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■インターネットの歴史: 1984年〜1994年/1995年/1996年/1997年/1998年/1999年/2000年/ 2001年/2002年/2003年/

1984年〜1994年(昭和59年〜平成6年)

最初にJUNETありき
 1984年8月、慶應大の若き研究者である村井純が東工大に籍を移すこととなった。村井は慶應大のコンピュータのなかに沢山のデータを残しており、 そのデータが必要になるたびに村井や後輩達は東工大と慶應大を往復していた。
 データをテープに書き込み、持ち運ぶのは面倒なことだ。電話線を使って東工大のコンピュータと慶應大のコンピュータとの間でデータの送受信ができないだろうか。 どちらのコンピュータもUNIX搭載機であった。UNIXマシン同士でデータ転送を行うには通信プロトコル「UUCP」がある。 実験ネットワーク「JUNET」が始まった。

JUNET始まる(1984.10.xx)
 慶應大、東工大、東大をUUCP方式で結んだことで始まったネットワーク。公衆電話回線を用いた。 初めは慶應大、東工大間の接続であったが、まもなく東大も参加。 JUNETの機能の中で主なものは、バケツリレー方式での電子メール・ネットニュース。 電気通信事業法の施工、いわゆる「通信の自由化」をまって、95年の情報処理学会にてJapan University NETwork「JUNET」を正式に発表。 JUNETは評判となり参加者は増え、fjというニュースグループでは活発な議論が行われた。 85年にはアメリカの「USENET」、86年には「CSNET」に繋がる。

 1985年4月に電電公社が民営化されてNTTになるまでは、一般の回線を電話以外で使うことは、ハードルが高くて普通の人にはとてもできませんでした。 正式には認可が必要でしたし、それにはたいへんな手間と出費がかかりそうでした。 たとえば300bpsの(いまから見ればおもちゃのような)モデムで、電話回線を使ってどことどことをつなぐということの正式な認可を得るために、 書類を出して、機器をそろえてとなると、何百万円かは覚悟しなければなりません。 しかも、電電公社との、何段階ものネゴシエーションのために足しげく通わないとだめだとか、そんな状態だったと思います。
 このような状況だったので、一般の長距離ネットワークが、日本では大きく遅れたのですが、85年4月の電電公社民営化以後、 電話機や接続機器についての自由度がある程度出てきて、電話回線に接続して使える、データ通信用の一般向けモデムが発売されるようになりました。
 そしてそれを使って、離れたコンピュータ同士を、電話回線でつないだわけです。 実際には、このネットワークの実験は、電電公社民営化以前の1984年10月、東京工業大学、東京大学、慶應義塾大学を結ぶことから始めました。 民営化後を見越して開発が進められていた機器を使って、非公式に開始したのですが、民営化後も事務レベルでは大きな抵抗感がありました。 電話回線を電話以外の目的で使うのはいけないことだと、多くの人が心配するなかで、「草の根」からネットワークをつないでいくという実験を重ねていったのです。
第4章インターネットの変遷(村井純著 インターネット)

 JUNETによって実現された数々の功績は,技術的にも大きいものがあるが,社会的に大きな功績の一つは電子ニュースの配送であり,ネットワーク上のコミュニティができるようになったことだ.これがfjと呼ばれる日本の中でのニュースグループである.ARPANETからUSENETに入ってくるニュースはFrom ARPA でfaというタグをつけていた.JUNETからはfj(From JUNET)という名前がつけられた.fjというニュースグループは,日本の中でどういう掲示板を造ればいいかといった様々な議論がなされていた.fjは faとも相互運用されていて,USENETなどのほかにもたくさんのネットワークともつながっていたこともあり,この中で大変大きな発展があった.
4. 電子ニュースとネットワークコミュニティ(電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163)

JUNET記念日(1987.07.01)
 87年7月1日、ネットニュース記事の配送が突如停止。 ニュース配送システム「Bnews」当てたパッチ中の「july」と記述すべき箇所が「July」と なっていたことが原因であった。これ以降、毎年この日はニュースの配送に感謝して、記事の投稿を控える日「JUNET記念日」となった。
 87年はサラダ記念日が流行っていた年であった。

「この記事が古い」とinews(君)が言ったから、7月1日はJUNET記念日

WIDEプロジェクト始まる(1988.04.xx)
 JUNETは電話回線を用いたUUCP通信である。JUNETの通信量は右肩上がりに増え、電話代は当然増えた。 電子メールのアドレスの書き方を間違えたせいで国際電話の電話代が月300万円になったこともあったという。 したがって専用線の導入が必要という結論になったのだが専用線を引くには金がかかる。 専用線を引くには企業から金を集めるしかない。村井は共同研究費という形で企業から金を集めた。 そしてまずは東大と東工大間を88年7月6日に、慶應大と東大間を同年同月19日に接続した。通信方式はTCP/IPを用い、速度は64kbpsであった。 この共同研究はWidely Integrated Distributed Environment Project 「WIDEプロジェクト」と名づけられる。

第2章
WIDEプロジェクトの概要

 WIDE(Widely Integrated Distributed Environment)の目的は、 局所的な分散環境とそれらの接続という階層的な構造に基づいた大規模な分散環境を構築するための技術を実証的に確立することにある。 そのために、実際に運営されている複数のローカルエリアネットワーク間を、分散環境を構築するために充分な速度の回線を用いて接続し、 その上に実用に耐える大規模広域分散環境のプロトタイプの構築を開始した。 この環境の構築に際して、ネットワーク間パケットのための経路制御機能、ゲートウェイにおける制御機能、 広域分散環境の管理機能と応用機能に関する研究と研究成果の実証を行う。

2.1 研究期間

 研究活動は当面4年間を予定している。この期間を2つのフェーズに分け、前半と後半をそれぞれ次のような方針で活動を行っている。 実際の活動は1988年4月から開始している。

フェーズT(1988年4月から1990年3月)
 実験基盤の確立とゲートウェイ機能の開発、大規模分散型オペレーティングシステムの構造に関する設計、 応用技術のプロトタイプの開発と実験などを目的とする。

フェーズU(1990年4月から1992年3月)
 実験基盤の発展と運用の技術確立、大規模分散環境のためのオペレーティングシステム技術、ゲートウェイ技術、応用技術の開発と実験などを行ない、 その技術移転を目的とする。
1988-1989年度 研究報告書WIDE PROJECT
・「右手に研究、左手に運用」
・「北風より太陽になろう」

 われわれは「北風と太陽」と言ってきました。「こういうものを使わなければ困ったことになるぞ」と、 強迫観念を与えてものごとを推進していこうというのは、いわば『イソップ物語』でいう「北風」です。 そうではなくて、「こんなによいことが起こるのだ、こんなに有効なものなのだ」と、 まずコンピュータ・サイエンスの分野が成果を示し、そしてほかの分野を動かしてきたのです。
第5章インターネットの重要課題(村井純著 インターネット)

*敬称略

▼目次
JUNET始まる
JUNET記念日
WIDEプロジェクト始まる
IPパケットが初めて太平洋を横断する
WNOC東京を岩波書店に設置
Tim Berners-Lee、「World Wide Web」を実装
世界初のウェブサイト
日本初のHTML
日本最初のホームページ
日本初の商用インターネット接続サービス開始
IIJ設立
NCSA Mosaic 登場
NTT、WWWサーバを立ち上げる
TWICSがインターネット接続サービスを開始
『日本の新着情報』登場
大手電気メーカーや電気通信事業者がインターネット接続サービスを開始する
JUNET解散
Netscape公開
『Searcher in Waseda』登場
ベッコアメ設立
『NTT DIRECTORY』サービス開始
サイト開設/サービス開始
参考文献
参考ウェブページ

↓日付は「歴史年表」ページの当該個所へのリンクになってます。
日付 イベント
84.10.xx JUNET始まる
85.01.xx JUNETがUSENETに繋がる
86.01.xx JUNETがCSNETに繋がる
87.07.01 JUNET記念日
88.04.xx WIDEプロジェクト始まる
88.08.02 IPパケットが初めて太平洋を横断する
89.08.xx WIDEネットワークセンターを岩波書店に設置
89.12.xx Tim Berners-Lee、「World Wide Web」を実装
91.08.06 世界初のウェブサイト
92.02.xx 日本初のHTML
92.09.30 日本最初のホームページ
92.11.xx 日本初の商用インターネット接続サービス開始
92.12.03 IIJ設立
93.03.14 NCSA Mosaic 登場
93.05.18 Windows3.1発売
93.10.07 NTT、WWWサーバを立ち上げる
93.10.xx TWICSがインターネット接続サービスを開始
93.12.01 『日本の新着情報』登場
93.xx.xx 『富ヶ谷』開設
94.02.xx NIFTY-Serveがインターネット接続サービスを開始
94.06.01 InfoWebがインターネット接続サービスを開始
94.06.xx ASAHIネットがインターネット接続サービスを開始
94.07.27 Local Area Medical Network(LAMeN)』開設
94.08.09 『JapanEdge』開設
94.08.22 『内閣総理大臣官邸』開設
94.08.xx インターネット協会日本支部発足
94.09.xx ベッコアメ始まる
94.10.01 リムネットがインターネット接続サービスを開始
94.10.xx JUNET解散
94.10.xx Netscape公開
94.10.xx 『秋保窓』開設
94.11.27 『Koichi Matsuda's Home page』開設
94.11.xx ベッコアメのサーバーに初めて個人ホームページが出来る
94.11.xx 『Searcher in Waseda』登場
94.12.01 ベッコアメ・インターネット設立
94.12.xx? 『NTT DIRECTORY』サービス開始
94.xx.xx 『ダービースクエア』開設
IPパケットが初めて太平洋を横断する(1989.08.02)
 NTT研究所の後藤滋樹と村上健一郎がCSNETとのTCP/IP接続に挑戦。

 まず手始めにルーターを取り寄せた。発注したのは,米シスコシステムズ製のルーター。日本に持ち込まれた最初のシスコ・ルーターである。シスコを選んだのは,「ルーター・ソフトのできが他社より良かったから。でもハードは相当ひどかった」(村上)。
 次にグローバルIPアドレスの取得。実はすでに社内実験用にSRI(スタンフォード研究所)からアドレス・ブロック(連続するIPアドレス群)を割り当ててもらっていた。これを使えばいい。
 最後は国際回線との接続だ。社内事情から国際専用線を使えなかったので,回線はX.25 パケット交換網と呼ぶ公衆サービスにした。
 ただし,ここから苦労が始まった。X.25パケット交換サービスの仕様が,日本と米国で微妙に違っていたためだ。やむを得ず村上は,ルーターOS の修正作業を開始する。シスコとCSNETのエンジニアに応援を依頼し,米国版X.25と日本版X.25で相互接続できるように,ルーターOSを書き換えてもらうことにした。
 修正は実験結果を反映しながら進めなければならないので時間がかかった。まず,シスコが日本仕様に書き換えたルーターOSを送信してもらう。受け取ると,すぐさまルーターにインストールし,CSNET側と歩調を合わせて起動する。通信を開始し,パケット・アナライザを使って通信状態を逐一チェックする。最後に,通信に失敗した原因を解析し,その結果をシスコへフィード・バックする。こんな作業が,数カ月も続いた。
前例なき挑戦,礎を築く!)!)TCP/IPの助走期(2)ITpro

WNOC東京を岩波書店に設置(1989.08.xx)
 民間企業から資金提供を受けることに成功したWIDEプロジェクト。 共同研究として資金提供をしてもらったのだから民間企業とJUNETをつなげなければならない。 しかし国立である東大と民間企業を直接繋げることは難しかったため、 接続拠点を岩波書店に設置し、そこを介すようにした。 WIDEプロジェクトに参加する組織が増えるにしたがって、各地に接続拠点を開設。 こうしてWIDE網が広がっていく。日米間接続の専用線はハワイ大学のPACCOMプロジェクトによって実現した。
1989.08WNOC東京岩波書店
1989.11WNOC京都ASTEM
1990.03WNOC大阪千里国際情報事業財団
1990.04WNOC-SFC慶應大湘南藤沢キャンパス
1990.12WNOC福岡システムソフト
1991.08WNOC仙台AIC
1992.07WNOC広島広島大
1993.04WNOC奈良奈良先端科学技術大学院大
1993.05WNOC北海道札幌エレクトロニクスセンター
1994.07WNOC浜松静岡大
1994.07WNOC八王子東京工科大
1994.12WNOC-SFOMCI Hayward Center
1995.09WNOC岐阜ソフトピアジャパン
1995.09WNOC小松北陸先端科学技術大学院大
その後、旭川、堂島、倉敷、LosAngeles、根津、NTT大手町、KDDI大手町、左京、仙台、新川崎、矢上にも設置。

Tim Berners-Lee、「World Wide Web」を実装(1989.12.xx)
 89年11月12日、CERN(欧州原子核研究機構)のTim Berners-Leeは具体的なWorldWideWebの提案書「WorldWideWeb: Proposal for a HyperText Project」を発表。 12月、CERNにあった「NEXTSTEP(NeXTコンピュータ社のOS)」コンピュータ上に、世界初のWWWサーバ、世界初のウェブブラウザを構築した。

世界初のウェブサイト(1991.08.06)
 91年8月6日、Tim Berners-Leeは「WorldWideWeb - Executive Summary」を「alt.hypertext」ニュースグループに投稿。 同日、世界最初のウェブサイト「http://info.cern.ch/」を立ち上げた。

日本初のHTML(1992.02.xx)
 NTT基礎研の奥乃博が日本国憲法や社内情報等をHTML化。

日本最初のホームページ(1992.09.30)
 高エネルギー加速器研究機構の森田洋平がTim Berners-Leeと出会い、HTMLファイルを作り、サーバーに置いた。「ftp://kekux.kek.jp/kek/html/kek.html 」

 1992年9月になって、ある国際会議がフランスで開かれ、その会議に出席した私は その後、別の会議に出るためにCERN研究所に立ち寄りました。そこでTim Berners-Lee博士と出会い、CERNのカフェテリアで昼食を食べながら、WWWの ことを聞いてみました。この席上で博士から「情報はネットワーク上でみんなと 共有して、はじめて価値が生まれる。WWWはハイパーテキストのリンクで世界中の 情報をお互いに結びつけることを可能にする。KEKもぜひWWWサーバーを立ちあげて 欲しい。」と依頼されました。このときの博士の情熱にあふれた瞳を私は今でも 忘れることができません。
 博士の情熱的な説得に感化された私は昼食の後、さっそくCERNの端末室に出向き、 ネットワーク経由でKEKにログインして、はじめてのHTMLファイルを作り、 サーバーの上に置きました。それから博士にそのアドレスを電子メールで 送り、CERNのリンク集のページにKEKを加えてもらいました。(当時のメモ によれば1992年9月30日)
この時のサーバーはHTTPではなくて、FTPを使っていましたが、これが日本で 最初にWWWの網の目にリンクされたWWWサイトとなったのです。当時、CERNのTim Berners-Lee 博士のページに登録されたWWWサーバー の数は世界中に10数台ぐらいだったと記憶しています。
WWWの黎明期 日本最初のホームページ

KEK Information
Welcome to the KEK WWW server. This server is still in the process of being set up. If you have question on this KEK Information page, send e-mail to morita@kek.jp.

Help
On this program, or the World-Wide Web .
H E P
World Wide Web service provided by other High-Energy Physics institutes.
KIWI
KEK Integrated Workstation environment Initiative.
Root
WS Manager Support (Root) [EUC].
See also:
Types of server , and OTHER SUBJECTS
日本最初のホームページ日本最初のホームページ

日本初の商用インターネット接続サービス開始(1992.11.xx)
 日本イーエヌエス・エイティアンドティ(AT&T Jens)が日本初の商用インターネット接続サービス「Spin」。UUCP接続である。IP接続サービス「InterSpin」は93年7月に開始。

IIJ設立(1992.12.03)
 村井が号令をかけ、WIDEプロジェクトのメンバーが中心となって設立された、日本初の商用インターネット接続サービス会社「インターネットイニシアティブ(IIJ)」。 IIJは93年11月に国内限定のインターネット接続サービス開始。 この頃はまだ特別第二種電気通信事業者の免許が取得できてなく、国内はTCP/IP接続だが海外との接続は米UUNETのサーバーにUUCPで接続していた。 94年2月に免許取得し、本格的にインターネット接続サービスを開始した。

 商用化に対する要求と議論は日本でも熱を帯びてきており,WIDEプロジェクトを中心としてみんなで少しずつお金を出して商用のサービスを作ろうという働きかけをやっていた.まず,WIDEで動かしているインターネット運用のモデルが商用化の可能性があるのかを検証するために,郵政省の下でいろいろな専門家に入って頂いて研究会を開いた.WIDEで運用しているインターネットの需要が大きくなっているが,商用化としてスタートできるかどうかを検討してきたわけである.ところがその結論は商用化は難しいだろうということだった.WIDEでの実績はあくまで研究活動としての運用であり,そこで予測される伸び率は,共同研究の仲間が増えてくるに従って増加するのみにとどまり,これを顧客として換算していった場合には,営業活動その他の状況が全然異なるため,ビジネスとしての採算にはつながらないというもので,結論は余りに悲観的なものだった.それでも,筆者らは商用化は絶対に必要になってくることを主張し続けていた.そうしないとWIDEプロジェクト自体が運用活動に時間をとられすぎ,研究活動として続かなくなると考えており,とにかく商用化を急務として進めたかった.

 そこでスタートしたのがインターネットイニシアティブ(IIJ)社である.IIJはWIDEのボードメンバーが少しずつ出資し,当時アスキーにいた深瀬氏に社長をお願いしてスタートした.AT&Tを基盤としたSPINというサービスも同じ時期に商用化した.この二つが日本で最初の商用インターネットサービスの会社である.
6. 学術研究ネットワークと商用ネットワーク(電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163)

NCSA Mosaic 登場(1993.03.14)
 「NCSA Mosaic」とは米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)のMarc Andreessenを中心としたチームが開発した画期的なウェブブラウザ。なにが画期的であったのか。 それは「<IMG>」タグを備えていたことであった。今までのブラウザは文字しか表示できない、ゆえにウェブサイトは簡素で、見かけは地味なものであった。 しかし、Mosaicの登場により、文字と一緒に画像の表示が可能となる。これは衝撃であった。インターネットといえばMosaicというくらいMosaicは流行した。


NTT、WWWサーバを立ち上げる(1993.10.07)
 奥乃が作成した日本国憲法のHTMLがここで公開された。「www.ntt.jp」。日本のWWWサーバ地図があった。

NTTのホームページへようこそ!
ここはNTT(日本電信電話株式会社)のホームページです. このサーバはNTTのWWW愛好家によって運用されています.どうぞお楽しみください!

TWICSがインターネット接続サービスを開始(1993.10.xx)
 四谷にある日米会話学院が母体。マニュアル、メニューは英語。同学院は国際交流の為のBBSを84年に開始していた。個人向けインターネット接続サービスとしては日本初。

『日本の新着情報』登場(1993.12.01)
 NTTのホームページ内にある、URL登録型リンク集。ここに載っている情報は日本のWWWサーバ開設の歴史そのもの。
『webarchive』 に残っている『日本の新着情報』の過去ログ。

大手電気メーカーや電気通信事業者がインターネット接続サービスを開始する(1994.02〜1996.07)
 94年からインターネット接続サービスが次々と始まった。大手電気メーカ・電気通信事業者の接続サービス開始は以下の通り。
 1994年2月:NIFTY-Serve
 1994年6月:InfoWeb(富士通)、ASAHIネット(朝日ネット)
 1994年9月:ベッコアメ
 1994年10月:リムネット(ラピドシステムズ)
 1995年2月:mesh(NEC)
 1995年11月:SANNET(三洋電機)
 1995年11月:インターキュー(ボイスメディア)
 1995年11月:Hi-HO(松下電器)
 1996年1月:So-net(ソニー)
 1996年12月:OCN(NTT)
 1997年1月:ODN(日本テレコム)
 1997年7月:DION(DDI)

JUNET解散(1994.10.xx)
 93年、IIJをはじめとする商用IP接続サービスプロバイダがサービスを開始。 ネットワーク接続は「学術」から「産業」に、時代は変わりつつあった。 「学術」であるJUNETはその役割を終えるときが来たのである。93年から解散準備を始め、誕生から10年が経った94年にJUNETは解散。 12月には関係者を招いてJUNET誕生10周年記念兼解散式を行った。

Netscape公開(1994.10.xx)
 NCSA Mosaicを製作したMarc AndreessenらはNCSAを離れ、「Mosaic Communications(後のNetscape Communications)」を設立。 94年10月、「Mosaic Netscape」を公開した。「Netscape」はすぐに大きなシェアを獲得。 そこでMicrosoftは「Netscape」のライセンスを受けようとしたが失敗。Microsoftは「Internet Explorer」を開発するようになり、 「Netscape」VS「Internet Explorer」の戦いが始まる。

『Searcher in Waseda』登場(1994.11.xx)
早稲田大学の田村健人が.jpドメインのデータ収集、そのデータを利用したWWW検索システムを始める。 日本初のロボット型検索エンジン。後に『千里眼』と命名された。

■「千里眼」という名前の由来は?

開始当初は名前がなかったのですが、1995年の9月頃から名前を公募しました。数十の案が送られ、その中から選ばれたのが向後達也さんの案である「千里眼」です。
『webarchive』 に残っている97年時の『千里眼』。
97年3月、アスキーに移転。

ベッコアメ設立(1994.12.01)
 個人向け、低料金なサービスプロバイダ。

 直接ベッコアメをつくるきっかけとなったのは94年7月の日本初のインターロップでした。 ぼくも喜び勇んで幕張に出かけたんです。でも何もないんですよ、未来を予感させてくれるようなものが。 どこのメーカーのブースに行ってもMOSAICしかない。
 熱気は確かに感じたのでこの点は成功だと思うんですが、技術的には期待外れだったなと思って帰ろうとすると、 IIJのブースだけがすごい人だかりがしているんです。 なんだろうと思ってみてみると、商談コーナーに人が列をつくってる。 考えてみれば、インターネットに繋ぎたい人はたくさんいるし、たくさんの人が繋がなければおもしろい技術が 出てくるわけがないんですよね。
 そうすると、IIJの料金がこんなに高いんだったら、個人が入りたくても入れない。それでは意味ないと思ったんです。 じゃあIIJが月3万円ならば俺は年間3万円でサービスをやってやる。 事業計画も計算も何もなしで、そう決めちゃったんですよ、そのとき(笑)。 IIJのブースの周りをぐるぐる回りながら来年はここにうちのブースを立ててやると決意してましたね。 数ヶ月でつぶされたとしてもネットに価格破壊をもたらして討死にしてやるとか思って(笑)。
 このとき、電話ボックスみたいな小さなブースでインプレスという出版社が『インターネット・マガジン創刊期待号』という冊子を配っていたんです。 どうなるかわからないインターネットの専門誌を出そうなんて、馬鹿なヤツらもいるなぁと思ったんですけど、そこで起業しようというぼくと同じヤツがいると思うと勇気づけられましたね。
 帰りの電車の中でどんどん起業への気持ちが膨らんできて、実家近くの駅で降りてすぐに電話ボックスに飛び込んで、 さっきもらった『インターネットマガジン』の編集部に電話をかけました。 「創刊号に広告を出したい」というと「失礼ですが、どのような会社ですか」と電話の向こうで聞くので、「いや、これからつくります」と答えると電話の向こうで大爆笑ですよ(笑)。 ともかくこれから編集部に来いというので、また電車に乗って『インターネット・マガジン』の編集部に行きました。広告をこの号に出して、それからベッコアメは始まったんですよね。
尾崎憲一インタビュー(ハッカージャパン VOL6)

『NTT DIRECTORY』サービス開始(1994.12.xx?)
 かつて日本最大級を誇ったディレクトリ型検索エンジン。 00年2月からの名称は『OCNnavi』。
『webarchive』 に残っている97年時の『NTT DIRECTORY』。


サイト開設/サービス開始
■KEK Information page(1992.09.30)
日本最初のホームページ

■NTT(1993.10.07)
NTT、WWWサーバ立ち上げ

■富ヶ谷(1993.xx.xx)

伊藤穣一が開設した個人ホームページ。 米のプロバイダ「インターコム」が日本でのインターネット接続テストと必要機材の保管を伊藤に相談。 伊藤の自宅に専用回線が引かれたのがきっかけ。 伊藤は1994年4月「有限会社エコシス」を設立。1995年8月、フロムガレージグループの林郁とともにデジタルガレージを設立。

■JapanEdge(1994.08.09)

九州工業大学の学生3人「一瀬大志」「児玉修一」「堀江信助」が同大学制御システム工学科のサーバー内に作った、日本の先端文化を紹介するページ。 音楽、ファッション、ストリートの情報を届ける。
The Internet Edge Culture Archive of Japan (通称 "Japan Edge") は、 日本で最初の先端(edge)文化を紹介するアーカイヴです。 ここ から世界に向けて、日本のストリートやアンダーグラウンドの最新情報 を発信します。
JapanEdge

内閣総理大臣官邸(1994.08.22)
内閣総理大臣所信表明演説などを公開。

秋保窓(1994.10.xx)
東北大学のひぐちたかしが開設したソフト紹介サイト。後の『窓の杜』。

 オンラインソフトというものは、すでにパソコン通信の世界では広く流通していた。しかしまだインターネット上では配布されておらず、各大学のサーバー管理者等によって、パソコン通信からインターネットサーバーへの転載が行われていた。当時大学院生として東北大学に在籍していたひぐちたかし氏は、学内ボランティアとしてその作業を担当していた。

 だが、どこのサーバーにどのソフトが転載されているかという案内的Webページはなく、Archieなどの検索システムを使ってファイル名で検索するしかないなど、必ずしも使いやすいものとはいえなかった。ひぐち氏は、アメリカの某大学にFTPサーバーに転載されたオンラインソフトの紹介ページを見つけ、「こういうのがほしかったんだ!」と思った。そしてさっそく、大学内のサーバーにおいていた個人のWebページにオンラインソフトの紹介ページを新設した。サーバーの名称は、仙台市郊外の秋保(あきう)温泉が由来の“Akiu”だったため、Webページに「秋保窓」と名付けた。これが日本初のオンラインソフト紹介サイトの誕生だった。
短いようで長い窓の杜の足跡窓の杜

Koichi Matsuda's Home page(1994.11.27)
埼玉大学の松田浩一(現在は岩手県立大学に所属)によるサイト。 95年1月5日から始め、現在まで続いているカップラーメンレビュー「カップ天国」がカップラーメン食いまくりで凄い。

■Searcher in Waseda(1994.11.xx)
Searcher in Waseda 登場

■ダービースクエア(1994.xx.xx)


東京大学の堀江貴文が作った、競馬のポータルサイト。95年の段階で参加者がすでに1000人を越えていた競馬予想大会「Derby Square Cup」をはじめ、コラムや競馬関連サイトのリンク集など。 後に堀江は有限会社オン・ザ・エッヂ(Livin' on the EDGE)を立ち上げる。サイトデザインは『akiko brand』の有馬あきこ。


参考文献
[1]村井純 『インターネット』 岩波書店、1995年
[2]インターネットマガジン編集部 『WIDEプロジェクト10年の軌跡』 インプレスR&D、2007年
[3]WIDEプロジェクト 『WIDEプロジェクト研究報告書』 WIDEプロジェクト、1998〜2005年
[4]村井純 『インターネットの歩み』 電子情報通信学会誌 Vol.86 No.3 pp.154-163、2003年
[5]JUNET利用の手引作成委員会 『JUNET利用の手引(第1版)』 1988年
[6]fjの歩き方編集委員会 『fjの歩き方』 オーム社、1995年
[7]月間マックライフ編 『インターネットの世界』 ビー・エヌ・エヌ、1994年
[8]浅野理森・MARC 『図解で知るインターネットの仕組み』 技術評論社、1995年

参考ウェブページ
[1]日経ネットワーク 『前例なき挑戦,礎を築く!)!)TCP/IPの助走期』 ITPRO、2000年
[2]渡邊克宏 『JUNETとfjの記念碑』 渡邊克宏のページ、2004年
[3]細貝俊夫 『村井純』 ちえの和webページ、2005年
[4]fjの歩き方メーリングリスト 『歩き方メーリングリストで作成されている文書』 Yashiki's page、1998年
[5]『元junetユーザのつぶやき』 通信技術@2ch掲示板、2001年
[6]『JUNET記念日』 yoi.com
[7]つくばビジネスネットワーク、茨城県インターネットフォーラム 『日本最初のホームページ』 茨城県インターネットフォーラム、1999年

2016.12.14「InfoWebがインターネット接続サービスを開始」「リムネットがインターネット接続サービスを開始」⇒「大手電気メーカーや電気通信事業者がインターネット接続サービスを開始する」に変更。
2008.02.23正式公開
2008.02.04制作中バージョンをひっそり公開
2008.02.03制作開始