■メニュー: |TOPインターネットの歴史インターネットの歴史年表テキストサイトの歴史RagnarokOnline(JP)の歴史RagnarokOnline(JP)の歴史年表『THE iDOLM@STER』MADの歴史アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究GoogleTrendsで見る、Webの話題と騒動ニコニコ動画で見るFLASH黄金時代「東日本大震災発生に伴うインターネット上の出来事と話題」日表倉庫

Sig's Archives"RO" さんの1/16に書いてあることに乗っかってみたり。ちとお題(βの思い出を語ろう!)からはみ出でたが。まあ気にするな。
 -----------------------------------------------------------------

2005-01-17

俺とROβテスト

大学の研究室にあったパソコンのデスクトップにRagnarokOnlineのアイコンがあった。
聞くとRagnarokOnlineはオンラインゲームなんだとか。
Yahooで検索し、行き着いたBreeze from Pronteraというサイトには
アカウントの取り方がわかりやすく書いてあり、
興味を持った私は、そこに書いてあったとおりにアカウントを取り、Irisにキャラを作った。
Irisにした理由は「新規者はIrisがおすすめですよ〜^^」みたいなことがそこに書いてあったから。

こうしてROβテスターになった。たしか02年4月頭。

まだopenしたばかりのIris、その初心者修練場は人が多かった。いや、
多いどころの話ではなかった。講師NPCの周りは人でマスが完全に埋まっていて
NPCに近づくことが出来ない。そもそも人が多すぎてNPCがどれだかわからない。
やっとこさNPCに話しかけることが出来ても途中で何故か話しが勝手に切れてやり直しになる。
後にうさ耳NPCが復活したときもそんな感じだったような。
どうもNPCは沢山の人に同時に話しかけられるのが苦手らしい。

苦戦しながら修練場を抜け、降り立った ミッドガルドの地はとても広く感じられた。
職業は剣士にした。理由は一番弱かったから。
掲示板を見ると職業批判みたいな物があって、強い職業は文句を言われやすいようだ。
めんどくさいことには巻き込まれたくはない。だから剣士にした。

やってみると剣士の性能は言われるほど悪くはないと思った。なんせ唯一金ゴキとまともな戦いが出来る。
金ゴキにはダメージが1しか通らないのだが、修練を持っている剣士だけは31なのだ。
それでもかなり低いので金ゴキ戦はその場にいた人と共闘、ていうかたこ殴りになる。
そしてMVPをとると周りから「おめー」と言われ、
MVPを取った人がアイテムだったか経験値だったかを言い、経験値だと周りが「ぷちおめー」てな具合。
そういや死んだときに「南無ー」と言われ「南無ありー」と返すのもあったなあ。

当時の拠点は伊豆。かなり混んでいた。そりゃそーだ伊豆のカプラ転送は行き先がどこでも100zなのだから。
”しゃきっとリンゴの雑貨屋さん”ていう露天がいつも同じ位置にあって、
当時の回復アイテムの主流は芋なのにその露天はリンゴだけ置いてあった。
ちなみにリンゴも芋も4z。赤ポが16z。
芋が主流だったのは確かリンゴより芋のほうが回復料が僅かに多いって言われていたから。
なのにリンゴのほうを置くのだからこだわっている。

接続人数は増加の一方で、7月頃には鯖の状態が激悪になっていた。MAPを一つ移動するたびに鯖缶。
鯖が違うMAP間の移動で落とされることは以前からあったのだが、
この頃には鯖が同じMAP間の移動でさえ落とされるようになっていた。

β1終了時のLvは48。装備している物だけβ2に持ち込めるということで装備しておいたのは
同じパーティの人からもらった猫耳、FDで出したイヤリングとピラミッドで出したグローブ。
この3点は正式サービス移行時に没収されるまで装備していた。

            ----------------------------------

β2になりMAPが広くなった。二次職も実装され、カード効果も徐々に実装されていった。
鯖は不安定なままだったが。
特にIrisは本当にひどかった。本当によく鯖が落ちた。
他にも全ワールドが落ちたときにChaos、Lokiと復帰していって次はIrisかなと思うとFenrirが先で、
Irisは一番最後だったりとか。
そんなとき、当時混んでいたRAGNAROK Squareの一行掲示板に書かれたのはもちろん” ま た I r i s か ”。

今ではFrashを作ったりして、すっかり有名になった壱テスタ氏の行ったイベントを見に行ったりもした。
壱テスタ氏はバイタリティのある人だなあと。スタッフも頑張っていた。
当時はノウハウがなかったせいもあるのだろう、イベント自体は単純。
みんなで魔法をぶっ放したり、人文字を作ったりみたいな感じ。
一回目は魔法をぶっ放したせいで鯖が死んでメンテが入ったのは参加者だけの秘密だ。
当時の鯖は本当にもろかったなぁ。

魔法をちょい多めにぶっ放しただけで落ちるような鯖状態。当然抗議の声の一つも上がる。
Chaosショック以降、署名運動がおきたが私は参加しなかった。
ていうか署名運動が起きていることは後にusada3.phpを読むまでは知らなかった。

10月後半、最大接続数が10000を超えていたIris。重くって仕方ないので、Lv上げは早朝に行っていた。
このころは本当によくloginしてひたすら敵を狩っていた。まさに廃人。

だが11月中旬から忙しくなりloginすることが出来なくなった。
12月、正式サービススタート。
WebMannyを買って12、1、2月と払ったもののloginしたのは12月に2〜3回ほど。1月は1回しかloginできなかった。
2月の中旬になりROをする余裕ができたが、すっかりROをする習慣が抜けたせいなのか、
何故か全くやる気にはならなかった。

            ----------------------------------

03年2月27日、ガンホーは大量にプレイヤーをBAN。次の日キャラクター名を公開したが、
BANされたプレイヤーが冤罪を主張し大騒ぎになった。
RAGNAROK Squareの一行掲示板、にゅ缶のスレには2月いっぱいで引退するという書き込みが沢山あった。

β1の時には予想もしなかった正式サービスの悲惨な現状。何故このようなことになったのか。
私は考え込んでしまった。
Let's RAGNAROKもRODNもro-sv.infoもサクライのアレもすでに亡く、
ラグナロク ナウの掲示板は荒れるので撤去され、サイトの更新をしていない。
jROの宣伝に大いに貢献したこれらのサイトの閉鎖原因は管理人にあったのか?
重力やガンホーやプレイヤーにも原因があったのではないのか?

            ----------------------------------

環境が気に入らなくなったときの選択肢は3つ。
妥協するか、その環境を変えるか、その環境から去るか。
妥協はしたくないが、
有名サイト持ちでもなければ、そもそもサイトすらもっていない私には環境を変えるような影響力が無い。
環境を変えようとする人を助ける力すらない。


じゃあ去ろう。
丁度やる気もおきなくなっていたことだし。良い止め時だ。
β1の時に同じパーティの人からもらった猫耳、ピラミッドで出したイヤリングもFDで出したグローブも
正式サービス開始の時に没収された。アカウントを消すことに問題なんて無い。
思い出はサーバーの中にあるわけではない。思い出は自分の記憶の中にある。それで十分。


以降、入金することはなく、私はROから離れた。