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個人サイトを中心としたインターネットの歴史(1984年〜2003年)
始めに
この文は2007年に書いたものである。
通常のインターネットの歴史ではなくウェブ文化に力点を置いたもので、
当時私がこの文を書いた目的は「個人サイトを中心としたウェブの文化を知ったかぶりできる程度にさらっと知る事の出来る資料があるといいのではないか」
というものであった。2003年まで書き、その後も書くつもりでいたが放置したまま今に至ったものである。
ばるぼら氏の「教科書に載らない」と似てるっぽいものを当時の自分の知識で書いてみたら案の定劣化したものが出来た、と解釈しても間違えではない。
とは言ってもこの程度の情報も今や失われ始めているし、捨てるにはそれはそれで惜しい。
今改めて見ると不満な点は沢山あるが、まだ存在価値のある文であるからサイトに残している。
今書き直せばそれなりのものが出来上がるものの、これにリソースを最投入するつもりは無く、
今は年表形式の「
個人サイトが多めなインターネットの歴史年表 」を更新しており、
界隈別には「
登録型ウェブ日記リンク集の動乱 」
「
個人ニュースサイト史 」
「
テキストサイトの歴史 」
を書いたので基本的にはそちらを見てほしい。
■各年へジャンプ:
1984年〜1994年 /1995年 /1996年 /1997年 /1998年 /1999年 /2000年 /
2001年 /2002年 /2003年 /
*敬称略
1984年〜1994年(昭和59年〜平成6年)
最初にJUNETありき
1984年8月、慶應大の若き研究者である村井純が東工大に籍を移すこととなった。村井は慶應大のコンピュータのなかに沢山のデータを残しており、
そのデータが必要になるたびに村井や後輩達は東工大と慶應大を往復していた。
データをテープに書き込み、持ち運ぶのは面倒なことだ。電話線を使って東工大のコンピュータと慶應大のコンピュータとの間でデータの送受信ができないだろうか。
どちらのコンピュータもUNIX搭載機であった。UNIXマシン同士でデータ転送を行うには通信プロトコル「UUCP」がある。
実験ネットワーク「JUNET」が始まった。
■ JUNET始まる (1984.10.xx)
慶應大、東工大、東大をUUCP方式で結んだことで始まったネットワーク。公衆電話回線を用いた。
初めは慶應大、東工大間の接続であったが、まもなく東大も参加。
JUNETの機能の中で主なものは、バケツリレー方式での電子メール・ネットニュース。
電気通信事業法の施工、いわゆる「通信の自由化」をまって、95年の情報処理学会にてJapan University NETwork「JUNET」を正式に発表。
JUNETは評判となり参加者は増え、fjというニュースグループでは活発な議論が行われた。
85年にはアメリカの「USENET」、86年には「CSNET」に繋がる。
1985年4月に電電公社が民営化されてNTTになるまでは、一般の回線を電話以外で使うことは、ハードルが高くて普通の人にはとてもできませんでした。
正式には認可が必要でしたし、それにはたいへんな手間と出費がかかりそうでした。
たとえば300bpsの(いまから見ればおもちゃのような)モデムで、電話回線を使ってどことどことをつなぐということの正式な認可を得るために、
書類を出して、機器をそろえてとなると、何百万円かは覚悟しなければなりません。
しかも、電電公社との、何段階ものネゴシエーションのために足しげく通わないとだめだとか、そんな状態だったと思います。
このような状況だったので、一般の長距離ネットワークが、日本では大きく遅れたのですが、85年4月の電電公社民営化以後、
電話機や接続機器についての自由度がある程度出てきて、電話回線に接続して使える、データ通信用の一般向けモデムが発売されるようになりました。
そしてそれを使って、離れたコンピュータ同士を、電話回線でつないだわけです。
実際には、このネットワークの実験は、電電公社民営化以前の1984年10月、東京工業大学、東京大学、慶應義塾大学を結ぶことから始めました。
民営化後を見越して開発が進められていた機器を使って、非公式に開始したのですが、民営化後も事務レベルでは大きな抵抗感がありました。
電話回線を電話以外の目的で使うのはいけないことだと、多くの人が心配するなかで、「草の根」からネットワークをつないでいくという実験を重ねていったのです。
第4章インターネットの変遷(村井純著 インターネット)
JUNETによって実現された数々の功績は,技術的にも大きいものがあるが,社会的に大きな功績の一つは電子ニュースの配送であり,ネットワーク上のコミュニティができるようになったことだ.これがfjと呼ばれる日本の中でのニュースグループである.ARPANETからUSENETに入ってくるニュースはFrom ARPA でfaというタグをつけていた.JUNETからはfj(From JUNET)という名前がつけられた.fjというニュースグループは,日本の中でどういう掲示板を造ればいいかといった様々な議論がなされていた.fjは faとも相互運用されていて,USENETなどのほかにもたくさんのネットワークともつながっていたこともあり,この中で大変大きな発展があった.
4. 電子ニュースとネットワークコミュニティ (電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163)
■ JUNET記念日 (1987.07.01)
87年7月1日、ネットニュース記事の配送が突如停止。
ニュース配送システム「Bnews」当てたパッチ中の「july」と記述すべき箇所が「July」と
なっていたことが原因であった。これ以降、毎年この日はニュースの配送に感謝して、記事の投稿を控える日「JUNET記念日」となった。
87年はサラダ記念日が流行っていた年であった。
「この記事が古い」とinews(君)が言ったから、7月1日はJUNET記念日
■ WIDEプロジェクト始まる (1988.04.xx)
JUNETは電話回線を用いたUUCP通信である。JUNETの通信量は右肩上がりに増え、電話代は当然増えた。
電子メールのアドレスの書き方を間違えたせいで国際電話の電話代が月300万円になったこともあったという。
したがって専用線の導入が必要という結論になったのだが専用線を引くには金がかかる。
専用線を引くには企業から金を集めるしかない。村井は共同研究費という形で企業から金を集めた。
そしてまずは東大と東工大間を88年7月6日に、慶應大と東大間を同年同月19日に接続した。通信方式はTCP/IPを用い、速度は64kbpsであった。
この共同研究はWidely Integrated Distributed Environment Project 「WIDEプロジェクト」と名づけられる。
第2章
WIDEプロジェクトの概要
WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)の目的は、
局所的な分散環境とそれらの接続という階層的な構造に基づいた大規模な分散環境を構築するための技術を実証的に確立することにある。
そのために、実際に運営されている複数のローカルエリアネットワーク間を、分散環境を構築するために充分な速度の回線を用いて接続し、
その上に実用に耐える大規模広域分散環境のプロトタイプの構築を開始した。
この環境の構築に際して、ネットワーク間パケットのための経路制御機能、ゲートウェイにおける制御機能、
広域分散環境の管理機能と応用機能に関する研究と研究成果の実証を行う。
2.1 研究期間
研究活動は当面4年間を予定している。この期間を2つのフェーズに分け、前半と後半をそれぞれ次のような方針で活動を行っている。
実際の活動は1988年4月から開始している。
フェーズT(1988年4月から1990年3月)
実験基盤の確立とゲートウェイ機能の開発、大規模分散型オペレーティングシステムの構造に関する設計、
応用技術のプロトタイプの開発と実験などを目的とする。
フェーズU(1990年4月から1992年3月)
実験基盤の発展と運用の技術確立、大規模分散環境のためのオペレーティングシステム技術、ゲートウェイ技術、応用技術の開発と実験などを行ない、
その技術移転を目的とする。
1988-1989年度 研究報告書
(WIDE PROJECT )
・「右手に研究、左手に運用」
・「北風より太陽になろう」
■ IPパケットが初めて太平洋を横断する (1989.08.02)
NTT研究所の後藤滋樹と村上健一郎がCSNETとのTCP/IP接続に挑戦。
まず手始めにルーターを取り寄せた。発注したのは,米シスコシステムズ製のルーター。日本に持ち込まれた最初のシスコ・ルーターである。シスコを選んだのは,「ルーター・ソフトのできが他社より良かったから。でもハードは相当ひどかった」(村上)。
次にグローバルIPアドレスの取得。実はすでに社内実験用にSRI(スタンフォード研究所)からアドレス・ブロック(連続するIPアドレス群)を割り当ててもらっていた。これを使えばいい。
最後は国際回線との接続だ。社内事情から国際専用線を使えなかったので,回線はX.25 パケット交換網と呼ぶ公衆サービスにした。
ただし,ここから苦労が始まった。X.25パケット交換サービスの仕様が,日本と米国で微妙に違っていたためだ。やむを得ず村上は,ルーターOS の修正作業を開始する。シスコとCSNETのエンジニアに応援を依頼し,米国版X.25と日本版X.25で相互接続できるように,ルーターOSを書き換えてもらうことにした。
修正は実験結果を反映しながら進めなければならないので時間がかかった。まず,シスコが日本仕様に書き換えたルーターOSを送信してもらう。受け取ると,すぐさまルーターにインストールし,CSNET側と歩調を合わせて起動する。通信を開始し,パケット・アナライザを使って通信状態を逐一チェックする。最後に,通信に失敗した原因を解析し,その結果をシスコへフィード・バックする。こんな作業が,数カ月も続いた。
前例なき挑戦,礎を築く!)!)TCP/IPの助走期(2) (ITpro )
■ WNOC東京を岩波書店に設置 (1989.08.xx)
民間企業から資金提供を受けることに成功したWIDEプロジェクト。
共同研究として資金提供をしてもらったのだから民間企業とJUNETをつなげなければならない。
しかし国立である東大と民間企業を直接繋げることは難しかったため、
接続拠点を岩波書店に設置し、そこを介すようにした。
WIDEプロジェクトに参加する組織が増えるにしたがって、各地に接続拠点を開設。
こうしてWIDE網が広がっていく。日米間接続の専用線はハワイ大学のPACCOMプロジェクトによって実現した。
1989.08 WNOC東京 岩波書店
1989.11 WNOC京都 ASTEM
1990.03 WNOC大阪 千里国際情報事業財団
1990.04 WNOC-SFC 慶應大湘南藤沢キャンパス
1990.12 WNOC福岡 システムソフト
1991.08 WNOC仙台 AIC
1992.07 WNOC広島 広島大
1993.04 WNOC奈良 奈良先端科学技術大学院大
1993.05 WNOC北海道 札幌エレクトロニクスセンター
1994.07 WNOC浜松 静岡大
1994.07 WNOC八王子 東京工科大
1994.12 WNOC-SFO MCI Hayward Center
1995.09 WNOC岐阜 ソフトピアジャパン
1995.09 WNOC小松 北陸先端科学技術大学院大
その後、旭川、堂島、倉敷、LosAngeles、根津、NTT大手町、KDDI大手町、左京、仙台、新川崎、矢上にも設置。
■ Tim Berners-Lee、「World Wide Web」を実装 (1989.12.xx)
89年11月12日、CERN(欧州原子核研究機構)のTim Berners-Leeは具体的なWorldWideWebの提案書「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」を発表。
12月、CERNにあった「NEXTSTEP(NeXTコンピュータ社のOS)」コンピュータ上に、世界初のWWWサーバ、世界初のウェブブラウザを構築した。
■ 世界初のウェブサイト (1991.08.06)
91年8月6日、Tim Berners-Leeは「WorldWideWeb - Executive Summary」を「alt.hypertext」ニュースグループに投稿。
同日、世界最初のウェブサイト「http://info.cern.ch/」を立ち上げた。
■ 日本初のHTML (1992.02.xx)
NTT基礎研の奥乃博が日本国憲法や社内情報等をHTML化。
■ 日本最初のホームページ (1992.09.30)
高エネルギー加速器研究機構の森田洋平がTim Berners-Leeと出会い、HTMLファイルを作り、サーバーに置いた。「ftp://kekux.kek.jp/kek/html/kek.html 」
1992年9月になって、ある国際会議がフランスで開かれ、その会議に出席した私は その後、別の会議に出るためにCERN研究所に立ち寄りました。そこでTim Berners-Lee博士と出会い、CERNのカフェテリアで昼食を食べながら、WWWの ことを聞いてみました。この席上で博士から「情報はネットワーク上でみんなと 共有して、はじめて価値が生まれる。WWWはハイパーテキストのリンクで世界中の 情報をお互いに結びつけることを可能にする。KEKもぜひWWWサーバーを立ちあげて 欲しい。」と依頼されました。このときの博士の情熱にあふれた瞳を私は今でも 忘れることができません。
博士の情熱的な説得に感化された私は昼食の後、さっそくCERNの端末室に出向き、 ネットワーク経由でKEKにログインして、はじめてのHTMLファイルを作り、 サーバーの上に置きました。それから博士にそのアドレスを電子メールで 送り、CERNのリンク集のページにKEKを加えてもらいました。(当時のメモ によれば1992年9月30日)
この時のサーバーはHTTPではなくて、FTPを使っていましたが、これが日本で 最初にWWWの網の目にリンクされたWWWサイトとなったのです。当時、CERNのTim Berners-Lee 博士のページに登録されたWWWサーバー の数は世界中に10数台ぐらいだったと記憶しています。
WWWの黎明期 (日本最初のホームページ )
KEK Information
Welcome to the KEK WWW server. This server is still in the process of being set up. If you have question on this KEK Information page, send e-mail to morita@kek.jp.
Help
On this program, or the World-Wide Web .
H E P
World Wide Web service provided by other High-Energy Physics institutes.
KIWI
KEK Integrated Workstation environment Initiative.
Root
WS Manager Support (Root) [EUC].
See also:
Types of server , and OTHER SUBJECTS
日本最初のホームページ
(日本最初のホームページ )
■ 日本初の商用インターネット接続サービス開始 (1992.11.xx)
日本イーエヌエス・エイティアンドティ(AT&T Jens)が日本初の商用インターネット接続サービス「Spin」。UUCP接続である。IP接続サービス「InterSpin」は93年7月に開始。
■ IIJ設立 (1992.12.03)
村井が号令をかけ、WIDEプロジェクトのメンバーが中心となって設立された、日本初の商用インターネット接続サービス会社「インターネットイニシアティブ(IIJ)」。
IIJは93年11月に国内限定のインターネット接続サービス開始。
この頃はまだ特別第二種電気通信事業者の免許が取得できてなく、国内はTCP/IP接続だが海外との接続は米UUNETのサーバーにUUCPで接続していた。
94年2月に免許取得し、本格的にインターネット接続サービスを開始した。
商用化に対する要求と議論は日本でも熱を帯びてきており,WIDEプロジェクトを中心としてみんなで少しずつお金を出して商用のサービスを作ろうという働きかけをやっていた.まず,WIDEで動かしているインターネット運用のモデルが商用化の可能性があるのかを検証するために,郵政省の下でいろいろな専門家に入って頂いて研究会を開いた.WIDEで運用しているインターネットの需要が大きくなっているが,商用化としてスタートできるかどうかを検討してきたわけである.ところがその結論は商用化は難しいだろうということだった.WIDEでの実績はあくまで研究活動としての運用であり,そこで予測される伸び率は,共同研究の仲間が増えてくるに従って増加するのみにとどまり,これを顧客として換算していった場合には,営業活動その他の状況が全然異なるため,ビジネスとしての採算にはつながらないというもので,結論は余りに悲観的なものだった.それでも,筆者らは商用化は絶対に必要になってくることを主張し続けていた.そうしないとWIDEプロジェクト自体が運用活動に時間をとられすぎ,研究活動として続かなくなると考えており,とにかく商用化を急務として進めたかった.
そこでスタートしたのがインターネットイニシアティブ(IIJ)社である.IIJはWIDEのボードメンバーが少しずつ出資し,当時アスキーにいた深瀬氏に社長をお願いしてスタートした.AT&Tを基盤としたSPINというサービスも同じ時期に商用化した.この二つが日本で最初の商用インターネットサービスの会社である.
6. 学術研究ネットワークと商用ネットワーク (電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163)
■ NCSA Mosaic 登場 (1993.03.14)
「NCSA Mosaic」とは米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)のMarc Andreessenを中心としたチームが開発した画期的なウェブブラウザ。なにが画期的であったのか。
それは「<IMG>」タグを備えていたことであった。今までのブラウザは文字しか表示できない、ゆえにウェブサイトは簡素で、見かけは地味なものであった。
しかし、Mosaicの登場により、文字と一緒に画像の表示が可能となる。これは衝撃であった。インターネットといえばMosaicというくらいMosaicは流行した。
■ NTT、WWWサーバを立ち上げる (1993.10.07)
奥乃が作成した日本国憲法のHTMLがここで公開された。「www.ntt.jp」。日本のWWWサーバ地図があった。
NTTのホームページへようこそ!
ここはNTT(日本電信電話株式会社)のホームページです.
このサーバはNTTのWWW愛好家によって運用されています.どうぞお楽しみください!
■ TWICSがインターネット接続サービスを開始 (1993.10.xx)
四谷にある日米会話学院が母体。マニュアル、メニューは英語。同学院は国際交流の為のBBSを84年に開始していた。個人向けインターネット接続サービスとしては日本初。
■ 『日本の新着情報』登場 (1993.12.01)
NTTのホームページ内にある、URL登録型リンク集。ここに載っている情報は日本のWWWサーバ開設の歴史そのもの。
『webarchive』 に残っている『日本の新着情報』の過去ログ。
■ 大手電気メーカーや電気通信事業者がインターネット接続サービスを開始する (1994.02〜1996.07)
94年からインターネット接続サービスが次々と始まった。大手電気メーカ・電気通信事業者の接続サービス開始は以下の通り。
1994年2月:NIFTY-Serve
1994年6月:InfoWeb(富士通)、ASAHIネット(朝日ネット)
1994年9月:ベッコアメ
1994年10月:リムネット(ラピドシステムズ)
1995年2月:mesh(NEC)
1995年11月:SANNET(三洋電機)
1995年11月:インターキュー(ボイスメディア)
1995年12月:hi-ho(松下電器)
1996年1月:So-net(ソニー)
1996年4月:ドリーム・トレイン・インターネット(三菱電機)
1996年12月:OCN(NTT)
1997年1月:ODN(日本テレコム)
1997年7月:DION(DDI)
■ JUNET解散 (1994.10.xx)
93年、IIJをはじめとする商用IP接続サービスプロバイダがサービスを開始。
ネットワーク接続は「学術」から「産業」に、時代は変わりつつあった。
「学術」であるJUNETはその役割を終えるときが来たのである。93年から解散準備を始め、誕生から10年が経った94年にJUNETは解散。
12月には関係者を招いてJUNET誕生10周年記念兼解散式を行った。
■ Netscape公開 (1994.10.xx)
NCSA Mosaicを製作したMarc AndreessenらはNCSAを離れ、「Mosaic Communications(後のNetscape Communications)」を設立。
94年10月、「Mosaic Netscape」を公開した。「Netscape」はすぐに大きなシェアを獲得。
そこでMicrosoftは「Netscape」のライセンスを受けようとしたが失敗。Microsoftは「Internet Explorer」を開発するようになり、
「Netscape」VS「Internet Explorer」の戦いが始まる。
■ 『Searcher in Waseda』登場 (1994.11.xx)
早稲田大学の田村健人が.jpドメインのデータ収集、そのデータを利用したWWW検索システムを始める。
日本初のロボット型検索エンジン。後に『千里眼』と命名された。
■「千里眼」という名前の由来は?
開始当初は名前がなかったのですが、1995年の9月頃から名前を公募しました。数十の案が送られ、その中から選ばれたのが向後達也さんの案である「千里眼」です。
『webarchive』 に残っている97年時の『千里眼』。
97年3月、アスキーに移転。
■ ベッコアメ設立 (1994.12.01)
個人向け、低料金なサービスプロバイダ。
直接ベッコアメをつくるきっかけとなったのは94年7月の日本初のインターロップでした。
ぼくも喜び勇んで幕張に出かけたんです。でも何もないんですよ、未来を予感させてくれるようなものが。
どこのメーカーのブースに行ってもMOSAICしかない。
熱気は確かに感じたのでこの点は成功だと思うんですが、技術的には期待外れだったなと思って帰ろうとすると、
IIJのブースだけがすごい人だかりがしているんです。
なんだろうと思ってみてみると、商談コーナーに人が列をつくってる。
考えてみれば、インターネットに繋ぎたい人はたくさんいるし、たくさんの人が繋がなければおもしろい技術が
出てくるわけがないんですよね。
そうすると、IIJの料金がこんなに高いんだったら、個人が入りたくても入れない。それでは意味ないと思ったんです。
じゃあIIJが月3万円ならば俺は年間3万円でサービスをやってやる。
事業計画も計算も何もなしで、そう決めちゃったんですよ、そのとき(笑)。
IIJのブースの周りをぐるぐる回りながら来年はここにうちのブースを立ててやると決意してましたね。
数ヶ月でつぶされたとしてもネットに価格破壊をもたらして討死にしてやるとか思って(笑)。
このとき、電話ボックスみたいな小さなブースでインプレスという出版社が『インターネット・マガジン創刊期待号』という冊子を配っていたんです。
どうなるかわからないインターネットの専門誌を出そうなんて、馬鹿なヤツらもいるなぁと思ったんですけど、そこで起業しようというぼくと同じヤツがいると思うと勇気づけられましたね。
帰りの電車の中でどんどん起業への気持ちが膨らんできて、実家近くの駅で降りてすぐに電話ボックスに飛び込んで、
さっきもらった『インターネットマガジン』の編集部に電話をかけました。
「創刊号に広告を出したい」というと「失礼ですが、どのような会社ですか」と電話の向こうで聞くので、「いや、これからつくります」と答えると電話の向こうで大爆笑ですよ(笑)。
ともかくこれから編集部に来いというので、また電車に乗って『インターネット・マガジン』の編集部に行きました。広告をこの号に出して、それからベッコアメは始まったんですよね。
尾崎憲一インタビュー(ハッカージャパン VOL6)
■ 『NTT DIRECTORY』サービス開始 (1994.12.xx?)
かつて日本最大級を誇ったディレクトリ型検索エンジン。 00年2月からの名称は『OCNnavi』。
『webarchive』 に残っている97年時の『NTT DIRECTORY』。
■KEK Information page (1992.09.30)
⇒日本最初のホームページ
■NTT (1993.10.07)
⇒NTT、WWWサーバ立ち上げ
■富ヶ谷 (1993.xx.xx)
伊藤穣一が開設した個人ホームページ。
米のプロバイダ「インターコム」が日本でのインターネット接続テストと必要機材の保管を伊藤に相談。
伊藤の自宅に専用回線が引かれたのがきっかけ。
伊藤は1994年4月「有限会社エコシス」を設立。1995年8月、フロムガレージグループの林郁とともにデジタルガレージを設立。
■JapanEdge (1994.08.09)
九州工業大学の学生3人「一瀬大志」「児玉修一」「堀江信助」が同大学制御システム工学科のサーバー内に作った、日本の先端文化を紹介するページ。
音楽、ファッション、ストリートの情報を届ける。
The Internet Edge Culture Archive of Japan (通称 "Japan Edge") は、 日本で最初の先端(edge)文化を紹介するアーカイヴです。 ここ から世界に向けて、日本のストリートやアンダーグラウンドの最新情報 を発信します。
JapanEdge
■内閣総理大臣官邸 (1994.08.22)
内閣総理大臣所信表明演説などを公開。
■秋保窓 (1994.10.xx)
東北大学のひぐちたかしが開設したソフト紹介サイト。後の『窓の杜』。
オンラインソフトというものは、すでにパソコン通信の世界では広く流通していた。しかしまだインターネット上では配布されておらず、各大学のサーバー管理者等によって、パソコン通信からインターネットサーバーへの転載が行われていた。当時大学院生として東北大学に在籍していたひぐちたかし氏は、学内ボランティアとしてその作業を担当していた。
だが、どこのサーバーにどのソフトが転載されているかという案内的Webページはなく、Archieなどの検索システムを使ってファイル名で検索するしかないなど、必ずしも使いやすいものとはいえなかった。ひぐち氏は、アメリカの某大学にFTPサーバーに転載されたオンラインソフトの紹介ページを見つけ、「こういうのがほしかったんだ!」と思った。そしてさっそく、大学内のサーバーにおいていた個人のWebページにオンラインソフトの紹介ページを新設した。サーバーの名称は、仙台市郊外の秋保(あきう)温泉が由来の“Akiu”だったため、Webページに「秋保窓」と名付けた。これが日本初のオンラインソフト紹介サイトの誕生だった。
短いようで長い窓の杜の足跡
(窓の杜 )
■Koichi Matsuda's Home page (1994.11.27)
埼玉大学の松田浩一(現在は岩手県立大学に所属)によるサイト。 95年1月5日から始め、現在まで続いているカップラーメンレビュー「カップ天国」がカップラーメン食いまくりで凄い。
■Searcher in Waseda (1994.11.xx)
⇒Searcher in Waseda 登場
■ダービースクエア (1994.xx.xx)
東京大学の堀江貴文が作った、競馬のポータルサイト。95年の段階で参加者がすでに1000人を越えていた競馬予想大会「Derby Square Cup」をはじめ、コラムや競馬関連サイトのリンク集など。 後に堀江は有限会社オン・ザ・エッヂ(Livin' on the EDGE)を立ち上げる。サイトデザインは『akiko brand』の有馬あきこ。
1995年(平成7年)
Windows95登場し、インターネットという言葉が一般に広まる
インターネット利用者は増えているものの、大学関係者・情報技術者が多く、インターネットは一般の人から見ると遠い存在であった。
そもそも一般の人にとって、インターネットに接続するためのパソコンが「難しい物」「解らない物」であり、インターネット以前の問題であった。
95年8月24日、Windows95英語版発売。グラフィカル・ユーザー・インターフェースに大きな改良が加えられ、使いやすくなったWindows95は世界的に大ヒット。
11月23日、Windows95日本語版が発売され、秋葉原はお祭りのように盛り上がった。
12月、「インターネット」が流行語大賞の候補となる。大賞は逃したものの「インターネット」が近い存在になりつつあった。
■ 阪神大震災 (1995.01.17)
6,434名の死者を出した「平成7年兵庫県南部地震」。このとき、安否確認・被災地からの情報発信手段の一つとして使われたのが「パソコン通信」であり「インターネット」であった。
軍事攻撃に耐える通信網として研究された技術が元になっているインターネットであるから、強固な情報通信基盤の構築が可能である。
(*”軍事攻撃に耐える通信網として”という説には否定的な意見もある。あくまで説の一つとして考えること。90年代にはこの説がよく言われていた。→参考:
「新・電子立国 コンピュータ地球網〜インターネット時代の情報革命〜」を見て )
先の阪神淡路大震災では, 情報技術者を含む130万人もの人々が様々な形で, 救援ボランティア活動を行った。 その体験の予想外の成果の一つが,大災害時の通信手段の一つとしてパソコン通信やインターネットが意外に役立つことの発見であったと言える。 実際には役に立った人 (ネットワークが使えた人) の数は少なかったのであるが, それでもこの結果は, 例えば1995年7月に改訂された国の 「防災基本計画」 (中央防災会議) の中にも盛り込まれ, これによって正式に, 各自治体によるパソコン通信 (インターネットを含む) の利用が防災計画の中に位置付けられ, その利用が要請されることになった。
パソコン通信等の通信手段が, このような震災救援活動において, これほど役に立ちうることは, 当時としては予想外であり,その話題性のためにマスコミの好意的報道も多数あった。 このような経験を社会的なものとするためには,これらの活動を積極的に評価することは重要であろう。 神戸新聞社の情報センター長, 光森氏の言葉を借りれば,パソコン通信やインターネットは大災害において 「役に立つことが分かった」 と評価すべきである。 例えば神戸市内の状況を写しだしたWWW (神戸市立外国語大学のサーバー) へは, 地震発生後20日の間に50カ国からアクセス数が約36万件あった。 これは WWWへのアクセス数としては非常に多い。
インターネットと情報ボランティア ―これまでとこれから ― (ひょうご経済研究所 )
1995年の阪神淡路大震災は、情報通信ネットワークの脆弱さを露呈させましたが、一方で、情報通信ネットワークの重要性を示しました。
今回の震災のような都市型の広域災害では、情報が水や電気、ガスなどと並ぶ重要なライフラインとして、重要な役割を担っていることが、あらためて認識されました。情報を正確にそして迅速に伝達することは、被災者の生命や生活を維持するためになくてはならないものとなっていることがわかりました。
さらに、情報も従来の警報や誘導といった政府や自治体からのトップダウンの情報や、マスコミからの情報だけでは、不十分で被災者による草の根レベルの情報と、その伝達も非常に重要であることがわかりました。
◇
インターネットは、被災地域の情報流通、被災地と外部との通信など、災害時の情報伝達手段として、優れた特性を持っています。災害時に発生する通信の急激な混雑にも強く、また、無線やその他の通信手段と組み合わせることにより、頑強な通信網を構築することができます。また、草の根レベルでの、情報発信、伝達手段としても優れています。
一方で、このような特性を生かし、災害時に有効に機能させるためには、技術的、運用的、制度的な課題を解決する必要があります。
1995年 1月17日、阪神・淡路大震災が起こり、ガスや水道は絶たれてしまいました。電話は、安否の問合わせなどによって回線パンクの状態になりました。このようにライフラインが絶たれた状況においても、インターネットでは生存者情報や被災状況などが世界中に公開され、一躍注目を浴びることになりました。しかし、
* インターネットでなければできないことをしたか?
* インターネットを充分に活用できたのか?
といった点を考えると、阪神・淡路大震災の後に行なわれた利用は、単に他のメディアによる情報をインターネットでも流したということにすぎませんでした。つまり、インターネットとしてのメリットを活かした利用は充分にはできていなかったと考えます。
第1回インターネット災害訓練報告(IAA project)
まだWindows95発売前であった当時、インターネットという言葉を知るものは少ない。
インターネットを使える人は極少数。
阪神大震災において、その被害者救援にインターネットがした貢献は小さい。
だが、「可能性は見せた」。インターネットが一般に注目され始めた。
資料:
阪神大震災 -- 情報ボランティアとコンピュータ・ネットワーク --
(
金田 泰のハブページ )
■ 『日記リンクス』始まる (1995.05.18)
豊橋技科大に所属していた津田優は日記ページ同士を繋げる「日記のリンク集」を作った。でもこれだけなら『津田日記リンクス』は伝説にならなかったかもしれない。
だが彼には先見の明があった。『津田日記リンクス』はランキングシステムを実装したことで伝説になる資格を得た。
1995/07/11 今日の日記リンクス
こっそりと日記ランキングを始める。
ランキングは理系のギムですので。
ランキングシステムによって競争心を煽られた日記サイト達は更新に力をいれ、日記サイト界隈は活性化した。
そしてその中心にいたのが日記リンクス。
多大な影響力を持つようになった日記リンクスだが、競争心から生まれる力には常に「負」の側面がある。翌年、津田はその負の力に悩まされることになる。
『webarchive』 に残っている『日記リンクス』。
資料:
『日記リンクス』紹介
(
nozomi Ohmori SF page )
ではただの日記とハイパー日記とはどう違うのか。ハイパーテキストマークアップランゲージ(html)で書かれた日記はすべてHyperDiaryであるという身も蓋もない定義も可能なんだけど、基本的にはやはり、日記間のinterconnectedness、つまりhtmlの利点を生かした相互リンクと他人の日記についての言及から生じる日記のnetworkってことですね。
活字メディアでも昔から日記文化は存在する。しかし、実生活における「日記」がきわめてパーソナルなものとして位置づけられている関係上、活字の日記はつねにスタンドアロンな存在だった。山田風太郎の日記は永井荷風についてなにも語らない(当たり前だって)。活字の世界でHyperDiaryの名に値するものといえば、たとえば宅八郎「業界恐怖新聞」が連載されていた当時の雑誌『噂の真相』の田中康夫「東京ペログリ日記」などがそれに該当すると思われるが、まあこれは数少ない例外でしょ。
ところがWWW上では他人が毎日書く日記を毎日読み、それに対する感想/いちゃもんを毎日書くことができ、読者はクリック一発でその元発言を参照できる。テッド・ネルソンの理想がパーソナルメディアに結実したのがHyperDiaryなのである。
さて、現実にどんな日記が書かれているのか。とりあえずは、WWW日記コレクターの津田優が蒐集する日記リンクからhyperDiaringをスタートするのがてっとりばやい。ぼくの知るかぎりでは、HyperDiaryという言葉を最初に使ったのは早稲田大学の大森英司だが(Internet User 95年10月号105ページ参照)、それが明確な実体を備えはじめたのは、この「日記なページリスト」と、日記ランキングの登場による。
だいたいこういうものを書いてWWW上に置くからには、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいとみんな思っているわけで、アクセスランキングが発表されはじめたとたん、日記者たち全員が燃え燃え状態に突入。更新頻度が光速化し、日記の域を超えた大量の文書ファイルがあちこちに出現しはじめる(なお、HyperDiaryの歴史については、Internet User 95年11月号 ページにくわしい)。
もっともこのリンクにリストアップされている100人以上の人々全員がハイパーダイアリーを意識しているかどうかはよくわからない。たとえば大原まり子の物書き日記はほとんどスタンドアロン(他日記への言及がない)だし、ここにリンクされている事実そのものを知らない人だっていないとはかぎらない(ただし、先だって実施した日記者アンケート結果によれば、ほとんどのメンバーが日記ランキングの順位を細かくチェックし、他日記の存在を強く意識しながら書いているようだ)。それでも、このファジーな日記ネットワークの中核をなんとなく構成するheavy HyperDiaristたちは毎日マメに他人のページの更新状況をチェックして自分の日記に反映させる。最近では合従連衡によるチームづくり(たとえば高知出身者/在住者日記をインテグレートする岡林ページの土佐日記リンクや、高知大学助教授菊地時夫ページの「高知日記応援ボタン」など)とか、日記間論争などの動きも浮上。IRC(インターネット上のチャット)の#にっきチャンネルでは専用線接続者を中心に日夜日記者が集まり、ほとんどパソコン通信のフォーラム的な盛り上がりを見せている。
なんだそれじゃBBSといっしょじゃんといえばその通りで、人間と人間のコミュニケーションであることに変わりはないのだから、それぞれが独立に運営されている個人ページではあっても、相互接続によってネットワーク化されれば、そこに一種のヴァーチャル・コミュニティが発生してくるのは当然のなりゆきというべきだろう。
『インターネットとんでも活用マニュアル』(徳間書店)用原稿
(nozomi Ohmori SF page )
■ 検索サービスが次々に登場する (1995)
前年、検索サービス『Searcher in Waseda(千里眼)』『NTT DIRECTORY』が登場したが、この年は様々な検索サービスが登場した。やがて、海外からやって来た検索サービスとの戦いに敗れ、淘汰されていく事になるのだが。
『CSJインデックス』。サイバースペースジャパンが運営する検索サービス。コンテンツの一つであるリンク集「リンクdeリンク」は1994年から。後に『iNETGuide』となる。
『NETPLAZA』。NECが運営する検索サービス。
『InfoNavigator』。富士通が運営する検索サービス。
『Hole-in-One』。日立国際ビジネスが運営する検索サービス。ロボット検索は1996年8月15日から。1998年7月27日、Exciteに吸収された。
『ODIN』。東京大学の原田昌紀が開発した検索エンジン。原田は後にGoogleの日本人開発者第1号となる。
『WAVE Search』。Sonyが運営する検索サービス。『日本の新着情報』のデータを元にしている。
『Yahho』。豊橋技術科学大学の近多泰宏が開発したディレクトリ型検索エンジン。「YAsuhiro chikata Hyper HOtlist」。 1997年9月1日、サーバーが高桑美術印刷に変わり、『うぇいぶなび』となった。
■ 大手新聞社のウェブサイト開設 (1995.06.16〜1996.05.20)
全国紙のサイト開設日は以下の通り。
1995年6月16日:『YOMIURI ONLINE』(読売新聞)
1995年8月1日 :『Jam Jam』(毎日新聞)
1995年8月10日:『asahi.com』(朝日新聞)
1996年1月9日 :『NIKKEI NET』(日本経済新聞)
1996年5月20日:『産経Web』(産経新聞)
■ テレホーダイ開始 (1995.08.22)
フレッツ・ISDNサービスもADSLもなかったこの時代、インターネットに接続している間はアクセスポイントまでの電話代がかかってしまう。
テレホーダイは予め指定した2つまでの電話番号に対して23時〜8時の間、電話料金が定額になるサービス。
このため23時になった瞬間にテレホマン達は一斉にネットに繋げ、インターネットのトラフィックが急激に増えた。
弱小プロパイダの場合は23時の瞬間に回線が埋まり繋がらなくなってしまうため、
23時になる前から接続し、意地でも回線を確保する「フライングアタック」なる大技を使う者も。
資料:
テレホーダイ 開始 10周年
(
slashdot )
■ Windows95(日本語版)発売 (1995.11.23)
グラフィカル・ユーザー・インターフェースの改良。プラグアンドプレイによる周辺機器の容易な増設。ネットワーク設定の容易化。
使いやすさが向上したWindows95の登場によってパソコンブームが起きる。そしてWindows95はインターネットを意識したOSであった。インターネットに注目が集まっていく・・・
Windows95からを実装された「スタートボタン」。
初心者はパソコンのスイッチを入れても、最初に何をすればよいのか解らない。
やりたいことをやるにはどうしたらよいのか解らない。
アプリケーションは何をしたら起動するのか・・・Windowsの設定変更はどこにあるのか・・・
そういった問題に対するマイクロソフトの答えがこの「スタートボタン」。
資料:
WinViewインフォメーション&レポート
(
Windowsコンソーシアム記念館 )
資料:
パソコン絶望音頭
(
人工楽園 The Artificial Paradise )
■東京トップレス (1995.03.27)
風俗マニアの工藤による風俗情報サイト。95年時で一日一万アクセスあったという。
■nozomi Ohmori SF page (1995.03.31)
SF作家である大森望のサイト。大森はインターネット初期から雑誌にインターネットについて色々書いていた人。
■三ツ矢浩之のホームページ (1995.05.14)
「誤変換の宴」「エセ倍角の館」が面白い、インターネット初期の有名サイト。東京大学の三ツ矢浩之。
■地下道入口 (1995.05.xx)
後のUGサイトの原点的サイト。
■Welcomehome (1995.08.01)
後の『Macintoshtree』、その後の『MacTree』。アップルコンピュータ関係の情報サイト。Macの最新情報を日本語で読める事に存在意義。
各サイトを巡回してMacの最新情報を集め、日次更新形式で日付とともに情報を羅列、情報元サイトも記載するその姿は後の個人ニュースサイトと同じ。
この時期は『Macintoshtree』の他にも、アップルコンピュータ関係の情報サイトが幾つも発生した。これらのサイト群が、後に個人ニュースサイトと呼ばれるサイト達の始祖?
■雑文館 (1995.10.16?)
雑文界の頂点に立ったサイト。第一回雑文祭の主催。代表作として、遊び場「ひまわり広場」を巡る小学生達の争いを綴った「ひまわり戦記」。甥の勘太郎の話など。
■とほほ日記 (1995.12.20)
後に日記猿人を開設するばうわうの日記。97年からはCMウオッチングサイトとして人気に。
■★阿修羅♪ (1995.12.xx)
社会問題を議論する掲示板サイト。 ★阿修羅♪はオウムへの強制捜査前に、強制捜査が入ることをPC-VANの掲示板に書き込んだことで注目された。
【心底どうでもいいおまけ】インターネットへの接続に執念を燃やすテレホマン
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/´∀`;:::\< おれの名はテレホマン
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テレホマン、それは夜11時にさっそうと参上し、朝8時にそそくさと退場する謎のヒーロー。
どうやらその時間帯には何か秘密が隠されているようだ。
常時接続者にはわからない何かが・・・。
| 23:00 | ピピピー
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ガバッ ___ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__/´∀`;::::\__ < テレホマン参上って書かなくちゃ〜♪
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\ |⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒| |\.|| 56Kbps . |
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/´∀`;::::\< テレホマン フライングアタ〜〜〜〜ック!!!
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説明しよう!
テレホマンフライングアタックとは、
23時まで残すところ2分59秒の瞬間に繋ぐテレホマンの事である。
へっぽこプロバイダだと
回線が23時の瞬間に一斉に埋まってしまうため、
10円損してでも回線をゲットするという目的から生まれた大技である!
その凄まじいまでのインターネットへの執念は
ADSLマンやFTTHマンの回線速度を上回る最強の攻撃力を発揮する。
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| ト ラ フ ィ ッ ク 倍 増 攻 撃 !! |
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説明しよう!
トラフィック倍増攻撃とは、
テレホマン全員で午後11時以降にネットにつなぐことにより、
普段は1000以上の攻撃パワーを持つADSLマンやFTTHマンの攻撃パワーを
100以下にしてしまうこともできるという恐ろしい技だ。
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/´∀`;:::\< テレホマン ラストアタ〜〜〜〜ック!!!
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説明しよう!
テレホマンラストアタックとは、
8時を過ぎてもちょっとだけ繋いでいる
真のテレホマン達による最後の大技のことである。
7時58分頃に落ちてしまうヘタレテレホマンなどとは違う、
強いテレホマンによる少数精鋭の攻撃なので
ADSLマンやFTTHマンなんて目じゃ無いほどの攻撃力の凄い技だ。
ちなみに電話代が怖いので8時15分頃までしか使えない。
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/´Д`;:::\< テレホマン時間外アタック!!!
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説明しよう!
テレホマン時間外アタックとは、テレホ契約なのにテレホ時間外で
繋ぐ最終必殺技の一つだ!
御存知の通り彼にとって時間外は昼間のドラキュラの様にじわじわ
と命を削られ、放置すると請求で死亡する。
行動からして邪道なのだが、その命の煌きはそれなりに美しい。
だが勿論、努力の割にあんまり強くない。
がんばれ ぼくらのテレホマン みんなのテレホマン
1996年(平成8年)
津田、ランキングシステムの弊害に苦しめられ。ばうわう、新たな日記リンク集を作るも人望を失う
津田が始めた『日記リンクス』は日に日に影響力が増し、それに伴いランキング争いが激化。そして不正行為を働く者が現れた。
日記リンクス226番『とほほ日記』のばうわうは不正をしているサイトを攻撃に近い形で批判。自ら日記リンク集『日記猿人』を興した。
さらにばうわうは津田の友人を批判。津田は『日記リンクス』のランキングを停止させる。
こうして『日記リンクス』はただのリンク集となり、
代わりに『日記猿人』が台頭。その管理人ばうわうは日記界隈の中心人物となったのだが・・・
世界130か国が参加した世界初のインターネット上で行う万国博覧会。
日本が主催者であり、民間主導で行われた。
「WIDE Project」の他に参加企業として日本の大手通信・家電・プロバイダの各社が参加。
エキスポをきっかけに日米間のインターネット回線が14Mbps回線から45Mbps回線に増強された。
IWE'96は、Internet 1996 World Exposition(インターネット1996ワールドエキスポジション)の略称で、1月1日から世界同時に始まったインターネットというネットワークの中で行われているこの新しい形態の博覧会です。
開幕後、参加国も増え、様々なパビリオンが展開されています。 日本も、4月1日に 、多くのパビリオンがオープンし、装いを新たにグランドオープンいたしました。 この博覧会は、45Mbit/sという、高速な次世代の通信環境を実験的に構築し、大小を問わず様々な企業や自治体、個人が世界中からパビリオンを展開しています。 また、映像や音声を使った新しいマルチメディアインターネットの世界も体験できます。
What's IWE'96 (インターネット1996ワールドエキスポジション )
資料:
インターネットマガジン1997年2月号―INTERNET magazine No.25 - im199702-266-interv.pdf
資料:
インターネット白書'97 - iwp1997-ch01-11-p048.pdf
94年、スタンフォード大学のデビッド・ファイロとジェリー・ヤンはリンク集サイト『David and Jerry’s Guide to the World Wide Web』を公開。非常に好評であった。
95年、2人は『Yahoo!』を設立。事業としてポータルサイト運営を行う。
これに目を付けのがソフトウェア卸売業「ソフトバンク」の孫正義であった。ソフトバンクは『Yahoo!』に出資。
96年、ソフトバンクと『Yahoo!』は合弁でヤフー株式会社を設立。4月に『Yahoo! JAPAN』がサービスを開始した。
『Yahoo!』への出資と『Yahoo! JAPAN』の運営で大成功を収めたソフトバンクは総合通信業へ突き進んでいく。
資料:
Yahoo! JAPAN 10年の軌跡
(
Yahoo! JAPAN )
■ 『日記猿人』開設 (1996.06.01)
ばうわうのサイト『とほほ日記』は、
『日記リンクス』ランキング上位の日記を批評(攻撃・喧嘩に近い場合も)を行うことで注目されていた。
さらに『日記リンクス』のランキングで不正行為を行ったサイトに対する批判もしていた。
もっとも、ばうわうにもランキング不正疑惑があったのだが・・・
『日記猿人』はばうわうによる手動の日記リンク集。手動な理由はばうわうにプログラミング技術がなかったから。
プログラミング技術が無くても、自力でなんとかしてやろうというばうわうの姿勢は評価され、支持を集めた。
『webarchive』 に残っている『日記猿人』の月間ランキング(97年2月)。
■ 嬲リンク事件 (1996.06.11〜1996.07.xx)
『Comoesta's Japan HomeVage』はライター「コモエスタ坂本」のサイトである。
コモエスタ坂本は96年3月、『Comoesta's Japan HomeVage』内に「使えないページ」というページを作った。
これはネガティブリンク集であり、くだらないサイトに対しネガティブなコメント付きでリンクを貼っていった。
「使えないページ」の語源は、文字通り「useless page」である。 alt.binary.tastlessの世界が「味のない世界」と訳され、ある種の独自の世界を構築していたように、この「使えない」世界もグローバルに旬である。先人の研究結果は「Useless WWW Pages」やMirky's Worst of the Webを参照してくれ。
「インターネット」と「ホームページ」というかけ声だけ先行している昨今、「使えない」奴らの間抜け具合は素晴らしい。私はページを神経細胞になぞらえているが、これら「使えない」ページは、そのうち死滅していくに違いない。それらがどうして死滅していくかは、私の病態学的な研究心をそそってやまない。
「使えないページ」の定義はこうだ。あまりにつまらなすぎて「ああ、くだらねえ」と笑うしかないもの。しかしそれが作者の意図に乗って面白いものなら駄目。そして、それなりに完成度が高い事。初心者にありがちな技術的なミスや、未完成の部分を指摘するのではない。ページとしてはある程度出来上がっていて、しかも誰が見てもつまらないと思える、これが重要なのだ(何が重要なのだか)。
使えないページについて(Comoesta's Japan HomeVage)
4月19日、コモエスタ坂本は『Comoesta's Japan HomeVage』内に「嬲リンク」というページを作った。
「嬲リンク」ページでは主に自意識過剰で自己顕示欲の強い女のサイトに対しネガティブなコメント付きでリンクを貼る。「使えないページ」と同じくネガティブリンク集である。
そしてその対象となったサイトの一つが「やすぴょん」という人物のサイト『Lady's Homepages』であった。
コモエスタ坂本は『Lady's Homepages』を観察した。『Lady's Homepages』はリンク集サイトなのだが、リンク対象は女性が管理人のサイトであり、女性を褒める内容のコメントと共にリンクを貼っていた。
コモエスタ坂本は『Lady's Homepages』の「やすぴょん」が男であることを見抜いた。そしてやすぴょんの下心を感じた。
この「やすぴょん」のページもひと月ぐらいあたためていましたかね(笑)。このページ、当初は「Lady's Homepages」って名前のリンクページで、バック色がピンク、テキストの文体も内容も女っぽく、「やすぴょん」が自己紹介を書いてなかったんですよ。要するに偽装娘ページ、いわゆるオカマページだったんですね。奴さんが何を目論んでたのかは一目瞭然でしょう(笑)。単にページを作っている女の子にお近づきになりたいと。実像は非常に粗暴で男くさい、家庭持ちの間抜けなサラリーマンだったんですがねえ(笑)。
で、「やすぴょん」はその後、自己紹介を掲載して、相変わらずな内容のページを作り続けていました。何が間抜けかと言えば、ページ中のコメントに尽きますかねえ。「あったかくて、かわいくって、センスの良い、女性のページを選びました」とか「エチケットを守って、頑張ってる女性をみんなで応援していきましょう!!」とか、またそれぞれのリンクに冠しているコメントなども枚挙にいとまが尽きないのですがね。それで、この「やすぴょん」の勝手な思い込みと、無意識的な下心のギャップが面白かったので、6月3日に「嬲リンク」に掲載しました。その背景としては、当時も現在もですが、この手の「娘ページリンク集」ってのが多発してるという状況がありますかね。こういうリンク集は、大抵娘ページを作ってる側にリンクページの主催者が許可を取るか、もしくは娘が自分で応募してくるか、という方式が主流なんですが、この主催者側も他人のフンドシ的な奴か、下心的な奴が大半で、また娘側も自己顕示欲の強いだけの間抜けな女が多いという図式になっていたんですね。そこで、ミュージアムを標榜する「嬲リンク」としては、この構造を喝破したいと思いまして。
まあそういうサンプルにはうってつけだったんですよ、この「やすぴょん」のリンク集は。
コモエスタ坂本インタビュー「嬲リンク事件」の内幕(インターネットXファイル98)
コモエスタ坂本「嬲リンク」に『Lady's Homepages』へのリンクを加える。もちろんネガティブなコメントと共に。
「女衒」
このページを作っている「やすぴょん」は男。これは娘ページへのリンク集、いわゆるポン引きページだが、リンク集+リンク集のリンク集と程良くまとまっている。腐れフェミニスト万歳。 (06/03/96)
嬲リンク(Comoesta's Japan HomeVage)
これを見た『Lady's Homepages』のやすぴょんがコモエスタ坂本に嬲リンクの削除と謝罪文の掲載を要求。
コモエスタ坂本は反論する。「これからも「やすぴょん」こと村田康人に対する「嘲笑」を続けます」。
このことが原因で『Lady's Homepages』は閉鎖となったのだが、やすぴょんはASAHIネットに『Comoesta's Japan』の削除要請を出していた。
個人サイト間でのいざこざであったがASAHIネットは介入し、コモエスタ坂本に嬲リンクの削除を要求。
コモエスタ坂本はこれを「事実上のプロバイダによる検閲」とし、サイト上で抗議した。するとASAHIネットは抗議が書いてあるページを削除。
さらに嬲リンクを削除したのであった。
資料:
『インターネットXファイル』原稿(96年7月)
(
大森望のSFページ )
■ 日記リンクス630事件 (1996.06.30)
『日記リンクス』に登録されてる日記を批評・批判・攻撃し注目されていた『とほほ日記』は、
批評・批判・攻撃が日に日にエスカレートしていく。そしてその攻撃は津田の友人にまで及んだ。
6月30日、津田は『日記リンクス』から『とほほ日記』を削除。アクセスランキングを停止した。
前提
日記リンクスは、私が個人的な趣味で集めているポインタ集であって、公共サービスではない。知名度がどうあれ日記リンクスから、直接的な利益を得ているわけではない。
従って何を集め、何を集めないかを判断し選択する権利は当然私にある。自動登録のしくみは私の手間を削減するための付加的なサービスでしかない。
経過説明
さて、これまで日記リンクスは個人の日記の内容には関知せず、自動登録のしくみを公開し、できるだけ大勢の人に参加してもらうという方向でやってきました。
これからも、そのポリシーを変えずにやっていけるものだと信じていました。
しかしばうわう氏の行動は目にあまりました。日記で個人攻撃を行い、他人の登録データを改変し、パスワードを不正に操作する行為を、今まで幾度となく繰り返しました。
そしてアクセスランキングに自分で投票し、常にランキング上位にいる事で自分の日記を注目され続けていました。
アクセスランキング及び日記リンクスがそのような不快きわまりないページのアクセスを増加する助け、となっている状況は、これ以上我慢出来ませんでした。
これはばうわう氏の日記の登録削除およびアクセスランキング中止の理由です。
証拠はあるのでしょうか?さあ。私は客観的な判断を下すつもりはありませんし、その必要性を感じません。
私が入手した情報をもとに、個人的な主観で判断して、削除する事を決めただけです。ばうわう氏の行為(パスワードの操作、登録データの変更etc.etc.)が例え本当にあった事であろうと、
なかった事であろうと、少なくとも私及び私の知人や友人(例えそれがネット上のものであっても!)がばうわう日記を読んで受けた不快感は事実です。
これだけで理由としては十分です。そしてもう一度<前提>を読んでください。
何故背景が黒いのか?(1996/7/2)(堕落日記)
ランキングシステムが停止した『日記リンクス』はただのリンク集となった。
そして、『日記リンクス』の代わりとして人気を集めることになるのが、ばうわうの『日記猿人』であった。
『日記猿人』はせんべいとプログラマの池川の協力を得る。7月23日、手動の日記リンク集である『日記猿人』がCGI化。
機能的な面において『日記リンクス』の後継に相応しいものとなった。
こうして、ばうわうは日記界隈における「神」の座を津田から奪い取ることに成功したのだが・・・
津田日記リンクスは崩壊することになるのだが,その主な原因は「ac.jp以外」の「民間人の乱入」であり,「ランキングの激化」であった.管理がうまくいかなくなった掲示板や BBS やフォーラムなどのように,津田日記リンクスは潰されてしまった.津田日記リンクスは本来全く津田氏個人の所有物であるにも関わらず,いつの間にか参加者の権利と欲求がぶつかり合う場と化してきた.一部の人たちは,単なるリンク集を「コミュニティ」か何かのように感じ始めた.
ある種の人たちには,自分が書いたものをできるだけたくさんの人に読ませたい,読まれたいという欲求がある.それならば作家か文筆業者か編集者になればよいのだが,残念ながらそこまでの文才も根性もない.では,というので web 日記に目をつけた.自分の日記がより多くの人に読まれた証が欲しい.さらにより多くの人に読まれたい.それには津田リンクスのアクセスランキングで上位に入らなくてはならない.
最初の要求はごく穏やかで妥当なものだった.新参者にとって不利にならないように,最初からの累計ランキングだけではなく,週間ランキングや日間ランキングを別に作って欲しい,というものであった.津田氏はその要求に応えた.次に激化したのは「更新報告」の「一行コメント」というものだった.「べんりくん」システムとは違い,「日記リンクス」は参加者が自発的に更新を報告しなくてはならない.更新報告した時刻が更新時刻となるのである.「べんりくん」はページの更新時刻をロボットのような http クライアントが取得しにいくので,参加者は更新報告する必要はない.「日記リンクス」の更新報告のとき,ただ単に「更新したよボタン」を押すのではなく,そのとき何か内容のダイジェストなりを送信できるようにした.これが更新時刻順のリンクリストに同時に表示されるようにしたのである.
先にもご紹介した藤井洋之氏のご指摘によれば,日記リンクスが急激に大きくなったのはランキングを取り入れた 1995 年 7 月のことだそうだ.作者の津田氏自身の日記によれば,リムネットのアクセスランキングをヒントにしたのだそうである.また日間,週間,月間ランキングが始まったのは 1995 年 9 月なのだそうだ(19950711, 19950904 参照).となると,ばうわう氏が日記リンクスに参加する以前にすでにランキングは細分化されていたことになる.ばうわう氏が活発に活動していたのは 1996 年 3 月くらいのことなので,私の記憶違いで別のことと勘違いしているのだろうと思う.
img タグが web の critical point だったように,一行コメントが日記リンクスの critical point だったかもしれない.一行コメントによって日記リンクスは BBS 化してしまい,争乱の種を蒔いてしまったのだ.
そのうち参加者たちは,一日に何度も更新報告した方がアクセス数が増えることを発見した.さらには,日記自体は更新していないにも関わらず,更新報告だけなんども繰り返す者もいた.更新時刻順リストとアクセス数順リスト,二つのランキングで上位に居れば,それだけめだってアクセス数も増える.この遊びに夢中になる連中が,少なからず居たのである.
その行動はどんどんエスカレートしていく.これがだいたい 1996 年初めの頃の状況である.日記も淡々とした日々の記録よりは,喧嘩の方が面白い.またアクセス数を増やすことができる.深瀬智英(ばうわう)氏は,他人の,特にランキング上位者への攻撃で,アクセス数を稼ぐという行為を繰り返した.ここにめでたく「Web 日記批評」という新ジャンルが確立した.
ばうわう氏が他人の不正を暴くこともあったが,ばうわう氏自身が不正なアクセスをしているという噂もあった.彼の行動は日に日に目に余るようになったが,ばうわう氏の人気は必ずしも落ちなかった.彼には独特の押しの強さと迫力があった.ただそれはガキ大将のようなもので,あまりお上品とはいえなかった.私もまた当時は彼のファンであった.津田氏は沈黙していたが,快くは思っていなかったと思われる.ついに,津田氏の知人へのばうわう氏の批判・攻撃が原因となり,津田氏はアクセスランキングを停止し,自身の気に入った日記だけのリンク集を再構築しようとした.これが 1996 年 6 月 30 日頃のことである.これはのちに 6.30 事件と呼ばれる.当時の日記者にとって日記リンクスのアクセスランキングは,太陽が東から上り西に沈むのと同じくらい当たり前のことだった.それが管理者の恣意で中止されてしまったので,驚愕したのである.
ばうわう氏はここで猛然と抗議したに違いない.そこで津田氏はばうわう氏を日記リンクスから排除したのだろう.このあたりから津田日記リンクスはどうしようもなくおかしくなっていった.
インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して(NAGAE Takanori's Web Page at Shobi University)
もう一つの『日記リンクス』後継サイト。たかのゆきまさが興した。
大手の検索エンジンなどのサービスは、面白いものだったら何でも読みたいという乱読系の人達たちの要求を満たすものではない。
「日記リンクス」は乱読系の人にとってなくてはならない存在だった。ところが一九九六年六月三〇日に「日記リンクス」は閉鎖してしまった。
離散家族ではないが、みんなが集まっていた場がなくなってしまったのだ。みんなが離ればなれになってしまう前に、
集まっていた人たちが再び集まることのできる新しい場を作らなくてはと、たかのさんは考えた。それが「リードミー」を作った動機だった。
個人ホームページのカリスマ 月間5億ヒットの秘密
『ReadMe!JAPAN』はすぐに人気となったのだが、このことを同業者であり、攻撃的な性格であるばうわうが黙って見ているはずがなかった。
ばうわうはすぐに手をうった。
■ 未確認日記物体UDO”誘導”開始 (1996.08.03?1996.08.04?)
ばうわうは『未確認日記物体UDO”誘導”』を企画する。『ReadMe!JAPAN』から『日記猿人』へ人を誘導させることが目的であったと言われている。
企画の具体的な内容としては『日記猿人』に登録されている日記の紹介ということになるのだが、これが批判されることとなった。
紹介された日記は当然ランキングが上がる。ばうわうは『日記猿人』の管理人という立場である。
そのばうわうが特定の日記を紹介するということは、結果として『日記猿人』の運営側がランキングを操作するということになってしまう。
これを『日記猿人』の私物化であると批判したのが『ばうわう公式ウォッチング日記物体BOWDO”暴動”』であった。
■ 日記猿人812事件 (1996.08.12)
8月12日、ばうわうは『BOWDO』と自身に批判的な日記を『日記猿人』から次々と削除。
登録されている日記を管理者権限で削除するという行為は、かつて津田が行ったことと同じである。
これに対し、反ばうわう派は削除された日記を再び登録し対抗。
ばうわうへの非難が嵐のように吹き荒れ、ばうわうは「神」の座を降りざるをえなくなった。
8月14日、ばうわうは『日記猿人』の管理者を辞任。17日、池川とせんべいはばうわう抜きで『日記猿人』を続けると告知した。
・・・
『日記リンクス』に登録していた『とほほ日記』のばうわうは、『日記リンクス』を攻撃した。そして津田から「神」の座を奪うことに成功した。
因果応報。ばうわうは『日記猿人』に登録していたサイトに攻撃され、「神」の座を降りることになったのである。
先人の轍を践むというのだろうか,その夜久氏の日記をばうわう氏は独断で日記猿人から警告なしに削除するという行為に出た.日記猿人は津田日記リンクスと同様,或いはそれ以上の修羅の場と化した.裏掲示板にばうわう氏に対する罵詈雑言,或いは彼のアイコラなどが張り付けられたりした.これは彼を激怒させたらしく,それ以来ばうわう氏は素顔をネットに晒さなくなった.野球帽を目深にかぶった写真か,あるいは CG を使うようになった.
マスコミのような正義感で傍観者たちは新管理人ばうわう氏の専制を批判し攻撃した.ばうわう氏は暴徒とその同調者を次々に排除した.ところが排除されると同時に彼らは「再登録」した.はしたない泥仕合が始まった.徳を失い,身を守る軍事力も持たない君主は多勢に無勢,去るしかない.結局ばうわう氏は 8/14 に日記猿人の管理者を勝手に辞めてしまい,彼の日記「とほほ日記」の更新もやめてしまう.
管理者として残された池川氏とせんべい氏は, 8/17 にばうわう氏抜きで日記猿人を継続することを決定,今日の日記猿人 (http://wafu.netgate.net/ne/) の原型が一応ここに完成したと言える.
インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して(NAGAE Takanori's Web Page at Shobi University)
資料:
日記才人の裏歴史
(
D-Point )
資料:
630事件二周年
(
MOROBOSHI Tomorou's 3rd HomePage )
資料:
ByeByeBowWow
(
MOROBOSHI Tomorou's 3rd HomePage )
■ 『あやしいわーるど』開設 (1996.08.21)
『あやしいわーるど』は匿名掲示板群である。95年3月20日、窮地に立たされたオウム真理教は「地下鉄サリン事件」を起こす。
それからまもなく「霞ヶ関」という地下ゲームが登場した。このゲームの題材は地下鉄サリン事件であり、不謹慎ゲームとして話題になった。
駅を5つ選ぶとサリンが撒かれ、被害者が算出される。
このゲームを所持していた「芝雅之(しば)」がNIFTY-Serveのホームパーティを利用し『あやしいワールド』をスタートさせる。
そしてそこで「霞ヶ関」を配布していた。
96年8月21日、芝は「デジタルエデン」の無料掲示板サービスを利用し『あやしいわーるど』をスタートさせる。
そこでの話題の中心はアンダーグラウンドなものであり、例えば「warez」「非道徳的なもの」であった。
『地下道入口』閉鎖後は、難民が押し寄せたことにより「ハック・クラック」の話題が増えていく。
12月23日、デジタルエデンが無料サービス終了。無料の掲示板サービスである「県人会」に移転した。
12月26日、一般ネタの「97」と 技術ネタの「2000」に分割。
「2000」では掲示板荒らしを行う者達がおり、その者達は後に生まれる掲示板破壊集団「ゲスッ」のメンバーであった。
資料:
あやしいわーるどの歴史
■地下道入口 (1996.11.30)
住民が『あやしいわーるど』に移住。
1997年(平成9年)
ゆいぼーどが配布され、私書箱が作られる
自作CGI配布サイト『ゆいちゃっと』が掲示板スクリプト「ゆいぼーど」を公開。
imgタグで画像を貼り付けられる「ゆいぼーど」は人気となり、
『あやしいわーるど』の住民達は次々と「ゆいぼーど」を使った掲示板を立ち上げる。
それは「私書箱」、内容はアングラの場合は「アングラ私書箱」と呼ばれた。
「私書箱」は数多く作られたが内容がアングラゆえ短命に終わるものが多かった。
一時期は絶滅の危機に瀕したが、後に『廃墟』や『自動アンケート』が登場したことで絶滅せずに今も命脈を保つのである。
■ 『goo』サービス開始 (1997.03.27)
NTTアド、NTT、INKTOMEによる検索サービス
■ 掲示板荒らし集団「ゲスッ」登場 (1997.03.xx)
ありがとう黒マグロ事件により解散するまでに数百の掲示板を荒らした。メンバーの一人はアリス・リデル。
■ 「ゆいぼーど」登場 (1997.05.30)
『ゆいちゃっと』が掲示板スクリプト「ゆいぼーど」を公開。
これは親掲示板に対し、投稿者が自由に子掲示板を作成できるという特徴を持つ掲示板スクリプトであった。
この「ゆいぼーど」を使った掲示板が大量に発生する。
『GERI-P!』『グヘ箱』『むし箱』『歪んだ運命』『LNB』等。
それらの掲示板は「私書箱」と呼ばれた。
■ 酒鬼薔薇聖斗事件 (1997.06.29〜1997.08.xx)
6月29日、『あやしいわーるど2000』で神戸連続児童殺傷事件の犯人である通称:酒鬼薔薇聖斗の実名とされる名前が書き込まれる。
ネットでは複数の名前が挙がっており、この時点では『あやしいわーるど2000』に書き込まれた実名が真実かは解らなかったのだが・・・。
[6/29 15:41] 酒鬼薔薇:
◯◯◯◯、決定!!
じゃあ、次、生年月日、住所、電話番号いってみよう!!
(爆)
30日、産経新聞が掲示板に少年の実名が書き込まれているとし、掲示板に書き込まれた内容を掲載してしまう。
6月30日産経新聞Web
ホームページに少年の実名
神戸の小六男児殺害事件で、殺人、死体遺棄容疑で逮捕された神戸市須磨区の中学三年の少年(一四)の実名が、逮捕直後から同事件に関する情報交換が行われているインターネットのホームページの掲示板に掲載されていたことが三十日までに分かった。
問題の掲示板は、米国のインターネット接続会社に設けられている。東京に本拠を置くインターネット接続会社の会員が設けたこの事件を扱うホームページから簡単に接続が可能で、インターネット利用者ならだれでも見たり、自由に書き込むことができる。
このホームページでは、少年が逮捕された二十八日夜から書き込みが急増。少年について「こりゃ死刑だね。実名も報道すべし!!」との書き込みに答える形で二十九日午前十時二十五分ごろ、少年の実名を名乗って犯行声明全文が掲載された。その後、読み方の説明を求める書き込みを受けて、名前の読みが平仮名で掲載された。中には「生年月日、住所、電話番号をいってみよう!!」とさらに少年についての情報提供を求める書き込みもあった。
これにより29日に『あやしいわーるど2000』に書き込まれた名前が酒鬼薔薇聖斗の実名であることが確定。
酒鬼薔薇聖斗の実名が多くのアングラ系サイト、掲示板に書き込まれることになった。
酒鬼薔薇 発信日時:7月1日(火)00時10分35秒
http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9706/html/0630side45.html
産経新聞様。 昨日、某掲示板に「◯◯◯◯決定。次、生年月日、住所、電話番号いってみよう!!」と書きこんだ者です。
昨日のあの時点では、ネット上に複数の名前が流布されており、ごくごく限られた人たちしかどれが実名であるか確認できない状態でした。
しかし、今日の貴社のホームページにより、おかげさまをもって、犯人の少年の名前は完全に確認することができました。
ありがとうございました。
今後の貴社のますますの発展を希望いたします。(爆笑)
というわけで、改めて生年月日、住所、電話番号いってみよう!!
■ 『ムーノーローカル』開設 (1997.07.07)
「どーでもいいトピックス」が人気になったサイト。毎日数個のURL、rhymeの感想とともに紹介する。初期の代表的な個人ニュースサイトの一つ。 1999年11月には100万ヒット。2000年12月には500万ヒットを記録。
その人気は「ムーノーデー」という、「みんなでサイトのデザインを『ムーノーローカル』にしよう企画」が行われるほど。
『webarchive』 に残っている『ムーノーローカル』(2000年10月)
米Exciteの日本サービス。日本法人には伊藤忠が出資。01年に米Exciteの親会社が破綻。02年に伊藤忠が株式を買い取り、伊藤忠の子会社化となった。
■ 『あめぞう』開設 (1997.08.05)
スレッドフロート型を採用した掲示板群。開設当初はリンク集であった。
『あやしいわーるど』難民の移住先であり、アンダーグラウンドな話題が中心。
■ 『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』開設 (1997.08.12)
クソゲー批評が人気だったサイト。『ろじっくぱらだいす』や『侍魂』『斬鉄剣』など、後の大手テキストサイト達が影響を受けたサイトとして挙げらることが多い。「フォント弄り」を広めた。
『webarchive』 に残っている『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』(2000年10月)
■ ポンポンネット事件 (1997.12.16〜1998.01.18)
アリス・リデルを慕っていたハッカーHighwayBLOODがISP「ポンポンネット」の顧客情報を手に入れ、ポンポンネットを恐喝。1月18日に逮捕された。
資料:
PPN (
歴史資料館 )
■ARTIFACT (1997.01.27)
このWEBページは何?
加野瀬と称する人間の文章や絵が置いてあります。特に力を入れているのは文章ページで、日々の雑感を書き連ねています。WWWのジャンルとしては文章+ギャラリーですね。
最近、たくさんの方がリンクしてくださって嬉しい限りなのですが、リンクのコメントを見ていると「評論ページ」に分類されているようです。自分の中では「評論」というのは作品に新しい視点を与えるものであって、自分の書いている文章は「感想」、ちょっと突っ込んでいる場合は「分析・考察」だと思っています。スタンスとしては、新しい視点を追求するアカデミズム的視点ではなく、事実を追求するジャーナリズム的視点といったところでしょうか。Not even justice,I want to get truthって感じ。
このページに初めて来た方へ -Introduction-(ARTIFACT)[2003年時のもの]
後に有名ブロガーとなる。
■論談同友会 (1997.03.21)
現:『論談』。「日本一の総会屋」と呼ばれた論談同友会が開いたサイト。読者投稿欄「目安箱」が人気。
■goo (1997.03.27)
⇒gooサービス開始
■¥CORE PRICE¥ (1997.05.xx)
後の『価格.com』。サイト名を何度も変えている。変遷は『¥CORE PRICE¥』⇒『¥パソコンの価格が分かるページ¥』⇒『¥パソコン価格情報¥』⇒『価格.com』。
■MP3 TIDALWAVE (1997.06.27)
まだMP3がアングラだった時代のMP3情報サイト。最新ニュースやソフト・ハードの紹介。
このページは、インターネット上に広がりつつある,高音質高圧縮規格であるMPEG LAYER-3(以下mp3)に関する情報をメインに、インタラクティブに展開していきたいと考えています。
ぜひ、積極的に、ご意見、感想、などお送りください。
私自身、不勉強な点もあり、不愉快な思いをされる場合もあるかも知れませんが、温かい目で見守ってやってください。
このサイトを運営することによって多くの事が学べるのではと、期待しています。
海外のWEBサイトにも、MP3を扱う多くのサイトが存在することは、皆さんもご存じだと思います。
MP3という規格は利用する際、その性能の良さ故に、著作権と絡んで様々な弊害が予想されます。著作権の問題は今後のインターネット全体の問題でもあり、軽々しく考えるべきでないと思います。
優秀な技術、SOFTを開発するには資金が必要であり、物質的な投資より、労働力への投資の方が比重の大きいSOFT産業において、知的所有権を重要視するのは仕方ないのかもしれません。
ただ、心配なのは知的所有権を保護するあまりに、非常に窮屈な世界になってしまうのではないかと言うことです。企業や金銭が絡んでくるとさらにややこしくなるように思います。
以下に著作権に関する法律のサイトへのLINKを貼ります。
http://www.imasy.or.jp/~ume/copyright-ml/inetmag/index-j.html
ここを読んで、なおかつ理解していただいた上で、自分自身で考えてみて下さい。
納得していただいたなら、このサイトを利用して下さい。
そうでないなら、このサイトはあなたに必要がないと言うことです。
ごちゃごちゃ言いましたが、とりあえず、なにはさておき、『今』を楽しみましょうよ(^O^)
注意書きみたいな〜(MP3 TIDALWAVE)
■GERI-P! (1997.06.xx?)
最初期の私書箱。
■ウガニクのホームページ (1997.07.20)
後発のテキストサイトに影響を与えたオナニー日記が凄いサイト。
■Excite日本語版 (1997.07.25?)
⇒Excite日本語版サービス開始
■あめぞう (1997.08.05)
⇒あめぞう開設
■HotWired Japan (1997.08.05)
アメリカのWired Digitalが提供する情報サイト『HotWired』の日本版。日本版の運営はNTT-X。後に『Wired Vision』となる。
「HotWired Japan」の基本テーマは?
インターネットとエコロジーは、21世紀の全世界的な社会変革の中心となるテーマです。「HotWired Japan」はインターネットとエコロジーに焦点をあてつつ、今後の私たちの社会の行方と可能性を、長期的な視点で考えます。
インフォメーション(HotWired Japan)
資料:ウェブマガジン「HotWired」の日本語版が秋からスタート
(INTERNET Watch )
■"FUNNY" GAMER'S HEAVEN (1997.08.12)
⇒"FUNNY" GAMER'S HEAVEN開設
■ZDNet Japan (1997.09.01)
アメリカのZiff-Davisが提供する情報サイト『ZDNet』の日本版。日本版の運営はソフトバンク。後に『ITmedia』となる。
05年4月に登場した『ZDNet Japan』とは、名称が同一だが別物であることに注意。
資料:ソフトバンクがコンピュータ情報サイト「ZDNet Japan」を9月開設
(INTERNET Watch )
■カルトブックマーク (1997.10.03)
こんばんわ、アンダーグランドリンクサイト「カルトブックマーク」
のLinkerのchマニアです。今回の定期メルマガのお題が
【なんとなく、UGな人達の、なんとなくな理由】ということなので、
1回目から落としてはまずいだろうと、一生懸命、暇を見つけつつ
書いてみることにします。
そもそもなぜボクがUGの道を歩み始めたのかは、どこか忘れ
ましたがとある掲示板(表)に書かれていたURLをクリックしたこと
に始まります。まだPROXYも通さずにうろちょろしていた無防備な
頃で(といっても、今もPROXYは通さないことがほとんどですが...)
PCのことはちょっと知っていても、セキュリティについては知識ゼ
ロに近い頃でした。そのジャンプした先は地下道入口。なにやら
怪しいコンテンツに、地下掲示板では高度な話題に花咲いていて、
カキコすることもできず(スキルが無かったこともありますが)しっか
りとROMらせていただいていました。今では伝説となられた方々の
カキコにそれはもう「こんな世界があったのか?」状態で、それ以来
リンクを辿り、暇さえあればいろんなサイトを覗く毎日が続いたのは
いうまでもありません。
Nantonaku UG Club
(御茶御茶 )
■森で屁をこく (1997.10.xx)
雑文サイト。
■志保ちゃんのエミュレータニュース (1997.11.01)
エミュニュースサイトの当時最大手。掲示板の荒れっぷりの凄さでも有名?。アクセスカウンターは1000万を越え、掲示板も賑わっていた。2001年2月にサイト消滅。
■世界最強の危険リンク集 (1997.11.03)
サイト名からして危険な香りのするアングラリンク集。
■BlackBOX (1997.12.xx?)
みかみが『私書ばっこん』という私書箱を閉鎖させた後に作った私書箱。
「私書ばっこん」は短命であったが「BlackBOX」も短命で、98年3月に一旦閉鎖となった。
■クリアラバーソウル (1997.xx.xx)
後にライトノベル作家となった桑島由一のサイト。代表作の「神様家族」はアニメ化された。その実力は当時からすでに発揮されており、「妄想系ピラミッド最高峰」とか「コジャレ世代の日記系の頂点」とか言われていた。
1998年(平成10年)
ABC文法の登場
落語にしても、漫才にしても、コントにしても、しゃべりに強弱つけている。お笑いはメリハリが重要だ。
では、しゃべりに強弱をつけるのと同じように、文章においても強弱をつけたらどうだろうか。
また強弱をつけるにはどうしたらよいであろうか。HTML文章では一部だけ文字を大きくすることも、色を付けることも簡単だ。
文章に強弱をつけるための技法、それが「ABC文法」である。
■ 『A_prompt.』開設 (1998.03.06)
クソゲーハンターABCとして「里見の謎」「デスクリムゾン」などの
評価するに値しない酷い出来のTVゲームソフトを紹介する本「超クソゲー」を著した阿部のサイト。
阿部の文は所々に太い、色の目立つフォントを使うことで文に強弱を付けており、この手法は「ABC文法」と呼ばれた。「ABC文法」はテキストサイト界における技法の一つ、「フォント弄り」の原形になる。
資料:
A_prompt.のミラー
■ アリス事件 (1998.03.xx)
アリス・リデルが、掲示板アタックツール「PerlDUKE」を公開。
さらに、あやしいわーるどに対しPerlDUKEをテスト使用。あやしい住民と対立する。
あやしい住民はNHKニュースに出たときのアリスの映像でコラージュを作り、アリスを笑いものにした。
挑発されたアリスはあやしいわーるどをさらに攻撃。この対立はあやしいわーるど閉鎖の原因になった。
■ 『フレッシュアイ』サービス開始 (1998.06.30)
東芝が運営する検索サービス。”今日のページを検索できる”のがウリ。
■ 『Lycos』サービス開始 (1998.07.02)
米Lycosの日本サービス。ライコスジャパンは住友商事、米Lycos、IIJの合弁会社。2002年12月に楽天に買収され、infoseekと統合。
■ 雑文祭 (1998.08.03)
決められたお題の文章をみんなで創作し、みんなで鑑賞しようというイベント。
第一回の雑文祭りでは
* タイトル:「ある朝突然に」
* 書き出し:「そういう場面に出くわすとは、考えたことさえ無かった。」
* 結び:「あまり考えたくはない話である。」
* お題:「小さな貧血大きなお世話」
という縛りのなかで文章を創作する。
『雑文館』の新屋健志が考えたこの企画は好評で、雑文祭は雑文界の一大イベントとして
この後も行われることとなった。
始まりは新屋さんからのメールでした。「こういう企画を考えているの
だが、参加しないか?」という内容のメールです。これは、私を含む五人
に同報で送られていたと記憶しています。主旨としては、「いつも読んで
いる複数のページで、ある朝突然に、同じタイトル・同じ書き出し・同じ
ダジャレ等を使った雑文が発表されたら読者は驚くだろう」というもので
した。
その後、確かキースさんに「秘密の掲示板」を作ってもらい、そこで、
タイトルはどうするか、お題はどうするか、等を六人で相談していました。
で、1998年8月2日に六人一斉に発表、目論見どおり読者は驚いてくれた、
ということです。
雑文祭について議論する掲示板のログ
(雑文祭書庫 )
資料:
第一回雑文祭 ある朝突然に(1998.8.3)
(
雑文祭書庫 )
■ WinGroove事件 (1998.09.xx)
当時人気だったシェアウェアのソフトウェアシンセサイザー「WinGroove」に、
ハードディスクのデータを消去する機能が実装されていたことが判明。
不正に流れているユーザーIDとパスワードを入力すると、IO.SYSを書き換え、FATをゼロクリアする。
「不正ユーザーに対してとはいえやりすぎではないか」「作者は過失を主張したが、実際は故意にやったのではないか」と議論になった。
資料:
「WinGroove」の旧バージョンにディスク内容を消去する問題 、
WinGroove作者が新たにディスク消去問題の詳細を公表 、
WinGroove作者・中山裕基氏インタビュー
(
窓の杜 )
■ 春菜プロジェクトが「ペルソナウェア」を公開 (1998.10.04)
ニュース等を配信する便利ソフトに『ペルソナ』と呼ばれる仮想人格を乗せ、キャラクターが色々しゃべるようにしたソフト。
サーバーからスクリプト、画像、音声などの各種データファイルを定期的に自動取得できるようにした。制作者は中西巧。
「コンピュータ内にキャラクタが住んでいて、内蔵時計などの情報に従ってさまざまな振る舞いを見せるソフト」に興味があり、制作してみたいと常々思っていました。いくつか市販のものも使ってみたのですが、すぐ台詞などのデータを使いきってしまい、同じ振る舞いしかしなくなるのが欠点です。そこで、システム自体が日常的にネットワークを通じて新しいデータを取得できる仕組みを入れて制作したのがこのペルソナウェアです。
開発にあたって心掛けた点は、ペルソナウェアそのものは処理系に徹し、ペルソナの人格(?)であるデータの部分と完全に分離するようにしたことです。それにより、PDK(ペルソナ開発キット)によってまったく別のペルソナを稼働させることもできるようになっています。すでにサードベンダーさんによるペルソナも公開されています。
今後のペルソナウェアの発展の方向性としては、
1. ペルソナを稼働させる処理系
2. プッシュ型情報クライアントとして
3. メールチェックやスケジューラ機能を含む「インタフェースエージェント」としての3系統があると考えています。基本的にはこの番号順に機能追加を進める予定で、まずは「画面の好きな位置にペルソナを表示できる」「台詞のフォント・色指定」「文字列の入力」「Windows環境取得・操作」などの機能をサポートしていく予定です。
週刊ソフトニュース 99.01.14号
(Vector )
このソフトの面白いところはペルソナウェアは中西が制作するのだが、そこに乗せるペルソナ(仮想人格)は誰でも作れるように開発キットを用意したこと。
全てを自力で制作せずに、フリーで活動する協力者(ベンダー)に任せるという手法は、インターネットの時代に実に合っている。
資料:
キャラクターを使ったプッシュ情報クライアント「ペルソナウェア」が公開
(
窓の杜 )
■なみかれ (1998.01.xx)
「涙枯れるまで泣く方がいいかも」の略。質問項目(お題)に対し回答者は一言コメント(ネタ)で返す形式の掲示板。
■A_prompt. (1998.03.06)
⇒A_prompt.開設
■ICQ道場 (1998.03.28)
「アッオー」の着信音でお馴染み?なイスラエルのインスタントメッセンジャーソフト「ICQ」を解説したサイト。
日本語化パッチが置いてあり、「ICQを使うならまずこのサイトを見ろ」と言われるサイト。
■クックパッド (1998.03.xx)
■ひょろびり (1998.03.xx?)
ひょろっと歩くとびりっと破れますの略らしい?。
『BlackBOX』の一時閉鎖を受け、復活までの繋ぎとして作られた私書箱だと言われている。
「ゆいぼーど」公開以降、数多くの私書箱サイトが出来た。しかし、無料サーバーを使ったこと、
苦情や規制(コラ画像のUP等、アダルト関連の私書箱があった)、荒らしにより次々と閉鎖。そんな中『ひょろびり』は同年10月の『BlackBOX』復活まで私書箱の命脈を守った。
資料:というか私書箱は一体どこから誕生したのですか?
(箱ログ保存処 )
■AltaVista (1998.05.11)
95年にアメリカで登場し、かつて英語圏でよく使われていた検索サービス。
日本語検索が開始されてからは日本においても、それなりに人気になった。
『Google』が登場するまでは・・・
■山本総翼右ムェゲ (1998.05.14)
「ゲェム右翼」。
それは、ギャルゲー&エロゲー (以下「エロゲー」に統一) 全盛という現代の腐りきったゲーム界を憂う者たちのやりきれない情念が生み出した、新しい組織である。
昨今のゲーム界は、エロゲー好きのおたく共が支持する「ゲーム改革派」の動きが活発になりつつある。きゃつらのような極左集団を、日本ゲーム界の旗手とする訳にはいかない。ここは我々ゲーム保守派が「ゲェム右翼」を結成し、断固闘うべきである。
このたび私は僭越ながらこのゲェム右翼を創設し、党首として活動を行うことを宣言する。
世のゲームマニア諸君!
諸君が現状のゲーム界に不満を持つならば、アカを廃絶すべく、私と共に活動を行おうではないか!
未来の明るいゲーム界は、諸君の手にかかっているのだ!
私はここに宣言する!
「エロゲーに死を!おたく共に死の鉄槌を!」
「ゲームの本質は、『殴る!蹴る!撃つ!壊す!殺す!』
これを行わずはゲームに非ず!」
党首宣誓、党ノ基本理念(山本総翼右ムェゲ)
■オトノチカラ (1998.05.28)
■HEXAGON (1998.05.xx)
後にライトノベル作家となり「ゼロの使い魔」を書いたヤマグチノボル 氏のサイト。2013年4月4日逝去。癌のため...。R.I.P.
■ほぼ日刊イトイ新聞 (1998.06.06)
コピーライターの糸井重里が主催する、説明不要の有名サイト。コンテンツたくさん。
多くの関連書籍を出している。
クリエイティブがイニシアティブを持って仕事の出来る「場」をつくりたい。
そんなぼくの目の前にあらわれたのがインターネットだった。−−−−−−−−−−−−
まったくのパソコン素人が一念発起。
『ほぼ日刊イトイ新聞』を
インターネット上に立ち上げてから三年。
ドタバタじたばたしながらも、
どんどんにぎやかな人気サイトに育っていく。
そこから見えてきたのは、
これからの「働く」ということ。
これからの「つくる」ということ。
これからの「付き合う」ということ。
そしてこれからの「生きる」ということ。
勝ち負けだけじゃない価値も
この世の中にはある。
ほぼ日刊イトイ新聞の本
資料:「ほぼ日刊イトイ新聞」8年間、長寿の秘密は?
(iza )
■BM98's ROOM (1998.06.08)
やねうらおが作ったビートマニアシミュレーター「BM98」を公開。
BM98は人気となり、数多くのBMSファイル(BM98用の音声ファイル)が作られたのだが
同年8月に公開中止。
現在、数種類の互換ソフトが存在する。
■フレッシュアイ (1998.06.30)
⇒フレッシュアイサービス開始
■Lycos (1998.07.02)
⇒Lycosサービス開始
■悶えろ!!モエプロゲッターズ (1998.07.17)
伝説として語り継がれるサイト。ファミコンソフト「燃えろプロ野球」のカセットをひたすら買い集めているという。集めた数は2500本以上。この行為だけでも意味がわからないのだが、
収集○○本突破記念企画がさらにぶっ飛んでる。集めた燃えプロのカセットで富士山を作ったり、五重塔を作ったり、後楽園球場を作ったり…。
風呂桶一杯にカセットを入れて入浴する「悶えフロ」…。この人にしか出来ない企画で”これぞまさに個人サイト”と言えるサイトだった。
■大西科学 (1998.07.17?)
雑文サイト。雑文館亡き後の雑文界において、その中心的なサイトの一つ。
「ジョン平とぼくと 」と「ジョン平は天気を占う 」を元にした「ジョン平とぼくと」を著した。
■ウェブリング・ジャパン (1998.09.01)
96年に米国で開始されたサービスの日本サービス。日本での運営は兼松コンピューターシステム。
ウェブリングとは一種のコミュニティーです。
ウェブリングとは、同じ趣味・主張・興味を持つ人たちが、それぞれのサイトを繋ぎあわせ、「リング(輪)」を作ったものの集大成です。
リングは、どんな内容のものでも構いません。リングには、同じような趣向を持つサイトを持っている人であれば、基本的には誰でも参加できます。
例えば、「サッカー」が好きでたまらない人たちは「サッカー」のリングを作る事ができますし、もっとマニアックに「中田選手の足の裏」のリング(もちろんそういったサイトが複数あることが条件ですが・・・)も出来るかもしれません。
何も好きなことにこだわらなくてもいいのです。例えば、「サークルで一緒だった人たち」のリングとか、「水虫に泣かされている人」のリングとか・・・。あなたの持っているサイト次第でいくらでもできます。
もちろん、いろいろ守らなくては行けないルールはあるのですが・・・。
■Britannia 観光案内所 (1998.09.11)
後発のMMORPGファンサイトの参考となった、ウルティマオンライン総合情報サイト。
資料:人気ホームページ作者のインタビュー
(人気ホームページへの道 )
■兄貴の館 (1998.09.15)
痛い系テキストサイトに多大な影響を与えたサイト。
「限りなくクロに近いクロなホモ疑惑を持つ(@ろじぱら・ワタナベ)」男。
■ウルティマオンライン日本サーバー (1998.09.28)
■SMALLNEWS! (1998.10.08)
当初はエミュレーターとPCパーツ中心のニュースサイト。
そのうちエミュレーターとPCパーツ以外にも色々なものを取り上げるようになる。
10/8 EMU(WIN) PSEmu Plugins Updated
プレステのエミュ用プラグインファイル
PSEmuPro用のプラグインがアップデートしました。
・gpuGlide・・・Voodoo2用のグラフィックドライバ
・spuSeal・・・サウンドドライバ
・gpuDudSoft・・・DirectDrawドライバ(汎用)
・cdrDAO・・・CDドライバ(DAOイメージファイル用)
・cdrDudAspi・・・CDドライバ(ASPI)
PSEmuProはConfigが起動できなくなる場合があります。そうなったらレジストリを直接書き換えて下さい。
■大(仮名)帝国 (1998.10.14)
日記とマクドナルドの新作レビューがメインのサイト。
よりによってクリスマスイブの日にホモゲー「炎多留」のレビューを行ったことで有名。
■樂書屋春九堂本舗<電脳出張所> (1998.10.28)
後の『G-LABO』。『兄貴の館』の兄貴の知り合い。春九堂と言えばアフロがトレンドマークで、色々なサイト管理人にアフロを被せた。早い時期からオフ企画を行っていた活動的なテキストサイト。
■復元プロジェクト (1998.10.28)
統合アーカイバ「RarUty」を公開。後にRarUtyの影響を受けて「Malty」「WARUty」「詩子様」が生まれた。
Riz,Jydivide,御茶義理,ぽこにゃん,分割くん,HamaEvolution,JpegDirectAnnex,クローキングBMP,うそマップ,NOISE,BitmapPackager,インプラントGIFの偽装・分割に対応。
まだMinMXもWinnyもなかった時代。
アングラな人々はファイルを交換するときに、ファイルをサイトスペースにUPするという方法をとっていた。
そのファイルには偽装がかけられており、対応ソフトを使って偽装を解かないとファイルは使えなかった。
■廃墟 (1998.10.xx)
私書箱中興の祖。再び多くの私書箱が作られるようになる。
■無題 (1998.12.12)
反『斬鉄剣』の中心人物。『斬鉄剣』と共にテキストサイトに起こった数多くの騒動の中心にいたサイト。
『斬鉄剣』のナミはランク制リンク制度の失敗によって『斬鉄剣』を閉鎖後『至誠天ニ通ズ』を開設。
そこでナミはマサムネを罵倒し、マサムネはナミとの戦いを決意する。
『侍魂』の後押しによって『斬鉄剣』が復活するとマサムネは、「しっかしこの男、相変わらず自分棚上げ芸の達人だなァ。ヘタレの分際で語るなよ。たとえナミ様が忘れようと無かったことにしようと、私は忘れませんよ? 斬鉄剣の過去の所業は。」と言い、『斬鉄剣』との戦いを開始。
『斬鉄剣』が言及したことに対し、次々と反論を展開した。
『斬鉄剣』との戦いは長期にわたり、1.17事件、魚類の乱などの原因となり、テキストサイト界に影響を与えた。
■WAVE Search (1998.01.31)
WAVE Search は'98年1月31日をもちまして終了させていただきます。永らくご利用頂きありがとうございました。
■あやしいわーるど (1998.09.03)
あやしいわーるどは閉鎖いたしました。当分復活しないでしょう。
でも、ここのリンクは更新し続けるので利用してね。
なにも言わないと閉鎖の理由についていろんな憶測が飛ぶでしょうから、まあ少しくらいは書いてみるか。
まず、公権力とか大手のどこかの圧力なんていう話は残念ながら全くないっす。
人間を滅ぼすのは人間ってな感じで、まあアングラ同士で潰し合いとかしちゃってまあくだらないね。
あやしいわーるどがアングラかどうかはまあともかくさ(わらぃ。
まあ、直接の原因はメイン掲示板の沈没なのですが、ネットの中にはいろんな対立とかがあるみたいで、
そういうのってとってもくだらないなあと思ってね。みんなと仲良くしたいのになあ、くだらないっすよ。
そんなかんじ。
復活はするかもですが、しないかもです。あやしいわーるどの名前使って掲示板やりたいひとはメールでもください。
掲示板のとこからリンクはりますよん。
あ。最後に。これまで、いろいろお世話になってみなさまありがとうございました。
ひとりひとりあげるときりがないのでやめときますけど。
そして、あやしいわーるどをご贔屓にしていただいたみなさま、ここのリンク集はつかってね。
かわりに、日記でもはじめるかな。ははは (98/09/03 20:46)
1999年(平成11年)
あめぞうの終わりと2ちゃんねるの始まり
「あめぞうウイルス」、それは『あめぞう』を荒らすために作られた。
『あめぞう』にはhtmlタグの除去判定が不完全という穴があった。「あめぞうウイルス」はその穴をついた、スタイルシートを使ったスレッド荒らしである。
「あめぞうウイルス」は恐ろしい勢いで増殖。
このウイルスにより『あめぞう』は壊滅的なダメージを受け、12月末期に滅ぶこととなる。
そして、『あめぞう』の代わりとして、避難所として機能したのが、西村博之が興した『2ちゃんねる』であった。
もっとも成功したテキストサイト。
本来恋人と一緒にいるはずのクリスマスイブに一人で怒涛のサイト更新をする、非モテ系の祭典「クリスマス殲滅委員会」を広めた。
テキストサイトブーム時に人気になったサイトのうち多くがブーム終了後は更新頻度が落ちている中、毎日更新を続ける。
■ Iria公開 (1999.04.xx?)
国産ダウンロードソフト。
UG界隈よく利用されていたレンタルスペース「the globe」がjpドメイン弾きを実施し
ファイルをダウンロードできなくなった現象、通称「地球病」にいち早く対応し人気になった。
「homestead」の時間と共にURLがにランダムに変化する仕様にも対応した。
■ 『2ちゃんねる 』開設 (1999.05.30)
そんでもって、、 投稿者:ひろゆき 投稿日:99/05/30(Sun)12:42
読者投稿欄に宣伝です。
あめぞう掲示板っぽいものをつくりました。
どうでしょう?
どうかな?
どきどき
http://bohe.virtualave.net/
05月30日(日)12時21分41秒 05月30日(日)12時21分41秒
あめぞう2チャンネル<勝手に
1
ひろゆき
どうも、ご無沙汰してます。ひろゆきです。
実は、あめぞうさんに無断であめぞう掲示板っぽいものをつくりました。
事後承諾ですみません。
http://bohe.virtualave.net/
スレッドも最新の投稿が上がるようになっており、過去のレスも見れるようにしました。
使い勝手は一緒だと思います。というか、一緒になるように苦労しました。
あめぞう掲示板で没になった企画「ダメ人間@あめぞう」「地方@あめぞう」とか
そういうあめぞうさんのお眼鏡にかなわなかったジャンルの掲示板にしようかと
思ってます。 というわけで、作りたいジャンル募集!!
資料:
2ちゃんねるの歩み
(
2ちゃんねる愛の劇場 )
資料:
あめぞう速報の過去ログ置き場 amemain990526.lzhに「あめぞう掲示板っぽいものをつくりました」という書き込みがあります。
■ 東芝サポート事件 (1999.06.03〜1999.09.xx)
東芝のビデオデッキを購入したAKKYが製品の修理依頼をしたが東芝の対応は暴力団まがいの応対であったとして、抗議のサイトを開設。
AKKYはサイトに東芝との交渉経緯や電話応答音声ファイルを公開した。
「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ、もう。クレーマーっちゅうのお宅さんはね。クレーマーっちゅうの」。
瞬く間にインターネット上に話が広がり、東芝製品不買運動へと発展した。
騒動はやがてインターネット外にまで広がっていき、「週刊文春」「MacFan」「財界展望」「SPA!」「週刊朝日」「週刊現代」でこの事件が取り上げられる。
インターネット時代における新たな抗議方法を見せ付けた。
資料:
東芝問題専用ページ
(
紀藤正樹のLINC )
■ ADSLサービス始まる (1999.09.xx)
JANISネットが長野市川中島町有線地区を対象に下り1.5Mbpsでサービス開始。月額料金5,500円。
資料:
ISDN回線によるIP接続サービス「フレッツ・アイ」の本格提供に伴う地域拡大及び「フレッツ・オフィス」の提供開始について
(
INTERNET Watch )
■ ムーノーデー (1999.10.24)
みんなでサイトのデザインを『ムーノーローカル』にしよう企画。この後もムーノーローカルのカウンタが切り番になったタイミングで数回行われた。
資料:
99年12月のムーノーデーログ
(
KawaKawa19旬 )
■ あめぞうウイルス、猛威を振るう (1999.10.xx?〜)
あめぞうウイルスとは、『あめぞう』を荒らすために作られたスタイルシート。
この荒らしの結果、あめぞう住人の『2ちゃんねる』移住が加速する。
そして終わりは唐突に訪れます1999年10月下旬(ぐらいだったと思う、記憶曖昧;、裏が取れたら加筆するかも)あめぞうに激震が走ります、一部の掲示板であめぞうウイルスという名のスレッドが増殖をはじめたのです。
実は自分はその瞬間をリアルタイムで見ていたのですが、まさに圧巻な光景でした、どんどん「あめぞうウイルス」という題名のスレッドが増殖していくのです、僅かに生き残っているスレッドではスキルの高い利用者がこの異常事態をどのように打開するか激しく議論していました。
自分は別にあめざー(当時あめぞうをこよなく愛する人たちをこう読んだのです、ちなみに2chを愛する人たちは2ちゃんねらーというらしいですが言いづらいのかあまり流行りませんでしたね)ではなかったので傍観者でしたが掲示板とはかくも脆いものかと思いました。
なんたってあめぞうですよあ・め・ぞ・うですよ、当時のあめぞうといったらネットの大御所で、スラム街、はきだめ、たんつぼ、基地外収容所、隔離病棟、便所のらくがき、ネット墓場と呼ばれ(え、呼ばれてないって(^^;)あめざーは凶暴かつ凶悪でリンクされた掲示板をぺんぺん草も残らぬほど完璧に駆逐し、無くなってもミラーを立ち上げ、骨までしゃぶり尽すといった外道ぶり。そのあめぞうが手も足もでません(管理人が何もしないのだから当然;)、僅か数時間、、、一晩のうちにネット史上最悪の外道掲示板は消滅しました、壊れゆくあめぞうを目に人々は一体何を感じたのでしょうか?
一つの歴史の終焉でした・・・・。
早わかりアニメ掲示板の歴史中編(アニメ∞座談会)
■ 『斬鉄剣』、ランク制リンク制度を開始 (1999.10.xx?)
『斬鉄剣』は相互リンクの申し込みをされたサイトをランク付けしてリンクする「ランク制リンク制度」を開始。
後に、「ランク制リンク制度」に申し込んできたあるサイトに対し「糞」とランク付けし、TOPページで馬鹿にしてしまう。
この『斬鉄剣』・ナミの行き過ぎた行動に対し、
他サイトから抗議の声があがったがナミは謝罪というより喧嘩を売っているというほうが近い謝罪文をのせ、相手を挑発。
結果、斬鉄剣批判の声が大きくなっていき、相互リンクサイトは次々と『斬鉄剣』へのリンクを削除、最終的に『斬鉄剣』は孤立した。
その後ナミはサイトを閉鎖させたが、01年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった『侍魂』が『斬鉄剣』から影響を受けたと語ったことで『斬鉄剣』は復活した。
■ クリスマス殲滅委員会 (1999.12.24〜1999.12.25)
本来恋人と一緒にいるはずのクリスマスイブに一人で怒涛のサイト更新をするという「俺の恋人はネットだ」と言わんばかりの企画。『ろじっくぱらだいす』主催。
これ以降、痛い系サイトではクリスマス特別更新が定例行事となる。
■LINC (1999.01.06)
弁護士、紀藤正樹氏のサイト。META KEYWORDSが凄すぎることで有名。
何を言っているのか解らない人は『LINC』のソースコードを見てみよう。
■変人窟 (1999.01.07)
最初はPWR128/4VCで制作した動画を配布する為に某所のある方のアカウントの下で生まれた「たびちゃんずほめぱげ」(今考えると最悪の名称や…)をGeocitiesにアカとってただのリンク集作り、そしてFSI移転し今のニュースになれない、まがい物の駄文サイト始めようと思ったキッカケがSMALLNEWS!さんと裏ニュース!さんでした。その後ムーノーさん、オナニー日記さんといった今は伝説となっとしまったサイトの影響を受け、此処も迷走 色々と変化してしまったのですが、やはり根底にあるのはSMALL NEWS!さんと裏ニュース!さんへの憧れと尊敬だったわけで。
2001/12/03(月曜日) マジっすか。
(変人窟 )
■J-oの日記 (1999.01.13)
●Windows系の美少女ゲームが主力商品の中古パソコン屋で働く、30前後の独身男の日記です。職場での日常やパソコンやゲーム、インターネット関連の話題が中心です。いわゆるアニオタ・ゲーオタ系サイトです。
■ろじっくぱらだいす (1999.01.21)
⇒ろじっくぱらだいす開設
■ほいみんのページ (1999.01.22)
後に、量産型VNIの元祖『ちよ74歳』を作る。
平成11年1月22日
ついに公開、でも、とりあえずはリンク貼らない(笑)。
平成11年1月20日
というか、公開もしていないのに、更新履歴書いてる自分も
どうかな? などと思った。
平成10年11月28日
ホームページ作成開始。悪戦苦闘をしながら無謀な挑戦が始まる。
はたして公開までに何日かかるのやら……。
■我思う、故にラーメン (1999.01.26)
1月26日(晴れていた)
だいたいナンノ知識もなくホームページ作ろうってのが危なかしくてしょうがない。下手を打てばすぐに「家のワンちゃんデース」という構図になってしまい、誰からもあいてにされずに遠吠えだけを繰り返す近所の犬のペンタス君になってしまうのではないかと現在心配中。まあとりあえず、「最近どう?」ってたぐいの平凡でツマラナイおれ様人生を他人に見せつけつつ、そこに潜む知的欲求の願望が昇華されたストイックな哲学的考察と思って読んでいただければ、ワリカシ「是名文也」というふうにも取れること受け合い!でもこれ深読みしすぎたときの場合。
まあ日記ということで今日起きたこと。ついにやりました!なかなか揃うことのない『銀河鉄道999』(少年画報社から出ていた昔のバージョン)をコンプリートしましたよ!
いままでボクのために色々な古本屋を探してくれた、スズキさん、山本さん、HIRA、ヲリタ、アベッチ、Kou、どーもありがとう。今ボクはアンドロメダ行きの定期を手に入れた気分です。ウソです。言いすぎましたね、はい。まあ世間では、やれスターウォーズが20周年だとか、ガンダムが 20周年だとか、ドラえもんTV化20周年だとか、サザンオールスターズが20周年だとか、オレの弟のヨージ君が20周年ってどこもかしこも20と言う数字が世間について回るこの御時世になぜ宇宙空間に線路があるテッチャン漫画を買わなければならなくなったのでしょうか?そもそもきっかけナンテものは何処にでもころがっているもので、たまたまジャスコの古本市で栄光の第一巻を100えんで買ったのが運の尽き。
本棚に一巻しかないのは寂しいですからして、次の日全巻揃えてやる!と堅く決意!しかし8巻までは何処にでも置いてあるがそれ以降18巻までがなかなか手に入らないんですよ。東京、名古屋、大阪、沖縄の古本屋を調べまくったが集まったのは15巻まででした。沖縄の古本屋のおっちゃんに「何故手に入らないんですかねえ?」と尋ねたところ、「ねーもんはネエ」みたいなことを早口のウチナーグチで言われ、理解するのに2秒くらいかかって、ただウスラ笑いを浮かべることの情けなさっていったらもう情けない事この上なしでした。
で、全巻セットで売っているところは結構あったんだですよ。まんだらけに行けば「全巻セット、全初版、2万円!」なんてカンジであるんだけど、ヤッパリ気分悪いじゃん。金さえ払えばいくらでも手に入るっていう図式。嗚呼資本主義。クソッタレメガ!それに今まで買った分が無駄っぽくていけません。だからこつこつと買ってたわけさ。で、どうやって手に入れたかって?近所の古本屋で全巻セット6400えんで買っちゃいました…。
■TECHSIDE.NET (1999.01.xx)
24 Jan 1999 23:43:41
TECH NEWS始動!
テレビ、雑誌、インターネットなどなどいろんなメディアから得た情報をNEWSとして記録していくことにしました。またみなさんからの情報もお待ちしております。なおしばらくはテスト運営です。レイアウトも変わります。どうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
■一流ホームページ (1999.02.04)
妄想させてこの人の右に出る者はいない。テキストサイト界の妄想王。
■自動アンケート作成 (1999.04.xx)
前身サイトは公開投票場。
「ゆいぼーど」「ゆいぽすと」を使った、
いわゆる「私書箱」の系列。
URLがhttp://www.jan,sakura.ne.jp/~snog/であったことから管理人はsnogと呼ばれる。
後に多数の亜流アンケートサイトが生まれた。
亜流アンケート:自動アンケート+、自動アンケート作成_、ぷちアンケート作成、何でもアンケート作成等々。
■裏ニュース (1999.05.26?)
PRO-G社員であった裏ニュース君によるサイト。
CDR焼きソフト、偽装ツールや統合アーカイバ、エミュレータなどアングラよりな内容。
ニュース専門のページを作ってみました 投稿者:裏ニュース君 投稿日:05月26日(水)02時09分54秒 ■ ★
MP3、エミュレータ、CD-R、ゲームボーイ、時事などのニュースページを作ってみました。日刊更新でバリバリ更新していきたいと思います。
ちょっと重いページですが、よろしくお願いします。
今はニュースページですが、今後コンテンツ等も充実させたいと思っています。
http://www.uranews.com
■2ちゃんねる (1999.05.30)
⇒2ちゃんねる開設
■東芝のアフターサービスについて (1999.06.03)
⇒東芝サポート事件
■sawadaspecial.com (1999.07.xx?)
ちょっと変わったネタを仕入れてくるオタ系ニュースサイト。
■i-drive (1999.08.xx?)
i-driveとは無料ディスクスペースレンタルサービス。
ファイルが消されにくいことから、「われざー」(市販ソフト等を違法にアップ・ダウンロードをする人)がファイル置き場として愛用した。
通称「愛銅鑼」。
i-drive is a free internet hard drive. It is the easiest way to access, transfer and share your important files. Move from computer to computer with ease. Eliminate attachment problems. Share MP3's and digital photos.
■かまくら (1999.09.01)
テキストサイト。02年に「テキストサイト大全」を著した。サイトを作った理由は「モテたかったから」なんだとか。
9月1日(水)
宇多田ヒカル日記から来てくれた人、特にこんにちは! ってホントはリンク貼られてねえけどな。
はじめまして。雪男です。プロフィールはないです。っていうかプロフィールに自分のパソコンのスペックのことダラダラ書く人、あんたパソコンかよ。つまんねえページ作る奴に限ってプロフィールが長いんだよ。
なーんちって、日記初体験だから緊張しちゃって上手く喋れない僕、てへっ☆ ちょっとくらいキッツイこと言っても見逃してね!
じゃ、改めて自己紹介。どうもはじめまして。雪男です。現在の肩書きは大学生です。学科はアニメ・声優科で将来の夢はびっクリエイターです。使用パソコンのスペックは95万パワーです。学校では毎日声帯訓練としてクラス全員(少数精鋭)で「オッス!オラ悟空」の唱和を50回以上もやったりしているんですよ〜。なーんて感じでいいのかな? よくねえな。たぶん。
かまくら過去ログ
(かまくら )
■Kawakawa-19 旬 (1999.09.20)
9/20 ふと、いきなりお世話になりすぎている変人窟をパクって見ようと思い立ったが吉日(殴) ICQでパクリ許可願いをだして、うやむやのウチに強行採決(こら)
たびさん以外の方がここのサイトについて禁止する事はできません。ええ(撲殺)
9月の19歳日記
(Kawakawa-19 旬 )
■みんなきてKOIKOI (1999.09.30)
「お湯以外でカップメンを作る!そして食う!!」で100種類試した脅威の実験系テキストサイト。
■NariNari.com (1999.10.04)
サイト運営に人生をかけた、本気のニュースサイト。サイト運営の為に朝3時半に起床!一日五回更新!
資料:時間をつくるコツ
(FPN )
資料:第1回 「なぜホームページを開設するのか」を考えよう
(日経BP NetBusiness )
■MIZUHAの憂鬱 (1999.11.29)
後の『裏 MIZUHAの憂鬱』。『兄貴の館』掲示板に出没していた女学生ハンターみずはのサイト。
『兄貴の館』閉鎖の際には「アニキまつり」を行った。その後海外逃亡したりと何かと忙しい人。
■宇宙最強リンク集 (1999.12.02)
量より質を謳うアングラリンク集。『世界最強危険リンク集』をリスペクトしている。ちなみに『銀河最強の危険リンク集』なんてのもあった。
■テキスト庵 (1999.12.12)
日記サイト、テキストサイトの登録型リンク集。『ReadMe!JAPAN』『日記才人』亡き後も存在し続ける貴重な存在だったのだが…
■千里眼 (1999.03.31)
千里眼は1999年3月をもってサービスを終了させていただきました。ご利用ありがとうございました。
"Senrigan" was closed in March, 1999. Thank you so much for visiting our Web site.
■W32_Ska
通称Happy99。トロイの木馬の一種。Happy99.exeを電子メール経由でばらまく。Happy99.exeは実行すると“Happy New Year 1999!!”というメッセージを表示し、花火の画像が表示される。
資料: WORM_SKA(HAPPY99)
(トレンドマイクロ )
2000年(平成12年)
Google来たる
96年、スタンフォード大学の学生「Larry Page」と「Sergey Brin」が開発した検索エンジン「BackRub」。
98年、「Larry Page」と「Sergey Brin」は『Google』を設立。『AltaVista』等、先発検索エンジンのシェアを奪っていく。
その『Google』が日本にやってきた。
■ モナー誕生 (2000.01.03)
1 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:39
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おまえらも |
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
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| | | | だなぁ |
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| おまえらも|
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( ´ー`)< 暇な奴ら |
( ) | |
| | | | だなぁ |
(__)_) \_____/
2 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:42
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おまえらも|
∩_∩ | |
( ´ー`)< 暇な奴ら |
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(__)_) \_____/
3 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:43
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| おまえらも|
∩_∩ | |
( ´ー`)< 暇な奴ら |
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(__)_) \_____/
4 名前: てすと 投稿日: 2000/01/03(月) 14:44
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おまえらも|
∩_∩ | |
( ´ー`)< 暇な奴ら |
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| | | | だなぁ |
(__)_) \_____/
5 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/01/03(月) 15:51
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| お |
∩_∩ | ま |
( ´∀`)< え |
( ) | も |
| | | | な |
(__)_) \_____/
10 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/02/18(金) 02:02
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)<
( ) |
| | | |
(__)_) \_______
てすと
■ 銃夢ハンドルネーム事件 (2000.03.16〜2000.05.18)
漫画「銃夢」の作者・木城ゆきとが「龍河銃夢」というハンドルネームの人に対し、
ハンドルネーム使用を止めることをメールにて要求した。
木城ゆきとの意見が、あまりにも一方的で自己中心的な内容あったため木城に対して批判が殺到。
龍河銃夢はハンドルネームの使用を中止しサイトを閉鎖させたが、
騒ぎが大きくなり、最終的には木城ゆきとが龍河銃夢に謝罪することとなった。
資料:銃夢HN問題を記憶に止めるために
■ 西鉄バスジャック事件 (2000.05.03)
5月3日13時、西日本鉄道の高速バスわかくす号(佐賀第二合同庁舎発、西鉄天神バスセンター行き)が、刃渡り約40センチの牛刀を持った17歳の少年にバスジャックされた。
少年は3人を刺し1人が死亡した。この少年は事件直前、2chに犯行予告とも取れるスレを立てていた。
佐賀県佐賀市17歳・・・。
1 名前: ネオむぎ茶 投稿日: 2000/05/03(水) 12:18
ヒヒヒヒヒ
佐賀県佐賀市17歳・・・。
マスコミは少年が事件前に2chでスレを立てていたことを報道。2chに対しては否定的な報道であったが2chの知名度を上げる結果になった。
資料:西鉄バスジャック事件
(無限回廊 endless loop )
■ 偽ペルソナ計画始動 (2000.05.25)
『Finite Laboratory』の黒衣鯖人はペルソナウェアに対し、正しいコンセプト・良い素材であるのに生かされていないことを嘆き、自ら「偽ペルソナウェア with 偽春菜」を製作することでペルソナウェアのコンセプトの正しさを証明しようとした。
July 17, 2000 (Mon) - 遺志
俺はペルソナウェアをまともに使ったことはありません。ごく初期に数日使って、コンセプトに感嘆しつつも、すぐに全容が見えて、飽きて、そのまま使わなくなり、以降2年の間に(様子を見るために)2回程度しか起動しませんでした。そしてその2回から継続して使用を続けるようにもなりませんでした。
俺はペルソナウェアが元気だった時期のことや、あるいは春菜以外で春菜ほど有名になったペルソナの存在なども知りません。いつか書いたペルソナ考で部分的に妙な内容がある(ペルソナウェア=春菜、インタプリタ不要等)のもそのせいです。そもそもペルソナウェアが大きなコミュニティを形成したということすら知りませんでした。
ユーザとしてこのような状況なので、もちろんベンダとして活動したことは全くありません。本家の仕様はさっぱり分かりませんし、PDKをダウンロードしたこともなく、ayaoriのコードも1行も書いたことがありません。
つまり俺はペルソナウェア上で開発を行い、そのポテンシャルの低さに耐えられなくなって自作を始めたのではないです。
*
本当はもっとずっと前から作りたいとは思っていた。が、条件が揃わなかった。最後の条件が揃ったのが今年2月ごろ。
動機は、やはり春菜があまりにも凄くなかったことに尽きる。面白いコンセプトを打ち出しながらいつまで経っても進化せず、スケジュールやアラームといったどうでもいいファンクションを付けられ、売りであるネットワーク更新にも大した更新がなく、ニュースを読み切っては黙り込む春菜があまりにも無意味で痛々しかった。凄いものを作れる可能性があったのに、自らそれを破壊した。デスクトップに人を立たせて一体何がしたかったのか?本当に何も考えていなかったのか?
春菜は正しいコンセプトを持っていながら実装不足でデスクトップに立ち続けられなかった。単なる他人の下らないプログラムではなく、あと一歩惜しいところで意味のあるものにならなかったこと、それが腹立たしく悔しかった。実装の不足が生きた素材を殺してしまった。"春菜" は本当は生きて行くはずだった。遺志を継がなくてはならない。
Finite Laboratory
また、彼は後にこうも言った。「俺は saxyu に気に入られるためにこのプログラムを作り始めました」。
■ ファミコン決死隊が戦死 (2000.07.04)
ファミコンソフトをサイトにアップロードし、配布していたとして、ファミコン決死隊メンバーが著作権法違反(公衆送信権侵害)の疑いで逮捕される。告訴会社は任天堂。
逮捕されたメンバーはファミコン決死隊の管理人(ファミコン決死隊連隊長)と、都内大手プロバイダー派遣社員男性(特別相談役)、無職少年(空軍少尉)、コンビニエンスストア店員。
資料:長野県警、“ファミコン決死隊”会員ら4人を逮捕
(ASCII24 )
■ フレッツ・アイ(FLET'S・Isdn)本格提供開始 (2000.07.07)
東京と大阪では99年11月から提供されていた完全定額制インターネット接続サービス。00年7月からは正式サービスとして全国展開されていった。
7月18日にフレッツ・ISDNに名称変更。完全定額制はテレホーダイユーザーにとっては夢のようである。
しかし、時代が必要としていたのは、こんな低速回線の定額制サービスではなかった。
資料:ISDN回線によるIP接続サービス「フレッツ・アイ」の本格提供に伴う地域拡大及び「フレッツ・オフィス」の提供開始について
(NTT東日本 )
資料: フレッツ・アイ,ADSLを後目に大躍進
(ITmedia )
GOOGLE日本語検索サービスを開始
数々の受賞に輝くサーチエンジン、グローバル化を推進中
米国カリフォルニア州マウンテンビュー発. 2000年9月12日 -- 急成長中のウェブ上サーチエンジン開発会社Google社 (Google Inc.)は、数々の受賞に輝くGoogleサーチエンジンの日本語版のサービス開始を本日発表しました。このサービス拡張により、全世界のユーザーに日本語サイトでの日本語検索が実現します。日本語ユーザーの方々に世界最高のインターネットサーチを体験していただくため、Googleではプリファレンスを設定して、検索のヒントやメッセージも日本語で表示できるようになりました。
この国際化サービスは、Googleのホームページ(http://www.google.com)でご利用いただけます。ここでメニューから希望の言語を選択すると、即座にカスタマイズできます。Googleの十億以上にものぼるウェブページの索引を検索できるほか、15ヶ国語で作成されたウェブサイトの検索が可能になります。言語の選択は、Googleのウェブサイトに次回アクセスするときのために保存も可能です。
Googleの社長兼共同創設者、Sergey Brin氏は次のように語っています。「日本はインターネットユーザーが2700万人と言われる急成長市場の一つで、Googleを日本語で提供できることを本当に嬉しく思います。シンプルさ、包括性、客観性、それに的を得た検索結果への私どものこだわりは、世界のユーザーのニーズを満たしています。きっとGoogleの機能にご満足いただけることと思います。」
Larry PageとSergey Brinが考案したGoogleは、インターネットの世界規模の普及に対応するように設計されています。1998年9月にベータサイトとして開始し、翌年には商業ウェブサイトとしてオンラインスタートを切りました。そのデビュー以来、Googleサーチエンジンは、全世界に熱心なユーザー基盤を築き上げました。この成功は、ワールドワイドウェブの月次アクセス数の大幅な増加、業界からの表彰、そして顧客の支持によって今後も続きます。Googleウェブサイトのアクセス数のほぼ半分は、アメリカ以外のユーザーからのものです。
Googleのサーチエンジンは、インターネット接続機能のあるモバイル電話などワイヤレスデバイスをはじめ、どんなコンピュータでも、シンプルで高速で的を得た検索結果を提供します。そのメリットは優れた操作性、すっきりとしたインターフェース、ユーザーのクエリーに対する的を得た検索結果です。 Googleは、一番重要な結果が常に先頭に表示されるように革新的なテクノロジーをベースとしています。Googleの検索サービスの原動力である集中性とテクノロジーを駆使し、Googleはインターネットの拡大と共に向上し続けます。
9月12日に正式版となった。
資料:新世代検索「Google」に日本語ベータ版サービス登場
(INTERNET Watch )
■ 久保帯人事件 (2000.08.08〜2000.09.05)
漫画家・久保帯人が自サイトの画像をプリントアウトするなと主張。
最近、このサイトの画像をプリントアウトしている 人がいる。というちょっと
イヤな噂を耳にした。えーっと・・・・・・。 ここに来てくれる人の中にそんなのがい
るなんて 思いたくないけど、取り敢えず。止めて欲しい。と言っておきます。
これに対し、
「プリントアウト自体は法に触れない」「個人で楽しむのならいいんじゃないか」
といった意見がよせられると久保は、
法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。「プリントアウトしちゃいけない」理由がそれだけじゃ
不充分なんだろうか?
と主張した。
さらに2ちゃんねらーを煽ったことで騒ぎを大きくしてしまう。9月4日、久保帯人は謝罪しサイトは閉鎖になった。
資料:久保帯人先生、ジャンプに復活
(バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳 )
■ ペルソナウェア有料化 (2000.10.07)
「ペルソナウェア with "春菜"」のバージョンを0.97に上げ、有料化。金額は2500円。
有料化に伴い、フリーソフトであったバージョン0.93を配信終了にした。
しかし、「ペルソナウェア with "春菜"」を支えていたベンダー達はバージョン0.97へ移行せずに、
フリーのバージョン0.93のペルソナを開発しつづける。
そして「ペルソナウェア with "春菜"」よりも優れているフリーソフト「偽ペルソナウェア with 偽春菜」の存在。
ベンダー達は「偽春菜」に移行していく。
■ 河上イチローの正体が明らかに (2000.10.23)
『VAJRAYANA 真理の探究』の西村新人類が河上イチローの正体を暴露。河上イチローの正体はオウム真理教信者「カーマ・アニッチャ・パンニャッタ・パンニャーヤ・ムッタ・デーヴァ師補」。
河上のサイト『DerAngriff』は、始めは『STOP!STOP!破壊活動防止法』という名であった。
彼は破防法に反対していたわけだが、なるほど、彼は公安が破防法を適用しようとしていたオウム真理教の信者であった。
■ 『Amazon.co.jp』サービス開始 (2000.11.01)
95年にアメリカでJeffrey Preston Bezosが開店したインターネット書店『Amazon.com』の日本サービス。
資料:Amazon.comが日本でのサービスを開始、まず和洋書の販売から
(INTERNET Watch )
■ 第1回痛い度ランキング選手権 (2000.12.16〜2000.12.30)
『兄貴の館』主催で行われた、痛い系サイトの中で最も痛いサイトどこかを決めるという選手権。
優勝は『兄貴の館』。「ホモゲー大好き」というわけの解らない属性を持つ人なので優勝は当然か。
兄貴はテキストサイト界に痛い系という分野を切り開き、且つ、その頂点に君臨するという偉業?を成し遂げた。
前回を上回る108の痛いサイトが参加した非モテ系クリスマス特別更新イベント。
■はっぴい!ぱらだいす! (2000.01.09)
02年7月より始まる『駄文にゅうす 』というコンテンツが有名。
Parallels2(10:00):なるほど。では『駄文にゅうす』開設の動機については?
From E:個人ニュースサイトを見始めてある程度巡回するサイトが増えた頃に、「どうして何処のサイトも同じ様なネタや記事を紹介しているのだろう?他からネタを引っ張らずに独自にネタ探しをするのはそんなに難しい事なのか?」、また「ネットウォッチ板で言われているような、馴れ合い無しでもアクセス数は増えてゆくものか?」とまぁ思った訳ですが、外野からぶつくさ言っていても判らないので検証がてらに始めました。
『駄文にゅうす』From Eさんインタビュー
(Parallels2 )
■駿河電力 (2000.02.02)
元々は東北電力の「エコアイス」の説明とかイラストとかのサイト。03年8月より『駿河電力/スク水.jp』としてニュースサイトになる。
■活動漫画館 (2000.02.13)
GIFアニメーションサイト。「機動戦士のんちゃん」で見せた脅威の画力と演出力は人々を驚かせた。
■RZ-CONSENT (2000.02.28)
現:『MoRinono』。
Flashアニメーションサイト。01年に公開した「つきのはしずく」で有名になった。
Flashアニメーションの可能性を示した人。
■GIGAZINE (2000.04.01)
ニュースサイト。元々は個人運営サイトだったが商用に転じた。その手の代表的サイト。
2009年05月27日、『GIGAZINE』は「楽天、利用者のメールアドレスを含む個人情報を「1件10円」でダウンロード販売している」という記事を書いた。
楽天は、店舗側へのカード情報提供を認めた。
2010年08月02日、『GIGAZINE』は「【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します」という記事を書いたが、
その内容は求人募集というよりも現社員への愚痴・文句であったため、話題になった。
■2ちゃんねる研究 (2000.06.21)
2ちゃんねるを中心としたネットウォッチ。CNP(Channel News Project)を立ち上げた。
今は2ちゃんねる簡易年表 が残っている。
■Google (2000.08.03)
⇒Google日本語β版登場
■俺ニュース (2000.09.13)
techleが『自動アンケート』でアンテナ低いと煽られたことがきっかけ。やがて孫ニュースサイトの最大手に。
資料:俺ニュースのミラー
■Amazon.co.jp (2000.11.01)
⇒Amazon.co.jpサービス開始
■CD-R実験室 (2000.11.xx)
CD-R、DVD-Rドライブ買いまくりなドライブ購入歴が凄すぎる。圧倒的なドライブ所有数を武器にSafeDiscなどのプロテクトに果敢に挑戦するサイト。
■ほたて製作所 (2000.12.xx?)
後の『ホタテプロダクツ』。2001年10月17日から羅列形式でFlash動画の紹介を始める。3大Flash系ニュースサイトの一角。
■復元プロジェクト (2000.06.02)
一身上の都合により、5月をもちまして開発およびHP運営を終了いたします。
よって新たな形式追加等の要望は実現できないのでご了承くださいませ。
サポートBBSは終了しました。またサポートも期待しないでください。
復元プロジェクト
■DerAngriff (2000.10.23)
9月23日、「河上イチローがネット上から消滅する」ための布石として副管理人を募集。
10月23日、DerAngriffのコンテンツを副管理人に託し、河上イチローはWEB界から消滅する・・・はずだったのだが。
というわけで、さよならです。私は消えます。皆さん、どうもありがとうございました。
新・Der Angriffは、すべてのネットワーカーの共有財産となりました。それぞれに育ててみてくださいね。
∩_∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
Λ( ´∀`)< それじゃヽ(´ー`)ノ♪
( ⊂ ⊃ \_______
( つ ノ ノ
|(__)__)
(__)__)
■うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい
西村博之が西鉄バスジャック事件について「ニュースステーション」の取材を受けたときの発言。
■機動戦士のんちゃん
描き込みが凄すぎるGIFアニメ。丁寧に描かれた戦闘シーン。なめらかで、かつスピード感のある動きが素晴らしい。
■The Mother Mars 0
森野あるじの初期作品。
彼のアニメーションは空を飛ぶシーンに特徴があるのだが、
初期作品であるこのアニメーションにもその特徴が出ている。
キャラの動きは大味だけれども、カメラワークを工夫することでスピード感を出し、
よく動いているように見せている。
2001年(平成13年)
テキストサイトブーム
2000年、『ろじっくぱらだいす』や『兄貴の館』の活躍によってテキストサイトの人気が上がってきていた。
そして01年、『侍魂』が登場。「先行者ネタ」が大ヒットした。
さらには『ちゆ12歳』が登場。『ちゆ12歳』は「裏ニュース効果」によってすぐに知名度を上げる。
テキストサイト界隈は一気に活性化。
第二の『ろじっくぱらだいす』、第二の『侍魂』、第二の『ちゆ12歳』を目指すテキストサイトが多数発生した。
しかし、これら模倣サイトの多くはすぐに消えていった。「おもしろい文章を書く」、
それはとても難しいことだったのだ。
■ 『侍魂 』開設 (2001.01.18)
一大ブームを巻き起こしたテキストサイト。計算されたテキストで計算通りに人気となった。笑いどころに大きいフォント・派手な色を使うことで文章に強弱を付ける「ABC文法」に改行の大胆な使い方をプラスすることで、お笑いで最も重要な「間」を出すことに成功。ここに「フォント弄り」技法は完成し、それを用いて数々の名テキストを公開。特に先行者ネタは大ヒット、テキストサイトに興味が無かった人達を引き込んでいき、テキストサイトブームのきっかけを作った。 01年1月に登場し、その年いっぱいまで活躍。02年以降は健の就職により、更新停止に近い状態。このサイトの影響でフォント弄りを駆使したサイトが数多く登場したが多くはすぐに消えていった。
毎日更新はできないと思いますが日記形式にしたことによりあるていどの更新速度は保ちたいと考えております、もしよろしければブックマークに侍魂をよろしくお願いします
1/19 祝オープンから10時間
(侍魂 )
資料:健さんロングインタビュー(前編)
健さんロングインタビュー(後編)
(AllAbout )
資料:エッケ・ホモ!これがメガヒット級の個人サイトだ
(INTERNET Watch )
■ 偽春菜騒動 (2001.01.25〜2001.03.xx)
「ペルソナウェア with "春菜"」の開発元であるプラエセンス・翼システムは、「偽ペルソナウェア with 偽春菜」の黒衣鯖人に対し「ペルソナウェア」「春菜」「 haruna 」などの名称の使用中止を求めるメールを送信。「上記期間内にご回答なき場合は、当社としても、断固たる措置を採用せざるを得ませんので、ご承知置き下さい」とのこと。
これに偽春奈ユーザーが怒り、署名兼公開質問状をプラエセンスに送付。プラエセンスは公開質問状を黙殺した。
資料:偽春菜問題、概要
(はじめての偽春菜“問題” 跡地 )
VNI開祖。持っているネタの多さとそれを面白文に加工する技術に長ける。『裏ニュース』からの紹介(いわゆる裏ニュース効果)で一躍有名になり、
テキストサイトブームを支えた。多くのフォント弄り系サイトを生みだすこととなった『侍魂』、痛い系サイトを生みだすこととなった『ろじっくぱらだいす』と同様に、『ちゆ』も多くのちゆクローンを生みだした。 02年9月、ちゆ12歳ポータルを開設し、「ちゆネット(ODNの「まるごとプラス」+ちゆドメインのメールアドレス)」「ちゆショップ(携帯電話に張るシール、マウスパッドを販売)」などの商売に乗り出したが話題にはならず。02年以降、更新は滞り気味。
はじめまして。私は、仮想世界に生きる”電子の妖精”ちゆといいます。実体を持った女性よりも空想の美少女が好きだ!という二次元コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアイドルです。どうかよろしくお願いします
バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳
■ 『侍魂』、先行者ネタを公開 (2001.03.03)
中国で作られた突っ込みどころ満載な謎のロボット「先行者」。『侍魂』はこの先行者を面白おかしく紹介。
この記事によって『侍魂』は超大人気。テキストサイト界隈は一気に活性化。第二の侍魂を目指すテキストサイトが多数発生した。
資料:最先端ロボット技術 、最先端ロボット技術外伝
(侍魂 )
■ 吉野家コピペ誕生 (2001.04.07)
『Not Found 』で吉野家コピペの元となる文章が書かれる。
新作出来ました!人生とはセパタクローである、ってやつなんですけど。
聞きたいっすか、いいっすか、そうですか、遠慮しますか。分かりました。
と、まあそんなこんなで、アクセス者の95%がメガネという
脅威のサイトN・FOUND、今日も始まったわけですけど。
昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、150円引き、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、150円引き如きで普段来てない吉野家に来てんじゃねーよ、ボケが。
150円だよ、150円。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で吉野家か。おめでてーな。
よーしパパ特盛頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、150円やるからその席空けろと。
吉野家ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、大盛つゆだくで、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、つゆだくなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、つゆだくで、だ。
お前は本当につゆだくを食いたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、つゆだくって言いたいだけちゃうんかと。
吉野家通の俺から言わせてもらえば今、吉野家通の間での最新流行はやっぱり、
ねぎだく、これだね。
大盛りねぎだくギョク。これが通の頼み方。
ねぎだくってのはねぎが多めに入ってる。そん代わり肉が少なめ。これ。
で、それに大盛りギョク(玉子)。これ最強。
しかしこれを頼むと次から店員にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、牛鮭定食でも食ってなさいってこった。
PS.ACさんお金貸して下さい。
■2001/04/07 (土) ■
(Not Found )
資料:吉野家コピペの歴史
一般人が共同で執筆・編集して作り上げる百科事典『Wikipedia』に日本語版が登場。 01年〜02年時はまだ無名であった日本語版Wikipediaであったが03年に『Wired News』や『スラッシュドット・ジャパン』で紹介され一気に知名度をあげることに。
■ 小泉内閣メールマガジン創刊 (2001.06.14)
毎週木曜日に発行。創刊号は78万部。200万部を超えていた時期もあった。06年9月21日の第250号が最終号。
● メールマガジンの創刊にあたって
小泉純一郎です。私のことを「変人」とかライオンのような髪型ぐらいし
か知らない方も多いのではないでしょうか。この「小泉内閣メールマガジン」
で、小泉内閣の素顔を知って頂きたいと思います。
私の内閣は「改革断行内閣」です。この改革の成功には、皆さんとの対話
が不可欠です。メルマガで、私の、そして小泉内閣の考えをお伝えし、また
皆さんのご意見もうかがい、この国をどのような国にしていくのか、世界や
子どもたちに誇れる国にするにはどうしたらよいのか、住みやすく、働きや
すく、憩いのある国に向けて何をするべきなのか、是非、皆さんと一緒に考
え、実現に向けて努力していきたい。見直すべきものは見直し、守るべきも
のは守り、よい国を創っていきたい。それが小泉内閣の目指すものです。
私は、改革の過程を皆さんに明らかにし、広く理解と問題意識を共有して
いきたい、「信頼の政治」を実現していきたいと考えています。情報をどん
どん発信します。皆さんからのご意見、ご提案を歓迎します。そして一人ひ
とりが「本当に日本はいい国になったな」としみじみと感じる、そんな国を
築いていきましょう。
メルマガも最初から完璧なものはできません。まず、できることから始め、
皆さんの意見を取り入れ、どんどん良いものにしていくというのが私の考え
です。小泉内閣の政策も最初から完璧なものはできません。皆さんの意見を
取り入れ、よりよいものにしていきます。
皆さんの積極的な参加をお待ちしています。
小泉内閣メールマガジン創刊準備号
(首相官邸ホームページ )
■ 8月危機 (2001.08.25)
データ転送量が増加の一途を辿っていた『2ch』だが、遂に限界に達した。
転送量を抑えるために掲示板が次々と閉鎖され、住民は『2ch』閉鎖を意識するようになった。
841 名前: 夜勤 ★ 投稿日: 2001/08/25(土) 00:56 ID:???
いやー、どの板が悪いとかじゃなく、、、
はっきり言ってしまえば「限界」が来たということでごあす。
【ebi&curry鯖重過ぎます Part3】
そんななか、Perler氏がUnix板の「2ch閉鎖の危機なんだと」スレにてread.cgiの改良(出力のgzip化)を提案。
夜勤氏はread.cgiのコードを公開し、Perler氏はこれに改良を加えた。これによりデータ転送量を抑えることに成功。
閉鎖された掲示板は次々と復旧していった。
資料:モナジェクト X 「挑戦者たち」
資料:ある騒動の記録
(フラッシュ倉庫 )
■ 葉鍵板最萌トーナメント (2001.10.17〜2002.03.09)
Leaf,Keyキャラで誰が最も萌えるかを決めるイベント。
一対一で人気投票を行い、得票数の多い方が勝ち進むトーナメント方式。
約5ヶ月にも及ぶ長いトーナメント戦が行われ、決勝戦は柏木千鶴(痕)vs倉田佐祐理(Kanon)。
数多い葉鍵キャラの中から最萌キャラに選ばれたのは柏木千鶴であった。
このイベントの成功により03年辺りまで、「2ちゃんねる全板人気トーナメント」「2ちゃんねる全AA人気トーナメント」
「「何か。」最萌トーナメント 」など多数のトーナメントが行われた。
■ ろじぱらパクリ疑惑2001 (2001.11.24)
あるサイトがろじっくぱらだいすに日記をパクられたと主張した。が実際パクったのはあるサイトのほうであったのがばれる。偽装工作が見破られたあるサイトはさっさと逃げていった。
資料:ろじぱらは他人の日記をパクったのか?
(ろじっくぱらだいす )
■ WinMXで逮捕者 (2001.11.28)
京都府警が東京都と埼玉県の男性2人を著作権侵害(公衆送信権の侵害)の疑いで逮捕。
逮捕された男性は、東京都杉並区の大学生(19歳)と埼玉県さいたま市の専門学校生(20歳)の2名。
編:そして『WinMX』を使い始めたのはいつ頃からですか?
A:去年の5月〜6月頃ですね。『WinMX』以前は『Napster』を使ってました。
『Napster』だとMP3落とすのが楽だよ、という話は前から聞いていたんですけど、
実際は使ったことがなくて。で、漫画喫茶とかインターネットが使えるところがあるじゃないですか。
そこにいったら普通に『Napster』がインストールされてて。それで使ってみたら『ああこれは便利だな』と思うようになって。
それからファイル交換を始めました。
編:・・・それ、すごいネット喫茶ですね。場所は?
A:さいたま市なのですが、そこは生のCD-Rも売ってて、音楽CDのレンタルもやってましたね。
編:『Napster』でダウンしたファイルをその場で購入したCD-Rに焼いてもOKだし、レンタルしたCDをコピーすることもできる、と。
A:はい。これって、いいのかなー? とは思ってましたけど・・・。
編:それは、去年の話なんですか?
A:去年の年頭になりますね。それで5月頃に『Napster』のサーバーが停止するっていう話になった時に『WinMXだったらMP3だけじゃなくていろんなファイル落とせるよ』
というのを教えてもらって、そこで使いはじめました。
編:最初の目的は、MP3?
A:そうですね。掲示板とかにアップされているファイルを拾ったりもしていたんですけど、
せっかく見つけてもファイルがデリられてたり、偽装が何重にもかけてあったりとか。
それが面倒で『Napster』をやったらこりゃ楽だ、と。
検索すれば一発で見つかるし。だから『Napster』が駄目になったら次のツールを、ってなりますよね。
世界初のWinMXによる著作権違反逮捕者独占インタビュー(DEEPNET VOL.01)
資料:「WinMX」で「Adobe Photoshop」などを交換した男性らが逮捕
(INTERNETWatch )
■ リレー801SS「学園天国」 (2001.12.09〜2001.12.24)
『ろじっくぱらだいす』のワタナベと『えこのみっくぱらだいす』のヤマグチを主人公にした801小説(ようはワタナベとヤマグチがホモる小説)を7サイトでリレーして書いていこうという企画。
このホモ企画の主犯はもちろん『兄貴の館』の兄貴。
■ 第2回痛い度ランキング選手権 (2001.12.16〜2001.12.30)
優勝は『ろじっくぱらだいす』。リレー801SS「学園天国」においてトリをつとめさせられ、クリスマス中に『ろじっくぱらだいす』のワタナベと『えこのみっくぱらだいす』のヤマグチとのからみのシーンをワタナベ自ら書いたことが決定打になった。
■ 田代祭り (2001.12.19〜2001.12.xx)
米国「TIME」紙が選出する「Person of the year 2001」のインターネット投票で
田代まさしを1位にしてしまおうという祭り。
【米TIME紙】田代がビン・ラディン抑え世界一!
1 名前: 鉄腕28号 ◆Atom.28g 投稿日: 01/12/19 14:25 ID:/XAFIJE7
2001年を締めくくるに、ふさわしい祭りです!
米【TIME】紙が「Person of the 2001」の投票を行っています。
75年の歴史を誇る由緒正しい賞で、過去には「ヒトラー」や「レーニン」
なども選出されています。
本年度、現在までのトップはやはり「ビン・ラディン」で
2位以下は、「ブッシュ大統領」「ジュリアーニ N.Y市長」と続きます。
田代まさしが「ラディン」「ブッシュ」「ジュリアーニ」を越え
世界一となる、又とないチャンスです!投票もかなり簡単です。
吾らが教祖、田代氏が、世界一の重要人物になれるよう清き1票を!
アメリカ人を驚かせてやれ!(藁
【米TIME紙】田代がビン・ラディン抑え世界一!
自動投票スクリプト「田代砲」を使い、
2位のオサマ・ビン・ラディンに大差をつけて1位となったが、予想通り?田代の項は削除され、
ニューヨーク市長のジュリアーニが「Person of the year 2001」になった。
資料:1位はなんと?TIME「PERSON OF THE YEAR」投票にネットの“力”
(ITmedia )
■侍魂 開設 (2001.01.18)
⇒侍魂開設
■バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳 (2001.02.14)
⇒バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳開設
■All About Japan (2001.02.15)
アメリカのサイト『About.com』の日本版。About.comとリクルートとの合弁会社「(株)リクルート・アバウトドットコム・ジャパン」が運営。
■かーずSP (2001.04.22)
初期はゲームのセーブデータとレビューがメインコンテンツ。やがてFlash動画に強いニュースサイトへ。3大個人ニュースサイト「KKG」の一角であり、3大Flash系ニュースサイトの一角でもある。
■絵日記でもかいてみようか (2001.04.xx)
絵日記サイト最大手。ほのぼのひとコマ絵日記。
■スラッシュドットジャパン (2001.05.09)
米『Slashdot』の日本版。後の『スラド』。
■Wikipedia日本語版 (2001.05.xx)
⇒Wikipedia日本語版登場
■NuBoNBA (2001.05.xx?)
『2ちゃんねる』ネタやFlash動画を紹介していた個人ニュースサイト。Flash動画紹介サイトの先駆け。
管理人のhayatoは後にプロブロガーのイケダハヤトとして一躍有名に。(サイトFlash動画を紹介サイトとして有名になったのは2001年だがサイト自体はこれ以前から存在?)
■宇佐教授の無駄学研究室 (2001.07.01?)
うーさーという動物的なキャラクターを使ったテキストサイト。
うーさーの凄いところは後にアニメ「うーさーのその日暮らし」のキャラクターになったところ。これほど出世するとは。
■D-STUDIO (2001.06.17)
後の『ヨガ鳥』。
ヨガ鳥は「戦え!キッコーマソ 」
「(゚∀゚)ラヴィ!! 」等のFlashで有名に。
戦え!キッコーマソは何故か外人に大ウケ。ヨガ鳥は英語版Flashも製作した。
Sun 17 Jun,2001
Diary of A Madman
このページを作成。「のんびり」をモットーにすすめていこうと思う。まずは日記。タイトルは"Diary Of A Madman"と命名。言わずと知れたオジー・オズボーンの名曲からの引用だが、今後、私が書いていくだろう内容が表題の通り「狂って」いかないことを祈る。
■スレの杜 (2001.06.29)
2chスレ紹介サイト最王手。
サイト更新停止前の最期に紹介したスレは「ちんこ音頭に投票してカラオケ入りを実現しよう」。後にスレを紹介しない普通のブログになった。
■僕の見た秩序。 (2001.06.30)
元々は写真素材+日記サイトで02年10月までの日記は普通の日記だったのだが11月からフォント弄りを多様するようになり、11月中には現在のスタイルを確立する。
その後は快進撃。連載、ライブ、出版、グッズ販売と勢力的に活動。
テキストサイト界のみならずWEB界全体からみても最も成功した個人サイトの一つといえる。
『侍魂』が現れて以降フォント弄り技法が流行し多くのサイトがその技法を真似、そしてその多くが技法を生かせず消えていった中、僕秩はフォント弄り技法を生かし、元々持っていた画像加工技術と組み合わせて僕秩のスタイルを確立した。
■人力検索サイトはてな (2001.07.15)
人が答える検索サイト。簡単に言うと多機能質問掲示板。
■カトゆー家断絶 (2001.07.15)
毎日かなりの数のリンクを貼るサイト。ゲーム、アニメの話題が多い。3大個人ニュースサイト「KKG」の一角。
■ドラサイト (2001.08.17)
Flash動画で人気を得たサイト。制作する動画の元ネタは「ドラえもん」「特撮」「Hatten」「wasabi」等だが、内容がとにかくめちゃくちゃ。シュールというか…ヘタウマというか…思いついたままに動画にしたというか…なんというか…普通の人には制作出来ないセンス。
だがそれが良かった。特に出落ちネタの切れ味は鋭かった。
■ばーちゃんネットアイドルちよ74歳 (2001.08.28)
ばーちゃんネットアイドルとは、バーチャルネットアイドルをボキャぶったものです。
本家のちゆちゃんは、ネットで写真や日記を公開している二次元の女の子です。でも、ちよは思いつきで存在しています。思いつきで作られた老婆ですから、上の全身像もただのらくがきです。
ちよには旦那もいますし、孫もいます。人生終わった感が非常に強い、旧世代のばーちゃんと言えます。
■ふたばちゃんねる (2001.08.30)
数々のネタキャラやブームを生む。一番有名なブームは「うほっいい男!」だろう。「 や ら な い か 」
資料:二次裏キャラクター解説
(陛下保管庫 )
資料:ねないこ だれだ
■半跏思惟 (2001.10.03)
河上イチローのサイト。オウムはアレフになって危険ではない教団に変わったことを主張し、アレフになっても変わってはいないと主張する評論家達を批判していた。なぜオウムの十字架を背負い続けるアレフにいなければならないのか、ということについて、
「かつてオウムにいたからこそ、その烙印を背負い、十字架を背負うことこそが「責任を取る」ことにつながるのだろうと思っています。」
と語っていたのだが・・・・・・
★このサイトの目的
このサイトは、宗教団体・アレフの出家修行者であるサイト開設者が個人的に考えていることなどを表現する場として、設けられました。
■1ch.tv (2001.10.05)
西和彦がプロデュース、あめぞうがディレクターを務める大型掲示板。
「web上の情報は無料」という既成概念にはプラスの側面とマイナスの側面があります。
ジャンク情報・中傷の少ない、情報価値の高い、有料に値するサイト。
それが私たちの目標です。
1ch.tvは、個人と個人が価値ある情報を小額決済によってやりとりする、情報の流通センターを目指しています。
ご案内
(1ch.tv )
とのことだが目標には遠く及ばず。
資料:教科書には載らない「1ch」の歴史
(ちゆ12歳 )
■本日の厳選モノ茜17歳 (2001.10.18)
量産型ではないVNI。開設当初からVNI系というよりはニュースサイト系な感じ。
readmeランキングにおいてVNIで最初に『ちゆ12歳』を抜いた。
■自動アンケート保存 (2001.12.03)
後の『自動アンケート+』。ナトリアンともいう(管理人がnatoriなので)。
■山本総翼右ムェゲ (2001.04.28)
国の命により閉鎖
首相官邸に呼び出されて Dr. マシリト(小泉首相)にこっぴどく叱られたため、2001/4/28 をもって当サイトの更新を終了しました。
遠藤雅伸氏と当サイト閉鎖の関係が噂されているようですが、 体の関係以上は何もありません。
党首の遺言:「サイト閉じた後に遠藤さんの話を知ったよ。国民の諸君、遠藤氏に迷惑かけんように」。
「遠藤さんの話」とは2chスレで山本総翼右ムェゲの管理人の所属と名前を
遠藤雅伸氏(ゼビウスの作者)が書いてしまったこと。
■i-drive(個人向けサービス) (2001.06.08)
■OCNnavi (2001.06.08)
日本のインターネット黎明期を支えた登録型ディレクトリ検索サービス『NTT DIRECTORY』。役目を終える。
■ムーノーローカル (2001.08.19)
ムーノーローカルはもともと終了することを念頭に置いて企画されました。どんな風に立ち上げて、どういう風に運営し、どうやって終わろうかとずっと考えながらやっていました。あらゆる個人によるwebサイトはいつでもそれを終わらせることができます。ある日、突然更新するのをやめればいいのです。もしくは、人気がないとか、日常生活が忙しいとか、生活の変化とかいう理由をつけてやめてしまえばいいのです。僕はそれは嫌でした。この読み物を正しい形で大団円へと導かなくてはならないと最初から思っていました。それは、毎日更新されるwebサイトが毎日更新するということ自体を自分に義務づけているのと同様に、当然であると僕個人は考えました。webサイトにだって、他のメディアにあり得るような作者の意図による終わりがあってもいいと思いました。
ですから、ムーノーローカルが人気があっても、誰も読んでいなくても、僕はある程度の期間更新を続け、そして終了させるんだと決めていました。それをすべてやって初めて「ムーノーローカル」という読み物ができあがると思いました。
具体的な終了の時期は、誰もがムーノーローカルがあって当たり前だと思う頃にしようと思いました。初めの頃、このサイトを見る人の多くは、「こんなやり方ではまったく更新を持続できないだろう」と言いました。だから僕はそう思われているあいだは絶対にやめないことにしたのです。その人が思いもよらないものが、もしくは望まないものが、存在し続けるということを証明するために、僕はこのサイトを終わらせませんでした。あなたの予想通りになってばかりの世の中なんてないよと僕はその誰かに対して言いたかったのかもしれません。僕はひねくれ者なので、常に定石通りに物事は運ぶという考えが許せなかったのでしょう。
ですから、よく「毎日更新していて飽きませんか」と問われましたが、飽きる以前の問題でした。ただ更新が当たり前のように続いている状態に至るまで、僕は続ける必要があったのです。文章を書くことだけが目的だったら、飽きるとか、誰かに文句を言われるとかいう理由でやめていたのかもしれませんが、僕は「誰もがこれがあって当たり前だと思うようになるまで続ける」というのが最大の目的だったので、へらへら笑って更新し続けました。飽きるという意味では、始めて一週間くらいで文章を書くことはイヤになってしまいました。僕は飽きっぽく、しかも文章を書くのが遅かったからです。日記だって3日以上続いたことはありません。しかし、これは日記ではありません。公開されたなんらかの読み物でした。だから僕は完結を目指して書き続けました。
そして、誰もがこれをあって当たり前の読み物だと思うに至った頃、僕はようやく全部を終了させることにしました。この読み物がずっと続くと考えた方もいらっしゃいましたが、やっぱり世の中はその人の予想通りになんてならないのです。それは読者の皆さんに対する裏切りでしたが、僕の一つの考え方でした。僕はそれを皆さんにお見せしたかったのかもしれません。
そして、これが失われた時、ずっと続いていくと思っていた物が突然なくなって、読者の皆さんは悲しいだろうか、もしくは作者は悲しいだろうか、と思いました。悲しいとすれば、誰もがその悲しい気持ちを忘れたりするのだろうか、とも思いました。我々はあらゆることを忘れるようにできています。そのこと自体は幸福ですが、それなのになぜ誰もが「このことを永遠に忘れない」と言うのだろうかと僕はいつも考えています。だから、突然笑いながら消えていくものを、読者の皆さんは、そして僕は、忘れないでいたいと思うだろうか、そして忘れるだろうか、と思い、それをやってみることにしました。もし、あなたがこのサイトのことをずっと後まで覚えているようでしたら、ネットや社会生活の中で、「ひょっとして、この人があの人だったのだろうか」と思うような人に出会った時に、「昔ムーノーローカルというページがあって…」という話でもしてみてください。話されたのが僕だったら、僕はヘラヘラ笑いながら「僕がやっていました」と答えましょう。しかし、もちろんそんなことを忘れてしまっても、僕は全然かまわないのです。
終了の理由を問われて、以上のような話をいろいろな形で何度も答えましたが、どうしても背後に僕個人の理由があると考えたい方もいらっしゃったようでした。何もありません。そもそも、僕個人の生活とこのサイトは極力切り離そうと思っていました。蛇足になりますが、だからこそ僕の生活が大変なあいだは、終了は絶対にしないでおこうと思いました。このページが「疲れた」「飽きた」「運営が嫌になった」「誰かの圧力で」「身上の都合で」などの理由で終わったりするものであってはいけなかったのです。
「個人のwebサイトで、しかもクソくだらない内容のくせにそんな考え方を持ち出すなんて、ずいぶん格好いいことを言うんだな」と笑われもしました。しかし、僕にとっては最初からそういうものでしたし、僕はクソくだらないことをやるには大まじめでなくてはできない人間です。名残惜しくないわけではありませんでしたが、最初に思った形で終了させることができて、皆さんにたくさんの言葉をいただいて、本当によかったと思います。この読み物の完結を惜しんでくださって、祝ってくださって、気にしないでくださって、ありがとうございました。
上にも書きましたが、このサイトのことは忘れていただいてかまいません。僕は言葉というまったく不完全なインターフェイスしか信じるものがないので、しかたなく言葉を信じているような人間ですから、あなたが「忘れない」と言ってくれたことや、僕がこれを忘れないと思っていることを信じることができます。しかし、どのみち僕は人間について諦めながら暮らしている人間でもありますから、僕やあなたがこれを忘れてしまうことを否定できませんし、もうずっとそんなことを悲しんではいけないと思って生きています。だから、言葉だけを大切にしておわかれしましょう。
今までありがとうございました。それではさようなら。僕はあなたのことをいつまでも覚えています。
同時にrhymeがムーノーローカルをやっていく上で考えたことを記した「解題・ムーノーローカルの作り方」を公開した。
■裏ニュース (2001.12.03)
裏ニュース君(1の方)のプロジー退社に伴い、終了。
■Ping=0 (2001.12.03)
seidaiのプロジー退社に伴い、終了。
突然ですが、本日を持ってping0の運営を終了とさせて頂きます。
理由は諸事情により会社を退職し、これまで会社の好意で借りていた
サーバー、ドメインが使えなくなってしまうからです。
ping0というサイトがのサイトがここまで大きくなったのは、私の志に賛同し、応援し
てくださったスタッフとパートナーサイトそして日々、http://www.ping0.comに接続
してくださる読者の皆様のおかげです。私がping0をはじめたきっかけは、1999年当時
日本国内にオンラインゲームを真剣に取り上げているサイトが無かったことから「それ
なら自分で作るか!」という勢いからでした。今も昔も変わらないことですが、その内
容は海外の情報サイトから日本人にも興味が持てる情報をピックアップ。翻訳して紹介
するというもので新作ゲームのデモ版が出れば真っ先にプレイして、その内容を出来る
だけわかりやすく解説していました。
2001年も今月一杯で終了。年をあければサイトオープンから2周年、そしてカウンタ
ーもまもなく300万を迎えるわけで、サイト運営にピリオドを打つには、少し早い気
もしますが、ping0がきっかけでオンラインゲームの魅力に気づいた方は大勢いらっ
しゃるようですし(稀にメールが届きます) 99年当時に比べればオンラインゲーム
を取り上げるサイトも大幅に増えています。そして企業の見る目も変わったようで、
積極的にPCのオンラインゲームを取り上げるようになりました。よって、“オンライ
ンゲームの啓蒙”を掲げてきたping0というサイトの役割は十分に果たされているのでは
無いかと感じる今日この頃です。
ご存知のとおり、当サイトでの紹介をきっかけにRAGNAROK ONLINEというゲームが大フ
ィーバーで、光栄にも当サイトは開発元オフィシャルのミラーサイトとしてβクライ
アントの配布を要請されているのですが、あまりの人気でサーバーに常時負荷が掛か
ってしまうことから配布をメールによる先着制という形を取らせて頂いております。
これも今後はサーバーを使うことが出来なくなってしまうことから、ファイルの配布
を続行することは出来ません。しかし、うちの代わりに配布してくださるとある企業
と既に話がついていますので、近日中にはそちらからのダウンロードが可能となるで
しょう。どうぞご期待ください。
この閉鎖によって多くの方にご迷惑をお掛けすることを、この場を借りてお詫び申し
上げます。メールの方は当分使えますので、苦情や質問などはここにではなく
seidai@ping0.comまで直接お願いします。
最後の最後になりましたが「どうもありがとう!」
■ちよ74歳 (2001.12.27)
最後はムーノーローカル閉鎖時のパロディ。
■吉野家コピペ
⇒吉野家コピペ誕生
■ボクの肛門も閉鎖されそうです
ボクの肛門も閉鎖されそうです
1 名前: 真夏の名無しさん 投稿日: 01/08/26 15:18 ID:???
閉鎖します。
8 名前: 真夏の名無しさん 投稿日: 01/08/26 15:20 ID:???
>>1よ。お前みたいな奴をみると、あの日のことを思い出すよ。
2001年8月25日。2ちゃんが本格的に閉鎖になりかけた日だよ。
転送量が多すぎて、費用が月700万もかかってるって発表されて、「数日中に閉鎖」って予告されてさ、
その日のうちにあっちこっちの板が封鎖されてた日だよ。
あのときのUNIX板の住人、カッコよかったんだぜ。「総力を結集」ってのはまさにああいう状態だよ。
転送量を1/3に削減しないと閉鎖、ってもんだから、新しいプログラム組んでさ、
そしたらほんの何時間かで完成したんだよ。それが聞いてくれよ、目標は1/3だったのに
1/16まで圧縮に成功しやがったんだよ。職人技なんてもんじゃねえよ、神技だよ。
でもよ、そうやって頑張る人がいた一方で、「ボクの肛門も閉鎖されそうです」とか駄スレ立ててたバカも
いたわけだよ。ちょうど、今のお前みたいにな。
だからよ、俺たちは総力を結集して、お前のバカ度を1/16に圧縮しようと思うよ。
ま、圧縮後でもお前のバカ度はこの世に生かしておくことのできないレベルだけどな。
要するに俺らの力を結集してもお前を助けることができないってことだ。
わかったら、まわりに迷惑をかけないようにひっそりと死んでくれよな
ボクの肛門も閉鎖されそうです
■もうだめぽ
「もうだめっぽい」という意味。WinMXを利用していた会社員、やすだゆういちが最後に発した言葉。
80 名前: 投稿日: 01/11/30 07:04 ID:/jDnbtss
自分の部屋、二階なんですが。
いま下で、親と警察らしき人たちが押し問答やってるんですが、、、
いや、まじで、、、
82 名前: 投稿日: 01/11/30 07:06 ID:/jDnbtss
てゆか、うちの親なんかないてるっぽい、、、
88 名前: 投稿日: 01/11/30 07:08 ID:/jDnbtss
とりあえず、部屋のカギかけました。
手、ふるえまくり。
おれも、なきそう、、、
なんでえええええええええええええええええええええええええええええ
113 名前: 投稿日: 01/11/30 07:17 ID:/jDnbtss
やすだゆういち
あああ、、、、
やっぱ警察だよおおお。
いま、あけなさいってゆったあああああ
122 名前: 投稿日: 01/11/30 07:19 ID:/jDnbtss
22歳
てゆうか、おれ神だね。
警察、説得モードにはいってきた。
ちょっと、おちついてきました、、、、
137 名前: 投稿日: 01/11/30 07:22 ID:/jDnbtss
会社員
あぷりおんりー
あああ、手またふるえてきた、、、
145 名前: 投稿日: 01/11/30 07:24 ID:/jDnbtss
えいがもあったなああああ
あとえみゅもお。
なんか、ハイ
154 名前: 投稿日: 01/11/30 07:25 ID:/jDnbtss
そと、ちょっとしずかになた
そとで、はなしごえ
おや、いまだに泣き
174 名前: 投稿日: 01/11/30 07:30 ID:/jDnbtss
煽ってるっみんながうらやましい
さっき、泣き声でおやになまえよばれた
あと、車?ぱと?がもう一台きたっぽい
194 名前: 投稿日: 01/11/30 07:36 ID:/jDnbtss
またきた
202 名前: 投稿日: 01/11/30 07:38 ID:/jDnbtss
かぎのおとが
おやがかぎわたしや
もうだめぽ
MX残り250人土曜日に一斉検挙されるが
書き込みが真実なのかネタなのかは不明。
資料:もうだめぽFLASH
■つきのはしずく
「森野あるじ」の代表作。多くのFlash職人に影響を与え、多くの人間をFlashに引き込む。
■GLOVE ON FIGHT
■GLOVE ON FIGHT 2
『春風亭工房』の南向春風が作った格闘ゲーム風の多関節Flash。
同人サークル「渡辺製作所」の主犯である成田から紹介された「つきのはしずく」を見て衝撃を受け、
Flash動画を作ることにしたんだとか。後に渡辺製作所がゲーム化した。
■うる星8つら
題名通り、うる星やつらのパロディ。そして8等身モナーと>>1さん。
8等身&>>1さんネタのパロディを多く作った『wOzBox』wosaの作品。
■Hatten a"r din (ミラー )
なぜか大流行した海外製Flash動画。一度聞くと妙に耳に残る。
資料:わかりやすい Hatten の話
(ミケネコ研究所 )
■wasabi (ミラー )
ワッサッビイイイイエエエエエエ
■まるかいててー(仮) (ミラー )
当時人気だった『ドラサイト』の作品。ネタは「Hatten a"r din」など。
『ドラサイト』といえば
「どおらえもん 」
「ギャバソ 」も。
■ゴノレゴシリーズ(吉野家)
吉野家コピペをゴルゴにしゃべらせたFlash動画。
■片翼の田代 (ミラー )
田代!
2002年(平成14年)
新時代の幕開け
前年まで拡大し続けたテキストサイト界であったが、揉め事が多数発生した事によって疲弊していく。
そんな中で起きた「ブログ騒動」によって「ブログ」という言葉が世に広がることとなった。
アメリカからやってきたブログは、文化的には日本でも同様のものがすでに発生していたのだが、
「コメント欄」「トラックバック」を備えた”ツールとして”重要であった事は事実で、結果として一気に広がっていく。
ブロードバンドが普及していく中、
テキストサイト界の縮小にあわせたかのような「ブログ」の登場。UGの衰退にあわせたかのようなWinnyの登場。
それは一つの時代の終わりと、新たな時代の始まりであった。
■ 『2ちゃんねる』、FLASH・動画板を設置 (2002.01.17)
多くの名作フラッシュがここから生まれた。Flash界隈の総本山。この板設置前のFlash職人達は「モナー板」をはじめとして、各地に分散している状態であった。
動画鑑賞板ですー。
1 :ひろゆき:02/01/17 17:17 ID:65HcCBOz
はじまりです。
動画鑑賞板ですー。
資料:R2D
(NHD/nDDMDw ふぉらっしゅ倉庫 )
最大規模の最萌トーナメント。WinMXのネットワークを利用して、投票を呼びかけたDownload板が421掲示板の頂点にたつ。
このイベントで存在感を示したのはFLASH・動画板の職人達であった。彼らは各板の応援Flashを制作しトーナメントを盛り上げた。
FLASH・動画板が注目されるようになる。
「Winny」は2chダウンロードソフト板発祥の国産P2Pソフトである。
当時主流だったP2Pソフト「WinMX」は2001年11月に著作権侵害をしたとして学生が逮捕されたため利用者が落ち込んでいた。
ゆえにWinMXに代わるP2Pソフト。それも匿名性の高いP2Pソフトの登場が待たれていた。
そんな中、2chダウンロードソフト板に、とあるプログラマが現れる。彼は新たなP2Pソフトの開発を宣言。
見事に作り上げた。
47 名前: 投稿日: 02/04/01 05:35 ID:WTyTkgT
暇なんでfreenetみたいだけど2chネラー向きのファイル共有ソフトつーのを
作ってみるわ。もちろんWindowsネイティブな。少しまちなー。
MXの次はなんなんだ?
名称はWinMXの後継ソフトであることを意識して付けられた。
225 名前: 投稿日: 02/04/04 08:59 ID:Roy2G6sC
NXってのはNEC系Pcのプレインストールアプリに
良くついてる名前なんだよなあ。
MXの次ということで
M→N
X→Y
WINNY=『ウィニー』
という線もあるかな。
W→X I→J N→O
も加えると、
XJONY=『エクスジョニー』
『47』ってのも
これがメジャー化した時
何故そんな名称なのか、
このスレが伝説になりそうでよい。
(・◇・)ヨナー
377 名前: 47 投稿日: 02/04/05 14:46 ID:yZ65YIiO
ん〜、じゃWinnyにしますか?初めはWinNYだったけどMXの後継とは無関係に
Windows Next eXchange programって説明できていいかと思ったんで
WinNXに変えたんだったり。
全部小文字にしてI love NYな人っぽい意味合いで語呂がいいからってことでもいいかも。
あと47絡みの名前は却下っす。使うなら作者名に使いますわ。
ちなみに今作ってるプログラムInfo情報は以下の通りになっとります。
WinNX Version 1.0a1(Build ????)
Copyright 47@download.2ch
MXの次はなんなんだ?
231 名前:47 投稿日:02/05/06 15:49 ID:9nmsmZMp
ここです
ttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley/2949/
MXの次はなんなんだ?4
『webarchive』 に残っている、当時の『Winny公式サイト』(2002年6月)。
Winnyは高い匿名性と効率のよいファイル共有によって大人気となった。
開発したプログラマは47レス目に登場したことから「47氏」と呼ばれることとなる。
「47氏」の正体は長い間不明だったのだが……
■ 福岡猫虐待事件 (2002.05.06)
ディルレヴァンガーを名乗る男が猫に対し、尾や耳をハサミで切る、首を絞める等の残虐行為をし、
その様子をデジカメで撮影。アップローダーで写真を公開し、スレッドで実況を行った。
おい!おまえら
1 名前: ディルレヴァンガー 投稿日: 02/05/06 23:10 ID:fSmIWVjk
いいアプろだ教えて下さい。
先ほどキャリアを捕まえました。
おい!おまえら
大きな衝撃と波紋を呼び、あまりに残虐な行為に多くの人が恐怖した。
結果、インターネット上だけではなくテレビ・新聞で報道され
ディルレヴァンガーに対し非難殺到、彼を逮捕すべきとの声が上がる。
福岡地検は8月7日、ディルレヴァンガーを動物愛護法違反で逮捕した。
■ 2002 FIFAワールドカップ (2002.05.31〜2002.06.30)
ネット上の出来事ではないにも関わらず、ネットにあまりにも大きな、そして付加逆な影響を与えてしまった出来事。
サッカーのFIFAワールドカップにおいて、日本と共にホスト国である韓国が関わる試合で次々に不可解な判定が起こる。そしてその判定が韓国に有利に働くものであった。
ゆえに意図的に有利な判定が行われているのではないかという疑惑が沸き起こった。
さらに不可解であったのは西欧諸国ではこの疑惑について報道されているにも関わらず、日本だけは何故か全く報道されないということであった。
MSNにサッカーコラムを書いていたスポーツジャーナリストはワールドカップ開催中、韓国に滞在していた。そして現地からサッカーコラムを更新していた。始めは韓国に好感を持っており「日韓共催の意義はあったのかなと思う」と書いていた。 しかし、試合が進んでいき、滞在日数増えていくにつれ、思いが変わっていく。彼はポルトガル対韓国戦を見た後のコラムで、
「客観的に見ていた我々日本人にとっても審判の采配は不可解としかいいようのないもの」
と書き、イタリア対韓国戦では、
「この日をもって韓国のワールドカップは終わった」
「これはワールドカップではなく鄭夢準カップ、もしくは現代財閥カップだ」
「いまや韓国の試合には、必ずPKと退場者がついてくる。この期に及んでの操作は、もう明らかだと私は思う」
「イタリアが敗れた。それも不条理な判定で。もう韓国の試合は見たくないし、日本に帰りたいと本気で思った」
「日本が敗れたことを知らせるアナウンスがあると、韓国人から大きな拍手が巻き起こった。そしてこの韓国の疑惑のゲームである。やっぱりワールドカップは共催するべきじゃなかった。このワールドカップは失敗だったと思う」
と書いた。その文書から感じられるのは怒りというよりも失望、悲しさである。そしてこうも書いた。
「日本でこのコラムが大きな反響を呼んでいると初めて知った。日本ではなにも事実が報道されていなかったようだ。こちらに来ている新聞記者は、僕も含めて事実を記事にして日本に送っているのに、日本のほうで韓国の疑惑に対する記事は削除されているようだ」
マスコミが韓国に対して不利な情報を流さないようにしているのではないか。ネット上ではそんなことが言われるようになった。そして玄界灘海難事故へ。
■ タカラギコ騒動 (2002.06.02〜2002.06.03)
タカラがギコ猫を商標登録しようとしていることが判明。2ちゃんねらーはタカラを非難した。
6月3日、ひろゆき氏はタカラに対し質問状を送付。
同日、タカラは出願取下げ、謝罪した。
資料:落ちついて「タカラ・ギコ猫商標問題」を考えてみるページ
資料:タカラ問題
( ( ´∀`) オマエモナー・ファンクラブ (゚Д゚,,) )
■ 『ろじっくぱらだいす』が「Web投げ銭 」を提案 (2002.06.11)
大道芸を見た人は、その芸が面白ければ芸人の前においてある銭入れに思い思いの額のお金を入れる。
「Web投げ銭」は
これをWeb上で実現しようという提案。これによりサイト更新の労力に対して報酬を受け取ることができ、
Webサイト管理人のモチベーションの維持・向上も図れると主張した。
「Web投げ銭」はあまり支持を得られなかったのだが一年後、『日本だんでぃ協会』の「だんでぃ」が、このシステムをヒントにした「web拍手」を提案する。
資料:『ろじっくぱらだいす』による「Web投げ銭」の提案
■ ちゆデー (2002.06.28)
『ちゆ12歳』100万アクセス達成記念イベント。ムーノーデーと同じように
ちゆデーでも多くのサイトがちゆフォーマットになった。
ついに、ちゆ12歳さんのアクセスが100万目前に迫りました♪
・・・皆様・・・いよいよです・・・♪
★ちゆちゃん100万アクセスおめでとうございますスペシャル♪
(別名・「ちゆちゃんデー」)0時より開催です♪
間もなく「ちゆちゃんデー」開催です♪
(うどんアタック! )
この日以外にも、ちゆ誕生日に「ちゆデー」が行われている。
資料:ちゆ12歳さん100万HITおめでとうございますスペシャル!♪
(うどんアタック! )
■ 玄界灘海難事故 (2002.07.02、2002.07.06)
7月2日、玄界灘でパナマ船籍(経理などの関係上、船籍をパナマとすることがある)、韓国興亜海運社所有の貨物船「フン・ア・ジュピター」(3372トン)が巻き網漁船「第18光洋丸」(135トン)と衝突。
「第18光洋丸」の乗組員17名が海に投げ出され、死者1名、行方不明者6名、負傷者2名。
続いて6日、6名の行方不明者を捜索中の水産庁の取締船「からしま」もまた貨物船「コレックス・クンサン」に衝突され大破、自沈処理をやむなくされた。
大変大きな事故であるのだが、マスコミは殆ど報道せず。また韓国船であることを報道せずに、「パナマ船籍」とのみ報道する。
マスコミが韓国に対して不利な情報を流さないようにしていると思った人は少なくなかった。マスコミの対応を非難するサイトが複数発生した。
ワールドカップ・玄界灘海難事故以前は朝鮮半島・在日朝鮮人に対する非難に対して、ネット上の人々の殆どは「右翼的言動」として耳を貸さなかった。
しかし、ワールドカップ・玄界灘海難事故をきっかけとして耳を貸す人が増えていき、いわゆる「嫌韓」が増えていくこととなった。
■ 湘南ゴミ拾いオフ (2002.07.04〜2002.07.06)
フジテレビのワールドカップ報道に抗議する為におこなわれた2chオフ。同局の番組で湘南海岸清掃企画があることに目をつけ、事前にゴミを全部拾って企画をつぶしてしまおうというオフ。
2ちゃんねらーは5日〜7日早朝までゴミ拾いをし、フジの中継が行われる前に全てのゴミを片付けた。これに対しフジテレビは黙殺。放送ではライフセーバーがゴミ拾いをしている様子が紹介された(ゴミは残っていないはずなのに!)。
資料:湘南ゴミ拾いオフのまとめページ
■ 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ公開 (2002.09.30)
『ばるぼらアンテナ』のばるぼらが制作した、個人サイト中心の年表。
大げさな前書き
このHTML文書は日本のインターネットの歴史のごく一部を年表の形にまとめたものです。 残念ながら私には、人を愉快にさせる面白い文章や、深く洞察を促すような賢い文章を書く能力はありませんが、 巷に溢れる乏しい資料で強引な俯瞰ばっか繰り返す退屈なネット論よりは、幾分マシなものになったかと思います。
いつか中学校の歴史の授業で「昔インターネットという地球だけの閉じたネットワークがあり…」なんて教科書片手に話される時、 ここに取り上げた事象のほとんどは語られることはないでしょう。 それはそれでいいのかもしれません。昔話は酒のつまみ。貴方の「インターネットが一番楽しかった頃」はいつですか?
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ
■ ブログ騒動 (2002.11.08〜2002.11.17)
9月26日、MESH(東大メディア環境学研究室)の助教授であった武邑光裕がブログを始めた。
my first blog.
久しぶりにJoiに会った。彼はいつも私たちの先にあるコミュニケーションの形を教えてくれる。Blogは久々に感激しているツールだ。どんな可能性があるかを実際に経験するため、とりあえず日記のように、記憶の地図のように、書き記そうと思う。
構想から3年くらい、今年は新しい本を書いていた。今まで書き下ろしの本など書いたことがなかったが、「デジタル・アーカイブ」に関する論考をまとめ上げている。記録と記憶、そして忘却。ポール・オトレ(Paul Otlet)からアビ・ヴァールブルグ(Aby Warburg)、そしてH.G.ウエルズ(H.G.Wells)、からバネヴァー・ブッシュ(Vannever Bush)、さらに現代のテッド・ネルソンに至るまでのハイパーテクスト概念の思考の流れを整理して、何故人間は記憶を外在化するのか、そしてそれらは忘却という内在化をいかに生み出すのかを考えた。
Blogは何かのヒントを与えてくれそうだ。
Joiとはネオテニーやデジタルガレージの代表取締役、伊藤穣一の事である。武邑はMESHの学生にブログを勧めた。そしてブログを始めた学生の一人が明神光浩であった。
明神は自身のブログで以下のように書く。
BLOG BY MESH
須之内君によってメディア環境学研究室のblogが立ち上げられてから3日目にして、やっとmy blogをスタートさせました。ほんとはスタイルシートをカッコよくしてからコンテンツを作りたかったんだけど、スキルがないので諦めて、とりあえず始めてみることにしました。
「blogの良さは実際にやってみなければわからない」と言われますが、現状では「はじめにくいからその良さがわからない」という面が大きいのではないかと感じました。HTMLでホームページを作る際には、「初心者のためのホームページ作成法」などの類のwebページや書籍が大量に出回っているので、それを利用すれば誰でも容易に作成できます。しかし、blogに関してはそういったものがまだ見当たりません。そもそもこのMOVABLE TYPE自体に英語版しかなく、HELPを読むのに助けが欲しいくらい(と某メンバーが言っていました)です。こういう状況だからこそ、ボクらがblogを作っていく際に困ったことや苦労したこととその解決法をまとめることに意義がありそうです。それを「初心者のためのblog作成法」として研究室のblogで公開すれば、これから始める人にとって大変役立つものになるのではないでしょうか。
blogが一般的になったときに、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)
BLOG BY MESH
(another mitsuhiro's blog )
これは少々安易な発言であった。日本におけるブログ、すなわち「URLとともに覚え書きや論評などを加え、記録する」という行為は、
日記界隈で活発に行われていたことであり、さらにはテキストサイト界隈、ニュースサイト界隈という派生系も生まれていた。
日本におけるブログ草創期というのはすでに終わっていたのだ。
明神はこれまでのウェブの歴史を知らなかったのだろう。このエントリーのコメント欄に武邑は「日本の創成期を是非形成して下さい」と書いた。
武邑も学術から離れ一般のものになってからのウェブのことについてはよく知らなかったと考えられる。
同日、「Dの食卓」で有名な飯野賢治がブログを開設。そこにはブログを開設した理由として「伊藤がやってるから」といった事が書かれていた。
10月25日、武邑は以下のように書く。
Birthday
誕生日。48歳、よくもまあ、死なずに生きてきた。ただし、home alone....
本の校正やオーストリラリアの会議の準備で、寝る間も惜しい。blogはほんと、つかの間の休息。
今日、joiとenoさんからJapan Blog Associationsなる組織を作るとの知らせ。ほんと、blogに乗り出すこれからの人に、オープンソースの流れが合流すれば、この国の重いメディアの壁を越えることも可能かも。mesh bloggerも走り始めた。いきなり皆、それぞれの個性を光らせている。
あと2週間もすれば、ホント、周りが全部、bloggerになってしまう。これはやはり革命かな??
enoとは飯野賢治のことである。
彼らは「Japan Blog Associations」を結成し日本におけるブログの代表になろうとした。
それに対し、反発をしたのが既存の日記・テキスト・ニュースサイト達であった。
彼らは「先人達の手によってブログ草創期はすでに終わっている」「伊藤穣一とMESHは利権を握ろうとしている」
とし伊藤とMESHを非難した。伊藤、武邑、明神は3名とも勉強不足だったとコメントした。
そして多くのサイトがこの騒動を取り上げ、結果、ブログという言葉が一気に知れ渡ることとなった。
資料:某ウェブログしょぼ発言 反応クリップ
(俺ニュース(ミラー) )
資料:2002年のブログ騒動について今更振り返る (佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書 )
■ 紅白FLASH合戦 (2002.12.26〜2002.12.31)
2ch、FLASH・動画板から生まれたFlash祭り。
スキマ産業が「*50レス目のネタでフラッシュ作れ Part3」スレ」にて投下した「
1000キタ━━━ (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) ━━━━!!!!!!!!!! 」
によってスレの勢いが上がった結果、
「*50スレのCMを作ってみないか?」という話になり、
さらには「紅白に分かれて対抗戦にすると面白い」という話がでてきた。
そこに、『きれいな核兵器』の「まろやかさ」が「大晦日に『紅白FLASH合戦』をやろう」と持ちかける。
596 名前: スキマ産業 ◆d1suKimA 投稿日: 02/09/15 17:39 ID:???
Part1>>1000の「1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!」
です。色んな意味で重いです。ごめんなさい。
http://sukima-industry.hoops.ne.jp/num1000.html
617 名前: FLASH50 ◆f50/VV3I 投稿日: 02/09/16 01:23 ID:???
スキマさんお疲れ様でございます。
また素晴らしい作品が仕上がったのですね。
最高です。
で、スキマさんの作品をサイトのindexに転載させていただいたんですが
反映されないようで(重いw)ちょっと思案中ですが悶々と更新中です。
(どうでもいいですがトリプつけたりして)
620 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/16 01:33 ID:???
>>617
おつかれです!
職人さんに提案なんですが、この際どうでしょう
このスレの本格的なCMを作って見るっていうのは。
スキマさんの作品を見て制作意欲が増してきた職人さんも中にはいらっしゃると思いますし、
まだまだこのスレの勢いも止まりそうにありません。
どんどん盛り上がろう!という意味でも考えてみていただけたらなって思いました。
623 名前: 節穴さん 投稿日: 02/09/16 01:40 ID:???
>>620
そんなことより*50取り合戦が間近なんですけどね。^^
で、その*50去ったあたりにやりたいんだけどさ。
そのCM、みんなで作んない?flaを共有して。
うpろだ使ったりなんかして
ちなみに、そうするとしたら最初のほうでやらせてもらいたいな。
せっかく神が創ったのを漏れがいじったら台無しでしょ?w
あくまで提案なんで間に受けなくてもいいんだけど、どうかな〜〜。
683 名前: jokemaker ◆faIlSteQ 投稿日: 02/09/16 21:22 ID:???
>>679
sage忘れ及び横レス及び連続でスマソ。
…紅白チーム分けして、プレゼン対抗戦みたくすると面白いかも。
796 名前: 節穴さん 投稿日: 02/09/18 21:09 ID:???
>>793
名前欄をhをfにして半角で書いてみなさい
一応広告のネタが浮かんだんで音楽リクして来たんですが・・・どうなった?
紅白分け、みんなで作るってノリぽいけど自分誰が参加してるのか把握できんで・・・。
何か全体で数人しかノリ気じゃない気がするのさ・・・。
797 名前: スキマ産業 ◆d1suKimA 投稿日: 02/09/18 21:15 ID:???
>>796
紅白どちらでもいいので参加キボンヌ
805 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/18 22:29 ID:???
紅白FLASH合戦かぁ・・・
職人がいっぱい集まるとおもしろそうだ!
*50レス目のネタでフラッシュ作れ Part3
375 名前: まろやかさ ◆frWsnsGE 投稿日: 02/10/02 22:09 ID:???
このスレあんまり見てなかったんですが、紅白戦っていつやるんすか?
381 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/10/02 23:59 ID:???
紅白戦って、いまいちノリで話が進んでるだけで、全然具体的じゃないような気がするんだけど・・・。
ともかく、「紅白に分かれてこのスレの宣伝Flashを作る」ということらしいです。
でも、取りまとめ役の人も不確かで、決まってるなら決まってるで
その人からはここしばらく何のアクションもないわけで・・・。
企画倒れ?
個人個人でここの宣伝Flashを作れば、それはそれでアリだと思うけどね。
何度も何度も引き合いに出してアレだけど、スキマさんのFlashの
「Flash・動画板」の文字と「50スレ目〜」という文字だけを頼りに(SWF直リンだったので)ここに着たので、
カコイイFlashだったら職人さんも集まると思われ。
382 名前: まろやかさ ◆frWsnsGE 投稿日: 02/10/03 00:35 ID:???
>>381
あ、そうなんだ。
前に「紅白戦」ていうフレーズをチラッと見かけて、
大晦日にみんなでFLASH合戦でもすんのかと思ってたんだけど違うんだ。
…ねぇ、じゃ大晦日にさ「紅白FLASH合戦」やんない?
だめ?
385 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/10/03 02:46 ID:???
>>382
>大晦日にさ「紅白FLASH合戦」
面白そー
たくさんの職人さんが参加してくれれば
FLASH板初の祭りになるかもね
585 名前: まろやかさ ◆fmfrWsnsGE 投稿日: 02/10/04 23:39 ID:???
“年忘れ!紅白FLASH合戦(仮)”企画案の叩き台
・実施日
2002年12月31日、開始時間は未定。
・内容
募集したFLASH製作者を紅白に分けFLASHの見せあいっこ。
このスレのように対戦ごとにテーマがあると面白いかもしれない。
(テーマの例:「2002年を振り返って…」「赤と白」「冬」etc...)
最終的に全体として紅白どちらが勝ちかを投票により決める。
勝ち負けはそれぞれの対戦ごとではない。時間が無いというのも理由の一つだが、
この企画のそもそもの目的が「FLASH見て楽しく年末をすごす」ということなので
過度な優劣の判定は不要と考えているからである。
*50レス目のネタでフラッシュ作れPart4
こうしてFLASH・動画板初の大型イベント『紅白FLASH合戦』の開催が決定。
■10/12
--企画の意図--
今年の年末大晦日、“紅白FLASH合戦”をやりませんか?
FLASH製作者が紅白に分かれ当日にFLASHの発表をします。
当日周辺にパソコンがなくても、前日にUPしておけばアドレスの発表を本部が行うので参加可能です。
紅白本部サイトに投票システムをおいておき(保留)、最後に全体として紅白どちらが勝ちかを決定致します。
勝ち負けはそれぞれの対戦ごとではありません。また、FLASHの内容は基本的に参加者が自由に決めてください。
大成功を収め、年末恒例行事に。
=閉会宣言=
この板が無ければ、2ちゃんねるが無ければ、
恐らくこのような企画が生まれ、成功することはなかったでしょう。
はじめは、ほんの思いつきでした。
その思いつきが、こんなにも大きなイベントに成長したのは、
この板を訪れる多くの人達が協力をしてくれたからです。
参加を決めてくれた方はもちろん、飛込みをしてくださった方。
イベントの成功のために動いてくれた方。様々なアドバイスをしてくださった方。
そして、FLASHをご覧になってくださった皆さん。
みなさんの協力がこの企画を成功させました。
現実世界では、顔も知らないし、名前も知らない。
そんな人達が協力し合い、一つのものを作り上げることが出来る。
それが2ちゃんねるの、インターネットのすばらしさだと思います。
最後に、FLASH50さん。
おそらく、この板に住むコテハンの中で最もリーダー
に向かないまろやかさが主催であるにもかかわらず
企画が成功したのは、あなたのおかげです。
本当にありがとうございました。
2003年が“FLASH・動画板@2ちゃんねる”にとって良い年であることを願いつつ…。
ここに紅白FLASH合戦を閉幕いたします。
ありがとうございました。
2002年12月31日 まろやかさ
紅白FLASH合戦
■(・∀・)イイ・アクセス (2002.01.05)
3大Flash系ニュースサイトの一角。
2002年1月5日(土) [23:41:31]
2ちゃんねるネタを中心にFlash、DQN情報など
日々イイページと(ii.page.to)の出会いを提供します。
ネタはスポンサーからほとんどいただいているので、
詳細はそちらを参照してください。
■バーチャルネット・ラウンジャー もなみ9歳 (2002.02.09)
VNI四天王に次ぐVNI代表格。「リンク論まとめ」や「もなみ的VNI研究」など考察系文章とVNIヲチが得意。元々は2chラウンジ板系VNIだが現在は幅広く話題を扱う。もなみ帝国の女帝にして、騒動の際には裏で事態を操る。VNI界の影の支配者?
はじめまして。私は、ラウンジ@2ch掲示板に生きる”電子の妖精”もなみといいます。実体を持った女性よりもアスキーアートの美少女が好きだ!という半角文字コンプレックスな方のために生まれた新しい形のネットアイドルです。どうかよろしくお願いします。
■バーチャルネット半なまAA描き・チェき14歳 (2002.04.06)
AA職人だが、「The Real SUMO Fighting シリーズ 」があまりにも有名な動画職人。親サイト『Dungeon Divers' Deadly Drug』の開設日は1998年9月21日。
■ダンシング☆カンパニヰ (2002.04.xx)
『絵日記でも描いてみようか』と並ぶ絵日記系サイトの双璧。「ぼく、オタリーマン。」として書籍化された。サイト自体は1999年にはすでに存在。就職直後に絵日記系サイト「ダンシング カンパニヰ」へ変更。
サイト名変遷:『電脳麻薬』→『温泉テクノ』→『落石注意』→『ダンシング☆カンパニヰ』。
■Winny Web Site (2002.05.06)
⇒Winny Web Site 開設
■FinalFantasyXI (2002.05.16)
パッケージ7,800円。月額1,280円。認証サーバーが死亡するなどトラブル続出により、一ヶ月の課金免除
■MyNewsJapan (2002.06.01)
企業からの資金に頼らない市民参加型インターネットメディア。
■バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳 (2002.06.05)
文章力に定評のあるVNI。このサイトのアイデアは見事。
はじめまして。私は、仮想世界に生きる”電子のネットストーカー”ヨシミといいます。ネットでストーキングしたりされたりしてみたい!けれど本当にやっちゃうと捕まるので出来ないよ、という方のために生まれた新しい形のネットストーカーです。どうかよろしくお願いします。当サイトは違法行為を助長するものではありません。ていうかページの内容は人様の日記読解&分析批評です。でも情緒不安定なので毒も吐きます。あと、頻繁にHTMLの記述を間違えますが、仕様です。
■ダークマター (2002.06.30)
2chネットwatch板のテキストサイト関連スレッドが情報元のテキストサイト界ニュースサイト。
多くの騒動を伝えた。
7月1日
管理人濁(ダーク)の、簡単な自己紹介。
ネット暦1年と少し。ご多分に漏れず「侍魂」によって、テキストサイトの世界を知るという恥ずかしい過去を持つ。その後、よせば良いのに自分でサイトを開設。例によって、黒バックセンタリングフォントいじり系日記サイト、要するに誰が見ても明らかな侍劣化サイトであった。そんな糞サイトを、よりによって半年間続けていたと事実は、嫁には絶対に言えない過去だったりする。嫁なんていないけどさ。
結局、フォントいじりに飽きてサイトを畳んだ後、ヲチ板の存在を知りヲチャーとしての日々を送る毎日。今では、ヲチ板が無いと生きていけないくらいの、ネットジャンキーである。
そんな、絵に描いたような人生の堕落者。
日々の雑感
(ダークマター )
■デイリーポータル Z (2002.10.07)
ニフティが運営する面白記事サイト。編集長は『Webやぎの目』の林雄司。
■ゴルゴ31 (2002.11.29)
漫画批評が中心のサイトだったが、今はニュース中心。姉DVDネタで有名に。
同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」を広めたニュースサイトの一つ。3大個人ニュースサイト「KKG」の一角。
■RagnarokOnline(JP) (2002.12.01)
月額1500円。
■兄貴の館 (2002.03.31)
ひょっとしたら、またどこかでサイトをやるかも知れない。
でもその時は、また違った内容でやってみたいと思うし、例えやったとしてもここではもうやらないと思う。
このURLは、私が「兄貴の館」の為だけに用意した物なのだ。
それだけ思い入れを持つことができた事に、感謝したいと思う。
皆様ありがとう、私は楽しかった。
■自動アンケート作成 (2002.05.14)
住民は亜流アンケートに移住する。特に自動アンケート保存への移住が多かった。自動アンケート保存は自動アンケート+と名を変え、
事実上の後継サイトとなった。
■THE MUNEO HOUSE
「アシッドハウス=ムネオハウス」スレにて
鈴木宗男の声をサンプリングしたハウスミュージックが投稿された。
それを元にFlash動画や、架空のCDジャケットが作成される。
97 名前: TR-774 投稿日: 02/02/21 18:21 ID:hP7MJZI6
できたよ
http://www30.tok2.com/home/muchm/mune.mp3
アシッドハウス=ムネオハウス
資料:nuneo house pv
資料:THE MUNEO HOUSE official website "MUNEX"
■ぬるぽ
NullPointerExceptionを「ぬるぽ」と呼ぶスレ
1 :仕様書無しさん :02/06/20 15:09
∧_∧
( ´∀`)< ぬるぽ
2 :仕様書無しさん :02/06/20 15:11
( ・∀・) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >__Λ∩
_/し' //. V`Д´)/ ←>>1
(_フ彡 /
資料:2ちゃんねらーとぬるぽ
((*゚ー゚) ネーミングセンスがないわけだが (゚ー゚*) )
■さいたま
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< さいたまさいたま!
\_/ \_________
/ │ \
∩ ∧ ∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< さいたまさいたまさいたま!
さいたま〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
↑のAAがあまりにも有名なさいたま。さあ、君も「さいたま〜」と大きな声で叫んでみよう。なんかアホっぽい。でもなんだか愉快だ。
そんなさいたまは愉快な音声とFlashにより大人気。
資料:Flash さいたま
資料:Flash さいたま2
資料:さいたま情報収集所
資料:【さいたま!】 さいたま!AAの謎に迫る 【さいたま!】
(Nezha Cool Side )
■愛生会
「愛生会病院」はさいたまの病院。この病院のサイト、これがすごい。つっこみどころが多すぎてどこからつっこめばいいのかわからない。
激しくチカチカする色使い。謎の英語「Welcone!」(これは正確にいうとWelcomeと書かれているが、文字がつぶれてWelconeに見えた)。流れる音楽は「太陽にほえろ」のテーマ。
「太陽にほえろ」のテーマは05年にJASRACから警告がきた為に削除。「太陽にほえろ」のテーマを失った愛生会病院のサイトはなんだかさびしい。
*リューアルして普通のサイトになってしまった…。在りし日の埼玉愛生会はインターネットアーカイブで。⇒埼玉愛生会
■ツンデレ
あやしいわーるど@暫定にて。
■又吉イエス
「腹を切って死ぬべきである」が有名な唯一神。
異様に目立つ黄色のポスター。甲高い声。自称、再臨のキリスト。
資料:又吉イエス非公式サイト
■斜め2ミリ
ToHeartアニメ版主題歌の韓国語が元ネタの空耳系Flash。
■1000キタ━━━ (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) ━━━━!!!!!!!!!!
いわゆる「num1000」。「50レス目に出たネタでフラッシュ作れ」生まれのFlash。
スキマ産業の代表作にして「50レス目に出たネタでフラッシュ作れ」スレの代表作にしてMG系の代表作。ソースが公開され、多くのクローンが作られた。
音楽は「BM98にこの人あり」cranky作曲の「party4U」を使用。
1000 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/04 20:10 ID:LNimOew3
1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
50レス目に出たネタでフラッシュ作れ
14 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/04 20:11 ID:???
1000きたーーって・・・
15 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/04 20:12 ID:???
前のスレの>1000は・・・・。
16 名前: ヘポコ ◆HEPOx.cM 投稿日: 02/09/04 20:12 ID:???
前スレ1000が
「1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!」
か・・・
*50レス目のネタでフラッシュ作れ Part2
596 名前: スキマ産業 ◆d1suKimA 投稿日: 02/09/15 17:39 ID:???
Part1>>1000の「1000キタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!」
です。色んな意味で重いです。ごめんなさい。
http://sukima-industry.hoops.ne.jp/num1000.html
597 名前: ナナシアター.swf 投稿日: 02/09/15 18:04 ID:PeEFDcrB
新作キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!
BGMカコイイ それよりなにより職人さんが離れてなく、じっくりと
時間を費やして作品を作っていて安心した
折れ的に久々の大作だったのでageるぞゴルァ!
*50レス目のネタでフラッシュ作れ Part3
■醤油戦士キッコーマソ
大豆の星からやってきたヒーロー。「目玉焼きには・・・醤油だろ」。
「醤油入れ」スレにて醤油入れをパワーアップさせ過ぎてしまったことで誕生。敵役の怪人、主題歌、怪人の歌まで作られた。
1 :( ´∀`)さん[unnko]:2002/09/05(木) 13:32 ID:7W40WMUv
パワーアップきぼんむ
/ ̄ヽ
/⌒⌒⌒ヽ/|
⊂| ◎ ‖
ヽ 丿\|
 ̄∪ ̄
7 :( ´∀`)さん[sage]:2002/09/05(木) 14:40 ID:JWClUaZB
/ ̄ヽ
/⌒⌒⌒ヽ/|
⊂| ◎ ‖
ヽ ゚∀゚丿\|
__ 〃ヽ〈_
γ´⌒´-−ヾvーヽ⌒ヽ
/⌒ ィ `i´ ); `ヽ
/ ノ^ 、___¥__人 |
! ,,,ノ爻\_ _人 ノr;^ > )
( <_ \ヘ、,, __,+、__rノ/ /
ヽ_ \ )ゝ、__,+、_ア〃 /
ヽ、___ ヽ.=┬─┬〈 ソ
〈J .〉、| 本 |, |ヽ-´
/"" | 醸 |: |
レ :|: 造 | リ
/ ノ|__| |
| ,, ソ ヽ )
.,ゝ ) イ ヽ ノ
y `レl 〈´ リ
/ ノ | |
l / l;; |
〉 〈 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽnm
8 :( ´∀`)さん[sage]:2002/09/05(木) 14:55 ID:SuyzmuOL
>>7
パワーアップしすぎ
33 :( ´∀`)さん []:2002/09/07(土) 23:17 ID:8vy0q6ee
/ ̄ヽ
/⌒⌒⌒ヽ/|
⊂| ◎ ‖
ヽ ゚∀゚丿\| キッコーマソ参上!
__ 〃ヽ〈_
γ´⌒´-−ヾvーヽ⌒ヽ-:,,
/⌒ ィ /\ ); `ヽ-:,,
/ ノ^ 、 | 萬 | _人 | "-:,,
! ,,,ノ( \/ ノr;^ > ) \,
.| <_ \ヘ、,, __, 、__rノ/\ /: ヽ,,
|ヽ_/\ )ゝ、__, 、_ア〃 / \
| ヽ、___ ヽ.=┬─┬〈 ソ "-.,
| 〈J .〉、| 亀 |, |ヽ-´ ゝ
.| /"" | 甲 |: | ミ
| レ :| 男 .| リ "-:,,
| / ノ|__| | "-:,,
.| | ,, ソ ヽ ) ,,,-ー"
| .,ゝ ) イ ヽ ノ ,,,-ー"
.| y `レl 〈´ リ ,,,-ー"
| / ノ | | / """"
l ̄ ̄/ l ̄ ̄| ,,,-
〉 〈 `ー-ー-| |-ー"
/ ::| (_ \
(__ノ \___)
醤油入れ
■しぃのうた
『こしあん堂』の「たけはらみのる」(当時はNNSJ)初期の代表作。多くの人を驚かせたFlash。
9 名前: 名無しさん ◆3vKBshqw 投稿日: 02/03/30 19:18 ID:FjlINHhS
やっとできたーヨ
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/9043/c-song.htm
職人用新作発表のスレッド
細かく、そして、なめらかなアニメーションが秀逸。
NNSJは紅白FLASH合戦に参加した際の作品
「ひろみの絵日記 」
においても極めて高い技術、構成力を見せ付けた。
■quino
「ゴノレゴシリーズ」のポエ山が作ったSF作品。
尺の長い本作品であるが、髪の毛が揺れる等、細かいところまでアニメーションさせている。
多大な時間・労力と高い技術、そしてセンスで作り上げた作品。
■日々有魚
イラストレーターである丸山薫のFlash動画第一作。
ビットマップばりばりな本作品は、ビットマップばりばりであるがゆえに、イラストレーターである彼の美麗な絵がうまく生きている。
■CATMAN
最高にハードボイルドでクールな作品。制作者はカナダ・モントリオール在住の青池良輔。
この人のバックボーンは映画であり、本作品も映画的(カメラワークなど)。
2003年(平成15年)
FLASH黄金時代
02年末に行われた2chFLASH・動画板で初めてのイベント「紅白FLASH合戦」は大いに盛り上がり、成功に終わった。
この成功で自信をつけたFlash界隈の人達は次々とイベントを行っていく。
03年6月、『スキマ産業』が「num1000リミックス企画」を行い、多数のリミックス作品が投稿された。
7月、FLASH50が主催となりオフラインFlashイベント「FLASH★BOMB」が行われた。
他にも、女性職人限定Flash発表会「FLASHひなまちゅり」や、こどもの日にFlash製のゲームを皆で楽しむ「子供の日ゲーム祭り」など。
各イベントでは技術力の高い職人達が次々と力作を投稿、大いに盛り上がった。
そして03年末、一年の集大成「第2回紅白FLASH合戦」が行われる。100人近い職人達が集まり六日間に渡って行われたこの
イベントはFlash界隈の活況、2chFLASH・動画板の快進撃をweb界全体に見せ付けた。
■ はてなダイアリーベータ版リリース (2003.01.16)
人力検索サイトはてなが始めたブログサービス。
はてなのブログサービスがほかと違い秀逸だった点は、
キーワードシステムと呼ばれるWeb用語集が実装されていることであった。
Web用語集にはユーザーが用語とその解説を登録することができる。
登録された用語はキーワードとなり、ブログの文中にキーワードが存在すると、そのキーワードの解説ページへ自動でリンクされる。
非常におもしろいシステムである。3月13日に正式版に移行した。
■ 川崎祭り (2003.04.25〜2003.06.23)
かなりの額の年俸を貰いながら、ほとんど登板をしていない川崎憲次郎(中日)に対し、
オールスターゲームのファン投票で一位にして晒し者にしようという祭り。中間発表で一位になったが6月23日に川崎がオールスターゲーム辞退を発表。
■ Winny2登場 (2003.04.27)
「Winny」の新バージョン。
1491 名前:47. 投稿日:03/04/27 22:02 ID:gmIlQnKz
お待たせしました。Winny ver2.00.beta1 です。
Winny200beta1.zip 234,567 4de631b9e48726ccf464256c8162613c
現在のnyの稼動状況調査を兼ねて、ny1上で配布します。
・ファイル共有部分のバグ修正・仕様一部変更
・BBSはny1と互換性は無い
・GUIをフルリファイン
・BBSにクラスタの概念を導入
・ny1と同時起動は不可能。
まず、ファイル共有部分について、
BBSを新しくするに当たり、ファイル共有部分のキー操作部分を変更しました。
ny1と互換性はありますが、ファイルversionは5.1となります。
BBS処理を分離したため、ファイル共有部分のクエリー処理が多少高速化したはずです。
MXの次の次は何なんだ? part120
高い匿名性で人気となったWinnyであるが、実はBBS機能においては匿名性が低い。
スレッド所有者に直接アクセスする仕様であるため、
容易にスレッドの所有者のIPアドレスを特定できた。そして7ヵ月後に逮捕者がでることになる。
■ web拍手公開 (2003.05.13)
『ろじっくぱらだいす』のワタナベが考え出した、サイト更新の労力に対して報酬を受け取るためのシステム、「web投げ銭」 。
このシステムからヒントを得て『日本だんでぃ協会』のだんでぃが考えたシステムが「web拍手」。
「web拍手」はサイト管理人への感謝の意思表示をするためのシステム。
web拍手とは?
大手テキストサイトの「ろじっくぱらだいす」さんで考えられた「web投げ銭」にインスパイアされて、
「日本だんでぃ協会」で考えられたシステムです。
例えば、大道芸人は道端で芸をし、それを見た観客が
大道芸人を応援する気持ちを込めて拍手や投げ銭をします。
これをインターネット上のwebサイト(ホームページ)管理人に当てはめたとき、
投げ銭にあたる物が「web投げ銭」、そして拍手にあたる物がこの「web拍手」です。
webサイトを公開したことのある人なら理解していただけると思いますが、
自分が発信しているwebサイトに対して
閲覧者からリアクションがくるというのは非常に嬉しいことです。
自分が趣味で始めたwebサイトでも、
「面白かったよ」とか、「がんばってください」といった言葉を
閲覧者から掛けてもらえると、より更新作業にも熱が入り、
webサイト運営が楽しくなります。
今まで、そういった閲覧者からのリアクションを得る方法として、
自分のwebサイトに掲示板を設置したり、自分のメールアドレスを公開していました。
しかし、それらの手段はどれも「文章を書く」というプロセスが必要だったために、
面倒なイメージがあったり、それ自体が苦手な人がいたり、何となく緊張してしまったりと、
管理人を応援したい気持ちがあっても、ただ見るだけで終わってしまうことがよくありました。
ここをご覧の皆さんも、そういった経験があると思います。
そこで、もっと簡単に「マウスをクリックするだけ」で
管理人に対する応援の気持ちを伝えることは出来ないか。
そういった考えの元に作られたのがこの「web拍手」です。
■ 『俺ニュース』閉鎖 (2003.05.31)
5月2日、数々の孫ニュースの見本となった『俺ニュース』が閉鎖すると発表。
ういー、すっかり告知遅くなっちった。
以前からの御案内通り、
東京めたりっくの終了に合わせて俺ニュースは閉鎖させて頂きます。
長い間ありがとうございました。
東めたは6/30で消滅するらしいので、
残務処理とかの期間をとるため5/31で終了とします。
それまでは更新頑張りますので。
5/31をもって東めた・Yahoo!・Tripod・Infoseek・NAVER・トクトクの全アカウント・全サイトを抹消します。
「俺ニュース」及び「てくる」は完全に消滅します。
今後の予定は一切ありません。
完全に終了です。
保存しときたい人はいまのうちに、といきたいとこですが、
俺ニュだけで250MBくらいあって鯖が耐えられないと思うのでちょっと待ってね。
週明けには3つ目の桜鯖が立ち上がるんでそこで再配分して負荷を分けますので。
『俺ニュース』及び「てくる」は今後の予定は一切なし、完全に消滅するとし、宣言通り5月31日に閉鎖した。
ネットワークの子供達よ
貴方達は私の誇り
貴方達は私の希望
どんなに些細な事でもいい
どんなにくだらない事でもいい
貴方が心動かされた事を貴方の言葉で記し
貴方の手で次の世代に残しなさい
遥かなネットワークの地平に次の百年を夢見て
長い間ほんとうにありがとうございました
その後、8月に謎の更新。
next behavior 2003 winter
冬には『俺ニュース』復活か?と多くのサイトが反応したが、結局『俺ニュース』は復活しなかった。
資料:俺ニュース閉鎖宣言への各サイトの反応
(UP↑DOWN↓ )
資料:俺ニュースの更新風景
(俺ニュースのミラー )
資料:●next behavior 2003 winter に反応しているサイト様
(Doku*Pnoko )
■ num1000リミックス企画 (2003.06.01〜2003.06.03)
『スキマ産業』主催の1000キタ━━━ (゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚) ━━━━!!!!!!!!!!リミックス企画。
『スキマ産業』はnum1000のソースを公開。51作品が集まった。
■ Japan Blog Associations解散 (2003.07.16)
自分達の役割は達成したとして解散。
資料:JBAの問題点に関する報告/JBAとネオテニーの関係について 、
再びJBAについて
(ARTIFACT )
■ blog of the Yeah!2003 (2003.10.xx?〜2003.12.15)
『Myblog japan』が企画した、今年最高のblogを決めるお祭り。ベストブログとして『切込隊長BLOG』と『X51.ORG』が選ばれた。他に部門賞として『小鳥(a little bird)』『ごこち』『鷽スポーツ新聞』『借力』『ARTIFACT』『食べたものを淡々と記録するよ』『梅田望夫・英語で読むITトレンド』『小ネタBlog〜純情派』『音楽配信メモ』『古今東西製品情報』等が挙げられる。
賞をとったブログを見ると、後にアルファブロガーと呼ばれるブログがちらほらと。
Myblog japan は……
「すでにblogを書いている人、これからblogを書きたい人、blogを知らない人、誰にとっても使いやすく役に立つサイト。」を目指して開設しました。
その趣旨の一環として今回「blog of the Yeah!」の開催に至りました。
内容が面白い!!デザインがいいね!スポーツの分野ではこのblogいいよ。という感じを、コンテスト形式にした[お祭り]です。
あまり固いことをするつもりはなく、お祭り騒ぎのように、bloggerの方々が、blogを知らなかった人が、審査員の方々が、
そして運営者である僕たちが、楽しめれば大枠の目的は達成だろうと思っております。
現在、大枠のスケジュールと概要しか決まっていません。
というのも、みなさまの協力なしでは盛り上がらない[お祭り]なので、
反対にみなさま次第で、いかような[お祭り]にもなると思っております。
素敵なお祭りにできたらいいな、という想いをこめて開催したいと思います。
主催者より(blog of the Yeah!2003)
■ 丸紅ダイレクト事件 (2003.11.02〜2003.11.06)
11月2日8時、丸紅の通販サイト『丸紅ダイレクト』でNECのPC「VALUESTAR F VF500/7D」の価格が
198,000円と設定すべきところを19,800円と設定していたことが2chで発覚。一気に祭りになった。
▼ギコの楽しいデスクトップPC購入相談▼3台目
706 名前:名無しさん 投稿日:03/11/02 08:34
おまいら、NECのデスクトップが安いですよ。
値段の付け間違いだろうなぁ・・・。
http://esd.ivp.co.jp/scat/marubeni/asp/syousai.asp?ID=36677
707 名前:名無しさん 投稿日:03/11/02 09:17
安すぎ ワロタ
一桁間違えてるな
708 名前:名無しさん 投稿日:03/11/02 10:33
>>706
みんなでこれ買おうぜ!!祭りじゃん!!
前も液晶モニターの価格間違えで、祭りになったような、
あの時は結局売ってくれなかったらしいが、今度は・・・。
▼ギコの楽しいデスクトップPC購入相談▼3台目
『丸紅ダイレクト』は同日10時に価格を訂正するもすでに1500件の注文が入っていた。
通常、こういった場合は「錯誤に基づく契約無効」とするのだが、
6日、『丸紅ダイレクト』は19,800円で販売することを決定。人々を驚かせた。
資料:丸紅ダイレクト 激安パソコン2ちゃんねる祭りのあらまし
(番外地 )
■ ろじぱらパクリ疑惑2003 (2003.11.23)
少女漫画家の有間しのぶ自身のサイト『野天』のネタを『ろじっくぱらだいす』にパクられたと主張した。
しかし見当違い甚だしく、「有間しのぶの自意識過剰」という結論に落ち着く。『野天』のBBSは非難の書き込みが相次いだ。
資料:ろじぱらパクリ疑惑資料保管庫
■ Winny利用者が逮捕される (2003.11.27)
著作権侵害で愛媛県松山市の無職男性(19歳)と群馬県高崎市の自営業男性(41歳)を逮捕。
WinnyBBS上で「これから放流します」と発言したのが命取りに。しかし、彼らは所詮一利用者に過ぎない。警察が狙っているのはWinnyの製作者。謎のプログラマ「47氏」とは一体だれなのか。
■ 第2回紅白FLASH合戦 (2003.12.25〜2003.12.31)
Flash50が中心となって行われた第2回紅白FLASH合戦。今回はなんと6日間。参加した職人は100人近い。高レベル作品が続出し、2chFLA板の快進撃を象徴するイベントとなった。
「FLASH・動画板」が総力をあげてお送りする、「FLASH・動画板」始まって以来の最大規模祭りがふたたびやって来る!
今年の年末ものんきに歌合戦とかタイソン祭りなんて見てる場合じゃないですよ!!!
あの感動をふたたび・・・ 「己のセンスをただ信じて」
第2回紅白FLASH合戦
■ばーちゃるねっとあいどるゆにっと テキッ娘。 (2003.01.05)
かまくらの釜本雪生が作った独自型VNI。
バーチャルネットアイドルユニット「テキッ娘。」とは、「電子の世界でデビューを果たした5人組のネットアイドルグループの運営する番組」というコンセプトに基づいて構成されたテキストサイトのことです。正式名称は長いので文中で表記する場合は「テキッ娘」のみで結構です。単一のサイトで曜日によって異なる女の子がDJを務める、バーチャルディスクジョッキーシステム(VDJシステム)を採用しています。毎日巡回するも良し、好みの女の子が出演する曜日だけを追いかけるも良し。楽しみ方は読者の皆様方の自由です。
よくあるご質問
(テキッ娘。 )
斬新で野心的なアイデアであるが5人のキャラを演じなければならないわけで、雪生1人だけでやるには難易度が高い・・・。
無題のマサムネは雪生にこうアドバイスしたという。
・最初は3人(ユニットだと主張できる最小人数)に留めておくべき。中の人が1人で5人キャラ使い分けて毎日更新なんて絶対無理。現状ですらすでに破綻している。メンバー増員は、中の人を増やすなどして、運営にかかるコストを余裕を持って受け止められる体制が整うまで我慢。
■JanJan (2003.02.01)
元鎌倉市長の竹内謙が立ち上げた市民参加型インターネットメディア。運営費は富士ソフトABCから賄われている。 韓国の『OhmyNews』と同様のコンセプトのインターネット新聞を目指した。2003年2月1日は創刊号の日。2002年9月30日には創刊準備号が発行されている。
■切込隊長BLOG 〜俺様キングダム (2003.05.19)
切込隊長こと山本一郎のブログ。
■きっこの日記 (2003.07.20)
現、『きっこのブログ』。元々それほど注目を浴びる存在ではなかった「きっこの日記」が注目されるようになったのは2005年の耐震強度偽装問題がきっかけであった。
11月23日、まだメディアでは内河健の名が上がっていない時に、きっこは本当の黒幕は?というエントリーにおいて、 内河健が耐震強度偽装の黒幕であると指摘。
その後、イーホームズの藤田東吾が『きっこの日記』を「私たちでは関知し得ない、この事件の全容解明に資する重要な情報があると思います」と評価し、 情報を提供した。
12月20日、きっこは日記で書いてきた耐震強度偽装問題の情報元が民主党の馬淵澄夫事務所であると発表。 同日、馬淵澄夫議員がきっこの日記との共闘を宣言した。
■絵文録ことのは (2003.09.09)
日本のブログの歴史をハイパーダイアリーと呼ばれた時代から遡って語れる貴重なブロガー、松永英明のブログ。
豊富な知識に裏づけされた実力はブロガーとしての彼の武器であり、話題性のある記事を多く書いた。
「震災後のデマ80件を分類整理して見えてきたパニック時の社会心理」「ケータイ文化圏とネット文化圏の深い溝」「日本のウェブログの歴史(詳細版)」などなど。
ただし、考え方の違う人には強い攻撃性を持って接しているようにも思え、多くの敵を作ることになった。
論争になったエントリーとしては、2004年5月23日の『CLANNAD(クラナド)は「家族」を意味しない』、 同年7月25日『偽りの「愛国」、隣国への嫌悪』、 26日『「愛国」問題を出すとこのように誤読される』、 27日『愛国(3):「日本を誇る」必要があるのか』、
2005年5月9日の『多国語で書けるブログはどこ?ブログ124サービス【文字コード】全チェック』等が挙げられる。
2006年1月31日、『「きっこの日記」五年分すべてを通読してわかった。きっこの正体』というエントリーを書く。このエントリーがきっかけとなり、彼のかつてのハンドルネームが判明する。彼の正体は……
■しょこたん☆にっき (2003.10.26)
後の『しょこたん☆ぶろぐ』。一日に何度も更新することで有名。新「ブログの女王」。
■俺ニュース (2003.05.31)
⇒俺ニュース閉鎖
■ダークマター (2003.07.01)
2003年7月1日午前0時をもって、ダークマターは更新を終了します。
一年間、当サイトを応援していただきありがとうございました。
ダークマター
いろいろと閉鎖文をこねくりまわしていたのですが、どうも湿っぽくなったのでバッサリカット。あんな感じになってしまいました。考えてみれば、この一年の間で伝えたい事は伝えきったからかなと、そんな気がします。
あと、誤解を受ける前に言っておきますが、トラブルでも何でもありません(笑)終わるべき時期が来たかなと感じたのがきっかけです。
当然ながら、表が終わった以上裏も終わりです。最後まで「β」が取れませんでしたが、このページを読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
アフターダークver1.01β
■ばーちゃるねっとあいどるゆにっと テキッ娘。 (2003.08.12)
「テキッ娘。」企画凍結のおしらせ
4月より再開を予定しておりました当サイト「テキッ娘。」ですが、諸事情により今後の更新が難しくなってしまいました。再開の予定は当分の間ありません。何らかの形で協力してくれた一部の関係者の皆様、おたよりを送ってくださった皆様、今まで楽しみに読んでくださった読者の皆様に心よりお詫び申し上げます。
過去ログについてはそのまま残しておきますので、今からでも見たいという方がいましたらご自由にどうぞ。今までどうもありがとうございました、それではまたどこかで。
テキッ娘。
■なつみSTEP!
駅で待つなつみ。彼女の行き先は?
『こしあん堂』のたけはらみのるが制作。FLASH★BOMB出展作品。
■num1000 512kb cache mix
「2ちゃんねる大王」「宿題は大変だワッショイ 」の512kbが制作したnum1000リミックス。
■世界制服モララー
『若村技研(若村重化学工業 先進技術研究所)』のwakamuraが制作したアニメーション。 TVアニメOP風ムービーは第一期、第二期、劇場版の3種ある。
「世界制服をたくらむモララー」が元ネタ。
「世界制服モララー」は商業の音楽を使っていた。
いわゆる黒動画(著作権的に)であるわけだが、
黒動画を作る理由としてwakamuraは「黒ってかさ、そういうパロディっておもろいやん 」「仕事じゃ作れへん、作らしてもらえへん物を好きなように作る」と言っていた。
しばし姿を消した後、2007年、彼はニコニコ動画に現れる。MAD制作者として。
1 名前: ( ´∀`)さん 投稿日: 01/11/04 00:05 ID:8LE8/ky+
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・∀・)< 世界制服してやるからな!
( ) \____________
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(__)_)
7 名前: 1 投稿日: 01/11/04 00:41 ID:Huoi0hej
明らかに誤字です。スマソ。逝ってきます。
それを踏まえたネタということで。
資料:世界制服をたくらむモララーまとめサイト
■Infinity Dash!!
数多く作られた「num1000リミックス」を一つにまとめた集大成的作品。『Nakajo Web』の静かなる中条が制作。第2回紅白FLASH合戦出展作品。
■S2F
2chAAキャラによる格闘ゲーム風動画。『N-Gravity』のnaeが制作。第2回紅白FLASH合戦出展作品。
■アニメ2ちゃんねる
2chのAAキャラ達が、もしアニメになったら・・・
「スーパー流石ブラザーズ 」
「2 」
「3 」
を作った『ヘッポコムービーズ』のAKIRAが制作。第2回紅白FLASH合戦出展作品。
■混乱と怒涛の2ちゃんねる2003年史
2ちゃんねるで起きた出来事を流石兄弟とともに振り返る。『すなふえ谷』のすなふえが制作。第2回紅白FLASH合戦出展作品。
■>>1さんに首ったけ
8頭身ネタ。8頭身ネタなので、逃げる>>1さんと、それを追いかける8等身モナーということになるわけだが、
スピード感あふれるアニメーションでよく表現されている。
『HACHIMIRI FILM』のハチミリが制作。第2回紅白FLASH合戦出展作品。
■日本ブレイク工業社歌
タモリ倶楽部の「日本マイナーキャンペーンソング」で取り上げられた歌。解体業者「日本ブレイク工業」の社歌であるが、
とても社歌とは思えない戦隊モノ系の歌であったことから大ウケ。作詞・作曲の萬Z(量産型)は有名人に。
■巫女みこナース・愛のテーマ
エロゲー「巫女みこナース」の主題歌。
「キング・オブ・電波ソング」こと柏木るざりんが作詞・作曲をした。
■二二九
『MARU PRODUCTION』の丸山薫作品。「日々有魚」と同様にビットマップばりばりな本作品は、丸山の圧倒的な画力を視聴者に見せ付ける。
■Antinny
Winnyネットワーク経由で感染するウイルス。Winnyのキャッシュを消去するだけであり、ダメージは少ない。
この後次々と凶悪極まりない亜種が現れる。
■MSBlast
ワーム。Windows2000,XPにある脆弱性を利用してコンピュータに侵入する。レジストリに自らを登録し、PC起動時に自分が立ち上がるよう設定する。
さらに、自らが感染しているIPアドレスに近いアドレスをランダムに選び出し、攻撃を仕掛ける。
さらには「Windows Update」にDoS攻撃を仕掛けるようにもなっていた。
資料: 爆発的流行の兆し? Blasterウイルス対策マニュアル
(INTERNET Watch )
参考文献
[書籍]村井純 『インターネット』 岩波書店、1995年
[書籍・ウェブ]インターネットマガジン編集部 『WIDEプロジェクト10年の軌跡 』 インプレスR&D、2007年
[書籍・ウェブ]WIDEプロジェクト 『WIDEプロジェクト研究報告書 』 WIDEプロジェクト、1998〜2005年
[書籍・ウェブ]村井純 『インターネットの歩み 』 電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163、2003年
[書籍・ウェブ]JUNET利用の手引作成委員会 『JUNET利用の手引(第1版) 』 1988年
[書籍]fjの歩き方編集委員会 『fjの歩き方』 オーム社、1995年
[書籍]月間マックライフ編 『インターネットの世界』 ビー・エヌ・エヌ、1994年
[書籍]浅野理森・MARC 『図解で知るインターネットの仕組み』 技術評論社、1995年
[書籍]Net Travellers' Tribune 「ネット・トラヴェラーズ'95」 翔泳社、1995年
[書籍]ばるぼら 「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」 翔泳社、2005年
[ウェブ]l日経ネットワーク 『前例なき挑戦,礎を築く!)!)TCP/IPの助走期 』 ITPRO、2000年
[ウェブ]l渡邊克宏 『JUNETとfjの記念碑 』 渡邊克宏のページ、2004年
[ウェブ]l細貝俊夫 『村井純 』 ちえの和webページ、2005年
[ウェブ]lfjの歩き方メーリングリスト 『歩き方メーリングリストで作成されている文書 』 Yashiki's page、1998年
[ウェブ]l『元junetユーザのつぶやき 』 通信技術@2ch掲示板、2001年
[ウェブ]l『JUNET記念日 』 yoi.com
[ウェブ]lつくばビジネスネットワーク、茨城県インターネットフォーラム 『日本最初のホームページ 』 茨城県インターネットフォーラム、1999年
2018.11.11 年ごとに分かれていたページを1ページ化
2008.02.23 1984年〜1994年追加
2008.01.04 公開
2007.10.30 制作開始