため...。R.I.P.
2004.04.xx:『前略プロフィール』サービス開始
プロフィールサイト。携帯電話から簡単に自己紹介ページを作ることが出来る。 学生が主な利用者。 その為、若さに任せて書いてしまった痛いプロフィール多く、 大人になった利用者が改めて自分のプロフィールを見て恥ずかしい気持ちになる事も。 しかもパスワードを忘れた為に消せず、自分の黒歴史がネットに残り続けるという人も。
2004.05.02~:Sasser
ワーム。Windows2000,XPにある脆弱性を利用してコンピュータに侵入する。全世界的に広まったこのワームだが、制作したのはドイツの少年であった。当時17歳。
資料:Sasser作成少年に禁固21カ月、執行猶予3年の有罪判決
(ITmedia News)
2004.05.04:『ひろぶろ』開設
http://blog.livedoor.jp/stardom/
http://www.hiroburo.com/
個人ニュースサイト。
2004.05.10:winny作者の47氏逮捕
京都府警ハイテク犯罪対策室は10日、著作権法違反のほう助容疑で、東京都内に住む33歳の東大大学院助手・金子勇を逮捕した。
2004.05.10:『Winny Tipsページ』閉鎖
Winnyの2次配布と利用方法、解説をしていたサイトだったが閉鎖。同日家宅捜索を受けていた。
2004.05.11:『Winnyハイパー初心者講座』閉鎖
47氏に幇助の意思は無かったと信じ、 当サイトも幇助するものではないと信じ、 サイトを続けていきたかったですが、 Winny Tipsさんが著作権法違反の幇助容疑で家宅捜索を受けたそうで。 個人でサイトを運営している身にはこの上ないプレッシャーです。
少なくとも私は当サイトを運営する上で、著作権法に無知ではいけないと思い、 いろいろな本を読み、いろいろなサイトを回り、勉強したつもりです。 そして自分なりに、Winnyには違法性も無いし、 解説&配布は幇助にもあたらないと判断しました。
でも、確実な線引きもなく、一方的に押し付けられる幇助の プレッシャーには耐えられませんので、サイトは閉鎖いたします。 幇助なんて突き付けられたら、恐ろしくて何も言えません。 今回の47氏の逮捕やWinny Tipsさんの家宅捜索は、 『平成の焚書坑儒』とも言える弾圧だと思います。
2004.05.18:『gameonline』の管理人逮捕
ゲーム画像を無断でWebサイト上に大量掲載していたため。 特に新作ゲームの画像を無断大量掲載することでアクセス数を稼ぎ 大きな収入を得るなど、やりたい放題やっていたことが著作権者・出版社の怒りを買ったと言われている。
2004.05.19:『金子勇を支援する会』開設
http://freekaneko.com/
犯罪の幇助という事実は、とても慎重に認定されなければいけません。特定の犯罪を明白な意図をもって具体的に相当量助けた事実があるべきです。さもなければ、とても広い範囲の行為が犯罪に問われることになります。
金子氏がWinnyを開発したのは、最先端のP2P匿名通信技術の改良や実証実験のためであると私たちは考えています。Winnyがベースとした Freenetは独裁政権下での自由な通信などの目的で研究開発され、Freenetの論文は世界で最も多く引用された論文の一つとなりました。
そうしたソフトウェアが著作権法違反に悪用されたことで開発者が逮捕されるのです。であれば、CD-Rのような機器はどうでしょうか。CD-Rは売れ筋製品として多くの売り上げをあげていますが、その用途は合法なものに限りません。音楽CDやソフトウェアのCDを、違法にコピーするのに広く使われています。
Windows Media Playerなども違法とされる懸念があります。他人のCDを取り込むような違法コピーを簡単に行うことができます。また音楽データをネットワークを通じてやりとりするには、こうしたソフトウェアでCDから取り込む必要があります。
今回のような強引な逮捕をするならば、こうした他のソフトウェアやハードウェアの開発者多数もまた罪に問えることになってしまいます。こうした強引さは技術者や一般の人々におおきな不安と恐怖を与えています。
2004.05.20:Winny v2.0β7.2登場
47氏が逮捕されて間もないにも関わらず新バージョン登場。製作はlark。
資料:開発者不在のWinnyに“新バージョン”が登場
(ITmedia News)
2004.05.26以前~:Antinny.L
Antinny.Gと似たウイルス。デスクトップのスクリーンショットと個人情報をまとめてzip圧縮してWinnyネットワークにアップロードする。
2004.06.15:ヤプログがブログサービスを開始
グローバルメディアオンラインのレンタルブログサービス。
2004.06.18:『2ちゃんねる』がニュー速VIP板を設置
2004.06.24:邪神現る
この豪華アイテム(コナミ曰く)が付いてくる「プレミアムボックス」版だったが箱を開けてビックリ。そこにあったものは「かっこいいフィギュア」でも「かわいいフィギュア」でもない「邪神」の姿がっ! あまりの出来にKOS-MOSではなく「モッコス」と呼ばれ、コラ素材として意外な人気者?になった。
資料:邪神静止画像
(邪神モッコス崇拝サイト)
2004.06.30:『眞鍋かをりのココだけの話』開設
http://manabekawori.cocolog-nifty.com/
元祖「ブログの女王」眞鍋かをりのブログ。
ココログに登場、眞鍋かをりです!!
もう、超~~~~~~日記書きますっ!!
……というわけで、テンションあげあげで初回、書かせてもらってるわけなのですが、正直、ホントにうれしいです。自分のことを日記に書く。載る。人が見る。しかも、ケータイの写真まですぐ載せられるらしいじゃないですか!!スゴイね~(感心)。
今のインターネット社会じゃあ、ごく当たり前なことなのでしょうが、
「すっげー楽しそう!!」
……と、お話をいただいた時からウキウキしてたわけです。
まぁ、皆様にそれを見て楽しんでもらわにゃいかんので、自己満足しつつも、エンターテインメント性のあるものにしていきたいなというばくぜんとした目標を立ててみました。
ていうか、いま、思いつきました(笑)。
それとあとはこまめな更新だね!
うん、がんばる。
ホントにね、ネットを使って人と交流するのが久しぶりなので楽しみなのですよ……。
トラックバックもあるので、どんどん使って皆で楽しみましょうね~★
ココログに関しては近年まれに見るやる気を見せている眞鍋ですので(笑)、ちょっと期待してみてくださいっ。(ちょっとね)
では、次のUPまでしばしお待ちあれ?。
皆様、コンニチワ★★★(眞鍋かをりのココだけの話)
2004.07.02:エキサイトブログがブログサービスを開始
エキサイトのレンタルブログサービス。正式サービスは7月20日。
2004.07.17~2004.07.18:FLASH★BOMB'04
2年目は17日の東京、18日の大阪の2会場開催。 東京会場はLoppiによる販売だったが即完売という人気ぶりだった。後に「Flash黄金時代」と呼ばれた時代の中でも最盛期に開催された本イベントは 作品の質も絶好調。
【Savior Cat- 救世主猫】はFLASH★BOMB'04参加作品である。
2004.07.28:『はあちゅう主義』開設
http://lineblog.me/ha_chu/
2004.08.02:『池田信夫 blog』開設
2004.08.12以前~:Nullporce
Antinnyと同じようにWinny経由で感染するウイルス。「圧縮ファイルの脆弱性」を利用しており、EXEファイルを実行しなくても感染する。
とある時間になると山本リンダ「ねらい撃ち」のメロディと共に
ぬるぽ ぬるぽ オートラン♪
ヌルポ ヌルポ AutoRun♪
ぬるぽ ぬるぽ オートラン♪
お前が踏まなきゃ誰が踏む!
というメッセージを表示し、「OK」を押すと、
Cドライブのファイルを削除する。
資料:夏のジョークにしては悪質?Winny経由で広まるトロイの木馬「Nullporce」
(ITmedia)
2004.08.12:『ロッカールーム』開設
http://lockerroom.s79.xrea.com/
Flash職人。名作【NIGHTMARE CITY】をナナメキャラクターでパロディした【NANAME CITY】で頭角を表す。
その後、イオシスが出したCD「東方乙女囃子」のプロモーションFlash【魔理沙は大変なものを盗んでいきました】が大ヒット。
2004.08.24:『マンガ苑の戯言。』開設
http://homepage2.nifty.com/taka_ringo/comic/
http://mangaen.jugem.jp/
後の『マンガがあればいーのだ。』。マンガレビューサイトだがぱんつ愛好家でもある。
苦節1年・・・
ようやくカタチになってきた「マンガ苑」。
まだ仮ですが公開できるに値するまで作り上げました。この「戯言」では、
普段読んだ雑誌やコミックなどのちょっとした感想や批評等を、
徒然なり書いていこうかな・・・とか思ってる次第です、ええ。ひとまずしばらくお付き合いくださいませ。
仮営業中のマンガ苑をご覧頂けたらと思います!ドーゾ!http://homepage2.nifty.com/taka_ringo/comic/
2004.09.01:『naoyaのはてなダイアリー』開設
http://d.hatena.ne.jp/naoya/
ニフティで『ココログ』の開発担当であった伊藤直也がはてなに移ってからのブログ。
みなさんはじめまして、新はてなスタッフのなおやです。
今月 9 月は僕の誕生月。そして入社日は 9 月 1 日。ちょっと縁起がいいような?気がしています。とても 9 月とは思えない、真夏日も、何か僕の入社を祝ってくれているような、そんなスタッフ一日目なのでした。
ところで、僕も例によって自転車で通勤です。自宅からはてなへの道のりには急な坂道がたくさん。運動不足の太ももが大変苦しゅうございます。
もとい、
僕がはてなで目指すもの、それは何か「インターネット的で面白いもの」を作ること。日ごろの不便なことをインターネットで便利にする、それもいいですが、インターネットの面白さそのものを体験できるような、面白いサービス、そんなものを多く生み出せたらいいなと思っています。
一生懸命がんばって参りますので、よろしくお願いいたします。
2004.09.03:『小太郎ぶろぐ』開設
http://blog.livedoor.jp/kotaro269/
http://www.kotaro269.com/
個人ニュースサイト。
2004.09.04:『ガ島通信』開設
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/
http://gatonews.hatenablog.com/
ブログ始めました!
1996年から地方紙で記者をやってます。2年前から文化部で中高生向けの紙面(ヤング欄と呼ばれる)を担当し始めて「新聞は読まれているのだろうか?」という根本的な疑問にぶち当たりました。ブログをやっているネチズンの皆さんには「そんなことに気づかなかったの!」と笑われるかもしれませんが、ホントにそうなのだから仕方ない。
それどころか、まだまだ多くの新聞社員は「新聞は読まれているのだ」と信じています。これは新聞業界が宅配と再販制度に守られていることにも原因があると思っています(詳しくはボチボチ書いていきます)。一言で言えば、取っているのと読んでいるのは違うことに多くが気づいていないということです。危機感を持ってから、プロバイダの社長さんや研究所の方の話を聞いたり、ネット関連の本を読んだりと自分なりには勉強してみましたが、「ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア」の著者で通信社に勤務する湯川さんが開設したブログ を見て、「つべこべ言っても仕方ない。ここは一丁ブログをやってみるか」という気持ちで初心者ブロガーとなりました。
ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア
ネット時代の新聞は果たして生き残れるのか、すでに化石なのか。参加型ジャーナリズムは実現するのか? 新聞やメディアの問題点、ジャーナリズムについて、私なりに幅広く書いていきたいと思いますので、皆さんもご意見やアドバイスをぜひお願いします。
2004.09.15:So-net blogがブログサービスを開始
So-netのレンタルブログサービス。
2004.09.16:アメーバブログがブログサービスを開始
サイバーエージェントのレンタルブログサービス。
2004.09.22:『MOON』開設
http://miruto.org/
「MELTY BLOOD」の対戦動画を置いていたサイト。2006年に個人ニュースサイト『MOON CHRONICLE』へ変更。
■MOON CHRONICLEとは?
メルブラコンボMOVIEサイトの閉鎖に伴い、ニュースサイトとして生まれ変わりました。
メインコンテンツは、アニメ・漫画・ゲーム・2ch系のニュースとメルブラ動画更新報告となっております。
尚、リンク先で生じた損害や障害について当サイトは一切の責任を負いかねます。
ABOUT(『MOON CHRONICLE』)
2004.09.30:恋のマイヤヒFLASH
『電影駄目虫超』のわたが恋のマイヤヒの空耳ソングFLASHを公開。人気になった。
わたは空耳歌詞を仕事中に考えたんだとか。飲ま飲まイェイ!!
だが、まさかこの後、このFLASHが騒動を引き起こす事になろうとは…
2004.10.02:『ゲームショップ1983』開設
http://sp-game.cocolog-nifty.com/38/
ゲームショップ1983というゲームショップのブログ。
ありとあらゆるドラゴンクエストシリーズで有名に。
2006年にもかかわらず、売り上げランキング1位と3位がドリームキャストのソフトであるという事実が
この店の特徴を物語っている。
はじめまして、札幌の北区・麻生 北38条西4丁目に、今年2004年の6月1日から開業しました「ゲームショップ1983」です。
予算の都合で看板やなんかは前のお店のまんまだったりするんですが、実は6月からは新しいお店としてスタートしていたりしたんです。新しくなったお店ということで独自色の打ち出しなど、地道にやってますが、あくまで零細ゲームショップなんで気長に見てもらえばと思います。
私たちがお店を引き継いだのは今年の6月なんですが、そのきっかけには、「昔ながらのゲームショップ」を残したいという強い思いがありました。
昔は札幌市北区近辺にもたくさんのゲームショップがありましたが、今は大型店は増えたものの、昔ながらのお店は減ってしまったよう思います。正直この業界、零細店が生き残るのは厳しいです。実感しました。
そんな中、無謀にも新しくゲームショップを開業することとなったんですが、特に地域に根ざした「ゲームショップ」目指してがんばります。
近隣の同業のゲームショップさんともうまく共存できたらとも思いまして、ゲームショップのホームページとしては珍しく市内のゲームショップさんへのリンクページもBlogに貼らせていただいています。
2004.10.21:『2ちゃんねる』がなんでも実況J板を設置
2004.10.xx:FC2ブログがブログサービスを開始
FC2のレンタルブログサービス。
2004.11.17:『404 Blog Not Found』開設
http://blog.livedoor.jp/dankogai/
というわけで、とりあえず Livedoor Blog で遊んでみた。 今夜の白袴という奴で、今までblogは手をつけていなかった。しかし折角著者のサイン入りのBlog Hacksもあることだし。
自分でMTをいじるなり、フルスクラッチでblog環境を作るなりということも考えぬでもなかったが、さすがに片手間で作るには骨が折れるしね。
しかし、CSSに手を入れ(だってデフォルトのフォントが小さすぎて読みづらいんだもん)、モジュール追加してはHTML Sourceをながめ....とかしていると、なんだか手間は「ふつーのWeb Page」作るのと手間が変わらないような気もする。
2004.11.30:『Britannia 観光案内所』更新一時停止
先日より、ブリ観の更新を停止いたしました。
ご利用して頂いている皆さんには申し訳ありませんが・・・ 今は更新する気が起きません。
私は UO と、UO のプレイヤーの皆さんのために、がんばってブリ観を更新して来ました。
時にはリアルを犠牲にしながら更新することもありました。
しかし、今はブリ観を更新しても、私に与えられるのは批難と中傷ばかりです。
賞賛してくれとは言いません。
しかし、私はそこまで皆さんから批難と中傷を浴び続けなければならない存在なのでしょうか?
この数週間の間、私はどんどん UO が嫌になっていきました。
更新を続けていれば、さらに今後の数週間、どんどん UO が嫌になっていくでしょう。
また、私はホームページを更新していて楽しいからやっていた、と言うのもあります。
しかし、今は Britannia 観光案内所 の更新をしても、楽しくはありません。 むしろ苦痛です。
ブリ観を更新することが、私への中傷の元となり続けています。
もちろん、こんな考え方はおかしいとは思います。 それは自分でも解かります。
でも、この考え方が今は頭から離れません。
私はしばらくの間、この考え方が頭から消えるまで、ブリ観はお休みさせて貰おうと思います。
更新を楽しみにされていた方々にはお詫び申し上げます。この機会に、私の考えている事を少し述べさせてもらおうと思います。
我々 UO のコミュニティーと、UO のプレイヤーは、Ultima Online というゲームに寄りかかっている存在に過ぎません。
UO が消えた時、我々も消えます。
例えるなら、UO が大木であり、UO のファンサイトや UO のプレイヤーは、その大木の枝や葉のようなものです。
UO が成長し、発展すれば、我々もそれに従って発展していくことができるでしょう。
新たな枝や葉も増えていくことでしょう。
しかし UO が倒れれば、我々も共に倒れるしかないのです。
我々が毒を吐けば、それは確実に UO を侵していきます。
その結果、UO が病めば、我々も同様に衰退していくしかありません。
そして、それによって UO が倒れた時、そこにあるすべてのものを巻き添えにして、我々も死に絶えるしかないのです。
2004.12.02:『情報屋さん。』開設
http://jyouhouya3.net/
個人ニュースサイト。
2004.12.14:『たけくまメモ』開設
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/
漫画評論家である竹熊健太郎のブログ。
この7月からmixiで始めていたのですが、あちらは会員しか読めない仕様なので少し不便もありました。そこでココログにも作ってみた次第。様子を見ながら、おいおい充実させていくつもりです。
mixiとどう差別化するかも課題ですね。そんなわけでとりあえずテスト書き込み。
2004.12.20~2004.12.31:第3回紅白FLASH合戦
ついに発表作品数が100を超えた年末恒例イベント。
このとき、まさか第4回が開催されないこと、後に「FLASH板は終わったのか?」などと議論されるようになることなど誰が予想できたであろうか。
2004.12.22~2004.02.02:日本のアルファーブロガーを探せ2004
『FPN』が企画したイベント。影響の高いブロガーを選出する。 これが後に「アルファブロガーアワード」として2012年(2011年分)まで毎年行われるようになった。
米国では「毎日20,000もの影響力のある読者に読まれている」ブロガーをアルファブロガーと呼んでいるそうです。(Ad Innovatorより)
そういえば、FPNが対象としているような「未来を創造するのに役立つブログ」、「ビジネスパーソンに影響を与えているブログ」というようなブログの一覧って無いなぁという話になりました。
それなら、みんなで探して見ようよ、というのが今回の企画です。
まだ、日本には米国ほどの影響力のあるアルファブロガーはいないかもしれませんが、きっと将来そう呼ばれるようになるブログがたくさんあると思っています。
今年一年お世話になったお礼もこめて、是非、皆さんのイチオシのブロガーを教えてください。
その他 : 日本のアルファーブロガーを探せ2004(FPN)
資料:アルファブロガー・リスト
2005年:暴露ウィルスの恐怖
2005.01.15~2005.01.16:センター試験問題漏洩疑惑
2005年1月15日1時、2ch大学受験板において「こにちは パットの弟のケヴィンです!!」スレが立った。
1 名前:大学への名無しさん :05/01/15 01:07:07 ID:cw4J9WmF
ヘローマイネムイズケヴィン
ナイストゥーミーチュー
こにちは パットの弟のケヴィンです!!
その日のセンター試験、英語の問題にケヴィン登場!
4 名前:大学への名無しさん :05/01/15 11:03:34 ID:4DUqjCMP
ホントに登場してびっくりしたんだけど‥
こにちは パットの弟のケヴィンです!!
実際にケヴィンが登場したことで問題漏洩か?と騒ぎになり、 「【センター試験】出題文の一部に「酷似した」文章が、試験前夜の掲示板に書き込まれる 受験生に波紋」スレ、 「【センター試験】大変なことが起こった」スレが立った。16日、これらのスレで国語の問題について暗示する書き込みが。
211 :名無しさん@5周年:05/01/16 00:46:15 ID:MaZc36wP
小説は遠藤周作です
【センター試験】出題文の一部に「酷似した」文章が、試験前夜の掲示板に書き込まれる 受験生に波紋
205 名前:番組の途中ですが名無しです :05/01/16 01:16:15 ID:66ahB/83
遠藤周作ニキヲツケロ
【センター試験】大変なことが起こった
そして国語の試験、第二問の小説は遠藤周作『肉親再会』であった。
資料:2005年センター試験情報漏洩まとめ
(謝る前にケツを出せ)
2005.01.31:Yahoo!ブログがブログサービスを開始
Yahoo! JAPANのレンタルブログサービス。
2005.02.01:『明日は明日の風が吹く』開設
http://d.hatena.ne.jp/yas-toro/
http://news.yastoro.com/
プロフィールにも書いていますが、元々雑文サイトを運営しています。
そちらは雑文一筋8年という事で、のんびりやってきていますが、今回はBLOGにも手を伸ばしてみました。
まぁ、メインサイトは日記・雑文・ジャンプ感想という形ですが、こちらでは趣味や物に関わる事を書いていこうと思っています。今考えているこちらで書く内容は、「ゲーム(プレイ記)」「本(読書感想等)」「音楽(CD感想)」「機器関連(PC・ipod・デジカメ等)」「BLOGへのトラックバック」「面白いサイトの感想」が中心になると思います。
メインサイトの日記や雑文でも取り扱うネタなので被りますが、寧ろそれぞれのサイトに被る内容もこちらで書いていく事で、情報補完や考え違いの訂正等が出来るんじゃないかと思っています。書き方の癖により書けなかった事や、書き漏らした事、後から考え直した事、それらをリンクしながら書いていければ……と思っている訳です。
文体は、「ですます調」の時もあれば「断定口調」の時もあります。あまり拘らずに書き易い文体で書くと思いますので、あまり気にしないで下さい。
文章ばかりになりますし、フォント弄りもあまりしない主義なので、ひたすら読むだけになりますが、感想等頂けれたら嬉しいです。
これから宜しくお願いします。
2005.02.16:『白い戯言』開設
http://d.hatena.ne.jp/whiteball22/
個人ニュースサイト。
2005.02.19:FLASH EXPO’05 ~ 閃光動画万博 in 大阪 ~
梅田のamHALLで行われたオフラインイベント。主催はみのぷう氏。司会はおとまにあ氏。ゲストは『ホタテプロダクツ』のホタテ氏。 大物職人が多数参戦し、6時間という長丁場で42作品が公開された。
2005.02.xx:『PJニュース』開設
市民参加型インターネットメディア。
2005.03.01~2005.05.30:第2回 2ちゃんねる全板人気トーナメント
http://plum.s56.xrea.com/2ch.html
忘れた頃に再びやってきた、規模最大級の最萌トーナメント。
投票数も多く、02年の最萌トーナメント全盛期を思い出させた。
前回優勝のDownload板が既婚女性板にまさかの敗北。その既婚女性板を支援しDownload板を沈めたのはVIPPER達であった。
敗北したDownload板の魂はVIPPERへの恨みと共に自作PC板に宿る。自作PC板はVIPPERが支援したFF・ドラクエ板、シベリア超速報板を打ち破り
決勝に進出。決勝の相手は圧倒的な組織票を持つニュー速VIP。
IT連合vsVIPPERという好カードになった決勝戦はニュー速VIPが自力の違いを見せ付けて圧勝した。これがVIPクォリティ。
2005.03.05:『Chikirinの日記』開設
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/
2005.03.08?:『にゅーあきば.こむ』開設
雑誌「ネットランナー」関連のアキバ系情報サイト。
2005.03.09:『chakuwiki』開設
http://wiki.chakuriki.net/
「バカ日本地図」というコンテンツで一躍有名サイトになった谷口一刀の『借力』が立ち上げた、
各地方の地方ネタ・おバカな噂・都市伝説を投稿するウィキサイト。
「バカ日本地図」で出てきたような地方ネタをウィキ化するという発想が見事。
2020年8月逝去。R.I.P.
2005.03.20以前~:ANTINNY.AA
通称「欄検眼段」。拡張子を元にデジカメ画像を探し出し、Winnyにアップロードする。
2005.03.20以前~:ANTINNY.BF
通称「仁義なきキンタマ」
[仁義なきキンタマ] ○○のデスクトップ(日付).jpg
[仁義なきキンタマ] ○○のドキュメント.zip
というファイル名で個人情報をWinnyネットワークに流す。国家を擬人化した某同人漫画家が感染し情報流出。商業デビューしたばかりのという大事な時期にやってしまった。
資料:新ウイルス「仁義なきキンタマ」まとめページ(仮)
2005.03.29:『食べログ』開設
2005.04.01:『ZDNetJapan(CNET版)』開設
『ZDNet』の日本版として97年にソフトバンクが開設した『ZDNet Japan』は契約の期限切れに伴い『ITmedia』に名称を変更した。
こうして『ZDNet Japan』は無くなったわけだが、
00年に『ZDNet』を買収した『CNET』が『ZDNet Japan』を復活させる。内容は企業向け。
資料:CNET Japan、新生「ZDNet Japan」を4月スタート~企業向けに特化
(INTERNET Watch)
2005.04.14以前~:MELLPON.A
通称「山田ウイルス」。名前の由来は 友人の山田君からメッセで送られてきたyoujo.exeを踏んで感染したという2chDownload板の書き込み。 httpサーバを立ち上げ、感染者のスクリーンショットやHDDを参照可能な状態にする。
842 名前: [名無し]さん(bin+cue).rar 2005/04/11(月) 02:54:54 ID:25Ub0lto0
>>837
メッセで送られてきた。ウイルスなのか。。うぜえ山田
2005.04.23:(海外)『YouTube』サービス開始
2005.05.11~2005.05.25:『価格.com』事件
2005年5月11日、『価格.com』が不正侵入され、改ざんされた。『価格.com』は同月15日に一時閉鎖。
『価格.com』にアクセスしたユーザーはトロイの木馬型ウイルスに感染した可能性がある。
同月23日、2万2511件のメールアドレス流出があったと発表。同月25日に記者会見を開いた。
『価格.com』は11日に不正侵入と改ざんがあることに気が付いたのだが、15日まで一時閉鎖を行わなかった。
このことにより『価格.com』はユーザーの安全を軽視しているとして非難を浴びた。
25日の記者会見では社長の穐田誉輝が「当社に過失はない」と発言。さらに非難を浴びることになった。
資料:カカクコムは情報をきちんと公開すべきだ
(ITpro)
2005.05.16:『MUZO』開設
http://muzo.jp/
『電波2ちゃんねる』の「フラッシュちゃんねる」が独立。運営はパズブロック(PZBLOCK)。パズブロックは紅白FLASH合戦とFLASH★BOMBの運営を行っていたwosa(長田恒司)とFLASH50により設立された会社。
3カ月後に控えたFLASH★BOMBは『MUZO』が運営。そして、紅白FLASH合戦は……
今までフラッシュちゃんねるをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。
FLASH50です。
この度、「フラッシュちゃんねる」が大幅にリニューアルされまして、FLASHエンターテインメント「MUZO」という名前になりました。
新サイトMUZOの目的は、「クリエイターの創作活動・表現活動を支援する」ことであり、従来のフラッシュちゃんねるのスタンスに変わりはございません。
そして、より広いエンターテインメントの発展性を視野に入れ、今まで以上の活動を行ってまいりたいと思っております。
これからも宜しくお願い申し上げます。
MUZO
2005.07.xx:『ツカサネット新聞』開設
「ツカサのウィークリーマンション」でお馴染みのツカサ都心開発が立ち上げた市民参加型インターネットメディア。
2005.08.15:『Britannia 観光案内所』閉鎖
いつもご利用ありがとうございます。
Britannia 観光案内所の かんりにん です。突然ですが、当サイト「Britannia 観光案内所」は、 8月15日を持ちまして、完全に終了とさせて頂きます。
皆さん、本当に長い間のご愛顧、ありがとうございました。これだけ長期間にわたって当サイトを続ける事ができ、 そして非常に多くのアクセスをして頂きましたことは、 本当に管理人冥利に尽きる次第です。
ご利用して頂いた皆さんには本当に感謝しています。
ここで厚くお礼を申し上げます。8月15日を持ちまして、全てのコーナー・掲示板は アクセスできなくなりますのでご了承下さい。
ただ、「UOホームページ宣伝BBS」につきましては、 しばらくの間そのまま存続させる予定です。今後のUOと、ヴァーチャルワールドの更なる発展を、 心よりお祈りいたします。
8/13 ブリ観 かんりにん TAO
Britannia 観光案内所
2005.08.15~2005.09.xx:ネイサンズ きんもーっ☆事件
2005.08.27:『やくろあんてな』開設
http://bitaminmoe.blog21.fc2.com/
「ネギま!」関連のニュースサイト。
2005.08.27:JAPAN WEB ANIME CONVENTION 2005
大阪で開催されたオフラインイベント。中心人物はルンパロと大西隆幸。 作品を発表した職人は41名で蛙男商会と森野あるじ、ラレコ、丸山薫、つかはら等。【吉野の姫】はこのイベントで公開された。 なお、イベントタイトルに2005と後ろに付いているが2006年以降に開催される事は無かった。
2005.09.01~2005.10.12:のまネコ騒動
『電影駄目虫超』のわたが作った恋のマイヤヒFLASHがエイベックスの目に止まり、 恋のマイヤヒの特典映像DVDに収録された。 そしてフラッシュに出てきたどうみてもモナーなキャラに「のまネコ」と名づけ グッズの販売を開始。そこには「(c) のまネコ製作委員会」という著作権者表示を付けていた。これに対し2ちゃんねらーはモナーの私物化として反発。 さらに女性ポストに載ったわたのコメント
最初に曲を聴いた時、”コイツは来る”って確信しましたね。 なぜかすでに日本語に聞こえていたので。そして、まず最初に浮かんだのがネコでした。
が2ちゃんねらーの怒りに火をつけた。
2ちゃんねらーはavexに猛烈抗議、avexはのまネコの商標登録出願を取下げる。
2ちゃんねらーVSavexの印象が強いこの騒動であるが、
一番被害を受けたのは2chFlash動画板であった。Flash動画板はν速民、VIPPER達によって派手に荒らされてしまう。
資料:のまネコ問題について今更振り返る(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
資料:のまネコ問題2005年10月13日(2ch)
資料:のまネコ問題 ミラーWiki
資料:のまネコ問題(FLASH・動画板Wiki)
2005.09.18:『飯島愛のポルノ・ホスピタル』開設
http://ameblo.jp/iijimaai/
AV女優から売れっ子タレントにまでのし上った飯島愛のブログ。
2007年に芸能界を引退するもブログは更新を続ける。
2008年12月24日、自宅で死亡しているのが発見された。R.I.P.
ブログは2008年12月5日のエントリーが最後。
もうブログが更新される事は無い。しかし、コメントは増え続けていく。
BLogが流行ってますね!!
日記って、付けるの久しぶり。
本来、誰にも見られたくない内容を感情的に綴ってあるのが
私には、日記だったりする。
例えば愚痴だと 『もう、やだ~ムカつく。ふざけんな~』だったり
寂しい夜は『逢いたい逢いたい逢いたい逢いたい』
って、感情ばかりを吐き出しているものが多い。
予定や出来事はスケジュール帳に書くかな?
でも、Blogには、なるべく素直に一人の女性として、感じた事を
見栄を張らずに記します。
もう、30代ですもの、自信がついた反面不安も沢山ありますから 。。。
でも、楽しい大人の時間を共有しましょうね。
はじめまして。はじめました。(飯島愛のポルノ・ホスピタル)
2005.09.23:FLASH★BOMB'05
3年目のFLASH★BOMB。運営が『MUZO』になってから初の大型イベントであるが、始まる前から大きくつまずいた。
『MUZO』は「のまねこ問題」の当事者である『電影駄目虫超』のわたを擁護。 然し、これがFLA板以外の2ちゃんねる住民から「FLA板はわた氏を擁護した」「FLA板が主犯」と捉えられてしまう。
そしてFLA板が激しく荒されていくのである。
始まる前からゴタゴタがあったもののイベント自体は問題なく終了。然し、驚きの発表がwosaからあった。それはFLASH★BOMBの終了。新たなイベントとして「slashup」を立ち上げると発表した。
slashupは、Flash動画に限らない、あらゆるクリエイターが発表できる場を作るプロジェクトであった。
Flashという枠からウェブアニメーションへ。それはFLA板との関係が変わる事を意味していた。そして年末の大規模Flash動画イベント分裂開催へ。
2005.09.30:(海外)Tim O'ReillyがWhat Is Web 2.0を発表
Web 1.0 Web 2.0 DoubleClick --> Google AdSense Ofoto --> Flickr Akamai --> BitTorrent mp3.com --> Napster Britannica Online --> Wikipedia personal websites --> blogging evite --> upcoming.org and EVDB domain name speculation --> search engine optimization page views --> cost per click screen scraping --> web services publishing --> participation content management systems --> wikis directories (taxonomy) --> tagging ("folksonomy") stickiness --> syndication
2005.09.xx:『大島てる』開設
事故物件の情報提供サイト。『Googleマップ』上に炎のマークで事故物件が示され、かつての居住者が「何年何月何日にどういう形で死んだ」という事が生々しく書かれている。貸主側からすると恐ろしいサイト。
2005.10.23:『オモコロ』開設
『ゴブリンと僕。』のシモダテツヤが立ち上げた商業テキストサイト。 個人サイトの時代が終わってからもテキストサイトのテイストを伝える貴重な存在。
2005.10.xx:『ニュー速クオリティ』開設
http://news4vip.livedoor.biz/
2ちゃんねるまとめサイト代表格の一つ。
2005.10.xx:クゼナルト問題2
クゼナルトの『脱オタクファッションガイド』は、『いちからはじめるファッション入門マニュアル』に謝罪をしてからもサイト運営を続け、更にはドメインを取得した。
これに対し『いちからはじめるファッション入門マニュアル』は
・引用や転載自体を否定しているわけではなく一般的なネット上のマナーとして引用記事のすぐそばに引用元のサイト名とリンクを張れば特に文句をつけるようなことはない。
ただ、コピーアンドペーストをした文に助詞等をつけかえただけのようなコンテンツを自分のWEBサイトに公開するということは無意味だと考えますし常識から外れている
とコメントを出していた。
2005年10月、『脱オタクファッションガイド』はオーム社にて書籍化された。『いちからはじめるファッション入門マニュアル』がこれに抗議しないわけがなかった。
『いちからはじめるファッション入門マニュアル』は
・『脱オタクファッションガイド』は当サイトを盗作・剽窃したという事実がありながら書籍化にまで踏み切った
・書けば書くほど横からその功績のみを持って行かれる
・クゼナルトのそうした行為に対する、抗議の意を掲げる
とサイトに掲載した。
抗議を受けたクゼナルトは『脱オタクファッションガイド』に謝罪文を掲載し、情報を断りなく使用したことを認めた。しかし、「寛容な目で見ろ」とも書かれていた。
謝罪後も書籍は販売され続け、2009年11月には改版が販売された。また、Kindle版も販売された。更には2016年に久世が著者である【脱オタクファッションバイブル】がKADOKAWAから販売された。
資料:『脱オタクファッションガイド』にあるパクリ疑惑と関連騒動について今更振り返る(佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書)
2005.11.10:『Mattari Factory』開設
http://mattari.s101.xrea.com/factory/
http://www.yama-ko.net/
FLASH黄金時代終盤に登場したFlash職人。MotionGraphicsの実力者。多くのイベントで活躍した。【RTR】【Memory Parade】。
2005.11.15:『痕跡症候群』開設
http://retro85.blog33.fc2.com/
2005.12.02:『きれいな核兵器』閉鎖
第一回紅白FLASH合戦の主催者だが、FLASHへの熱意が失われてしまったとのこと。
こんだけ放置していてなんなのですが「きれいな核兵器」はこれにて閉鎖です。
サイトは2002年の2/14にスタートしているので、3年と10ヶ月弱ですか。結構長いですねぇ。FLASHを始めたおかげで、多くのことを経験出来ました。とくに紅白FLASH合戦の主催は良い経験になりました。しかし、まさかMUZOなんて会社まで出来るとは…。FLASH50さんには今後とも頑張っていただきたいです。かげながら応援しております。
閉鎖の理由は、忙しさというよりもFLASHへの熱意が失われていったことです。何かを作って表現するってことには今も関心があるけれど、FLASHという表現手段が必ずしもふさわしいとは思えなくなったんですよね。って、ショートショートを書くために作ったブログも休止中だけど。あっちどうしようかな…。 まぁ、とにかく、何か書いたり作ったりするのは私の趣味です。FLASH作らなくなっても、また何かをネットの片隅でやっていることでしょう。もしかしたらFLASH作ってるって事もあるかもしれません。もし、私を見かけたらそのときはよろしく。
これで終わりかと思うと、なんか寂しいですね。150万ヒット。このページが見られた回数。いまだに「核兵器」でググルとトップにこのページが来る。如何に、多くの人に愛されたかってことでしょう。本当に感謝。
このまま放っておくと延々と書き続けてしまいそうなので、そろそろ終わりにします。これまで本当にありがとうございました。
それでは、また、ネットのどこかで。
2005/12/02 まろやかさ
2005.12.03:『痛いニュース(ノ∀`) 』開設
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/
2ちゃんねるまとめサイト代表格の一つ。このサイトは自分を一切語らない為、その正体について憶測を呼ぶ。
2005.12.16: 『livedoor Internet Animation』開始
ライブドアが運営するウェブアニメーションのサイト。【やわらか戦車】【やわらかアトム】【花山院ですが何か?】【ホシノ☆オニオン】等、Flash職人が制作した動画がここで公開された。
2005.12.xx:VIP STAR
POP STAR(平井堅)の替え歌。 2chカラオケ板住人のkobaryuが歌うVIP STARは歌詞がVIPでなければPOP STARと区別が付かないほどそっくり。
2005.12.25~2005.12.30:slashup01
第2回、3回紅白FLASH合戦の主催である『MUZO』のFLASH50はflash★bomb'05において、flash★bombと紅白FLASH合戦は今後行わず、
これからは「slashup」という名前で行うと発表。
そして紅白FLASH合戦に代わりslashup01が開催された。紅白FLASH合戦の後継だけあって作品数は多かったが、
名前を変えた影響なのか、いまいち盛り上がりに欠ける結果に終わる。但し作品の質は高い。
2005.12.31:紅白闇鍋祭
FLASH50はMUZO結成、商業化路線を歩み、2chFLASH動画板から離れていく。
MUZOの商業化路線、FLASH動画板から生まれた紅白FLASH合戦がMUZOによって名前が変えられてしまうことに対し、
FLASH動画板では独自に紅白FLASH合戦の後継イベントを開催する動きが出てきた。
紅白闇鍋祭は天国が主催した、もう一つの紅白FLASH合戦後継イベント。
開催日当日にスレッドに作品を投下するという、覗いてみるまでどんな作品が出るか解からない「闇鍋」方式。
2006年:ブログ炎上
2006.01.13?:『ウェブ魚拓』公開
ウェブページを保存するサービス。このサービスからウェブページを保存する事を「魚拓をとる」というようになった。
ーーウェブ魚拓ってもう10周年になるんですね。そもそもどんな経緯で作ったんですか?
もう10周年ですね。これは2005年、当時は政党がホームページなどで意見を言い出し始めるような時期でした。そこで社民党さんが「拉致は存在しない架空のものである」っていうメッセージをホームページに出したんですよ。
ところが北朝鮮が拉致の事実を認めた途端に、そのホームページ自体が消えたんですね。それについて特に私は政治的な意見を持ったわけじゃないんですけど、なんとなく、「こういったものを残すような仕組みがあってもいいんじゃないかな」と思ったんです。
もう十分に意見を発表する場としてインターネットというものは成立している時代なので、そんな公的な発表がいきなり消されるというのは、ちょっと問題があるんじゃないかと。
炎上の歴史とともに10周年、あの「ウェブ魚拓」創業者に会ってきた(HRナビ)
2006.01.22:『2ch全AAイラスト化計画』開設
http://riceballman.fc2web.com/
『2ちゃんねる』のAAをイラストに起こしているサイト。
「ゆっくりしていってね!!!」が特に有名か。
「モナー」「ギコ猫」などメインどころのAAから、特定の掲示板住人しかわからないAAまでとにかくイラスト化しまくり。
膨大なAAを全部イラスト化するという、最初は大げさにも思えたサイト名も、やがてサイト名に相応しいイラスト量になっていく。
継続は力なりを地で行くサイト。
2006.01.22:『Project::Logistica.』開設
https://logistica.exblog.jp/
個人ニュースサイト管理人達が集まり、毎回自分達が決めたお題について思うところを書いていくブログ。
Project::Logistica.は数人の筆者が集まり、毎回自分たちが決めたお題について思うところをただ綴っていこうという企画です。
決められたお題、綴られたテキストをここで順次公開していきます。
筆者はサイト運営者、主にニュースサイトと呼ばれるサイトの管理人たちです。
筆者は以下の10人。
まなめ@まなめはうす
ゆつき@ちょいりす
香陸@小生にうず
もそ@今日の覚え書き
yujiro@cool D'zine room
鴎@鴎庵
わんこ@俺ヘッドライン
みひろ@everything is gone
セミマル@ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS
とし@Orbium
どのようなお題を皆に問いかけるのかわかりません。
どのような展開になるのかもわかりません。
筆者たちはただただ文章を綴るだけ。
2006.02.25以前~:AGENT.AZW
通称「山田オルタナティブ」で山田ウイルスの亜種。 感染者の多くが「マブラヴ オルタネイティブ」をダウンロードしていたためにこの名がついた。
733 名前:[名無し]さん(bin+cue).rar :2006/02/26(日) 01:38:24 ID:9nzt8yS60
山田オルタナティブだろ、やっぱ。
渡る世間は罠ばかり(´・ω・) カワイソス山田ヲチスレ191
httpサーバを立ち上げ、感染者のスクリーンショットやHDDを参照可能な状態にする。
感染者同士をリンクする機能もある。
資料:山田オルタナティブ(´・ω・)カワイソス @まとめWiki
2006.02.14:464.jp逮捕
2006.02.27~2006.04.25:ことのは騒動
2006年、『きっこの日記』のきっこ、つまり横山希美子の正体は一体誰なのかという事について注目が集まった。 「きっこの日記には複数の書き手がいる」「実は男ではないか」「某評論家が関わっている」など 横山希美子の正体には諸説あったが、横山希美子の正体を探っていた人達の主張は、「横山希美子は作られた架空の人物である」ということであった。 同年1月31日、『絵文録ことのは』が『「きっこの日記」五年分すべてを通読してわかった。きっこの正体』というエントリーを書く。 「横山希美子という人はウェブ上の架空人格じゃなくて、世田谷区玉川在住で実在する人物」 という主張だった。 この「きっこの日記複数人説」を完全に否定する主張。 そしてそのエントリーが説得的に論証する言説であるとし、『絵文録ことのは』の松永に興味をもったのが 『ESPIO』の野田敬生であった。 同年2月20日、野田は読者から指摘をうける。その内容は次の通りであった。 「(きっこについて)どうも統一した人格が想定出来ない。 きっこは作られた架空の存在ではないのだろうか?きっこがブログでふりまく出所不明の情報がネット上をかけめぐりどう機能するのでしょうか?誰か意図的にやってるのでしょうか?情報操作を。以前、河上イチローというアレフ信者がいましたね」。 河上イチローと松永の経歴は一致する。 27日、野田は「松永は河上イチローである」という調査結果を発表。 同年3月13日、松永は自身が河上イチローであることを認め、今はアーレフに在籍していないこと、麻原彰晃に対する信仰心が無いことを主張した。
2006.03.17~2006.03.18:FLASH EXPO’06
梅田のamHALLでオフラインイベント。今回は開催日が2日。前年に続き良作が多数登場した。
2006.04.19:『たまごまごごはん』開設
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/
アニメネタのブログ。
2006.07.09?:『アルファルファモザイク』開設
http://alfalfa.livedoor.biz/
http://alfalfalfa.com/
2ちゃんねるまとめサイト。
2006.07.15:(海外)『Twitter』サービス開始
2006.07.15~2005.07.30:slashup★02
2006年7月15日と30日に開催された「slashup★02」。FLASH★BOMBの後継イベントである、15日は東京会場、30日は大阪会場。
当初の想定では東京・大阪に加え札幌・福岡の4会場で開催であり、これをFLASH50はプレスリリースで全国ツアーと表現していた。
然し、札幌と福岡はチケットが札幌で22枚、福岡で12枚しか売れず、販売数不振により中止となった。
2006.07.31:『ギズモード・ジャパン』開設
米『GIZMODO』の日本版。
2006.08.28:『OhmyNews日本版』開設
市民参加型インターネットメディア。韓国『OhmyNews』の日本版。『OhmyNews』は盧武鉉大統領の当選に一役買ったといわれている。しかし、日本版については始まる前からつまずいていた。
2006年07月10日、『ITmedia』が『OhmyNews日本版』編集長となった鳥越俊太郎へのインタビューを掲載した。その中で鳥越は、
「2chはどちらかというと、ネガティブ情報の方が多い。人間の負の部分のはけ口だから、ゴミためとしてあっても仕方ない。オーマイニュースはゴミためでは困る」
と発言した。この発言により『OhmyNews開店準備中Blog』が炎上した。すると鳥越は
「ごみ溜めと言われれば不愉快に思うでしょう。僕は、実はインタビューのとき、たしか『一部の』と言ったつもりなんだけどね、(記事では)2ちゃんねる全体が全部ごみ溜めみたいになって」
と発言。これに対しIT戦士こと『ITmedia』の岡田有花が「鳥越は「一部の」とは言っていない」と書いた。
事実と異なる釈明をした事が公表されてしまった鳥越は看板の役目を果たせなかった。
8月28日、『OhmyNews日本版』開始初日。閲覧数一位を記録した記事「インターネット上ではびこる浅はかなナショナリズム」が実は2ちゃんねらー書いた釣り記事として話題になった。
2007年5月31日、鳥越俊太郎は辞任した。
資料:ブログでも2chでもない「市民新聞」とは――オーマイニュース鳥越編集長に聞く
資料:OhmyNews:鳥越編集長、引退の危機!?
資料:どの情報を信じますか?
2006.09.06:『きっこの日記』炎上
きっこは、国民・マスコミが悠仁親王の誕生にめでたいと騒いでいることに対して
今度は「キコさま」かよ?あたしと名前が似てるから、イヤでも気になっちゃうけど、亀田のバカや安部のクズと 同レベルっていうか、ヘタしたら、坂東眞砂子にも匹敵しちゃうような恐ろしい「出産茶番劇」に、あたしは、 開いた口から水子の霊が出てきちゃうよ、まったく。妊娠するたびに、ソッコーで男の子か女の子か調べて、女の子 だったら、スマップの殺人鬼、中居正広とおんなじ方法で、闇に葬り去る。そして、その次も、女の子だったから、 またまた闇へ葬り去る。そしてその次も・・・・
・・・・そんなワケで、単なる「出産マシーン」と化しちゃったキコさまは、例の気持ち悪いニヤニヤ笑いで 「よっしゃ!もらった!」とかって心の中で叫びながら、小さくガッツポーズでもしてんだろうか。
国が演じてる三文芝居をツッコミも入れずに観てるだけの情けない国民。国の都合で殺された女の赤ちゃんたちのこと、 みんな知ってるクセに、まるで腫れ物に触れるかのように、その話題は避けて、バカげた計画出産についてだけ バンザイ三唱するなんて、崖から子猫を投げ捨てる頭のイカレたミステリー作家とおんなじレベルだよ。
『きっこの日記』
と書いたことで各所から非難を浴びた。この文はすぐに削除された。
2006.09.07:『乙武ブログ』炎上
乙武洋匡は、国民・マスコミが悠仁親王の誕生にめでたいと騒いでいることに対して
世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……
ひとつの命が誕生したことがめでたいの?
それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?
どちらにしても。
これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。
と書いた。 これにより大量の乙武非難コメントが寄せられることになり、乙武はその日のうちに謝罪をした。
2006.11.19:『池内ひろ美の考察の日々』炎上
評論家である池内ひろ美が2006年10月19日のエントリーにおいてトヨタの期間工に対し
「彼らは『トヨタ』を漢字で書くことができるのだろうか」
「向上心がなくて勉強もせず、平日の早い時間から連日飲んでいる男の子なんて、うちでは絶対に雇わない。スタッフにはお願いして仕事をしてもらってんだから。お願いしたくなる子じゃないと雇わない!」
そうだよね。
彼らに年間300万円以上も払っているトヨタは偉い。
と書いた。このエントリーは後に削除されたのだが、同年11月19日、ニュース速報板に関連スレが立ったことで このエントリーの存在が伝わり、池内に対する批判が一気に沸きおこった。 同月21日、池内は該当エントリーを再掲、その冒頭で次のように書いた。
(再掲載にあたって)
今回の記事で、池内が期間工を職業差別をしたと言われているようだが、私は、出会った男の子を批判しただけで、その男性が期間工と自称したために期間工全員を差別したわけでも、期間工は向上心のない頭の悪い人間と言っているわけではありません。
文章を一読しただけで、それは明らかでしょう。
だが再掲された文から、いつのまにか「彼らは『トヨタ』を漢字で書くことができるのだろうか」の部分が消されていたのであった。
資料:離婚コンサルタント池内ひろ美氏のブログ炎上
(rocketdolphinの日記)
資料:炎上池内ひろ美ブログ 反論でさらにネット上騒然、
炎上池内ひろ美ブログ 反論でさらにネット上騒然
(J-CAST)
資料:「(彼らは「トヨタ」を漢字で書くことができるのだろうか、と、ふと思いつつ)」がいつのまにか削除されてるよ周回遅れ。
(仕事用のめもとか。)
2006.12.10:『(・∀・)イイ・アクセス』がFlash衰退論についてコメント
さんざん語りつくされてきたテーマですが、Flashの盛り上がりに対する2ch内外での温度差の一因は、2ch内で共感できる要素(AAや時事ネタ)が減ってしまったことにあるのではないかと。スレの中で面白いと取り上げられている作品群が、2chユーザが求めている作品と現在生み出されている作品にギャップがあることを物語っています。
一方2ch外でも一見Flashが盛り上がっているように見受けられますが、それは『Flashで作られた』という冠ではなく、『個人で作られた』作品として取り上げられることが多いことから、CGMの一つとして捉えられている節があるような気がします。 従って、Flashそのものが盛り上がっている衰退しているというよりは、Flashによって生み出されたコンテンツが盛り上がっているかどうかというのが正しい見方ではないでしょうか。
また衰退というのは、新しいものが生み出されたときにこれまであったものが古いモノとして受け取られる状況と捉えることもできます。では、Flashが仮に古いものだとしたら新しいものはなんであるか? おそらく最近の傾向から言ってそれはYouTubeといえるでしょう。しかし、そこで公開される作品は、基本的に既存のコンテンツやそのパロディが多く、またFlash作品自体も存在します。つまり内容的には、これまでFlashで公開されてきたものと何ら変わりはないわけです。 そこから得られる一つの仮定として、衰退したのはコンテンツではなく公開するシステムにあるのではないでしょうか。シークバーや簡単にブログに張り付けられる自由度の高さは、これまでのFlash作品の公開方法では得られなかったものです。コンテンツとそれを公開するシステム…やり方次第ではまだまだFlashを盛り上げていく余地は十分あるかと。
今までのFlash衰退論に対して個人的に感じていた違和感は、この辺にあるような気がします。まあでも人気や注目度の有無だけで繁栄衰退を判断するケースもネット上では多々ありますから、結局は人それぞれが衰退をどう定義するか次第なのかもしれませんね…
2006.12.12:『ニコニコ動画』サービス開始
「ドワンゴ」によってサービスが開始された動画共有サイト。
初期は「レッツゴー!陰陽師」の動画が人気に。
また、「THE IDOLM@STER」「東方」「ボーカロイド」に関するユーザー制作動画が多数投稿され、独自の文化を築いていった。
やがて「歌ってみた」「踊ってみた」「実況」に侵食され、普通の動画共有サイトになっていく。
最初期はYouTubeにアップロードされている動画に対し、コメントをオーバーレイして同時に再生する仕組みだった。
2006.12.24~2006.12.27:slashup03 おこた祭
■「おこた祭」とは
ウェブゲームからウェブアニメーションまで、みなさんから投稿していただいた作品を中心に紹介するぬくぬくオンラインイベント。それが「おこた祭」です。こたつに入ったままでも参加できるお祭り、というイメージで開催しています。ぽかぽかしたこたつの中からおやつでも食べながらゆっくり参加してください。(※こたつを持っていない人でも参加可能です)
2005年末のslashup01と同様にいまいち盛り上がりに欠ける結果となった。とはいえ出展作品の完成度は高い。 紅白FLASH合戦・flashbomb時代のスタッフが引退し、新しいスタッフが手探りでやっていたとのこと。
2006.12.30~2007.01.01:第2回紅白闇鍋祭
2007年:動画の時代再び
2007.01.xx:2ch閉鎖騒動2007
2007.01.30:Windows Vista発売
2007.01.30:『zoome』サービス開始
「アッカ・ネットワークス」によってサービスが開始された動画共有サイト。
田代まさし出演の番組「田代まさしのお久しブリーフ」が有名。
2007.02.02:『世界は数字で出来ている』開設
http://numbers2007.blog123.fc2.com/
http://sekasuu.com/
賛否ある、ラジオの書き起こしサイト。
記事の基本ルールとして
「タイトルには必ず『数字』を入れる」
「内容も『数字』にまつわるものを必ず書く」
「ニュースのジャンルは問わないが、必ず何らかの『数字』に関する蘊蓄を入れる」
としていた。これがサイト名の由来なのだが、やがてそのルールはなくなり、煽情的なタイトルを付けるラジオ書き起こしサイトとなった。
2007.03.18:『Lingua furanca.』開設
http://linguafuranca.blog97.fc2.com/
個人ニュースサイト管理人達が集まり、毎回自分達が決めたお題について思うところを書いていくブログその2。『Project::Logistica.』の復活版。
このブログは、以前Project Logistica.というサイトがありまして、
そこでは参加者が明示したお題に沿って自分の意見・感想などを綴っていたのですが、
今回それを多少内容は違う形になりますが、復活させたいな。ということで立ち上げました。
方針としましては、お題とそれに対する記事を逐次紹介するという形になります。
今回主にこのブログに参加してくださる方々は以下のとおりです。(敬称略)
・☆YAS!☆(それさえもおそらくは平凡な日々)
・KUH(埼玉麻帆良愚連隊)
・lastline(最終防衛ライン2)
・アシタノ(アシタノ!)
・うぃんぐ(てきとうなもの)
・カラス(よなかのとり)
・セミマル(ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS)
・たまごまご(たまごまごごはん)
・テラシィ(青ひげノート)
・はし(アセティック・シルバー)
・まなめ(まなめはうす)
・ミルト(MOON CHRONICLE)
・やくろ(やくろあんてな)
・有賀(週刊少年二次元)
・犬(Diary of Hopeless Sinner)
・白球(白い戯言)
・水音(マンガ☆ライフ)
・水瀬(痕跡症候群)
なお、参加者が増えるかもしれませんので、その時はここに追記すると思います。
お題やテキストの形式等は各自自由に発想するので、どうなるか不明です。
そこら辺も含め楽しくやれればいいと思っております。
2007.04.28:(海外)UD Agentプロジェクト終了
日本からは「Team 2ch」が参加していたGrid.org UDがん研究プロジェクトが終了。
Thank you to all past Grid.org members who contributed to this project!
The Cancer Research Project advanced research to uncover new cancer drugs through the combination of chemistry, computers, specialized software, and organizations and individuals who are committed to fighting cancer.The research centered on proteins that were been determined to be a possible target for cancer therapy. Through a process called "virtual screening", special analysis software identified molecules that interacted with these proteins, and determined which of the molecular candidates had a high likelihood of being developed into a drug. The process is similar to finding the right key to open a special lock ― by looking at millions upon millions of molecular keys.
Participants in the Cancer Research Project were sent a ligand library over the Internet. Their PC analyzed the molecules using a docking software called LigandFit by Accelrys. The LigandFit software analyzed the molecular data by using a three-dimensional model to attempt to interact with a protein binding site. When a ligand docked successfully with a protein, the resulting interaction was scored and the interactions that generated the highest scores were recorded and filed for further evaluation.
2007.04.30:『ウェブリング・ジャパン』サービス終了
平素よりウェブリング・ジャパンをご利用頂き誠にありがとうございます。
この度お客様にご利用頂いております「ウェブリング・ジャパン」のサービスを誠に勝手ながら2007年4月末をもって終了させて頂きました事をお知らせさせて頂きます。
近年のインターネットコミュニケーションサービスを取り巻く環境はここ数年で大きく変貌しており、弊社といたしましてもお客様各位にご満足いただけるサービスの提供を続けて行く事が困難となってまいりました。
現在ご利用頂いている皆様にはサービス中止に際し、大変ご迷惑をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。
何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
ウェブリング・ジャパン
2007.04.xx:『泣かぬなら殺してしまえホトトギス~』パクリ疑惑
2007.05.18:『SMALLNEWS!』密かに語る
ついついソースを見てしまうような昔ながらの貴方へメッセージ(笑)
なんだかんだでダラダラ終了せずに続けてしまってゴメンナサイ。未だリンクを続けて下さっているサイトも沢山ありますが、そのサイトの消息も定かではないのかな?とか思ったりもしてます。未だエミュレータ情報サイトとかいう紹介いただいてるサイトもありますから・・・。
フェードアウトするMP3TIDALWAVE、華々しく終わるムーノーローカル、未だくすぶるSMALLNEWS!。今や知る人の方が少ないのでしょうね。毎年4月1日になると3サイト合同でやったエイプリルフール企画を思い出します。楽しかったな~。実は私はあの二人とは会った事がありません。声も聞いたこともありません。メールとチャット、サイト上の罵り合いだけでしたが、私は彼らを尊敬し、感謝していました。今でも感謝していますけどね。会ってみたかったなー。
余った時間の全てをサイトに捧げていたあの頃。余ってない時間も捧げていた気もしないでもありますが、自己表現という意味では最高の場所だったと思います。
サイトを始めるきっかけは、当時大好きだった「志摩スペイン村」のホームページを作るところからでした。 いろんなアトラクションを紹介したり、お勧めスポット書いたり、と、構想していたのですが、1割も作らないうちに「駄目」「当たらない」と直感し、止めました。当時取得したGEOCITIESのアカウントが「pyrenees」だったのです。「pyrenees」はスペイン村にあるジェットコースターで、当時のお気に入りでした。
SMALLNEWS!を始めたきっかけは何処かで書いたような気がするので省略。
当時のデザインコンセプトは「嫌われないサイト構成」でした。
「私が誰であるのか、どういう人間であるのかは、情報を必要とする人間には必要がない」という考えを元に、記載する情報に私のコメントは殆どなかったはずです。「私の意見を書く」という事は「賛同」と「反発」を生むと考えたからです。ですから、情報のみを簡略化して淡々と書き綴りました。
「嫌われないサイト構成」は取り扱う内容にも気を使いました。
気づいていた人も多いかと思いますが、初期のSMALLNEWS!では取り扱わないネタが幾つかありました。「バレンタイン」「母の日」「父の日」「クリスマス」というイベント系です。例えば母親を亡くされたばかりの方が「母の日」のネタを見て悲しい思いをするのであれば排除すべき、と考えたのです。それが例え読んで下さる人の1%に満たない場合でも。バレンタイン、クリスマスは、もっと該当者は多いかもしれませんが(笑)
あと、サイトのデザインもどんなブラウザのサイズで見ても形が崩れないようにしました。「この形で見てください」ではなく、見てくださる方に最良の形で提供する、そういう意味であの味気ないようなデザインで統一していたのでした。サイトの色の「くすんだ桃色」ですが、これには失敗でした。サイトの情報の提供者の性別を不明にしたかったのです。「もしかしたら女性では?」とか思わせたく、一人称は必ず「私」を使うようにしたりしたのですが、誰一人「女性ですか?」とかいう疑問をぶつける人はいませんでした。なぜ女性と思わせたかったかというのは、女性が運営する濃いサイトというのは珍しいので目立つのでは?と考えた結果でした。
「女性=桃色」という図式が浮かんだ私の失策ですね。未だ「くすんだ桃色」サイトです。今でこそ「PYRENEES!」というハンドルネームと認識でいますが、元々はサイトで名乗る事はありませんでした。
誰かがメールアドレスに使っていた「pyrenees」というアカウントから「pyreneesさん」と呼んで下さるようになり、そこから自ら名乗るようになりました。私自身をサイトで表現する必要がないと思ったからです。ところが、サイトがある程度認知されてくると、人間味の無さが各所指摘されはじめました。しかし、私自身を表現する事はコンセプトから外れてしまいます。そこで私以外の人間が、私の人間味を表現する必要がありました。
「Workingなうなう」の出番でした。
妻の書く文は人間臭く、というか駄目人間な私が大活躍でした。妻の文を私が編集する事は禁止していました。文章を書く上での妻が提示した条件でもありました。実際、一度文章を編集して「Workingなうなう」は終了した事があります。何とか再び書いてもらえましたけど。
SMALLNEWS!のサブコンテンツにする事で、私自身の人間性を気にしない人はそのままに、人間性が気になる人が出てきた人は「Workingなうなう」を読んで頂くと。もう一つ、私のお気に入りであったコンテンツ「知りたがり」というのがありました。
一問一答、コメントしてくれた人には必ずコメントを返すというのが私のルールでした。
何故か。それはSMALLNEWS!には掲示板がなかったからです。当時、どこかのサイトで「ウェブページのライフサイクル」というのを読んで掲示板は作りませんでした。 「掲示板つくる」→「そこそこ盛り上がる」→「常連できる」→「常連に反発する人間出る」→「どっちかが荒らす」→「本人登場で一旦落ち着く」→「本人叩きが始まる」→「テンション下がる」→「終焉」みたいな事だったかな?もっと簡潔な気がしましたが。
何にせよ、私に対する意見は良いけど、それに対して反論する前に団結されたり、連投されると萎えると思ったのです。ですから、一問一答形式にしました。悪口書かれても「そんな事言わずに~。本当は友達になりたいんでしょ~」みたいな返しができたのです。当然、その返しに反論はできません。絶対に私の勝ちです(笑)
ただ、人が沢山来てくださると、返信する量が半端じゃなくなるのが欠点でした・・・。自滅ですね。 またやりたいなぁ。何が書きたいのか、まったく分からないまま勢いで書いちゃいましたが、世の中からほぼ忘れられた頃にひっそりと書こうと思っていた事でしたので、ちょうどいい頃合かと。
ここまで続けてこられたのは今まで見てくださった方々のおかげです。間違いありません。
今でもアクセスして下さる人もいる。嬉しい限りです。最後に、このメッセージを読んでくれた貴方に感謝!
『SMALLNEWS!』のHTMLのソースに記載されていた文
2007.05.19:『ゴリラブーツ』開設
2007.05.23:『画像ちゃんねる』の管理人逮捕
2007.05.30:『ゲーマーズターミナル』閉鎖
2003年2月28日に一端閉鎖後、2004年2月23日に『ゲーマーズターミナルプラス』として再開していたが、再び閉鎖へ…
GT+管理人が昔ほど多くのゲームをプレイしなくなり、利用者と管理人との間で温度差を感じるようになってきた、というのが主な原因です。
そう感じる中、ルールやマナーを守らない利用者の増加や、ゲーム自体に思い入れがあるわけではなく、「ゲーム関連サイトを作ってとりあえず儲けたい」等の意思が見え隠れするサイトの増加があり、GT+が当初想定していた「ゲームサイト」の基準とかけ離れたサイトの登録が目立つようになってきました。
「ゲームサイト」とはどういう定義かと改めて考えた時に、GT+管理人の考えと世の中の考えが大きく違ってきている、と感じます。利用者と管理人の間に考えの大幅なズレのある状態において、サイトを紹介していくだけのモチベーションが保てなくなりました。
それでもルール・マナーを守りサイトを利用してくださるゲームファンの皆様のために、できる限り続けていこう・よりよいサイトにしていこうと頑張ってきましたが、残念ながら今後もこのような気持ちでサイトを運営していくのは難しいという結論に至りました。
GT+を応援してくださった皆様には閉鎖という道を選択することになってしまい、大変申し訳なく思っています。
今までご利用いただきまして、ありがとうございました。
サイト閉鎖のお知らせ(ゲーマーズターミナルプラス)
2007.06.04~:唐沢俊一パクリ騒動
2007.06.11:『ニフニフ動画』サービス開始
「ニフティ」によってサービスが開始された動画共有サイト。名前の通り『ニコニコ動画』を意識したものであるが、
本家と比べればかなりマイナーな存在。
資料:「ニフニフ」「グフフ」が示す、ニフティの危機感と変化 (1/2)
2007.06.13:警視庁の情報1万件が流出
暴力団関係者の名簿が流出。やくざと情婦関係であるタレントの名が書かれていた。Winny経由での流出。流出させた警察官は免職。
資料:警視庁の情報1万件が流出…巡査長PCウィニー感染で
2007.06.22:『鉢巻起稿』開設
http://hatimaki.blog110.fc2.com/
http://blog.esuteru.com/
後の『はちま起稿』。『2ちゃんねる』の「ゲーム業界、ハードウェア板」のネタを中心にまとめているブログだが、ゲーマーを扇るような内容でアクセス数の大きなブログになっていく。
2007.06.22
このブログでは「ネットを通して得た情報の紹介」と「ちょっとした日記」を載せていくブログになりそうです。情報を載せるだけでは他のどのブログでもやっていることなので、少し趣向を変えた紹介をしてみたいと思っています。
まぁ、やりたい放題やりますってことで。たくさんの人に楽しんでもらえるようにがんばりますね。
このブログについて(鉢巻起稿)
2007.07.15:『日記才人』閉鎖
一時期は個人サイトの中心に位置していた『日記才人(日記猿人)』であったが、 2004年の新システム移行は成功とは言いがたく、衰退著しかった。 2007年6月20日、「日記才人は2007年7月を持って閉鎖予定です。」と告知。 サーバー維持が困難になったとのこと。同年7月15日、閉鎖。
日記才人は7/15を持って閉鎖いたしました。
ひょっとしたら違う形でまた何かしらのサービスを始めるかもしれませんが、
とりあえず終了です。約11年、ありがとうございました。
日記才人
2007.07.17:セカンドライフ日本語版サービス開始
セカンドライフは(米)Linden Lab社が開発した仮想空間である。
MMORPGに近い存在だが、MMORPGがテレビゲームの世界感をモデル化したものに対し、セカンドライフは実生活をモデル化したものである。
実生活をモデル化といいつつキャラクターが空を飛べたりするのだか。
特筆すべきは仮想空間に置くアイテムを自分で作り出せるところにあり、
更にはそのアイテムを仮想通貨で売る事が出来、その仮想通貨はUS$と交換も可能であった。
セカンドライフ自体は可能性のあるコンテンツであるも、日本においては知名度の広がり方が良くなかった。
セカンドライフ日本語版がサービスを開始したのは2007年7月17日だが、その前からメディアで取り上げられ、関連本も数多く発売された。
曰く、「仮想通貨によって一儲けが可能」「企業は仮想空間内にパビリオンを設ける事で新しいものに取り組む企業というイメージ戦略になる」と。
多くの有名企業が仮想空間内にパビリオンを設け、広告を配信した。
セカンドライフに参入した有名日本企業としてトヨタ、日産、三越、野村証券、ソフトバンク、ブックオフ等が挙げられる。
そのブームは「セカンドライフ狂騒曲」とも呼ばれた。
尤も、ブームといっても実態としては広告代理店やデジタルハリウッドのゴリ押しが強く、
仮想空間の仕様には問題があった。キャラクターの外観が日本人ユーザー向けではないのはともかくとして、
それなりのPCスペックを要求するのと、何より1つのワールドに最大50人しか同時接続出来ない仕様は致命的といえた。
2007年下期にはメディアでも限界論が目立つようになり、2008年からは下火になっていった。
日本のウェブにおいては大騒ぎした割にこれといった爪跡は残さなかったが、それでもかなりの話題になった事は人々の記憶に残り、
又、セカンドライフユーザーであるブロガーとそうでないブロガーとの間でそれなりに話題となった言い争いが発生した。
2007.08.18:slashup★04
回を重ねる度に存在感が減っていった夏と冬のslashup。
夏のslashupはFLASH★BOMBの後継イベントな訳だが、最初のイベントタイトルが「FLASH★BOMB07 under ground live」であり、最初の公式URLが「http://www.flashbomb.jp/07/」であった。
その為「今更FLASH★BOMBに戻すのか」といわれた。 最終的にはslashup★04となり、公式URLは「http://slashup.jp/04/」。サブタイトルとして「fb Re:birth」がついた。
『MUZO』の失敗はこの時既に明らかであり、夏のslashupはこれが最後だった。
2007.08.31:VOCALOID2・初音ミク発売
ボーカル音源ソフト「VOCALOID」自体は2004年から存在する。が、初音ミクは今までのものとは状況が違った。
ソフトの性能向上、『KEI画廊』のKEIが書いたキャラクター絵、そして『ニコニコ動画』という存在。
羽ばたく為の環境が揃ったVOCALOIDは新たなネット文化を創っていく。
2007.09.10:『pixiv』サービス開始
2007.09.18:『初音ミクニュース』開設
http://hatsunemiku.blog107.fc2.com/
VOCALOIDに関する動画、ニュース、絵などを淡々と紹介していくニュースサイト。
2007.09.20:みくみくにしてあげる♪公開
『ニコニコ動画』で数多く投稿された初音ミク動画の中でも、最も偉大な動画。 火が付き始めていた初音ミクの人気を確定的なものにした。
2007.11.22:『ふぁぼったー』開設
http://www.favotter.net/
『Twitter』のユーザーがお気に入り(Favorite)登録をしたツイートを収集し、結果を表示しているサイト。
人気ツイートが解る。お気に入り数が5を超えたツイートは赤字で表示され、ここから「赤ふぁぼ」という言葉が生まれた。
2007.12.15:『水無月情報ページ』閉鎖
沢山のメッセージ、ありがとうございます。
こんなに多くの方が水無月情報ページの歴史に関わっていることに驚きました。
時代が変わり、それに着いていけなかった私の技量に私自身悔んでいます。
掲示板を毎日楽しみにしていた皆さんの場を奪うことに心が痛みます。
ごめんなさい。
家族と仕事を持ち、有限である人生を歩くときに必要なことはと自分に問いかけたとき、
やはり時間が必要であると答えが出ました。
この9年間、応援してくれて、ありがとうございました。 2007年12月15日 水無月 梓
水無月情報ページ
2007.12.25~2007.12.28:slashup05 熱冬祭
集まった作品は僅か14作品。そしてこれが『MUZO』が企画する最後のイベントとなった。
2007.12.29~2007.12.31:紅白FLASH合戦2007
紅白という名称の復活は闇鍋運営側が少々強引に決めた。地味だが手堅い運営。
旧紅白と比べれば盛り上がりに欠けたのは事実だが、
FLA板の厳しい現状のなかで十分に健闘した。
作品のレベルを考えれば紅白復活は「成功」と記録していいだろう。
次年度以降も開催は継続される。ただし、作品数は年々少なくなっていく・・・
2008年:個人サイトの時代、終焉の兆し
2008.02.28:(海外)『stage6』サービス終了
高画質な動画を投稿出来る為、『ニコニコ動画』で公開した動画の高画質版のアップロード先として使われる等、アメリカのサービスであるものの日本でも一部では人気があった。
2008.02.29:『ReadMe!JAPAN』閉鎖
2007年10月22日、僕はマンハッタンの街角に立っていました。
折り悪く、この日はタクシー組合がストライキを敢行中。動いているイエローキャブの大半はメーターを停止され、数ブロック乗せてもらっただけで二人で$20取られるボッタクリに、少しは腹も立ちました。
けれどもストライキの目的が「GPSとクレジットカード支払機の搭載義務化に抗議するものである」と後に知り、僕は素直に「カッコイイ」と思いました。1996年の僕は、メモリ16MBのデスクトップPC・3分40円の高価な回線・28,800bpsのモデム・月$20のバーチャルサービスを使ってReadMe!を立ち上げました。
2008年の僕は、メモリ1024MBのノートPC・月6千円で使い放題の100,000,000bps FTTHを通じ、東京から600km離れた街で仕事しています。
この12年、技術の進歩は実に驚くべきものです。にもかかわらず、こんにちの生活は、必ずしも豊かになったとは言いがたいものがあります。
世を占めるウェブサイトの多くが時間泥棒へと姿を変え、ときには人々を苦しめるための凶器に成り下がっています。
Alexaの調査によれば、全世界のウェブサイトの実に98%がReadMe!より遅いそうです。
画面の4分の3が広告や無意味な情報で埋め尽くされ、人々を機械の前に縛り付けて離さず、未知なるものと出会うための時間を奪い、機械無しで生きてゆくための能力を奪ってゆきます。
この業界でこの仕事に携わる一人として、恥ずかしく、また悔しく思います。一方で、インターネットとReadMe!を通じて僕が得たものは計り知れません。
25歳の僕は、顎で使われるだけのサラリーマンで、失うものを持たず少々鼻息の荒い、只の無知な青年でした。
現在の僕は、インターネットに携わる仕事を自らの意思で選び、フリーランスとして仕事をしています。ときには苦しい日々もありますが、それはとても充実したものです。
インターネットが無ければ、ReadMe!が無ければ、今の日々は決して無かったに違いありません。
この場を借りて、かかわってきた全ての皆さんに御礼を申し上げます。
ありがとうございます。残念ながら(そして喜ばしいことに)今、僕にはReadMe!よりも遥かに大切なものがいくつもあって、ReadMe!のために割く時間がありません。
ですが僕はインターネットから離れるわけではありませんし、(たぶん)皆さんが目にするどこかで仕事をし、この現状を打ち砕くために戦っていると思います。
この御挨拶は、決してお別れを言うために書いているわけではありません。僕にはReadMe!としてやり残したことがありますし、未練もあります。
それは皆さんの知るReadMe!とは遠くかけ離れたものになるでしょうし、ReadMe!という名前すら持たないかもしれません。
けれども、もし誰も現れなければ、50歳になっても60歳になっても、ふたたびこのキーを叩き、創り出してやろうと思っています。
それまで、しばし、休みをください。それではまた、インターネットのどこかでお会いしましょう。
2008.04.05~2008.07.26:第3回 2ちゃんねる全板人気トーナメント
http://ari.nomaki.jp/2ch.html
ネトゲ実況掲示板が優勝。これが最後の全板人気トーナメントになった。
2008.05.19:『Facebook』日本語版サービス開始
2008.06.14~2008.06.15:24時間アイマスTV!
『ニコニコ動画』のユーザーが企画・実行したお祭り。 ユーザーによって日々多くのアイマスMAD動画(ニコマス)が生産されていた当時、ニコマス界の熱い空気が生み出した24時間企画。 この企画の為に作られた102個もの動画をリレー形式で繋いで『ニコニコ動画』へアップロード。 2008年6月14日18時から翌18時まで、24時間次々に絶え間なく動画がアップロードされていく。 内容はバラエティに富んでおり、まさに24時間TVのように進行していった。当時の暑すぎる熱気と優秀な取りまとめ役がいたからこそ出来た企画。 総指揮の天然Pは名を上げた。
2008.07.18:『ライフハッカー』開設
米『Lifehacker』の日本版。
3つのテーマの中から好きなものを1つ選び、それに基づいてフリーソフト「MikuMikuDance」を使った動画を作り、競う大会。58本の動画が集まった。
2008.08.05:『Google ストリートビュー』日本の一部地域も提供開始
2008.08.07:『六本木で働いていた元社長のアメブロ』開設
http://ameblo.jp/takapon-jp/
この時代には一般的にも有名人となっていた、ホリエモンこと堀江貴文のブログ。堀江貴文の名を出していなかった為、開設から暫くは気づかれなかった。
2008年8月15日、サイバーエージェントの藤田晋のブログで堀江のブログにリンクを貼った事で、堀江だとわかった。
雨風呂初体験
してみました。今日もいろいろ面白い話が聞けたなあ。モンスターハンターはそんなに売れているのか。だから、PSPとPS3が売れてきていたんだな。
2008.08.14:田代まさしの偽者が登場
http://ameblo.jp/masamasa-rs/
2008年8月14日に開設した『人生のズンドコにいるあるおとこのブログ』というブログ。
ブログ主のハンドルネームは「masa」、プロフィールの絵はトランペット、生年月日は「1956年8月31日」。内容も田代まさしっぽい感じで、これはもしや田代まさしがブログを始めたかと騒ぎになった。
しかし、騒ぎになったところでブログ主が「私は田代まさしではない」と表明した。
このブログではあくまでも
日々感じたことや、何でも無い日常を書いていきたいと思う。
世間の反応が知りたいというのもあるが
まだおおっぴらにしたくないというのもある。
もちろん、数名の知人には明かしてはいるが。
その反面
メディアの力は一切借りずに
このブログだけで、どこまでいけるのか
楽しみになってきた自分もいる。
本当のところは良く分かっていない。
とにかく
心配してくれている人
気にかけてくれている人
全ての人にありがとう。
2008.08.xx:『OhmyNews日本版』廃刊
始まる前から大きくつまずいた『OhmyNews日本版』が僅か2年で廃刊。
内容を変えて『Oh!MyLife』として再スタートしたが…
2008.09.xx:『写真で一言ボケて 』開設
https://bokete.jp
大喜利サイト。利用者が画像を投稿。これをお題として利用者がボケを投稿する。一人ごっつであった「写真で一言」と同じ。
2008.10.07:『ニフニフ動画』サービス終了
平素は@niftyサービスをご利用いただき、誠にありがとうございます。
2008年10月7日をもちまして「はみだし@nifty」で提供してまいりました「ニフニフ動画」「グフフ動画」「らくがきフォト」「アフレコ動画」のサービスを終了させていただきました。(動画・画像の新規登録につきましては勝手ながら2008年9月26日に終了させていただきました。)
「はみだし@nifty」の“@niftyから「はみ出し」た、規格外の新企画”というコンセプトを持ったサービスは、いつかまた新しい「はみだし@nifty」としてご提供したいと考えております。
これまでのご利用、ありがとうございました。今後とも@niftyをよろしくお願いします。
2008.10.28:『田代まさしブログ』開設
http://tashiromasashi.seesaa.net/
本物の田代まさしブログ登場。
ん?、この間、僕のニセブログが立ち上がったというので騒ぎになってたらしいんですが、今度は本物のブログを立ち上げます。生まれ変わった気持ちで取り組んでいきますので、よろしくお願いします。
ブログ開始にあたって 田代まさしよりのメッセージ(田代まさしブログ)
2008.11.04:『megabbs』閉鎖
2008.12.28:紅白日記合戦
旧テキストサイト陣営を赤組・ブロガー陣営を白組として競い合う。
これは個人的な考えではあるのですが、一時期のテキストサイトブームの頃に比べて、「ぬるい」文章を書いてらっしゃるブログが目立つように思います。「今日は表参道でパスタを食べました♪」というような死ぬほどどうでもいい文章を垂れ流すブログが増えたせいで、骨身を削って文章を綴っている「本当に面白い」サイト群が埋もれてしまっている今の現状には納得がいきません。
このイベントを通して、「こんなに面白いサイトがあるんだ」「文章でこんなに人を笑わせられるんだ」と、読者の方々に感じて頂ければ幸いです。その上で「僕もやってみたい!」という考えに繋がる方が一人でも多く現れる事を待ち望んでいます。
当日はPCの前に張り付いて、1時間ごとに表示されるテキスト群を眺めながら掲示板で雑談するも良し、気に入ったサイトを探すのも良し。楽しみ方は自由です。一緒に盛り上がりましょう!
2009年
2009.01.03~2009.01.19:IPAつこうた流出問題
2008年、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)の職員が
Winny・Shareを使い、Atokや児童猥褻画像等をダウンロードしていた。
2009年1月3日、当該職員のパソコンが暴露ウイルスAntinnyの亜種に感染した。
IPAは情報セキュリティ対策を推進しており、ファイル交換ソフトの利用の危険性についてもかねてから注意喚起を行っていた。
そのIPAに所属する者がWinny・Shareを使い、しかも有料ソフトや猥褻画像をダウンロードしている事が判明したことで、
『2ちゃんねる』で所謂”祭り”になった。
当該職員の私生活に関する写真も流出しており、更には妻のメールアドレス・ブログが判明。祭りに拍車がかかった。
同月4日、IPAは「職員が私物のパソコンでファイル交換ソフトを使用し、コンピュータウイルスに感染。情報が流出した」と発表した。
同月6日、IPAはプレスリリースを出し、当該職員が「Atok」「児童猥褻画像」等をダウンロードしていた事を認め、
セキュリティ対策を推進し、ファイル交換ソフトの利用の危険性についてもかねてから注意喚起を行ってきた立場でありながら、このような事態が発生した事について陳謝した。
同月19日、IPAは当該職員に懲戒処分「停職3ヶ月」を示達した。
尚、当該職員は『2ちゃんねる』のスレッドで”IPAの岡ちゃん”と呼ばれた。
資料:IPAつこうた流出問題まとめwiki
資料:IPA職員の私物パソコンによる情報流出について(IPA 独立行政法人 情報処理推進機構)
資料:プレス発表 当機構職員の私物パソコンによる情報流出等について(2009年1月6日)(IPA 独立行政法人 情報処理推進機構)
資料:プレス発表 当機構職員の私物パソコンによる情報流出等について(2009年1月19日)(IPA 独立行政法人 情報処理推進機構)
2009.01.17~2009.01.18:アイマス新年会
『ニコニコ動画』のユーザーが企画・実行したお祭り。「24時間アイマスTV!」より更に長い27時間をアイマスMAD動画で繋ぐ企画。今回はVOCALOIDや歌ってみた系の動画も一部参加。
見事に成功し、総指揮の天然Pは更に名を上げた。
2010年にはアイドルマスターだけではなく「東方Project」「VOCALOID」を含めた「トリコロール・ワールド」という超大型企画が立ち上がり、天然Pが総指揮を執ることになる。成功すれば大快挙になるのだが…
2009.04.24:『OhmyNews日本版』閉鎖
内容を変えて『Oh!MyLife』として再スタートした『OhmyNews日本版』がついに閉鎖。 7年後の2016年、鳥越俊太郎が都知事選に出馬したのだが、 彼のあまりに軽率な行いによってこのサイトがつまずいたのを覚えている人は少なくなかった。 彼の過去を振り返る中でこのサイト名が記事に登場する事になる。
2009年4月24日(金)をもちまして、インターネットメディア「Oh!MyLife」ならびに「OhmyNews」を閉鎖いたしました。
2006年8月の開設以来、約2年半にわたり多くのみなさまに投稿、閲覧いただき、本当にありがとうございました。
あらためて御礼申し上げます。
御礼申し上げます
2009.05.04:『はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記』開設
http://d.hatena.ne.jp/kawango/
ドワンゴの創業者、川上量生のブログ。
2009.05.27:『楽天市場』の個人情報流出騒ぎ
2009年3月28日、『2ちゃんねる』に「楽天市場の大量のスパムメール・・・」スレッドが立った。
そこには「アマゾンやセブンイレブンドットコム、セブンアイ、ケンコーコム、その他の小さな通販サイトで
買い物してもスパムメールなんて、ほとんど来ないのに、何故、楽天市場にアカウント登録しただけで
欲しくも無い商品のスパムメールが大量に来た」という>>1の報告があった。
5月20日、『つきつき日記F』は「楽天ショップがメールアドレスをスパム業者へ流してるっぽい」を書いた。
今回、たまたま久しぶりにGmailのSpamフォルダ(スパムフィルタにより自動で放り込まれる)を覗いてみたら、あるエイリアス宛に大量のスパムメールを発見。5月3日に届いた、最初のスパムがこれ。
宛先のメールアドレスは、「楽天市場」専用のエイリアスです。メール送信に使ったりとか、楽天市場のアカウント以外の用途で利用したことはありません。このアドレスを知っているのは、楽天市場と、楽天内の通販やキャンペーンなどを通じてメールマガジンを送りつけてくる、楽天ショップだけのはず。
──ってことは、楽天市場の内部の誰か、おそらくどこかの楽天ショップが、アドレスを流出させたとしか思えません。
同月27日、『GIGAZINE』は「楽天市場から個人情報がスパム業者に流出か、実名の記載された迷惑メールが楽天でしか使っていないメールアドレスに届き始める」というエントリーを書き、 先のつきつき日記Fのエントリーと『2ちゃんねる』のスレッドを紹介した。さらには『GIGAZINE』の元へ同様の話が読者から寄せられてる事も書いた。 同日、『GIGAZINE』は「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売していることが判明」を書いた。 これに対し楽天は同月28日に、全くの事実誤認と一旦反論した。 同月29日、『GIGAZINE』は「「楽天」が抱えている10個の問題点まとめ」でさらに追い詰める。 同年6月5日、大手新聞各社がこの件について報道を始めると楽天は一転して認めた。
2009.06.05:『タビロック』開設
https://ameblo.jp/goooooska/
夫婦で世界一周する様子をブログでリアルタイムに紹介。後の世の旅系Youtuberに通じるところがある本格的旅系ブログの一つ。
同時に旅の悪い例としてもしばしば上がる。
世界一周中に海外旅行保険が切れ、かつ継続が出来ず、無保険のまま旅を続けた。
ボリビアのラパス滞在中の2011年9月29日に夫が寒気、翌日に奥さんが発熱。10月3日には夫も発熱。
6日、病院に行かないまま奥さんがホテルのトイレで死亡。二日後には夫が病院で死亡した。マラリアのため...。R.I.P.
発熱して直ぐに病院へ行かなかった理由として無保険が関係しているのではといわれた。
2009.07.09:『NAVERまとめ』サービス開始
まとめサイト。
2009.09.12:FRENZ
ニコニコ動画やFLA板で活動する職人によるオフラインイベント。運営はas@地生氏とyama_ko氏。FLA板イベントの系譜でありながら後年まで続く貴重なイベントになった。
2009.09.23:『王の巣窟』開設
http://king-soukutu.com/
即死ゲーといわれるFlashゲーム【人生オワタ\(^o^)/の大冒険】が代表作。Flash Playerのサポート終了目前の2020年8月には【人生オワタ\(^o^)/の大冒険2】を公開し話題に。ブログは2007年3月から(http://king75.blog53.fc2.com/)。
2009.09.27:『Togetter』サービス開始
『Twitter』のツイートを纏める事が出来るサービス。
2009.10.05:『BLOGOS』開設
NHN Japanが運営する提言型ニュースサイト。
2009.10.22:Windows7発売
2009.11.30:『ツカサネット新聞』閉鎖
『Oh!MyLife』に続いて『ツカサネット新聞』も閉鎖。